音楽を療法として使うって、どうすればいいの?

はじめに

必要性に迫られたので、音楽療法について勉強中です。

正直、あっぷあっぷですが、がんばって勉強中です。

そんな自分のもがきを、記事にしてみました。

作業療法プログラムとしての音楽療法

病院によって、音楽療法提供の枠組みは異なると思います。当然算定の方法とかも違ってくるんじゃないかと思います。(正直詳しい事がまだまだ全然わかりません)

自分がこの四月よりつとめている病院では、作業療法の枠組みの中で認定音楽療法士の方を中心として、さまざまな音楽療法が提供されています。

で、自分は、それにがっつり参加する事に成りました。はい。

音を作業として使うって?

実は、作業療法士養成過程では、必ずしも音楽を用いた作業について学ぶとは限りません。そして、わたくしごとにはなりますが、ひろえもんの卒業した養成校は、音楽療法について授業でいっさい触れていなかったのではないかと記憶してます。

もちろん、ひろえもんは作業療法士ですので、作業療法という大枠の理論については勉強しております。ですから、使う作業が、音楽を用いた作業に成るだけといえば、それだけの話です。

別に、音楽療法にかかわったことがなくても、優秀なOTRであれば、特に困った事は無いのかもしれません。

でも、ひろえもんは困ってしまいました。

患者様に、何の目的でどのように音を使うのか、音のどのような特性をどんな形で提供するのか、さっぱり具体的な場面が思い浮かばなかったのです。提供する活動としても、歌ったり、ボディーパーカッションだったりが関の山でした。演奏できる楽器も特にありません。ギターのコード引きができる程度です。

そんな自分が、音楽を治療として使う場にセラピストとして立つと成ったとき、自分はどんな事ができるだろうと、もじどおり、頭を抱えてしまいました。

「音楽」と「療法」

音楽を治療的に用いるためには、当然作業療法で通常使用するような枠組みが必要になると思います。でも、その枠組みすらわかりません。

大枠としては、作業療法の理論がそのまま流用できるはずです。とりあえずは、当面作業療法士として自分が学習してきた枠組みや考え方を使っての解釈や学習、分析、評価、統合を行う事に成るんだと思います。

いま、まさに、総合臨床実習のときの漠然とした不安感を思いだしています。初めて患者様に活動を提供するときに、自分の手持ちのアクティビティーがこんなにも少なかったのかと愕然とした、あのときの感覚がよみがえってきました。

しかし、そこで一つ、ハッとした事があります。

いまの自分は、提供する作業は何でもかまわないと言う事を知っています。提供する作業そのものが最大の問題ではなく、提供する活動や作業がその人にとってどのような意味を持ち、どのように影響し、今後どのようなことにつながるのかという事がもっとも大切だということを知っています。

つまり音楽療法においても、ソレは変わらないはずです。患者様に活動提供を行うということになったそのときに、提供する活動は、誤解を恐れずに言えば何でもかまわないはずです。

問題は、「音楽」への無関心

そこで改めて気付かされたのが、音楽というものに対する、感性の鈍麻、無関心にも似た鈍感さでした。いま、音楽は非常に、手軽に、安価に、しかも大量に消費する事ができます。インターネットがソレを可能にしました。

自分もそれに漏れず、好きなアーティストの音楽以外は、聞き流す程度に消費する事が多くなりました。それこそ、小学生の時や、中学生までは、どんなアーティストの曲でも自分が口ずさめるまで聞き込んだものでしたが、iPodが登場し、自分の持っている曲を全部持ち歩くようになったあたりから、そういう「聞き込む」という関わり方をしなくなったと気がつきました。

つまり、そこから、音に対する感性や興味、関心が深まらず、ストップしてしまっていたのです。学校の音楽の授業も、おもしろ味は感じていましたが、あくまで教師が出す課題を受動的にこなしていただけで、自分から積極的に「音楽を発する」機会、経験がほとんど無い事に気がつきました。

それだけでなく、自分は、どんな音楽が好きなのかもよくわからなくなっている事にも気がつきました。どんな音楽を心地よく感じるのか、数年来、そういう事を意識的に考えなくなってしまっていました。そして、自分から積極的に聞きたい音楽を求めるという事もしてこなかった事に気がつきました。

ただ、ミュージックプレイヤーがランダムに再生する音楽を聞き流す。

そういう生活をしてしまっている事が、そのつけが、自分にかえってきていると感じています。

音への感性を研ぐ

セラピストとして、音を提供するためには、なまくらになってしまった自分の音楽センスをなんとかほこりを払い、研ぎすまし、使用して、磨き直す必要性があるのだと思います。

きっと、今の自分に必要なのはそういう「おとをたのしむ」という、人間としての原点、その感性に立ち返る事なんだと思います。

指針について

とはいえ闇雲に学ぶというのも、今すぐ結果を出さないといけないという現状にたいして不誠実だなあと思っておりました。一応、音楽療法士の先輩の言う事を一言も漏らさないくらいの気持ちでがんばってるのですが、それだけでは、患者様に対して申し訳無いと感じてました。

もっと、加速度的に提供できる内容を進歩させたいと感じ、そのためには、自分のリソースを集約するための指針が必要で、それをどうしたもんか、と悶々としておりました。

そんな矢先でしたので、神様仏様でした。

山根寛先生が書いてるので、OTRである自分にとって、なじみのある書式でとても助かりました。苦もなく音楽療法という物に向き合うためのたくさんのキーワードを仕入れる事ができたと思います。

この言葉達を、どんどん自分の経験と結びつけていけたらなあと思います。

今後について

自分のセンスに基づいた音楽療法という物がいつかできたらなあと思います。

そのためには、まず、先輩音楽療法士のスタッフに全力でついていきたいと思ってます。

あとは、日々の実践の中で学び、ソレを言葉にしていくことかなあと思います。

おわりに

新米作業療法士の「音楽を用いた療法」に対する挑戦は始まったばかりです。音楽療法士の先生方、先輩OTRの皆様、あるいは、柔軟な発想をお持ちのOTSのみなさん、ご意見、ご感想いただけると嬉しいです。

今後また、自分が具体的に行ったプログラムとかについても書いてみたいかなあと思います。


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コメント

“音楽を療法として使うって、どうすればいいの?” への2件のフィードバック

  1. Hiroshi Yamaneのアバター
    Hiroshi Yamane

    わかりにくいところがあったら何でもどうぞ
    音楽はなぜ生まれたのか,アートとしてよりも人間の生活にとって必然的に生まれた音楽の意味を考えると,作業療法における音楽の使い方がぐんと拡がります.

  2. ひろえもんのアバター
    ひろえもん

    山根寛先生、大変ご多忙な中の書き込み恐縮です。
    先生にサイトが見つかるとは思っても見ず、書き込んでいただけて嬉しいやら恥ずかしいやらです。
    音楽を一とした様々な作業や、患者様とのかかわり方や関係性といった、作業療法の奥深さに圧倒される毎日ですが、自分なりに整理し、理解していきたいと思っています。
    よろしければ、普段の業務内で疑問に思う点などについてもぜひご意見いただきたいなと思います。
    今後ともよろしくお願いいたします。

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