精神障害者の雇用義務に対して、企業側は経済的負担と認識しているという率直な現実がいち作業療法士としては遣る瀬無い

はじめに

この記事ではネット上の偏見を取り扱っています。

ご注意ください。

この記事に書かれていることはすべてではありませんし、ひょっとしたら嘘八百です。

後半の部分でかなりひどい偏見を、取り上げています。

現在継続治療中の方などは、ブラウザをそっと閉じてください。

いつも通り、まとまりはないですが、思いのたけを書いてみました。

問題の記事

精神障害者の雇用義務案、企業側は「時期尚早」

. 障害者雇用について議論する厚生労働相の諮問機関・労働政策審議会の分科会が5日開かれ、厚労省は企業などに新たに精神障害者の雇用を義務付けることが必要とする意見書案を示した。

分科会の了承が得られれば、同省は障害者雇用促進法の改正案を国会に提出する方針。ただ、企業側の代表委員からは「企業を取り巻く経営環境は厳しく、時期尚早」と反対の声もあり、結論は次回に持ち越した。

改正案が成立すれば、身体障害者に加えて、知的障害者の雇用を義務付けた1998年以来の対象拡大となる。同省は2018年4月の改正法の施行を目指している。

意見書案は、義務付けの根拠として、企業で雇用されたり、就職活動を行ったりする精神障害者の増加を挙げ、対象は、精神障害者保健福祉手帳を持つ統合失調症やそううつ病などの患者とした。11年度の手帳交付者は約63万人。一方で、企業側に配慮し、雇用支援策を充実するとした。

(2013年3月5日14時52分 読売新聞)

今回の精神障害者の雇用の推進に向けた動きは、精神障害者の就労支援が身体障害者などのそれに比べて遅れていたという背景とそれに対する方々からの強烈な批判に対する対応と考えられます。

この雇用推進の政策は、非常に意義があり、重要な政策です。

だと思うのですが、それに現実が全く追いついてないな、というのが正直な感想です。

以下に、その一例を示します。

インターネット上のごくごく一部の偏った人々のご意見

これに対する、偏見たっぷりな意見を見ることができます。

このリンク先のコンテンツについては、自己責任でご覧ください。

精神障害者の雇用義務案 企業側「やめてくれー」 ^p^「あうあうあー」:【2ch】ニーてつVIPブログ

悪意ある差別的書き込みから、悪意なき偏見もたくさんあって、もう訳がわかりません。

逆に、実態を踏まえて意見を述べている人もちらほらおられました。

これらの人々の意見をまとめると、こうです。

「無理だろ」

と。

働くって、社会参画なんだけどなあ

上記を踏まえて、ここからは、ひろえもんの個人的な意見です。

精神障害者の就労のみならず、一般人含めての話です。

その職場で働けるかどうかは、結局、

「その職場の構成員がどの程度、その人を認めることができるか」

という点に非常に大きく左右されます。

制度上の問題で働けないというよりも、周りで働いている人がその人を仲間として扱っているかどうかの方が働き続けられるかどうかには大きく影響します。

いくら、能力があったとて働き続けることができるというものでもありません。

有能すぎて周囲合わず、転職するなどという話はよくある話です。

能力の有無に関わらず、働く場所があり、そこに参画することで一定の生産的活動に携わることができるということは、いち作業療法士としては非常に重要な社会参画の要素だと思います。

認知症に関する話題では、このことはしっかりと取り上げられるようになって来ていて、いいな、と思います。

働けるかどうかは環境の問題

だから、

「無理だろう」

と思う同僚が、職場にどの程度いるかということ

それが、現実的には問題になってくるはずです。

そういう意味で、制度上の問題点など、表面的な問題に過ぎず、制度が改善されただけではあまり効果がないのではと懐疑的な思いにとらわれます。

残念ながら、上で紹介した記事からは、

「精神障害者の労働の受け入れなんて無理」

と、考える構成員が沢山いる職場が世間一般というか主流を占めている可能性を強く感じました。

もちろん、上記で紹介したのは「インターネットの掲示板に書き込みをする層」という社会の一部の意見にすぎません。

が、誰にはばかることもなく、社会的体裁を気にしないで表明した、本音の意見という意味で、ある意味で社会一般で聞く上っ面だけの模範解答よりも重いなと思わずにはいられません。

非常に、重い現実だと、思いました。

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でもやっぱり制度も悪い

精神障害者の方が働けるようにするためには、職場の人だけじゃなくて、その職場を構成する組織のルールや、その組織が寄ってたつ法律などのルールが悪さをしてる面もあります。

例えば、最低賃金ってあるじゃないですか。

あれが、悪さをしている面もあると言ったらどうでしょう?

実は、経済学者の間では有名な話と聞いてびっくりしたんですけれど、最低賃金が雇用の妨げになる例が報告されているのです。

その人の生産性に応じて、企業が雇用を考えるとき、最低賃金が問題になって雇用ができないというのです。

企業としては、最低賃金よりも低い生産性の人を雇うことはできないので、そこで福祉的な一般企業への就業の道が閉ざされてしまっている可能性があります。

周囲の理解があれば、高いパフォーマンスができる人も

精神障害者のみならず、発揮できる強みに偏りが生じている人に利潤を生みだす働きをしてもらうためには、同じ職場の人にその特性を理解し、必要な場面では支えていこうという意思を持ってもらうことが必須です。

発達障害のある方は、この例が沢山あります。

ストレングスモデルがぴったりとはまるのですが、人事権のある人の裁量センスがものを言います。日本的な旧来通りの人事では難しいでしょう。

作業療法士ができること

現状での就労は、やはり難しいと言わざるを得ないと思います。

解決策として、国がきちんと、正しい症状や、実態のみならず、就労のモデルケースを多く紹介するなどして、一緒に働くことになる人が、どのような役割を求められることになるのかを具体的にイメージできるようにしていくことが必要になると思います。

作業療法士としては、このあたりの「何ができて、何が難しいか」「どんな配慮が必要か」を評価して、他者に説明を行うというところで、貢献というか、活躍が出来そうかなぁと思います。

ストレングスモデルの一端を担うことはできそうですし、トラブルの元になると予想される事柄については言語化して、周囲と共有する手伝いができるかなと思います。

そうして、きちんと利潤追求と、雇用の両立が可能であるという労働の実績を積み重ねることで、地道に社会に浸透を図っていくよりほかに手段はなさそうです。

制度で企業に負担をさせるのは無理

とはいえ、「企業とは、利潤を追求する存在である」と、社会科の義務教育で教えるのが日本です。

その国の企業に、何の前置きもなく「雇用しろ」っていったって、そりゃ企業経営者側は、警戒するだろうなというのもわかるのです。

とくに、昨今の企業の経営は、豊富なリストラノウハウを蓄積してきており、経営上の無駄を省いて効率化するだけでなく、リスク資産となるような社員を極力保有しないです。

これは、ノウハウによる効率化の結果なので、景気がよかろうが、悪かろうが関係ない部分と考えられます。アベノミクスによって世の9割5分の暮らし向きはよくなりますが、それは現在維持されている雇用のみに当てはまるのであって、新たに正社員の雇用が増えるということは望み薄です。

良くて、派遣や、バイトの需要が増える程度でしょう。

で、社会はそれについて企業に対して文句言えるかというと、無理です。

国際社会を見回してみても、資本主義国家の社会は、どの国家も漏れなく、その企業が生み出す利潤や生産の結果を当てにして、社会のシステムを回してるので、企業の利益がなくなってしまうと困るわけです。

つまり、企業に対して、限界ギリギリの努力を要求する事は、不可能なのが現実です。

また、利潤を出すためのノウハウを徹底的に追及するような企業は、罰金払った方が安上がり、と考える可能性の方が、現状と同じく高いはずです。

制度を作ったところで、企業風土として利益追求以外の観点が弱い企業に対しては、大した効果は見込めないと思います。

良いルールを作っても、それをハックする頭のいい人たちは必ず存在します。

タックスヘイブンが良い例でしょう。

社会貢献を謳う企業

世の中には、社会への貢献を第一義としている企業も数多くありますが、意外かもしれませんが、そういった企業はネット上で従業員からブラック企業だと評されることもあります。

実際、ユニクロは障害者雇用に対して非常に積極的であり、生産物やサービスを通して、社会への貢献しようという意識風土の非常に高い企業ですが、ネット上でブラック企業と言われてしまってます。

これは、社員が、労働に見合った対価を受け取れていないと考えていることによると思われます。

が、しかし、彼らが組み込まれている労働のシステムによって生じる利潤が、障害者の積極的な雇用を実現している原動力となっています。

それがいいとか、悪いとかいうことではなく、今のリアルの世の中というのはそういうもんだと言う事です。単なる現状認識です。

そのシステムが、脆弱性ストレス社会モデルに基づいて考えた時に新たな精神疾患の新しい患者様を生み出すようなストレスに相当しているとしたら、もうどうしたらいいのかわかりません。

おわりに

最後にもう一つ現実を再確認します。

偏見ある人々もない人も含めた、全員が収める税金や年金のおかげで社会のシステムはまわっておりまして、福祉関係もそういうシステムの一部であるというその現実は変わらないわけです。

最近、その現実を都合よく無視してるのが何とも言えず。

うまく言葉にできませんが、もやもやしてます。

きっとこのもやもやが、晴れないのは、どうしようもないこととして、自分がそれを受け入れようとしているからだと思うのですが、でも何とかできんのかな、という思いも強いです。

ちなみに、ひろえもんは、社会全体の理解が進んで、能力に偏りのある人でも、自分の持っている能力を生かせるような社会が実現されればなとおもっています。

しかし、社会の理解を促進させるためのコスト、あるいはそれを実現するシステムをどうするのかという、現実にそれを実行するためにはどうしたらいいのかという話になると、答えに詰まってしまうのが、今の状態です。

まだまだ、勉強が足りないな、というのが自分への率直な感想です。

もっといろいろ勉強します。

おわり。

追記:2017-10-01

記事をリライトして、そうか、数年前の自分はこんなことを考えていたのだなーと、しみじみしました。

この記事を書いた時から、社会には色々なトピックがありましたが、障害者雇用の全体的な構図は未だに大きく変わっているとは言えません。

しかしながら、多くの作業療法士の先輩方が、就労に関する様々な先進的な取り組みを行い、結果を出していることを知りました。

当時の自分には、

「大丈夫、少しずつ変わってるよ」

と伝えておこうと思います。

おわり

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