薬物依存って意外と身近なもので、たとえば風邪薬で薬物中毒になる事もある

はじめに

ひろえもんは精神科勤務のOTです。

ですんで、薬物中毒のたぐい(アルコール含む)で入院される方ともおつきあいがあります。

今日は、身近で意外なあるものでも、十分に薬物中毒になる可能性はあり、用法容量を守る事の大切さを感じる事ができるコンテンツの紹介です。

ソース

【閲覧注意?】大学の友達の様子がおかしい…………

某巨大掲示板のまとめになりますので、話半分にどうぞ。

要約

大学の友達が、大学に来ていない事を心配したスレ主さんは、友人の家に出向いていったそうな。

そうすると、その友達は、子供用のシロップ中毒に陥っておりました。

親に連絡したところ、入院する事になりました。

薬物中毒のリスク

今回のはなしは、子供用シロップでしたが、咳止め中毒も以前話題になった事があります。

依存性が生じるのは、なにも覚せい剤や大麻に限った話ではないという事だと思います。

おわりに

薬は、用法容量を守って正しくお使いください。

本当に。

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【NEWS】生活保護が増えているし増えていくだろうことを予見する話題【NHK】

はじめに

生活保護を受給する人の数が過去最高を更新しました。

原因は、経済状況とかをあげてますが、どう考えても高(ry

 

ソース

生活保護受給者 過去最多更新

生活保護を受けている人は、ことし2月の時点で全国で215万5000人を超え、10か月連続で過去最多を更新したことが厚生労働省のまとめで分かりました。

(中略)

世帯の内訳は、「高齢者世帯」が最も多く全体の43%を占めているほか、けがや病気などの「傷病者世帯」が19%、働くことのできる世代を含む「その他の世帯」が18%となっています。

(中略)

厚生労働省は、受給者の増加に歯止めをかけるため、受給者が働いて得た収入の一部を積み立てて、保護から脱却した際に受け取れたり、不正受給への対策を強化したりする生活保護法の改正案と生活保護を受ける前の経済的に困った人に対する支援策の充実を盛り込んだ新しい法律の案を今の国会に提出しています。

増加する生活保護

やはり、予想外の出費で生活設計が狂ったり、そもそもライフプランがしっかりしていないなど理由はいろいろと推測できますが、高齢者の生活保護の利用が増えているようです。

国としてはこの傾向を問題視しているようです。

なぜ問題か

それはやはり、財政問題に直結するからといえます。

もっといえば、日本という国のシステムの問題に直結するからです。

日本の国際的地位は、アメリカや中国などと異なり、その大部分が資本的な価値にあります。

つまり、お金がなくなったら誰も見向きもしてくれない、そういうタイプの国です。

なので、日本はアメリカと違って財政規律には厳しい訳です。

アメリカで言うところの双子の赤字なんて、日本が抱えた日には、国が終わります。確実に。

そうすれば、国の枠組みに基づいて提供しているものはすべて利用できなくなります。このヤバさが想像できるひとは、案外少ないのではないでしょうか。

生活保護の趣旨

話が突然変わります。

もともと生活保護というシステムは、利用者像として、一時的な利用を想定していました。

つまり、極端なイメージでは、例えば、慎ましく暮らしていた健常者が、大病を煩い働けなくなったとき、ふたたびはたらける用になるまで生活を国が保護しましょう、そんなサービスです。

ゴールとして、社会復帰だったり就労だったりが想定されています。

で、生活保護が増加している問題の別の側面として、この趣旨にそぐわない利用者の方が増えているという事があるのです。

で、これが、生活保護を支える側の不平不満を生み出している原因の一つになってしまっているように思います。

言うまでもなく、生活保護は、国民や日本在住の人間が納める税金によって成り立っています。

で、生活保護の建前として、「一時利用」という考え方があり、「いつかは受給を断って、働いてもらう」という要求があります。

納税者にもそう説明して、納得や了承を得ています。

となると、この趣旨にそぐわない利用者はかなり肩身が狭くなるのは想像に難くないのではないのでしょうか?

必要に迫られて受給しているだけなのに。

問題解決のために

今後、一生国家の補償が必要な人には別の枠組みを提供するべきだと個人的には思います。

現実問題として、そういう人がいるということを無視してはいけないと思います。

そして、此れからもそういった人々が増えるであろう事が予見されている以上、現在の資本的自立が前提となっている生活保護とは別の枠組みを、早急に作り上げる必要があるのではないかなあと思います。

その方が、きっと受給する側の気持ちも楽ですし。

おわりに

今後働ける見込みがあるかないかは、国としてはきっちりと判断して、現在の生活保護の趣旨からあふれてしまっている受給者が安心して生活できるシステムを作るべきではないでしょうか。

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NPOに必要なタイプの利潤追求について

はじめに

少しNPO法人の手伝いをさせていただく機会を得ましたので。

それをとおして、自分の感性で思ったことです。

非営利の意味

団体が何らかのアクションを起こす時に必要になるのはやっぱりお金です。

何か活動をするにもボランティアで人員を動員するにしたって、やっぱりなんやかんやでお金はかかります。

たとえば、昼食代どうするか、駐車場どうするか、材料、場所 などなど

何かをするときにはいろいろとコストがかかる。

つまりお金が必要なわけです。

でも非営利を掲げている以上、お金がすべてじゃないんだぜってところは大切にしないといけないわけですね。

これを大切にすることが「非営利」の本当の意味だと思います。

両方必要では

ようするに、お金もうけを考えたらいけないってわけじゃないと思うのです。

お金儲けだけを考えたらダメなだけだと。

逆に、資金調達について考えないと現実問題として、団体がまわらなくなるので、それはそれでナンセンスなんじゃないかと思うのです。

おわりに

P.F.ドラッカー先生。

マネジメントという本が一時期話題になったこともあり、知っておられる方も多いのではないのでしょうか?

さて、このドラッカー先生でありますが。

非営利団体についての本も書いておられます。

こっちのほうは、全部の内容を読んだわけではないんですけれども。

非営利団体がその目的を達成するにはどうすればいいのかについてしっかりと書いてあります。

ようするに、お金儲けばっかりを考えないようにするにはどうすればいいのかについて書いてあります。

貢献とは何かを考えるうえで、サラリーマンにもお勧めです。

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学生さんや新人向け!「人に聞くこと」はなぜ大切なのか?

はじめに

どうも、先日気が付かないままに、ポケットに入ったUSBメモリをお洗濯した、ひろえもんです。

中のデータは無事でした。

さて、ひろえもんは、作業療法士の新人なわけでありまして、わからないこともたくさんあるわけです。

で、最近、人に聞くとはどういうことかについてあらためて考える機会が多くありました。

そして、なぜ「人に聞く」ということが大切なのかについて、いくつか自分なりに思うところがあり。

それらをまとめてみました。

1.「わかっていること」が実は「わかっているつもり」かもしれない

ようするに確認です。

ひろえもんにとって、これが一番大きな要素です。

人に聞くことによって、自分の勘違いを修正したり、間違いを未然に防ぐことができます。

また、どこに向けてがんばったらいいかというがんばりどころをはっきりとさせることができ、無駄な努力をしなくても済みます。

これに関しては、

「○○に関しては、~~のように理解していますが、これであってますか?」

といった聞き方をすることが多いです。

2.自分の理解のレベルを相手に伝えることができる

人に聞くということは、単に相手から情報を得るだけではありません。

自分がどこまでわかっているかを、聞いている人に伝えることにもなります。

自分がどこまでわかっている人間なのかを分かってもらうと、一緒に仕事をするとき、あるいは、同じ何かに取り組むときにひじょうにやりやすくなると思います。

また、そのことについての情報を人からもらいやすくなるのもメリットです。

3.人間関係

これも、大きな理由です。

人に聞くので、当然話している相手との関係性が発生します。

こういった関係性は、いろいろな場面で役立てることができるものです。

先日も、ふとした質問がきっかけで仲良くなった多職種の人が、向こうから話しかけてくださり、いろいろとお互いの思うところを話すことができ、非常に有意義でした。

おわりに

「人に聞く」という点において、自分が思ったところをつらつらと書かせていただきました。

また、「聞くこと」は相手にとって負担となり、迷惑なんじゃないかと思うことがあると思いますが、発想を逆転して、どうすれば相手にもメリットが生じるような聞き方ができるかという考え方ができることも大切なのかなと思います。

たとえば、自分が聞いていることが、きっかけとなって、気が付かないうちに相手も気づきを得ることがあったりと、お互いにプラスになっていることもあるはずです。

一点、学生さんや新人が質問するときに注意すべきことですが、それは、自分が何の目的で何を知りたいのかということを、相手に、端的に伝えられるようにしておくこと。

人に聞くことは、自分の成長にも大きくつながることですので、どんどん質問できるようになれたらいいなと、思っています。

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日本社会の情報インフラが此れからインターネット主体へと移行する可能性について

はじめに

こんな記事を読んだのです。

全国民に専用サイト開設構想 自民IT戦略案

 自民党がまとめたIT戦略の提言案「デジタル・ニッポン2013」の全容が18日、判明した。国民一人一人に専用サイトを開設し、年齢や家族構成などに応じて必要な行政情報を個別提供する構想を提唱。道路やトンネルの安全管理でのIT活用や、サイバー攻撃対策のための新省庁設置を打ち出した。21日にも党内で正式決定し政府に提出、6月に策定する成長戦略に反映させるよう求める。

ただ、個人専用サイトをめぐってはプライバシーの侵害や情報流出への懸念の声も出そうだ。提言案では、厳格な情報管理に向け秘密保全法の整備も掲げた。

これをよんで考えた事とか。

記事要約

一人一人に向けて、その個人が必要とする情報に特化したwebサイトを、制作しますよという話。

たとえば、此れから子供を作る可能性がある世代に向けては、子育て支援に向けた情報を

けがや病気を新たに抱えた人に対しては、社会保障や福祉の情報を

などといった使い方ができます。

いい点

わざわざ役所に出向いたりして調べなくても、webサイトをみれば、自分が何を利用したらいいのか、どのように行動したら良いかが具体的に把握できる。

国からの情報が、利潤本意なマスメディアのバイアスがかからないままに、そのままの形で手元に届く

とかでしょうか。

悪い点

能力的にうまく利用できないだろう人が多い。

ネットリテラシーが低い人が、インターネットに大量流入して、スマホのゲームのように、カモにされる。

こうすりゃいいのに

発想自体はすてきだと思うので、国民全員じゃなく、自分の責任で利用する意思のある人にのみサービスを提供すればいいと思います。

おわりに

この構想が実現すれば、国家が情報インフラ面において強力な地位を占めるようになることが予想される点でも興味深いですね。

既存メディアを利用する層、インターネットを利用する層が、ますます分離してきそうです。

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からだを動かす事(運動)は脳にとって良い事。じゃあ、どうやって運動をするか?

はじめに

運動が脳を賦活し、機能低下を防ぐ事ができる可能性がいろいろな論文で示されてきた。

個人レベルでもコレに着目しない手は無いですよね。

そこで、運動を日常に取り入れるための3つの方法について考えました

1.日常の動作を意識して行う

日常動作って、結構最適化されて無駄な動きがなくなっています。つまり、より少ないエネルギーで動く事ができるという事です。

これを無意識に行うのではなく、もう一度意識して行う運動として実行する事によって、運動にかかるさまざまなコストを増やして、負荷をかけようと言う戦略。

ちょっとした工夫や、意識づけですぐにできると思います。

2.日課として運動をする時間を作る

たとえば、ラジオ体操で良いと思います。

なにか、決まった時間に決まった運動をするだけでも、するとしないのとで大きな差が出てきます。

3.グループに所属する

たとえば、町内会のゲートボール部とかそんなやつです。

そこから、対人交流も広がって、他の活動へと広がっていく可能性もありますし

おわりに

他にもまだまだ運動を日常に取り入れるための方法はあると思います。

皆さん、それぞれ、じぶんがどうやったら今よりも運動するようになるか、そのモチベーションは何なのかどうして、運動しようと思う事ができたのかなどについて考え、実践してみると、患者様に対して提供するときの参考になるかもしれません。

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作業療法.net内のコンテンツを閲覧する際に使用するブラウザに関するお願い

はじめに

パソコンを使って「作業療法.net」を閲覧される皆様へのお願いです。

表示の不具合を防ぐため「モダンブラウザ」と呼ばれるブラウザを使用しての閲覧をお願いいたします。

chromeやsafariといったモダンブラウザや、最新のタブレット端末、スマホから閲覧される場合には問題ありません。

仕様変更にともうなう表示の不具合について

現在、microsoft社のwebブラウザであるIE(インターネットエクスプローラー)でこのサイトを閲覧した場合、デザインがうまく表示されないコンテンツがあることが判明しました。

これは、IEがhtml5とCSS3といった最新使用に対応していないためです。

「ひろえもんの雑記帳」などのブログにおけるレスポンシブwebデザイン導入に伴いまして、今後「作業療法.net」内のコンテンツは基本的に、今後のインターネットの主流となると考えられている、html5とCSS3で制作していく予定です。

それに伴いまして、「作業療法.net」のgoogle analytics分析を精査してみたところ、当サイトにおけるページの閲覧時には、IEを使っておられる方がかなり多くいらっしゃることが分かりました。

このことは、数日前にデザイン変更して以降、デザインがうまく表示されていないまま利用してくださった方がいることを示しています。このような皆様におかれましては、大変ご迷惑をおかけしております。

javascript等を用いて早急に対策したいと思いますが、できることならばgoogle chromeなどのモダンブラウザを新たにインストールしていただくことをお勧めいたします。今後のインターネットにおいて主流となるhtml5とCSS3に対応しているブラウザを使用してください。

google chromeはこちらからダウンロードできます。

chromeのダウンロード

さいごに

表示がうまくいっていなかった皆様には、ご迷惑をおかけいたしました。

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真実が人を傷つける場合にどのようにそれを扱うかという問題について

はじめに

昨日こんな記事を書きました。

OTRとして働く上で必要になると思うものシリーズ2 ストーリーの分析

この中でちらりと、「真実が人を傷つける事に対する配慮がいるんじゃないか」ということについて触れました。

で、今日こんなものを読んだので、

親の年齢と障害のリスクをめぐって

それを踏まえてもう一度思ったことを書いてみたいと思います。

科学的であるという事

個人的に、科学的であるという事は、率直かつ、端的に対応する事柄を表現することだとおもっています。

たとえば、身長150センチメートルで体重120キログラムの人がいたとしてその人に「肥満だ」と告げるのが科学的です。

人間的配慮

それとは別に、人文学的要素というか、人として大切だなあと思うのは、たとえば「肥満」である人にストレートにその事を告げないようにして、相手が傷つかない配慮をするという事だったりするのではないかと思います。

ですから、肥満の人に「デブ」なんて言うのは、あり得ない事でして、「ふくよかな」とか、「ころころとした」とか、そういう丸い言葉に置換する事によって相手を傷つけることを回避することは人として大切にすべき訳です。

紹介したtogetterまとめの内容踏まえて

近年いろいろな論文が示すところによると、子供が何らかの障害を発症する確率は、親が子づくり行った年齢が高ければ高いほど、高くなるということがわかってきています。

今の若い人にとって、このデータが意味するところは、「さっさと子供を作れ」ということになると思います。

一方で、そろそろいい年になってきた人々で、子供が欲しいなと考える人にとっては、これらは非常に厳しいデータとなり得ます。

そして、もし、ある程度高齢になってからの子供が何らかの障害を発症した場合、その親がこうしたデータを知っていると、その障害が自分のせいではないかと考える親も当然出てくるとおもわれます。

こういう、人にとって厳しい厳しい現実にどのように向き合うのかということは非常に大きな問題だと思います。

親や社会が現実主義的視点にたつ場合

論理や確率論で言えば、あるいはリスクやメリットを踏まえた合理的な考え方をするのであれば、子供は若いときに作るべきであり、若いときに作らないのであれば、その子供が障害を持ったときには、しかるべき責任をしっかりと負うことが親にも求められるでしょう。その覚悟も。

「年を取ると羊水が腐る」と発言した芸能人がいました。

彼女は、非常に強いバッシングを受け、その発言を撤回し謝罪をしたことでその件は収束をみました。

ところが、後年になって彼女の言わんとしていた事が、科学的にみて正しかったことが判明してしまいました。バッシングしていた人々は、いったいどんな気持ちになったのでしょうか。

多分相当傷ついたのでは無いでしょうか?

発言をした芸能人を必死になって攻撃してまで、拒否した現実が、科学によってお墨付きを与えられてしまったのですから。

今の社会は、自由主義社会という事になっています。自由主義社会では、あらゆる選択が個人にゆだねられている代わりに、その選択に伴う結果には選択を行った個人に責任が発生します。

つまり、社会は、バッシングをしていた人々に対して、「因果応報」と告げることになるわけです。容赦なく。

非合理性に救われること

コレだけ科学が積み重なっている現代社会においても、宗教や似非科学がなくならない訳について個人的には、人にはだまされたがる、あるいは勘違いしたがる性質があるからだと思っています。

つまり、受け入れがたい事かもしれませんが、望んでだまされるような場合や、そういった性質を持った人がいるのではないかという事です。

このような人は、現実に対して追いつめられている事が多いように思います。現状をかえる事ができない場合に、人は考え方を変える事によって精神的な安定を図ろうとする場合があります。

こうした事を無意識的に意図して、自ら無意識のうちに非合理性に救われているという事は、現実社会にはきっと良くある事なのだと思います。

「人間らしさ」の根源

極論、愛だの、友情だの、信用(貨幣経済含む)もその延長線上だと思います。無条件に信じる事によって救われている事が人間の社会にはたくさんあります。

たとえばウサギとカメという話があります。
たとえば、アリとキリギリスという話も。

これらに共通するのは、まじめにやってる存在が、才能ある存在や努力をしない存在に勝るという考え方です。

でも現実には、努力で超えられない事はたくさんたくさんあります。
リハビリテーションの現場においては、機能回復訓練をクライエントもセラピストも必死になって行っても、ある程度以上に回復する事が無いということもたくさんたくさんある訳です。
機能回復は、ある程度は努力が影響しますが、それでも努力をしたからといって、病前のような状態に回復するとは限らない訳です。

たとえば、こうした現実は、「努力をすれば勝利できる」的な考えをいとも簡単に否定してしまいます。
と、すると、考え方の地平を別の次元に持っていく事が必要になるのですが、それはまた別の話ですね。

とにかく、まじめにやっても報われない事だってきっとたくさんあるのです。

でも、人間ががんばれるのはなぜかという理由を考えたとき、「盲目的に」あるいは「無根拠に」、がんばったら報われると「信じる」ことができるから、というのは絶対にある事だと思うのです。

人間関係がうまく行くのは、そこに「愛」や「友情」や「信頼」が「存在する」と「信じている」からではないでしょうか。

科学は善くも悪くも突き詰めることができてしまう

コレらを科学的に否定してしまう事は、多分できるんでしょう。

人間が進化の過程で、生存しやすい条件を習慣化した結果がそれらであり、別の形で人間が社会のシステムを形成できるようになった時点でそれらは不要になったという、血も涙も無いような論文もきっと書く気になればかけるのではないでしょうか。

でも、そこに踏み込むのって、「人間」というものの否定につながってくるんですよねきっと。

大切なのは突き詰め過ぎない「いい加減」を知ること

作業療法はじめ、リハビリテーション職においては、人間とはなにか、という問いかけが、人権とか、その人らしさというものを考える上で密接に関連してきます。

つまり、どれだけ合理性以外のさまざまな要素に目を向ける事ができるのかという事が大きな要素になってくると考えられます。

そのためには、余裕とかゆとりとか、そういう部分が大切になるのでしょうけれども。

そして、余裕とか、ゆとりとかを生み出す上で最も大切になるのは合理性ですよね…ってあれ?

おわりに

結局、合理性に基づいていろいろやった結果として余裕のある人間が、どこで自分の合理性にストップをかけて、他人を思いやる事ができるのかというところが重要になるんですよね。

ちなみに、書いといてなんですが、これも公言する事ではないと思います…。

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OTRとして働く上で必要になると思うものシリーズ2 ストーリーの分析

はじめに

OTRとして働くようになる前から、実際に今まで働いてきてから継続して必要だと思うものがいくつかあります。

その一つが、「ストーリーを分析する能力」です

今話題の「ごんぎつね」

小学校の頃、国語の教科書で読んだことがあるという方も多いのではないでしょうか。

知らない人のためにストーリーを引用しておきます。

いたずら好きなきつねのごんは、ある日兵十が病気の母親のために用意したウナギをわざと逃がしてしまいます。ところが、その後母を失って落ち込む
兵十を見てごんは反省、償いのために魚や栗を兵十の家に届けはじめます。しかし、そうとは
知らない兵十はごんがまたいたずらをしにきたのだと勘違いし、ごんを火縄銃で撃ってしまう。
そこではじめてごんが食べ物を運んでくれていたことに気付くというお話です。

今、とある小学生が書いたこの「ごんぎつね」という物語の感想文を巡って、話題が沸騰しております。

感想「ごんがわるい」

実は、某巨大掲示板に、姪っ子が書いた感想文が物議を巻き起こしているという趣旨の書き込みがありました。

その書き込みを巡って多くの人が、自分の意見を述べています。

ちなみに以下がその書き込みです。

1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/08(水) 16:11:26.76 ID:0SLw7FB7O

全文まるまるは無理だから要点かいつまむ

・やったことの報いは必ず受けるものだ
・こそこそした罪滅ぼしは身勝手で自己満足でしかない撃たれて当たり前

勿論身勝手やら自己満足なんてワード実際に使っちゃいないぞ
文章読んで端的に言うとそういいたいんだろうってことな
特に二つ目が物議を醸しているらしい・・・

みなさんどう思われますか?

個人的感想

あくまで、ひろえもん個人の感想ですよ。

個人的には、ユニークな視点であり、尊重されるべきだと思いました。

確かに、あの物語の主人公は「ごんぎつね」であり、読者の感情もごんの視点に立ったものに偏りがちではないでしょうか。

安易にそのような視点に立つのではなく、見落とされがちな兵十の心理に思いを馳せることができている点で、非常に評価されるべきだと思います。

一般的な意見

ひろえもんのように、この意見を面白いという人もいる一方で、不快感をあらわにする人もいらっしゃるようです。

それは、この感想が自然に抱くようなたぐいのモノではないからではないでしょうか。

つまり、あれこれ考えるようなタイプの人間でないと浮かんでこない質の回答であるように思うのです。ここが引っかかる人は多いのではないかと思います。

もっと極端に言うなら、子供らしくない感想であるというところが問題なんだとおもいます。

冷静に考える

情動を優先するならば、感想は一択です。つまり、「ごんはかわいそうだ」となります。

基本的に、ごんに悪意はありません。

ほんの少しの出来心が大きな罪となってしまい、それを償うためにまじめに人知れずがんばっていましたが、それが報われるときには既にその命は終わってしまっているという、救いが無いような、悲しい話におもわれます。

しかし、逆に、感情よりも分析を優先したなら、論理を優先するなら、「顧みられるべきは兵十であり、ごんではない」となるのだと思います。

この意見は、論理的に正しく非常に鋭い意見で、論理的に反論の余地がないのです。しかしながら、その分、だからこそ人の感情を損なう可能性があります。

正しいからこそ気をつける必要があると思います。

OTRに必要な分析能力

さておき、思うことは、作業療法士として働く上でやはり、感情を抜きにした冷静なストーリー分析能力、つまりその場でどのようなことがどのように起こっていたのかについてまとめる能力が、絶対に必要であると言うことが1つ。

もう一つは、その能力は、思いもしなかったような視点、現実、構造を正確に浮かび上がらせ、それがいとも簡単に人を傷つけてしまうかもしれないということを知っておかなければいけないということが一つです。

OTRにとって必要な分析能力とは、分析そのものとその分析の結果をどのように運用するのかというところまで含めたモノと思います。

おわりに

自分は、まだ、きっちりと分析をするという能力自体も怪しいのですが、その分析の結果をうかつに運用してしまう可能性があると思っています。

真実が、人を傷つける場合には配慮が自然とできるようになっておきたいと思います。

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