作業療法の理論はやっていることの説明にはなっても、此れからやろうとするひとの助けにはなりにくい…かも

はじめに

じぶんの体験とか実感をもとにしています。

こういうやつもいるのかという生暖かい目でご覧下さい。

作業療法と理論

作業療法は、その資格が国家資格として成立してからしばらくの間、そのアイデンティティーの話でいろいろあったそうです。

「作業を使うことが作業療法なら、誰でもできるのでは?」

という至極真っ当な疑問に対してどのように答えるのかという事が、非常に大きな課題だったのではないでしょうか。

そんな作業療法は、作業を「その人にとって意味のある人間が行う活動」と定義しているので、対象となる状況、場面が非常に広範になっております。

これには、いろいろな対象者に対し、柔軟にそのときに必要なプログラムを提供し、常により良い物を提供できる可能性を保証しているという非常に大きなメリットがあります。その一方で、理論化およびモデル化が難しく、他者にやっていることが理解されにくいということがあります。

逆に言えば、理論化やモデル化ができさえすれば説明が大分簡単になります。

というわけで、作業療法士にとって、理論というのは、患者様や第三者にたいして、自分がやっている事を説明する上で非常にありがたい存在という訳です。

作業療法士という国家資格が誕生してから、作業療法士にとってはそのアイデンティティを確立することが非常に重要だったのですから、理論やモデルが教育面でも重要視されたのは特に不思議な事ではないと思います。

しかしながら、現状、そんなありがたいはずの理論が、作業療法を学ぶ学生、OTSの皆さんや、新人OTRにとって、負担になってしまう状況があるなあと思います。

なぜなのかを自分なりに考えてみました。

具体性と結びつかない専門用語

作業療法士養成過程では、非常にたくさんの専門用語を学習します。生理学、解剖学、運動学、精神医学、etc…

これらの言葉、実際に臨床にて使えるようになるには、やはり具体的な経験や体験が書かせないというのが、ひろえもんの結論です。いま、臨床の場に出てあれこれとやっているうちに、具体化されイメージを持つ事ができた言葉もあれば、書籍などで学んで得たイメージと全く違う言葉もありました。

最近だと、認知症と言う診断名や、統合失調症という診断名には、1セラピストとして患者様と対峙するときにはほとんど意味をなさないのだという事もわかってきました。(もちろん参考程度にはなりますが、その分先入観を持ってしまうというリスクも抱える事になります。)

そんな感じで、学校の授業で具体的に経験することができないことは、実際問題としてたくさんあります。そして、具体的に経験できない部分については、想像や調査などによって補わざるを得ない部分が大きいです。そして、そのような知識は、実際に臨床に出てみてすぐに使えるような物ではありません。ひろえもん個人としては、しばらくの間、自分の書籍上の知識と、実体験との間の擦り合わせを行う事が必要になりました。

理論も同じだと、ひろえもんは思います。

理論が誕生するまでには、ソレをつくったひとに膨大かつ具体的な経験があり、それを整理、体系化した結果が、理論や、モデルだと思います。

そして、理論やモデルはその生成の段階で、核心部分に焦点をあて、明確化するために、高度に抽象化されている事が多いです。

つまり、理論を学んでも得られる事は、どうやったらいいのかという方向性がぼんやりと見える程度で、具体的に何をしたらいいのかという事については、自分で考えるなり、他に詳しいひとに訪ねるなどしなければいけないのです。

ここが、理論が学生さんの負担になる部分なのではないかと思います。

とある実習生(OTS)の話

なぜ負担になるのか、その具体例としてとある実習生の話を一つ紹介してみたいと思います。

その実習生は、勉強熱心で、非常にたくさんの言葉や理論などを知っていました。非常にまじめで、学校の勉強なども卒なくこなすタイプの優等生さんでした。

が、実習ではなかなか苦労をした人でした。患者様と関わりを持つ事はできるのですが、その関わりを治療として形にしていくところにずいぶんと苦労したみたいです。

その子は、ICFやその他の枠組みに基づいて情報を収集しようとしたあまり、その他の情報をついつい見落としてしまいがちで、それについてもさんざん指導者から指導をされました。理論を先に知ってしまうと、どうしても注意の矛先が偏ってしまい、その分見落としてしまう情報が増えるという事なのかなと思います。

また、実習というのは文字通り、自分でやってみる事が求められます。つまり、実践ができること、そしてそれがうまく行ったかどうかの判定をし、次回にその結果を反映させる事が求められます。その人は、計画をたてるところまでは非常にうまくやるのですが、それを実践するのがなかなか難しいみたいでした。

この事から言えるのは、いくら理論をしっていたとしても、そのプロセスで何かを行った経験が乏しいと、まず実践する事が難しいということだとおもいます。(本人もそんな事をいってました。)

ですから、次回の実践をより楽に行えるようにしようと思うなら、机の上で勉強した事をまず、具体的に実践してすぐに使えるような形にしておく事が必要という事です。

理論より現象

まず理論ありきは何かが違う感じがします。まえまえから思っていた事ですが、働き始めてからちょっとずつ自分の中で確信となっています。

ひろえもんは、まず先立つのは、現実であり、その場におこっている現象をとらえ、それを解釈し、説明する一つの手段が理論だと思います。

つまり、理論よりもさきに、具体的かつ膨大な量の情報の集合である、現象、現実、実体が五感をとおして入力されていることが自然な流れであり、実際必要があると思います。

さらに言えば、先に理論を学んでしまう事は、先入観を産み、別の考え方で物事をとらえる機会を失ってしまう事にもつながるのではないでしょうか?ということです。

理論単品では使い物にならない

いうまでもなく理論は、非常に有用です。セラピストが行った治療手技についての価値を、構造的に説明するときには特にその威力を発揮します。つまり、介入の結果として起こった現象やその意味の解釈をする上では無くてはならないツールだと思います。

しかしながら、理論は無条件でありがたがられるべきものでもないとおもいます。

理論がありがたいのは、具体的な事象を抽象化するとき、それが簡単かつ有意義に行えるからです。つまり具体的な事例があればこそ、理論はその存在価値を発揮できるのではないでしょうか。具体的な経験が乏しいと、理論から具体性を生み出していくという事はできないと思います。

習うより慣れろ

結局そういう事だと思います。

おわりに

これは、いまのひろえもんの実体験と感じ方に基づく、個人的見解です。

ほかの意見がある方は、ぜひまたご意見いただけたらと思います。

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