第49回 日本作業療法学会の反省

結構おもしろい演題とか、たくさんあり、非常に刺激的でした。

傾向として、人が集まってたのは認知症系の演題でした。

やっぱり、身体障害領域も精神障害領域も地域も、認知症の問題は非常に今危機感を覚えている人が多いんだなあという印象です。

認知症になる人が増えるだけでなく、働き手が減少する中で高齢者が増えることによって、必要な作業療法士の数が相対的に減少していくという話を聞いて「大変なことがおきるな」と思いました。

作業療法は今後、プレミアムなものになっていくか、もしくは(経済的な効用という意味で)だれからも必要とされないものになっていくか、どちらか一つだろうなと感じました。

作業療法士が、自分自身の持つスキルをうまく表現できることもこれから必須になっていくんだとも感じました。

臨床家だから研究をしないとか、逆に理論家だから臨床しないとかではなくて、その両方をきちんと修めて前に進んでいかなければならないし、質的研究から逃げてはいけないということも強く感じました。

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人とはなんだろう。人生とはなんだろう

この問いこそが、作業療法の根源だと思う。
人が自分自身や人生について考えるときには、捉え方や文脈によって同じ出来事でも捉え方が大きくことなる。
だから、作業療法はおもしろい。
大して本人が意味を持たないと思っていた行為が、いつの間にか新しい作業になるということは、実はあると思う。
「意味のある作業」という言葉にとらわれるのではなく、その向こう側を考えたい。
社会は、大きく変わる。
これから日本社会はかならず激変するのだから、作業療法が根源を大切にするときするべきことは絶対に変化していく。
頭の柔らかさとフットワークの軽さを心がけたい。
つねに新しいものに出会い、自分自身が変わることを恐れない人間でありたい。
そして、誰かと「行動すること」「生きること」への希望を分かち合える人間でありたい。
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おかげさまでfacebookのページのファン数が100人到達しました。

お昼にツイッターにも書きましたが、おかげさまでfacebookのページのファン数が100人となりました。

100人目の方がツイッター通して連絡くださりました。

ありがとうございました。

今後も、皆さんに「ちったあ役にたつじゃなあい」と思っていただけるようなコンテンツを、皆さんと共有できたらなあとおもいます。

今後ともよろしくお願いします。

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現実に実在しないものが、存在しないとは限らないという話と作業療法の理念

たとえば、時間。

目に見えないし、触れられないけれど、みんなが知っているしそれに影響される。

たとえばお金。

目に見える物理的な意味を超えて、人間の考え方や行動に非常に大きな意味を与えている。

多分、宗教とかスピリチュアルな事柄もそういうものと同列にしてしまっていいのではないかと思うようになりました。

ひろえもんは、宗教とか全くもって意味不明であり、人間を惑わす邪悪なもののように捉えてしまっていた時期すらあったりするのですが、それでも人間が生きていくためには必要なものなのだとおもうようになってからもうずいぶん経ちます。

つまり、人間は何かに偏らないと、行動ができない生き物だとおもっています。

そのような偏りこそが、理念だったり、概念だったりするのではないでしょうか。

そして、人間が概念として認め、それが多くの人の間で共有され、行動を変更させるほどの力を持つようになった時、その概念はたとえ目に見えず触れられず実在しないような場合でも、存在すると言ってよいのではないでしょうか。

ぶっちゃけ、作業療法士の大切にしているものも、実在しないものですよね。

エビデンスを示せと言われても、事前観測不可能な事象が多いので、研究するにもそれなりにテクニックが必要な点で、その大切にしているものが示しづらいという現状もあります。

ですが、上の理屈でいくと、たくさんの人が、その考え方に基づいて行動をしたり、その考え方をいろいろな人に伝えひろめていくことで、作業療法士が大切にしているものは、改めてその存在を確立できるのではないかと思いました。

基本的人権ってなんだっけ?と考えることが増えている今日この頃です。

が、それに対して何かを口にできる立場でもなく、そうすると行動にて示す方が逆に効率いいのではと思います。

日々をコツコツと。

頑張ります。

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日本からお墓のなくなる日

ふと疑問に思いました。

都市部の子供達は、お墓まいりをしたことがあるだろうか。

と。

また、現在の働き盛り世代の心の中に、どの程度「お墓まいりに行こう」という思いが去来するのか。

と。

自分のこととして考えたときに、お墓ってなくなってくものだと思いました。

核家族化が進んで、地域のコミュニティーが高齢化した上、若年世代との間に大きな隔たりが生まれ続ける現代社会におかれましては、墓まいりが持っていたひととひととのつながり、絆を定期的に再認識させるという働きがどうにも弱体化しているように感じます。

なんてったっては、年に3回詣ればいいほうですから。

無論、お墓がなくなるとは思いませんが、「先祖代々」というお墓の連続性はだんだんとなくなっていくんだろうなという確信が持ててしまったので、そんな感想を記事にしていみました。

一作業療法士として、そんなふうに変わっていく社会とどんなふうに生きて行くべきなんだろうと考える日々です。

あらためて、人と人とを結びつけるような何かが必要とされているんだろうなと思います。

関連記事:

http://www.asahi.com/articles/ASH4T5QFYH4TULBJ007.html

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複数スタッフでのレクリエーション運営は、目的を明確化しないと齟齬が生じる

集団レクリエーションを行うときに、最近またあらためて感じるようになったことがあるのです。

それは、何人かで協力してレクリエーションを運営するときに、わかりやすく直感的にコンセプトや価値を示せるかということがとても重要だということ。

活動の面白みを明確にして、具体的な実践で感じてもらうということです。

 

そして、もう一つ大事なのが、そのコンセプトなり価値なりをきちんと言語化して感覚を言葉にして表すこと。

そうしないと、その場を共にした人の間でその時は共有できたことも、次回に行うまでの間の時間でズレが生じてしまいます。

そのズレは、レクリエーションの不全感「なんだかうまくいかないなあ」という感覚として自分のところに帰ってくることになり、やがてそれはモチベーションの低下につながります。

 

コンセプトや目的は、簡単な言葉で表現できればそれが一番良いと思います。

たとえば、面白いことをするというコンセプトがあるとしたら。

言葉や提案の仕方によって、なんの変哲もないような活動がどうやったら面白くなるかを追求します。

その活動の目的が、たとえば対象者の人をいかに笑わせるか(気分転換・精神的リフレッシュ)にあるとしたら、その効果を実際に本人に聞いてみて、面白かったかどうかを尋ねてみればいいわけです。

最初にその辺りが明確になっていれば、具体的な取り組みに関して振り返って検討しやすくなり、その内容が今後に生かしやすくもなるのではないでしょうか?

 

その具体的な取り組みについて言語化して、論文なんかにまとめることができたら、より多くの人にその経験を伝えるkともできますし。

きちんと情報化を試みる、だれかに伝えられる形で情報を保存するというのは大切なことなんだろうなと思います。

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