【新卒の方】本当に必要なことは、まだ実現されていない【新しい環境で働く方】

四月になりましたね。

新卒の皆さん、国試の結果も出ていよいよ、ご就職といった段階ですが、今のご心境はいかがでしょうか?

ワクワク?ドキドキ?平常心?

ドキドキしている方に向けて、そのドキドキが少し和らぐような記事を書いてみたいと思います。

詳細は、タイトル通りです。新入社員の時に「自分から動け」と言われますので、そんなこんなの意味も込めての内容になっております。

とりあえずは、ドキドキ緩和の内容から入って、最後にタイトルの内容で締める構成で書いていきますね。

なかなか更新できなくて

ごめんなさい。

まずは、謝罪でございます。

 

本業が忙しすぎて更新に手が回りませんでした。

最近自分が今やっている仕事は、他の誰かに任せることはできないかを考えるようになっています。それは、協力して何かをすると、自分一人が死ぬほど頑張って得られる生産性を簡単に超えてしまうからです。

どれだけ、自分がたくさんの仕事をこなせるようになったとしても、それが真理です。

だから、たいていの仕事は、自分が実行せずとも流れの中でみんなでできるようにして、マンパワー的なリスクテイクを測るのです、最近。

 

どれだけハイパフォーマンスなことを狙ってできるようになったとしても、持続性がない仕事は、それは果たして本当に作業療法の対象者の方の為になることなのかという視点で仕事をするようにしてるのです。

が、しかし、今回は、その仕組みづくりをするために、かなりの時間と労力が必要になり、「僕が私が、俺が、わしが、わたくしがやらなきゃ誰がやる」

的な案件だったので、ひたすら忙しい中に無理やり時間を作って全力で片付けた結果更新ができませんでした。

ごめんなさい。

どんな仕事だったのかは、また機会を別にして書きたいと思います。

以下よりが、本題になります。

ドキドキの正体は「未知」

新しいことを始める時に、人はドキドキするのですよね。

歩き慣れた通学通勤路を歩いて、ドキドキする人は少数派でしょう。

むしろ、そんな日常にドキドキできるとしたら、それはもう立派な才能であると言えるでしょう。

 

さて、人は見知らぬもの「未知」に触れると、ドキドキします。

新卒や、転職をする皆さんは、見知らぬ場所で働くことになるのですから、ドキドキするのが当たり前です。

ドキドキするのは悪いことではありませんし、適度な緊張感は物事を能率的に進めたり、新しいことへの記憶を強めるという観点で非常に有用です。

 

また、「未知」であるということは、まっさらで真っ白ということなんで、変な先入観なく、物事を始められるという意味でも、いいことでしょう。

 

ただ、必要以上にドキドキするのは、頭が真っ白になったりとか、能率が落ちたりとかってことにもつながるので、あんまりよろしくないですよね。

ですから、適度にドキドキするために、無駄なドキドキを削れるような情報を書いていきます。

知ることができること

これから働く場所がどんなところなのかなんて、働いたこともないのにわかるわけがありません。

つまり、そこのドキドキは減らすことができないということです。

じゃあ、ドキドキの総量を減らしたいから、どうするかというと、他のところをきちんと知っておくことで他のところのドキドキの原因を取り除きましょう、そういうことですね。

で、そういう目線で考えた時に、

まずは、作業療法士、新しい職場で何をするべきか?

何が仕事捗らせるかということ

そして

作業療法士として必要なマインド

知っておくと、特に働き始めてから余計なことでドキドキしなくてすむのだと思いますから、そういうことを書いていきます。

まず礼儀

礼儀が大切です。

「何を当たり前のことを」

と思われた方は、読み飛ばして次の項目へ。

また、

「人として大切なことだから」

という説明で頷ける人も読み飛ばしてください。

それで納得できないある意味で素直な人向けに、実利的側面を書いていきます。

礼儀の効用

礼儀には大雑把には以下の2つの効用があると考えられます。

1つは、余計な心理的労力・コストの削減

2つは、年長者の方の覚えめでたくなること

一つずつ見ていくと

前者は、同じことをやっても違う受け取られ方をするということがあるということです。

どういうことでしょうか?これは、人間心理としては永遠のテーマともいうべきものだと思います。

例えば、ある人がテストで満点とったとき。

それが、賞賛の対象になるか、妬みそねみの対象になるかは、個々人で見ると気には人とひとの相性もありますが、全体として見た時にはその人のキャラクターが最も大きく影響します。

どれだけ素晴らしいことをしても、攻撃をしてくる人がたくさんいたとしたらどうでしょう。

多分、仕事が面白くなく感じる人が多いでしょう。

あの人がやるんだったら協力してもいいよ。

という、この手の人間の動きが作り出せるようになると得ですし、逆に「アイツ気にくわないわ」と思われたら、どれだけ素晴らしい提案も却下されやすくなります。

あ、そもそもそんな雰囲気の職場ってどうなの?という話もあろうかと思いますが、多くの場合はそういう雰囲気の職場です。多くの集団は、合理性より感性で動きます。その方が、直感的で早いからです。まあ、集団を統括するリーダーが存在するかどうかの要素も大きいですが。

この話は後者につながります。

後者の年長者の覚えがめでたいかどうかというのは、お給料に直結します。

同じ仕事をしても、違う給料になります。

仕事も重要なところに割り当てられやすくなります。

これは、なんでかというと、礼儀を実践できることはそれ単体で、各種の能力の高さを表明することになるからです。

対人経験の有無

その場を把握する能力

文脈に沿った言動を判定する力

その言動を表現する力

上記の過程をマネジメントする能力

礼儀というのは、突き詰めるとベースにそれなりの能力がないとうまくできません。

要するに、礼儀がちゃんとしているかどうかは、組織の管理者に自分の能力をアピールする貴重な機会ということですね。

という説明をしておけば、実利思考な方も納得できますか?

どうでしょうか?

やはり、自分が人を動かす時の武器にできるというポイントはでかいです。自分に急に責任が降ってきて、その時からいきなり、礼儀を徹底しようとしても、一貫しないから説得力がないので、なかなか人を動かすには至らないでしょう。

 

コラム 礼儀のいらない人

例えば、圧倒的な実力があれば、礼儀がなくても許されることがあります。

許されるというか、成立してしまうということですね。

絶対に真似をしないようにしましょう。

 

あるいは、圧倒的な実力を身につけましょう。その際は、すべて自己責任です。逃げ場を絶ってガンバてください。

礼儀って何すれば

じゃあ、礼儀って大事なんだとして、何を身につけておけばいいのかという話になりますよね。

だからといって、細かい礼儀作法を気にすることは、その組織に独特な風習的なものがあるので、事前に気にすることはあんまり意味がありません。

ですから、根幹となる礼儀を身につけておけば問題ありません。

礼儀の根幹

では礼儀の根幹とは何かということなのですが、このように考えることができると思います。

まず、相手を尊重すること、一人の人間として扱うこと。

そして、自分自身を大切にすること

前者は当たり前なことですが、日常に忙殺されると忘れがちです。また、相手から尊重されないと、自分も尊重しないようにしようという思考になっていってマイナスなスパイラルに陥ることになります。作業療法の対象者の方には、人間不信な方もおられますから、これはとても大切なことです。まずは、自分から相手を尊重するメッセージを発信することです。

で、意外とできてないのが、後者ですね。矢印が外向きばかりだとバランスが悪く、継続性に欠けます。自分を大切にすると、土台ができます。土台があって初めて、相手を大切にすることを継続できるようになります。要するに、自分の言動や心理にきちんと関心を向けるということですね。

ここさえ押さえておけば、あとは礼儀に関するどんな枝葉を学んでも、惑わずに邁進できると思います。

押さえておくべき礼儀のエダハ

じゃあ、なんの礼儀の具体的なところも知らなくてもいいかというと、ちょっとこれは知っといた方がいいよな、というものは確かにあります。

礼儀のエダハのうちで、個人的に知っときゃよかったというものを、独断と偏見で書いていきたいと思います。

顔と名前をすぐに覚え、とにかく挨拶

実は、

「あれ、誰だっけか」

と思うことが多い私です。

さて、そういう人にとって顔と名前を覚えることは非常に大変です。

でもですね、人との繋がりの一番大事なところですよね。

この「つながり」を大切にしようとする姿勢こそが、礼儀の根幹に率直につながるところです。

 

表現が難しいですが、赤の他人から、見知った人になる時のタイミングとか、スピード感が大事ってことですね。

相手に認知されると同時に、自分もどれだけ相手をしっかりと認知できるかというそういう当たり前のところです。

挨拶

先ほどの、つながりをうまく構築するための方法として有用なのが挨拶です。

互いの関係性を端的に表現することができるワザですね。

だから挨拶が大事だと言われるわけですね。

それを知っておくのと、そうでないのとの間には大きな差があると思います。

ドレスコード

服装を見ると、その人のことがわかるつもりになるのが人間です。

実際に、人間は自分が思っている以上に、無意識下で他者を外見や見た目で判断しています。

服装は、その人のキャラクターを表現するものとしてみなされますし、そのツールとして実際に有用です。

制服があるなら制服を。

制服がなければ、無難な服装はどのようなものであるかを、年長者に確認しましょう。

そのうち雰囲気がつかめてきたら、自分の色を出していけばいいのですから。

わからないことをわからないという

ここは徹底した方がいいと思います。

わからないことを、わからないとすぐに言えることが社会人として一番重要なポイントだと思います。

わからないと言えることは、責任範囲を明確にする能力に関わるからです。

いわゆる、謙虚さと言われるところだと思います。

謙虚であることは、いうまでもなく礼儀の一つの技術であると思います。

そのためには、「わからないこと」がなんなのかをわからないといけないのですが、それはまた別のお話としたいと思います。

文書のマナー

組織内というより、組織外に向けての見え方が違ってくるので、大事です。

最近は手軽に他施設とメールでやり取りをすることも増えているので、一応のルールを知っておくのは大切です。

署名をつけるとか、文体とか。色々ですね。

世の中は変わっていきますが、残るものもあります。

しかし、文章系のしきたりは、なんとなくで、今後も残るのではないかと思います。ビジネスなどの契約書やカルテなどの書類も記録として残すものですが、全部文書ですよね。だから、多分、ちゃんと勉強しといて損はありません。

その他の大人のマナー

あとは細かいところです。

気にするのはやめてしまいましょう。

電話対応とか。飲み会のマナーとかまで、言い始めたらキリがいないので、このぐらいで。

閑話休題

さて、これまでは話の枕、前置きです。

以下からが個人的には本題でして、作業療法士として働く上で、大切にしておくと心理的コスト、ストレスが少なくてすむかなという、マインドな話について書いていきます。

作業療法士という仕事

作業療法士という仕事について今一度確認をいたしましょう。

就職する前に、どんな職場かを知ることはできませんが、作業療法士がどんな仕事であるかを確認しておくことはできます。

一つずつ見ていきましょう。

まずは専門性について。

専門性とは何か

作業療法士はリハビリテーションの専門職、です。

で、「専門」とはどういう意味でしょう?

辞書的な意味は

「一つの事柄について、集中的に取り組むこと」

という意味です。

では専門職はというと、どうでしょうか?

「一つの事柄について、集中的に取り組む仕事」

となりますが、よくよく考えると変?ではないですか?

大抵のお仕事は、分業化されていますから。事務は事務職、一つの事柄について集中的に携わることになるはずだからです。それを専門職ということは少ないですよね。

専門職というのは、プラスアルファでもう少し要素がありそうですね。

では、どういう仕事が、結局専門職と言って良いかというと、これはもう私の個人的な感覚なんですが

「世の中の大多数の人ができないことに特化しており、それが実現できる人」

「それゆえに頼りにされる人」

ではないでしょうか?

それが専門職であると思います。

誰でもできることに特化していても、人はそれを専門職とは認識しないということです。

ありふれた成果しか出していない職種は、世の中から専門職として認識されないということです。

厳しい。世の中は実に厳しい。

作業療法と専門性

では、作業療法士は専門職でしょうか?

そうですね。作業療法の専門職です。というか、そうであらねばならないということです。

つまり、作業療法士は専門職ですから、まあ、そういうことです。

普通の人は出せない結果を出さないといけないのです。

さもなければ、専門職としては認知してもらえません。

作業療法の技法を用いて、結果を出さなければ、専門職たる作業療法士ではないということです。

ここに、新米作業療法士の構造的なツラさがあります。

最初から結果が出せるわけではないからです。

極端に言えば下記の通り。

新卒者は「専門職」ではない

専門職とは、世間一般の大勢の人が出せない結果を出すことができるような、特定の領域に特化して従事する人ということと、この記事では考えていきましょう。

すると、上記の意味において、新卒者の多くは専門職足り得ないでしょう。

なぜなら、専門職たる結果が出せないからです。

まず、頼りにされることが少ないでしょう。

学生時代にめちゃくちゃ勉強して、頭の中にパスやらプロトコールやら、エビデンスやらが山ほど詰まっている人でさえ、まず新卒者は教わるばかりで、アウトプットの機会を得る方が大変です。もちろん、成長スピードは天地の差があるでしょうが、とりあえずは結果を出すには至らないし、それが当たり前です。

つまり専門職ではない人間がどうやったら専門職足りえるようになるかを考えたら良いわけです。

そうですね、結果を出せるようになったらいいわけです。

そのために、どうしたらいいかを考えるようにしたら、とりあえずうまく働き始めることができるようになると思います。それでいいと思います。

作業療法士が用いる一見ありふれた介入手段

あと、作業療法士として専門職であるということを結果として示すのはやらないといけないことなんですけども、その過程で専門性を発揮するのは特に新人のうちには、なかなか難しいことだったりします。

もちろんちゃんと評価ができる人は別ですよ。しかし、そこの評価が甘いとどういうことが起きるか。ただ活動を提供しているだけというふうにしか周りからは見えないのです。

どういうことかと言いますと、作業療法士の具体的な介入場面を切り取ると、ともすると、アクティビティとして用いるものが、世の中にできる人がいっぱいいる活動がほとんどですよね?

例えば、よく使うアクティビティといたしましては

編み物、縫い物、ビーズ細工、折り紙、塗り絵、ちぎり絵、貼り絵、料理、掃除、買い物、洗濯、歩行

などなどありますが、世間一般にそれができることが当たり前と考えている人がどれだけたくさんいるか。

あるいは、最近だと、認知機能の障害を訓練する目的で、テレビゲームなんかも治療の手段として使ったりしますけれども、ひょっとしたら

「それのどこが作業療法やねん」

というツッコミが来るかもしれません。

ちゃんと作業療法して結果も出てるんですが、ぱっと見た目で過程だけを切り抜かれるとそうなります。

まあ、きちんとその点について説明ができない作業療法士の側に責任があるのですけれどね。

むしろ、作業療法においては、ありふれた活動こそ優れています。

生活に寄り添うんだから、特殊なことしたって生活に繋がらなければリハビリテーションとしては意味をなさないのです。病院でしかできないような特殊な訓練をやったところで、対象者の方が家に帰ってできなかったとしたら、どうでしょう。回復著しい急性期ならまだしも、維持期とかだとほとんど意味の無いものになってしまいます。

が、見た目のインパクトがすごい方が専門職としてみなされやすいのは、先ほどの見た目の話にもつながるところかもしれません。そういう見た目を重視するあまり意味の無いことをすることが一般化している職場もあるでしょう。

そこを見抜く目を持っていただきたいと思います。

私たちは、対象者の方からお金と人生の貴重な時間を頂いて仕事をするようになるわけですから。

まあ、とにかくそのくらい、作業療法は「専門職」として働くことが実はとても難しい仕事です。

だいたい新米の作業療法士の大半はこの手の悩みを持ってます。

だから、作業療法を仕事にする作業療法士が難しい仕事あることに自覚的であって頂きたいなと思います。

なぜか。

作業療法に行き詰まる作業療法士は多い

作業療法は一見単純

でも実際には難しい。

その難しさをわかってもらうのも難しい。

そういう難しさもある。

本業以外も大変。

組織の中で作業療法士としての専門性をきちんと運用するのも大変。

もうとりあえず大変だと思っておきましょう。

そうすれば、大変なのは自分に能力がないからだ、なんて思わなくて済みます。

どうせ、作業療法士をしていると誰しも必ず仕事に行き詰まります。

そこで大切なことは、すぐに次の手を打ったり別の方向から考えたりという切り替えができるかどうかということになると思います。

でもそれができない人がいます。それができないのはなぜかというと、きっと、作業療法が難しいという自覚がないからだと思います。自分に能力が足りないからできないのだと立ち止まってしまうからだと思います。

行き詰まるのは自分だけでは無いし、行き詰って当たり前の仕事をしているんだと思って前向きに頑張りましょう。そうでなければ、不必要にモチベーションが低下したり、無用な無力感に苛まれることになるでしょうから。

あと、さっき見抜けるようになってくださいねと書きましたが、年数的に見たときに「中堅」に当たる作業療法士であっても、どうにも「専門職」足り得ない人たちは、実はたくさんいます。非常に残念なことですが。

ですから、自分が中堅になった時にそうならないように、経験年数の浅い新人、まして新卒者においては、「専門職」で居られないことがむしろ普通と自覚してどんどん色々なことに挑戦してほしいと思います。

そして、難しいということを認識して、その先の問題解決を形にできることが作業療法士に求められる専門性であると思います。

つまり、作業療法士の仕事はその本質はかなりクリエイティブな能力が必要な仕事ということです。

モラトリアムの重要性

モラトリアムには色々な解釈がありますが、この場合は

無責任かつ自由な状態

と考えてください。

良い作業療法士が育つためにはそれが必要です。

良い作業療法の本質は問題解決です。

新たな問題解決を行うためには、そこに余裕が必要になります。

また、問題解決は習慣のなせる業でもあります。

つまり、作業療法士として、生涯にわたって良い仕事をするためには、新卒の時にどれだけ、ありもしない設問を自分で作り出すことができるか、にかかっているということであり、そのための余裕がどの程度その職場で確保できるかということが大切になるということです。

きちんと礼儀正しく、管理者つまり自分の職場の上司と責任をシェアしましょう。それで、なるべくモラトリアムな状況を作り出せるように頑張りましょう。

これがまず、やるべき挑戦かなと思います。

本当に必要なことは、まだ誰も実現できていない

こっからが一番書きたかったことです。

作業療法は、本当にまだまだ発展途上の業界であると感じます。作業療法の一番面白いところは、その不確実性の中から価値のある仕事を作り上げる点にあります。

そして専門性は、資本主義社会の中にいかに低コストで、高い生産性を発揮するかという点と、心理的な支援がどれだけできるかという相反する二つを両立させることにあります。

つまりこれは、いわゆる矛盾だったり、「不可能」を現実にする仕事です。

時間も金もマンパワーも有限な中で、どれだけ立ち直りや社会的復権を支援できるかと、そういう仕事です。

そして、そこに正解はありませんし、これまでのどの試みも全ての問題を解決するものではありません。

これまでやってきたことを、なぞっていたのでは解決できない課題が山のようにあります。つまり、そうした問題を解決していくためにはこれまでのうまくいかなさを踏まえて新しいアプローチをどんどん開発していく必要があるということです。

また、世の中と人を結ぶのも作業療法士の重要な仕事の一つであります。

ですので、世の中の変化に合わせて作業療法士の働き方や考え方アウトプット方法などは常に変化しなければならないということです。

だから、これから作業療法士として新しい職場で働くことになる皆さんには、ぜひ、新しいなにかに挑戦して行くことを大切にしてもらいたいと思います。

もちろんこれまでの蓄積を学ぶことは、何ができて何ができないのか知るために非常に重要です。ポイントになるのは、単なる学びの範疇で終わるのではなく、その先を念頭に置いて、仕事をしてもらいたいということです。

対象者や、職場の他の人が求めるよりも、良い結果を生み出せる方法論は、今の常識の外側にあります。だから、それが周囲の人から奇異に見えてもやり抜く必要性を確信できたならそれを実行しなければならないということです。

もちろん、非常に難しいと思います。

そして、その能力があったとして、それに見合うだけの正当な評価、対価がもらえるわけでもありません。

ですが、これからの世の中の移り変わりなどを見据えた時には、そういう働き方が自身も対象者も幸せにできる働き方なのだろうと思います。

作業療法士の仕事は『仕方ない』をいかにしてやっつけて、対象者の生活を豊かにすること、その主体性をサポートできるかということですから、その本当に必要な部分を実現するために、いろいろ頑張ったらいいんじゃないかと思います。

そうしたら、たくさんの物事に触れて、いろんなことを学んだとしても、大切なものは見失わないで、仕事頑張れるんじゃないでしょうか。

クリエイティブであるためには

じゃあ、今実現できてきないことを実現する能力が必要で、世の中的にはそれをクリエイティブであるかどうかなんて言ったりしますけれども、さてクリエイティブになるにはどうしたらいいでしょうか。

クリエイティビティに最も関わる要素というのは、割とセンサーとかマインドな気がしています。

シンプルに表現すると

まずは、自分がどんなことをしたいのか

そのためには何がわかっていないのか

やりたいことをやるためには、どんな自分でいなければいけないのか

などなどを知っておくといいと思います。

とりあえず3年頑張れ

先ほど述べたように、新人を育てるには、モラトリアムが必要不可欠です。

逆に言えば、ちゃんと育つためには、ある一定の期間が必要ということです。

最も、合う合わないがありますから、ちょっと頑張って見てダメそうなら切りましょう。

そのちょっとの期間がやっぱり3年という期間になろうかと思います。

その後のことを考えると都合がいいですし、どんな職場でもきちんとリミットを設定していればそれなりに頑張れるものです。まあ正直半年でも厳しい職場というものは存在するらしいので、その時は、きちんとした手続きを踏んで、その職場をササと辞めてしまうのも一つ手ではあります。

というのも、ダメな職場は本当にダメですから、必要以上に思い悩む前に辞めてしまうことで、あなたが作業療法士やめなくて済みます。そっちのが大切ですから、頑張りすぎない程度に頑張ってください。

作業療法士を必要とする職場は本当にたくさんありますから、たまたま一つの職場にうんざりしたからと言って作業療法士そのものを引退するのも残念な話なので、まあ、いろいろ書いてきましたけど、参考になったら嬉しいです。

未来の作業療法はあなたたちが作っていくことになるんです。

できることを一つずつやって頑張りましょう。

まとめ

新しい場所で頑張ってください

ご就職おめでとうございます。

「いいな!」と思ったら、シェアをお願い致します。

社会と作業療法と効率化を妨げるものの話

作業療法を必要とする人に作業療法を届け続けるために作業療法に必要なのは、イノベーションだと思っています。つまり、作業療法士がどの程度、何かを変えることに対して積極的になれるかどうかということです。

安定と変化のバランスが大切ですが、医療全体を見ていると安定にしがみつこうとしている嫌いがあり、作業療法士はそこでどのように振る舞うかが問われているようです。

作業療法と社会全体をぼんやりと眺めて、この記事を書いていきます。

林先生の授業の数学のはなし

東進の林先生のテレビ番組にて、「算数の入れ替えの問題」の問題について取り上げていました。

この問題は、twitterで探せば類似のものがたくさん出てきます。例えば、以下のようなものです。

で、交換法則を認めず、これが間違いになるのは、どうなのかという話は、以前世間一般で議論になりました。

これについて、いろいろな意見があると思います。

今読んでおられるあなたはどのように感じますか?

「学校の先生に習った通りに回答していないのだから減点すべき」

と感じるか、はたまた

「算数の先の数学においては、交換法則習うんだからさあ、バカみたい」

と思うかは、その人がどこに重きを置いて考えるかによると思います。

 

前者は、「悪法も法」つまり、暗黙のルールでも守らなければならないし、それが秩序であるという考えかたと言えるでしょう。

後者は、合理主義というか、論理的に正しければ、良いのではという考え方であると言えるでしょう。

要するに見ている世界も違うし、その背景にある物差しもおそらく違うのだと思います。

 

ちなみにこの番組では、世界的な数学の権威の意見を参考として、

「きちんと問題文で条件を提示していないのであれば、不正解とする合理的理由はない」

「ガウスという天才がいたが、彼は交換法則を見出して1〜100までの合計を瞬時に見抜いて見せたが、そこで交換法則を否定するような教師に指導されていたら彼の数学者としての人生はなかったかもしれない」

という方向で意見集約されていました。

上記の話は、「合理性」というものを考える上で非常に示唆に富んでいます。

合理性とは方法論の改善

アルゴリズムという言葉を聞いたことがあるでしょうか?

主にITの世界で使われる言葉かもしれませんが、「方法論」と言い換えても良いかもしれません。ようするにやり方、方法です。

同じ結果を得るために、様々なやり方がある、そのやる方のことをアルゴリズムと言います。

先ほどのガウスの逸話でいえば、

1〜100の合計を計算する方法は、

一から順番に100まで足す

1+2+3+4+5+6+・・・・+99+100

101掛ける50

という方法の2つのアルゴリズムがあります。

お分かりのように、そのどちらを用いるかによって、結果を得るために必要な時間が大きく異なるはずです。

多くの人は足し算の処理を頭の中で100回繰り返すの時間に比べると、一回の掛け算を頑張る方が早く計算の結果を得ることができるでしょう。

 

これは、和の交換法則が成り立つという前提と同じものが複数個あるなら積として扱えるという知識があるがゆえにできる、スムーズな回答なのです。

で、この方法にバツをつける学校の先生がいるということが問題視されているわけです。

「学校で習っていないことをするのはけしからん」ということですね。

しかし、習っていようがいまいが、賢い人は、合理的な考え方をしますし、結果が同じならば、低コストな方を選びます。それが、のちの選択肢の幅を広げる方向に影響すること、つまり自分の人生をより豊かにすることに直結することを理解しているからです。

スムーズなのはずるいか

不思議なことにこうしたスムーズな解法は賞賛されるか、非難されるかという真逆の評価を受けることになるのです。

率直に、スムーズで素晴らしいと褒められる場合もあれば、逆に正攻法ではなくてずるい、手を抜いているという評価を受けることもあるということです。

前者は合理的感性であり、短い時間で多くの成果をあげることは素晴らしいですねという感覚ですね。

後者は、自分が持っている文化的社会的公正さのイメージにそぐわないので、好ましくないと感じるという人間的な感覚でしょう。自分は真面目にやってるのに、少ない労力でズルをしているというそういう感覚です。要するに嫉妬です。

これはもう、どう感じるかという世界の問題です。

その人が、どのように感じてどのように行動するかというのは自由です。

その結果も自業自得です。

結果を引き受けさえすれば、どちらのやり方であっても問題はありません。時間をかけて愚直にやるからこそ見える景色や学びというものも、間違いなく存在するからです。特に、結果が全てではない、過程が大切であるという視点においては間違いなくそうです。

ずるいかずるくないかというのは、議論のポイントがずれています。

本当に問うべきなのは、自分もそうしたいのか、そうでないか、ということです。

合理化を非難する文化に負けないことが大切

だからこそ、大した考えもなく感覚で合理化を否定する文化に安易に迎合するべきではないと考えます。

「エクセルのマクロを使って仕事をしたら、上司に理不尽に叱責された」

というのは、エクセルが仕事に使われるようになって以来の、あるあるネタでもう使い古されてしまって、未だにそんなことあるんだなーというレベルですけれど、作業療法士の世界でも、本質的にそういうところはあるかもしれません。

「時間をかけて、みっちり丁寧にやらないと、そこに愛はない」

みたいな。

でも、結局のところ、作業療法の対象者の方が求めていることに何がマッチするのかという、そういうシンプルな話だと思っています。対象者の方が愛を求めておりそれを充足することが、治療効果を大きくするのであれば、愛を追求するのも悪くないでしょう。

反対に、対象者の方が結果を求めているのなら、別にどれだけの時間がそこに費やされるか、どれだけ作業療法士が時間をかけて関わるかなんて関係ないわけです。

そういう人に対して、作業療法士が不必要なまでに長い時間関わり続けることには、違和感を感じます。

先のエクセルの話でいえば、短い時間で、大きな成果を出しているのに、それを非難するのは、機械化することで自分の仕事が奪われると考える人がいるからですし、単位時間当たりでの仕事量があまりに違うと、自分の仕事の価値が相対的に低下することを知っているからです。

このようなマインドのもと、同調圧力で、意味のない長時間作業療法と称して、対象者への関わりを継続するような関わり方をしているのであれば、それらは改めて行かないといけないと思います。

日本は医療費がただでさえ足りないということになっておりますので、本当に必要な人に必要なだけの資源を届けるという視点においては、ここは非常に重要なポイントです。

「マクロ」は、すべからく全ての作業療法士が使いこなせるようにならなければなりません。全ては、顧客である作業療法の対象者の方の利益を最大化しつつ、組織の利益にもそこそこ貢献することで、作業療法の持続可能性を高めるためです。

ずるいだの何だの言っている余裕はこれからのこの国にはありえないのですが、そこも、視野の違いだと思います。直近のことの方が気になる人もいれば、長期的な先のことを踏まえて今のことを考えるべきだという人もいます。

いわゆる合理的な人は後者であり、のちへの影響を考慮して現在の振る舞いを考えたり、またそれを実行に移したりします。

作業療法士はリハビリテーションの仕事であり、評価し目標を設定し、対象者の方に変化を迫る仕事です。その作業療法士が、自分自身を変えられないのは、作業療法士という存在の信用問題に関わると思っています。作業療法は、もっと合理化できるところはどんどんためらわずに変えていかなればならないでしょう。

ためらいが生じるのは、自分自身の「面倒だ」という気持ちと、その変化を良しとしない人からの反対を想定することによると思います。ですが、本当に価値があることであれば、その価値を理解できない人に関わる労力を使ってもったいことになるよりは、共感を得てくれる味方を増やすべきで、そうなるためには自分自身がどんどん変わっていく必要があります。

作業療法士は他人を変えることが仕事です。自分自身を変えることができないで、何を変えることができるでしょうか。合理化を非難する文化が確かにあることは認めつつも、今後を見据えて必要な変化であればそれを最後まで押し通すべきでしょう。

また、作業療法士の背景がどうとか、そんなことは、対象者の人には関係ない話で、対象者の方が本当に望んでいることはなんなのか、どうしたいのか、どのようにいきたいと願っているのか、本当に大切にするべきはそちらですから、やるべきと考えるなら遠慮なく、端折って合理化を進める利点はあると思います。

組織の秩序は何のため

往々にして合理化を妨げる要因となるのが、所属する組織のルール、つまり秩序です。

組織の秩序というと、雲をつかむみたいな話になりますが、私見としては、どのように人を動かすかということに尽きると思います。

つまり、組織に所属する人が、どのような考えや動機付けのもとで、どのように行動し、それがどのように必要とする成果に結びついているのか。

そういう視点で、人をどのように動かすかということにおいて、重要になるのが組織の秩序ということになると思います。

お分かりのようにこれは、合理主義者の視点であります。

逆に文化的社会的公正さの感覚から見ると、多数の人間がそれなりに折衝してみんなでやっていければそれでいいじゃないという感じになります。能力や生産性や成果に関係なく、組織に長く所属している人がより多くの給料をもらえるという年功序列型の会社組織の秩序も、そこに多くの人が公正さを感じており、納得のもとで働いていたからこそ、あり得た仕組みということになります。

ともあれ、組織の秩序は人を集団に縛り付けるため、もしくは集団に属する人に一定の方向性を与えることで目的の成果を揚げやすくするために存在します。

前者は、家の門限であり、国の戸籍システムなどが該当するでしょう。

後者は、道路交通法であり、国民皆保険制度でありましょう。

このような組織の秩序の働きを、組織のリーダーがうまく知覚し、活用できているかどうかを、作業療法士は敏感に感じ取らなければなりません。

つまり、上記2つのどちらの文脈で、組織の秩序を運用しようとしているのか、を理解しようとしなければならないということです。

合理性に乏しい組織であればあるほどに、「昔からこうだから」という意味もわからぬままに継承した無意味な文化が溢れかえっているはずですので、すぐにわかると思います。

大切なのは、自分が納得してその組織に所属しているのかどうかということになると思います。納得していないのなら、組織の秩序に働きかけるか、その組織から抜けることを考えましょう。

イノベーションに対抗する文化

合理性が文化や人に受け入れられるかどうかは、結局のところ、その社会がどの程度の変化を許容できるのかということにかかっています。

大相撲の話でいえば、横綱かくあれかし、という話です。

白鵬の相撲の取り方は、勝つための合理的な相撲です。相手をどのようにすれば負かすことができるかどうかに特化した相撲の取り口です。

しかし、相撲協会としてはそうした相撲は横綱らしくないから控えるべきであるという話になるそうです。相手の挑戦を受けてどっしりと組み相撲で戦わなければ、横綱の品格に欠けるというのです。

これはつまり、どういうことかというと、今の大相撲には白鵬のような強さを追求する相撲を受け入れるだけの度量、器量がないということです。相撲に勝利するにはという飽くなき探究の姿勢を持って横綱の品格とすることは、できないということです。

あれだけ相撲に対して、真面目に真摯に取り組んでいる力士は他にないと思うので、個人的には十分に横綱の品格を讃えているといって良いのではと思うのですが、相撲協会はそういう考えにはなれないということです。

一体それのどこが問題かというと、新しい価値を認められない組織は、変われない組織になります。変われない組織には、変われない人間が依存しやすいような組織の秩序が出来上がり、風通しが悪くないり、世間一般とのズレが次第に大きくなっていきます。

相撲でいえば、先輩からの暴力は指導であり、うちうちで解決すれば良いだろう、外に話すようなことではない、という話になります。

日本の法律に触れているのであれば、公に裁判までするべき話のはずなのですが、どうも、風通しが一旦悪くなると、組織というのはとことんまで腐りきってしまうようです。

作業療法士の世界も、医療の世界もそうですが、人材の流動性が低い組織においては離職率を下げるための試みが、却ってある世代の退職を促してしまっている、つまり離職率を上げている可能性すらあります。

そういう組織は、昨今の大相撲と一緒です。事故が起きれば隠蔽するし、物言えぬ人にどのような対応をしているかはお察しの通りです。

人材に流動性が乏しく、優秀な人材を外部から迎えたところで、何も変わらないという事態が起こることもしばしばです。また優秀な人材を、すぐに手放してしまうこともあります。

こうした組織において、変化を起こそうとする人間は敵です。

どんなに良い結果をもたらすイノベーションであったとしても、既存の秩序やそれを元にして成り立っている文化にあだなす害のある存在ということになります。

そんなゾンビのような組織は、早いところ絶滅すればいいと思うのですが、文化的社会的公正さの感覚に基づく組織は緩やかに衰退しながら意外と長生きです。もっとも所属している組織の構成員の表情は、どこか覇気に欠けますし、仕事をしていて楽しそうではありません。

そんな組織には存在意義を感じることができないのは私だけでしょうか。

コラム 変化耐性のはなし

自分が変われないから、変わったことをして結果を出す人を攻撃する人がいます。

ひとえに変化に対する耐性が低いからですが、それで他人を攻撃するのはナンセンスです。

なぜなら、変われないものが変われるものに変化しないことを強要するのは、変化することを強要されても文句は言えんと思うのです。

以上です。

組織の合理性追求と障害者就労の矛盾

ここまで書いて、一つ重要なことをまたここで書きます。

組織の構成員を純粋に成果で測るとしましょう。

つまり、成果を出す人間は雇用され続け、成果に乏しい人間はリリースされるというそいう組織が出来上がります。

医療や福祉の世界においては、そのような成果主義を導入することで、顧客である対象者に対して、より良いサービスを提供し、より良い結果を対象者に受け取ってもらうことができるでしょう。

そのためには、徹底して合理性を追求し無駄を省くことが重要です。なぜなら、日本の医療福祉介護の世界にはお金の余裕がないからです。

これを突き詰めると、例えば能力の乏しい作業療法士や成果の出せない作業療法士はお休みをもらうことになり、雇い続けてもらうこともできなくなるでしょう。つまり、成果の出せない人間はいらないというわけです。

一方で、障害者の方の就労においては、何も成果だけを以って就労できるできないを決めるわけではないですし、じゃあ医療介護福祉の分野においてもやっぱり働く側も合理性ばっかりを追求するのもなんか違うんでないのという、そういった感覚とはやはり矛盾するところがあると思います。

また、合理化をすすめたからといって、全ての問題が解決できるというものでもないことを感じさせてくれる矛盾でもあります。

大変でも、作業療法の合理化は必要

なぜなら、持続可能性がピンチだからです。

作業療法は無くても死にません。

資源やリソースが減れば、当然生存に関わることが最優先です。

 

そんな状況の中で、作業療法を必要としている人に、ちゃんと作業療法士が作業療法をリーチするためには、作業療法をもっともっと洗練して、短い期間でより多くのより良い変化をもたらすことができるようにしていくことが必要であり、それはまさに合理化のプロセスそのものであるといえます。

よって、作業療法には合理化が 必要であり、そのためには、作業療法士がまずは自分の頭を柔らかく保つと同時に、新しいものを厭わず、かといって周囲の評判を必要以上に気にせず、矛盾を飲み込めるだけの大きな視点を持って、いろいろな表現を行なっていくことが、これからの作業療法士には必要なのだろうと思います。

感情論と合理性をうまく統合できるか、その矛盾を相克できるかどうかは、作業療法が今後もっと進化していくための鍵になるようです。そのためには、作業療法士がもっと、自分のスキルを増やすことに貪欲であり続けること、そしてそのための正当な対価を組織に要求するだけの図太さを身につけ、組織に対する発言力やら影響力を強化することなどが必要かもしれません。

いずれにせよ、合理化をズルいなんていってる作業療法士はいないと信じたいです。

まとめ

合理的になれるかどうかは、

違うものを同じと見れるかどうか

新しいものを受け入れることができるかどうか

矛盾から、新しい到達点を見いだすことができるかどうか

 

 

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今更聞けないけど、作業療法士にとって重要な「エビデンスレベル」を理解する記事

エビデンスが大切と言われて久しいですが、エビデンスレベルというものが理解できなくて困っている作業療法士はいませんか?

なんとなく大切そうだなーというレベルから、なんとなくわかったわ、というレベルまで、作業療法士がエビデンスレベルの概念を理解できることを目標にした記事になります。

エビデンスレベルの概念は、臨床においても論文においても非常に重要ですので、なんとなくでも理解しておきましょう

エビデンスレベルがわかることのメリット

作業療法の研究では、臨床を文章に落とし込むというのが一つの大きな流れとしてあると思います。

これらが、症例報告、ケーススタディ、ケースシリーズなどと言われるものです。

こうした症例報告が、きちんとエビデンスとしての影響力を持つようにするにはどうしたらいいかがわかります。

また、論文を読むときに、その論文がどの程度信用できるのかをざっくり理解することができるようになります。

臨床では、確かな根拠を持って介入ができているという自信を強化してくれるものでもあり、きちんと自分の臨床に客観的な根拠を与えてくれるものであるといえます。

また、研究においては、自分の主張を強化するには、どうしたらいいかということがわかるようになりますので、論理的な思考力が身について、研究における無駄が減るはずです。

具体的なエビデンスレベルについて

以前、作業療法とエビデンスという記事を書きましたので、そちらで確認していただければと存じます。

作業療法(OT)とエビデンス

見ていただくと、専門用語のオンパレードであり、初見では何が何やらわからないことがわかると思います。

専門用語の意味

まずは、エビデンスレベルの説明に登場する専門用語について、一つずつ注目していきます。というか、統計で出てくる言葉なので、ちゃんと説明しようとすると統計に対する理解が必要なはずなので、ここでもざっくりとした説明で勘弁していただければと思います。

専門家の意見

専門家の、長年の経験、個人的な勘、予測を含んでの意見ということになります。漁師さんとか農家さん、伝統工芸の職人さんなどの、「こうしたらこうなるよ」という見解などがこれにあたります。

作業療法でいえば、先輩やら上司やらの発言だったり、講演会の講師の発言だったりするでしょう。

研修会などに積極的に行く作業療法士も多いと思いますので、そのエビデンスはどうなってるのかを確認するのも意義があると思います。

症例報告

何かをする前と後を前後で比較して、「ここがこんな感じで変わりました」という報告が症例報告です。

要するに専門用語でかかれた、ノンフィクションの物語です。

事実を書き溜めるという意義があります。

処置群

作業療法でいうところの介入をする、対象者、または対象者たち、ということになります。

一人ではなく、特定の作業療法を受けた人をひとかたまりとみなしているから、群なのですね。

対照群

処置群に対して、比べるための基準になる人たちの集まりですね。多くの場合は、偽薬だったり、何もしなかったりします。

処置をすることの効果を比較によってあぶり出したいからです。

ケースコントロール研究

作業療法の効果で変わったのか、それとも自然にそのような変化が見られるのか。

それを証明するのは難しいと感じたことがある人は多いと思います。

しかし、それを証明するのがこのケースコントロール研究です。

ある人の集まりの中から、作業療法の特定の介入の影響がどの程度あるのかを分析することができます。具体的には、作業療法の有る無しと、変化の有る無しも分析して、4つの群ができるのです。

バラバラに書いてみると

  1. 作業療法受けた 変化があった
  2. 作業療法受けた 変化なし
  3. 作業療法受けてない 変化があった
  4. 作業療法受けてない 変化がなかった

の4パターンの群ができる

ので、ある変化が介入によるものなのか、相関関係があるのかということをあぶり出したいときに使います。

計算の理解には、多分ベイズ統計の理解が必要なのではしょります。

これは、物事が起こってしまったあとから、ある変化は何が原因だったのかの因果関係をあぶり出すのに使えるので、作業療法の特性上は便利な方法だと思っています。

ランダム割付

無作為化といったほうが、意味が直感的にわかりやすいと思います。

作業療法する人としない人を、恣意的にならないように、偏らないように対照群と処置群にランダムに分けるという作業です。

同じ母集団からランダムに取り出したら、それぞれの集団は条件が似通ったものになるでしょうという統計学マジックです。

コホート研究

ケースコントロール研究は起こってしまった出来事を振り返ってする研究でした。

コホート研究は、起こる前からずーっと追いかける研究です。

つまり、作業療法をする人としない人の群をそれぞれ処置群と対照群として用意して、何らかの変化が起こるまでの一定期間、継続的に追跡調査をする研究ということになります。

また、同じ時間の中で、同時に行うことができるので、その辺りの年代的な条件を揃えることができるのも強みです。

要因対照研究とも呼ばれています。

時間も人手もかかるのでコストがかかるのが問題な手法ですが、わかりやすい研究手法であり、多くの人がしっくりくるのがこの研究手法ではないでしょうか。

過去のコントロール

比較対象ですね。

時間軸を問わないので、昔の比較対象という意味でしょう。

同時コントロール

同じ時間軸の中の、比較対象という意味でしょう。多分。

ランダム化比較試験

デザインされた研究でないと難しいのですが、エビデンスレベルはかなり高い試験方法です。

なぜデザインされた研究でないと難しいかというと、あらかじめ作業療法をする群と作業療法じゃないそれっぽい何かをする群をランダムに割り振りして、研究者と対象者にはどの対象者に作業療法が行われていて、行われていいないのかがわからないようにする工夫が必要になるからです。

これを作業療法の臨床でやるのは、ぶっちゃけ無理です。

効果のない作業療法もどきを対象者にするってのはありえないからです。

さておき、ランダム化比較試験というのはつまり、誰に作業療法がされていて、誰にされていないのかがわからないようにして統計処理にかけるという方法をとることで、分析する側が恣意的にデータを統計処理することを防ぐことを意図した研究方法になります。

とにかく、純粋な因果関係をあぶり出すという話です。

メタアナリシス

ランダム化比較試験をたくさんやればやるほど、信頼性が高まるようにするためのそういう方法です。そういう方法をメタアナリシスと言います。

各種データを俯瞰して、導き出す手法のことをメタアナリシスと言います。

この方法では、ランダム化比較試験では、現れてこないようなエビエンスの誤りを正すことができる力があり、より正確性をきすことができます。

矢とは違って、1本なら折れないけど、三本束ねるとおれることもあるのです。

つまり、複数のランダム化比較試験をまとめて、メタアナリシスすることでより精密にエビデンスを精査し、その真偽をはっきりとさせることができます。

今、エビデンスレベルの最も高い研究・検証の方法ということになります。

何はともあれ「症例報告」からはじめよう

さて、用語を見ながら、エビデンスとはどういうもので、エビデンスレベルの高低はどのようなものかを見てまいりました。

勘違いして欲しくないのは、エビデンスレベルが低いから、参考にするに値しないという話ではありません。また、取り組むのに値しないというものでもありません。

千里の道も一歩からです。

分析をするにも、材料がいるのです。

その材料は、なんでしょうか。

たくさんの症例の報告ということになります。

そうした報告の糸をより合わせて、太い綱にしていくことが必要です。

そう考えると、作業療法のエビデンスのもとになるような、作業療法の論文はまだまだ数が足りないでしょう。

もちろん分野にもよるとは思いますが、症例報告がたくさん集まれば、あとはいろいろな研究をいろいろな作業療法士がしてくれると思います。

エビエンスが出てくれば、きちんと国に働きかけることもできます。

本当に作業療法が必要な人への作業療法の重要性を、誰に対しても明確にすることができます。

まずは、「事実をありのままに書く」という症例報告から作業療法士は、「エビデンス道」の1歩目を踏み出す必要があると思います。

コラム エビデンスレベルの高い論文を読むには

ランダム化比較試験のメタアナリシスかどうかを判別して読めばいいということですね。

もっとも、作業療法の介入に関する論文は、日本語のものはほとんどランダムか比較試験のメタアナリシスに至るものはないでしょう。

ですから、英語で論文検索されることをお勧めします。

世界レベルならちらほら、そういう論文もあります。

まとめ

エビデンスレベルは

統計とランダムと尺度がきっちりするほど

上がる。

となんとなく理解してたら、とりあえずOKです。

 

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作業療法士が当たり前に使う”OT”、実は10以上も”その他の意味”がある

作業療法士をはじめとして、リハビリテーションや医療・介護・保健の分野で「OT」と言えば、Occupational therapy または、Occupational therapist のことですよね?つまり、OTとは作業療法もしくは作業療法士を指す言葉として用いることが多いと思います。

しかし、世界には色々なOTがあるよ、という雑学ネタでもあり、互いが誤解して使わないようにという戒めでもある記事です。作業療法士同士の話題から、ちょっと小ネタまで、幅広く使って見てください。

では、以下に色々なOTという略語を使う言葉たちを紹介して行きます。

オキシトシン

オキシトシン、最近では市民権を得てきているのではないでしょうか?

Oxytocin, OXT の略で OT

ですね。

オキシトシンは、別名「幸せホルモン」、「愛情ホルモン」とも呼ばれる、人の多幸感を引き起こすことで有名な、人の分泌物質ですね。実は、オキシトシンは良好な対人関係が築かれているときに分泌されるとされ、闘争欲や遁走欲、恐怖心を減少させる作用があると報告されています。

視床下部の室傍核と視索上核の神経分泌細胞で合成され、下垂体後葉から分泌されるのですが、この辺は、脳の構造が頭に入ってないとさっぱりわかりませんね。

ちなみに、オキシトシンは、使い方を間違えると結構危ういホルモンでもあります。オキシトシンをヒトに投与する実験では、鼻からの吸引で、金銭取引において相手への信頼感が論理的な根拠なく上昇するという結果が得られたそうです。

幸せホルモンという名前がついていますが、反対に攻撃性を高めたりする効果があることを示唆する報告もあります。

反対に、上記で述べたように、

人間の感情と密接に結びついている作業療法においても、オキシトシンの効能は注目に値すると思います。

コンピュータソフトウエア製造工程における運用試験(Operation Test)の略称

テストのない開発は、デスマーチの始まりです。きっと。

ということで、部分運用とか含めて、使えるかどうか試すやつです。

多分。

OT(オテー)=Ortsteil(オルツタイル)の略

ドイツでの歴史的な街の中の地域の表示、地区。

ドイツ語で地区という意味らしいですね。

イタリア共和国サルデーニャ州オルビア=テンピオ県の県名略記号およびISO 3166-2:IT県名コード

はい、こちらですね。

オルビアは、イタリア共和国のサルデーニャ島北東部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約5万3000人の基礎自治体。オルビア=テンピオ県の県都のひとつ。 中世のガッルーラ国 の首都であった。
ウィキペディア

イタリアいいですね。

行って、昼からピザを食べてワインを飲んで、シメにパスタを食べたい。

 

絶対太るやつですね。

日本オイルターミナル株式会社の略称

JRグループの関連会社のようです。

サイトURL:

http://www.oil-terminal.co.jp

略称はOT。英称のJapan Oil Terminalを素直に略すとJOTであるが、この略称を使っているのは同じく石油製品輸送を広く手がけている日本石油輸送(Japan Oil Transportation)である。

日本オイルターミナル株式会社

資本金8億円ということですし、業界では多分有名です。

ミュージシャン奥田民生の自称,他称,略称,愛称。

広島が誇るミュージシャンです。ある世代にはユニコーンのボーカルと言ったほうが伝わりが良かったりするかもね。

奥田民生ファンが、OT好きってハッシュタグを使ってて、Twitter始めたての時に困惑したのはいい思い出です。

割と、OTが奥田民生さんの略語であるということを理解するまでに、時間がかかりました。

最近は、MAZDAの車のCMでよく耳にするのが、奥田民生の「風は西から」だったり、するんですよ。

♪ 明日へ つっぱしーれ

作用温度の略称 (Operative Temperature)

人間の感じ方を考慮した温度指標の一種ですね。

同じ気温なのに、人間の感じ方が違うという現実に対応するための指標です。

Wikipediaのリンク先には、計算式もちゃんと掲載されているので興味がある方はどうぞ。

効果温度ともいい、人体に対する温熱環境を評価する指標のひとつである。 気温が同じ室内であっても、壁面温度と周囲気流の状態により体感温度は違う。

これを加味し、周囲壁面との放射熱伝達と周囲気流との対流熱伝達と同じ量の熱交換をおこうなうような均一温度の閉鎖空間での仮想気温が作用温度である。
人体の発熱は評価されないため、気流による冷却効果は評価できない。そのため、この指標は暖房時に用いられる。

Wikipediaより

漁船の登録番号において大分県を表す識別標(漁船法施行規則13条・付録第二)

付録(第十三条関係)
一 漁船の登録番号は、当該登録に係る都道府県の識別標、漁船の等級標、横線及び漁船の番号を組み合せたものとし、その組み合せ例は、左の通りとする。
TK3―1234
二 前号の例において頭書のローマ字は、当該登録に係る都道府県の識別標であつて左の甲表に掲げる通りとし、ローマ字のつぎの数字は、漁船の等級標であつて左の乙表に掲げる通りとし、横線のつぎの数字は漁船の番号であつて当該登録に係る都道府県ごと及び漁船の等級ごとに一貫番号で定められるものとする。
甲表
都道府県名
識別標
都道府県名
識別標
北海道
HK
滋賀
SG
青森
AM
京都
KT
岩手
IT
大阪
OS
宮城
MG
兵庫
HG
秋田
AT
奈良
NR
山形
YM
和歌山
WK
福島
FS
鳥取
TT
茨城
IG
島根
SN
栃木
TG
岡山
OY
群馬
GM
広島
HS
埼玉
ST
山口
YG
千葉
CB
徳島
TO
東京
TK
香川
KA
神奈川
KN
愛媛
EH
新潟
NG
高知
KO
富山
TY
福岡
FO
石川
IK
佐賀
SA
福井
FK
長崎
NS
山梨
YN
熊本
KM
長野
NN
大分
OT
岐阜
GF
宮崎
MZ
静岡
SO
鹿児島
KG
愛知
AC
沖縄
ON
三重
ME

オフェンスタックル (offence tackle) – アメリカンフットボールのポジション

ラインの選手のうちのお二方のうちの一人ということです。

アメフトのルールがわからないと、わからないですね。

(特にアメリカンフットボールで)延長戦。Over timeの略。

まんまです。

特に書くことはありませんね。

光トポグラフィー(Optical Topography)

これは、脳科学に明るいOTじゃなくても聞いたことがあるOTかもしれません。

NIRSと同じだけど厳密には違うらしい。

近赤外光を用いて大脳皮質機能を脳表面に沿ってマッピングすることを目的とした方法である。また、光トポグラフィの語は日立製作所の登録商標であるが利用は公開されている。

wikipediaより

さすが日立。

インスパイア ざ ネクスト。

Old Testament

旧約聖書のこと。

最適性理論(Optimality Theory)

最適性理論とは,人間言語の普遍性を「すべての言語に共通の(普遍的な)制約の集合」によってとらえ,言語間の差異を「制約の優先順位の違い」として説明する新しい理論である。

ということで、言語を色々な数とすると、その数の最大公約数を見つけて、それに対してどのような積を処理すればその数になるか、というような考え方ですね。多分。

小田急多摩線を意味する記号

鉄オタじゃないので、初めて知りました。

作業療法および作業療法士の略称 (Occupational Therapy,Occupational Therapist)

やっぱりこれが大トリじゃないといけませんでしょう。

作業療法士には一番馴染みがある意味合いですからね。

まとめ

当たり前のように

OT

って使うけど、全然当たり前じゃなかった件。

わかってもらえるつもりで使わないことが大切ですね。

 

参考までに

作業療法と作業療法士に関する詳細な記事を、別の記事で書いていますので、是非ともよろしければご覧ください。

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日本の作業療法士へ。「ウチの文化になじまない」と合理性を排除して衰退する作業療法士になるなかれ

作業療法士って、本質はコンサルですから。

ビジネス上適切な助言は、合理性に裏付けられている必要があります。

一方で、作業療法士には情緒的な助言を行う能力も極めて高い水準で要求されることも事実です。世の中が変わりつづていているのだから、提案する側もがっつり変化しないと奇妙な歪みが強まるばかりです。

加えて、情緒的になりすぎると身動きが取れなくなるのが、日本の組織文化であり、作業療法士が影響を受けやすいところでもあると思います。

どうしたら良いでしょうか。

適度に合理的にやる

作業療法士という仕事は、仕事の特性上完全に合理的にやるのは無理です。また、そんな作業療法はやってもつまらないし、つまらないということは結果が出ないと思います。

適度に合理的にやるには、日本という国の全体的な傾向を把握しておく必要があります。

日本人の傾向

日本人は本音と建て前の生き物ということになっています。

先日の相撲協会の後だごだも、由緒正しい日本文化です。

法律・法令よりも、身内の秩序が優先する。

つまりローカルールの方が、より強力な権限を持つということです。

身近な権威に、影響を受けやすい、もっと強い言葉を使えば支配されやすいということになると思います。

伝統ある国であれば、どこの国にもあることには違いないでしょうし、今更取り立てて問題にすることでもないのかもしれません。このシステムには、安定性という意味でそれなりに、利点があります。

しかし、反面で、合理的ではく、時に理不尽です。

先の相撲の話で言えば、先輩は後輩をボコボコにカラオケのリモコンで殴りつけても、不問にされていたかもしれないのです。

こうして、大きな組織であればあるほどに隠蔽体質が強化されていくことになります。いちいち細かな問題まで対処すると、仕事が増えて大変になりますから、「空気読めよ」ということになります。そうして、上の判断でもみ消されることが増えていくということです。

そういう雰囲気を感じるから、モリカケ問題やら、豊洲市場の話があそこまで大きな問題かのように扱われているわけです。実際に、どうかはわかりませんが、日本にはありとあらゆるところにそういう文化があります。

こういう組織は、急激には壊れませんが、「うちの文化には合わないから」と合理性を排除し続けることによって、徐々に緩やかな死を迎えることになります。

日本の地方の集落はまさに、良い具体例でしょう。若い人が寄り付かないのは、集落の人間関係が若い人に合わせて変わらないからであり、若い人のニーズなんて本当はどうでも良いからです。

日本の地方都市に未来がないのは、若者が好きな「合理性」をあまりに軽んじているからだと思います。文化や伝統の担い手の第一線にいる人たちが、口を揃えて言うのは伝統は革新とともにある、と言うことです。

ただうけつぐだけでは、どんどん衰退していくだけであると言うことを、一流の人々は肌身に感じているが故の言葉だと思います。常に世の中や顧客の変化に合わせて、自分が提供するもの、技、考え方も常に変化させて行かなければならないと、そう考えている。

一方で、「上から言われたから」と、ただ担っている人が大きな結果を残すことができるかと言えば、そうではないし、何かを変えろと言われてそれがすぐにできない、これが日本の現代病なのかなと思います。

作業療法士の世界にある非合理性

作業療法士という仕事は、人間を相手にする仕事です。

そして、対象者とその家族、同じ職場の人々との繋がりが、大切になる仕事です。

その人間関係の中には、非合理性がつきものです。それを併せ飲む度量が、作業療法士として仕事を続ける上では必要なのは間違いありません。

その一方で、変化を嫌う文化もあるようです。

冒頭で述べたように、顧客や社会の側が変わるなら、作業療法士は提供するものをどんどんと変化させていくことが必要です。

しかし、昔ながらのやり方に執着したり、今は必要とされないだろうところをゴールにしたり、過度に合理的だったり、極端に情緒的だったり、バランスが取れていない人が作業療法士にいないとはとても言えません。

というか、作業療法士という仕事の環境・特性上、そのような人々が一定数存在してしまうことは、これはどうしようもないことだと思います。

こういう意味での「非合理性」を伝統とするのは、あまり意味がないし、メリット何も感じないし、若い人から見ると泥舟だ、と感じるようです。

そうなると、なんだか怪しげなセミナーに頑張って通っている若手の療法士たちとかもいて、なんだかなーという感じです。もちろん本物もあるでしょう。そういう本物を見抜くためには、きちんとした形でのエビエンスが添えられているのかどうかというところが、大切になるのですが、そういう勉強はあまりしたくないと思うのが人情なのでしょうか。

どうも、怪しげな高額セミナーにうっかり行ってしまう人もいるみたいです。そういう人が、一生懸命な割にあまり成果が出せていないのを見ると、「そこじゃないんだよな」と悲しい気持ちになります。

コラム ボバース法のエビデンス

そんなもんと一緒にすると怒られるでしょうけれど、過去流行していたと伝え聞くボバース法に、エビデンスが確立したという話をついぞ聞いたことがありません。根拠なき、学説、仮説は、宗教と区別ができません。両方とも、存在証明ができなくて、結局対象となる人がどのように感じるかというスピリチュアルな世界の話となるからです。

もっとも、スピリチュアルな領域まできちんと責任範囲として抑えていくと、そういう気概を持って、リハビリテーション、運動療法をやるぶんには構わないでしょうけれど、「なんだか効果が出るらしい」と、インスタントな手技・主張に飛びつくのは、いけてないと思います。

これからの時代、その気になれば、個人でも統計データとってエビデンスを示していくことはできるんですから、非合理と合理性の間を縫って、作業療法士として楽しく仕事をするためには、そういうエビデンスという考え方をきちんと理解して「結果が出る」とは本当はどういうことなのかということについて、知っておくことが必要なのではないかと思います。

やりたいようにやったらいい

上記を、踏まえて作業療法士はどうするべきでしょうか。

ズバリ、やりたいようにやったらいい、です。

お忘れかもしれませんが、作業療法士という仕事は、売り手市場です。

万が一クビになっても、範囲を広げて探せば、次の職場はすぐに見つかります。

給与面を気にして毒饅頭を食い続けるのも悪くないですが、精神的健康を害してまで続けるべき仕事ってのはそうたくさんないだろうなと感じるのが私の思うところです。

結果を出せ

この結果というのは、単一顧客の治療効果のみならず、組織としての経営、もっと言えば売り上げにも貢献するような原動力となれ、ということです。

あるいは、組織として病んでるところを、作業療法士としてメスを入れていく、そういうあたらしい挑戦の中で結果を出していくことができれば、それもまた自分自身が作業療法士としてやっていく中での新しい力になると思います。

やりたいことをやるために、適度に合理的になれ、そして結果を出せってことです。

合理化を学べ

実践しなくてもいいから、知っておくだけでも全く違います。

例えば、電子カルテ。

このIT全盛の時代に、未だに、電子カルテじゃない病院なんて、かなりやばい病院と言わざるを得ないと思うのですが、やっぱりまだ存在するようです。

逆に、株式会社で訪問看護やってるところなんかは、出先でカルテの記入と、確認ができるように社員にタブレット端末を一人一台支給しているところもあって、差は現状でもすごいし、そういう法人間の格差というものは、今後ますます開いていくことになるのだろうなと思います。

電子カルテにすることで、余計な転記の手間も省くことができるし、月あたりにすれば相当な時間の人件費の削減に繋がると思うのです。けれどそれをしないということは、やっぱり人を守るというのは、そういうことなんでしょうか。これが終身雇用制ということなんでしょうか。

いやいや、そんな状況を肯定するのは流石にまずいでしょう。

世の中が変わっているのだから、地域社会に求められる医療機関・福祉サービス・公共サービスを提供するためには、サービス提供側が変わらないといけないと思います。

だから、作業療法士は、自分が就労しているところが、どんなところであろうと、業務の合理化を行う観点は常に持っておく必要があると思います。

そうして空いた時間を、しっかりと対象者の人のために使えるのが、本当の意味での合理化です。そうすれば、新しい結果に繋がるし、それをきちんとした形で発信して実績として残せば、それが病院の評判を挙げることにも繋がるはずです。

この視点が、そもそもわきまえてないというか、若いだけでわかってないと言われる類のものなのですが、どの業界人でもトップレベルの人は普通にやってることです。年は関係ないでしょう。決断し、やるかやらないかというそれだけの話です。

自分・同僚・先輩・部下をまとめて育成すべし

モチベーション下がってる人の心に火をつけるのはかなり大変ですし、その相手が特に保身や高い攻撃性を秘めている人の場合には、かなり高いリスクを伴いますが、周囲の人の相互的な関係性はとても大切です。

その関係を強化していくためには、良い結果に向けて動くことができる技術、技法を、仲間内でしっかりと共有すること。

そうすれば、誰かや自分自身がいずれいなくなったところで問題はないわけです。人がいないから仕事が回らないというのは、なんというか、職員の怠慢というよりも管理者のセンスのなさというか、不勉強さに寄るところが大きいと思います。

組織内の、人の滞留をなくして、対流をよくすることはとても大切です。

それに、ポジションや役職や、職場にしがみ付かないといけない人には、作業療法の対象となる人に、きちんとした治療を提供することは難しいと思います。

みんなで、まとめて成長するために、自分の学習成果や実績は、ノウハウとしてガンガン周りと共有してしまえばいいと思います。

まとめ

やりたい作業療法ができないと感じた時は、やりたいようにやってみるべし。

ただし、結果は出せ。

そのために、合理化・数値化・厳密化・実用化は常に心の片隅に。

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なぜ「作業療法士でガンガンやってる人は、研修会を大切にする」のか

作業療法の世界で活躍していると目されている人は、作業療法士の本業と一緒に、研修会を主催したり参加したり、飲み会を企画したり、なんか色々やってますよね。

なんででしょう。

知り合いが増える

他の仕事でも一緒ですが、人との繋がりが活かせる仕事です。

外の人をどれくらい知っているかで、仕事の進捗が変わりますから、必然そのような場に行けるかどうかってのは非常に大きなポイントになるんだと思います。

後述しますけれど、知り合いが多いほど、その人から受ける刺激も多面的になり自分自身の成長にもつながりますし、逆に自分自身がスキルを発揮して、自分の活躍の場所を広げるきっかけを作ることにもなるのではないかと思います。

知識のアップデート

作業療法士の知識は、他の医療職がそうであるように更新しないと錆びます。

錆びるというのは、通用しなくなるということです。

以前、王道と言われていたやり方は、むしろ害のあるもので推奨されないということになることすらあります。

そういう情報は、現状研修会などで、先端の情報を持ってる人に接触しないと得難いというのが現状かもしれません。

お金になる

これは主催したり、主催者から読んでもらえる側の話になるのですけれども。

生活が成り立つまではいかないと思いますが、講演すれば謝礼がもらえるし、主催して人が集まるならば、その繋がりを生かして、新しい企画を進めたりもできるというわけです。

そのつながりで本を出版したりとかすれば、それで印税が入ってくるわけですよね。

お金ってのは、自分がやりたいことを貫くための原動力です。

やりたいことがたくさんある人は、そのことがわかっておられるのかなと思います。

自分自身という人間の器を強化する

先ほどの卒後教育の話とも一部重複するかもしれませんが、一つの職場で必死になって仕事をしていると、視野が狭窄してしまいがちです。

幅広い視点を持ったりとか、柔軟性を失わないとかいった意味での、自分自身の人間としての器をより大きなものとする、またそれを維持するためには、新しい人との出会いや、新しい事柄への挑戦というのは非常に大切です。

リハビリテーションの本質は、変化に対する挑戦であり、作業療法の本質の一つでもあります。

だからこそ、職業人としてはもちろん、さらなる人間としての成長を目指して、仕事のできる作業療法士こそ、色々なところに飛び回っておられるんだろうなと思います。

自分の知見を広める

作業療法士としての仕事で一番難しいと感じるのは、自分の治療経験や体験を一般化して、他の作業療法士にうまく伝えたり、他の職種や家族に対して、適切な深さで説明ができることです。

新卒の頃に比べれば幾分かできるようになったという自己評価ですが、それでもまだまだ、「相手目線での説明」はできていないように思います。

自分の理解を、自分の言葉で整理し、それを他者に伝える。その人から帰ってきた意見を消化して、相手に伝わるように言葉を返す。

この繰り返しの中で、新しい気づきが得られたり、自分の知見を広めることになります。

これからの作業療法士にはこの能力を徹底して強化していくことが必要なのではと感じています。

コラム やっぱり人材不足

研修会のモチベーションの話とは少し外れますけれど、やっぱり大事な話なので作業療法士の人材不足、特に外に出ていく作業療法士の数は、やはりまだまだ足りていないというふうに感じますという話を書かせてください。

なぜかといえば、自分の周囲で作業療法士の活躍を、一般の人から見聞きすることがないからです。

作業療法士という職業について知っている人は、医療関係の仕事をしたことがある人が圧倒的に多いという状況は、私が就職してからの数年間全く変わっていません。

作業療法士自体の数は増えているにもかかわらず、です。

これは、組織の後ろ盾なくとも、社会に打って出られる水準の作業療法士の数が十分でないというふうに見るのが妥当です。

であるなら、もっと作業療法士は、色々な研修会に出ていく必要があると思っています。研修会に参加する人って結構同じ顔ぶれだったりするので、いくたびに違う人がいるってなると、その研修会自体も面白いし、職場の空気感も変わるかもしれないし、作業療法業界も変わるかもしれません。

その辺、全ての作業療法士がMTDLP(生活行為向上マネジメント)なんかをうまく使って繋がれればいいと思うんですけど、どうもそうなっていないのが現実です。

これはやはりサラリーマン作業療法士が多いことと、MTDLPの学習コストが高いことにあると思います。

便利なテクノロジーがたくさんあるのですから、その辺をうまく活用して、忙しい作業療法士でも手軽で安価に勉強ができるような環境を整えることで、必要な武器をしっかりと持って自信を持って地域にうって出ることができる、そういう作業療法士が増えたらいいな、と個人的には思っております。

そのためにこのサイトを活用してもらえたらいいなというのも個人的な思いですね。

ライフワーク

研修会に参加するのが癖になっている人も、いるのではないかと思います。

抜けたくても抜けられない的な。

これも、一種の人材不足でしょうか。

 

総括

こうやってずらりと見てみると、やはり研修会への参加を検討するのは、「作業療法士として成長したい」という、何らかの思いがあるからではないかと思います。

そして、作業療法士として自信を持って活躍している人は、自信を持ってひとの集まるところに行ってますし、研修会は結局のところそのうちの一つでしかないということだと思います。

逆説的に、自信を持って作業療法士をやっていきたいと思うなら、ライフワークになるくらい、自分で研修会に関わっていくくらいのことが必要になるのかもしれません。

しかし、作業療法士として必要な技能の全てが研修会で補えると思いませんし、むしろそれらを追求するなれば、学術的な視点の外側から、作業というものをしっかりと突き詰める必要があるように思います。

コラム 作業の「底」

「底」っていうのは、基盤ですね。

いろんなところで、いろんな遊びを具体的にやっておくという経験が作業の底になると思います。

とにかく、都市部で育つと遊びの幅が狭くなりがちなので、この底をどのように固めるかってのが、作業療法士として楽しく働くための、一つの鍵になると思っています。

まとめ

研修会に行っとけば、研修会に行かないよりは、作業療法士として成長できる。

しかし、作業療法士としての成長は研修会にいくのみにあらず。

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今年一年みなさんに最も見ていただいた作業療法.netの記事ランキングベスト10

みなさん、今年はどんな一年でしたか?作業療法.netといたしましては、今年は地獄のサイト移行作業などあり、割と苦難の一年でした。

さて、そんなバタバタした中でも、多くの方が過去に書いた記事を読みに来てくださっているみたいで、本当にありがたい限りです。

厚く御礼申し上げます。

今年一年で最もご愛読いただいた記事トップ10をもちまして、今年最後の更新とさせて頂きますので、よろしくお願いいたします。

それでは参りましょう。

第10位 まおゆう

作業療法一見関係なく見えるこの記事、もう三年以上前に書いた記事なんですが、なかなか根強い読者を獲得しておりますね。

「人間」とは何か? TVアニメ「まおゆう」第9話のメイド姉の演説のかきおこし

というか、botに人気みたいですね。今週とか、PVは16なのに、閲覧合計時間は0秒ですもん。

主体性というか、能動性、自己決定の大変さと素晴らしさを表現している良い教材だなー、と思ったので作品紹介したいと思った記事です。

ひょっとしたら、作業療法関係ない原作ファンの方々がたくさん見てくれてくのかなと思います。

第9位 作業療法士とは

一転して、作業療法らしいというか、作業療法.netで表現したいことの1つがランクインです。

http://xn--2qq684d0mc09m.net/about-otr/otr.html

申し訳ありません、現在リンク切れです。

内容はこちらに移転してます。

作業療法士とは

わかりにくい作業療法士という仕事がみんなが知ってるわかりやすい仕事になれば良いなー、と思っています。

第8位 ザンコリ

脊髄損傷と密接に関わりがあります。

結構こういう評価法的な内容は、需要があるのでしょうか。

第7位 生活行為向上マネジメントの記事

研修会参加後に書いた記事ですね。

「知らない」は死活問題。生活行為向上マネジメントを勉強してきました。

これは今年、チョチョっと読みやすいようにリライトした記事になります。

第6位

自分の悩みを書いた記事でした。

精神科の集団OTでは、訴えの多い患者様に何処まで対応できるか?

集団と、個別性の狭間で悩んでる作業療法士は多いのだなあと感じました。

今後もそういうところにスポット当てていけたら良いんですけども。

第5位 リーズニング

リーズニングという言葉がよく分からなくて、自分の勉強というつもりで書いた記事でした。

リーズニングという言葉について、作業療法との関連を調べてみた。【クリニカルリーズニング】

こちらも、結構前の記事ですが、たくさん読んでいただいてるみたいでありがたいです。作業療法士じゃない人にも読んでもらってるのかな、と思います。

第4位 精神障害者の方の雇用について

の記事こちらも昔に書いた記事ですね。

「相手を思いやれない障害」の持ち主とどのように付き合っていったらいいんだろう。

こうやて、みてみると昔の記事ばっかやんけ。

第3位 触診のあれこれ

これは今年追記しましたね。

作業療法士に役立つよくわかる触診のコツ。ひろえもんの触診の方法論と、出来るようになるためにやったこと。

触診はコツさえ掴めればほんとに簡単なんで、苦手意識がある作業療法士の皆さまはぜひ読んでもらえればなにかヒントになると思います。

第2位 移乗の方法論

これは結構、読んでもらえたのが嬉しかったり。

移乗の介助のときに現場の人が腰痛にならないために、必要だなあと現場の人間として思うポイント「移乗知っ得ナレッジ&テクニック」まとめ

移乗も簡単なんで、苦手意識ある人は読んで見てね。

第1位 COPMの記事

こちらになりますね。

知ろう、学ぼう!!COPM(カナダ作業遂行測定)

これも、昔ーに書いた記事です。

総括

ということで、1位から10位まで、なんとも残念なことではありますが、昔に書いた記事の方が、たくさんみていただいてるという結果になっております。

来年に向けての抱負

はい、昔に書いた記事に最近の記事のPV数が負けとりますね。

残念。

今年の作業療法.netは、サイトの基礎工事にてメチャクチャ時間がかかって、コンテンツは大して増やせませんでした。もっと皆さんが作業療法についてシェアしたり検索したりしたくなるような記事を来年はガシガシ書いていきます。

あと、一人で淡々と更新するばかりじゃジリ貧だと悟ったので、抜本的かつ革新的な取り組みを実行に移していく必要があります。

来年もよろしくお願いいたします。

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作業療法業界にはカリスマとエリートが必要

作業療法士であっても、作業療法が趣味の人って、かなり少ないですよね。生活のために仕事として作業療法士してる人ってのが大半だと思います。だからこそ表題でございます。

年の瀬の区切りということで、個人的な、ぶっちゃけ話をします。

別に作業療法は好きじゃない

私は、作業療法を自分がすることは、あまり好きではないですし、楽しいと思えることはほっとんどありません。

もちろんごくたまに楽しい時はありますが、気質的に向いてないんだろなってのはあります。

好きなのは

作業療法の対象者の方々

やりたいという思いがあって、そのために動ける人々は本当に好きです。自分もそうありたいな、と日々勉強させていただいております。

何をするでもなく、ただただ、懸命に生きてる方も好きです。調子に乗って余裕こいてる自分がいた時に、人として大切なことを教えてもらいました。

コラム 好き嫌いで作業療法できない

但し、好き嫌いで仕事するとブレるんで、この辺は表出できないんで、辛いですね。出してもブレない作業療法ができればそれでいいんですけど、人間が未熟なんで。

逆に、この辺思いっきり出して、独善的な臨床やってみたい衝動にもかられております。

来年やってみて、痛い失敗するのもありなんじゃないかとは思います。

カリスマ作業療法士

カリスマと呼ばれる人は、作業療法士業界にも複数人おりまして。

そういった先生方は、作業療法士としてすごいとか、そういうのももちろんあるんですけど、作業療法士としてすごい人とみなされている人って、やっぱり人生哲学というか、ライフスタイルや生き方や、自分に課してるものがすごいんですよ。

コラム カリスマはなぜカリスマか

カリスマな作業療法士と、普通の作業療法士の違いはなんでしょうか。

スキルとかよりも、それを分けているのは違う別のことのようです。

大切なことを一貫させることができるか、それだけのちっちゃな違いです。

行動原理はシンプルで、顧客のために、つまり作業療法士として対象者の為にというそれだけのことなんですが、それができないのです。不思議ですよね

おもろい作業療法士

おもろい作業療法士ってすごいなーと思ってます。

隣の芝生効果で、自分以外のおもろい作業療法士はみんなすごいです。

社会を変える可能性をひしひしと感じます。

Break Freeです。マジで。

 

真面目な作業療法士

カリスマじゃなくても、作業療法士ってすごいし、好きです。

ただし、真面目に仕事してる人に限りますけれど。

点数とお金の為にのみ仕事してる人は嫌いです。他の仕事した方が稼げるのになんでこの仕事してるんやろ、って正直思います。

作業療法士に必要なもの

ということで、個人的経験から作業療法士に必要なもの

作業療法士にはカリスマが必要

作業療法って、道に迷いやすいです。

なぜなら、自由度が高いからです。

そのくせ、対象者の人には、

「こうしたらいいと思います」

と言わないといけないという諸事情があります。

自分ではしっくりこないことも

「そんなん詐欺やん」

と思いつつも、エビデンスはちゃんとあるからと、自分の感覚と違うことを提供することもあったり。

若手あるあるな訳ですが、このフェーズを若手がさっさと抜けられるようにして、良質の作業療法どんどん提供できる中堅を増やしていかないといけないわけです。

なので、ちゃんと作業療法の哲学やらブレない考え方を、若手にスムーズに伝達できるカリスマ的作業療法士がいると色々スムーズだと思います。

作業療法士にはエリートが必要

色々試して、色々共有できる作業療法士が、作業療法をより良いものに変え続けることができると思います。

そういう意味で、実践と変革を進める原動力となる作業療法士のエリートとなる人間が必要だと思います。

要するに地頭の良い作業療法士が、メンドくさがらずにもちょっと率先していろんな人に影響できるような、エリート街道が整備されてもいいかと思います。

作業療法はめんどくさい

だからこそ、作業療法にしかできないことはなんなのかを作業療法士がちゃんとわかってることが大切と思います。

それらが相克すれば、作業療法士は作業療法がもっと好きになると思います。

まとめ

来年は作業療法が楽しくなる1年にしたい

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2017年の末、日本の作業療法(OT)は割と崖っぷちだと思う13の理由

今年までの経験の作業療法の上っ面で、若手風情がわかったようなことを勘違いして書いた記事です。ご無礼仕ります。

先が見えないと言う若い作業療法士が多すぎる

作業療法(OT)が発展するためには、若い作業療法士が、どの程度活躍できる余地があるかが大切だと思っています。

就職して3年すると、その仕事がどんな仕事なのかが見えてくるものです。

日本全体がそうですし、どの企業も将来が見えないので、作業療法だけがそうと言うわけではありませんが、しかし、3年勤めて作業療法がよくわからないと言う作業療法士多すぎませんか。

将来が見えないという作業療法士が多すぎませんか。

若い作業療法士も、将来に向かって自分でアクションを起こしていくことが必要だと思います。

そして、その仕事をより多くの仲間と共有する取り組みを始めるべきだと思います。

しかし、そうはなっていない。

そうなる気配がない。実際に始まっている取り組みが、若手の作業療法士に届いていない。

作業療法の臨床に限界を感じて教育へ行く人が少なくない

作業療法士のうち、教育を志す人の全員がそうではないことは断っておきます。自分の作業療法の研究のために、教育機関に身を置く人もいるでしょう。

しかし、能力の高い作業療法士がこぞって教育に行くのを見るとなんだかなあと言う気持ちになります。

作業療法士のキャリアプランとして、一番儲かり安定していて、将来性が見えるのが教育ってなっちゃってるのも大きいかもしれません。

しかし、業界の構造としてはよろしくないと思います。

人材の交通整備が必要です。

しかし、そのようにはなっていない。

作業療法士の多くが働く病院のパイは縮小する

作業療法士は、病院で働いている人が多いです。

一方で医療保険も介護保険も、生活保護も、今後社会の中の労働人口が減少するので、削られることになると思います。

給料は絶対に増えないので、そのへんは多くの人がなんとなく重怠い雰囲気を感じているところなのかもしれません。

業界全体としては、病院勤務の人が多いので、あんまり元気がなくなって行くかもしれませんねん。

作業療法を必要とする人は、必ずいるにもかかわらず、です。

新しい提案をできる人が少ない

若い作業療法士も、中堅の作業療法士も、リスクテイクするのが難しい。

安定志向ではイノベーションは起こりようがありません。

危機的状況をなんとかすることができるのは、イノベーションだけです。

イノベーションとは新しい仕組みや人のライフスタイルを作り出すような新しい提案のことです

サラリーマンとして働いているのみでは、新しい挑戦は難しいと思います。

その挑戦は、新しい提案を社会に行うこととセットですが、その余裕がないように見えます。あるいは、作業療法士には血の気が足りないのでしょう。優しいですから。

ITへの依存が低い

作業療法士を結婚を境としてやめる人もいます。

そして、別の仕事をする人も。

残念なのは、積極的にやめる人よりも、後ろ向きな理由でやめる人がいることです。燃え尽き症候群と、職場の人間関係を理由とさるる人が多いですよね。

前者は、とにかく忙しさ。

書き物とか、書類とか、そう言う仕事で、疲弊する人が多すぎる気がします。

できること、仕事量、マンパワーに対して、実際の仕事が膨大であるならば、優先順位をつけて、できる限りITにぶん投げて本質的な仕事に集中することが必要だと思います。

本来的にやるべき仕事は、対象者の方の生活をより良くする可能性に賭けることであり、その他は本来オプションですから、自動化できるものはどんどん自動化するべきです。

後者は、職人気質がいきすぎてたりする場合でしょう。

「上の人が言うから、何も言えない」につながるリスクがあります。

これでは、作業療法対象者の利益を優先できないと思います。

若手のやりがいを削ぐ要因の最大のものがここにあると感じています。

組織の風通しを適度に良くするには、号令が重要ですし、合理化も必要でしょう。

そして、そのためのツールとして、ITは非常に強力なツールです。

資源の再利用性が低い

具体性が高いと言うことは、再利用性が高まれば、勝負ができると言うことです。

資源の再利用性が高まれば、大きなコストカットにつながり、顧客である作業療法対象者の利益が増えると思います。

子育て世代が仕事を気楽にできない

作業療法士は、女性の割合が多いのですが、仕組みが女性向きじゃない。

女性のライフスタイルに合ってない。

女性の感性に合ってない

であるからして、

作業療法士の前に立つ女性が育成されない

女性の割合が多い組織なのに、上に立つための技術やスキルを身につけている女性が少ない。

トリッキーでユニークな男性ばかりが目につく現状。

パイオニアクラスの面白い女性の作業療法士はたくさんいるのです。

その先生がたのせいで、ハードルが上がりきってしまっているのかもしれません。くぐればいいのにね、

堅実な現場の結果が、きちんと上に上がっていかないことが、その原因ではないかと思います。堅実な結果を出している作業療法士はたくさんいるでしょう。それをきちんと表現することが十分でないと思っています。

そして、自己主張をすることは、悪いことではないのですが、性分ではないのでしょう。何分にも「人の組織」には合わない性分ということです。

作業療法士は言葉で語るより、背中で語る方が得意なので、そこをもっと補うような何かがあればいいのです。

「それ」がないのです。

現状、仕組みとして、学会発表という仕組みがあります。

が、そのためのコストも捻出が難しいというのが、今を生きる女性作業療法士の実際なのでしょう。

この辺の支援がないのがヤバいですよね。

今の作業療法は複雑すぎる

世の中がシンプルであれば、作業療法はシンプル。

今の世の中は、情報量が増えてどんどん複雑になる。

作業療法が世の中に焦点化しすぎれば、作業療法に必要なコストは際限なく上昇して行くことでしょう。

そうなれば、再現性はどんどん低下して行くこととなります。

学習コストが高いと、新しい人材は育ちませんゆえ、結構深刻な問題なり。

人間の本質は変わらない

焦点を当てるべきは、人間とはどう言う生き物なのかと言うプリミティブなところと言うところは、作業療法の原点とも言うべきところで、ぜったに動かしてはいけないところだと思います。

結局のところ、そこから意識が遠のいていると、作業療法は力を失うでしょう。

エビデンスとは、何に対するエビデンスなのか、そこが人間の本質に結びついていないと、作業療法はとんでもない危機に瀕する、でしょう。

確かに、社会経験の少ない新人類が、作業療法士になると色々大変なので、上の世代の中堅作業療法士はつくづくそんな世代だなあと思いますが、それでも人間の本質は変わらないと言うことを若手が悟るまで粘り強く育てるしかないでしょう。

作業療法のエビデンスは一定の複雑さよりもシンプルにはならない

これは、作業療法にとって一番致命的なところでしょう。

作業療法に関わる多くの人が感じているところではないでしょうか。

観測も記録も、分析も一筋縄ではいかない。

因果関係はおろか、相関関係の証明にすら、非常に多くのコストを必要とする。

さらに、そうして時間をかけて出したエビデンスを理解するにも、一人一人に多くのコストを必要とする。

この仕組みをなんとかしないと、いけないと思います。

ここがなんとかできることが、作業療法を次のステージに進めるポイントになると考えています。

作業療法が変われる兆候がない

作業療法は、もっと劇的に変わらなければならないと思います。

それは、今後社会が劇的に変わって行くからです。

しかし、人間の根源的なもの、感情や情緒にスポットライトを当てつづける不断の試みこそが作業療法には必要です。

変化と堅持の、そのバランスがうまく取れないで苦しんでいるのが今の作業療法です。

だからこそ、今の作業療法のより良い変化に向けた歩みは、もっと加速しなければなりません。

作業療法士が「時代の次の先」を読めない

作業療法は、

今、この時点と

作業療法の対象となる方が観ることができる少し先の未来を

取り扱う

とするならば、作業療法士の仕事はそのさらに先の未来を読み解くことが、専門職としての責務なのではないかと思います。

これから、未来は変わり続けるでしょう。

どんな風に変わるでしょうか?

例えば、いずれ、車の自動運転が当たり前になる世の中がくるでしょう。

自助具は、当たり前のように生活を自在に変えるでしょう。

おそらく、義手や義足の方が、人間の手足よりも便利になる世の中がくるでしょう。

そんな未来で、作業療法士ができる、仕事は、かなりたくさん増えるでしょう。

しっかりと作業療法士が将来を見据えた勉強や研究を重ねて行くことができれば、です。

そう言う勉強がシンプルにできるようになれば、

そして、そういう未来がいずれの現実のものとなると、

そのように思います。

そういう勉強が次の時代を形作る原動力となると確信しています。

しかし、あまねく日本中でそのような勉強ができるようなインフラが整っていないことが、最も

「やばいな」

と思いマす。

まとめ

逆に、上記の理由をなくせば、

作業療法の未来は明るい。

それに気づく人が増えれば、

作業療法の対象者の方の利益は増える。

それが、大事なこと、です。

 

来る年はそのための1年としたいと思います。

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QAPマークは福祉用具の安心・安全マークという意味だそうです。

日本作業療法士協会から、定期購読の雑誌が届いて、その中に「QAPマークをご存知ですか」というチラシが入っていましたが、知りませんでしたので、調べてみることにしました。

QAPマークとは

公益財団法人 テクノエイド協会が策定した評価基準に基づいて「人々が安全・安心に福祉用具を利用できるよう、利用者の立場で使い勝手や安全性を評価認証する仕組み」だそうです。

QAPとは

Qualified Assistive Products

の略語みたいです。

google翻訳だと

「認定された支援製品」

ということになるみたい。

認証には有効期限あり

有効期限は3年だそう。

つまり、資格維持のためには再取得が必要ということみたいですね。

認定の前提としてJISが必要

工学的な安全性をJISによって保証されているものでないと、QAPは認められないということみたいです。

主催団体

公益財団法人テクノエイド協会

ちなみに、義肢装具士の国家試験を仕切ってる団体

らしい。

その理事長

大橋謙策

 

今回チラシが入ってた理由

情報提供とのことです。

主催団体であるテクノエイド協会がもう一つ主催している「福祉用具プランナー現況届」の方がどうやらメインのように思われます。

感想

知らない団体がいろいろあるなー

知らないマークもいろいろあるんだろーなーと思いました。

あと、QAPマークが一般に浸透するのは、難しいかなーと思いました。

現場からは以上です。

 

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