【新人OT向け】「PDCAサイクル」の必要性は作業療法士こそ知れ

成長したい若手必読の記事です。

ビジネスマンとか、経営者とか、起業家であれば必ず知ってるのが「PDCAサイクル」です。

作業療法士でいうところの、ICFです。要するに知らないと、モグリ扱いをされてもおかしくない常識ということになります。

利益の世界の常識ですが、医療福祉の人が知っていて何らおかしいことではありませんし、むしろ知らないことは損失と考えますので、ご紹介させていただきます。

試行錯誤は重要だ

まず、「PCDAサイクル」の価値を知っていただくためには、試行錯誤の重要性を認識していただく必要があります。

試行錯誤とは、

目標設定のもとに

計画を立て、

実際にやってみて、

その結果を把握して

その評価をもとに方法論に修正を加え、

狙いとする結果が得られるまで繰り返すような行いのことです。

この試行錯誤の重要性は、前人未到の領域で重要性を発揮します。

その理由は、作業療法士が作業療法を行うときに、前人未到、つまり事前に参考とできる資料がない場合には、自分の実践によってどれだけ情報の蓄積を測ることができるか、そしてその結果からうまく推論を導き出すことができるかが、作業療法の対象者にとってより良い、質の高い作業療法を提供するために重要だからです。

要するに、地図のない土地を歩くには、実際に歩けるところを歩いてみて、その道が違ったのなら他の道をちゃんと行けるように、同じ道を歩かないように、自分できちんと地図を作っていかなくてはいけない、そういう話です。

そういうプロセスが無くては、作業療法とは言えません。

作業療法は科学的なだけではいけませんが、まあ、ありはしないと思いますが、どうも科学性のそれがないような介入の話も伝え聞こえてくる有様ですから、やはり試行錯誤は大事です。根拠なき実践はだめ絶対です。

「PDCAサイクル」とは試行錯誤のこと

ということで、なぜ試行錯誤の重要性を前置きしたかと言いますと、PDCAサイクルとは試行錯誤とほぼ同じ意味の業務改善の枠組みなんですね。

ビジネスの世界では常識で、もともと品質管理や生産管理などの管理業務をやりやすくするための考え方フレームワークになります。

PDCAサイクルはその有用性から、実は、いろいろな領域で応用されており、生産性を向上させるプロセスにはもちろん、業務上のリスクを取り除くための試みなどに応用されています。

そしてなんと、最近であれば、ITの分野でソフトウェア開発などでこれらが用いられるようになってきています。

つまり、非常に応用の効く考え方の枠組みということがお分かりいただけると思います。

PDCAサイクルの概要

Wikipediaからの引用です。

PDCAサイクルという名称は、サイクルを構成する次の4段階の頭文字をつなげたものである。
Plan(計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する。
Do(実行):計画に沿って業務を行う。
Check(評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを評価する。
Act(改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて改善をする。
この4段階を順次行って1周したら、最後のActを次のPDCAサイクルにつなげ、螺旋を描くように1周ごとに各段階のレベルを向上(スパイラルアップ、spiral up)させて、継続的に業務を改善する。
wikipedia-PDCAサイクル

PDCAサイクルの有用性

このような枠組みはシンプルでわかりやすくて、つまり誰もがみんな使える点で優れていますし、誰がやっても改善する方向に持っていくことができるということは、時間さえかければどれだけ効率が悪くても、必ず改善することができるという点で非常に強力です。

そして、これは変化を肯定するツールでもあります。変化しないことに固執することによって、大した結果を残せないままにズルズルと日々の臨床をやり続けるよりも、しっかりと目標設定して業務改善をしっかりと行う方が、労働をする側の心理としてはいくらか健全です。

そして、PDCAサイクルは競う相手を想定しなくても良い時や、時間の制約がとてつもなく厳しい時などを除けば、とても有用です。

このサイクルを回していけば、人間は必ず進歩できるからです。

知らないで全く進歩できない作業療法士よりも、PDCAサイクルを知っててそれを回し続ける新人の方が、かなり使い物になります。個人的観測ですが、今のところ100%そうなので、多分そうです。ちゃんと大規模な統計で調査したら、同じような結果が出て有意差もでる可能性は高いはずです。

あとは、誰かになんらかの目標とその達成に向けた行動を促す時に、PDCAサイクルを元にした振り返りを行うと、次の行動の指針がわかりやすくて良いというメリットがあります。つまり、他者の指導にもってこいということです。

自分に後輩ができたり、作業療法の対象者の方に自発的な行動を促したい時などには、わかりやすいので非常にオススメできるフレームワークだと思います。

作業療法対象者の方に応用するPDCAサイクル

簡単に対象者の方が体験する作業療法のプロセスを記述すると、

目標設定をして

きちんと実践して

達成する

というこれだけのことなので、バッチリPDCAサイクル回せます。

つまり、

Plan

作業療法士と一緒に、リハビリテーションのゴールと中長期的な目標を設定する。

Do

目標に向けて、リハビリテーションとなる具体的なアクテビティ、活動、作業を行う。

Check

具体的活動の成果を、作業療法士と一緒に現状を確認し、過去や設定した目標と比較して評価する。

Act

必要かつ、可能な改善や修正を加え、計画や次の具体的実践に反映させる。

 

 

という感じです。

どうです、簡単でしょう?

ご覧の通り、MTDLPとか人間作業モデルとかの併用もバッチリです。やったことないけど、ADOCとかも行けるんじゃあないでしょうか。

シンプルなので、いろいろなものと併用するというか、別のものに組み込んで使うことができます。

作業療法を受ける対象者の方の治療過程とPDCAサイクルは、かなり相性がいいのがお分かりいただけたと思います。

作業療法士自身の成長に生かすためのPDCAサイクル

作業療法士の業務でサイクルを回してみましょう。

治療業務

治療に関する業務を分解すると、一人の対象者に対して作業療法士がおこなう業務は、以下のようなプロセスになるでしょう。

  • 作業療法のオーダー・作業療法開始
  • 情報収集
  • 評価・分析
  • 目標設定
  • 介入
  • 目標達成・作業療法終了

オーダーが出てから、作業療法の終了までに共通して必ず行うプロセスに関しては短時間でたくさんの成果を出すことができれば、より多くの時間をかけて作業療法対象者の方へ関わることができますので、対象者の方はより治療的に有利な状態になります。

つまり、何度もなんども繰り返すような業務に関しては、きっちりと改善しようとする姿勢が必要です。この改善というのは、同じような結果であればより短い時間で得られるように、そして、同じ時間を必要とするのならより多くの結果を出せるようにすれば良いということです。

上記のプロセスの中で言えば、情報収集は最も時間を削ることができるところだと思います。

最初に断っておくと、世の中にはどうあがいてもボトムアップ式でやらなければらならず、それこそ、目標設定すらどうしていいかわからなくてPDCAサイクルも太刀打ちできないような事例があるのは間違いがないので、そういう例外はあると知った上で、読んでいただきたいです。そういう場合は、情報収集こそが全てと言っても過言ではないくらいに、情報収集をすることになると思います。

さて、それを踏まえた上でも、最も削るのが情報収集というのは、おかしいと思いませんか。

情報がきちんと十分にできていなければ、介入なんて出来ようはずもないではないですか。

それなのに、情報収集の時間を短縮しろなんて、頭がおかしいと思いませんか?

思いませんか。思わない方は、きっと臨床派作業療法士だと思います。

そう、実際の臨床においては、介入しながら評価して、情報収集をするなんて身体障害領域ではザラですし、人手不足の現実を目の前にした時に老年期のデイケアやら入所施設やら病棟などでは、しっかりと個人個人に関わって丁寧に情報収集評価なんてしないのです。というか、できないと思います。

ひょっとして、どっかに入社してから初めて、その現実を知った人もいるのではないかと思います。ですから、臨床をよく知ってる作業療法士は、なんとか情報収集の時間を圧縮して介入の時間を作るのです。

では、PDCAサイクルがこの場合も無力かというと、実はそんなことはありません。

そう、PDCAサイクルはとりあえずやってみるという実践を、きちんとした正しい方向性、より良い方向性に持っていくためのフレームワークでした。

確かに、臨床経験浅いうちは、評価とその前段階の情報収集に時間をかけるべきでしょう。しかし、ちゃんとPDCAサイクルを意識して業務をこなしていけば、時間の端折り方が見えてきます。

少ない時間で、対象者の方の状態を把握し、どのような働きかけを行うと効果がありそうかということが、だんだんと見えてくるのです。そして、実際にその働きかけで効果があれば、あるいはなければ今はどのような状態なのか、より良くなるためにはどのようなものこと仕組みが必要なのかということがわかるようになります。

その他の業務

そのほか、精神科や老年期であればレクリエーション、行事の企画などプロジェクト系の課題に立ち向かわなければならないことも多々あると思われますが、きちんとプロジェクトとして扱うことは前提になりますけれど、プロジェクトとしてやることっていうのは、手順が決まってるのでPDCA回しやすいですから、業務改善しやすいですね。

新人作業療法士向け応用方

そのほか、テクニックとしては侵襲性の低い関わり、例えば自己紹介などの関わりを行い心理的な関係構築を行うと同時に、その際に事前にカルテや相談員などのスタッフから、事前に収集しておいた情報に優先順位をつけて、目標設定に役立てたりなどして、目標設定を早期に行い、その目標から逆算して必要な評価項目を設定するというトップダウン方式が有効です。

ですので、それをいかに効率よく行うかということにポイントを置いてPDCAサイクルを回すのも、最初の方はありなんじゃないかと思います。

そうしてできた時間が、新しいことを勉強したり、自分がやったことをきちんと振り返る時間に使われるのであれば、その成長が対象者の方にとって良いことですので、まずはその辺しっかりと狙って業務的な成長を狙ってみるのも良いかと思います。

最も、その業務改善が、自己目的化して、本来必要な作業療法の対象者の方への関わりが乏しくなってしまうことの無いように気をつける必要はあると思います。

応用方法無限大

このPDCAサイクルは大層な感じがしますけれども、

コンセプトは単純明快

つまり

きちんと一歩ずつ前に向かって進みましょう

ということです。

困難な事例においても、知っておくことでなんらかの新しい解決を見いだすことができるかもしれませんし、逆に簡単な日常の業務もさらによりよくすることができるかもしれません。

なんとなく、ダラダラと仕事をしてしまいがちな職場やら人にはもってこいのフレームワークだと思います。本当に。

人類に普遍的な考え方なので、他の職種とも共有がしやすいのも利点です。

ぜひ、明日から使ってみてください。

まとめ

PDCAサイクルは、よりよさを追求するためのフレームワーク

成長のための強力なツールなので、作業療法士は使いこなしたい。

「いいな!」と思ったら、シェアをお願い致します。

目の前の作業療法対象者の方のために「きちんと頑張る」のに必要な動き方

仕事始めだった新入社員の皆さんお疲れ様でした。

また、新入社員を迎える側の作業療法士の皆さんもお疲れ様でした。

いろいろあると思いますが、それぞれ頑張ってください。

で、どう頑張ったらいいんでしょうね?

新人の皆様が明後日の努力をしてしんどい思いをすることでやめるのは、やっぱり困るので、5年OTとしていろんな場所で臨床さしてもらっての経験も踏まえての頑張り方を書いてみるので参考にして頂ければ。

ちなみに、時間のある時にでも、10000字オーバーの昨日の記事もよかったら読んでやっていただければ合わせてわかり良いかも。

【新卒の方】本当に必要なことは、まだ実現されていない【新しい環境で働く方】

なんのために頑張るの?

作業療法士として仕事を始めたばかりの時は、色々と覚えることがあって大変だと思いますが、最短で成長するためには一つ大事なマインドがあります。

なんのために頑張るかということです。

「給料のため」というのも仕事を継続するという意味では悪くは無いんですが、多くの人はお金のために頑張るとその日その日を終わらせることに頭を使うようになってしまうので、なかなか成長に繋がらないのです。

だから、成長したければお金以外の動機付けの元で頑張るのが良いです。

例えばですが、私が頑張るのはなんのためかと言いますと、もちろん対象者の方のためです。

より具体的には、自分の目の前に対象者の方がいて、その方が最大限に良い方向に変化できるようなお手伝いができるように頑張るということです。

最終的に、変化を決定づけるのは作業療法の対象者の方の意思決定によるものであって、作業療法士にできるのは所詮その後押し程度でしかありません。

しかし、その後押しを適切なタイミングで、適切な量だけ行うのが作業療法士としての腕の見せ所だと思っています。

適切な質・量での支援ができるように、日々の仕事やら研修会を頑張っているというのが、私の頑張り方の方向性です。

とまあ、こんな感じで、なんでもいいので、お金以外の動機付けで頑張れるようになりましょう。そうすると成長しやすいです。

先ほども述べましたが、お金を動機付けにすると、成長をポイントにして考えると、よろしく無いです。というのも、往往にして作業療法士は責任と仕事量のわりにお給料に恵まれない状況も多々ありますので、そういう現実を突きつけられる前に、きちんと自分が頑張れる拠り所のようなもの、すなわち方向性を設定するのがよかろうと個人的には思います。

そうすれば、お金の方があとでついてくるのではないでしょうか。一緒に責任もついて来ますが、それはまあ、別のお話ということでご容赦ください。

頑張るってでもどうすれば

で、個人的な意見ですけれども、

「頑張れ!」

という応援ですけど、

具体性に欠けるんですよね。

相手がすでに動き始めていて、出発もゴールも明確で、そこに至るまでの方法論も明らかであとは量的になんとかすればいい時に使う「頑張れ」はありでしょう。

しかし、「良い作業療法士になれるよう頑張ってください」というのはナンセンスです。そう思いませんか?

昔の日本人にはそれで良かったのだと思いますが、現代っ子にその手の投げかけは全く意味をなさない。そういうことが多いです。なぜなら、具体化できないからです。そういうプロセスを経ないままに大人になる人が、割合的に増えて来ているのは、これはもう世の中の構造的に仕方がないと思います。

新人を受け入れる側が、変わる必要のあるところだと思ってます。

要するに、頑張れというなら、より具体的に頑張り方を提示する必要があるのだろうと思います。その理由はここには書きませんが、社会的な背景とか諸々考えるとどうしてもそうせざるを得ないし、そうするべきと確信しています。

さて、ようやく本題ですが、作業療法士として頑張るというのはどうしたらいいでしょうか。

もちろん、成長する方向で頑張っていただきたいと思うのですが、どう成長したらばいいのでしょうか?

 

その成長のために起こすべき具体的なアクションはなんでしょうか。

これを読んでるみなさんはきっとそれを知りたいと思うはずです。

割と教えてくれる先輩とそうで無い人に分かれるのですが、自分は教える派です。さっさと成長してもらった方が、対象者の方の生活の質が向上する可能性が高まるからです。

自分が苦労したからと言って、後輩にも苦労させるやり方は、先ほどもちょと触れましたが、もはや時代にあいません。時代遅れです。時代が変わろうとも人間は変わらないという考え方もありますが、環境が変われば人間の行動は変わります。もちろん思考も影響を受けます。

インスタントに身につけたからと言って、必ずしも使いこなせない訳では無いと思っているので、ズバリ書いてしまいます。

「質問力」を高めよう

何を頑張ったらいいのかわからない、新人の作業療法士が頑張るべきは、

「質問力」を身につけること、磨くこと。

です。

質問力、要するに、人に何かを尋ねる能力ですね。

やりたいことも特になくて、何を頑張ったらいいのかに迷っているとしたら、まずこれを頑張って身につけてほしいと思います。

質問力を構成するのは以下のような能力です。

1)疑問を感じ

2)それを言語化し

3)投げかける

これらは、作業療法士としての成長に広がりはもちろん深みをもたらします。

疑問を感じる

好奇心という表現が正しいかどうかはわかりませんが、着目しようとする、注意を向けようとする認知機能を高めると、いいことがいろいろあります。

対象者の方自身が気がついていないようなことに気が付いたり、治療的なとっかかり、きっかけを見つける能力の向上に直結します。

自分自身の興味対象を知っておくことや、観察能力などを伸ばしたり、知識の量を増やしたりすることで、感じることのできる疑問の数は増えます。

これって、要するに質問をたくさんすればするほど、感じる疑問の数も質も深まるということですから、この好循環を生み出すためにもまずは質問いろいろしようとすることが大事だとピンと来たあなたは、実にセンスありますね。

言語化する

なんとなく感じたものを、きちんと言葉にして表現するだけでなく、論理的に整理する能力まで含めての言語化ですね。

要するに、時間をかけて読んだり、聞いたりすれば世の中の人間誰もが、その意味を理解できるようなレベルでの言語化ができるかどうか、という能力です。

自分の違和感を言葉にして表現することで、自分の感覚を当たり前のものとすることなく、客観視することができます。

また、他の事象と結びつけて、比較したりすることが容易になります。

記憶したり、思い出したりする能力にも関連します。記録をとる能力にもつながります。そもそも、評価レポート作ったりとか、ケーススタディしたりとかする時のスピードに最も関わるのはこの辺かもしれません。

いかに直感的感性を論理的思考レベルに落とし込むか、そういう能力としての言語化は、自分自身を含む様々な時間の、様々な人と思考を共有するために欠かすことのできない能力であると言えるでしょう。

投げかける

尋ねる対象となるのは、

主に2つのグループに分けられると考えます。

つまり、

・同僚や先輩、他職種

・作業療法対象者(患者、施設利用者、その家族)

でしょう。

後者は臨床能力に直結しますし、前者は広い意味での仕事のしやすさに直結します。

身につける必要がある能力としては、適正な距離感と言葉遣い含めた言動、相手への配慮などが必要ですし、相手に合わせた言語的な表現ができるかどうかに現れることでしょう。

コラム 対象者ファースト

都民ファーストをもじって、対象者ファーストと言ったら意味は伝わりますでしょうか。

先ほどの質問力と聞いて、職場の先輩を思い浮かべた人は、対象者の人を「無意識に」ないがしろににしないように気をつけてください。配慮をしているつもりでも「無意識に」その配慮が途切れるかもしれません。

そんなつもりがないのに、そんなつもりで相手が受け取ってしまって、関係性にヒビが入ることがあるのが作業療法士の仕事であり、その関係性が作業療法の場面に大きく影響するのが作業療法士の仕事です。

情けは人のためならず、と言いますが、「対象者ファーストは対象者のためならず」と言ったら変ですかね。変ですね。兎にも角にも、対象者の方のことを一番に考えてたら副作用的に自分にちゃんと結果として帰って来ますので、対象者ファーストで頑張ってください。なんらかの結果になって帰ってくるはずです。

個人的な例ですが、例えば、そういう姿勢である対象者の方の作業療法に臨んでいたらば、それを他の対象者の方が見ていてうんぬんかんぬんとかありました。

この辺は自分本位な臨床やってたら、いずれ行き詰まることになるんだろうなーというポイントだと思います。

なぜ質問力か

上記の内容を読んでいただければ、わかるように、ここで想定する成長とは、そう広がりのことですよね。

質問力が高ければ、いくらでも自分自身の世界を、効率よく広げていくことができます。同時に、リアルな人と人との繋がり、ネットワークを作成する上でも一役買います。相手に何かを尋ねるということは、その人との関係性を規定する意味性のあるやり取りの中でも重要なものの一つだからです。

インターネット全盛の時代だからこそ、身につけるべき大切な能力を効率よく習得できるのが質問をする力を身につけるということだと思っています。

 

この質問力を高める方向で、具体的にいろいろ頑張れば良いと思います。

これくらい具体的に書いとけば、何を頑張るべきか、あとは個々人で落とし込めるはずと確信しているので、この辺で筆を置くことにします。

いろいろ頑張るが具体的にイメージできなければ、「どう頑張ったらいいですか」と質問しましょう。それが具体的行動の第一歩であると確信します。

それを繰り返しているうちに、目の前の対象者の方のために何を頑張ったらいいのかが改めて自ずから見えてくると思います。

まとめ

頑張り方は書いたので

頑張るかどうかはあなた次第

頑張れ

「いいな!」と思ったら、シェアをお願い致します。

【新卒の方】本当に必要なことは、まだ実現されていない【新しい環境で働く方】

四月になりましたね。

新卒の皆さん、国試の結果も出ていよいよ、ご就職といった段階ですが、今のご心境はいかがでしょうか?

ワクワク?ドキドキ?平常心?

ドキドキしている方に向けて、そのドキドキが少し和らぐような記事を書いてみたいと思います。

詳細は、タイトル通りです。新入社員の時に「自分から動け」と言われますので、そんなこんなの意味も込めての内容になっております。

とりあえずは、ドキドキ緩和の内容から入って、最後にタイトルの内容で締める構成で書いていきますね。

なかなか更新できなくて

ごめんなさい。

まずは、謝罪でございます。

 

本業が忙しすぎて更新に手が回りませんでした。

最近自分が今やっている仕事は、他の誰かに任せることはできないかを考えるようになっています。それは、協力して何かをすると、自分一人が死ぬほど頑張って得られる生産性を簡単に超えてしまうからです。

どれだけ、自分がたくさんの仕事をこなせるようになったとしても、それが真理です。

だから、たいていの仕事は、自分が実行せずとも流れの中でみんなでできるようにして、マンパワー的なリスクテイクを測るのです、最近。

 

どれだけハイパフォーマンスなことを狙ってできるようになったとしても、持続性がない仕事は、それは果たして本当に作業療法の対象者の方の為になることなのかという視点で仕事をするようにしてるのです。

が、しかし、今回は、その仕組みづくりをするために、かなりの時間と労力が必要になり、「僕が私が、俺が、わしが、わたくしがやらなきゃ誰がやる」

的な案件だったので、ひたすら忙しい中に無理やり時間を作って全力で片付けた結果更新ができませんでした。

ごめんなさい。

どんな仕事だったのかは、また機会を別にして書きたいと思います。

以下よりが、本題になります。

ドキドキの正体は「未知」

新しいことを始める時に、人はドキドキするのですよね。

歩き慣れた通学通勤路を歩いて、ドキドキする人は少数派でしょう。

むしろ、そんな日常にドキドキできるとしたら、それはもう立派な才能であると言えるでしょう。

 

さて、人は見知らぬもの「未知」に触れると、ドキドキします。

新卒や、転職をする皆さんは、見知らぬ場所で働くことになるのですから、ドキドキするのが当たり前です。

ドキドキするのは悪いことではありませんし、適度な緊張感は物事を能率的に進めたり、新しいことへの記憶を強めるという観点で非常に有用です。

 

また、「未知」であるということは、まっさらで真っ白ということなんで、変な先入観なく、物事を始められるという意味でも、いいことでしょう。

 

ただ、必要以上にドキドキするのは、頭が真っ白になったりとか、能率が落ちたりとかってことにもつながるので、あんまりよろしくないですよね。

ですから、適度にドキドキするために、無駄なドキドキを削れるような情報を書いていきます。

知ることができること

これから働く場所がどんなところなのかなんて、働いたこともないのにわかるわけがありません。

つまり、そこのドキドキは減らすことができないということです。

じゃあ、ドキドキの総量を減らしたいから、どうするかというと、他のところをきちんと知っておくことで他のところのドキドキの原因を取り除きましょう、そういうことですね。

で、そういう目線で考えた時に、

まずは、作業療法士、新しい職場で何をするべきか?

何が仕事捗らせるかということ

そして

作業療法士として必要なマインド

知っておくと、特に働き始めてから余計なことでドキドキしなくてすむのだと思いますから、そういうことを書いていきます。

まず礼儀

礼儀が大切です。

「何を当たり前のことを」

と思われた方は、読み飛ばして次の項目へ。

また、

「人として大切なことだから」

という説明で頷ける人も読み飛ばしてください。

それで納得できないある意味で素直な人向けに、実利的側面を書いていきます。

礼儀の効用

礼儀には大雑把には以下の2つの効用があると考えられます。

1つは、余計な心理的労力・コストの削減

2つは、年長者の方の覚えめでたくなること

一つずつ見ていくと

前者は、同じことをやっても違う受け取られ方をするということがあるということです。

どういうことでしょうか?これは、人間心理としては永遠のテーマともいうべきものだと思います。

例えば、ある人がテストで満点とったとき。

それが、賞賛の対象になるか、妬みそねみの対象になるかは、個々人で見ると気には人とひとの相性もありますが、全体として見た時にはその人のキャラクターが最も大きく影響します。

どれだけ素晴らしいことをしても、攻撃をしてくる人がたくさんいたとしたらどうでしょう。

多分、仕事が面白くなく感じる人が多いでしょう。

あの人がやるんだったら協力してもいいよ。

という、この手の人間の動きが作り出せるようになると得ですし、逆に「アイツ気にくわないわ」と思われたら、どれだけ素晴らしい提案も却下されやすくなります。

あ、そもそもそんな雰囲気の職場ってどうなの?という話もあろうかと思いますが、多くの場合はそういう雰囲気の職場です。多くの集団は、合理性より感性で動きます。その方が、直感的で早いからです。まあ、集団を統括するリーダーが存在するかどうかの要素も大きいですが。

この話は後者につながります。

後者の年長者の覚えがめでたいかどうかというのは、お給料に直結します。

同じ仕事をしても、違う給料になります。

仕事も重要なところに割り当てられやすくなります。

これは、なんでかというと、礼儀を実践できることはそれ単体で、各種の能力の高さを表明することになるからです。

対人経験の有無

その場を把握する能力

文脈に沿った言動を判定する力

その言動を表現する力

上記の過程をマネジメントする能力

礼儀というのは、突き詰めるとベースにそれなりの能力がないとうまくできません。

要するに、礼儀がちゃんとしているかどうかは、組織の管理者に自分の能力をアピールする貴重な機会ということですね。

という説明をしておけば、実利思考な方も納得できますか?

どうでしょうか?

やはり、自分が人を動かす時の武器にできるというポイントはでかいです。自分に急に責任が降ってきて、その時からいきなり、礼儀を徹底しようとしても、一貫しないから説得力がないので、なかなか人を動かすには至らないでしょう。

 

コラム 礼儀のいらない人

例えば、圧倒的な実力があれば、礼儀がなくても許されることがあります。

許されるというか、成立してしまうということですね。

絶対に真似をしないようにしましょう。

 

あるいは、圧倒的な実力を身につけましょう。その際は、すべて自己責任です。逃げ場を絶ってガンバてください。

礼儀って何すれば

じゃあ、礼儀って大事なんだとして、何を身につけておけばいいのかという話になりますよね。

だからといって、細かい礼儀作法を気にすることは、その組織に独特な風習的なものがあるので、事前に気にすることはあんまり意味がありません。

ですから、根幹となる礼儀を身につけておけば問題ありません。

礼儀の根幹

では礼儀の根幹とは何かということなのですが、このように考えることができると思います。

まず、相手を尊重すること、一人の人間として扱うこと。

そして、自分自身を大切にすること

前者は当たり前なことですが、日常に忙殺されると忘れがちです。また、相手から尊重されないと、自分も尊重しないようにしようという思考になっていってマイナスなスパイラルに陥ることになります。作業療法の対象者の方には、人間不信な方もおられますから、これはとても大切なことです。まずは、自分から相手を尊重するメッセージを発信することです。

で、意外とできてないのが、後者ですね。矢印が外向きばかりだとバランスが悪く、継続性に欠けます。自分を大切にすると、土台ができます。土台があって初めて、相手を大切にすることを継続できるようになります。要するに、自分の言動や心理にきちんと関心を向けるということですね。

ここさえ押さえておけば、あとは礼儀に関するどんな枝葉を学んでも、惑わずに邁進できると思います。

押さえておくべき礼儀のエダハ

じゃあ、なんの礼儀の具体的なところも知らなくてもいいかというと、ちょっとこれは知っといた方がいいよな、というものは確かにあります。

礼儀のエダハのうちで、個人的に知っときゃよかったというものを、独断と偏見で書いていきたいと思います。

顔と名前をすぐに覚え、とにかく挨拶

実は、

「あれ、誰だっけか」

と思うことが多い私です。

さて、そういう人にとって顔と名前を覚えることは非常に大変です。

でもですね、人との繋がりの一番大事なところですよね。

この「つながり」を大切にしようとする姿勢こそが、礼儀の根幹に率直につながるところです。

 

表現が難しいですが、赤の他人から、見知った人になる時のタイミングとか、スピード感が大事ってことですね。

相手に認知されると同時に、自分もどれだけ相手をしっかりと認知できるかというそういう当たり前のところです。

挨拶

先ほどの、つながりをうまく構築するための方法として有用なのが挨拶です。

互いの関係性を端的に表現することができるワザですね。

だから挨拶が大事だと言われるわけですね。

それを知っておくのと、そうでないのとの間には大きな差があると思います。

ドレスコード

服装を見ると、その人のことがわかるつもりになるのが人間です。

実際に、人間は自分が思っている以上に、無意識下で他者を外見や見た目で判断しています。

服装は、その人のキャラクターを表現するものとしてみなされますし、そのツールとして実際に有用です。

制服があるなら制服を。

制服がなければ、無難な服装はどのようなものであるかを、年長者に確認しましょう。

そのうち雰囲気がつかめてきたら、自分の色を出していけばいいのですから。

わからないことをわからないという

ここは徹底した方がいいと思います。

わからないことを、わからないとすぐに言えることが社会人として一番重要なポイントだと思います。

わからないと言えることは、責任範囲を明確にする能力に関わるからです。

いわゆる、謙虚さと言われるところだと思います。

謙虚であることは、いうまでもなく礼儀の一つの技術であると思います。

そのためには、「わからないこと」がなんなのかをわからないといけないのですが、それはまた別のお話としたいと思います。

文書のマナー

組織内というより、組織外に向けての見え方が違ってくるので、大事です。

最近は手軽に他施設とメールでやり取りをすることも増えているので、一応のルールを知っておくのは大切です。

署名をつけるとか、文体とか。色々ですね。

世の中は変わっていきますが、残るものもあります。

しかし、文章系のしきたりは、なんとなくで、今後も残るのではないかと思います。ビジネスなどの契約書やカルテなどの書類も記録として残すものですが、全部文書ですよね。だから、多分、ちゃんと勉強しといて損はありません。

その他の大人のマナー

あとは細かいところです。

気にするのはやめてしまいましょう。

電話対応とか。飲み会のマナーとかまで、言い始めたらキリがいないので、このぐらいで。

閑話休題

さて、これまでは話の枕、前置きです。

以下からが個人的には本題でして、作業療法士として働く上で、大切にしておくと心理的コスト、ストレスが少なくてすむかなという、マインドな話について書いていきます。

作業療法士という仕事

作業療法士という仕事について今一度確認をいたしましょう。

就職する前に、どんな職場かを知ることはできませんが、作業療法士がどんな仕事であるかを確認しておくことはできます。

一つずつ見ていきましょう。

まずは専門性について。

専門性とは何か

作業療法士はリハビリテーションの専門職、です。

で、「専門」とはどういう意味でしょう?

辞書的な意味は

「一つの事柄について、集中的に取り組むこと」

という意味です。

では専門職はというと、どうでしょうか?

「一つの事柄について、集中的に取り組む仕事」

となりますが、よくよく考えると変?ではないですか?

大抵のお仕事は、分業化されていますから。事務は事務職、一つの事柄について集中的に携わることになるはずだからです。それを専門職ということは少ないですよね。

専門職というのは、プラスアルファでもう少し要素がありそうですね。

では、どういう仕事が、結局専門職と言って良いかというと、これはもう私の個人的な感覚なんですが

「世の中の大多数の人ができないことに特化しており、それが実現できる人」

「それゆえに頼りにされる人」

ではないでしょうか?

それが専門職であると思います。

誰でもできることに特化していても、人はそれを専門職とは認識しないということです。

ありふれた成果しか出していない職種は、世の中から専門職として認識されないということです。

厳しい。世の中は実に厳しい。

作業療法と専門性

では、作業療法士は専門職でしょうか?

そうですね。作業療法の専門職です。というか、そうであらねばならないということです。

つまり、作業療法士は専門職ですから、まあ、そういうことです。

普通の人は出せない結果を出さないといけないのです。

さもなければ、専門職としては認知してもらえません。

作業療法の技法を用いて、結果を出さなければ、専門職たる作業療法士ではないということです。

ここに、新米作業療法士の構造的なツラさがあります。

最初から結果が出せるわけではないからです。

極端に言えば下記の通り。

新卒者は「専門職」ではない

専門職とは、世間一般の大勢の人が出せない結果を出すことができるような、特定の領域に特化して従事する人ということと、この記事では考えていきましょう。

すると、上記の意味において、新卒者の多くは専門職足り得ないでしょう。

なぜなら、専門職たる結果が出せないからです。

まず、頼りにされることが少ないでしょう。

学生時代にめちゃくちゃ勉強して、頭の中にパスやらプロトコールやら、エビデンスやらが山ほど詰まっている人でさえ、まず新卒者は教わるばかりで、アウトプットの機会を得る方が大変です。もちろん、成長スピードは天地の差があるでしょうが、とりあえずは結果を出すには至らないし、それが当たり前です。

つまり専門職ではない人間がどうやったら専門職足りえるようになるかを考えたら良いわけです。

そうですね、結果を出せるようになったらいいわけです。

そのために、どうしたらいいかを考えるようにしたら、とりあえずうまく働き始めることができるようになると思います。それでいいと思います。

作業療法士が用いる一見ありふれた介入手段

あと、作業療法士として専門職であるということを結果として示すのはやらないといけないことなんですけども、その過程で専門性を発揮するのは特に新人のうちには、なかなか難しいことだったりします。

もちろんちゃんと評価ができる人は別ですよ。しかし、そこの評価が甘いとどういうことが起きるか。ただ活動を提供しているだけというふうにしか周りからは見えないのです。

どういうことかと言いますと、作業療法士の具体的な介入場面を切り取ると、ともすると、アクティビティとして用いるものが、世の中にできる人がいっぱいいる活動がほとんどですよね?

例えば、よく使うアクティビティといたしましては

編み物、縫い物、ビーズ細工、折り紙、塗り絵、ちぎり絵、貼り絵、料理、掃除、買い物、洗濯、歩行

などなどありますが、世間一般にそれができることが当たり前と考えている人がどれだけたくさんいるか。

あるいは、最近だと、認知機能の障害を訓練する目的で、テレビゲームなんかも治療の手段として使ったりしますけれども、ひょっとしたら

「それのどこが作業療法やねん」

というツッコミが来るかもしれません。

ちゃんと作業療法して結果も出てるんですが、ぱっと見た目で過程だけを切り抜かれるとそうなります。

まあ、きちんとその点について説明ができない作業療法士の側に責任があるのですけれどね。

むしろ、作業療法においては、ありふれた活動こそ優れています。

生活に寄り添うんだから、特殊なことしたって生活に繋がらなければリハビリテーションとしては意味をなさないのです。病院でしかできないような特殊な訓練をやったところで、対象者の方が家に帰ってできなかったとしたら、どうでしょう。回復著しい急性期ならまだしも、維持期とかだとほとんど意味の無いものになってしまいます。

が、見た目のインパクトがすごい方が専門職としてみなされやすいのは、先ほどの見た目の話にもつながるところかもしれません。そういう見た目を重視するあまり意味の無いことをすることが一般化している職場もあるでしょう。

そこを見抜く目を持っていただきたいと思います。

私たちは、対象者の方からお金と人生の貴重な時間を頂いて仕事をするようになるわけですから。

まあ、とにかくそのくらい、作業療法は「専門職」として働くことが実はとても難しい仕事です。

だいたい新米の作業療法士の大半はこの手の悩みを持ってます。

だから、作業療法を仕事にする作業療法士が難しい仕事あることに自覚的であって頂きたいなと思います。

なぜか。

作業療法に行き詰まる作業療法士は多い

作業療法は一見単純

でも実際には難しい。

その難しさをわかってもらうのも難しい。

そういう難しさもある。

本業以外も大変。

組織の中で作業療法士としての専門性をきちんと運用するのも大変。

もうとりあえず大変だと思っておきましょう。

そうすれば、大変なのは自分に能力がないからだ、なんて思わなくて済みます。

どうせ、作業療法士をしていると誰しも必ず仕事に行き詰まります。

そこで大切なことは、すぐに次の手を打ったり別の方向から考えたりという切り替えができるかどうかということになると思います。

でもそれができない人がいます。それができないのはなぜかというと、きっと、作業療法が難しいという自覚がないからだと思います。自分に能力が足りないからできないのだと立ち止まってしまうからだと思います。

行き詰まるのは自分だけでは無いし、行き詰って当たり前の仕事をしているんだと思って前向きに頑張りましょう。そうでなければ、不必要にモチベーションが低下したり、無用な無力感に苛まれることになるでしょうから。

あと、さっき見抜けるようになってくださいねと書きましたが、年数的に見たときに「中堅」に当たる作業療法士であっても、どうにも「専門職」足り得ない人たちは、実はたくさんいます。非常に残念なことですが。

ですから、自分が中堅になった時にそうならないように、経験年数の浅い新人、まして新卒者においては、「専門職」で居られないことがむしろ普通と自覚してどんどん色々なことに挑戦してほしいと思います。

そして、難しいということを認識して、その先の問題解決を形にできることが作業療法士に求められる専門性であると思います。

つまり、作業療法士の仕事はその本質はかなりクリエイティブな能力が必要な仕事ということです。

モラトリアムの重要性

モラトリアムには色々な解釈がありますが、この場合は

無責任かつ自由な状態

と考えてください。

良い作業療法士が育つためにはそれが必要です。

良い作業療法の本質は問題解決です。

新たな問題解決を行うためには、そこに余裕が必要になります。

また、問題解決は習慣のなせる業でもあります。

つまり、作業療法士として、生涯にわたって良い仕事をするためには、新卒の時にどれだけ、ありもしない設問を自分で作り出すことができるか、にかかっているということであり、そのための余裕がどの程度その職場で確保できるかということが大切になるということです。

きちんと礼儀正しく、管理者つまり自分の職場の上司と責任をシェアしましょう。それで、なるべくモラトリアムな状況を作り出せるように頑張りましょう。

これがまず、やるべき挑戦かなと思います。

本当に必要なことは、まだ誰も実現できていない

こっからが一番書きたかったことです。

作業療法は、本当にまだまだ発展途上の業界であると感じます。作業療法の一番面白いところは、その不確実性の中から価値のある仕事を作り上げる点にあります。

そして専門性は、資本主義社会の中にいかに低コストで、高い生産性を発揮するかという点と、心理的な支援がどれだけできるかという相反する二つを両立させることにあります。

つまりこれは、いわゆる矛盾だったり、「不可能」を現実にする仕事です。

時間も金もマンパワーも有限な中で、どれだけ立ち直りや社会的復権を支援できるかと、そういう仕事です。

そして、そこに正解はありませんし、これまでのどの試みも全ての問題を解決するものではありません。

これまでやってきたことを、なぞっていたのでは解決できない課題が山のようにあります。つまり、そうした問題を解決していくためにはこれまでのうまくいかなさを踏まえて新しいアプローチをどんどん開発していく必要があるということです。

また、世の中と人を結ぶのも作業療法士の重要な仕事の一つであります。

ですので、世の中の変化に合わせて作業療法士の働き方や考え方アウトプット方法などは常に変化しなければならないということです。

だから、これから作業療法士として新しい職場で働くことになる皆さんには、ぜひ、新しいなにかに挑戦して行くことを大切にしてもらいたいと思います。

もちろんこれまでの蓄積を学ぶことは、何ができて何ができないのか知るために非常に重要です。ポイントになるのは、単なる学びの範疇で終わるのではなく、その先を念頭に置いて、仕事をしてもらいたいということです。

対象者や、職場の他の人が求めるよりも、良い結果を生み出せる方法論は、今の常識の外側にあります。だから、それが周囲の人から奇異に見えてもやり抜く必要性を確信できたならそれを実行しなければならないということです。

もちろん、非常に難しいと思います。

そして、その能力があったとして、それに見合うだけの正当な評価、対価がもらえるわけでもありません。

ですが、これからの世の中の移り変わりなどを見据えた時には、そういう働き方が自身も対象者も幸せにできる働き方なのだろうと思います。

作業療法士の仕事は『仕方ない』をいかにしてやっつけて、対象者の生活を豊かにすること、その主体性をサポートできるかということですから、その本当に必要な部分を実現するために、いろいろ頑張ったらいいんじゃないかと思います。

そうしたら、たくさんの物事に触れて、いろんなことを学んだとしても、大切なものは見失わないで、仕事頑張れるんじゃないでしょうか。

クリエイティブであるためには

じゃあ、今実現できてきないことを実現する能力が必要で、世の中的にはそれをクリエイティブであるかどうかなんて言ったりしますけれども、さてクリエイティブになるにはどうしたらいいでしょうか。

クリエイティビティに最も関わる要素というのは、割とセンサーとかマインドな気がしています。

シンプルに表現すると

まずは、自分がどんなことをしたいのか

そのためには何がわかっていないのか

やりたいことをやるためには、どんな自分でいなければいけないのか

などなどを知っておくといいと思います。

とりあえず3年頑張れ

先ほど述べたように、新人を育てるには、モラトリアムが必要不可欠です。

逆に言えば、ちゃんと育つためには、ある一定の期間が必要ということです。

最も、合う合わないがありますから、ちょっと頑張って見てダメそうなら切りましょう。

そのちょっとの期間がやっぱり3年という期間になろうかと思います。

その後のことを考えると都合がいいですし、どんな職場でもきちんとリミットを設定していればそれなりに頑張れるものです。まあ正直半年でも厳しい職場というものは存在するらしいので、その時は、きちんとした手続きを踏んで、その職場をササと辞めてしまうのも一つ手ではあります。

というのも、ダメな職場は本当にダメですから、必要以上に思い悩む前に辞めてしまうことで、あなたが作業療法士やめなくて済みます。そっちのが大切ですから、頑張りすぎない程度に頑張ってください。

作業療法士を必要とする職場は本当にたくさんありますから、たまたま一つの職場にうんざりしたからと言って作業療法士そのものを引退するのも残念な話なので、まあ、いろいろ書いてきましたけど、参考になったら嬉しいです。

未来の作業療法はあなたたちが作っていくことになるんです。

できることを一つずつやって頑張りましょう。

まとめ

新しい場所で頑張ってください

ご就職おめでとうございます。

「いいな!」と思ったら、シェアをお願い致します。

社会と作業療法と効率化を妨げるものの話

作業療法を必要とする人に作業療法を届け続けるために作業療法に必要なのは、イノベーションだと思っています。つまり、作業療法士がどの程度、何かを変えることに対して積極的になれるかどうかということです。

安定と変化のバランスが大切ですが、医療全体を見ていると安定にしがみつこうとしている嫌いがあり、作業療法士はそこでどのように振る舞うかが問われているようです。

作業療法と社会全体をぼんやりと眺めて、この記事を書いていきます。

林先生の授業の数学のはなし

東進の林先生のテレビ番組にて、「算数の入れ替えの問題」の問題について取り上げていました。

この問題は、twitterで探せば類似のものがたくさん出てきます。例えば、以下のようなものです。

で、交換法則を認めず、これが間違いになるのは、どうなのかという話は、以前世間一般で議論になりました。

これについて、いろいろな意見があると思います。

今読んでおられるあなたはどのように感じますか?

「学校の先生に習った通りに回答していないのだから減点すべき」

と感じるか、はたまた

「算数の先の数学においては、交換法則習うんだからさあ、バカみたい」

と思うかは、その人がどこに重きを置いて考えるかによると思います。

 

前者は、「悪法も法」つまり、暗黙のルールでも守らなければならないし、それが秩序であるという考えかたと言えるでしょう。

後者は、合理主義というか、論理的に正しければ、良いのではという考え方であると言えるでしょう。

要するに見ている世界も違うし、その背景にある物差しもおそらく違うのだと思います。

 

ちなみにこの番組では、世界的な数学の権威の意見を参考として、

「きちんと問題文で条件を提示していないのであれば、不正解とする合理的理由はない」

「ガウスという天才がいたが、彼は交換法則を見出して1〜100までの合計を瞬時に見抜いて見せたが、そこで交換法則を否定するような教師に指導されていたら彼の数学者としての人生はなかったかもしれない」

という方向で意見集約されていました。

上記の話は、「合理性」というものを考える上で非常に示唆に富んでいます。

合理性とは方法論の改善

アルゴリズムという言葉を聞いたことがあるでしょうか?

主にITの世界で使われる言葉かもしれませんが、「方法論」と言い換えても良いかもしれません。ようするにやり方、方法です。

同じ結果を得るために、様々なやり方がある、そのやる方のことをアルゴリズムと言います。

先ほどのガウスの逸話でいえば、

1〜100の合計を計算する方法は、

一から順番に100まで足す

1+2+3+4+5+6+・・・・+99+100

101掛ける50

という方法の2つのアルゴリズムがあります。

お分かりのように、そのどちらを用いるかによって、結果を得るために必要な時間が大きく異なるはずです。

多くの人は足し算の処理を頭の中で100回繰り返すの時間に比べると、一回の掛け算を頑張る方が早く計算の結果を得ることができるでしょう。

 

これは、和の交換法則が成り立つという前提と同じものが複数個あるなら積として扱えるという知識があるがゆえにできる、スムーズな回答なのです。

で、この方法にバツをつける学校の先生がいるということが問題視されているわけです。

「学校で習っていないことをするのはけしからん」ということですね。

しかし、習っていようがいまいが、賢い人は、合理的な考え方をしますし、結果が同じならば、低コストな方を選びます。それが、のちの選択肢の幅を広げる方向に影響すること、つまり自分の人生をより豊かにすることに直結することを理解しているからです。

スムーズなのはずるいか

不思議なことにこうしたスムーズな解法は賞賛されるか、非難されるかという真逆の評価を受けることになるのです。

率直に、スムーズで素晴らしいと褒められる場合もあれば、逆に正攻法ではなくてずるい、手を抜いているという評価を受けることもあるということです。

前者は合理的感性であり、短い時間で多くの成果をあげることは素晴らしいですねという感覚ですね。

後者は、自分が持っている文化的社会的公正さのイメージにそぐわないので、好ましくないと感じるという人間的な感覚でしょう。自分は真面目にやってるのに、少ない労力でズルをしているというそういう感覚です。要するに嫉妬です。

これはもう、どう感じるかという世界の問題です。

その人が、どのように感じてどのように行動するかというのは自由です。

その結果も自業自得です。

結果を引き受けさえすれば、どちらのやり方であっても問題はありません。時間をかけて愚直にやるからこそ見える景色や学びというものも、間違いなく存在するからです。特に、結果が全てではない、過程が大切であるという視点においては間違いなくそうです。

ずるいかずるくないかというのは、議論のポイントがずれています。

本当に問うべきなのは、自分もそうしたいのか、そうでないか、ということです。

合理化を非難する文化に負けないことが大切

だからこそ、大した考えもなく感覚で合理化を否定する文化に安易に迎合するべきではないと考えます。

「エクセルのマクロを使って仕事をしたら、上司に理不尽に叱責された」

というのは、エクセルが仕事に使われるようになって以来の、あるあるネタでもう使い古されてしまって、未だにそんなことあるんだなーというレベルですけれど、作業療法士の世界でも、本質的にそういうところはあるかもしれません。

「時間をかけて、みっちり丁寧にやらないと、そこに愛はない」

みたいな。

でも、結局のところ、作業療法の対象者の方が求めていることに何がマッチするのかという、そういうシンプルな話だと思っています。対象者の方が愛を求めておりそれを充足することが、治療効果を大きくするのであれば、愛を追求するのも悪くないでしょう。

反対に、対象者の方が結果を求めているのなら、別にどれだけの時間がそこに費やされるか、どれだけ作業療法士が時間をかけて関わるかなんて関係ないわけです。

そういう人に対して、作業療法士が不必要なまでに長い時間関わり続けることには、違和感を感じます。

先のエクセルの話でいえば、短い時間で、大きな成果を出しているのに、それを非難するのは、機械化することで自分の仕事が奪われると考える人がいるからですし、単位時間当たりでの仕事量があまりに違うと、自分の仕事の価値が相対的に低下することを知っているからです。

このようなマインドのもと、同調圧力で、意味のない長時間作業療法と称して、対象者への関わりを継続するような関わり方をしているのであれば、それらは改めて行かないといけないと思います。

日本は医療費がただでさえ足りないということになっておりますので、本当に必要な人に必要なだけの資源を届けるという視点においては、ここは非常に重要なポイントです。

「マクロ」は、すべからく全ての作業療法士が使いこなせるようにならなければなりません。全ては、顧客である作業療法の対象者の方の利益を最大化しつつ、組織の利益にもそこそこ貢献することで、作業療法の持続可能性を高めるためです。

ずるいだの何だの言っている余裕はこれからのこの国にはありえないのですが、そこも、視野の違いだと思います。直近のことの方が気になる人もいれば、長期的な先のことを踏まえて今のことを考えるべきだという人もいます。

いわゆる合理的な人は後者であり、のちへの影響を考慮して現在の振る舞いを考えたり、またそれを実行に移したりします。

作業療法士はリハビリテーションの仕事であり、評価し目標を設定し、対象者の方に変化を迫る仕事です。その作業療法士が、自分自身を変えられないのは、作業療法士という存在の信用問題に関わると思っています。作業療法は、もっと合理化できるところはどんどんためらわずに変えていかなればならないでしょう。

ためらいが生じるのは、自分自身の「面倒だ」という気持ちと、その変化を良しとしない人からの反対を想定することによると思います。ですが、本当に価値があることであれば、その価値を理解できない人に関わる労力を使ってもったいことになるよりは、共感を得てくれる味方を増やすべきで、そうなるためには自分自身がどんどん変わっていく必要があります。

作業療法士は他人を変えることが仕事です。自分自身を変えることができないで、何を変えることができるでしょうか。合理化を非難する文化が確かにあることは認めつつも、今後を見据えて必要な変化であればそれを最後まで押し通すべきでしょう。

また、作業療法士の背景がどうとか、そんなことは、対象者の人には関係ない話で、対象者の方が本当に望んでいることはなんなのか、どうしたいのか、どのようにいきたいと願っているのか、本当に大切にするべきはそちらですから、やるべきと考えるなら遠慮なく、端折って合理化を進める利点はあると思います。

組織の秩序は何のため

往々にして合理化を妨げる要因となるのが、所属する組織のルール、つまり秩序です。

組織の秩序というと、雲をつかむみたいな話になりますが、私見としては、どのように人を動かすかということに尽きると思います。

つまり、組織に所属する人が、どのような考えや動機付けのもとで、どのように行動し、それがどのように必要とする成果に結びついているのか。

そういう視点で、人をどのように動かすかということにおいて、重要になるのが組織の秩序ということになると思います。

お分かりのようにこれは、合理主義者の視点であります。

逆に文化的社会的公正さの感覚から見ると、多数の人間がそれなりに折衝してみんなでやっていければそれでいいじゃないという感じになります。能力や生産性や成果に関係なく、組織に長く所属している人がより多くの給料をもらえるという年功序列型の会社組織の秩序も、そこに多くの人が公正さを感じており、納得のもとで働いていたからこそ、あり得た仕組みということになります。

ともあれ、組織の秩序は人を集団に縛り付けるため、もしくは集団に属する人に一定の方向性を与えることで目的の成果を揚げやすくするために存在します。

前者は、家の門限であり、国の戸籍システムなどが該当するでしょう。

後者は、道路交通法であり、国民皆保険制度でありましょう。

このような組織の秩序の働きを、組織のリーダーがうまく知覚し、活用できているかどうかを、作業療法士は敏感に感じ取らなければなりません。

つまり、上記2つのどちらの文脈で、組織の秩序を運用しようとしているのか、を理解しようとしなければならないということです。

合理性に乏しい組織であればあるほどに、「昔からこうだから」という意味もわからぬままに継承した無意味な文化が溢れかえっているはずですので、すぐにわかると思います。

大切なのは、自分が納得してその組織に所属しているのかどうかということになると思います。納得していないのなら、組織の秩序に働きかけるか、その組織から抜けることを考えましょう。

イノベーションに対抗する文化

合理性が文化や人に受け入れられるかどうかは、結局のところ、その社会がどの程度の変化を許容できるのかということにかかっています。

大相撲の話でいえば、横綱かくあれかし、という話です。

白鵬の相撲の取り方は、勝つための合理的な相撲です。相手をどのようにすれば負かすことができるかどうかに特化した相撲の取り口です。

しかし、相撲協会としてはそうした相撲は横綱らしくないから控えるべきであるという話になるそうです。相手の挑戦を受けてどっしりと組み相撲で戦わなければ、横綱の品格に欠けるというのです。

これはつまり、どういうことかというと、今の大相撲には白鵬のような強さを追求する相撲を受け入れるだけの度量、器量がないということです。相撲に勝利するにはという飽くなき探究の姿勢を持って横綱の品格とすることは、できないということです。

あれだけ相撲に対して、真面目に真摯に取り組んでいる力士は他にないと思うので、個人的には十分に横綱の品格を讃えているといって良いのではと思うのですが、相撲協会はそういう考えにはなれないということです。

一体それのどこが問題かというと、新しい価値を認められない組織は、変われない組織になります。変われない組織には、変われない人間が依存しやすいような組織の秩序が出来上がり、風通しが悪くないり、世間一般とのズレが次第に大きくなっていきます。

相撲でいえば、先輩からの暴力は指導であり、うちうちで解決すれば良いだろう、外に話すようなことではない、という話になります。

日本の法律に触れているのであれば、公に裁判までするべき話のはずなのですが、どうも、風通しが一旦悪くなると、組織というのはとことんまで腐りきってしまうようです。

作業療法士の世界も、医療の世界もそうですが、人材の流動性が低い組織においては離職率を下げるための試みが、却ってある世代の退職を促してしまっている、つまり離職率を上げている可能性すらあります。

そういう組織は、昨今の大相撲と一緒です。事故が起きれば隠蔽するし、物言えぬ人にどのような対応をしているかはお察しの通りです。

人材に流動性が乏しく、優秀な人材を外部から迎えたところで、何も変わらないという事態が起こることもしばしばです。また優秀な人材を、すぐに手放してしまうこともあります。

こうした組織において、変化を起こそうとする人間は敵です。

どんなに良い結果をもたらすイノベーションであったとしても、既存の秩序やそれを元にして成り立っている文化にあだなす害のある存在ということになります。

そんなゾンビのような組織は、早いところ絶滅すればいいと思うのですが、文化的社会的公正さの感覚に基づく組織は緩やかに衰退しながら意外と長生きです。もっとも所属している組織の構成員の表情は、どこか覇気に欠けますし、仕事をしていて楽しそうではありません。

そんな組織には存在意義を感じることができないのは私だけでしょうか。

コラム 変化耐性のはなし

自分が変われないから、変わったことをして結果を出す人を攻撃する人がいます。

ひとえに変化に対する耐性が低いからですが、それで他人を攻撃するのはナンセンスです。

なぜなら、変われないものが変われるものに変化しないことを強要するのは、変化することを強要されても文句は言えんと思うのです。

以上です。

組織の合理性追求と障害者就労の矛盾

ここまで書いて、一つ重要なことをまたここで書きます。

組織の構成員を純粋に成果で測るとしましょう。

つまり、成果を出す人間は雇用され続け、成果に乏しい人間はリリースされるというそいう組織が出来上がります。

医療や福祉の世界においては、そのような成果主義を導入することで、顧客である対象者に対して、より良いサービスを提供し、より良い結果を対象者に受け取ってもらうことができるでしょう。

そのためには、徹底して合理性を追求し無駄を省くことが重要です。なぜなら、日本の医療福祉介護の世界にはお金の余裕がないからです。

これを突き詰めると、例えば能力の乏しい作業療法士や成果の出せない作業療法士はお休みをもらうことになり、雇い続けてもらうこともできなくなるでしょう。つまり、成果の出せない人間はいらないというわけです。

一方で、障害者の方の就労においては、何も成果だけを以って就労できるできないを決めるわけではないですし、じゃあ医療介護福祉の分野においてもやっぱり働く側も合理性ばっかりを追求するのもなんか違うんでないのという、そういった感覚とはやはり矛盾するところがあると思います。

また、合理化をすすめたからといって、全ての問題が解決できるというものでもないことを感じさせてくれる矛盾でもあります。

大変でも、作業療法の合理化は必要

なぜなら、持続可能性がピンチだからです。

作業療法は無くても死にません。

資源やリソースが減れば、当然生存に関わることが最優先です。

 

そんな状況の中で、作業療法を必要としている人に、ちゃんと作業療法士が作業療法をリーチするためには、作業療法をもっともっと洗練して、短い期間でより多くのより良い変化をもたらすことができるようにしていくことが必要であり、それはまさに合理化のプロセスそのものであるといえます。

よって、作業療法には合理化が 必要であり、そのためには、作業療法士がまずは自分の頭を柔らかく保つと同時に、新しいものを厭わず、かといって周囲の評判を必要以上に気にせず、矛盾を飲み込めるだけの大きな視点を持って、いろいろな表現を行なっていくことが、これからの作業療法士には必要なのだろうと思います。

感情論と合理性をうまく統合できるか、その矛盾を相克できるかどうかは、作業療法が今後もっと進化していくための鍵になるようです。そのためには、作業療法士がもっと、自分のスキルを増やすことに貪欲であり続けること、そしてそのための正当な対価を組織に要求するだけの図太さを身につけ、組織に対する発言力やら影響力を強化することなどが必要かもしれません。

いずれにせよ、合理化をズルいなんていってる作業療法士はいないと信じたいです。

まとめ

合理的になれるかどうかは、

違うものを同じと見れるかどうか

新しいものを受け入れることができるかどうか

矛盾から、新しい到達点を見いだすことができるかどうか

 

 

「いいな!」と思ったら、シェアをお願い致します。

作業療法の深淵「ひとと集団・場」の新版が出るらしいよという話

みなさん買いましょう。

さて、作業療法におけるパラレルな場を説明するのは難しいですが、体験してもらうのは簡単です。あと、カフェとかバーとパラレルな場って似てると思います。店員とお客さん、作業療法士と治療者。繋がっているようで、個別なことをしている。けれど、なんとも言えない一体感。それが、人に適度な刺激を与え、癒し、変化をもたらす。

作業療法にとって大切な場の概念

「場」という概念はとても治療にとって大事なことだし、その人の生活を支援するというリハビリテーションの視点においても大切なことです。

それゆえ、「場」に対する理解はある程度できている方が良いと思います。

それくらい大切です。

しかしわかりづらいのも事実です。

 

個人的な経験としては、実習前にはあまりピンと来ませんでした。

実際に経験して見て初めてわかった部分も大きかったように思います。

パラレルな場を知るには読むべき本がある

しかし、言語化ができないときちんと把握できないのもまた事実。

そして、やっぱり雰囲気な部分が大きいので説明できないパラレルな場という概念とその真髄。

その概念を確立させた、かの山根寛先生の「ひとと集団・場」の新版が、出たというニュースでございます。

こちらになりますね

まだ発売してないのです。

ので、こちらからは予約するということになります。

私も、注文しようかなと思います。

発売後にまた追記しようと思います

 

「いいな!」と思ったら、シェアをお願い致します。

今更聞けないけど、作業療法士にとって重要な「エビデンスレベル」を理解する記事

エビデンスが大切と言われて久しいですが、エビデンスレベルというものが理解できなくて困っている作業療法士はいませんか?

なんとなく大切そうだなーというレベルから、なんとなくわかったわ、というレベルまで、作業療法士がエビデンスレベルの概念を理解できることを目標にした記事になります。

エビデンスレベルの概念は、臨床においても論文においても非常に重要ですので、なんとなくでも理解しておきましょう

エビデンスレベルがわかることのメリット

作業療法の研究では、臨床を文章に落とし込むというのが一つの大きな流れとしてあると思います。

これらが、症例報告、ケーススタディ、ケースシリーズなどと言われるものです。

こうした症例報告が、きちんとエビデンスとしての影響力を持つようにするにはどうしたらいいかがわかります。

また、論文を読むときに、その論文がどの程度信用できるのかをざっくり理解することができるようになります。

臨床では、確かな根拠を持って介入ができているという自信を強化してくれるものでもあり、きちんと自分の臨床に客観的な根拠を与えてくれるものであるといえます。

また、研究においては、自分の主張を強化するには、どうしたらいいかということがわかるようになりますので、論理的な思考力が身について、研究における無駄が減るはずです。

具体的なエビデンスレベルについて

以前、作業療法とエビデンスという記事を書きましたので、そちらで確認していただければと存じます。

作業療法(OT)とエビデンス

見ていただくと、専門用語のオンパレードであり、初見では何が何やらわからないことがわかると思います。

専門用語の意味

まずは、エビデンスレベルの説明に登場する専門用語について、一つずつ注目していきます。というか、統計で出てくる言葉なので、ちゃんと説明しようとすると統計に対する理解が必要なはずなので、ここでもざっくりとした説明で勘弁していただければと思います。

専門家の意見

専門家の、長年の経験、個人的な勘、予測を含んでの意見ということになります。漁師さんとか農家さん、伝統工芸の職人さんなどの、「こうしたらこうなるよ」という見解などがこれにあたります。

作業療法でいえば、先輩やら上司やらの発言だったり、講演会の講師の発言だったりするでしょう。

研修会などに積極的に行く作業療法士も多いと思いますので、そのエビデンスはどうなってるのかを確認するのも意義があると思います。

症例報告

何かをする前と後を前後で比較して、「ここがこんな感じで変わりました」という報告が症例報告です。

要するに専門用語でかかれた、ノンフィクションの物語です。

事実を書き溜めるという意義があります。

処置群

作業療法でいうところの介入をする、対象者、または対象者たち、ということになります。

一人ではなく、特定の作業療法を受けた人をひとかたまりとみなしているから、群なのですね。

対照群

処置群に対して、比べるための基準になる人たちの集まりですね。多くの場合は、偽薬だったり、何もしなかったりします。

処置をすることの効果を比較によってあぶり出したいからです。

ケースコントロール研究

作業療法の効果で変わったのか、それとも自然にそのような変化が見られるのか。

それを証明するのは難しいと感じたことがある人は多いと思います。

しかし、それを証明するのがこのケースコントロール研究です。

ある人の集まりの中から、作業療法の特定の介入の影響がどの程度あるのかを分析することができます。具体的には、作業療法の有る無しと、変化の有る無しも分析して、4つの群ができるのです。

バラバラに書いてみると

  1. 作業療法受けた 変化があった
  2. 作業療法受けた 変化なし
  3. 作業療法受けてない 変化があった
  4. 作業療法受けてない 変化がなかった

の4パターンの群ができる

ので、ある変化が介入によるものなのか、相関関係があるのかということをあぶり出したいときに使います。

計算の理解には、多分ベイズ統計の理解が必要なのではしょります。

これは、物事が起こってしまったあとから、ある変化は何が原因だったのかの因果関係をあぶり出すのに使えるので、作業療法の特性上は便利な方法だと思っています。

ランダム割付

無作為化といったほうが、意味が直感的にわかりやすいと思います。

作業療法する人としない人を、恣意的にならないように、偏らないように対照群と処置群にランダムに分けるという作業です。

同じ母集団からランダムに取り出したら、それぞれの集団は条件が似通ったものになるでしょうという統計学マジックです。

コホート研究

ケースコントロール研究は起こってしまった出来事を振り返ってする研究でした。

コホート研究は、起こる前からずーっと追いかける研究です。

つまり、作業療法をする人としない人の群をそれぞれ処置群と対照群として用意して、何らかの変化が起こるまでの一定期間、継続的に追跡調査をする研究ということになります。

また、同じ時間の中で、同時に行うことができるので、その辺りの年代的な条件を揃えることができるのも強みです。

要因対照研究とも呼ばれています。

時間も人手もかかるのでコストがかかるのが問題な手法ですが、わかりやすい研究手法であり、多くの人がしっくりくるのがこの研究手法ではないでしょうか。

過去のコントロール

比較対象ですね。

時間軸を問わないので、昔の比較対象という意味でしょう。

同時コントロール

同じ時間軸の中の、比較対象という意味でしょう。多分。

ランダム化比較試験

デザインされた研究でないと難しいのですが、エビデンスレベルはかなり高い試験方法です。

なぜデザインされた研究でないと難しいかというと、あらかじめ作業療法をする群と作業療法じゃないそれっぽい何かをする群をランダムに割り振りして、研究者と対象者にはどの対象者に作業療法が行われていて、行われていいないのかがわからないようにする工夫が必要になるからです。

これを作業療法の臨床でやるのは、ぶっちゃけ無理です。

効果のない作業療法もどきを対象者にするってのはありえないからです。

さておき、ランダム化比較試験というのはつまり、誰に作業療法がされていて、誰にされていないのかがわからないようにして統計処理にかけるという方法をとることで、分析する側が恣意的にデータを統計処理することを防ぐことを意図した研究方法になります。

とにかく、純粋な因果関係をあぶり出すという話です。

メタアナリシス

ランダム化比較試験をたくさんやればやるほど、信頼性が高まるようにするためのそういう方法です。そういう方法をメタアナリシスと言います。

各種データを俯瞰して、導き出す手法のことをメタアナリシスと言います。

この方法では、ランダム化比較試験では、現れてこないようなエビエンスの誤りを正すことができる力があり、より正確性をきすことができます。

矢とは違って、1本なら折れないけど、三本束ねるとおれることもあるのです。

つまり、複数のランダム化比較試験をまとめて、メタアナリシスすることでより精密にエビデンスを精査し、その真偽をはっきりとさせることができます。

今、エビデンスレベルの最も高い研究・検証の方法ということになります。

何はともあれ「症例報告」からはじめよう

さて、用語を見ながら、エビデンスとはどういうもので、エビデンスレベルの高低はどのようなものかを見てまいりました。

勘違いして欲しくないのは、エビデンスレベルが低いから、参考にするに値しないという話ではありません。また、取り組むのに値しないというものでもありません。

千里の道も一歩からです。

分析をするにも、材料がいるのです。

その材料は、なんでしょうか。

たくさんの症例の報告ということになります。

そうした報告の糸をより合わせて、太い綱にしていくことが必要です。

そう考えると、作業療法のエビデンスのもとになるような、作業療法の論文はまだまだ数が足りないでしょう。

もちろん分野にもよるとは思いますが、症例報告がたくさん集まれば、あとはいろいろな研究をいろいろな作業療法士がしてくれると思います。

エビエンスが出てくれば、きちんと国に働きかけることもできます。

本当に作業療法が必要な人への作業療法の重要性を、誰に対しても明確にすることができます。

まずは、「事実をありのままに書く」という症例報告から作業療法士は、「エビデンス道」の1歩目を踏み出す必要があると思います。

コラム エビデンスレベルの高い論文を読むには

ランダム化比較試験のメタアナリシスかどうかを判別して読めばいいということですね。

もっとも、作業療法の介入に関する論文は、日本語のものはほとんどランダムか比較試験のメタアナリシスに至るものはないでしょう。

ですから、英語で論文検索されることをお勧めします。

世界レベルならちらほら、そういう論文もあります。

まとめ

エビデンスレベルは

統計とランダムと尺度がきっちりするほど

上がる。

となんとなく理解してたら、とりあえずOKです。

 

「いいな!」と思ったら、シェアをお願い致します。

作業療法の論文を、作業療法士は英語で書くべきか?

大相撲の初場所で、白鵬がさすがの勝利を見せて、「ああ、やっぱり強いな」と思った次第です。土俵際でも、落ち着いて冷静に裁くだけの余裕があるなあということで、冷静に対処するってのはやっぱり安心と信頼と実績につながると思いました。

さて、そういう安心と信頼と実績において、作業療法士にとってはその裏付けとなるのが、臨床での安定したアウトプットであり、その実績を論文にして書き留め公表共有することです。

さて、作業療法士が書くこの論文は、英語で書くべきでしょうか?

結論:英語で書くべき

私は、作業療法士は論文を英語で書く方がいいと思います。

実は、この話題について、論文雑誌「作業療法」2017年8月において、巻頭言で日本のOTのパイオニアの一人である清水一先生がご意見を述べておいでです。

ちなみに詳細は各人読んでいただければと思いますが、清水先生は「別に英語じゃなくてもいいじゃない」というご意見です。

ちなみに先生は、英語バリバリできる人です。

経歴みていだければと思いますし、本の翻訳とかもやってますし。

そんな先生が作業療法士は、別に論文発表は日本語でも良いじゃないのって言ってるのに、英語で書くべきと主張するのはかなり勇気がいるのですが、多分大事にしてることは一緒なんだと思うので、思うまま書きます。

作業療法士は、論文を英語で書くべきです。

理由:英語を扱えるメリットがでかいから

英語ができるメリットは、情報を扱う仕事をしている人にとっては、非常に意義が大きいのです。

例えば、英語がわかれば、海外の論文を英語で読めますよね。

英語で論文を読むことができたら、どうだというのでしょうか?

日本語で読めるのとなにが違うでしょうか?

もうお分かりと思いますが、例えば、情報が手にはいるスピードが圧倒的に違います。

具体的には、海外のOTが書いた本の翻訳版が出る前に原書を読むことができます。あるいは、海外のOTが書いたブログを読んで、向こうの動向を日本にいながらにして知ることができます。

量も違います。英語の論文の方がはるかにたくさんの、それもエビデンスレベルの高い論文があります。

メリットはあげればきりがありません

デメリットはありません。

英語で論文書けるようになるためには

英語で論文を書けるようになると、海外の作業療法士に自分の論文を批判してもらえるメリットもあります。

英語で論文を書けるようになるには、いろいろな方法があると思います。

おすすめなのは、英語の論文を読むことから始めることです。

読んでいくと、繰り返し出てくるフレーズやらパラグラフの構造なんかが見えてくるので、それらをパk…参考にさせていただくと書きやすいと、こういうことでございます。

マネから始めるのは、王道であり基本ですね。

とはいえ、最新の論文とかは、結構統計のオンパレードで、英語もさることながら、内容自体が難しいという悲しい現実もあります。正直、簡単な論文と難しい論文の見分けもつかないと思います。

では、論文読めるレベルの英語を身につけるにはどうしたらいいでしょうか?

そのためには、自分が論文を書くことを意識しながら、それに関連するキーワードを検索して翻訳しながら読んでいくのが良いと思います。

つまり、自分が書きたい分野の論文を読んでいくということです。

昔に比べて、いちいち辞書を引くことなく、英文を読むことができる環境が整っている今、英語の勉強をしないのは、もったいないと思います。

要するに、習うより慣れろなところはあると思います。

英語が必要かどうかは人それぞれ

ここまで書いておきながらなんですけれど、英語が必要かどうかは、人それぞれです。

作業療法士が、要するに世界と繋がりたいと感じるかどうかだと思います。

世界レベルの情報を取りにいきたいと考えるのであれば、やはり英語は必須アイテムです。

ですが、作業療法士として、自分の臨床を自分の中の基準でじっくりやっていきたいと考えるのであれば、英語の優先順位はそんなに高くないといえます。

むしろ必要なのは、検証可能性を向上させるための、日本語での論理的な思考能力と、それを何らかの形で人と共有し、チェックを受けることだといえます。

もし、英語が自分にとって必要だと思った作業療法士は、やはり英語でものを書く、読むを習慣化させる必要があると思います。

逆に、いらないと思うなら、いらないと思います。それよりももっと大切にするべきことがあると考えているからだと思います。そして、こういう人に向けてのメッセージが、清水はじめ先生の先の巻頭言ということになるのだと思います。

英語を勉強するためのツール

とはいえ、いきなり論文を読み出すと心がおれる人がほとんどだと思いますので、段階づけにこんな素敵な本がありますので、活用を考えてみてください。

Amazonで買うだったら、今日現在残り一冊らしいのでお早目に。

 

まとめ

作業療法士としての広がりが欲しいなら英語で論文を書いた方が良い。

作業療法を深めたいなら、英語よりも論理的な思考力を大事に。

 

参考

清水先生が英語できる証拠とか

この本の最新版とか

「いいな!」と思ったら、シェアをお願い致します。

作業療法士が当たり前に使う”OT”、実は10以上も”その他の意味”がある

作業療法士をはじめとして、リハビリテーションや医療・介護・保健の分野で「OT」と言えば、Occupational therapy または、Occupational therapist のことですよね?つまり、OTとは作業療法もしくは作業療法士を指す言葉として用いることが多いと思います。

しかし、世界には色々なOTがあるよ、という雑学ネタでもあり、互いが誤解して使わないようにという戒めでもある記事です。作業療法士同士の話題から、ちょっと小ネタまで、幅広く使って見てください。

では、以下に色々なOTという略語を使う言葉たちを紹介して行きます。

オキシトシン

オキシトシン、最近では市民権を得てきているのではないでしょうか?

Oxytocin, OXT の略で OT

ですね。

オキシトシンは、別名「幸せホルモン」、「愛情ホルモン」とも呼ばれる、人の多幸感を引き起こすことで有名な、人の分泌物質ですね。実は、オキシトシンは良好な対人関係が築かれているときに分泌されるとされ、闘争欲や遁走欲、恐怖心を減少させる作用があると報告されています。

視床下部の室傍核と視索上核の神経分泌細胞で合成され、下垂体後葉から分泌されるのですが、この辺は、脳の構造が頭に入ってないとさっぱりわかりませんね。

ちなみに、オキシトシンは、使い方を間違えると結構危ういホルモンでもあります。オキシトシンをヒトに投与する実験では、鼻からの吸引で、金銭取引において相手への信頼感が論理的な根拠なく上昇するという結果が得られたそうです。

幸せホルモンという名前がついていますが、反対に攻撃性を高めたりする効果があることを示唆する報告もあります。

反対に、上記で述べたように、

人間の感情と密接に結びついている作業療法においても、オキシトシンの効能は注目に値すると思います。

コンピュータソフトウエア製造工程における運用試験(Operation Test)の略称

テストのない開発は、デスマーチの始まりです。きっと。

ということで、部分運用とか含めて、使えるかどうか試すやつです。

多分。

OT(オテー)=Ortsteil(オルツタイル)の略

ドイツでの歴史的な街の中の地域の表示、地区。

ドイツ語で地区という意味らしいですね。

イタリア共和国サルデーニャ州オルビア=テンピオ県の県名略記号およびISO 3166-2:IT県名コード

はい、こちらですね。

オルビアは、イタリア共和国のサルデーニャ島北東部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約5万3000人の基礎自治体。オルビア=テンピオ県の県都のひとつ。 中世のガッルーラ国 の首都であった。
ウィキペディア

イタリアいいですね。

行って、昼からピザを食べてワインを飲んで、シメにパスタを食べたい。

 

絶対太るやつですね。

日本オイルターミナル株式会社の略称

JRグループの関連会社のようです。

サイトURL:

http://www.oil-terminal.co.jp

略称はOT。英称のJapan Oil Terminalを素直に略すとJOTであるが、この略称を使っているのは同じく石油製品輸送を広く手がけている日本石油輸送(Japan Oil Transportation)である。

日本オイルターミナル株式会社

資本金8億円ということですし、業界では多分有名です。

ミュージシャン奥田民生の自称,他称,略称,愛称。

広島が誇るミュージシャンです。ある世代にはユニコーンのボーカルと言ったほうが伝わりが良かったりするかもね。

奥田民生ファンが、OT好きってハッシュタグを使ってて、Twitter始めたての時に困惑したのはいい思い出です。

割と、OTが奥田民生さんの略語であるということを理解するまでに、時間がかかりました。

最近は、MAZDAの車のCMでよく耳にするのが、奥田民生の「風は西から」だったり、するんですよ。

♪ 明日へ つっぱしーれ

作用温度の略称 (Operative Temperature)

人間の感じ方を考慮した温度指標の一種ですね。

同じ気温なのに、人間の感じ方が違うという現実に対応するための指標です。

Wikipediaのリンク先には、計算式もちゃんと掲載されているので興味がある方はどうぞ。

効果温度ともいい、人体に対する温熱環境を評価する指標のひとつである。 気温が同じ室内であっても、壁面温度と周囲気流の状態により体感温度は違う。

これを加味し、周囲壁面との放射熱伝達と周囲気流との対流熱伝達と同じ量の熱交換をおこうなうような均一温度の閉鎖空間での仮想気温が作用温度である。
人体の発熱は評価されないため、気流による冷却効果は評価できない。そのため、この指標は暖房時に用いられる。

Wikipediaより

漁船の登録番号において大分県を表す識別標(漁船法施行規則13条・付録第二)

付録(第十三条関係)
一 漁船の登録番号は、当該登録に係る都道府県の識別標、漁船の等級標、横線及び漁船の番号を組み合せたものとし、その組み合せ例は、左の通りとする。
TK3―1234
二 前号の例において頭書のローマ字は、当該登録に係る都道府県の識別標であつて左の甲表に掲げる通りとし、ローマ字のつぎの数字は、漁船の等級標であつて左の乙表に掲げる通りとし、横線のつぎの数字は漁船の番号であつて当該登録に係る都道府県ごと及び漁船の等級ごとに一貫番号で定められるものとする。
甲表
都道府県名
識別標
都道府県名
識別標
北海道
HK
滋賀
SG
青森
AM
京都
KT
岩手
IT
大阪
OS
宮城
MG
兵庫
HG
秋田
AT
奈良
NR
山形
YM
和歌山
WK
福島
FS
鳥取
TT
茨城
IG
島根
SN
栃木
TG
岡山
OY
群馬
GM
広島
HS
埼玉
ST
山口
YG
千葉
CB
徳島
TO
東京
TK
香川
KA
神奈川
KN
愛媛
EH
新潟
NG
高知
KO
富山
TY
福岡
FO
石川
IK
佐賀
SA
福井
FK
長崎
NS
山梨
YN
熊本
KM
長野
NN
大分
OT
岐阜
GF
宮崎
MZ
静岡
SO
鹿児島
KG
愛知
AC
沖縄
ON
三重
ME

オフェンスタックル (offence tackle) – アメリカンフットボールのポジション

ラインの選手のうちのお二方のうちの一人ということです。

アメフトのルールがわからないと、わからないですね。

(特にアメリカンフットボールで)延長戦。Over timeの略。

まんまです。

特に書くことはありませんね。

光トポグラフィー(Optical Topography)

これは、脳科学に明るいOTじゃなくても聞いたことがあるOTかもしれません。

NIRSと同じだけど厳密には違うらしい。

近赤外光を用いて大脳皮質機能を脳表面に沿ってマッピングすることを目的とした方法である。また、光トポグラフィの語は日立製作所の登録商標であるが利用は公開されている。

wikipediaより

さすが日立。

インスパイア ざ ネクスト。

Old Testament

旧約聖書のこと。

最適性理論(Optimality Theory)

最適性理論とは,人間言語の普遍性を「すべての言語に共通の(普遍的な)制約の集合」によってとらえ,言語間の差異を「制約の優先順位の違い」として説明する新しい理論である。

ということで、言語を色々な数とすると、その数の最大公約数を見つけて、それに対してどのような積を処理すればその数になるか、というような考え方ですね。多分。

小田急多摩線を意味する記号

鉄オタじゃないので、初めて知りました。

作業療法および作業療法士の略称 (Occupational Therapy,Occupational Therapist)

やっぱりこれが大トリじゃないといけませんでしょう。

作業療法士には一番馴染みがある意味合いですからね。

まとめ

当たり前のように

OT

って使うけど、全然当たり前じゃなかった件。

わかってもらえるつもりで使わないことが大切ですね。

 

参考までに

作業療法と作業療法士に関する詳細な記事を、別の記事で書いていますので、是非ともよろしければご覧ください。

「いいな!」と思ったら、シェアをお願い致します。

日本の作業療法士へ。「ウチの文化になじまない」と合理性を排除して衰退する作業療法士になるなかれ

作業療法士って、本質はコンサルですから。

ビジネス上適切な助言は、合理性に裏付けられている必要があります。

一方で、作業療法士には情緒的な助言を行う能力も極めて高い水準で要求されることも事実です。世の中が変わりつづていているのだから、提案する側もがっつり変化しないと奇妙な歪みが強まるばかりです。

加えて、情緒的になりすぎると身動きが取れなくなるのが、日本の組織文化であり、作業療法士が影響を受けやすいところでもあると思います。

どうしたら良いでしょうか。

適度に合理的にやる

作業療法士という仕事は、仕事の特性上完全に合理的にやるのは無理です。また、そんな作業療法はやってもつまらないし、つまらないということは結果が出ないと思います。

適度に合理的にやるには、日本という国の全体的な傾向を把握しておく必要があります。

日本人の傾向

日本人は本音と建て前の生き物ということになっています。

先日の相撲協会の後だごだも、由緒正しい日本文化です。

法律・法令よりも、身内の秩序が優先する。

つまりローカルールの方が、より強力な権限を持つということです。

身近な権威に、影響を受けやすい、もっと強い言葉を使えば支配されやすいということになると思います。

伝統ある国であれば、どこの国にもあることには違いないでしょうし、今更取り立てて問題にすることでもないのかもしれません。このシステムには、安定性という意味でそれなりに、利点があります。

しかし、反面で、合理的ではく、時に理不尽です。

先の相撲の話で言えば、先輩は後輩をボコボコにカラオケのリモコンで殴りつけても、不問にされていたかもしれないのです。

こうして、大きな組織であればあるほどに隠蔽体質が強化されていくことになります。いちいち細かな問題まで対処すると、仕事が増えて大変になりますから、「空気読めよ」ということになります。そうして、上の判断でもみ消されることが増えていくということです。

そういう雰囲気を感じるから、モリカケ問題やら、豊洲市場の話があそこまで大きな問題かのように扱われているわけです。実際に、どうかはわかりませんが、日本にはありとあらゆるところにそういう文化があります。

こういう組織は、急激には壊れませんが、「うちの文化には合わないから」と合理性を排除し続けることによって、徐々に緩やかな死を迎えることになります。

日本の地方の集落はまさに、良い具体例でしょう。若い人が寄り付かないのは、集落の人間関係が若い人に合わせて変わらないからであり、若い人のニーズなんて本当はどうでも良いからです。

日本の地方都市に未来がないのは、若者が好きな「合理性」をあまりに軽んじているからだと思います。文化や伝統の担い手の第一線にいる人たちが、口を揃えて言うのは伝統は革新とともにある、と言うことです。

ただうけつぐだけでは、どんどん衰退していくだけであると言うことを、一流の人々は肌身に感じているが故の言葉だと思います。常に世の中や顧客の変化に合わせて、自分が提供するもの、技、考え方も常に変化させて行かなければならないと、そう考えている。

一方で、「上から言われたから」と、ただ担っている人が大きな結果を残すことができるかと言えば、そうではないし、何かを変えろと言われてそれがすぐにできない、これが日本の現代病なのかなと思います。

作業療法士の世界にある非合理性

作業療法士という仕事は、人間を相手にする仕事です。

そして、対象者とその家族、同じ職場の人々との繋がりが、大切になる仕事です。

その人間関係の中には、非合理性がつきものです。それを併せ飲む度量が、作業療法士として仕事を続ける上では必要なのは間違いありません。

その一方で、変化を嫌う文化もあるようです。

冒頭で述べたように、顧客や社会の側が変わるなら、作業療法士は提供するものをどんどんと変化させていくことが必要です。

しかし、昔ながらのやり方に執着したり、今は必要とされないだろうところをゴールにしたり、過度に合理的だったり、極端に情緒的だったり、バランスが取れていない人が作業療法士にいないとはとても言えません。

というか、作業療法士という仕事の環境・特性上、そのような人々が一定数存在してしまうことは、これはどうしようもないことだと思います。

こういう意味での「非合理性」を伝統とするのは、あまり意味がないし、メリット何も感じないし、若い人から見ると泥舟だ、と感じるようです。

そうなると、なんだか怪しげなセミナーに頑張って通っている若手の療法士たちとかもいて、なんだかなーという感じです。もちろん本物もあるでしょう。そういう本物を見抜くためには、きちんとした形でのエビエンスが添えられているのかどうかというところが、大切になるのですが、そういう勉強はあまりしたくないと思うのが人情なのでしょうか。

どうも、怪しげな高額セミナーにうっかり行ってしまう人もいるみたいです。そういう人が、一生懸命な割にあまり成果が出せていないのを見ると、「そこじゃないんだよな」と悲しい気持ちになります。

コラム ボバース法のエビデンス

そんなもんと一緒にすると怒られるでしょうけれど、過去流行していたと伝え聞くボバース法に、エビデンスが確立したという話をついぞ聞いたことがありません。根拠なき、学説、仮説は、宗教と区別ができません。両方とも、存在証明ができなくて、結局対象となる人がどのように感じるかというスピリチュアルな世界の話となるからです。

もっとも、スピリチュアルな領域まできちんと責任範囲として抑えていくと、そういう気概を持って、リハビリテーション、運動療法をやるぶんには構わないでしょうけれど、「なんだか効果が出るらしい」と、インスタントな手技・主張に飛びつくのは、いけてないと思います。

これからの時代、その気になれば、個人でも統計データとってエビデンスを示していくことはできるんですから、非合理と合理性の間を縫って、作業療法士として楽しく仕事をするためには、そういうエビデンスという考え方をきちんと理解して「結果が出る」とは本当はどういうことなのかということについて、知っておくことが必要なのではないかと思います。

やりたいようにやったらいい

上記を、踏まえて作業療法士はどうするべきでしょうか。

ズバリ、やりたいようにやったらいい、です。

お忘れかもしれませんが、作業療法士という仕事は、売り手市場です。

万が一クビになっても、範囲を広げて探せば、次の職場はすぐに見つかります。

給与面を気にして毒饅頭を食い続けるのも悪くないですが、精神的健康を害してまで続けるべき仕事ってのはそうたくさんないだろうなと感じるのが私の思うところです。

結果を出せ

この結果というのは、単一顧客の治療効果のみならず、組織としての経営、もっと言えば売り上げにも貢献するような原動力となれ、ということです。

あるいは、組織として病んでるところを、作業療法士としてメスを入れていく、そういうあたらしい挑戦の中で結果を出していくことができれば、それもまた自分自身が作業療法士としてやっていく中での新しい力になると思います。

やりたいことをやるために、適度に合理的になれ、そして結果を出せってことです。

合理化を学べ

実践しなくてもいいから、知っておくだけでも全く違います。

例えば、電子カルテ。

このIT全盛の時代に、未だに、電子カルテじゃない病院なんて、かなりやばい病院と言わざるを得ないと思うのですが、やっぱりまだ存在するようです。

逆に、株式会社で訪問看護やってるところなんかは、出先でカルテの記入と、確認ができるように社員にタブレット端末を一人一台支給しているところもあって、差は現状でもすごいし、そういう法人間の格差というものは、今後ますます開いていくことになるのだろうなと思います。

電子カルテにすることで、余計な転記の手間も省くことができるし、月あたりにすれば相当な時間の人件費の削減に繋がると思うのです。けれどそれをしないということは、やっぱり人を守るというのは、そういうことなんでしょうか。これが終身雇用制ということなんでしょうか。

いやいや、そんな状況を肯定するのは流石にまずいでしょう。

世の中が変わっているのだから、地域社会に求められる医療機関・福祉サービス・公共サービスを提供するためには、サービス提供側が変わらないといけないと思います。

だから、作業療法士は、自分が就労しているところが、どんなところであろうと、業務の合理化を行う観点は常に持っておく必要があると思います。

そうして空いた時間を、しっかりと対象者の人のために使えるのが、本当の意味での合理化です。そうすれば、新しい結果に繋がるし、それをきちんとした形で発信して実績として残せば、それが病院の評判を挙げることにも繋がるはずです。

この視点が、そもそもわきまえてないというか、若いだけでわかってないと言われる類のものなのですが、どの業界人でもトップレベルの人は普通にやってることです。年は関係ないでしょう。決断し、やるかやらないかというそれだけの話です。

自分・同僚・先輩・部下をまとめて育成すべし

モチベーション下がってる人の心に火をつけるのはかなり大変ですし、その相手が特に保身や高い攻撃性を秘めている人の場合には、かなり高いリスクを伴いますが、周囲の人の相互的な関係性はとても大切です。

その関係を強化していくためには、良い結果に向けて動くことができる技術、技法を、仲間内でしっかりと共有すること。

そうすれば、誰かや自分自身がいずれいなくなったところで問題はないわけです。人がいないから仕事が回らないというのは、なんというか、職員の怠慢というよりも管理者のセンスのなさというか、不勉強さに寄るところが大きいと思います。

組織内の、人の滞留をなくして、対流をよくすることはとても大切です。

それに、ポジションや役職や、職場にしがみ付かないといけない人には、作業療法の対象となる人に、きちんとした治療を提供することは難しいと思います。

みんなで、まとめて成長するために、自分の学習成果や実績は、ノウハウとしてガンガン周りと共有してしまえばいいと思います。

まとめ

やりたい作業療法ができないと感じた時は、やりたいようにやってみるべし。

ただし、結果は出せ。

そのために、合理化・数値化・厳密化・実用化は常に心の片隅に。

「いいな!」と思ったら、シェアをお願い致します。

今こそ、作業療法士が苦手な「お金の話」をしよう

作業療法士って、お金の話は、積極的にはしません。そこには色々な理由があると多います。そもそも、作業療法の世界がそういう業界じゃないですから、お金の追求は別にいいかな、という人が長く続ける職業という感じです。

でも「お金がない」という作業療法士が多いのもまた事実です。

そういう意味で、「お金の話」が苦手な作業療法士が多いと思ってますが、それもまた程度問題で、作業療法士として対象者の利益の最大化を考えるときに、やっぱり直視しないといけない現実としてのお金の話ってのはあると思うので、そんなことを書いてきます。

お金は何かを実現するためのパワー

なぜお金が重要なのかという話に、作業療法士はもっと注目するべきです。ここをないがしろにするから、いつまでたっても自分がやりたい作業療法ができないのかなあ、という場合を目にすることがありますから、最初に書いておきたいと思います。

お金は、やりたいことをやるための力になってくれます。つまり、自己実現の後ろ盾になってくれるのがお金ということになります。

「お金がなくても、物事を動かすことはできるじゃないか」

そういうご意見もあろうかと思います。

しかし、そういう人は、悩んでないのでこの記事にもあまり注目しないと思います。色々な人を巻き込んで、人を動かす力があれば、お金は必要ないからです。

しかし、それは新しいビジネスを自分で生み出す力以上の能力、特に瞬発力が必要で、お金で物事を動かすよりもはるかにハイレベルな実践が必要です。

つまり難易度でいうと

お金の力を介在させないで事象を動かす > お金を後ろ盾にして事象を動かす

であるということです。

作業療法士は、事象を変化させることによって世の中に貢献するのが仕事ですので、お金の持つパワーをどれだけ認識できているのかというのは、大きな視点での変化を捉えることができるかどうかに大きく影響するでしょう。

作業療法士の給料の決まり方

ということで、いきなりですが、お給料の決まり方です。

一応根拠はあるんですがぶっ飛ばして、結論だけ書きます。

作業療法士の給料は、保険などの点数から稼いできた額の約3分の1です。

真面目に臨床やっても、適当に臨床やっても単価に影響はない(!)ので、単位数をたくさん稼ぐ作業療法士の給料はいいです。

だから、交通事故の事故後後遺症のリハビリをやってて、それもガンガン単位を稼いでるようなところでもない限り、今後、保険点数をあてにするビジネスモデルの中で働く作業療法士の給与は、低下はしないまでも横ばいで、上がっていくことはありません。

作業療法士の生涯年収

ざっくり、作業療法士の税金や保険料さっ引かれる前の年間の給与の平均は400万円です。

そのように仮定して、22歳から定年65歳まで働くとすると、43年働くわけで、

生涯の給与は

400 × 43 万 =  17200万円

ということですね。

ここに退職金を加算したいところですが、どうせ大した金額じゃないと思われるので、

サラリーマンとしての作業療法士の生涯年収は、2億円もいかない

ということになります。

コラム サリーマンの生涯年収の平均

上記の額を多いと見るか少ないと見るかの議論はさておいて、参考となる比較対象の資料を提示しておきますね。

男性

中卒:2億0060万円
高卒:2億2090万円
専門・短大卒:2億2880万円
大卒:2億8510万円
平均退職年齢までの生涯年収の平均(退職金含む)

男性

中卒:2億2280万円
高卒:2億4490万円
専門・短大卒:2億5520万円
大卒:3億2030万円

https://gukkin222.com/archives/6392より

この資料を信じるなら、大卒作業療法士の生涯年収は、中卒者の生涯年収とトントン、もしくはそれ以下ということになりますね。

信じるか信じないかは、あなた次第です。

お金が欲しければ、転業しよう

現実の話をしなければなりません。

サラリーマン作業療法士は、稼げません。

例えば、どれだけ、良い作業療法をしても、点数は同じです。

この辺りで心がおれる、心優しく真面目な作業療法士を何人か見てきました。

給料の多寡に関わらず、いい臨床をしてればそれでいいと思うのですが、やはりメンタルにくるものがあるようです。「正直者がバカをみる」のはやはり人のやる気を著しく低下させますね。

しかし、上記のようなそもそものお金の流れを知っていれば、サラリーマン作業療法士という職業がお金を手にするには向いていない仕事なのは明らかなのです。

作業療法士という仕事の枠組みとシステムには、いい臨床をする作業療法士にインセンティブが働くようなデザインが欠如しているからです。

また、お金の流れもへんちくりんです。

商取引における対価としての金銭の流れは

顧客 →  提供する側

ですが、作業療法士においては、医療保険だと

顧客3割 →  病院など  →  レセプト → 保険7割 → 病院 → 作業療法士

という金銭の流れです。

顧客の支払ったお金が、作業療法士の手元にいくまでに、工程があるのがお判りいただけると思います。

これは、普通のビジネスの世界では、例えば営業・セールスの仕事をしている場合には、良い仕事をしていれば売り上げに応じて給与が変動するのが当たり前ですが、良い仕事をしてもそれが給与の上昇に直結しないことを意味しています。

作業療法士はこのような業界構造の中で働いていると言って良いと思います。

コラム ダイレクトな支払いにすれば色々捗る

上記のような問題は、お金の流れが複雑だから発生する話なのですから、シンプルにしてしまえば解決する問題です。

乱暴な話、もとより作業療法士の給与は、稼いだ点数の約3割なのだから、

顧客3割 → 作業療法士

となるような仕組みにしてしまえば、おそらく作業療法士のレベルやら水準やらは恐ろしいスピードで高まると思うのです。

その方が、国家財政にも優しいですしね。

もっともそうすると、倒産する病院や関連組織が大量発生することになるでしょう。ポジティブに捉えると、医療・社会保障の設計には無駄や改善の余地が含まれているという希望と見ることもできますね。

お金が欲しいという気持ちに蓋をしない

またまた、話は変わりますが、「お金が欲しい」と思うならその気持ちを作業療法士はもっと大切にするべきです。

その気持ちに蓋をして頑張り続けるのは、本当に精神衛生上良くないです。

「お金が欲しい」と感じるなら、そのためにしっかりと行動をしましょう。結果に繋がらなくても、そうやってやってみたことが自身の作業療法の幅を広げることに必ず繋がってきます。

更に言えば、もしあなたが作業療法士として良い仕事ができる頭があれば、やり方次第で本業以外で、色々な手段でお金が稼げる時代です。

「作業療法の仕事は素敵だけど、経済的に厳しいから続けられない」という事態になって、それが作業療法の対象者の方の不利益に繋がる可能性も軽減することができる可能性を考えると、作業療法士はもっと「お金が欲しい」という気持ちがあるならそれを大切にするべきだと思います。

特に、「先が見えない」と言ってる若手作業療法士においては特にそう言えると思います。先が見えないなら、自分の気持ちに基づいて、先を作っていくべきではないでしょうか。

受け身では、作業療法の世界も尻すぼみですし、お金の流れがない業界はやっぱり外から見て元気がないですし、お金好きな面白い人がよってこないですし、「お金が欲しい」を大切にすることによる、作業療法の対象者の方のメリットにもっと焦点を当てても良いと思います。

お金に縛られると、組織に縛られるのはなぜか

今度は、組織レベルのお金の話です。日本の組織の多くは、お金で成り立っています。また、存続可能性の高い組織には、ちゃんとしたお金の流れが確立しています。

ところで、先日、やばい組織の話を書きました。

いち作業療法士として、危険だと思う医療・介護・福祉の組織

どうしてこういう組織が生まれるかというと、組織を構成する人間のうち、その組織に依存する人間の割合が一定を超えるからです。

その依存とは、

居場所的な理由と、

もう一つ

金銭的な理由

があります。

居場所的な理由

狭い地域のコミュニティのようなものの延長線上に成り立っている組織には、居心地の良さを優先して合理性を犠牲にしている面があります。

お金の周りが悪くても組織が存続できるという、経営者からするとありがたい組織でもあり、所属する側からしても根本的変化がないので、安心感があります。

一方で人材の流動性が低下しがちで、フットワークが軽い優秀な人が流れ込んでくる可能性は下がりますし、時代の変化についていけない組織になる傾向が強いです。中小企業だけでなく、最近大企業でも挑戦や変化を嫌う雰囲気のところはあります。

先輩後輩などの縦の秩序が行き過ぎると、こういう組織になりがちです。

金銭的理由

安定して低賃金でも払ってもらえる方が安心という、そういう理由です。

主には実力的に、転職が不安だったり、近くにより良い職場が無い都市部じゃ無い場所に住んでいたりということになろうかと思います。

組織に縛られているようで実は依存しているのですが、なぜ依存するかというと、組織にお金の流れを委ね切ってしまうからです。それは、労働組合とかまた別のお話ですね。

作業療法士が転職できない、転職しないから

上記2つ「居場所」「金銭面」の理由から、組織に縛られ、お金に縛られしている作業療法士は多いでしょう。

つまり、労働市場において重用されるだけの実力をプレゼンできないので転職した時に、今と同じ待遇を得られる保証がないと感じていると、そういうやばい組織でもしがみつきたくなるということです。

自分の生活はもちろん、家族の生活がかかってると、なおのことです。

ぶっちゃけ時間もありません。

ですが、より良い待遇を求めて作業療法士が転職市場に果敢に挑戦するというのは正直ありだと思いますし、むしろこれから必要になってくる作業療法士の実力の一つなのではないかと思っています。

作業療法士が副業しないから

臨床の幅が広がったり、作業療法士として将来ご飯が食べられなくなった時に備えることができます。

その保険があると、心安く、やるべきと思うことに注力できます。

それが証拠にと言いますか、あくまで私見なんですけど、

「やめざるを得なくなったとしても、アレがあるから大丈夫」

という作業療法士の先生方はやっぱりご活躍される傾向にあると思います。

腹をくくって、作業療法に腰を据えることができるからでしょう。

若手作業療法士は、これから一生作業療法士するならその辺リスクテイクの方法の一つとして考えておくことが必要と思います。

中途半端にお金がモチベーションの作業療法士は今後割と大変な思いをすると思う

作業療法士で、「お金が得られないので夢が無い」と1000万円以上稼ぎたいからとサラリーマン作業療法士に別れを告げた人がいます。

同じ思いのまま、中途半端にサラリーマン作業療法士を続けても、これまで書いてきたように作業療法士はお金になりません。

確かに作業療法士の資格は手に職ですし、資格で食いっぱぐれない職業であることもまちがいありません。

しかし、「仕事がしたい」という気持ちがないと絶対に割に合わない仕事です。

中途半端にお金をモチベーションにして作業療法士を続けても良いことはありません。作業療法士やるなら、糊口をしのぐだけじゃもったいないですし、作業療法士がダラダラとお金のために仕事をすることはともすると作業療法対象者に多大なる不利益を与える構造に加担することにもつながりかねないことを心の何処かに置いておくことが必要と思います。

まとめ

もし、作業療法士を一生やるなら、

今後のお金の問題は

今避けて通れない。

「いいな!」と思ったら、シェアをお願い致します。