山根寛先生のホームページのその後

そういえばすっかり忘れていたのですが。

今年の3月末ジオシティーズが終了しました。

見れなくなたサイトがたくさんありますが、まったく更新がされていなかったようなサイトから、最近まで更新が継続されていたようなサイトまでそれぞれたくさんあって面白いんです。

そのすべてのサイトが見れなくなりました。

で、以前この記事を書かせていただいてたんですが

今日、改めて、山根先生のサイトのURLをたたいてみたところ、こんな表示になりました。

http://www.geocities.jp/zizi_yama60/index.html

やはり、みれなくなってる(T T)

いままでありがとうございました・・・

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OTRとgoogleで検索しても、1ページ目に作業療法士が引っかからない件は、作業療法の知名度問題にとってかなり深刻な問題ではないでしょうか

タイトルどおりの内容です。

いつもサイトをご覧になってくださる皆様には御礼をまず申し上げておきたいです。いつもありがとうございます。

わりと皆様が見てくださるサイトって結構集中しておりまして、たとえばこのページなんか、わりとよく閲覧してくださるのです。感謝。

そのなかの一文のOTRという略語についての解説をしてる部分なんかは特に需要が高いみたいで、みなさんよく読みにきてくださってます。

で、ふとおもったのですが、OTRでgoogle検索してみたらいったい何番目に作業療法士の情報が出てくるんだろうと。

きになったら実際にやってみないとということで検索してみたんですね。

そうしたらこのような結果になりました

ジャン

検索キーワード「OTR」で「作業療法士」関連の情報の件数はゼロ!

ということでなかなか衝撃的な結果になりました。

OTRで検索しても作業療法が表示されなくて困るの図

google検索一ページ目において、OTRで検索しても作業療法士に関する情報はまったく出てきませんでした。

これは、臨床やってる作業療法士はわりとおどろいて下さる情報ではないかとおもいます。

逆に言えば、感覚が世間とずれているとでもいいましょうか。
個人的にはかなり衝撃として受け止めた情報です。

時代に作業療法士の情報がリーチしない現状はかなりまずい

グーグル検索でOTRで作業療法士の情報がヒットしないことのなにがそんなに問題なのかといいますと、世の中で作業療法士が必要とされているとあれだけいっておきながらも、必要とする人たちが必要な作業療法士の情報にリーチすることを妨げてしまうことになるんですね。

これはかなり問題というか、まずいことだなあと思っています。

なぜなら、グーグル先生にはあまり重要だと思われていないという事実は、若者世代が、人よりもインターネットに聞いてみるが第一選択肢になっている人たちが増えているこの時代においてはかなり危機的な状況だと思うんですね。

優秀な人材は、よりすばやく情報にアクセスできる環境を好むので、このままでは作業療法士になってくれるかもしれない優秀な人材にはまったくリーチができないということになります。

それはかなりまずいのではないでしょうか。

この危機的状況に対して、できることは何かないかと考えてみようかと思います。

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あのレジェンド作業療法士山根寛先生のwebサイトが閉鎖の危機か!?と作業療法.net管理人の中で話題に

※当記事は、断片的事実を勝手に繋いで、山根先生ご本人には確認してない管理人が勝手に騒いでいるだけの「フェイクニュース」の可能性が割とあるので冷静な目で読んでいただけたら幸いです。記事の意図は文末にあります悪しからず。

山根寛先生のwebサイト「ZIZI-YAMA world」

生けるレジェンド作業療法士「山根寛」先生。

まあ、私のごとき凡人は先生にお会いして説法を聞いてみたら、得るものが沢山のありました。そういう節々は、非常に印象的です。ツッコミどころはあるかもですが、なんかすごいんです。
そんな、なんとも言えない「感じるんだけども表現しきれない」ような作業療法のニュアンスを文章に落とし込む技術が「空前絶後」なのが山根寛先生の文章です。

ですから、作業療法士で、山根先生の文章を一度でも目にした機械が無いという人は、「ああ、こういう風に表現すればいいのか」と腑に落ちたり、自分の身になっていく部分がきっとどこかしらにあるので、読んでみてください。

さて、そんな山根寛先生といえば、「フクロウ本」と一部界隈が勝手に通称する書籍に代表される著者なわけです。アフィリンク貼っときます。

こちらも読んで無いと損です。少しでも分かるところが増えると臨床が楽です。持ってた方が得だけども、お金がない人は図書館に行けばだいたいあると思います。読んでね!!

でも先生の文章を読んだことがない人に、最初に入り口としておススメしているのは、山根先生がやってるwebページだったりするんですよ。
自分も、実習生の時分からお世話になっています。

http://www.geocities.jp/zizi_yama60/index.html

それでもわからないこととか、気になることとか、ようするに「足りない」というきもちが出てきた人だけ、「フクロウ本」に手を出すくらいでちょうどいいのではないか。

そう思うくらいには、かなり作業療法の内容が充実しているページになっております。

まあ、見たことない人はとりあえず「ZIZIーYAMA world」見てみたら、得すると思います。

急報 日本のインターネットの巨星墜つ (予定)

ひょっとしたら、山根寛先生のホームページみて、なんだかなつかしくなる人もいると思います。

どっちかっというと手作りなんですよね、山根先生のページ

多分ホームページビルダーか何かを使用しておられるのだとはおもうのですが。

ブログシステム全盛のこの時代において、山根先生のようなサイト作りの方法を取っているのは実に珍しい存在になってしまいました。
作業療法.netの管理人も今でこそ、wordpressに移行しましたが、もともとは、メモ帳でWebページを作ってました。

そう、じつは、ホームページって「メモ帳」アプリがあれば誰でも作れるものなんですよ。

それを全世界に対して無料で公開できるサービスがあったんですが、それがYahoo!のジオシティーズっていうサービスだったんですね。
中学生の時分に大変お世話になりまして、いろいろ遊ばせてもらいました。FFFTPとかも知ってる人は懐かしいですよね。

話がそれました。

まあ、ジオシティーズというサービスはインターネット業界の老舗中の老舗でありながらも、現代まで現役でサービスを提供し続けてくれていた非常に稀有な存在にいつのまにかなっていたわけです。

しかし、おわりが無いものは無いということで、、

このジオシティーズは、今年の3月末で閉鎖されることが決定しました。
少し前から話題になっているニュースではあるんですけどね。

ということで、

おつかれ、ジオシティーズ!

って、えっ!?

となったのが昨日の話。

そういえば、山根先生のホームページって、ジオシティー。。。

うちゃほんまにぼーっと生きとるもんじゃけえ(広島弁)

「みてみようかな!!?」と興味をもった皆さん、お早目に!!!!

※この記事は断片的事実をくみあわせて、推測で書いた「飛ばし記事」です。先生のサイトが今後どうなるのかの取材なんて先生にまったくしてませんし、するつもりもありません。今後、サイトをどうされるのかについても、これも全く先生の自由な訳でむしろあれだけの情報を無料でいままで公開してくださっていたことへのありがたみが身に沁みるというものです。間違っても「閉鎖しないでください」なんて突撃する野暮はよしてくださいね。私がこの記事を書いた意図は、これを機会に先生のサイトを見て作業療法への興味関心が高まったらいいなと思ったというそれだけのことですから。

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「やっぱり、女性にとって…は大切だ」プロフェッショナル 明石定子 乳腺外科医 を見て

NHKの番組。…はグーグル先生に怒られるのを予防する為でして悪しからず。

肝心の番組内容としては、いろんなことを感じる内容で。以下感じたこと。

オーダーメイド医療

まず、オーダーメイド医療の重要性。

これができるから、患者様にとっての最適に向けて、「模索をする過程で癒される」医療を実現できる。

「この選択でよかったんだ」「これでよかったな」そう思ってもらえる。

そうおもってもらえる支援が「作業療法」だと思ってるので、非常に共感するところでした。

しっかり話をしよう、してみてもいいとそうおもってもらえるようなじぶんである。あるがままでいいとおもってもらえるように、相手に対する尊敬と感謝のこころを忘れない。

そういうことがやっぱり大事なんですよ。と再確認。

自由度に見合う実力・キチンとした仕事

一方で、やっぱりそうだよなあと思ったこと。

それは、オーダーメイド医療の自由度を確保、確率するのは非常に優秀さがいるよなあ、ということ。その枠を仕切る人間に、それを認めさせるだけの功績というか背景があってこそだなあという感じがひしひしとしてつらみがすごかったです。それこそが、きっと今の自分に不足しているものだからです。

なにかを決定・実現するには、周囲からの納得を効率的にえられるような実力・実績・信念が必要であるなあという事実は、改めて心にグサリとささりました。

頑張らないと、と思いました。

レッテル・象徴・属性の力

他方で、センシティブな個人の問題については、「このひとだから話せる」とか「この属性の人なら打ち明けてもいいかな」という心理が絶対に影響するよねということ。乳がんの問題であれば、性差ゆえはなしづらいこと、共感を得にくいことってのがあるような気がします。やっぱり男性には話せないことってあるんだろうなあ、という実感ですよね。話せるかもしれないけど、時間的コストがかかりすぎてお互いの為にならないことがあるんだろうなという感じです。

作業療法士が作業療法士自身を使うっていうのは、やっぱりそういうリスクを意識しておく必要があるなあと。

つまり、キチンと自分の属性を意識しておくか、自分のなり形・姿・振る舞い・佇まい・言葉遣い・言動が相手にどのようなメッセージを発信していてそれをどのように相手が受け取るのか、自分の努力でどうにもならない属性由来のものについては、さっさとほかの属性を持つ人との連携で解決してしまうこと、作業療法士自身が溜め込まないこと、これが患者様にとってとてもとても大切になるなあとお思います。

「つなぐ力」と呼び変えて良いと思います。難しいことがあったときに、作業療法士は自分よりも得意な人に、任せたり担ってもらうことを恐れていたら仕事にならないと感じています。

まあ、パワフルにそれらを塗り替えて、書き換えて、新しい地平を作るのもとてもとてもたいせつですが、それはまた別のお話、選択肢。双方ともをタイミングによって使い分けることがとても大切なんだと思います。

仕事・役割・作業歴

最後に仕事などの役割を取り上げられないことの大切さ。

明石先生の

「仕事はやめちゃだめよ」

にすくわれたというガンの患者様。

病気だから、闘病だからと「病気とだけ向き合う」ということを強いられるとすれば、それがどれだけ患者様を追い詰め、いかにその方自身の人生の質を低下させるかということですよね。

ここが、今回の番組の中で本当に一番大切な部分だなあと改めて思います。

難病だからと、治療の為に全てを諦めるのではなく、本当に大切にするべきことはなにであるのかということを、本人様が考える機会を奪われないようにすること、それを治療者側が放棄してはいけないんですよね。

なんのために、治療していくのかという、そういうところを患者様ご本人が主体的に考えられるように手助けをすること、それをきちんといろいろな人と共有することを支援すること、その仕組みづくりが大切だなあと思います。

もちろん、コストをかけすぎず、持続可能な形でやるために誰かに負荷が集中しすぎない形でおこないたいものです。

仕組みづくりに関与できることって、そういう意味でも大切ですよねえ。

やっぱり。

後進育成

あとは、道を切り開くだけではなく、きちんと後進育成をしっかりとしていくことの大切さをひしひしひしと番組の最後に感じさせていただきました。

おわりに

以上まとまりないですが、、私も、できることを頑張っていきたいとおもいます。

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知ってて損はない作業療法士の賃金事情2018年7月情報

新卒者・転職希望者のみなさん役立てて下さい。

ネットの海を徘徊していたら、偶然作業療法士の賃金に関する情報をゲットしたので、シェアします。

2018年7月のPT・OTにおける常勤の賃金の総平均は、関東、近畿、東海の順に高かった。最高額平均のトップは関東で月給29万8940円、2位は近畿で28万7991円、3位は東海で28万5454円である。常勤の最低額平均の最下位は北海道の20万4438円、次が東北の20万5662円、その次が甲信…

日経ヘルスケア : 医療・介護の経営情報 (347), 3-5, 2018-09

っやっぱりな結果ですが

東京圏 → 大阪圏 → 名古屋圏

という形で、地域の経済規模が大きいところから順番に賃金が高い訳ですねえ

というか、純粋に経済規模・人口規模を反映してるだけですね。

人の数に作業療法士の賃金も左右されるのだという事実は知っておいて損はないかもしれません。

また、数値はともかくとして、傾向を考えて、どの地域で働くかを考えてみてもよいかもしれません。

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作業療法.net 2018年年末のご挨拶

本年もありがとうございました。

去年に比べて、本年、作業療法.netを利用閲覧してくださる方が増えています。

本当にありがとうございます。

可能な限りの更新を続けていきますので、今後とも応援のほどよろしくお願いいたします。

年明けまであと少しですが、良い年をお迎えください。

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【新卒の方】本当に必要なことは、まだ実現されていない【新しい環境で働く方】

四月になりましたね。

新卒の皆さん、国試の結果も出ていよいよ、ご就職といった段階ですが、今のご心境はいかがでしょうか?

ワクワク?ドキドキ?平常心?

ドキドキしている方に向けて、そのドキドキが少し和らぐような記事を書いてみたいと思います。

詳細は、タイトル通りです。新入社員の時に「自分から動け」と言われますので、そんなこんなの意味も込めての内容になっております。

とりあえずは、ドキドキ緩和の内容から入って、最後にタイトルの内容で締める構成で書いていきますね。

なかなか更新できなくて

ごめんなさい。

まずは、謝罪でございます。

 

本業が忙しすぎて更新に手が回りませんでした。

最近自分が今やっている仕事は、他の誰かに任せることはできないかを考えるようになっています。それは、協力して何かをすると、自分一人が死ぬほど頑張って得られる生産性を簡単に超えてしまうからです。

どれだけ、自分がたくさんの仕事をこなせるようになったとしても、それが真理です。

だから、たいていの仕事は、自分が実行せずとも流れの中でみんなでできるようにして、マンパワー的なリスクテイクを測るのです、最近。

 

どれだけハイパフォーマンスなことを狙ってできるようになったとしても、持続性がない仕事は、それは果たして本当に作業療法の対象者の方の為になることなのかという視点で仕事をするようにしてるのです。

が、しかし、今回は、その仕組みづくりをするために、かなりの時間と労力が必要になり、「僕が私が、俺が、わしが、わたくしがやらなきゃ誰がやる」

的な案件だったので、ひたすら忙しい中に無理やり時間を作って全力で片付けた結果更新ができませんでした。

ごめんなさい。

どんな仕事だったのかは、また機会を別にして書きたいと思います。

以下よりが、本題になります。

ドキドキの正体は「未知」

新しいことを始める時に、人はドキドキするのですよね。

歩き慣れた通学通勤路を歩いて、ドキドキする人は少数派でしょう。

むしろ、そんな日常にドキドキできるとしたら、それはもう立派な才能であると言えるでしょう。

 

さて、人は見知らぬもの「未知」に触れると、ドキドキします。

新卒や、転職をする皆さんは、見知らぬ場所で働くことになるのですから、ドキドキするのが当たり前です。

ドキドキするのは悪いことではありませんし、適度な緊張感は物事を能率的に進めたり、新しいことへの記憶を強めるという観点で非常に有用です。

 

また、「未知」であるということは、まっさらで真っ白ということなんで、変な先入観なく、物事を始められるという意味でも、いいことでしょう。

 

ただ、必要以上にドキドキするのは、頭が真っ白になったりとか、能率が落ちたりとかってことにもつながるので、あんまりよろしくないですよね。

ですから、適度にドキドキするために、無駄なドキドキを削れるような情報を書いていきます。

知ることができること

これから働く場所がどんなところなのかなんて、働いたこともないのにわかるわけがありません。

つまり、そこのドキドキは減らすことができないということです。

じゃあ、ドキドキの総量を減らしたいから、どうするかというと、他のところをきちんと知っておくことで他のところのドキドキの原因を取り除きましょう、そういうことですね。

で、そういう目線で考えた時に、

まずは、作業療法士、新しい職場で何をするべきか?

何が仕事捗らせるかということ

そして

作業療法士として必要なマインド

知っておくと、特に働き始めてから余計なことでドキドキしなくてすむのだと思いますから、そういうことを書いていきます。

まず礼儀

礼儀が大切です。

「何を当たり前のことを」

と思われた方は、読み飛ばして次の項目へ。

また、

「人として大切なことだから」

という説明で頷ける人も読み飛ばしてください。

それで納得できないある意味で素直な人向けに、実利的側面を書いていきます。

礼儀の効用

礼儀には大雑把には以下の2つの効用があると考えられます。

1つは、余計な心理的労力・コストの削減

2つは、年長者の方の覚えめでたくなること

一つずつ見ていくと

前者は、同じことをやっても違う受け取られ方をするということがあるということです。

どういうことでしょうか?これは、人間心理としては永遠のテーマともいうべきものだと思います。

例えば、ある人がテストで満点とったとき。

それが、賞賛の対象になるか、妬みそねみの対象になるかは、個々人で見ると気には人とひとの相性もありますが、全体として見た時にはその人のキャラクターが最も大きく影響します。

どれだけ素晴らしいことをしても、攻撃をしてくる人がたくさんいたとしたらどうでしょう。

多分、仕事が面白くなく感じる人が多いでしょう。

あの人がやるんだったら協力してもいいよ。

という、この手の人間の動きが作り出せるようになると得ですし、逆に「アイツ気にくわないわ」と思われたら、どれだけ素晴らしい提案も却下されやすくなります。

あ、そもそもそんな雰囲気の職場ってどうなの?という話もあろうかと思いますが、多くの場合はそういう雰囲気の職場です。多くの集団は、合理性より感性で動きます。その方が、直感的で早いからです。まあ、集団を統括するリーダーが存在するかどうかの要素も大きいですが。

この話は後者につながります。

後者の年長者の覚えがめでたいかどうかというのは、お給料に直結します。

同じ仕事をしても、違う給料になります。

仕事も重要なところに割り当てられやすくなります。

これは、なんでかというと、礼儀を実践できることはそれ単体で、各種の能力の高さを表明することになるからです。

対人経験の有無

その場を把握する能力

文脈に沿った言動を判定する力

その言動を表現する力

上記の過程をマネジメントする能力

礼儀というのは、突き詰めるとベースにそれなりの能力がないとうまくできません。

要するに、礼儀がちゃんとしているかどうかは、組織の管理者に自分の能力をアピールする貴重な機会ということですね。

という説明をしておけば、実利思考な方も納得できますか?

どうでしょうか?

やはり、自分が人を動かす時の武器にできるというポイントはでかいです。自分に急に責任が降ってきて、その時からいきなり、礼儀を徹底しようとしても、一貫しないから説得力がないので、なかなか人を動かすには至らないでしょう。

 

コラム 礼儀のいらない人

例えば、圧倒的な実力があれば、礼儀がなくても許されることがあります。

許されるというか、成立してしまうということですね。

絶対に真似をしないようにしましょう。

 

あるいは、圧倒的な実力を身につけましょう。その際は、すべて自己責任です。逃げ場を絶ってガンバてください。

礼儀って何すれば

じゃあ、礼儀って大事なんだとして、何を身につけておけばいいのかという話になりますよね。

だからといって、細かい礼儀作法を気にすることは、その組織に独特な風習的なものがあるので、事前に気にすることはあんまり意味がありません。

ですから、根幹となる礼儀を身につけておけば問題ありません。

礼儀の根幹

では礼儀の根幹とは何かということなのですが、このように考えることができると思います。

まず、相手を尊重すること、一人の人間として扱うこと。

そして、自分自身を大切にすること

前者は当たり前なことですが、日常に忙殺されると忘れがちです。また、相手から尊重されないと、自分も尊重しないようにしようという思考になっていってマイナスなスパイラルに陥ることになります。作業療法の対象者の方には、人間不信な方もおられますから、これはとても大切なことです。まずは、自分から相手を尊重するメッセージを発信することです。

で、意外とできてないのが、後者ですね。矢印が外向きばかりだとバランスが悪く、継続性に欠けます。自分を大切にすると、土台ができます。土台があって初めて、相手を大切にすることを継続できるようになります。要するに、自分の言動や心理にきちんと関心を向けるということですね。

ここさえ押さえておけば、あとは礼儀に関するどんな枝葉を学んでも、惑わずに邁進できると思います。

押さえておくべき礼儀のエダハ

じゃあ、なんの礼儀の具体的なところも知らなくてもいいかというと、ちょっとこれは知っといた方がいいよな、というものは確かにあります。

礼儀のエダハのうちで、個人的に知っときゃよかったというものを、独断と偏見で書いていきたいと思います。

顔と名前をすぐに覚え、とにかく挨拶

実は、

「あれ、誰だっけか」

と思うことが多い私です。

さて、そういう人にとって顔と名前を覚えることは非常に大変です。

でもですね、人との繋がりの一番大事なところですよね。

この「つながり」を大切にしようとする姿勢こそが、礼儀の根幹に率直につながるところです。

 

表現が難しいですが、赤の他人から、見知った人になる時のタイミングとか、スピード感が大事ってことですね。

相手に認知されると同時に、自分もどれだけ相手をしっかりと認知できるかというそういう当たり前のところです。

挨拶

先ほどの、つながりをうまく構築するための方法として有用なのが挨拶です。

互いの関係性を端的に表現することができるワザですね。

だから挨拶が大事だと言われるわけですね。

それを知っておくのと、そうでないのとの間には大きな差があると思います。

ドレスコード

服装を見ると、その人のことがわかるつもりになるのが人間です。

実際に、人間は自分が思っている以上に、無意識下で他者を外見や見た目で判断しています。

服装は、その人のキャラクターを表現するものとしてみなされますし、そのツールとして実際に有用です。

制服があるなら制服を。

制服がなければ、無難な服装はどのようなものであるかを、年長者に確認しましょう。

そのうち雰囲気がつかめてきたら、自分の色を出していけばいいのですから。

わからないことをわからないという

ここは徹底した方がいいと思います。

わからないことを、わからないとすぐに言えることが社会人として一番重要なポイントだと思います。

わからないと言えることは、責任範囲を明確にする能力に関わるからです。

いわゆる、謙虚さと言われるところだと思います。

謙虚であることは、いうまでもなく礼儀の一つの技術であると思います。

そのためには、「わからないこと」がなんなのかをわからないといけないのですが、それはまた別のお話としたいと思います。

文書のマナー

組織内というより、組織外に向けての見え方が違ってくるので、大事です。

最近は手軽に他施設とメールでやり取りをすることも増えているので、一応のルールを知っておくのは大切です。

署名をつけるとか、文体とか。色々ですね。

世の中は変わっていきますが、残るものもあります。

しかし、文章系のしきたりは、なんとなくで、今後も残るのではないかと思います。ビジネスなどの契約書やカルテなどの書類も記録として残すものですが、全部文書ですよね。だから、多分、ちゃんと勉強しといて損はありません。

その他の大人のマナー

あとは細かいところです。

気にするのはやめてしまいましょう。

電話対応とか。飲み会のマナーとかまで、言い始めたらキリがいないので、このぐらいで。

閑話休題

さて、これまでは話の枕、前置きです。

以下からが個人的には本題でして、作業療法士として働く上で、大切にしておくと心理的コスト、ストレスが少なくてすむかなという、マインドな話について書いていきます。

作業療法士という仕事

作業療法士という仕事について今一度確認をいたしましょう。

就職する前に、どんな職場かを知ることはできませんが、作業療法士がどんな仕事であるかを確認しておくことはできます。

一つずつ見ていきましょう。

まずは専門性について。

専門性とは何か

作業療法士はリハビリテーションの専門職、です。

で、「専門」とはどういう意味でしょう?

辞書的な意味は

「一つの事柄について、集中的に取り組むこと」

という意味です。

では専門職はというと、どうでしょうか?

「一つの事柄について、集中的に取り組む仕事」

となりますが、よくよく考えると変?ではないですか?

大抵のお仕事は、分業化されていますから。事務は事務職、一つの事柄について集中的に携わることになるはずだからです。それを専門職ということは少ないですよね。

専門職というのは、プラスアルファでもう少し要素がありそうですね。

では、どういう仕事が、結局専門職と言って良いかというと、これはもう私の個人的な感覚なんですが

「世の中の大多数の人ができないことに特化しており、それが実現できる人」

「それゆえに頼りにされる人」

ではないでしょうか?

それが専門職であると思います。

誰でもできることに特化していても、人はそれを専門職とは認識しないということです。

ありふれた成果しか出していない職種は、世の中から専門職として認識されないということです。

厳しい。世の中は実に厳しい。

作業療法と専門性

では、作業療法士は専門職でしょうか?

そうですね。作業療法の専門職です。というか、そうであらねばならないということです。

つまり、作業療法士は専門職ですから、まあ、そういうことです。

普通の人は出せない結果を出さないといけないのです。

さもなければ、専門職としては認知してもらえません。

作業療法の技法を用いて、結果を出さなければ、専門職たる作業療法士ではないということです。

ここに、新米作業療法士の構造的なツラさがあります。

最初から結果が出せるわけではないからです。

極端に言えば下記の通り。

新卒者は「専門職」ではない

専門職とは、世間一般の大勢の人が出せない結果を出すことができるような、特定の領域に特化して従事する人ということと、この記事では考えていきましょう。

すると、上記の意味において、新卒者の多くは専門職足り得ないでしょう。

なぜなら、専門職たる結果が出せないからです。

まず、頼りにされることが少ないでしょう。

学生時代にめちゃくちゃ勉強して、頭の中にパスやらプロトコールやら、エビデンスやらが山ほど詰まっている人でさえ、まず新卒者は教わるばかりで、アウトプットの機会を得る方が大変です。もちろん、成長スピードは天地の差があるでしょうが、とりあえずは結果を出すには至らないし、それが当たり前です。

つまり専門職ではない人間がどうやったら専門職足りえるようになるかを考えたら良いわけです。

そうですね、結果を出せるようになったらいいわけです。

そのために、どうしたらいいかを考えるようにしたら、とりあえずうまく働き始めることができるようになると思います。それでいいと思います。

作業療法士が用いる一見ありふれた介入手段

あと、作業療法士として専門職であるということを結果として示すのはやらないといけないことなんですけども、その過程で専門性を発揮するのは特に新人のうちには、なかなか難しいことだったりします。

もちろんちゃんと評価ができる人は別ですよ。しかし、そこの評価が甘いとどういうことが起きるか。ただ活動を提供しているだけというふうにしか周りからは見えないのです。

どういうことかと言いますと、作業療法士の具体的な介入場面を切り取ると、ともすると、アクティビティとして用いるものが、世の中にできる人がいっぱいいる活動がほとんどですよね?

例えば、よく使うアクティビティといたしましては

編み物、縫い物、ビーズ細工、折り紙、塗り絵、ちぎり絵、貼り絵、料理、掃除、買い物、洗濯、歩行

などなどありますが、世間一般にそれができることが当たり前と考えている人がどれだけたくさんいるか。

あるいは、最近だと、認知機能の障害を訓練する目的で、テレビゲームなんかも治療の手段として使ったりしますけれども、ひょっとしたら

「それのどこが作業療法やねん」

というツッコミが来るかもしれません。

ちゃんと作業療法して結果も出てるんですが、ぱっと見た目で過程だけを切り抜かれるとそうなります。

まあ、きちんとその点について説明ができない作業療法士の側に責任があるのですけれどね。

むしろ、作業療法においては、ありふれた活動こそ優れています。

生活に寄り添うんだから、特殊なことしたって生活に繋がらなければリハビリテーションとしては意味をなさないのです。病院でしかできないような特殊な訓練をやったところで、対象者の方が家に帰ってできなかったとしたら、どうでしょう。回復著しい急性期ならまだしも、維持期とかだとほとんど意味の無いものになってしまいます。

が、見た目のインパクトがすごい方が専門職としてみなされやすいのは、先ほどの見た目の話にもつながるところかもしれません。そういう見た目を重視するあまり意味の無いことをすることが一般化している職場もあるでしょう。

そこを見抜く目を持っていただきたいと思います。

私たちは、対象者の方からお金と人生の貴重な時間を頂いて仕事をするようになるわけですから。

まあ、とにかくそのくらい、作業療法は「専門職」として働くことが実はとても難しい仕事です。

だいたい新米の作業療法士の大半はこの手の悩みを持ってます。

だから、作業療法を仕事にする作業療法士が難しい仕事あることに自覚的であって頂きたいなと思います。

なぜか。

作業療法に行き詰まる作業療法士は多い

作業療法は一見単純

でも実際には難しい。

その難しさをわかってもらうのも難しい。

そういう難しさもある。

本業以外も大変。

組織の中で作業療法士としての専門性をきちんと運用するのも大変。

もうとりあえず大変だと思っておきましょう。

そうすれば、大変なのは自分に能力がないからだ、なんて思わなくて済みます。

どうせ、作業療法士をしていると誰しも必ず仕事に行き詰まります。

そこで大切なことは、すぐに次の手を打ったり別の方向から考えたりという切り替えができるかどうかということになると思います。

でもそれができない人がいます。それができないのはなぜかというと、きっと、作業療法が難しいという自覚がないからだと思います。自分に能力が足りないからできないのだと立ち止まってしまうからだと思います。

行き詰まるのは自分だけでは無いし、行き詰って当たり前の仕事をしているんだと思って前向きに頑張りましょう。そうでなければ、不必要にモチベーションが低下したり、無用な無力感に苛まれることになるでしょうから。

あと、さっき見抜けるようになってくださいねと書きましたが、年数的に見たときに「中堅」に当たる作業療法士であっても、どうにも「専門職」足り得ない人たちは、実はたくさんいます。非常に残念なことですが。

ですから、自分が中堅になった時にそうならないように、経験年数の浅い新人、まして新卒者においては、「専門職」で居られないことがむしろ普通と自覚してどんどん色々なことに挑戦してほしいと思います。

そして、難しいということを認識して、その先の問題解決を形にできることが作業療法士に求められる専門性であると思います。

つまり、作業療法士の仕事はその本質はかなりクリエイティブな能力が必要な仕事ということです。

モラトリアムの重要性

モラトリアムには色々な解釈がありますが、この場合は

無責任かつ自由な状態

と考えてください。

良い作業療法士が育つためにはそれが必要です。

良い作業療法の本質は問題解決です。

新たな問題解決を行うためには、そこに余裕が必要になります。

また、問題解決は習慣のなせる業でもあります。

つまり、作業療法士として、生涯にわたって良い仕事をするためには、新卒の時にどれだけ、ありもしない設問を自分で作り出すことができるか、にかかっているということであり、そのための余裕がどの程度その職場で確保できるかということが大切になるということです。

きちんと礼儀正しく、管理者つまり自分の職場の上司と責任をシェアしましょう。それで、なるべくモラトリアムな状況を作り出せるように頑張りましょう。

これがまず、やるべき挑戦かなと思います。

本当に必要なことは、まだ誰も実現できていない

こっからが一番書きたかったことです。

作業療法は、本当にまだまだ発展途上の業界であると感じます。作業療法の一番面白いところは、その不確実性の中から価値のある仕事を作り上げる点にあります。

そして専門性は、資本主義社会の中にいかに低コストで、高い生産性を発揮するかという点と、心理的な支援がどれだけできるかという相反する二つを両立させることにあります。

つまりこれは、いわゆる矛盾だったり、「不可能」を現実にする仕事です。

時間も金もマンパワーも有限な中で、どれだけ立ち直りや社会的復権を支援できるかと、そういう仕事です。

そして、そこに正解はありませんし、これまでのどの試みも全ての問題を解決するものではありません。

これまでやってきたことを、なぞっていたのでは解決できない課題が山のようにあります。つまり、そうした問題を解決していくためにはこれまでのうまくいかなさを踏まえて新しいアプローチをどんどん開発していく必要があるということです。

また、世の中と人を結ぶのも作業療法士の重要な仕事の一つであります。

ですので、世の中の変化に合わせて作業療法士の働き方や考え方アウトプット方法などは常に変化しなければならないということです。

だから、これから作業療法士として新しい職場で働くことになる皆さんには、ぜひ、新しいなにかに挑戦して行くことを大切にしてもらいたいと思います。

もちろんこれまでの蓄積を学ぶことは、何ができて何ができないのか知るために非常に重要です。ポイントになるのは、単なる学びの範疇で終わるのではなく、その先を念頭に置いて、仕事をしてもらいたいということです。

対象者や、職場の他の人が求めるよりも、良い結果を生み出せる方法論は、今の常識の外側にあります。だから、それが周囲の人から奇異に見えてもやり抜く必要性を確信できたならそれを実行しなければならないということです。

もちろん、非常に難しいと思います。

そして、その能力があったとして、それに見合うだけの正当な評価、対価がもらえるわけでもありません。

ですが、これからの世の中の移り変わりなどを見据えた時には、そういう働き方が自身も対象者も幸せにできる働き方なのだろうと思います。

作業療法士の仕事は『仕方ない』をいかにしてやっつけて、対象者の生活を豊かにすること、その主体性をサポートできるかということですから、その本当に必要な部分を実現するために、いろいろ頑張ったらいいんじゃないかと思います。

そうしたら、たくさんの物事に触れて、いろんなことを学んだとしても、大切なものは見失わないで、仕事頑張れるんじゃないでしょうか。

クリエイティブであるためには

じゃあ、今実現できてきないことを実現する能力が必要で、世の中的にはそれをクリエイティブであるかどうかなんて言ったりしますけれども、さてクリエイティブになるにはどうしたらいいでしょうか。

クリエイティビティに最も関わる要素というのは、割とセンサーとかマインドな気がしています。

シンプルに表現すると

まずは、自分がどんなことをしたいのか

そのためには何がわかっていないのか

やりたいことをやるためには、どんな自分でいなければいけないのか

などなどを知っておくといいと思います。

とりあえず3年頑張れ

先ほど述べたように、新人を育てるには、モラトリアムが必要不可欠です。

逆に言えば、ちゃんと育つためには、ある一定の期間が必要ということです。

最も、合う合わないがありますから、ちょっと頑張って見てダメそうなら切りましょう。

そのちょっとの期間がやっぱり3年という期間になろうかと思います。

その後のことを考えると都合がいいですし、どんな職場でもきちんとリミットを設定していればそれなりに頑張れるものです。まあ正直半年でも厳しい職場というものは存在するらしいので、その時は、きちんとした手続きを踏んで、その職場をササと辞めてしまうのも一つ手ではあります。

というのも、ダメな職場は本当にダメですから、必要以上に思い悩む前に辞めてしまうことで、あなたが作業療法士やめなくて済みます。そっちのが大切ですから、頑張りすぎない程度に頑張ってください。

作業療法士を必要とする職場は本当にたくさんありますから、たまたま一つの職場にうんざりしたからと言って作業療法士そのものを引退するのも残念な話なので、まあ、いろいろ書いてきましたけど、参考になったら嬉しいです。

未来の作業療法はあなたたちが作っていくことになるんです。

できることを一つずつやって頑張りましょう。

まとめ

新しい場所で頑張ってください

ご就職おめでとうございます。

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社会と作業療法と効率化を妨げるものの話

作業療法を必要とする人に作業療法を届け続けるために作業療法に必要なのは、イノベーションだと思っています。つまり、作業療法士がどの程度、何かを変えることに対して積極的になれるかどうかということです。

安定と変化のバランスが大切ですが、医療全体を見ていると安定にしがみつこうとしている嫌いがあり、作業療法士はそこでどのように振る舞うかが問われているようです。

作業療法と社会全体をぼんやりと眺めて、この記事を書いていきます。

林先生の授業の数学のはなし

東進の林先生のテレビ番組にて、「算数の入れ替えの問題」の問題について取り上げていました。

この問題は、twitterで探せば類似のものがたくさん出てきます。例えば、以下のようなものです。

で、交換法則を認めず、これが間違いになるのは、どうなのかという話は、以前世間一般で議論になりました。

これについて、いろいろな意見があると思います。

今読んでおられるあなたはどのように感じますか?

「学校の先生に習った通りに回答していないのだから減点すべき」

と感じるか、はたまた

「算数の先の数学においては、交換法則習うんだからさあ、バカみたい」

と思うかは、その人がどこに重きを置いて考えるかによると思います。

 

前者は、「悪法も法」つまり、暗黙のルールでも守らなければならないし、それが秩序であるという考えかたと言えるでしょう。

後者は、合理主義というか、論理的に正しければ、良いのではという考え方であると言えるでしょう。

要するに見ている世界も違うし、その背景にある物差しもおそらく違うのだと思います。

 

ちなみにこの番組では、世界的な数学の権威の意見を参考として、

「きちんと問題文で条件を提示していないのであれば、不正解とする合理的理由はない」

「ガウスという天才がいたが、彼は交換法則を見出して1〜100までの合計を瞬時に見抜いて見せたが、そこで交換法則を否定するような教師に指導されていたら彼の数学者としての人生はなかったかもしれない」

という方向で意見集約されていました。

上記の話は、「合理性」というものを考える上で非常に示唆に富んでいます。

合理性とは方法論の改善

アルゴリズムという言葉を聞いたことがあるでしょうか?

主にITの世界で使われる言葉かもしれませんが、「方法論」と言い換えても良いかもしれません。ようするにやり方、方法です。

同じ結果を得るために、様々なやり方がある、そのやる方のことをアルゴリズムと言います。

先ほどのガウスの逸話でいえば、

1〜100の合計を計算する方法は、

一から順番に100まで足す

1+2+3+4+5+6+・・・・+99+100

101掛ける50

という方法の2つのアルゴリズムがあります。

お分かりのように、そのどちらを用いるかによって、結果を得るために必要な時間が大きく異なるはずです。

多くの人は足し算の処理を頭の中で100回繰り返すの時間に比べると、一回の掛け算を頑張る方が早く計算の結果を得ることができるでしょう。

 

これは、和の交換法則が成り立つという前提と同じものが複数個あるなら積として扱えるという知識があるがゆえにできる、スムーズな回答なのです。

で、この方法にバツをつける学校の先生がいるということが問題視されているわけです。

「学校で習っていないことをするのはけしからん」ということですね。

しかし、習っていようがいまいが、賢い人は、合理的な考え方をしますし、結果が同じならば、低コストな方を選びます。それが、のちの選択肢の幅を広げる方向に影響すること、つまり自分の人生をより豊かにすることに直結することを理解しているからです。

スムーズなのはずるいか

不思議なことにこうしたスムーズな解法は賞賛されるか、非難されるかという真逆の評価を受けることになるのです。

率直に、スムーズで素晴らしいと褒められる場合もあれば、逆に正攻法ではなくてずるい、手を抜いているという評価を受けることもあるということです。

前者は合理的感性であり、短い時間で多くの成果をあげることは素晴らしいですねという感覚ですね。

後者は、自分が持っている文化的社会的公正さのイメージにそぐわないので、好ましくないと感じるという人間的な感覚でしょう。自分は真面目にやってるのに、少ない労力でズルをしているというそういう感覚です。要するに嫉妬です。

これはもう、どう感じるかという世界の問題です。

その人が、どのように感じてどのように行動するかというのは自由です。

その結果も自業自得です。

結果を引き受けさえすれば、どちらのやり方であっても問題はありません。時間をかけて愚直にやるからこそ見える景色や学びというものも、間違いなく存在するからです。特に、結果が全てではない、過程が大切であるという視点においては間違いなくそうです。

ずるいかずるくないかというのは、議論のポイントがずれています。

本当に問うべきなのは、自分もそうしたいのか、そうでないか、ということです。

合理化を非難する文化に負けないことが大切

だからこそ、大した考えもなく感覚で合理化を否定する文化に安易に迎合するべきではないと考えます。

「エクセルのマクロを使って仕事をしたら、上司に理不尽に叱責された」

というのは、エクセルが仕事に使われるようになって以来の、あるあるネタでもう使い古されてしまって、未だにそんなことあるんだなーというレベルですけれど、作業療法士の世界でも、本質的にそういうところはあるかもしれません。

「時間をかけて、みっちり丁寧にやらないと、そこに愛はない」

みたいな。

でも、結局のところ、作業療法の対象者の方が求めていることに何がマッチするのかという、そういうシンプルな話だと思っています。対象者の方が愛を求めておりそれを充足することが、治療効果を大きくするのであれば、愛を追求するのも悪くないでしょう。

反対に、対象者の方が結果を求めているのなら、別にどれだけの時間がそこに費やされるか、どれだけ作業療法士が時間をかけて関わるかなんて関係ないわけです。

そういう人に対して、作業療法士が不必要なまでに長い時間関わり続けることには、違和感を感じます。

先のエクセルの話でいえば、短い時間で、大きな成果を出しているのに、それを非難するのは、機械化することで自分の仕事が奪われると考える人がいるからですし、単位時間当たりでの仕事量があまりに違うと、自分の仕事の価値が相対的に低下することを知っているからです。

このようなマインドのもと、同調圧力で、意味のない長時間作業療法と称して、対象者への関わりを継続するような関わり方をしているのであれば、それらは改めて行かないといけないと思います。

日本は医療費がただでさえ足りないということになっておりますので、本当に必要な人に必要なだけの資源を届けるという視点においては、ここは非常に重要なポイントです。

「マクロ」は、すべからく全ての作業療法士が使いこなせるようにならなければなりません。全ては、顧客である作業療法の対象者の方の利益を最大化しつつ、組織の利益にもそこそこ貢献することで、作業療法の持続可能性を高めるためです。

ずるいだの何だの言っている余裕はこれからのこの国にはありえないのですが、そこも、視野の違いだと思います。直近のことの方が気になる人もいれば、長期的な先のことを踏まえて今のことを考えるべきだという人もいます。

いわゆる合理的な人は後者であり、のちへの影響を考慮して現在の振る舞いを考えたり、またそれを実行に移したりします。

作業療法士はリハビリテーションの仕事であり、評価し目標を設定し、対象者の方に変化を迫る仕事です。その作業療法士が、自分自身を変えられないのは、作業療法士という存在の信用問題に関わると思っています。作業療法は、もっと合理化できるところはどんどんためらわずに変えていかなればならないでしょう。

ためらいが生じるのは、自分自身の「面倒だ」という気持ちと、その変化を良しとしない人からの反対を想定することによると思います。ですが、本当に価値があることであれば、その価値を理解できない人に関わる労力を使ってもったいことになるよりは、共感を得てくれる味方を増やすべきで、そうなるためには自分自身がどんどん変わっていく必要があります。

作業療法士は他人を変えることが仕事です。自分自身を変えることができないで、何を変えることができるでしょうか。合理化を非難する文化が確かにあることは認めつつも、今後を見据えて必要な変化であればそれを最後まで押し通すべきでしょう。

また、作業療法士の背景がどうとか、そんなことは、対象者の人には関係ない話で、対象者の方が本当に望んでいることはなんなのか、どうしたいのか、どのようにいきたいと願っているのか、本当に大切にするべきはそちらですから、やるべきと考えるなら遠慮なく、端折って合理化を進める利点はあると思います。

組織の秩序は何のため

往々にして合理化を妨げる要因となるのが、所属する組織のルール、つまり秩序です。

組織の秩序というと、雲をつかむみたいな話になりますが、私見としては、どのように人を動かすかということに尽きると思います。

つまり、組織に所属する人が、どのような考えや動機付けのもとで、どのように行動し、それがどのように必要とする成果に結びついているのか。

そういう視点で、人をどのように動かすかということにおいて、重要になるのが組織の秩序ということになると思います。

お分かりのようにこれは、合理主義者の視点であります。

逆に文化的社会的公正さの感覚から見ると、多数の人間がそれなりに折衝してみんなでやっていければそれでいいじゃないという感じになります。能力や生産性や成果に関係なく、組織に長く所属している人がより多くの給料をもらえるという年功序列型の会社組織の秩序も、そこに多くの人が公正さを感じており、納得のもとで働いていたからこそ、あり得た仕組みということになります。

ともあれ、組織の秩序は人を集団に縛り付けるため、もしくは集団に属する人に一定の方向性を与えることで目的の成果を揚げやすくするために存在します。

前者は、家の門限であり、国の戸籍システムなどが該当するでしょう。

後者は、道路交通法であり、国民皆保険制度でありましょう。

このような組織の秩序の働きを、組織のリーダーがうまく知覚し、活用できているかどうかを、作業療法士は敏感に感じ取らなければなりません。

つまり、上記2つのどちらの文脈で、組織の秩序を運用しようとしているのか、を理解しようとしなければならないということです。

合理性に乏しい組織であればあるほどに、「昔からこうだから」という意味もわからぬままに継承した無意味な文化が溢れかえっているはずですので、すぐにわかると思います。

大切なのは、自分が納得してその組織に所属しているのかどうかということになると思います。納得していないのなら、組織の秩序に働きかけるか、その組織から抜けることを考えましょう。

イノベーションに対抗する文化

合理性が文化や人に受け入れられるかどうかは、結局のところ、その社会がどの程度の変化を許容できるのかということにかかっています。

大相撲の話でいえば、横綱かくあれかし、という話です。

白鵬の相撲の取り方は、勝つための合理的な相撲です。相手をどのようにすれば負かすことができるかどうかに特化した相撲の取り口です。

しかし、相撲協会としてはそうした相撲は横綱らしくないから控えるべきであるという話になるそうです。相手の挑戦を受けてどっしりと組み相撲で戦わなければ、横綱の品格に欠けるというのです。

これはつまり、どういうことかというと、今の大相撲には白鵬のような強さを追求する相撲を受け入れるだけの度量、器量がないということです。相撲に勝利するにはという飽くなき探究の姿勢を持って横綱の品格とすることは、できないということです。

あれだけ相撲に対して、真面目に真摯に取り組んでいる力士は他にないと思うので、個人的には十分に横綱の品格を讃えているといって良いのではと思うのですが、相撲協会はそういう考えにはなれないということです。

一体それのどこが問題かというと、新しい価値を認められない組織は、変われない組織になります。変われない組織には、変われない人間が依存しやすいような組織の秩序が出来上がり、風通しが悪くないり、世間一般とのズレが次第に大きくなっていきます。

相撲でいえば、先輩からの暴力は指導であり、うちうちで解決すれば良いだろう、外に話すようなことではない、という話になります。

日本の法律に触れているのであれば、公に裁判までするべき話のはずなのですが、どうも、風通しが一旦悪くなると、組織というのはとことんまで腐りきってしまうようです。

作業療法士の世界も、医療の世界もそうですが、人材の流動性が低い組織においては離職率を下げるための試みが、却ってある世代の退職を促してしまっている、つまり離職率を上げている可能性すらあります。

そういう組織は、昨今の大相撲と一緒です。事故が起きれば隠蔽するし、物言えぬ人にどのような対応をしているかはお察しの通りです。

人材に流動性が乏しく、優秀な人材を外部から迎えたところで、何も変わらないという事態が起こることもしばしばです。また優秀な人材を、すぐに手放してしまうこともあります。

こうした組織において、変化を起こそうとする人間は敵です。

どんなに良い結果をもたらすイノベーションであったとしても、既存の秩序やそれを元にして成り立っている文化にあだなす害のある存在ということになります。

そんなゾンビのような組織は、早いところ絶滅すればいいと思うのですが、文化的社会的公正さの感覚に基づく組織は緩やかに衰退しながら意外と長生きです。もっとも所属している組織の構成員の表情は、どこか覇気に欠けますし、仕事をしていて楽しそうではありません。

そんな組織には存在意義を感じることができないのは私だけでしょうか。

コラム 変化耐性のはなし

自分が変われないから、変わったことをして結果を出す人を攻撃する人がいます。

ひとえに変化に対する耐性が低いからですが、それで他人を攻撃するのはナンセンスです。

なぜなら、変われないものが変われるものに変化しないことを強要するのは、変化することを強要されても文句は言えんと思うのです。

以上です。

組織の合理性追求と障害者就労の矛盾

ここまで書いて、一つ重要なことをまたここで書きます。

組織の構成員を純粋に成果で測るとしましょう。

つまり、成果を出す人間は雇用され続け、成果に乏しい人間はリリースされるというそいう組織が出来上がります。

医療や福祉の世界においては、そのような成果主義を導入することで、顧客である対象者に対して、より良いサービスを提供し、より良い結果を対象者に受け取ってもらうことができるでしょう。

そのためには、徹底して合理性を追求し無駄を省くことが重要です。なぜなら、日本の医療福祉介護の世界にはお金の余裕がないからです。

これを突き詰めると、例えば能力の乏しい作業療法士や成果の出せない作業療法士はお休みをもらうことになり、雇い続けてもらうこともできなくなるでしょう。つまり、成果の出せない人間はいらないというわけです。

一方で、障害者の方の就労においては、何も成果だけを以って就労できるできないを決めるわけではないですし、じゃあ医療介護福祉の分野においてもやっぱり働く側も合理性ばっかりを追求するのもなんか違うんでないのという、そういった感覚とはやはり矛盾するところがあると思います。

また、合理化をすすめたからといって、全ての問題が解決できるというものでもないことを感じさせてくれる矛盾でもあります。

大変でも、作業療法の合理化は必要

なぜなら、持続可能性がピンチだからです。

作業療法は無くても死にません。

資源やリソースが減れば、当然生存に関わることが最優先です。

 

そんな状況の中で、作業療法を必要としている人に、ちゃんと作業療法士が作業療法をリーチするためには、作業療法をもっともっと洗練して、短い期間でより多くのより良い変化をもたらすことができるようにしていくことが必要であり、それはまさに合理化のプロセスそのものであるといえます。

よって、作業療法には合理化が 必要であり、そのためには、作業療法士がまずは自分の頭を柔らかく保つと同時に、新しいものを厭わず、かといって周囲の評判を必要以上に気にせず、矛盾を飲み込めるだけの大きな視点を持って、いろいろな表現を行なっていくことが、これからの作業療法士には必要なのだろうと思います。

感情論と合理性をうまく統合できるか、その矛盾を相克できるかどうかは、作業療法が今後もっと進化していくための鍵になるようです。そのためには、作業療法士がもっと、自分のスキルを増やすことに貪欲であり続けること、そしてそのための正当な対価を組織に要求するだけの図太さを身につけ、組織に対する発言力やら影響力を強化することなどが必要かもしれません。

いずれにせよ、合理化をズルいなんていってる作業療法士はいないと信じたいです。

まとめ

合理的になれるかどうかは、

違うものを同じと見れるかどうか

新しいものを受け入れることができるかどうか

矛盾から、新しい到達点を見いだすことができるかどうか

 

 

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今更聞けないけど、作業療法士にとって重要な「エビデンスレベル」を理解する記事

エビデンスが大切と言われて久しいですが、エビデンスレベルというものが理解できなくて困っている作業療法士はいませんか?

なんとなく大切そうだなーというレベルから、なんとなくわかったわ、というレベルまで、作業療法士がエビデンスレベルの概念を理解できることを目標にした記事になります。

エビデンスレベルの概念は、臨床においても論文においても非常に重要ですので、なんとなくでも理解しておきましょう

エビデンスレベルがわかることのメリット

作業療法の研究では、臨床を文章に落とし込むというのが一つの大きな流れとしてあると思います。

これらが、症例報告、ケーススタディ、ケースシリーズなどと言われるものです。

こうした症例報告が、きちんとエビデンスとしての影響力を持つようにするにはどうしたらいいかがわかります。

また、論文を読むときに、その論文がどの程度信用できるのかをざっくり理解することができるようになります。

臨床では、確かな根拠を持って介入ができているという自信を強化してくれるものでもあり、きちんと自分の臨床に客観的な根拠を与えてくれるものであるといえます。

また、研究においては、自分の主張を強化するには、どうしたらいいかということがわかるようになりますので、論理的な思考力が身について、研究における無駄が減るはずです。

具体的なエビデンスレベルについて

以前、作業療法とエビデンスという記事を書きましたので、そちらで確認していただければと存じます。

作業療法(OT)とエビデンス

見ていただくと、専門用語のオンパレードであり、初見では何が何やらわからないことがわかると思います。

専門用語の意味

まずは、エビデンスレベルの説明に登場する専門用語について、一つずつ注目していきます。というか、統計で出てくる言葉なので、ちゃんと説明しようとすると統計に対する理解が必要なはずなので、ここでもざっくりとした説明で勘弁していただければと思います。

専門家の意見

専門家の、長年の経験、個人的な勘、予測を含んでの意見ということになります。漁師さんとか農家さん、伝統工芸の職人さんなどの、「こうしたらこうなるよ」という見解などがこれにあたります。

作業療法でいえば、先輩やら上司やらの発言だったり、講演会の講師の発言だったりするでしょう。

研修会などに積極的に行く作業療法士も多いと思いますので、そのエビデンスはどうなってるのかを確認するのも意義があると思います。

症例報告

何かをする前と後を前後で比較して、「ここがこんな感じで変わりました」という報告が症例報告です。

要するに専門用語でかかれた、ノンフィクションの物語です。

事実を書き溜めるという意義があります。

処置群

作業療法でいうところの介入をする、対象者、または対象者たち、ということになります。

一人ではなく、特定の作業療法を受けた人をひとかたまりとみなしているから、群なのですね。

対照群

処置群に対して、比べるための基準になる人たちの集まりですね。多くの場合は、偽薬だったり、何もしなかったりします。

処置をすることの効果を比較によってあぶり出したいからです。

ケースコントロール研究

作業療法の効果で変わったのか、それとも自然にそのような変化が見られるのか。

それを証明するのは難しいと感じたことがある人は多いと思います。

しかし、それを証明するのがこのケースコントロール研究です。

ある人の集まりの中から、作業療法の特定の介入の影響がどの程度あるのかを分析することができます。具体的には、作業療法の有る無しと、変化の有る無しも分析して、4つの群ができるのです。

バラバラに書いてみると

  1. 作業療法受けた 変化があった
  2. 作業療法受けた 変化なし
  3. 作業療法受けてない 変化があった
  4. 作業療法受けてない 変化がなかった

の4パターンの群ができる

ので、ある変化が介入によるものなのか、相関関係があるのかということをあぶり出したいときに使います。

計算の理解には、多分ベイズ統計の理解が必要なのではしょります。

これは、物事が起こってしまったあとから、ある変化は何が原因だったのかの因果関係をあぶり出すのに使えるので、作業療法の特性上は便利な方法だと思っています。

ランダム割付

無作為化といったほうが、意味が直感的にわかりやすいと思います。

作業療法する人としない人を、恣意的にならないように、偏らないように対照群と処置群にランダムに分けるという作業です。

同じ母集団からランダムに取り出したら、それぞれの集団は条件が似通ったものになるでしょうという統計学マジックです。

コホート研究

ケースコントロール研究は起こってしまった出来事を振り返ってする研究でした。

コホート研究は、起こる前からずーっと追いかける研究です。

つまり、作業療法をする人としない人の群をそれぞれ処置群と対照群として用意して、何らかの変化が起こるまでの一定期間、継続的に追跡調査をする研究ということになります。

また、同じ時間の中で、同時に行うことができるので、その辺りの年代的な条件を揃えることができるのも強みです。

要因対照研究とも呼ばれています。

時間も人手もかかるのでコストがかかるのが問題な手法ですが、わかりやすい研究手法であり、多くの人がしっくりくるのがこの研究手法ではないでしょうか。

過去のコントロール

比較対象ですね。

時間軸を問わないので、昔の比較対象という意味でしょう。

同時コントロール

同じ時間軸の中の、比較対象という意味でしょう。多分。

ランダム化比較試験

デザインされた研究でないと難しいのですが、エビデンスレベルはかなり高い試験方法です。

なぜデザインされた研究でないと難しいかというと、あらかじめ作業療法をする群と作業療法じゃないそれっぽい何かをする群をランダムに割り振りして、研究者と対象者にはどの対象者に作業療法が行われていて、行われていいないのかがわからないようにする工夫が必要になるからです。

これを作業療法の臨床でやるのは、ぶっちゃけ無理です。

効果のない作業療法もどきを対象者にするってのはありえないからです。

さておき、ランダム化比較試験というのはつまり、誰に作業療法がされていて、誰にされていないのかがわからないようにして統計処理にかけるという方法をとることで、分析する側が恣意的にデータを統計処理することを防ぐことを意図した研究方法になります。

とにかく、純粋な因果関係をあぶり出すという話です。

メタアナリシス

ランダム化比較試験をたくさんやればやるほど、信頼性が高まるようにするためのそういう方法です。そういう方法をメタアナリシスと言います。

各種データを俯瞰して、導き出す手法のことをメタアナリシスと言います。

この方法では、ランダム化比較試験では、現れてこないようなエビエンスの誤りを正すことができる力があり、より正確性をきすことができます。

矢とは違って、1本なら折れないけど、三本束ねるとおれることもあるのです。

つまり、複数のランダム化比較試験をまとめて、メタアナリシスすることでより精密にエビデンスを精査し、その真偽をはっきりとさせることができます。

今、エビデンスレベルの最も高い研究・検証の方法ということになります。

何はともあれ「症例報告」からはじめよう

さて、用語を見ながら、エビデンスとはどういうもので、エビデンスレベルの高低はどのようなものかを見てまいりました。

勘違いして欲しくないのは、エビデンスレベルが低いから、参考にするに値しないという話ではありません。また、取り組むのに値しないというものでもありません。

千里の道も一歩からです。

分析をするにも、材料がいるのです。

その材料は、なんでしょうか。

たくさんの症例の報告ということになります。

そうした報告の糸をより合わせて、太い綱にしていくことが必要です。

そう考えると、作業療法のエビデンスのもとになるような、作業療法の論文はまだまだ数が足りないでしょう。

もちろん分野にもよるとは思いますが、症例報告がたくさん集まれば、あとはいろいろな研究をいろいろな作業療法士がしてくれると思います。

エビエンスが出てくれば、きちんと国に働きかけることもできます。

本当に作業療法が必要な人への作業療法の重要性を、誰に対しても明確にすることができます。

まずは、「事実をありのままに書く」という症例報告から作業療法士は、「エビデンス道」の1歩目を踏み出す必要があると思います。

コラム エビデンスレベルの高い論文を読むには

ランダム化比較試験のメタアナリシスかどうかを判別して読めばいいということですね。

もっとも、作業療法の介入に関する論文は、日本語のものはほとんどランダムか比較試験のメタアナリシスに至るものはないでしょう。

ですから、英語で論文検索されることをお勧めします。

世界レベルならちらほら、そういう論文もあります。

まとめ

エビデンスレベルは

統計とランダムと尺度がきっちりするほど

上がる。

となんとなく理解してたら、とりあえずOKです。

 

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