作業療法の誕生から現在の歴史

作業療法(OT)の誕生から、今につながる歴史の流れを紐解いていきます。

作業療法とよばれる前の話〜有史以前の作業療法

現代に続く様式の作業療法が誕生したのは最近になってからです。

しかし、人間そのものには遺伝子レベルで大きな変化とくにありません。

つまり、人間が快・不快を感じる傾向というのは、今も昔も変わらないはずです。

現代社会よりも圧倒的に消費できるモノゴトが少なかった、昔々の人の営みを知ることを通して現在生きる私たちを見つめなおす機会が得られるかもしれません。

前置きはこの辺にして、話題は作業療法の発祥についての本題へ移ります。

そして、実は、作業療法という概念が誕生する以前から、人は、活動を「人を癒す」という目的で使用していたようです。

古代エジプト時代に、医療っぽい何かが文明の中で生まれます。

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実は、呪術的なイメージばかりが前面に出がちな当時のエジプト医学の実態は、実に実用の医学・試行錯誤の医学だったことが、さまざまな研究から明らかとされています。

その医療水準は当時としては最先端であり、エジプト王に対して、他国の王が医師の派遣を要請する程度には、医療水準は高いものでした。つまり、支配階級である知的な層の人々からも一定の評価を得ていたようです。

また、並行してまじないなどのスピリチュアルな要素も用いられ続けました。

そんなエジプト社会では、当時から、精神に生きづらさを持った人々の存在が社会的に認められており、そうした方々を対象として社会的または個人にとって意義を感じることができるような活動を提供していました。人に活動を行わせることで、精神と身体のバランスが調整できることを発見し、実践していたのです。

「人が何かをすること」

「何かが改善すること」

を、当時の人々も感じ取り、それを治療として用いていました。

もちろん、医療的なリソースも知識も情報も現在に比べて限られているという点はありますが、当時も治らない病気は身体面・精神面の両方に多くあったでしょうし、

「とりあえず、何もしてないよりも、いい感じにすごせる」

という実感、実用性が、活動を治療に用いることの有効性を認める根拠となっていたのではないかと考えられます。

このように、なぜ元気になるかはわからないけれども、とにかく効果がありそうだということで、有史以前から人間は、病気の人を元気にするために活動を導入していたことがわかっています。

そして、冒頭でも述べたように、人間の身体的・精神的・社会的構造は、その根本は大して変わっていないので、

「活動で人を癒す」

という方法論は、十分現代人を対象としても通用するものであるはずです。ですから、「作業をすることで人は元気になれる」のルーツは、古代エジプトくらいまではさかのぼることができる由緒正しい方法論ということになるようです。蛇足として、上記で「なぜ元気になるのかはわからないけれども」と書きましたが、現代社会においては根拠もないのに方法論を用いることは科学的ではないし、医療的ではないということで「なぜ効果があるのか」の分析や「こうすればこういう効果が出る」といった定量的なデータを集めてエビデンスを積み重ねる作業を、現代の作業療法士は行っていますのでそこは誤解なきようお願いします。

人間と活動の「幸福における不可分性」

作業療法の根拠(エビデンス)を示すのは、時間的コストやしっかりとした検証の枠組みが必要なので、難易度が高いです。

しかし、その難易度の高さを超えて、昔のひとも、その有用性をなんとか言葉にしたいと、考えていたのかもしれません。

著名なGalenという人が次のような有名な言葉をのこしていると教わりました。

「仕事をするということは、自然の最善の医者であり、人間の幸福に不可欠なものである」

この言葉からも、作業療法の哲学そのものは有史以前からのものであり、その有益性は取り立てて新しいものではなく、人間が人間らしく、幸せにあるために不可欠なものであるということができるでしょう。

「近代 作業療法」のおこり

1700年代のヨーロッパにて、草花や動物の世話、工芸品の制作が、それを行う人の活力を増大させるという効能があらためて注目されるようになりました。

これが、近代の作業療法の始まりとされています。

まずは、精神疾患の方に対する効果が確かめられ、次第に、結核などの患者にも適用が広がっていきました。

その後、作業療法は、その有効性を徐々に認知され、身体障害領域にも活用されるようになりました。

アメリカにおける「専門職としての作業療法士」の確立

作業療法の重要性が、社会に認められるようになったのは、アメリカでの作業療法士の活躍が大きく影響しています。

アメリカは自由の国ですが、同時にアメリカ合衆国憲法の元、人権意識の高さをプライドのよりどころにしている人が少なくない国でもあります。

2人の重要な登場人物がいます。Thomas Eddy と George Barton です。

1910年アメリカのThomas Eddyによって、作業を行った患者の回復が、行わない患者と比較して早いことが見出されました。彼女は、その後治療の中で作業を活用し、また後進への教育の中でも作業を用いることを教えていきました。

また、George Bartonは建築家からセラピストになったというユニークな経歴の持ち主でしたが、「身体障害領域へも作業療法は関与するべき」と主張し、その後の作業療法の活躍のフィールドの広がりに大きな影響を与えました。時代は第一次世界大戦の頃であり、たくさんの人々が若くして怪我や病に苦しむことになったという時代背景もそうさせて、セラピストの人手不足といった条件もあり、作業療法士は活躍の場を広げていったのです。

そうした人々に対して、作業療法士は現地におもむき、実際に作業療法を行い、効果を示したことで作業療法と作業療法士はアメリカ社会に広く認知されるようになりました。

そのうちに、結核や小児の分野でも作業療法のノウハウは活用されるべきであるとされるようになり、また実践がなされました。

アメリカでは、多くの人が、社会が作業療法というものを認知するようになっていきました。

作業療法はアメリカ社会での人権に対する考え方と、悲惨な社会背景の下で、その必要性を一段と認知されるようになったのです。

アメリカから世界へ

その後、アメリカでは作業療法士の職能団体である、AOTAが組織されました。

これはアメリカ社会での作業療法士が一定の存在感を占めようとする現れてであり、作業療法士の数が増えることを感じさせるものでもありました。

アメリカにおける作業療法の一定の成功を模範として、諸外国の医療が作業療法を取り入れようとするようになりました。

作業療法が広がりを見せ、そしてまたその実践の結果として体系化が進むにつれ、作業療法の国際団体を組織する必要性が叫ばれるようになりました。

こうして世界作業療法士連盟:WFOTが組織されました。

日本の近代から現代までの作業療法

まず、いろいろな年表から大きな作業療法トピックだけを取り上げています。

年表(日本における作業療法)

1963年 作業療法士養成校が設立される

1965年 「理学療法士及び作業療法士法」制定

1966年 第1回国家試験。

日本作業療法士協会設立

1972年 日本作業療法士会がWFOTへ加盟

1974年 身体障害作業療法と精神障害作業療法に診療報酬点数が設定される

1988年 老人保健施設

1992年 四年制大学養成課程

1996年 修士課程設置

1998年 博士課程設置

2000年 介護保険制度導入・回復期病棟の新設

第24回WFOT代表者会議日本開催(札幌)

2004年  日本作業療法士協会 「認定作業療法士」資格認定制度を創設

2005年 障害者自立支援法の成立

2006年 疾患別リハビリテーション算定料 機能別診療報酬

2009年 日本作業療法士協会「専門作業療法士」資格認定精度の導入

2014年 WFOT学術大会2014が日本で開催

日本の作業療法の歴史概要

これまでの日本の作業療法はまさに、作業療法士の数をいかに増やすかに苦心してきた歴史と思います。

「4年制大学の設立は作業療法士の質の向上を図る上で悲願であった」

と、とある先生はおっしゃっておいででした。

同時に、医療モデル医学モデルの中で、対象者の方と一緒にもがいてきた歴史ともいえます。

日本の作業療法士には開業権がないので、基本は全員サラリーマンです。

となると、雇用主の意向によっては利益至上主義的な臨床をしている病院もあり、そこで働きながらきちんとしたリハビリテーションをする、作業療法をするのは難しい。

そのことを、作業療法士は、これまでの歴史からよーく認識しておく必要があるかもしれません。

2017年の作業療法界隈

作業療法士として、日本の作業療法の世界を構築してこられた世代の先生方がどんどん定年退職される時代に突入しています。

作業療法士の数は増えているにもかかわらず、作業療法士が必要な現場ほど、作業療法士の数はまったく足りません。

国は、作業療法士を地域に出したがっています。そのための風は吹いていますが、なかなか地域で働く作業療法士の数は増えません。

確かに数は増えました。ただし、自分のようなちゃらんぽらんなOTSも多いので、質的に向上しているかは現場の人間目線だとおそらく疑問です。

すごい人が大勢いる一方すごくない人も大勢いるので、全体の質はプラスマイナスゼロではないかと思います。ピンきり感がひどすぎます。

もうすこしちゃんとやってる人が、得する仕組みにしないと、この状況はかわらないでしょう。

完成した後どう使うかわからない手工芸作品をつくったり、単純なゲームをしている場面をみると、「その作業をすることが、治療や社会復帰とどう関係があるのか」と今でも思う。対象者の生活が豊かになり、作業療法が終了した後も、作業を通して対象者が自分で自分の健康を向上させていけるような、対象者にとって意味のある作業をできるように援助するような作業療法をなぜしないのだろう。

吉川ひろみ「自己啓発へ努力すること」 作業療法プロフェッショナルガイド

また、世の中が便利になりすぎているのか学校教育制度がいまいち機能していないのかはわかりませんが、人間的な成長が十分でないまま作業療法士の実習に出て苦労するひとも多いようです。

作業療法士の一般への知名度は低いままで、一般の方が作業療法に適切な病期やタイミングでアクセスする権利は不当に制限されているかもしれません。

医療介護職全般的な傾向にもれず、作業療法士の実際の仕事量も、必要とされる場面や役割も増えているにもかかわらず、物価に対するお給料の額は減少しているようです。

若い人は、よっぽど志があって作業療法士をめざすか、なんとなく資格を取っておけばよいだろうという考えのもと作業療法士になるかのどちらかで、4年制の大学においても、優秀な人材はなかなか集まりません。旧帝大などの養成課程においては、取得した作業療法士の国家資格を活用することなく一般企業への就職も目立つと聞きます。

お金がほしいだけの優秀な人材が集まりにくいので、なにかとボランティア精神でやりきってしまおうという作業療法士の性が前面に出てしまうこともしばしばです。

今後の作業療法業界では、4年制の大学の意義やら、働き方やら、卒後教育や働き方やらが問われるようになっていきそうです。

一方で、新しいことを始めようとして、いろいろなことをやっている作業療法士の先輩方が、それぞれいろいろな結果を出し始めている時期でもあります。

それは、病院の中でも、病院の外でもです。

こうした先進的な取り組みを行っている作業療法士が、きちんとシンクタンクやら政策決定の助言機関と人脈つくれると、日本の医療介護福祉の現場はより面白いものになるだろうなと、一作業療法士の目線からは感じております。