社会と作業療法と効率化を妨げるものの話

作業療法を必要とする人に作業療法を届け続けるために作業療法に必要なのは、イノベーションだと思っています。つまり、作業療法士がどの程度、何かを変えることに対して積極的になれるかどうかということです。

安定と変化のバランスが大切ですが、医療全体を見ていると安定にしがみつこうとしている嫌いがあり、作業療法士はそこでどのように振る舞うかが問われているようです。

作業療法と社会全体をぼんやりと眺めて、この記事を書いていきます。

林先生の授業の数学のはなし

東進の林先生のテレビ番組にて、「算数の入れ替えの問題」の問題について取り上げていました。

この問題は、twitterで探せば類似のものがたくさん出てきます。例えば、以下のようなものです。

で、交換法則を認めず、これが間違いになるのは、どうなのかという話は、以前世間一般で議論になりました。

これについて、いろいろな意見があると思います。

今読んでおられるあなたはどのように感じますか?

「学校の先生に習った通りに回答していないのだから減点すべき」

と感じるか、はたまた

「算数の先の数学においては、交換法則習うんだからさあ、バカみたい」

と思うかは、その人がどこに重きを置いて考えるかによると思います。

 

前者は、「悪法も法」つまり、暗黙のルールでも守らなければならないし、それが秩序であるという考えかたと言えるでしょう。

後者は、合理主義というか、論理的に正しければ、良いのではという考え方であると言えるでしょう。

要するに見ている世界も違うし、その背景にある物差しもおそらく違うのだと思います。

 

ちなみにこの番組では、世界的な数学の権威の意見を参考として、

「きちんと問題文で条件を提示していないのであれば、不正解とする合理的理由はない」

「ガウスという天才がいたが、彼は交換法則を見出して1〜100までの合計を瞬時に見抜いて見せたが、そこで交換法則を否定するような教師に指導されていたら彼の数学者としての人生はなかったかもしれない」

という方向で意見集約されていました。

上記の話は、「合理性」というものを考える上で非常に示唆に富んでいます。

合理性とは方法論の改善

アルゴリズムという言葉を聞いたことがあるでしょうか?

主にITの世界で使われる言葉かもしれませんが、「方法論」と言い換えても良いかもしれません。ようするにやり方、方法です。

同じ結果を得るために、様々なやり方がある、そのやる方のことをアルゴリズムと言います。

先ほどのガウスの逸話でいえば、

1〜100の合計を計算する方法は、

一から順番に100まで足す

1+2+3+4+5+6+・・・・+99+100

101掛ける50

という方法の2つのアルゴリズムがあります。

お分かりのように、そのどちらを用いるかによって、結果を得るために必要な時間が大きく異なるはずです。

多くの人は足し算の処理を頭の中で100回繰り返すの時間に比べると、一回の掛け算を頑張る方が早く計算の結果を得ることができるでしょう。

 

これは、和の交換法則が成り立つという前提と同じものが複数個あるなら積として扱えるという知識があるがゆえにできる、スムーズな回答なのです。

で、この方法にバツをつける学校の先生がいるということが問題視されているわけです。

「学校で習っていないことをするのはけしからん」ということですね。

しかし、習っていようがいまいが、賢い人は、合理的な考え方をしますし、結果が同じならば、低コストな方を選びます。それが、のちの選択肢の幅を広げる方向に影響すること、つまり自分の人生をより豊かにすることに直結することを理解しているからです。

スムーズなのはずるいか

不思議なことにこうしたスムーズな解法は賞賛されるか、非難されるかという真逆の評価を受けることになるのです。

率直に、スムーズで素晴らしいと褒められる場合もあれば、逆に正攻法ではなくてずるい、手を抜いているという評価を受けることもあるということです。

前者は合理的感性であり、短い時間で多くの成果をあげることは素晴らしいですねという感覚ですね。

後者は、自分が持っている文化的社会的公正さのイメージにそぐわないので、好ましくないと感じるという人間的な感覚でしょう。自分は真面目にやってるのに、少ない労力でズルをしているというそういう感覚です。要するに嫉妬です。

これはもう、どう感じるかという世界の問題です。

その人が、どのように感じてどのように行動するかというのは自由です。

その結果も自業自得です。

結果を引き受けさえすれば、どちらのやり方であっても問題はありません。時間をかけて愚直にやるからこそ見える景色や学びというものも、間違いなく存在するからです。特に、結果が全てではない、過程が大切であるという視点においては間違いなくそうです。

ずるいかずるくないかというのは、議論のポイントがずれています。

本当に問うべきなのは、自分もそうしたいのか、そうでないか、ということです。

合理化を非難する文化に負けないことが大切

だからこそ、大した考えもなく感覚で合理化を否定する文化に安易に迎合するべきではないと考えます。

「エクセルのマクロを使って仕事をしたら、上司に理不尽に叱責された」

というのは、エクセルが仕事に使われるようになって以来の、あるあるネタでもう使い古されてしまって、未だにそんなことあるんだなーというレベルですけれど、作業療法士の世界でも、本質的にそういうところはあるかもしれません。

「時間をかけて、みっちり丁寧にやらないと、そこに愛はない」

みたいな。

でも、結局のところ、作業療法の対象者の方が求めていることに何がマッチするのかという、そういうシンプルな話だと思っています。対象者の方が愛を求めておりそれを充足することが、治療効果を大きくするのであれば、愛を追求するのも悪くないでしょう。

反対に、対象者の方が結果を求めているのなら、別にどれだけの時間がそこに費やされるか、どれだけ作業療法士が時間をかけて関わるかなんて関係ないわけです。

そういう人に対して、作業療法士が不必要なまでに長い時間関わり続けることには、違和感を感じます。

先のエクセルの話でいえば、短い時間で、大きな成果を出しているのに、それを非難するのは、機械化することで自分の仕事が奪われると考える人がいるからですし、単位時間当たりでの仕事量があまりに違うと、自分の仕事の価値が相対的に低下することを知っているからです。

このようなマインドのもと、同調圧力で、意味のない長時間作業療法と称して、対象者への関わりを継続するような関わり方をしているのであれば、それらは改めて行かないといけないと思います。

日本は医療費がただでさえ足りないということになっておりますので、本当に必要な人に必要なだけの資源を届けるという視点においては、ここは非常に重要なポイントです。

「マクロ」は、すべからく全ての作業療法士が使いこなせるようにならなければなりません。全ては、顧客である作業療法の対象者の方の利益を最大化しつつ、組織の利益にもそこそこ貢献することで、作業療法の持続可能性を高めるためです。

ずるいだの何だの言っている余裕はこれからのこの国にはありえないのですが、そこも、視野の違いだと思います。直近のことの方が気になる人もいれば、長期的な先のことを踏まえて今のことを考えるべきだという人もいます。

いわゆる合理的な人は後者であり、のちへの影響を考慮して現在の振る舞いを考えたり、またそれを実行に移したりします。

作業療法士はリハビリテーションの仕事であり、評価し目標を設定し、対象者の方に変化を迫る仕事です。その作業療法士が、自分自身を変えられないのは、作業療法士という存在の信用問題に関わると思っています。作業療法は、もっと合理化できるところはどんどんためらわずに変えていかなればならないでしょう。

ためらいが生じるのは、自分自身の「面倒だ」という気持ちと、その変化を良しとしない人からの反対を想定することによると思います。ですが、本当に価値があることであれば、その価値を理解できない人に関わる労力を使ってもったいことになるよりは、共感を得てくれる味方を増やすべきで、そうなるためには自分自身がどんどん変わっていく必要があります。

作業療法士は他人を変えることが仕事です。自分自身を変えることができないで、何を変えることができるでしょうか。合理化を非難する文化が確かにあることは認めつつも、今後を見据えて必要な変化であればそれを最後まで押し通すべきでしょう。

また、作業療法士の背景がどうとか、そんなことは、対象者の人には関係ない話で、対象者の方が本当に望んでいることはなんなのか、どうしたいのか、どのようにいきたいと願っているのか、本当に大切にするべきはそちらですから、やるべきと考えるなら遠慮なく、端折って合理化を進める利点はあると思います。

組織の秩序は何のため

往々にして合理化を妨げる要因となるのが、所属する組織のルール、つまり秩序です。

組織の秩序というと、雲をつかむみたいな話になりますが、私見としては、どのように人を動かすかということに尽きると思います。

つまり、組織に所属する人が、どのような考えや動機付けのもとで、どのように行動し、それがどのように必要とする成果に結びついているのか。

そういう視点で、人をどのように動かすかということにおいて、重要になるのが組織の秩序ということになると思います。

お分かりのようにこれは、合理主義者の視点であります。

逆に文化的社会的公正さの感覚から見ると、多数の人間がそれなりに折衝してみんなでやっていければそれでいいじゃないという感じになります。能力や生産性や成果に関係なく、組織に長く所属している人がより多くの給料をもらえるという年功序列型の会社組織の秩序も、そこに多くの人が公正さを感じており、納得のもとで働いていたからこそ、あり得た仕組みということになります。

ともあれ、組織の秩序は人を集団に縛り付けるため、もしくは集団に属する人に一定の方向性を与えることで目的の成果を揚げやすくするために存在します。

前者は、家の門限であり、国の戸籍システムなどが該当するでしょう。

後者は、道路交通法であり、国民皆保険制度でありましょう。

このような組織の秩序の働きを、組織のリーダーがうまく知覚し、活用できているかどうかを、作業療法士は敏感に感じ取らなければなりません。

つまり、上記2つのどちらの文脈で、組織の秩序を運用しようとしているのか、を理解しようとしなければならないということです。

合理性に乏しい組織であればあるほどに、「昔からこうだから」という意味もわからぬままに継承した無意味な文化が溢れかえっているはずですので、すぐにわかると思います。

大切なのは、自分が納得してその組織に所属しているのかどうかということになると思います。納得していないのなら、組織の秩序に働きかけるか、その組織から抜けることを考えましょう。

イノベーションに対抗する文化

合理性が文化や人に受け入れられるかどうかは、結局のところ、その社会がどの程度の変化を許容できるのかということにかかっています。

大相撲の話でいえば、横綱かくあれかし、という話です。

白鵬の相撲の取り方は、勝つための合理的な相撲です。相手をどのようにすれば負かすことができるかどうかに特化した相撲の取り口です。

しかし、相撲協会としてはそうした相撲は横綱らしくないから控えるべきであるという話になるそうです。相手の挑戦を受けてどっしりと組み相撲で戦わなければ、横綱の品格に欠けるというのです。

これはつまり、どういうことかというと、今の大相撲には白鵬のような強さを追求する相撲を受け入れるだけの度量、器量がないということです。相撲に勝利するにはという飽くなき探究の姿勢を持って横綱の品格とすることは、できないということです。

あれだけ相撲に対して、真面目に真摯に取り組んでいる力士は他にないと思うので、個人的には十分に横綱の品格を讃えているといって良いのではと思うのですが、相撲協会はそういう考えにはなれないということです。

一体それのどこが問題かというと、新しい価値を認められない組織は、変われない組織になります。変われない組織には、変われない人間が依存しやすいような組織の秩序が出来上がり、風通しが悪くないり、世間一般とのズレが次第に大きくなっていきます。

相撲でいえば、先輩からの暴力は指導であり、うちうちで解決すれば良いだろう、外に話すようなことではない、という話になります。

日本の法律に触れているのであれば、公に裁判までするべき話のはずなのですが、どうも、風通しが一旦悪くなると、組織というのはとことんまで腐りきってしまうようです。

作業療法士の世界も、医療の世界もそうですが、人材の流動性が低い組織においては離職率を下げるための試みが、却ってある世代の退職を促してしまっている、つまり離職率を上げている可能性すらあります。

そういう組織は、昨今の大相撲と一緒です。事故が起きれば隠蔽するし、物言えぬ人にどのような対応をしているかはお察しの通りです。

人材に流動性が乏しく、優秀な人材を外部から迎えたところで、何も変わらないという事態が起こることもしばしばです。また優秀な人材を、すぐに手放してしまうこともあります。

こうした組織において、変化を起こそうとする人間は敵です。

どんなに良い結果をもたらすイノベーションであったとしても、既存の秩序やそれを元にして成り立っている文化にあだなす害のある存在ということになります。

そんなゾンビのような組織は、早いところ絶滅すればいいと思うのですが、文化的社会的公正さの感覚に基づく組織は緩やかに衰退しながら意外と長生きです。もっとも所属している組織の構成員の表情は、どこか覇気に欠けますし、仕事をしていて楽しそうではありません。

そんな組織には存在意義を感じることができないのは私だけでしょうか。

コラム 変化耐性のはなし

自分が変われないから、変わったことをして結果を出す人を攻撃する人がいます。

ひとえに変化に対する耐性が低いからですが、それで他人を攻撃するのはナンセンスです。

なぜなら、変われないものが変われるものに変化しないことを強要するのは、変化することを強要されても文句は言えんと思うのです。

以上です。

組織の合理性追求と障害者就労の矛盾

ここまで書いて、一つ重要なことをまたここで書きます。

組織の構成員を純粋に成果で測るとしましょう。

つまり、成果を出す人間は雇用され続け、成果に乏しい人間はリリースされるというそいう組織が出来上がります。

医療や福祉の世界においては、そのような成果主義を導入することで、顧客である対象者に対して、より良いサービスを提供し、より良い結果を対象者に受け取ってもらうことができるでしょう。

そのためには、徹底して合理性を追求し無駄を省くことが重要です。なぜなら、日本の医療福祉介護の世界にはお金の余裕がないからです。

これを突き詰めると、例えば能力の乏しい作業療法士や成果の出せない作業療法士はお休みをもらうことになり、雇い続けてもらうこともできなくなるでしょう。つまり、成果の出せない人間はいらないというわけです。

一方で、障害者の方の就労においては、何も成果だけを以って就労できるできないを決めるわけではないですし、じゃあ医療介護福祉の分野においてもやっぱり働く側も合理性ばっかりを追求するのもなんか違うんでないのという、そういった感覚とはやはり矛盾するところがあると思います。

また、合理化をすすめたからといって、全ての問題が解決できるというものでもないことを感じさせてくれる矛盾でもあります。

大変でも、作業療法の合理化は必要

なぜなら、持続可能性がピンチだからです。

作業療法は無くても死にません。

資源やリソースが減れば、当然生存に関わることが最優先です。

 

そんな状況の中で、作業療法を必要としている人に、ちゃんと作業療法士が作業療法をリーチするためには、作業療法をもっともっと洗練して、短い期間でより多くのより良い変化をもたらすことができるようにしていくことが必要であり、それはまさに合理化のプロセスそのものであるといえます。

よって、作業療法には合理化が 必要であり、そのためには、作業療法士がまずは自分の頭を柔らかく保つと同時に、新しいものを厭わず、かといって周囲の評判を必要以上に気にせず、矛盾を飲み込めるだけの大きな視点を持って、いろいろな表現を行なっていくことが、これからの作業療法士には必要なのだろうと思います。

感情論と合理性をうまく統合できるか、その矛盾を相克できるかどうかは、作業療法が今後もっと進化していくための鍵になるようです。そのためには、作業療法士がもっと、自分のスキルを増やすことに貪欲であり続けること、そしてそのための正当な対価を組織に要求するだけの図太さを身につけ、組織に対する発言力やら影響力を強化することなどが必要かもしれません。

いずれにせよ、合理化をズルいなんていってる作業療法士はいないと信じたいです。

まとめ

合理的になれるかどうかは、

違うものを同じと見れるかどうか

新しいものを受け入れることができるかどうか

矛盾から、新しい到達点を見いだすことができるかどうか

 

 

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差別とは、その感情

ネット上で、とんねるずのキャラクターが差別的だと話題になっていた件について、マイノリティーの当事者のミッツマングローブ氏がコメントを寄せているのを見つけました。

差別を考える上で大切なことが書かれていたので、紹介します。

表面的な配慮は窮屈さを増すだけで、無意味

セクシュアルマイノリティーを茶化すようなキャラクターをとんねるずの石橋氏が演じていたことが世間的にバッシングされていました。

一昔前であれば、問題になっていなかったことなので、社会の関心が高まってきているのはいいことだなと思います。

ただ、そこでとまってしまっている人も多いのではないかと思うのです。

大切なのは、

「茶化しちゃだめよ」

といって、タブーにすることではなく、当事者の人が本当はどう感じているかに思いをはせ続けること、興味を持ち続けることが大切です。

「あなたはこういう人だよね」

と、興味があって、適切な距離感で関わり続けることができるならば、差別なんて起こりえませんからね。

配慮をしていますという仮面をかぶって、

実は遠ざけているだけの人は

実際、世の中に多いと思います。

精神障害者の方、認知症の方、知的障害のある方への社会としての遇し方を見るにつけ、

配慮という名の隔離が行われているのではないかと、

猜疑心にさいなまれることこの上ありません。

表面的な配慮をする人たちに囲まれて、互いが揚げ足取り合うだけの社会に、快適さがあるでしょうか?

当事者の方たちは、そんなことより、自分たちが「普通」に暮らせる社会になることを望んでおられるようにおもいます。

そして、そのために普段からの不断の、不特定多数の方々からのかかわりやら支援を望んでおられます。

「普通」を本当の意味で保障するためには、言葉面のその先こそが必要です。

ミッツマングローブ氏の言葉の引用

そのことを的確に表現しておられたので、引用しますと

過剰なほどの自重と、善意という名の偏見に塗れ、いよいよ日本も行間や心の読めない単細胞国家になってしまった……。そんな気さえします。差別や区別にも『分別』があって然るべきでしょう。『分別』というのは、無数のグラデーションの中で、その都度その都度『判断』をすることです。それが道徳であり、秩序なのだと思います。

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週刊朝日より引用

大切なのは、自分の頭で考えること

どうにも、オーバーラップしたので自白しますと、一時期はやった「障がい者」議論は、とてもとても、こっけいにみえました。

障害者という言葉に、いったいどんな感情を乗せているのでしょうね、漢字一文字にこだわる人たちは、と思いました。正直。

いや、当事者の方がそこの議論を活発にされるのは当然のことだと思います。自分自身を規定する表現ですから。

だがしかし、その周囲の人間が、「配慮」と称して、不必要なまでに騒ぎ立てているように感じられてしまい、そのことが、自分の中での違和感として残っているのだと思います。

だって、表記が変わったからといって、音・読みは変わらないわけで、つまり、そういうつもりで、そういう感情でその単語を自分の言葉として発している時点で、表記を変えたところで何の意味もないと思うからです。

そう、結局は性根の問題です。

どういうつもりで、その言葉を発するかということです。

事実は事実

個人的には、

障害者とは、

「いきづらさが比較的多い人」

という意味です。

事実です。

逆に、身体に欠損があろうと、思考力が不十分だろうと、いきづらさがない人は、障害者ではありません。

そういう理解です。

これは、単なる事実だと思います。

そこに不必要な感情を勝手に付加するから、話がややこしくなるのではないでしょうか?

たとえば、「デブ」が悪口だと思う人は、そこに差別意識があることに気がついてほしいです。

本来は単なる事実の指摘なのに、なぜそれが悪口になるのか。

それは、

言う側の人間が、言われる側の人間に対して攻撃的な意図をもって発言する

からであり

言われる本人が、自分自身の体脂肪率の高さに差別的な意識を持っている

からです。

体脂肪率が高いことが、その人個人のマイナス評価に直結するのは、感情論がそこにあるからです。それは、もっと普段から意識されるべきことです。

なぜなら、人間の社会は感情論でモノゴトを進められることが、割と多くあり、その感情論が差別意識を生み出す温床だからです。

また、侮蔑的なニュアンスや、別称としての使用などをする人は、表現を変えたところで存在し続けます。実は、まさにそういう人たちにどこまで付き合っていくかとか、そういう問題でもあるようです。言葉狩りという言葉がもてはやされた時期もありました。

いずれにしろ、差別というのは、その本質は、言葉ではなく、それを発する人間の

「つもり」

なり

「性根」

なり

「立場」

なりによって、文脈として発生する要素のようです。

まとめると

表面上は当たり障りがなくても、本心ではすごい差別意識をもってる人は少なくないです。

嫌悪感を理性でコントロールしているだけで、一皮向けば、

「自分とあのひとは違う」

という感情に左右されることは、珍しいことではありません。

障害者の方に向けられる差別は、ときとして信じがたいものがあります。

他者に対して、どうしたらそのように悪意をぶつけることができるのかと、訝りたくなることが世の中には多いです。

一方で、

「それって差別じゃなくて、事実では」

ということを、周囲が差別だのなんだのと騒ぎたてて、ことさらに問題を大きく見せようとしていることもあります。

表面上の表現に振り回されると本質が見えなくなります。

余計な感情論が、自体をよりややこしく見えにくいものに変えてしまいます。

差別意識は人間である以上、よっぽど精神的な修行をしないと取り去ることはできません。

差別意識がない人間はいますが、生来の性格だったり育ってきた環境がそうさせるもので、ある程度大人になってしまってから理性的に修正をかけるのは本当に膨大なコストが必要になります。

しかし、差別は、その多くは、自然な感情の流れの結果として無意識的に行ってしまうものです。

だからこそ、その場その場での分別というか、配慮について常に考えて更新し続けることが唯一の、差別に対抗できる手段なのではないかと思います。

精神障害領域の作業療法においては、対象者の方を中心とした自他の差別意識による問題は頻発します。

そんなこんなを考えたときに、ミッツさんの言葉は本質をよく捕らえているなーと思ったのでご紹介がてら記事といたしました。

まとめ

常に考えることが、差別に対抗する唯一の手段なのではないか

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デイケア送迎問題について特に関心がなかった自分を恥じた

昨日のNHKのニュースで、デイケアなどの施設への送迎車の事故が増加傾向にあるというニュースを見ました。

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事故の増加は単純に、不注意の増加というわけではなく、送迎車自体の増加に比例しているかもしれないので、どこまで予防対策に力をいれるのかは難しい問題だと、思いながら見て、

「いやいやちょっとまてよ」

と。

そういう問題が発生していること自体全然知らなかったというか、思い至らなかった自分自身に愕然としました。

大きな事業所の例しか頭の中になかったので、そういうことになったんだとおもいます。

年間160万人が利用するという送迎車。

今後、高齢者の単純増加や、さらなる高齢化の進行によって、利用者はますます増えることでしょう。

国としては、医療費のコストカットを叫ぶ一方でそういうところにどのように資金を投下するつもりなのか、注目です。

また、知り合いの作業療法士の方にデイケアではその辺どのようになってるのか、ちょっと聞いてみるつもりです。

病院に入る前の段階をどれだけ長く続けることができるのかというのは、作業療法士的にすごく大切な話題ですよね。

そのボトルネックともいうべき問題ですので、また注目していきたいとおもいます。

ソース:

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大阪都構想は社会の断絶の象徴かもしれない

17日を通して、大阪でとある選挙がありました。

そして選挙の結果、大阪の2重行政解消の切り札であった大阪都構想は頓挫しました。

いち作業療法士としてショックだったわけ

ショックでした。

実は、結構関心度たかかったのです。

ひろえもん的に、この選挙は「将来と今のどちらを優先するか」という捉え方の選挙だったのですが、やっぱり人間ってそうそう変われるものでもないんだなあということを痛感させられました。

それがやっぱり普通なんだよなあということを再確認した気分でした。

感じた世代間の断絶

同時に、高齢者と働き盛り・子育て世代と、20歳代の若者の間には大きな溝があるように思いました。

相互にお互いの気持ちがわからないというか、繋がらないというか。

特に高齢者と、その他の世代では大きな隔たりがあって、それが今回の選挙の結果にも色濃く影響したのかなあと思いました。

政治や社会における投資や選択が、あまりに軽い

将来よりも今という選択は、悪くはありません。

が、それは、自分で自分のケツを拭ける間の特権だと思います。

そもそも、今の社会に閉塞感を感じている若者が多いのは、きっと、将来性のない政策が多いからではないでしょうか。

日本は未だに世界的水準から見れば金持ちですが、以前と比べると相対的にはそうでもないのではないでしょうか。

それを改善するには、集約と投資が欠かせないと思うのです。

人材の格差

それから、世代の断絶のツケとしての若者世代平均の打たれ弱さが深刻です。

高齢者は若者に希望が託せません。

働き盛り世代は、板挟みです。

こんな世の中に誰がした。

我々ですね。

マネジメント層の人材不足も深刻です。

人生の厳しさを知っている大人はもっと独善的でいて、それと同時にもっと博愛主義でなければならないのではないかと思います。

さらに話は変わりますが、自分自身を含めて、日本という国は子供っぽい人が多いなあとおもいます。

本当の大人は一握りだけ。

それは、いまも昔も変わらないのでしょうか?

昔を知らないのでなんとも言えません。

でも子供っぽい人が目についてやたらと印象に残ります。

大人な人はみんな都会に行ってしまうからかもしれません。

未来志向の重要性をもっと語りたい

さて、話が大きく逸れましたが、今の市民の関心は自分が払う税金の量と受けられるサービスのみで、財源と政策ではないんだなあ、将来よりも今なんだなあということを再確認しました。

ああ、そういう意味で、やっぱり将来のビジョンを明確にビシッと語れて、明確に人を動かすことができるリーダーが必要だなあと思いました。

いまの社会はひょっとすると、人間の機能をはるかに超えた自由度を人間に与えすぎるのかもしれません。

改めていち作業療法士として

いち作業療法士の視点としてみると、やっぱりいろんな人と人を繋げられるような存在でなければいけないなあと思いました。

やはり今回の選挙の結果の背景には世代間の断絶とか、貧困差なんてものが背景にあると思うからです。

あとは、作業療法士の給料もその大半は保険から出ているわけで、ここに個人的には非常に大きな危機感を感じています。

なぜなら、財源は次第に確保できなくなっていく可能性が高いからです。

いずれ保険のシステムも変わっていくでしょうし。

まとめ

そのためにも、削っていいところは削って整理しないといけないステージに日本は突入していると思うのですが、どうもこの認識は社会に共通したものでもないようです。

いろいろな意味で試金石のような選挙でしたが、気づいた時にはどうにもならない状況、という社会にならないことを祈るばかりです。

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豊かな社会は、きっと「誰かのために」の積み重ねから

人が喜ぶことをする人が沢山いる社会は、沢山の人を喜ばせるポテンシャルを持っている。

たとえば、誰かのために美味しいものを作りたいという思いを持った人が沢山いる社会。

そこでは、沢山の人が彼らの作った料理を楽しむことができ、笑顔になれる可能性が高い。

「情けは人のためならず。」という言葉があります。

それも間違いではないとおもいますが、やはり行動原理が「利」のみに偏っているような気がしてしまいます。

それとは違う、「仁」や「義」を重んじるような人が沢山増える社会は、きっと過ごしやすい社会なんだろうなと思います。

自分のことを自分が気にしなくてもいい。

自分のことは周りが面倒見てくれる。

自分は相手のことだけを考えていれば、周囲が自分の事はなんとかしてくれる。

だれも守りに入らなくてすむそんな社会。

みんな外向きで、誰かのため、何かのためにみんなが何かをする世界。

それはきっと、活気があって、みんなが「元気だ」と思えるような世界。

そんな社会を作っていくために、作業療法士や作業療法は何ができるだろう。

もし、そんな社会が作れたら。

「他人のために」

が巡り巡って、自分のためになる。

あれれ

そしたら、自然と

「情けはひとのためならず。」

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作業療法士が地域に出るための作業療法士自身の課題

作業療法士はもっと地域に出ないといけないと言われていますが、なんとなく難しく考える必要はないのかなと思ったので、自然に地域に出るにはどうしたらいいかをイチ作業療法士が考えてみました。

地域行事への参加率を振り返る

みなさま、近所や地域の活動にどの程度参加しておられますでしょうか?

もちろん、職場のつながりでもかまいません。

個人単位でのつながりでも構いません。

たとえば、町内会での活動にどの程度関心を持っているでしょうか。

ひろえもんはいわゆるゆとり世代で、地域の活動にもあまり関心を持たないままに成人した人間です。自分では自分をそのように評価しています。

そして、地域のボランティアや、教室などの活動に出るようになったのは、就職してからで職場での働き方に大きな影響を受けていることは間違いありません。

地域行事へ参加してよかったこと

学生時代は、あまりボランティアに対して積極的ではありませんでした。

しかし参加してみないとわからないことはたくさんあると感じました。

地域での具体的な活動に参加する中で、地域社会や文化のレベルで、具体的に見えてきた課題や「こうなったらいいのにな」という希望などもでてきました。

病院で働きたい人の方が多い?

まだまだ、病院ではたらく作業療法士の割合が高いと言われています。

これは、病院の作業療法士が足りないことも一つ大きな理由です。

つまり、病院が求人を出すこと、それに応じる作業療法士が多いことが病院で働く作業療法士の割合が高い状態を作り出しているのではないかと思います。

それ自体は、良い悪いというものでもありません。

強いて言えば、作業療法士の数が絶対的なニーズに対して不足していることが問題といえると思います。

そこには給与面的なものもあろうかと思いますし、病院という比較的安定的な枠組みで働きたいと考える作業療法士の方が多いということかもしれません。

働く場所の偏りは、ちょっと問題

しかし、このまま作業療法士を病院が抱え込んでいる現状が継続し続けるのは問題だと思います。将来的には、作業療法士は対象者の生活の場で働く存在になっていかないといけないのではないかと思っています。

それは、色々な作業療法士の先輩方も言われているように、作業療法士の仕事の内容は生活の場でこそ輝くものであると思うからです。

作業療法士の働き方が生む結果を最大化するためには、地域で働く方がより合理的ではないかと思うのです。

自分の住んでる地域に関心を持とう

より多くの作業療法士が地域で働くようになるための最大のポイントなんでしょうか。

それはは、作業療法士一人一人が自分が居住する地域に、具体的なレベルでの関心が持てるかどうかだと思います。

生活の場とは、単に家の中だけのことをさすのではなく、その人が住んでいる地域を含んだひろいものです。

そして、リハビリテーション職として、その人が復権する場所はどこのどういう場所なのかということについては、プロフェッショナルとして強く関心を持たなければいけないと思っています。

病院にいるのみでは見えないことが、確かにあるということ

とはいえ、病院で働いていると、院内での仕事に追われてなかなか外に目を向けることが難しいのも事実です。

この現状をなんとかしないといけないというのが、現代の作業療法士に科せられた大きな課題であると思っています。

作業療法についての知識や経験を深めるうちに、「地域いいなー」とおもっておられるOTRの皆様におかれましては、ご自身の経験を、是非地域での活動にも活かしていただきたいと思います。

また、OTSの皆様も自分の学校や故郷を取り巻く環境をボランティア活動やそれに類する活動を通してしり、得たことをどんどん発信して、いろいろ問題提起をしていただきたいなと思います。

たぶんその積み重ねが、作業療法士が地域に出て行けてない現状を少しずつ打破していくことに繋がっていくのではないでしょうか。

参考書籍

なお、以下の書籍が、一歩を踏み出す手助けになるのではないかと思うので、なんとなく紹介します。

参考:1%の力

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介護市場に外国人労働者投入秒読みか。国が検討中と発表。

要するに

  1. 外国人を介護分野に投入する方向で検討が進められている
  2. 平成28年度中に受け入れをしていく
  3. 介護は非常に技術が必要とされる分野。一定の質を担保することが必要とされている。

詳細

厚生労働省は、外国人労働者が日本で働きながら技術を学ぶ為の「外国人技能実習制度」に介護の分野を追加する方針を決め、介護分野における外国人の受け入れを検討することを発表しました。

26日の厚生労働省の検討会の報告書にて明らかになったもので、「外国人技能実習制度」のほかに大学や専門学校などで介護福祉士の資格を取得した留学生を対象にして新たな在留資格を設けて介護現場で働けることを認めるとのことです。

今の労働形態および労働条件では、2025年には30万人の介護職員が不足すると推計されており、それに対応するための方針といえます。

検討会では、外国人の受け入れを積極的に進めるべきとの意見も在ったようです。

それにともなって、厚生労働省は実習生をマネジメントするためのあらたな機関の創設を検討しているとのことです。

個人的意見

介護分野に関するニュースは、普段から介護職の方と綿密な連携を必要とされる自分にとって非常に関心の高いニュースです。

今回の件が示していることは、日本人が、自分の国の問題を自分で解決できなくなっているということでもあると思います。

これが顕著な傾向として現れていくようであれば、以前、下記関連記事でも書いたような方向性で、介護業務は最終的にアウトソーシングされていく方向にすすんでいくことになるはずです。

結局、出生率を向上させる意外に根本的な解決法は無いのが現状ですが、この現状を覆すような革新的なアイディアを現場から発信できることが、やはり社会から求められているのではないでしょうか。

関連記事

介護報酬2.27%引き下げと、幼稚園就園奨励費にみる国家の方針

ソース

人手不足の介護 外国人受け入れ拡大へーNHKニュース

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介護報酬2.27%引き下げと、幼稚園就園奨励費にみる国家の方針

注目していた介護報酬の引き下げ幅は2.27%でした。

国としては、カネを投下してリターンの発生する(プラス成長の見込める)部分にお金を投下する傾向が見えたようにおもいます。

財政の不健全な状況と少子高齢化という、動かしがたい現状があることを考えるときわめて現実的な政策といえるとおもいます。

現状をざっくりと整理してみたいと思います。

まず、今後、ますます介護が必要な高齢者が増えることは間違いありません。

そして、それに必要な人材が今以上に増えることによって、現場に必要な人間の数はますます不足すると考えられます。

もしも、国が高齢者が安心して過ごせる社会をきちんと目指すとして、今以上に質と量の両面でサービスの拡張を目指すとします。

そうするとなると、人材の拡充が欠かせないですよね。

さらにお金が必要になります。

 

一方で、日本の人口ピラミッドを見てみましょう。

スクリーンショット 2015-01-11 20.58.43.png

見ていただいたら分かるように、現時点においても、とても恐ろしい形になってきています。

働き盛り世代が少ない傾向は今後も継続すると仮定すると、どう考えても現在の水準をたもったままで医療福祉の規模を拡大していくことは現実的ではありません。

この論を支える数字は、国の統計をあさればいくらでも出てくることでしょう。

このどうしようもなさが、日本が昏いというイメージを人に与えている根源であると考えています。

ですから、きちんと解決しようと思うと、この人口ピラミッドをなんとかしないとどうにもならない訳です。

人口ピラミッドをなんとかするというのは、要するに若い世代があれこれ考える間もなく、子供を作るような世の中にしないといけないということです。

つまり、まず子供が増えるような政策に余剰を費やしていくことになるでしょう。

もしくは、移民の受け入れが現実になるかもしれません。

あるいは、逆転の発想として、高齢者を国外の施設に移転するような政策が現実のものとなるかもしれません。極限まで、財政的に追いつめられれば十分現実実を帯びてくるでしょう。

(もっとも、自分たちが介護を受けるくらいの時代になっての話だとは思っていますが。)

いま、そんな未来が到来しないような方法、イノベーションが期待されています。

削減できるコストを削減していくということは、余裕がなくなるということでもあります。

その方法とはちがう、革新的な方法が現れることを2015年、願ってやみません。

以上、未だ独身のひろえもんでございました。

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医療機関での携帯電話の指針の振り返りについて

こんにちは、正月2日目いかがお過ごしでしょうか。

いろんな人と、携帯をつかってやり取りすることが公私ともに、もはや必須な感覚のイマドキですが、去年そういえば医療機関における携帯電話使用に関する大きな指針の変更が在ったことをおもいだしました。

自分が振り返りたくなったので記事にしてみます。

基本的に携帯電話の使用に関する大きな制限がなくなったと言った感じです。

これまでは、病院内で携帯電話を使用する事自体が御法度でしたが、「必要なんだし、べつに使ったらいいんじゃないの?」という感じになってきました。

より簡潔に言うと、病院内で自由に携帯電話が使用できるようになったという訳です。

何で変更になったのかといいますと、ペースメーカーと携帯電話の性能の向上とか、つかわれる電波の質が変化して影響を与えにくくなっていることがその大きな理由です。

と聞いております。

携帯電話が自由に使えると、仕事の進みが早くなるのはありがたい点です。

その一方で、思いもしない仕事が舞い込むことがあったり、誰かからメールが来ていたとしても確認ができなくてしばらく放置してしまうといったことがあります。

中高生にとっても、LINEの既読やFacebookのイイネ!が大きな心理負担になる昨今ですが、社会人にとっても便利さと同時に、その便利さを使いこなすだけの能力を要求されるので、大変だなあと。

そんなことをこたつの中で、箱根駅伝を見ながら思っております。

参考

電波環境協議会による「医療機関における携帯電話等の. 使用に関する指針」 について

総務省|電波環境協議会における「医療機関における携帯電話等の使用に関する指針等」の公表

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とあるコンサルタントとした参政に関する話

イマイチ盛り上がりに欠ける中での、衆議院の選挙期間中なのでぶちこんでみます。

ぶっちゃけ、作業療法士って政治に関する関心はあんまりないのかなあというのが実感するところです。

それが良いところでもあります。

地位や名誉のために仕事をする人が少ないということだからです。

そう言ったものを最優先に仕事をすること無く、常に対象者第一でものごとを考えているひとが多いということだと思うのです。

しかし、それが対象者にとって良くない結果に繋がりかねないというのです。

この間お話をした人事系のコンサルタントさんは別の見方を提示されました。

「きちんと職域を守れる仕組みが無いと、専門職として安定しない。安定しないと、十分に専門性が発揮できず問題である。コレからの時代は、医療費、介護費用ともにパイの奪い合いになる事は間違いない事実。作業療法士がキチンと質の高い仕事ができるのであれば、それを国政の場できちんと発信でき、国の制作や施策に然るべき提案をしていくべき。そのために、きちんと国会の場に議員を置いておくというのは、理学療法士に見習うべきである」

というのがその方のご意見でした。

コンサルタントをされているだけあって、非常に客観的かつ的確なご指摘だなあと思いました。

「対象者のため」と、日夜研修会や勉強会が催されていますが、その成果を十二分に発揮する為には確かに行政との円滑な連携が不可欠です。

日本作業療法士連盟という政治団体はありますが、あんまり見向きされていないのが現状です。

「うさんうくさい」

と思われるからでしょうか。

いずれにせよ、日本という大きなシステムの中で働く作業療法士は、そのシステムに関心を向けてないと今後もキチンと成果を出せないよ、ということだとおもます。

とりあえず、今度の選挙にはきちんといこうとおもいました。

せっかくの選挙権を行使しないのはもったいないですよ。

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