【後編】自己肯定感が大切なわけ〜「自分が好きだ」と胸を張って言えるためには

はじめに

前回の記事では、についてお伝えしました。

【前編】自己肯定感が大切なわけ〜「自分が好きだ」と胸を張って言えるためには

では、今回の記事では、どのように行動する事が自己肯定感を増す事につながるのかという事について考えていきたいと思います。

作業療法士向けに書いてますが、もちろん、そうではない人にとってもあてはまることかなあと思います。

自己肯定感とは

自己肯定感についておさらいです。

自己肯定感とは、自分自身を好きでいられるということです。

できる自分であろうが、できない自分であろうが、自分自身の事を大切に思えるということです。

つまり、自分のいいところも悪いところもすべて、ありのままの自分を受け入れることができるという事が、すなわち自己肯定感が強いということになります。

なぜ、自己肯定感が大切なのか

どんな事があっても、精神的に揺れない自分を確立するために必要不可欠だからです。作業療法では、どうしても患者様に対する共感を治療手技として用いる場面が多く、それにともなって、患者様の感情にセラピストが巻き込まれる可能性も高くなります。

しかし、適切な治療プログラムを提供するためには、患者様のデマンドから少し距離をおいて、セラピストとして客観的観点から今の患者様に必要な要素であったり、今後の予測などを踏まえて治療計画を作成する必要があります。

そのためには、「共感をしながらも、揺れない自分自身」が必要になります。

その原動力となるのが、自分自身を肯定する力だと思います。自分の考えに自信を持つと同時に、どうすることがその人のためになるのか、その人にとってどのような事が必要になるのかを明らかとするうえで、自己肯定感は必要不可欠だとおもいます。

自己肯定感を強めるには

それでは、以下において、自己肯定感を高めるためにはいったいどんなことをすればいいのかについていくつか提案してみたいと思います。

何でもない事で自分をほめる

まず最初に、ちょっと前置きを。自己肯定感の乏しい人は、往々にして自分に対する要求やイメージが高すぎる事があるようにおもいます。

たとえば、次の試験で満点をとるとか、まいあさ5時に起きて走るとか、極端な目標設定をしてしまいがちす。

そして、それを達成する事ができなかった場合に自分を責め、自分で自分の心を負ってしまうことがあるように思います。

では、自己肯定感のある人はどうかというとよく自分をほめてあげる事ができる人だと思います。それもちょっとした事です。自分をほめることが上手な人というのは、本当に、ちょっとした場面で、自分をほめる事ができるように思います。

たとえば、先ほどの例に乗っ取るのであれば、「前回より、1点多く得点できた」とか「5分早く起きれた」とか。

あるいは、ほめるのとは違いますが、「点にはつながらなかったけれど、今回は一生懸命勉強できた。勉強の仕方が前より良くわかった」とか「昨日はつかれてたから、今日の寝坊は仕方ない」とか。とにかく自分の存在価値を傷つけないようにするテクニックに長けていると思います。

「次」のために過去をみている

過去の失敗を考えるというときに、大きく2通りのタイプがあるようにおもいます。

1つには、過去なぜ、自分が失敗したのか、その失敗にとらわれてしまって、失敗した自分にこだわって、そこから先に進めなくなってしまうタイプ。

2つめは、自分の過去の失敗を次につなげるための材料として考えるタイプ。

どちらの方が、自己肯定感が高まるかについてはいうまでも無い事かと思いますが、当然後者のほうが、建設的であり、そのため、本人のメンタル的にもより健康的に過ごす事ができると、ひろえもんはおもいます。

また、前者の人は同じ失敗を繰り返す事がありますが、後者のタイプの人は、失敗を繰り返すにしても、質の異なる失敗を積み重ねていける人だと思います。それは、試行錯誤に通じる行動では無いでしょうか。試行錯誤ができるひとは、成長ができる人だと思います。

以前と違う自分を認める事ができる

人間は、変わらないようで、移ろいながら変化する存在です。

目に見えないレベルで少しずつ変化していき、昨日今日ではわからないような変化が積み重なって、数年経ったときには顕著に変化がわかるようになります。

自己肯定感が強い人は、その自分の些細な変化や、イメージと異なる自分、そしてこれから変化していく自分をしなやかに受け入れて生きていく事ができます。

変化を肯定することによって、新しい取り組みを始めてみようと言う気持ちになったり、今をかえてみようという新しいモチベーションやその維持にもつながるのかなあと思います。

おわりに

自分をむやみに否定せず、冷静に自己分析を行い、次の改善につなげるなども自己肯定感を育む上で大切なのかなあと思います。

そうやって、自己肯定感をたかめることができれば、安定したクオリティでの治療を患者様に提供できるようになるのではないかと思います。

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難しいことを簡単に伝えられることも専門家の役割の一つだ


はじめに

専門家が読む本とか、消費する論文とかは、さも当然のごとく専門用語、テクニカルタームのオンパレードになります。

無駄に冗長になるのを防いだり、定義を厳密にすることによって、誤解を減らす事ができるなどのメリットがあるので、慣れれば、書く方も読む方もその方が楽というのが、最大の理由かと思います。

でも、専門用語をつかえば使うほど、浮世離れしてしまいます。内容がいくら、身近な事柄を扱っていたとしても、読み手が身近な問題として感じる事が難しくなってしまいます。

たとえば、興味を持った人がそれを知りたいと思ったときの門戸をせばめてしまいます。

たとえば作業療法学の場合

作業療法学も、抽象的な概念やイメージが作業療法の特性上権威付けとかいろんな理由から、専門用語がたっぷり出てきます。

正直、何度も読み直したり、別のテキストを開いたり、あるいは詳しい人に質問したりとかそういうことをしないと理解できないという事も少なくないです。

そんな、作業療法学のコンテンツを、一般の人にとってもっとも身近な言葉、日常生活で使われるような言葉を使って説明するのって難しいなあというのが、ひろえもんの実感です。

「簡単」に伝えることが重要な理由

パターナリズム的な医療が提供されていた時代や、科学者がとてもとても尊敬されていた時代においては、権威者や専門家が、消費者が「理解できたと感じる」ような説明をする必要はなく「なんとなくただしそうな」説明ができてれば、許されていました。

時代は変わりました。

いまや、科学への不振や、無理解が進んでいます。

別の言い方をすれば、科学はどんどん発展していきます。人間を置き去りにして。

それに伴っていろいろな問題が発生しています。とてもとても価値がある研究の意義がなかなか理解されなかったり、「よくわからないから」と敬遠されたり。

このままじゃ、科学の発展の未来は暗い訳で、そういみでヤバい訳です。

対策

問題解決に対する提案として、以下のような5つのわかりやすく伝える工夫があげられていましたのでご紹介です。

1)数値は直感的に理解してもらう
(1ナノメートルは「10のマイナス9乗メートル」と言うよりは「1ミリの1000分の1のさらに1000分の1」などと言う)。

2)身近なものに置き換えて説明する。
(大気圏の幅は「およそ100キロ」ではなく「地球がりんごの大きさだとすると、その皮ほどもない」などと言う)。

3)比喩(=例え)を適切に使う。

4)大事な概念や専門用語は、数を絞ったうえで丁寧に解説する。

5)分かりやすさと正確さをてんびんにかける。
(正確さを追求すると話が分からなくなってしまうなら思い切って単純にする)。

NHKニュースより

これらから言えるのは、「聞いている人」のことばで話す事。

つまり、「聞いている人」にとって身近なことばを使う事がポイントだとひろえもんは解釈しました。

わかりやすく伝えることは専門家の業務の一つ

専門的な事柄については、従来であれば、知りたい人が専門書や大学などで、自分で勉強してくださいというのが、専門家の基本的なスタンスでした。

が、先ほどでも述べたようにそのモデルが知識の偏りや、「わからない」と感じる人の不振を生む原因になってしまう問題が発生しています。

これを解決するには、もちろん、「わからない」と感じる側の人の努力も必要になると思いますが、それと同じかそれ以上に専門家に努力が求められる時代がくると思います。

自分の専門とする内容について説明することも、専門家の仕事の一つになるとおもいます。

作業療法も「わかる」説明を

作業療法学のテキストは、紙面の都合などによって、専門用語が多様され、理論などの内容においては抽象度が非常に高くなりがちだとおもいます。

しかし、それでは、一般の人にはなかなか作業療法について知ってもらう事は難しいのではないでしょうか。

ひろえもん個人の考えとしては、事例紹介などの論文は、もっと、作業療法についての知識が無い人がよんでもわかるような文章にするか、もしくは、論文を理解できるための補足などがあればいいのだろうなと思います。

作業療法は、クライエント、患者様との協業がとても重要になります。患者様に気持ちよくリハビリテーションに向かい合っていただくためには、「腑に落ちる」説明や、「わかる」具体例、あるいは具体的体験などが必要になると思います。

自分が患者様の立場に立ったときには、そのプログラムの意図がわかっている方が、具体的な目標を持って取り組む事ができますし、なにより、「理解できた」という感覚が、安心感に直結すると思います。

上に挙げた5つの項目のように、作業療法学においても、作業療法学を学んでいない人が、作業療法学を理解できるようなそういう要点をおさえた説明ができる必要があるなあとおもいます。

おわりに

ひろえもんも、親戚などに作業療法の説明をする事があるのですが、なかなかしっくりとくる説明ができないで四苦八苦しています。

理解してもらうためには、実体験してもらうのが一番だとおもいます。

しかし、それが難しいとき、言葉で説明することが必要になります。

作業療法学を学んだOTRとして、専門用語に頼らなくても作業療法について必要十分な説明ができるよう、自分自身を鍛えていく必要があると思いました。

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根拠の無い自信の効能

はじめに

根拠の無い自信は重要(根拠は無い

根拠の無い自信とは

経験に裏打ちされていない自信。

自分なら、きっとうまくやるはずという、裏付けも保証も無い自信。

根拠の無い自信の活用場面

理屈では、ほぼうまく行くはずなので、あとは自信を持って取り組む事が重要になる場面。

あるいは、プロや専門家として、大した経験は無いものの座学や読書など情報から間接的に身に付けた技術を使用するとき。

言うまでもなく、これらの活動は、失敗したとしてもそんなにリスクの無い者に限る。

ようするにハッタリ

作業療法士ってエンターテイナーな側面がある。

要するに芸能人と一緒で、価値ある情報を提供するときには、自信ありげに演じてみせる事が、有益な情報を患者さんが受け取る上で良かったりする。

あくまで患者さん目線でみたときに、自分だったら何となく信頼できそうな人間の意見を聞きたいと思う。理屈でいくら正しい事を言う人間がいたとしても、なんとなく自信が無さげなだけで、信頼することが難しくなる。

有益な情報を伝えているのであれば、いくら以前それについてしゃべったりした事の経験が薄いとはいえ、相手にしっかりと受け入れてもらうためには、ハッタリでもしっかりとしゃべることが必要。

おわりに

根拠の無い自信は重要(根拠なし

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【前編】自己肯定感が大切なわけ〜「自分が好きだ」と胸を張って言えるためには

はじめに

自分自身を価値あるものと認め、愛する事、すなわち自己肯定感。

現代社会を生きていく上で、書かせない要素です。

でも、それが足りてない人が、ひろえもんのまわりにも結構います。

気になったので文章にしてみたいと思います。

前編は、自己肯定感とそれが育まれていない理由について書いていきます。

現代社会=先の見えない時代

高度経済成長期と現在を比較してよく言われるのが、

「先が見えない」

ということ。

より具体的には、大企業に就職したとて、倒産しない、まじめに勤め上げても報われないかもしれない、そんな世の中だと言われます。

となると、働くことに自分の存在意義を見いだすのは、少ししんどい社会とも言えます。

これは、お金を稼ぐという行為によって自分を認めることが難しくなるという事です。

つまり、まじめに働いて、(あるいは勉強して)その結果でもって自分を肯定するというモデルがなかなか成立しないという事です。

そして、その代わりに、自分で自分を肯定してあげる、そういう心理的な作業が必要になります。

自信の源

自分自身を肯定するという事は、すなわち自信を生み出す源でもあります。

新しい事柄に挑戦するためには、「自分ならできる」という自信が必要になります。

ところが、普段から自分を否定する癖がついている人は、なかなか自信がありません。「自分ならできる」と判断するための根拠が乏しいからです。

その代わりに不安になります。

たとえ、実力的に可能な事柄でさえ、自分の手には余るような気がして、挑戦する事ができません。

自分を含め、ゆとり教育世代では、そういう人材の割合が多い気がします。

自分はやればできるという感覚

これは、困難に挑んで、それが報われたときに得られる感覚です。

それもただ挑むのではなく、実現可能か微妙な事柄に対して自分の全力を持って挑んだ結果、うまくいった場合のような、そういうときに伴う心理的ストレスを経た場合に得られるような達成感と一緒に味わう性質のものです。

で、いまのゆとり世代は、こういったたぐいの困難に挑まなくても、そのまま大人になる事ができてしまってます。

つまり、自分で、自分の意志で困難なタスクに向かっていくという経験をしないままに時間を過ごしてしまって成人を迎える人が多いという事です。

場合によっては10代までにしておくべき、失敗体験を経ることのないまま大きくなる事もあります。

そういった場合、責任ある仕事に立ち向かう必要が出てる場面で太刀打ちする事ができません。

すると、タスクから逃げる事になります。

残るのはタスクに立ち向かえなかった無力感であり、これがさらに自分を肯定する事ができなくさせてしまうという悪循環が発生しています。

ようするに、「自分はできる」と実感した経験があまりに乏しいのです。

「がんばらなくても生きられる」本当にいい事か?

繰り返しになりますが、この便利な世の中は、自分ががんばるという経験がなくても、大きくなる事ができてしまいます。

無理してがんばる必要は無いかもしれませんが、しかし、全くがんばった経験がない人生というのは、その人生を生きている本人が、自分でそれを肯定できるでしょうか?

ひろえもんは、難しいと思います。

前編まとめ

引きこもってしまうと、この悪循環に陥りがちとなり、なかなか社会へ復帰する事が困難になってしまいます。

次回、自己肯定感を味わうためには、どんなふうに振る舞ったらいいのかなど、実践面について触れてみたいと思います。

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赤ちゃんも本当はあなたの事を良く知りたいとおもっている!?顔見知りは心の葛藤であるとする研究結果

はじめに

あかちゃんは、生後数ヶ月で、特定の人間と違う人間が近づいたときに、泣くという反応をみせることがあり、これは俗に、「人見知り」とよばれる現象です。

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あかちゃんが、人の顔の違いを識別できるようになったという意味で成長の証としても解釈されますね。

そんな人見知りは、赤ちゃんの「心の葛藤」の現れでは無いかという論がありましたので紹介。

研究について

研究をしたのは、東京大学大学院総合文化研究科の岡ノ谷一夫教授や同志社大学の松田佳尚特任准教授ら。

人見知りと言う反応には、「恐怖」だけでなく、近づきたいとう「興味・関心」も同時に含まれているということが明らかになったそうです。

ソース

研究グループは、生後7-12カ月の赤ちゃん57人の母親に、赤ちゃんのもって生まれた気質についてアンケートし、「人見知り」度合いと、相手への「接近」と「怖がり」の2つの気質の関係を調べた。その結果、人見知りが強い赤ちゃんは、「接近」と「怖がり」の両方の気質が強く、「近づきたいけど怖い」という心の葛藤を持ちやすいことが推察された。

また、赤ちゃんに母親と他人の顔の映像を見せ、口、鼻、目のどこを長く見ているかを視線追跡装置で観察した。人見知りが強い赤ちゃんは、弱い赤ちゃんよりも、母親、他人にかかわらず、最初に相手と目が合ったときに「目」を長く見つめ、凝視するような目を示した。さらに人見知りが強い赤ちゃんは、相手が自分と向き合った顔よりも、よそ見をしている顔を長く観察していることが分かった。

赤ちゃんの”人見知り”は心の葛藤だった ー まいナビニュース

おもったこと

泣いている赤ちゃんをみると、どうしても「嫌なのかな?」と思ってしまいがちですが、実はそれだけではなく、相手に近づいてみたいとも思っていたという事がわかったのは、個人的に良かったなあと思います。

なんでかというと、人見知りをされたから離れた方が言いという訳では決して無いという事がわかったからです。赤ちゃんはこちらに興味を持ってくれているので、いかにしてその興味関心を充足させ、次のコミュニケーションステージへとつなげていくのかという事が大切になるのではないかと思います。

また、いっけん単純に見えるあかちゃんの行動にも、いろいろな感情や、脳での情報処理があるのだと言う事が明らかにされたという意味で意義深いなと思いました。

おわりに

小さい子供の教育に関しては、昔では経験則でしか対応ができなかったけれども、こういった学術的視点をもとにしたアプローチができるというのは、本当に面白いと思います。

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大胆な発想が不可能を可能にするんだなあと

はじめに

普通に考えたら、無理な事でも、盲点に答えがある。

盲点を大胆に攻めれば、不可能が可能になる。

具体例

おわりに

表面的には不可能でも奥行きを考えれば、不可能は可能になる、という意味でも面白いですね

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パラレルな場というものについて

はじめに

作業療法士として働いておられる諸先輩方や、現在学生のみなさまのなかには、京都大学の教授である山根寛先生の教科書にお世話になられた方も多いと思います。

とくに精神科作業療法においては、たとえば、この教科書は非常に有名ですよね。

そんな山根先生はいろいろと論文も書いておられます。

その論文の一つの中で「パラレルな場」という概念が提案されました。

この概念は、論文発表後、全国の病院に広まって、いまでは様々な病院において、「パラレルな場」が作られています。

このパラレルな場ですが、実に奥深く、難しいものです。自分の場合は、運良くほんまもんの「パラレルな場」というものにはいらせていただく経験があり、どのようなものかを身を以て理解しているつもりではいるのですが、あの場について言葉にして説明する事が、非常に難しいなあと思っています。

ですが、最近、あの「パラレルな場」と同じ空気を味わう事がありました。ひょっとしたら、この表現で多くの人にパラレルな場というものの雰囲気が伝わるかもしれないなあと思ったので、記事にしてみようと思います。

もっとも、若輩者の自分にはよくわかっていないところも、山ほどあると思います。ので、何かおかしな点などございましたらご指摘お願い申し上げます。

前置きが長くなりましたが、では早速。

カフェ

みんなが思い思いのスペースで、思い思いの時間を過ごしている。会話という作業を共通して行いながらも、それが互いに侵害されない。

おわりに

もっと良いたとえがあったら知りたいなあと思います。

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iPS細胞を使って、てんかんを細胞レベルで再現することに成功

はじめに

約一ヶ月以上前の話ですが、紹介しときます。

 

記事本文

てんかん 細胞レベルで再現と発表

2013年05月02日 (木)

全身がひきつるなどの発作を繰り返す「てんかん」の患者からiPS細胞を作り出し、細胞レベルで病気を再現することに成功したと、福岡大学などのグループが発表しました。
治療が難しいてんかんで薬の開発に役立つと期待されています。

てんかんは全身がひきつったり、意識を失ったりする発作を繰り返す病気で、患者のおよそ30%は現在の薬では発作を抑えられない「難治てんかん」とされています。福岡大学などの研究グループは、難治てんかんのうち、病気を引き起こす仕組みの解明が進む「ドラベ症候群」と呼ばれる患者の皮膚からiPS細胞を作り出しました。そして、神経細胞に変化させて調べたところ、これまでの動物実験の結果と同じように、神経のネットワークで電気信号を抑える働きが低下していることを確認できたということです。
ヒトの細胞で、てんかんが起きる仕組みを再現したのは世界で初めてだということで、研究グループは、この方法を使えば、さまざまなタイプの難治てんかんの発症の仕組みを明らかにできる可能性があるとしています。
研究グループの日暮憲道医師は「患者の脳の神経細胞を直接研究することは難しく、iPS細胞を変化させた神経細胞を使えば、治療が難しい重いてんかんの新薬の開発につながる」と話しています。

おわりに

てんかんの患者さんが、日常生活をより快適に送れるような薬が開発されれば、いいのになとおもいます。

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アメリカにおける精神疾患と医療関係と製薬会社の密接な関係について からの 日本の話

はじめに

精神疾患と医療と製薬会社は、金銭的に非常に強い結びつきがあります。

今回紹介するのは、アメリカの話ですが

ソース

ADHDは作られた病であることを「ADHDの父」が死ぬ前に認める

この記事は、タイトルが悪いですね。別にADHDという疾患の存在は否定してません。

アメリカの精神医療はどんな感じなのかなあ、がぼんやりと見える記事だと思います。

日本の話

実は日本もおんなじかも知れません。

日本でも、製薬会社が医者を接待したり、はたまた逆に、病院側が製薬会社に何かしてあげたりは、たとえば、芦屋とか新宿の知人から聞いたり聞かなかったりします。

もっとも、今はめっきりと減ったらしいですよ。

昔と比べれば、ですが。

持ちつ持たれつになる理由

消費者目線からだと、なぜ、病院が顧客たる患者の不利益になりかねない事をしてしまうのか、不思議に思われる方も多いと思います。

しかし、経営者目線からだとその理由は単純明快です。

病院も、製薬会社もその多くは、民間の営業するところです。

となると、公企業ではないので、利潤を出さないといけません。

たとえば、利益が出る月と出ない月がぱらぱらとあるようでは、見通しが立たないので困る訳です。

しかも、組織が大きくなればなるほど、安定した利益を稼ぎだす事が要求されます。(出ないとシステムが回らないです。)

と、なると、この収益安定化というモチベーションが病院と製薬会社の双方にあることを考えると、なぜ、病院と製薬会社が「癒着」と言われても仕方が無いほどにずぶずぶになってしまうのか、よくわかると思います。

非常におおざっぱではありますが、経営者視点だと、こんな感じの理解ができると思います。

その蜜月で損するのは誰か

仮に、治療目的というよりも利益のために、診断名をつけて速攻で薬をドカドカ出すような医療が提供されたとして、その犠牲となるのは何かを考えてみます。

するとまず、①医療費のほとんどを負担する国庫、次に、②医療費の3割から1割、あるいは0割を負担する患者

という事になると思います。

最近では、国はここら辺の引き締めを積極的に行ってるとかいないとか。

消費者として対策できる事

自分にあう薬を、適量消費することができれば、無駄に薬を購入しなくて良いわけです。

ですから、たとえば、その薬が必要かどうかについてのセカンドオピニオンなどあるといいかもしれません。

というのも、精神疾患の場合は、薬の量などは、様子をみながら変更することが多いのですが、主治医の方針によっては投薬量や投薬する薬が変わることもあります。(主治医の方針が変更すると、治療内容も変化するのはどこでも同じですが)

なので、いろいろなお医者さんの意見も聞いてみて、その中からしっくりくるものを選んでみるのは、一つの方法だと思います。

ほかに何かいい方法があれば、教えていただけると幸いです。

おわりに

その病院の経営がどんな感じなのかは、経営者および病院の経理決算をやるような人間じゃないと知りません。

ルートがあれば別ですが。

なので、消費者としてはなかなか、病院の経営から見抜く事も難しいです。

特に、精神疾患は、薬の調整が難しいところなので、話がなおいっそう難しいなあと思います。

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