日常のコミュニケーションを誠実に行う事がセラピストとして有るための重要な基礎になると改めて気がついた

はじめに

働き始めてはや、4ヶ月が経過しました。

4ヶ月を早いと感じる人も、そうでないと感じる方もおられると思いますが、自分は早いと感じました。

いろいろと感じる事がありすぎて、混乱する事もしばしばなのですが、だからこそ、最近思う事がありますので、それについて言葉にしてみたいと思います。

まとまりなく、長々と書いてますが、よろしければ、ご意見いただけると嬉しく思います。

やっぱり、「周囲」はとても大切

自分が働いている現場の話になってしまうので、一般化はできないかもしれませんが、現在自分が勉強している精神科および老年期作業療法のアプローチにおいては、「その人らしさ」というものをその人の今までの人生経験、人生の文脈でとらえています。

たとえば、作業療法の対象となるような患者様がいたとして、作業療法を提供するためには、情報を収集する事が欠かせません。それは、その人に関するさまざまな情報であり、現病歴、身長、体重、性別、家族構成、生育歴、学歴、職歴、生活歴、といったさまざまなストーリーがとても重要な情報になります。仕事や、家庭での生活の中で、その人が行ってきていた役割はいったいどのようなものがあるのかなどの情報をどんどん集めていきます。そして、そのようにして集めたバラバラの情報を一つ一つを線で結んでいって、その人はどんな人なのかについてのイメージを膨らませていきます。

この行程は、自分にとってはまだまだ「大変だなあ」に感じるものでありますが、同時にその人の主観にたち、寄り添うためにとても必要なことだなあと感じます。

集める情報は、ストーリーに関するものばかりではありません。具体的な関わりの中で、その人の現在できる事だったり、している事について着目します。

それは、その人はいま、どんな生活をしているのか、どんな場所でどんな事をしているのか、ある時間にはどのようなことをして過ごしているのか、といったそういう具体的なことを、まず知る事から始まります。そして、今どんな事をしているのか、から、これからどんな事ができそうかという事をある程度予想していきます。(もっとも、この予想は現実と異なることが少なくないのですが)

その次には、その人がこれからどのような事をしていく必要があるのかという必要性を具体的に検討し、その後、その必要性をみたすためにはどのような方法が現実的なのかを考えます。そして、それを実際に行ってみて、その結果を評価し、実施するというプロセスを繰り返します。

以上のようなことは、自分も座学で、学生時代に学んできた事ではありましたが、実際に業務を行いながら具体的な形で感覚に落とし込んでいくという事が、作業療法のプロフェッショナルであるOTRとして働く上で非常に重要だなあと思います。

で、上のように長々と書いて参りましたが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に大切なんじゃないだろうかと、臨床で働くようになってから実感として感じ、おもうことがあります。

それが、患者さん本人の環境となる、周囲の人に関する情報です。

「人間として」の基本には他者との関わりがある

なにも、周囲の人の情報が大切だというのは、特別な事ではなく、むしろ当たり前の事だと思います。

自分自身について思い返したとき、自分自身を規定する物として、周囲の人間との関係性がとても重要な位置を占めるからです。

皆さんもそうではないでしょうか。

「あなたは何者か?」

という問いに対して、周囲の人間やその人との関わりというものは非常に重要な意味を持つのではないでしょうか。

それは、自分自身が生きる事や、そのために行うさまざまな活動が、ただ「生物としての生」を成り立たせるための行為であるという意味性を超えて、他の様々な物との関連性から、自分自身を位置づけ、意味を与えられるものになるために、周囲の人間とその自身との関わりが切っても切れない関係にあるからです。

言葉にすれば面倒ですが、現実はシンプルだと思います。

ある哲学者は、人間は様々な「役」を演じているにすぎないといいました。

母親としての自分、教育者としての自分、後輩としての自分、友人としての自分、子供としての自分…

ひとは様々な側面をもっており、その哲学者は人間のそうした側面を、劇における「役」にたとえたわけです。

そういった「役」は、しばしば、さまざまな人との関係性において、発生します。自然発生する事もあれば、人為的に形成されることもありますが、「役」にはそれが存在する事による何らかの意義が存在します。

そして、その意義は、それを必要とする人や、システムが存在する事によって保証されています。

逆を言えば、他者という存在がなければ、人は、親にも、教師にも、メンターにも、誰かの友人にも、成る事ができないということになります。

つまり、その人の人生が、その人個人を超えた意味性で価値づけられるためには、その周囲にからなず誰かが存在しなければなりません。その存在は、単に物理的に存在するというだけでなく、互いが互いを認識し合い、認め合っているという物である必要があると思います。

「人間として」生きるためにはこのような関連性が、必要不可分です

人と人を結びつける関連性

人は、様々な役割をもち、それにふさわしい行動をとりますし、またとる事が求められます。個々人間の様々な情報を正しく認識し、挨拶をしたり敬意を払ったり、共感したりといった態度が求められます。

この様式は、「推して知るべし」とて、言葉で教えてもらえる物でもありません。その場の状況や、相手の感情を、表情変化や様々な動作などから推察し、読み取り、その場にふさわしい言動をとる事が求められます。

つまり、感覚で学ぶ物で、具体的な関わりの中で経験を積み重ねながら、自分の中に蓄積していくものといえます。

関連性を構築するコミュニケーション

これらに関して、よく『「人間として」大切な事だよね』と職場の先輩方にフィードバックを頂くことがあります。

まさにその通りだと思います。

この関連性を形成するプロセスは、別段作業療法士に独特な物でもなんでもなく、社会的存在としての人間がだれしも日常的に行っていておかしくないものです。ですが、OTRが自分自身を治療的に使おうとするとき、あるいは、ある患者様をその人の周囲の人との人間関係という文脈からとらえようとするとき、このプロセスを普段の日常生活でどれだけ誠実に行っているかということが、大きく反映されるように思います。

いい作業療法を現実にするために

これは、ひろえもんが、実際に職場の先輩方の言動をみたり聞いたりする中であったり、ひろえもんが面白いとか、すごいと思ったOTRの方々の行動などを見ていて、ひしひしと感じる事です。

ひろえもんが「尊敬できるなあ」と思う作業療法士は、単純に作業療法学という文脈においても、すごいんですが、そのすごみの土台となる根本部分は、やっぱり人とどのような関わり方をしているのか、どんなことを意識して人との関わりを思っているのかというところに集約されるんだろうなと思います。

つまり、素敵な作業療法が提供したいのであれば、自分自身を人との関わりの中で具体的にどのように位置づけるのかという、そのリアルがとても大切になるという事だと思います。

そういう能力っていうのは、たとえば、挨拶ひとつにも現れていて、文字にしてしまえば同じ「おはようございます」でも、そういう人がする挨拶っていうのは、相手との関係性だったり関わりだったりから、口調、表情、体の動かし方といったさまざまな要素に意味性が付加され、表現されているものです。

こういった事が自然に、にじみ出るように行えると、きっと良い作業療法が提供できるのだと思います。できるように、日常生活から意識付けしないといかんなあと思う次第です。

おわりに

以上のようなことを最近よく思うのですが、他の人にわかりやすい言葉にできていない時点でまだまだだなあと思います。

でも、ニュアンスが伝われば、それで。

いろいろな関係性を、いい感じで構築するための努力を積み重ねる事が、就職後6ヶ月までの目標としたいとおもいます。

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