ひろえもんと「食事」の関係に見る、ニーズと人生の質(QOL)

はじめに

自分の人生の意味について考えました。

美味しいものをどれだけ食べれるかだと思いました。

そんな、ニーズとQOLのお話。

QOL

クオリティーオブライフ。

人生の質。

どうやって測定するかは一意でない。

裏を返せば、尺度はなんでもいい。

もちろん「食事」でも。

ひろえもんの人生

日常

何もかもうまく行かなくて、誰とも関わりたくない、特に何もする気が起きない、そんな日は食事が全て。

その日に何を食すかで、その日一日の評価が変わる。

美味しいものを食べれたら幸せ。

そうでなければ不幸せ。

私のQOLは、「食事」に依って作られる。

元気なときには。

誰かと一緒なら、おいしい食事はなお美味しい。

まずい食事も、笑いのたねに。

やっぱり私のQOLは「食事」によって作られる。

仕事

どんなに安くて美味しい料理も、材料が手に入れられないと作れない。

私はそのために働く。

給料日には美味しい物をたべよう。

どうも、私のQOLは「食事」に依存するらしい。

健康

たくさん美味しい物がたべたいので、極力健康でありたいと思う。

そのためには、大好きな食事の量のコントロールだっていとわない。

結局、私のQOLは「食事」に回向(えこう)する。

以上、ここまで前置き。

本題:QOLを支えるとは

OT介入時には、構造を抽象化、単純化して介入するポイントを焦点化しますよね。介入するポイントを限定しないと、限られたリソースでは介入不可能ですから。

でも安直に限定してしまうとすると、やっぱり他の大切なことを見落としてしまう可能性があると感じています。

上記のように、ひろえもんの人生を「食事」中心の価値観でとらえたならば、ひろえもんのQOLを保つには「うまいもん食わしときゃいい」となると思う。

でもそうではないんですよね。

「食事」がいくらその中核にあるといっても、そのひとの人生は「食事」だけでは豊かになりようが無いんですよね。

対象者のニーズを言い訳にして、自分が安直な介入を選択してしまわないように気をつけようと思いました。

おわりに

今回書いてみて、ひろえもんは「食事」以外のいろいろなポイントに人生の質を決定する要素を分散させないとだめだと強く感じました。

以上。

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