子宮頸がんワクチン問題と「医学的な真実が殺される」社会で作業療法士をやってるということ

作業療法士は、日本では医療職に分類されますが、医療関係の情報の取り扱いの闇というか難しさを感じる「子宮頸がんワクチン問題」、ご存知でしょうか?

医師でジャーナリストの村中璃子氏が、ネイチャー誌などが選出するジョン・マドックス賞の今年の受賞者に決定したことを知り、追加で関連情報を知れば知るほどに、衝撃を受けたので記事にしました。

先進国である日本の、医療情報の扱いの質には、こんなに低い面もあるんだよ、っていうところを感じていただければ幸いです。

子宮頸がんワクチン問題のここがヤバい

「科学的正しさ」が、国などの大きな組織・団体に黙殺されてしまったことです。

加えて、医療に関係する情報を受け取る側が、何を信じたらいいかわからなくなる点です。多くの人が、テレビでやってる情報は正しいと思う日本の世の中なのに、その信頼を裏切るような情報がテレビで提供されていた、と言い切ってしまって良いと思います。

この2点は、情報がスピーディーかつ大量に消費される世の中の宿痾とも言えるのではないかと思います。この問題意識は、もっと世の中から重要なものとみなされる必要があると思っています。

そもそも子宮頸がんワクチン問題

ここでいう、子宮頸がんワクチン問題とは、以下のようなものです。

そもそも、子宮頸がんには様々な原因があることを前提として、そのうちの80%以上は2つの型のヒトパピローマウィルスの感染によるものと言われています。

こうした子宮頸がんを予防するには、上記のウィルスに効果のある子宮頸がんワクチンの投与が安全かつ有効だというのが科学的意見です。

しかし、「子宮頸がんワクチンの使用によってけいれんや歩行障害、神経性の副反応が出る」という趣旨の反ワクチン運動がメディアに取り上げられ、日本政府はその主張に根拠がないと認めながらも、子宮頸がんワクチンの投与に及び腰になってしまったということがこの問題です。

このように、

子宮頸がんワクチンのリスクが過剰に強調されたが故に、

子宮頸がんワクチンが投与されていれば、本来子宮頸がんにならなかった女性が子宮を失い、

その人に本来生まれているはずの子供が失われる

というなかなかショッキングな事態が、

「国の政策によって」

引き起こされているのでは、という問題

です。

村中璃子氏の仕事

前述のような状況に強烈な違和感を感じたのが、医師でありジャーナリストの村中璃子氏でした。

子宮頸がんワクチン副作用の研究の過程で、不正があったことを指摘し、理路整然と、反ワクチン運動への反論を行いました。

その過程で、名誉毀損で不正な研究を行った科学者に訴えられるなどしながら、間違いを科学的な視点で正した功績が認められ、あの著名な科学雑誌ネイチャー誌などが選出するジョン・マドックス賞の今年の受賞者に決定しました。

コラム 「報道しない自由」を行使する日本のメディア

筆者は、ネットの情報から、今年のジョンマドックス賞について知りました。

しかし、大手のメディアでは、あまり報じられているところを見ていないです。

同じ違和感を感じているネット上の意見を見ましたが、ジョン・マドックス賞という有意義な賞を受賞したことを、もっと、日本のメディアは日本の医療情報に責任を感じるのであれば、大々的に報じるべきだと思います。

今回のことで、今の日本のメディアに正しい情報を広めることを期待してはいけないということを学びました。ある意味で、誤報を流してしまったということを認めてでも、きちんとした情報を流そうという姿勢が欲しかったです。

そうなると、ネットを使って情報収集した方が、まだ検証することを心の片隅に意識してるという面で、積極的でいいのかなと思います。

作業療法も科学性大事

リハビリ界隈にて、ある組織で大御所さんとかベテランさんの発言が影響力が強くて、科学性が失われてしまう現象と今回の件が重なりました。

心は大切です。

それを前提として、科学性を本当に大切にできているか、をきちんと問い直す時期にリハビリテーション、作業療法の世界もきてると思います。

今回のことを教訓として、作業療法士の世界にも必要になってることはなんでしょうか?

論理的思考の強化

論理的思考能力はいわゆる「できる」人たちが共通して獲得している能力ですし、科学を支える根底です。

情緒を使いこなすには、確かな論理的思考が必要です。

実践と同時に検証研究ができる環境設定

AIとかビッグデータとかを活用するのが普通になってる世の中です。

普通の臨床で、研究できるような枠組みを発明することも必要かなと思います。

実際の関わりと、その結果の相関や因果関係を検証できる仕組みの導入が作業療法の世界全体に必要になっていると思います。

作業療法士の学術的な知識技能の向上

作業療法士で学術的な分野で活躍している人は、同じ顔ぶれの人が多いです。

これは、臨床しながら研究するのが大変だからということに加えて、学術的な内容をきちんと理解するには、臨床とはまた別の能力が必要になるからだと思います。

まず必要なのは、作業療法士一人一人が研究の内容を検証できる能力を獲得していることだと思います。

そして、自分の臨床を学術的かつ科学的に説明するためには、どのようにすればそれが可能なのかということを学んでいく必要があるのだと思います。

発信能力の強化

作業療法士一人が、その治療方法や主義の有効性を認識していたとしても、それを周囲と共有することができなければ、本当は解決することができたはずの世の中や組織の課題を解決することができないということになります。

そうならないためには、科学的に正しいことを、きちんと周囲に対して説明することができ、広げることができることが必要です。

人と繋がることができ、作業療法士としての自分の意見に耳を傾けてもらうことができるような自分であること、そのためにも、情報を科学的に検証する能力を獲得する努力が必要だと思います。

疑うこと

偉い先生が言うから、

科学者が言うから、

映像があるから、

本当に正しいのか、

書籍になっているから本当に正しいのか

いろんなツールが安価に使えるようになってるんだから、

車輪の再発明するくらいの気持ちで、

疑って、試して、

「ああ、ほんとだ」

と思えることが一番必要かなと思います。

誰かが言ってることを鵜呑みにするんじゃなくて、

覚悟を持って、その情報に相対することが必要だと思います。

自分で考えて自分で決める

作業療法士として、一番大切なのはここだと思います。

お金儲けの現実といろんなバランスを取るためには、作業療法士に一番必要な能力は、心情と科学性を踏まえて、自分でしっかりと考えることだと思います。

安直な感情に惑わされず、社会とその問題解決にとって本当に必要なことを提供できることが、作業療法士が本当の意味で社会貢献できる唯一の方法論だと思います。

周囲からどれだけ圧をかけられても、貫けるだけの村中璃子氏のような強さを作業療法士一人一人が獲得するには、本当の意味で「自分で考えて自分で決める」と言うことが必要になると思います。

今も将来も大切にする

今をごまかして、将来を台無しにする無責任を、リハビリテーションと称してやってるとしたら最低なので、一作業療法士としては、そのようなことがないようにしたいと思います。戒め。

まとめ

いち作業療法士として、

「正しいこと」は、科学的に自分で見極めるべし。

参考:

https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/hpv?utm_term=.xaeNn45GK#.wsxzKWamg

http://blogos.com/article/264220/

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OT評価実習生:OTSにOT五年目が感じた 実習中の成長を左右する要素の「ヤバさ」

短期(評価)、長期(総合臨床実習)に関わらず、実習中の学生目線だと理解できることがあります。

一方で、経験年数が増えて、経験値もそれなりに増えると、ここ最近はじめて感じることがありました。

その2つの間のギャップの話です。

「何をしに、実習にきたの」

実習を通して、成長する学生と、

あまり変化なく帰っていく学生との間には、いろいろな違いがあります。

その違いは、普段の臨床にも通じる大切な「違い」だと思っています。

後者の学生がよく言われるのが、

「何しに来たの」

です。

これが、その理解のためのキーワードであるように感じています。

何のための実習かがわからない

「実習に行くことになっているから、実習に行く」

という学生が少なからずおります。

実習のための実習、実習が自己目的化している学生です。

こういう実習生が、上記のような質問を実習中に繰り返しぶつけられて、あまり成長なく、実習に対する傷つきだけを感じて帰っていくことが、ままあります。

そのタイプの実習生は、なぜ生まれるのでしょうか。

そしてなぜ、実習生は傷つくのでしょうか。

作業療法学生:OTS目線での実習

申し訳ないのですが、引用できる資料もないので自分語りになります。

でも、自分の学生時代、OTSのときの実習を振り返ると、その傷つきのヒントにはなると思います。

学生の頭の使い方の典型とおもうのですが、

「学校で学んだことを、臨床で生かす」

という思考回路があります。

学生の作業療法観は、授業の中の情報や、講師の話によって構成されます。

それのみによって構成されていることがほとんどではないでしょうか。

すると、学生の行動原理は、

「いままで自分が学んできたことを実践してみること」

になります。

そして、それができることによって、実習が合格となるというモデル(妄想)が頭にあります。

これが、実習の為の実習であると、臨床家のOTRのみなさまから批判されるところだと思いますが、学生の側からすると、むしろ自然ながんばり方なのではないでしょうか。

それなりに臨床経験のある作業療法士:OTR目線での実習

一方で、かつてOTSであった作業療法士:OTRの側に立つと、今、実習で学生に求めることはシンプルです。

目の前の対象者に対して、いち作業療法士、いち臨床家としての今の自分での最善を尽くすこと、です。

作業療法士として、実地で経験をかさねていくうちに、自然と評価できるようになることはたくさんあります。

それは、養成校で学ぶこともたくさんありますが、養成校で学ばない、学べないこともたくさんあります。

身体障害領域で例にとると、ポジショニングの常識も日進月歩です。

かつては、

「隙間をうめる」

がポジショニングの王道でした。

しかし、やり方をまちがえると、日々のポジショニングの積み重ねが屈曲拘縮をつくりだしてしまうということがしられるように、徐々になってきています(多分知られて来て、浸透していると信じたい)。

別の例で言えば、かつて推奨されていた、教科書にも載っているような、移乗の方法が、実は自立度の低下につながる場合もあります。

このような学びが、学校でできたか。

告白します。

私個人の経験からすると、不真面目な学生であった私はできておりませんでした。

そして、その学びは、先進的なものであればあるほどに、教科書中心の座学授業の中では決して学ぶことができない、臨床による技術的なものや、それに基づく評価であったりします。

それは、国家試験を念頭に置いたものではない、日々の臨床、実践を念頭に置いたものだからです。

作業療法に正解はありません。現在地点が人それぞれで、ゴールも人それぞれだからです。

かつての正解が、状況によっては不正解になることもありえます。

そのことを、経験値として知っている作業療法士ほど、OTSに対して、将来の臨床家として、今現在の最善をつくすことを求めますし、実習とはそのようにするべき場所だと思っています。

だからこそ、臨床家として、実習態度がどうのこうの言うわけです。

それが臨床の結果に直結することを、経験則として痛いほどわかっているからです。

つまり、作業療法士:OTR目線での実習とは、

「実習中の事象から、素直に考えて、行動すること」

だと感じていると思います。

自分はそう感じるようになってきています。

このギャップ 「ヤバい」

実習の指導は、OTSとスーパーバイザーであるOTRの間の事象なので、目指すべき場所が共有できてないとこじれます。

作業療法士の側としては、自分の目線から、上記のような学生の実習への取り組み方を見ていると、

「なにしにきたの」

となるわけで、それを学生に伝えます。

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言われたOTSは、なんで自分がそんなことを言われるのかも、わけがわからず、萎縮してしまい、その結果としてスーパーバイザーが求める実習態度から乖離していき、その度に「なにしにきたんですか」といわれるという悪循環が生じてしまいます。

その結果として、実習中の表出が制限され、なにもかわらないままに実習終了、お疲れ様でした、となるわけです。

自分の理解としてはこういうパターンは少なくないと思ってますし、間違ってないと思います。

作業療法士としての仕事時間のほんとうに貴重な時間の一部をボランティアの実習指導に費やして何も学生が成長しないままに実習終了するとか、本当に悪夢でしかないのですが、少なくないと思います。

正直、やばいなーとおもいます。

やばいなーと思いませんか。

では何でこういうことがおきるのかというと、上記を踏まえるとOTSとOTRの双方に要素がありそうです。

作業療法士の労力に見合った分、学生がたくさん学んで、成長して帰るようにするには、どうしたらよいでしょうか。

OTSは、自分の将来像を考えると幸せになれる

いろいろあるけれど、たとえば。

実習に来る前に、どんな職場働きたいのかは、なんとなくでも決めておくことです。

べつに後で変更したってかまわないので、自分はどんな領域のどんな場所で働きたいのか、それを明確にしてそれをスーパーバイザーであるOTRに伝えることです。

そして、そこで働くためには、自分はどんなことが必要と考えているので、どんな学びをその実習で得て帰りたいかということまで明確にできると、将来の自分のために動けるので、多少能動的になれるかもしれません。

自分なりに、自分自身について、実習に行く前に真剣に考えておくことが、実習前に行う準備として必要だったのかなと思います。

自分の将来像について、明確にできるといろいろ幸せになれそうな気がします。

作業療法士が学生時代の自分の体験(忘れたい?)を思い出す

本当に真剣に取り組んでる作業療法士ほど、日々の臨床がとんでもなく忙しいので、かつての自分を振り返る機会なんてありません。

今の自分の感覚や感性を基にして学生と関わるので、上記のような問題が発生するのではないでしょうか。

過去の自分を思い出してゾッとすると、目の前の学生が少しは可愛く見えるかもしれません。

いち作業療法士として学生目線をいつか忘れる恐怖

個人的な感覚ですが。

学生のことがいつかわからなくなるのが怖いです。

そのリスクは、自分が作業療法士として経験を重ね、成長するほどに高まるものだと思います。

学生のことがわからない作業療法士は、その学生の3年後を見据えた効率のよい指導や助言ができないのではないかと考えています。

後進育成のへたくそな作業療法士にはなりたくないので、いつか自分が今の自分の感覚だけに頼りすぎることが非常に恐ろしいです。

謙虚に

自分のことは棚に上げないと指導ができない場面は、確かにあります。

だからといって、それが行き過ぎて、かつての学生時代の自分の不出来と乖離したような実習目標を学生に負わせるのは、あまりにも雑な指導だなと、自分と学生とのかかわりを通じて思います。

養成校側から、よく言われる

「学生を患者様だと思って指導してください」

というのは、

「患者様に関わるときと同じくらい謙虚な気持ちで」

と自分なりに読み替えることにして、学生の成長を自分の糧にもできたら、自分はより良い作業療法士になれるかな、と考えています。

そうしておけば、学生にも謙虚になーれ、と指導しやすいです。気持ち的に。

互いを知れば「ヤバさ」は軽減できる

認知症の方への介入は、相互理解の促進にありますよね。

OTRとOTSの関係も同じではないかと思うので、この記事を書きました。

すこしでも「ヤバさ」が軽減されれば幸いです。

やり取りがしたい

こんな独善的な文章を読んでくださり、ありがとうございました。

よんでくださっている皆さんは、なにかしらおもところがあるはずです。

なにか気になる点がありましたら、LINE@をやってるので、そちらでメッセージ飛ばしていただければ、私自身の学びになりますので、よろしくお願い存じ上げます。

作業療法.netのLINE@アカウントはこちら

特に学生諸君の等身大の意見があると非常にうれしいです。

わからなさや不安があれば、質問していただければ、答えられる範囲でクローズドにやりとりします。

年取ると頭が固くなるな、と感じる今日この頃です。よろしくおねがいします。

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キーワード「MOHO」でgoogle検索したら、OT関連じゃなかった件

あかんやろ。

MOHO大事

MOHOもとい、人間作業モデルって、作業療法士的には大事ですよね?

Model of Human Occupation ってだいじですよね?

大事でしょ?

あんまり大事じゃないかしら。

作業療法関連の概念の中では、結構重要な理論だとおもってただけに今回の検索結果は結構ショック

と、同時に結果が妥当だと思う自分も嫌い。

google検索結果

今回は、キーワード「MOHO」で普通にgoogle検索をかけました。

ふと検索したんですよ。

そして、その検索結果1ページ目は以下のような感じ。

src_moho.png

ご覧のように、1ページ目にはまったく出てこない。(2017/09/29現在)

2ページ目でようやく登場する。

これは、いかに、一般に作業療法が浸透していないかを、証明してしまっている。

そう受け取らないといけないと思いました。

危機感MAX

一般の人が検索することはまずないでしょう。

作業療法のキーワードで、どの程度の検索があるのかも微妙です。(あれも、ヒットするのは養成校の広報HPがほとんどです。インターネット検索対策をきちんとやってるサイトが多いためと思われます。)

ですが、ふと違った考えが浮かびました。

学生とか、作業療法士もひょっとして、あんまり検索してないのかなあーなんて思いました。

そもそも、人間作業モデル授業で触っただけっていう人も少なくないかもしれません。

でもそれだと、ほかの理論を学ぶときのコストも大きいし、作業療法をうまく説明できるのかも正直不安になります。

インターネット上に有意義な情報がなかったら、確かにそもそも検索する気持ちも起きんですね。

自分自身振り返ってもそうかもしれません。

MOHOの解説書きます

だから、MOHOの解説文を書くことにしました。

言い訳しておきます。

いろんなことと並行作業になるので、すぐすぐには公開できないと思います。

でも、きっとこのページを見てくださっているまじめなOTさん達や、作業療法の貴重なフォロワーの皆様におかれましては、多分、何らかの需要はあると思いますので、なるべく早く仕上げたい。

完成がいつになるかはわかりませんが、年内には書き上げたいなあ。

年末忙しくなるので、実質あと一ヶ月以内に、原稿はまとめないと年内は厳しいかもですが、ちょっとこのgoogle検索の結果はアカンと思うので、その気持ちをモチベーションにがんばります。

自分自身を追い込むために書きます。

がんばろう。

がんばれるかなぁ。

がんばります。

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作業療法の自由度の話

作業療法士っていう職業は問題解決してなんぼという側面があります。

結構若手というか経験不足なうちは、なんとなくそこであせるというか、もがく気がします。

私も例に漏れず、対象者の方にとっては、大して意味のない変化を出して自己満足したりしちゃうこともあったような気がします。これが自由度の罠ですね。

自由度の罠

無意味じゃないけど、本当はもっと重要なことがあるんじゃないのっていう。

なんかやれば、なにかは必ず変わるんですから、何かを変えることが重要なのではないのです。

優先されるべきこと

何を、何のために、どのように変えるのか。

それを対象者ご本人が、どのようにうけとめるのか。

それが、一番大事なことなんですよね。

ついつい、問題解決してなんぼっていうのが、自分のなかで大きくなりすぎると、えてしてそういう臨床におちいりがちです。

手っ取り早く解決できる問題に飛びついてしまうという。

でも、そういう臨床ってほんとの意味でのリハビリテーションと違っちゃってることもあるように思います。

リハビリテーションと魚

有名な、OTの先輩方は大体知ってるエピソードなのですけれど、ごぞんじでしょうか。

「魚を与えるよりも、魚の取り方を教えよ」

魚を与えて満腹にしたら、依存が生じることもしばしばです。

お金儲けがしたいなら、それも悪くないですが、リハビリテーションがしたいなら、ちゃんと腹減ったときのコーピングをティーチングする必要がありますし、もっといえば漁獲以外の選択肢を考えられるようコーチングするべきです。

それが、ちゃんとしたリハビリテーションだし、作業療法の自由度ってそういうことのためにあるんじゃないでしょうかね。

それを、なにか結果出さなきゃ、問題解決しなきゃと、すぐに解決できる問題の解決ばかりを繰り返していたら、そりゃあ苦しくなってきませんか。

同じことの繰り返しで。

これが自由度のワナです(繰り返し)

一緒に遊んでるだけ?

作業療法士さんは遊んで点数もらえてすばらしいといわれることもあるようです。

特にベテランOTだと、はたから見ると、そばに寄り添ってるだけで何にもしてないように見える介入もあります。

さっきの魚の話になぞらえると、一緒に釣り糸を垂れてるだけという感じでしょうか。

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っていうのも、要所要所支えてないとその人の生活やらなんやらが成り立たないという評価がきちんとあった上でほんとに要所要所しか介入しないと、一部分だけ切り取られると何もしていないように見えるんですね。

おおむね大丈夫なんだけど、不意によろけて海へ転倒転落しそうになる人とかの場合は、こけそうになったとこだけしっかりと支えればいいのです。釣竿がひいてるときとかそうかもしれません。

過剰なお手伝いは依存を作り出しかねません。

相手と対等であるためには、相手と同じように同じことをするのが一番なんですね。

そして、本人以外へ

それから、対象者の方本人に対して何かをすることだけが作業療法ではなく、釣竿使いやすい長さに調整するとか、リールは自動巻きのにするとかといった環境調整やら、つった後の魚の運搬や鮮度管理調理といった前後の連絡調整とかの段取りをするとか、そういう部分のほうが大事だったりしますよね。

それは、その人がどんな生活を送りたいと考えていて、どのような生活を目指してリハビリテーションを進めていくかによって、作業療法士がやらないといけないことは大きくかわるんで、それがいわゆる作業療法の自由度なんだと思います。

作業療法 ≒ コンサルテーション

だから、作業療法ってコンサル業とか、マネジメント業務に近い要素が多分に含まれていて、お勉強がそこそこできて、大局的に自分の業務が把握できないとこなせない仕事なのかなとおもいます。

問題解決する前に、どの問題から手をつけるのかを、対象者の方と一緒にしっかりと吟味できないとなかなかつらい仕事なのかなとも思います。

プラスアルファ、必然自分で考えることが必要になるので、そういう意味でも能力が必要です。

お給料的には絶対に割に合わない仕事です。

作業療法に完璧は定義できませんが、少なくとも自分が知ってる第一線クラスのOTさんたちは、能力に見合った給料をもらってません。ほかの職業ならもっと稼げています。

でも、あえて作業療法士やってるってのが、一番の自由度かもしれません。

そういう作業療法士さんのOTは、対象者の方にも非常に高い自由度をもたらしているように思います。

自由度を使いこなしてこそ、作業療法士ですよね。

そういう作業療法士に、私はなりたい。

こっぱずかしいことを書き連ねて、記事は以上です。

蛇足:魚の話は、実は出所不明らしいです。知ってたら教えてください。参考:http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000133786

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日本作業療法士連盟は、「このハゲー」の豊田議員を応援していたそうです。

事実です。まあ、与太話というか、昼のワイドショー並みには誰も気にしていない話かもしれませんけれど。

日本作業療法士連盟のブログで読めます。

http://ot-renmei.sblo.jp/article/180693508.html

でっていう話なのですが、妄想が膨らんだので記事にします。

作業療法士連盟とは

そもそも、日本作業療法士協会と混同してもつまらないので、日本作業療法士連盟ってどんなだんたいなのってところから。

いわゆる「政治団体」「圧力団体」というやつです。

政治に積極的に働きかけて、作業療法を盛り上げるというお仕事をしてくださっております。

いや、ほんとによくモチベーションをもってやってくださってるなあと思います。

作業療法と政治力

ぶっちゃけ作業療法界隈の政治力なんて、ないに等しいです。たぶん。

というのが、作業療法士の数って少ないのですよね。

看護とか、PTとかに比べると。

そして、人材の質も高くない。経済力的な意味で。

医師や弁護士と比べると。

そういうバックグラウンドの中で政治に接触するのは、相当メンタルが強くないとできないのですごいなあと常々思うしだいです。なかなか政治家さんたち、票田から相手にするので、相手にしてくれないので。政治献金がしょぼいと相手にしてくれないので。

ということで、今後も作業療法の政治力が劇的に強まる未来はありえないと個人的にはおもっているので、日夜作業療法士の政治力強化のために尽力されている先生方には頭が上がりません。

決して、でこが禿げ上がってるからとか、顔を上げたら禿がばれるからとか、そういうわけではありません。

断じて。

作業療法士連盟の戦略

となると、政治団体なので勢力・影響力を強化・維持することが存在意義になるのですが、票田としても献金力もたいしたことないとなると、取れる戦略はその他の何かということになります。

青田買い

まずあるのが、青田買い。

早めに才能を見出す力があるかどうかですね。

才能があって、これから伸びそうだなーという人に早期に接触して、恩を売っておく。

結構有効だと思います。

人を見抜く力があれば、低コストで投資して、あとから大きなリターンが得られますから、有効ですよね。

作業療法士が経済力をつける

診療報酬の内側でがんばるだけだと限界があるので、企業する作業療法士が増える必要がありますけれどね。

作業療法士の数というか、他業界団体と比較したときの割合がそんなに増えるわけもないので、献金力を磨くしかないような気がします。

政治家を輩出する

作業療法士として、非常に優秀な人って大体政治力も一流です。

結果として。

臨床でいろいろやって自分を磨くうちに、その結果として政治力が勝手に身についているという感じ。

いわゆるたたき上げの、田中角栄タイプ。

そういう人を見出して、きちんとフォローバックアップして、政治家として育成するというは、以外と早道かもしれません。本人には、欲求がないし、汚れ役は誰かがや必要がありますけれど。

この方法をとるなら、作業療法界隈でお金がうなるほどあるという企業家さんがたくさん生まれる必要があるって言う点ではやっぱり代わりがないのです。

豊田議員の話

「このはげー」の人の経歴を見ると、厚生労働所とかのキャリアなんでしたっけ?

興味があんまりないので忘れました。

で、福祉・医療畑に精通しているんじゃないか、しかもそこそこ若手でこれからが期待できるという意味で青田買いだったのかもしれません。

日本作業療法士連盟としては、応援しておったそうです。

日本作業療法士連盟は、これまで氏の政治パーティに積極的に支援し、応援してきた。それは、氏の経歴が厚生労働省老人保健局に在籍していたことや「リハビリテーションを考える議員連盟」の事務局次長の任にあり、私たちの職種への理解者と考えたからである。

OT協会誌2017年8月号掲載 連盟便りより【倫理的文化を育む】 より

支援の根拠としては悪くないですよね。

しかし、豊田議員は問題を起こしてしまいました。

それに対して、連盟としてはこういう姿勢のようです。

氏の教育歴・学歴は実に輝かしい。
しかし、今回の出来事は、氏の知・情・意のバランスを40数年のこれまでの生活期間に整えることができなかったということなのだろう。私は、日本作業療法士連盟会長として、氏を私たちの理解者と考え、氏の政治パーティに複数回出席してきた。現時点で、連盟の公のお金を氏の政治活動のために供与したことを悔やむ。連盟会員の皆さんに、私の理解者選びの判断の誤りを深くお詫びする。

OT協会誌2017年8月号掲載 連盟便りより【倫理的文化を育む】 より

悔やむそうです。

残念。青田買いはやめるそうです。

最後には、見限りましたの意でしょうか。こんなこともかかれてありました。

さて、政治家が政治資金を集めるために開催する政治パーティは講演付と講演が付かないタイプがある。講演が付かないタイプは、派閥の重鎮や議員たちが代わる代わる壇上に登り、パーティ主催者の業績等を褒め上げる挨拶が繰り返されるものである。一方で講演付のパーティは自身が講演する場合もあるが、大抵の場合はテーマに関する専門家を呼び、弁当付きで話を聴かせてくれるものである。私のこれまでの経験では、専門家の話を聴く後者の方が、質問が許される場合もあり、学べるという印象がある。政治パーティは全て後者のようにしてほしいとずっと思っている。因みに豊田真由子氏の政治パーティは代わる代わる議員たちがお互いに褒め合う挨拶会のタイプであった。

OT協会誌2017年8月号掲載 連盟便りより【倫理的文化を育む】 より

残念。

政治って、ダーティーさというか狡猾さというか、粘り強さがないと、結局何も実現しないのですよ。

よほど勢いがあるときを除いてね。

そして、豊田議員に恩を売るなら今こそがチャンスだったのではないかと思うのですよ。

こんな感じで豊田議員を公然と支援する手もあったはずです。

「このたび明るみとなった豊田議員の言動・行為は断じて受け入れられるものではなく、当連盟としてははっきりと嫌悪感を表明せざるを得ない。しかし、氏の能力・手腕を当連盟としては非常に高く評価し、実際に政治パーティーなどで支援を行ってきた。

今回の事件が発覚して以降も、氏の能力や手腕への信頼はゆるぎない。氏が今後、人間的に成長しますます活躍されることを信じて、今後も連盟としては積極的に氏への協力関係を貫く」

とかね。

恩を売るってそういうことじゃないの。政治に必要な恩の売り方としてはね。

そうすりゃ、少ない金額でも、大きなインパクトを残すことができたかもしれない。

実際優秀な人なんだろうことは間違いないんだから、ちゃんとフォローを継続すればよかった。

「作業療法士がとばっちりを食うかもしれない」

というご心配にはあたらない。日本作業療法士連盟という組織をいったい何人が知っているだろうかしら?

きっとほとんどの人はしらない。特に一般の人たちは。

そして、たとえテレビでそのことが取り上げられて炎上したとして、上記のような表現での支援になんら後ろめたいころはないし、むしろメディアで拡散されることによる知名度向上のメリットのほうが大きかった。

残念ながら、日本作業療法士連盟はそういう規模の団体である。

だから、継続フォローを表明しておけばよかった。

組織として、ぶれない姿勢を示して、きちんと求心力を維持すればよかった。

という妄想が出てきたので、広告の裏にでも書いて置けばよかったのですが。

作業療法士の政治力とは

最後に真の政治力、超一流の政治力とは、自分のキャラクター自分のブランド、看板で戦える人たちである。

そういうのがない人々は組織にたよる。

どういう組織に頼るかというと、一人にお願いしたら、漏れなくたくさんの人が動く組織である。

それは、ワンマン経営者の企業だったり、強いリーダーのいる組織である。

そういう組織は、票田として効率がいいので政治家から相手にしてもらいやすい。

まあ、いち作業療法士にとり、あんまり縁のない話で、せいぜい将来起業の可能性も考えとかんといかんのかなあなんて思う、そんな話題でございました。

せいぜい「このハゲー」とののしられることの無いよう、世間の動きはおいといて、人として、作業療法士として大事にするべきことを大事にした臨床を心がけていきたいと思います。

もし、作業療法士が今よりも政治力を獲得するとして、一番最良のストーリーは法律や制度やお金に由来しない、技術や人格指導力などの社会的な影響力を作業療法士ひとりひとりが強固かつフレキシブルな政治力としてもつことで、作業療法士の総和としての政治力が向上することでしょうか。

つねづねそう思ってるので、とりあえず、凡人なりに臨床がんばろうと思います。

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実習という作業療法士養成課程上必須な課程の問題点

フェイスブックのほうで、下記リンクの記事シェアをしたら、珍しくたくさんのいいねがもらえた。

理学・作業療法士学生、指導役と相次ぐトラブル 養成課程・実習環境、見直しへ―くらしなび

関心がそれだけ高い問題なのだなー、と。

それもあり、改めて内容を自分のために整理する意味も含めて記事にすることに。

別にこれから実習に行く学生さんを脅すような意図はない。

状況はかなり深刻と勝手に思っている。

実習の現場で今、なにが起こっているのか。

問題

現在起こっている問題は、結局以下に集約される。

実習生が、実習でつぶれる。

シンプルに起こっていることはそれだけのことである。

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その原因は3つある

①実習指導者の指導力不足

②学生の実力不足

③養成校の職務怠慢

この3つが、絶妙に絡み合って、実習先でつぶれる学生が続出しているように思える。

ひとつずつ見ていくと

① 実習指導者の指導力不足

実際問題として、実習生をしっかりと指導する余裕なんて、臨床にしっかりと取り組んでいる作業療法士にはあんまりない。

臨床のついでに指導する、もしくは、臨床しながら指導する。

そして、休憩時間とか、なけなしの空き時間を無理やり運用して、学生が書いたレポートを読む。

実習指導者の側に余裕がないのは、間違いない。

余裕がない中でも、人を導くことができるかどうかはよい作業療法士であるかどうかのひとつの判断材料であるとおもう。

学生の質は後述するように、芳しくないが、それを引き上げるのも、作業療法士の腕のみせどころではある。

と、思う。

そんな生易しいものじゃないけれど、人格や学習能力に問題がないのだったら、できる範囲でできるだけ伸ばして返してやるのが、できる実習指導者のあるべき姿と思ってるので、そうでない結果で学生を送り出すことが6割を超えるような指導者は、あんまり人を教えたり指導するのに向いてないかもしれない。

作業療法士向いてないかもしれない。

学生がろくでもない場合には、キチンと養成校側にその旨を伝えるのも仕事だけれど、その辺なあなあでなんのためにバイザーやってるのかわからない、そういう実習指導者もいることも事実。

②学生の実力不足

バイザーが教えてくれないと、あるいは、指示がないと実習中何をしたらよいかわかりません。

という学生が増えているが、これは学力不足というよりも社会経験の不足であり、そういう意味で実力不足が顕著である。

し、加えて、そもそも作業療法士になろうというモチベーションはあまり高くないままに、実習に来てしまう人もちらほらいる。

そして、臨床を甘く考えていたことを、いざ実習にきてみて強く突きつけられて、そこでおろおろとしてしまう人もいる。実習中に、自分が臨床を甘く見ていたことに気がついても、その後の実習で取り返すのは難しい。

臨床に見合うレベルの学生は少ない。

後述する理由で当たり前ではあるが、それで実習パスしたら、そんで国家試験に合格したら、そうしたらプロとして臨床に立つようになるわけである。

そう考えると、結構恐ろしいことだったりするので、バイザーが厳しくなるのも少しは理解してもらえるかなあどうかなあ。

実習に来ているということは、一通りの勉強は学校で終わってますよ、ということなので、学力不足は論外だし、学力をうまくいかせるように自分でなにが必要かをかんがえて動くことができることがとても大切なのだけれど、それができる学生はほとんどいない。

③養成校の職務怠慢

養成校は、学生を強く指導できないし、やる気のない学生を辞めさせることもできない。

なぜなら、学生が来ない学校はつぶれるからである。

そして、少子化によって、入学する人数自体が減少しつつある昨今においては、キチンとした指導をすることによって学生がやめるリスクをとるよりも、馴れ合いのような授業であったとしても学生に辞められないようなそういう指導をせざるをえない。

自分の指導によって学生が減少したとなれば、教職を追われることになるかもしれない。

さらにいえば、作業療法を教える作業療法士は二極化していて、ぜんぜん臨床経験ほとんどないけど研究で先生になりましたって言う人と、臨床一筋だけど論文よめませんかけませんっていう人。

その両方ができる人は少ないけれど、とくに前者の人は、いまさら臨床でがんばれないので、余計なかなか強く出ることができなかったりする。

学生が、不真面目なツケは結局のところ後のち本人に帰ってくることになるのだけれど、そうなるまえに気がつかせるのが教員の本来あるべき姿なのではないかと思うので、そういう意味では職務怠慢。

まとめ

結局のところ、誰が悪いというよりも、いろんな要因が重なって、その結果として実習生がつぶれる時代になっている。

そもそもの実習の仕組みが悪いので、たとえば医師のように、国家資格を取得した後にスーパーローテートでいろいろなジャンルのところではたらいてお給料もらいながら臨床にでるとか、そっちのほうがいい気がする。

そうじゃないと、結局学校が本人の責任を肩代わりしてしまうし、学生とバイザーの間に利害関係が強く生じてしまうので、学生のがわも指導者にしっかりとぶつかっていくことができない構造になってしまっている。

これはやっぱりよくないので、制度を変えることを考えるか、それが難しいというなら各人の不断の努力で何とかするしかないかとおもうのだが皆様いかが思われますか?

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リハビリテーション職が当事者も社会も元気にするために意識するべき必要なたった一つのこと

私自身、自分が作業療法士になってから、今までの間にいろいろと悩むことがありました。

その中の一つに、『どこを向いて仕事をしているのか』ということがあります。
病院の中で作業療法士は、少数派です。
看護師や介護士の方が多い職場では、作業療法士が共通認識として、当たり前と思ってること、いわゆる暗黙知の部分は、通用しないことが多いです。
当然、患者様のために働くべきなのです。
しかし、時と場合によってはそうでないことがあるのは、昨今の老健や特養での利用者の方への虐待に象徴されるように明らかであると思います。
それは、なぜ起こるかといえば、病院や施設の経営者の怠慢であり、医師をはじめとした責任者や管理職のマネジメント力の不足であり、実践者である現場職員の倫理観や実務能力の欠如であり、それらの総体としての資本主義優先体質にあると思っています。作業療法士の優柔不断さも。
個人の働き方や価値観は尊重されなければいけませんが、あんまりユルいとフリーライダーが増えたり、発言力のあるおかしな人がおかしなことをしても、それを誰も咎められないという、おかしなことが起こります。
そうなると、だんだんみんながどうしたら自分の立ち位置を守ることができるかということに苦心するようになり、本来の仕事とは関係のない所にエネルギーを注ぐようになってしまいます。
こうして生じる、ムリムダムラは、働き手からも、サービスを利用する患者様やその家族さんからも、元気を失わせることになりかねません。
働いて、その結果が、単に施設の儲けになって、おしまいというのではあんまりだと思いませんか?
私個人の話をすると、そういう現象がいくらか垣間見える時があって、落ち込んだりもしました。
きっと、多くの施設で真面目に利用者のために働きたいと思っている人にとって共通の話題ではないでしょうか。
こうしたモヤモヤ感、決まりの悪さ、違和感を解決するのは、やはりきちんとした暗黙知を形成できるかどうかだと思います。
この人はこう言う仕事をする人だ、こんなことをお願いしたら解決してくれる、という、そういう認識をどこまで持ってもらえるかということだと思います。
そして、その暗黙知のチェック体制を整えることだと思います。チェックは、患者様やその家族に行ってもらうのが一つ筋だと思います。
ですから、相手がキチンとチェック、評価ができるように『私たちはここを売りにして仕事をします』と、きちんと相手に明示しないといけないと思います。
そして、それが実際に行えているかどうかの確認、チェックは患者様や他のスタッフと一緒に行えたら良いと思います。
そうすることによって、自分がどこを向いて仕事をしているかが周囲に伝わり、周囲から要求されることも、一定の傾向がでてきます。
そうすることによって、ムリムダムラが減り、対象者の方のために使える時間が増えていくはずです。
もうお判りかと思いますが、ムリムダムラをなくして働くために必要なたった一つのことは、自分がキチンと宣言をして働くということです。
そして、それが、人と繋がり、協業するために必要不可欠だとおもいます。社会参加の実現にもつながっていくのではないでしょうか?
こうすることで、大変な面もありますが、自分のやりたいことやるべきことが整理されて、すっきりして働けると思いますよ。

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医療・介護・福祉の現場も、地方の中小企業の企業と同じタイプの人材不足が起こっている。

中小企業の場合、どんな社員であっても
貴重な戦力。

昨今は、医療福祉介護の現場も同じです。なかなか人が来ないからですね。

もし、誰かに止められると、施設基準すれすれで回しているので即マンパワーが不足する。

だから強く言い出せない。止められると困るから。

そうすると、逆に組織内の人で他のところでも十分にやっていける人間は、ちゃんとしている人っていうのはどんどん辞めていくという。

後に残るのは、責任感が強い人と、その職場でのお局さん的な人ばかり。

あとは、新人がパラパラ入ってきては辞めていく。

淡白だけど仕事がバリバリできる人も辞めていく。

とまあ、いろんな人材問題が巻き起こる訳で、簡略化によって質や量が犠牲になったり、根性論でサービス残業が増えたりという事態が巻き起こることになります。

そうなるとどうなるか。

人材の循環がますます停滞するのですね。

例えば、「サービス残業が山ほどあるぜ」という評判のある病院や施設に就職する人は、何か止むに止まれぬ事情があることが多いでしょう。ひょっとしたら、他に働ける場所がないとかそういう理由かも知れません。

そういう方が、まあ、やっぱりすぐにやめていかれることが多かったりするんですよね。あくまで、傾向の話ですが。あくまで傾向はあるかもなあ、という。

そして、人材の停滞は、端から見て異質に映るような独自の文化の発展や、チェック機能の麻痺につながりやすいです。

もちろん、きちんと我がふりを振り返ることができる人もいます。が、そんな人はとっとと辞めてより条件の良い職場に移動していかれることが多いです。

すると「まあいいか」で、だんだんズブズブな仕事をするようになっている自分に気がつけない人が増え、いつの間にか施設の文化がそういう風になってしまうことってきっとあると思うんですよね。

競争の激しい都市部の病院を除けば、田舎の病院なんて、介護も看護も、ドクターもリハビリも、こんな感じの傾向になっていないでしょうか。なっていないなら杞憂です。

ただもしも自分が経営者だったらと考えると、施設基準ギリギリのスタッフしかいなかったら、今いる人にやめられたら、機会損失につながりかねないので、よっぽどでない限り職員に対して注意もできないですよね。

でも自分が経営者だったら、優秀な人材には適当に役職を作って、給料を差別化して増やしますね。

適当な事務仕事に対して対価報酬を支払うようにしてもいいかもしれません。

いわゆる能力主義ですが、これが最善ではないでしょうけれど、やっぱりこれしかないのかという気がしています。

人材が有り余っている昔ならばいざしれず、先輩後輩関係に頼りきりの職場環境は、人員の充当が簡単で優秀な人が自然と集まりやすい都会以外ではやっぱり通用しなくなってきていると感じます。以上、あんまり作業療法関係無いようで、結構リアルなお話でした。

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直接契約ができるようになれば、OTの質は絶対に高まる

同時に自然淘汰も進んで、競争は激化するでしょうけれど。

現在、作業療法を提供する人とされる人の間には施設があり、顧客である患者様や利用者様は施設に対して対価を支払い、作業療法士は施設から報酬を支払われるという形態を取っています。

その分、施設は中ぬきを行い、利用者と作業療法士の間を取り持つと同時に、何か問題が発生した時の責任を取るという立場や働きをしています。

良し悪しあるのですが、現在、優秀な作業療法士が地域社会に足りません。

もしも、作業療法士が自分で顧客と直接契約をし、そこに保険点数が適用できるようになれば、きっと地域で働く作業療法士の質は劇的に高まると同時に、必要な保険点数は激減すると考えられます。

なぜなら、顧客の支払い分が全て、作業療法士の売り上げになるということは、国としては同じ点数の支払いで働く作業療法士の数が劇的に増やせることを意味するからです。

今後ますます、作業療法士が地域や病院で必要になると言われているのであれば、直接契約は是非検討するべき仕組みだと思います。

チェック機能に不安があるというのであれば、行政が形だけでも直接雇用する形でもいいと思います。

作業療法士は今後そういう視点を推し進める人が、リーダーシップを発揮できると、ますますOTが社会にて活躍できる機会を作り出すことができるのではないかと思います。

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今や「理学療法は生活動作の専門家です」らしい

facebookで流れてきたので気になって調べたら、こんなポスターが。

http://www.japanpt.or.jp/upload/japanpt/obj/files/aboutpt/2015poster_2.pdf

作業療法士が応用動作の専門家で、理学療法士が基本動作の専門家というなんとなくの住み分けがあったのは今は昔の話なのかもしれません。

これは、PT人口の飽和も大いに関係しているでしょうし、PTが今後認知症分野をはじめとした精神領域で活躍していく上での布石だと思います。

別にそれはそれで必要なことなのでしょうから、問題ないと思います。

問題なのは、OTがきちんと戦略的に情報発信を行えていない点です。

OTがきちんとこれまでの取り組みと今後についての情報発信を行っていかないと、多分、パイの奪い合いになっていくと思います。

OTとしては、「心が動けば体が動く」をきちんと実践してきたのですが、そのノウハウを体系化して、一般の人々にまで届ける努力をしていく必要があるのではないでしょうか。

先進的なPTさんは、OTが先進的に取り組んできた、その辺もきちんと日常の業務の中に取り入れ始めています。

一人一人のOTが自分の作業療法観を明確にできないと、今後ますます、作業療法が何なのかっていうことがわからなくなっていくのだろうと、強く感じた出来事でした。

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