やりたいことやるために、生きていたいとおもう。

はじめに

何のために生きるのかという問いに、究極のところ答えなんかなくて、生きる事の意味なんてコロコロ変わりますので、普遍的な意味は哲学的にもないわけですが、それでも、やりたいことがあって、それが日々達成できたら、というかそれができることがマストだとおもうのです。

こんなの読んだ

好きな漫画が読めなくなった。 – かみんぐあうとっ

概要はこんな感じ

新刊が発売されると、すぐに買いに行くほど好きな漫画があった。
でも、「忙しいのにそんなことしている暇があるのか」
という意識がわいてきて、その漫画をズルズルと購入できないままでいる。
「あんなにすきだったのになあ」

優先順位の決め方

自分がそれをどの程度重要だと思っているかということだと思うんですよね。結局のところ。

本当に大切にしているものがなんなのかが見えなくなると、やっぱり自分が何のために仕事をしているのか、もっと極端になると、何のために生きているのかというそこのところがぐらぐらとしてくるわけです。

で、自分が快刺激として感じることを、入力してやるというのは、ひとが生きていくうえでなくしてはいけない要素だと思うんですよね。

いくら忙しいからと言って、金が無いからと言って、遠ざけすぎると、いろいろと失うものがあると思います。

うつ病との関連

上の文章を読んでるときに、うつ病になった親友のことを思い出しました。

かれは、ひろえもんに、「(週刊少年)ジャンプが読めなかった」

と、いいました。

そのことがあってから思うのですが、好きなことができないっていう心理状態は、精神衛生上極めて危険なものです。

また、行くところまで行ってしまうと、本人はそれを自分ではどうすることもできないんですよね。

そういう状態になる前に、つまり、完全にゆとりがなくなる前に、自分で意識的に精神的な余裕を作るような行動を、少々無理してでも入れ込んでいかないと、かえって後々大変なことになってしまうとおもいます。

もちろん、どれだけ負荷をかけても、抑うつ傾向出てこない人もいますので、本当に個人差が大きい要素で、それゆえに問題が、注目されにくく、深刻化しやすいんだとおもうのです。

おわりに

健康であるとは何か、というのは、人によって答えが違うし、違っていていいとも思います。

答えの一つとして、

いろいろなものと折り合いをつけて、自分のやりたいことができている状態」

という答え方ができるのではないかと、思っています。

 

そのためには、自分は本当はどうしたいのか、どうすべきなのかを、キチンと表明してみる事、それができる事が大事なんだろうなと思います。

忙しい世の中ですし、この忙しさはきっと一生続くのでしょうが、自分がどうしたいのかは常に自分に対して問いかけていきたいなあと思います。

もちろん、作業療法士としても、そういう要素を含めた支援の在り方がきっと重要になってくると思いますので。


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