知的障害者が看護アシスト 国立がんセンター東病院

はじめに

意外と知的障害者と接したことがあるという人、少ない気がします。

ひょっとすると、メディアで見る頻度の方が多いかもしれません。

なんといったって24時間テレビには障害者特集みたいなコーナーがありますし。
その他のチャリティー企画とかなんとかも、テレビではよく見ますし。

ぶっちゃけると、自分もそうです。

精神障害者というか、精神症状が出てる方を、街で見かけることはあっても、なかなか知的障害のある方を街中でお見かけすることはないです。
「町へ出かける」という事にも、それだけ多くのことが要求されるというという事なのだな、と理解しています。

なお、本来であれば精神発達遅滞という専門用語的な何かを使うべきですが、一般になじみがないと思われるので知的障害という言葉を使います。
ご了承ください。

知的障害者への偏見と環境

知的障害者とひとくくりにしてしまうのも、問題はありますが、「知的障害者はわけがわからない人」「知的障害者はあぶない」といった勘違いや決めつけ、偏見を耳にすることが実際にあります。

特に先天的な知的障害に対しては、より、そのような偏見というか、バイアスがかかったイメージを持ってる人が多い印象があります。

ダウン症(21トリソミー)などは、比較的知名度が高く、また養育者の活動も活発なため社会的な理解も比較的高い印象です。
しかし、全ての知的障害者がそのような社会的な理解を得ているわけではありません。

先ほど述べたようにそもそも実体験としてなかなか知的障害者に出会う機会が乏しいわけですから、そういったバイアスがかかったとしても、むしろ自然な社会環境であるとはいえると思います。

ですから、もし、偏見があって、それを解消するには、偏見を持った人が知的障害を持つ方と関わる機会を作る必要があります。
そして、できるならば、何かを協力してやり遂げることが出来れば、その間に、誤った先入観は一つずつ解消されるのではないかと思います。

知的障害者と労働環境

その手段の一つとして、知的障害者が働ける場を確保することには、単純に彼らに労働機会を与える以上の社会的意義が存在するはずと考えます。

たとえば、知的障害者とかかわりのなかった人が、新たなかかわりを得ることによって、これまで自分の生活圏域となかなかクロスしなかった知的障害者の実際を知ることとなります。
これがきっかけとなって、「出来る労働」「出来ない労働」の存在を社会に対して理解させることができるかもしれません。

具体的には、「知的障害者が労働する」といえば、「簡単で単純で誰でもできる労働である」というイメージが多いようです。
知的労働は確かに困難であると考えられます。
しかし、彼らの特性を生かすことができるのであれば、彼らの強みを生かすような仕事をきちんと提供することができるのであれば、そのようなイメージはまた違ったものとなるはずです。
つまり、彼らが自分の能力を最大限に生かして行える仕事を、きちんと提供できるかどうかが重要になるということです。

職業能力評価の重要性

4567202913_21b4c1410d.jpg

そこで、彼らの能力を極力、最大限に生かすことができるような仕事を見つけるためには、どうすべきでしょうか。
私は、まず、彼らが何を行うことができて、何が苦手で、どんなことが得意なのか、どういったことが好きなのかといったことをきちんと評価していくことが重要になると考えます。

能力を生かすことができる仕事を見つけるための前提として、彼らの能力を明確化する必要があるからです。
もし、何ができるのかが分かっていなければ、どの様な職場で、どのような労働をしてもらうべきかを考えることができません。
また、もし、間違った能力評価が行われたとすると、本人が苦手とする仕事が割り当てられたり、あるいは、もっと活躍できる仕事を提供でき方も知れないのに、その機会を奪うことにもなるかもしれません。

このように、知的障害者が、どのような仕事なら、継続して行うことができるかといったことを評価しておくことは、非常に重要です。

作業療法士の評価技術を生かせるのでは

作業療法士の業務の中には、評価というものがあります。
それに対して、普段患者様に行う治療的手技の実践を介入と言います。

評価の目的は、評価尺度や自然言語を用いて、対象者の現在のありようを、問題点・利点の双方が明らかとなるように、包括的に評価し、具体的な介入の方法を明らかにすることです。
簡単に言うと、この対象者がどのような支援を必要としているのかを見極める作業ということになります。
この評価を行う時に、使用するさまざまな技術が、知的障害者の就労可能な労働環境を検索する際にも役に立つのではないでしょうか。

というか、多分立つと思います。
本質的には、やることは何も変わらないので、単なる障害の有無を超えて、対象者の幅広い特性を明らかにすることができると思います。
対象者の特性がきちんと明らかになっていれば、雇用する側のハードルが一つ下がると考えられます。
つまり、知的障害者が、より社会に出ていくきっかけを得やすくなると考えられます。

先ほども述べたように、現在の社会的な状況では、知的障害者が働くことには単にその人が金銭的な収入を得る事以上の意義があるとおもいます。
その意義が達成されることは、一種の社会的貢献といえるのではないでしょうか。

そして、作業療法士にはその手伝いができるのではないでしょうか。
ということを以下に紹介する記事を読んで思いました。

この流れは拡大するかも

日本経済新聞の記事です。
一部引用します。

来年度から障害者雇用率が引き上げられることもあり、厚生労働省は「ほかの医療機関も参考にしてほしい」としている

とのことですので、今後、こうした流れが徐々に大きくなっていくかもしれません。
もちろん、この取り組みがきちんと成果を残せるかどうかということがまず一つの大きな壁ですが、その後、さらに多くの知的障害者が社会で働きたいとなった時に、「どのような要素を持つ職業であれば可能か」あるいは逆に「この職業には、どのような能力が必要か」などといった評価ができる人間が大量に必要となると推測されます。

もしそうなったら、それはOTの出番なんじゃないかと、こっそり考えています。

おわりに

そもそも、知的障害者との出会いがないのが、きっと問題なんじゃないかという論調で書きましたが、実はそんなことないのかもしれません。
別の意見がある方は是非、またツイッターか、コメントか、メールかでご意見くださいませ。

参考:  知的障害者が看護アシスト 国立がんセンター東病院  :日本経済新聞


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です