実習という作業療法士養成課程上必須な課程の問題点

フェイスブックのほうで、下記リンクの記事シェアをしたら、珍しくたくさんのいいねがもらえた。

理学・作業療法士学生、指導役と相次ぐトラブル 養成課程・実習環境、見直しへ―くらしなび

関心がそれだけ高い問題なのだなー、と。

それもあり、改めて内容を自分のために整理する意味も含めて記事にすることに。

別にこれから実習に行く学生さんを脅すような意図はない。

状況はかなり深刻と勝手に思っている。

実習の現場で今、なにが起こっているのか。

問題

現在起こっている問題は、結局以下に集約される。

実習生が、実習でつぶれる。

シンプルに起こっていることはそれだけのことである。

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その原因は3つある

①実習指導者の指導力不足

②学生の実力不足

③養成校の職務怠慢

この3つが、絶妙に絡み合って、実習先でつぶれる学生が続出しているように思える。

ひとつずつ見ていくと

① 実習指導者の指導力不足

実際問題として、実習生をしっかりと指導する余裕なんて、臨床にしっかりと取り組んでいる作業療法士にはあんまりない。

臨床のついでに指導する、もしくは、臨床しながら指導する。

そして、休憩時間とか、なけなしの空き時間を無理やり運用して、学生が書いたレポートを読む。

実習指導者の側に余裕がないのは、間違いない。

余裕がない中でも、人を導くことができるかどうかはよい作業療法士であるかどうかのひとつの判断材料であるとおもう。

学生の質は後述するように、芳しくないが、それを引き上げるのも、作業療法士の腕のみせどころではある。

と、思う。

そんな生易しいものじゃないけれど、人格や学習能力に問題がないのだったら、できる範囲でできるだけ伸ばして返してやるのが、できる実習指導者のあるべき姿と思ってるので、そうでない結果で学生を送り出すことが6割を超えるような指導者は、あんまり人を教えたり指導するのに向いてないかもしれない。

作業療法士向いてないかもしれない。

学生がろくでもない場合には、キチンと養成校側にその旨を伝えるのも仕事だけれど、その辺なあなあでなんのためにバイザーやってるのかわからない、そういう実習指導者もいることも事実。

②学生の実力不足

バイザーが教えてくれないと、あるいは、指示がないと実習中何をしたらよいかわかりません。

という学生が増えているが、これは学力不足というよりも社会経験の不足であり、そういう意味で実力不足が顕著である。

し、加えて、そもそも作業療法士になろうというモチベーションはあまり高くないままに、実習に来てしまう人もちらほらいる。

そして、臨床を甘く考えていたことを、いざ実習にきてみて強く突きつけられて、そこでおろおろとしてしまう人もいる。実習中に、自分が臨床を甘く見ていたことに気がついても、その後の実習で取り返すのは難しい。

臨床に見合うレベルの学生は少ない。

後述する理由で当たり前ではあるが、それで実習パスしたら、そんで国家試験に合格したら、そうしたらプロとして臨床に立つようになるわけである。

そう考えると、結構恐ろしいことだったりするので、バイザーが厳しくなるのも少しは理解してもらえるかなあどうかなあ。

実習に来ているということは、一通りの勉強は学校で終わってますよ、ということなので、学力不足は論外だし、学力をうまくいかせるように自分でなにが必要かをかんがえて動くことができることがとても大切なのだけれど、それができる学生はほとんどいない。

③養成校の職務怠慢

養成校は、学生を強く指導できないし、やる気のない学生を辞めさせることもできない。

なぜなら、学生が来ない学校はつぶれるからである。

そして、少子化によって、入学する人数自体が減少しつつある昨今においては、キチンとした指導をすることによって学生がやめるリスクをとるよりも、馴れ合いのような授業であったとしても学生に辞められないようなそういう指導をせざるをえない。

自分の指導によって学生が減少したとなれば、教職を追われることになるかもしれない。

さらにいえば、作業療法を教える作業療法士は二極化していて、ぜんぜん臨床経験ほとんどないけど研究で先生になりましたって言う人と、臨床一筋だけど論文よめませんかけませんっていう人。

その両方ができる人は少ないけれど、とくに前者の人は、いまさら臨床でがんばれないので、余計なかなか強く出ることができなかったりする。

学生が、不真面目なツケは結局のところ後のち本人に帰ってくることになるのだけれど、そうなるまえに気がつかせるのが教員の本来あるべき姿なのではないかと思うので、そういう意味では職務怠慢。

まとめ

結局のところ、誰が悪いというよりも、いろんな要因が重なって、その結果として実習生がつぶれる時代になっている。

そもそもの実習の仕組みが悪いので、たとえば医師のように、国家資格を取得した後にスーパーローテートでいろいろなジャンルのところではたらいてお給料もらいながら臨床にでるとか、そっちのほうがいい気がする。

そうじゃないと、結局学校が本人の責任を肩代わりしてしまうし、学生とバイザーの間に利害関係が強く生じてしまうので、学生のがわも指導者にしっかりとぶつかっていくことができない構造になってしまっている。

これはやっぱりよくないので、制度を変えることを考えるか、それが難しいというなら各人の不断の努力で何とかするしかないかとおもうのだが皆様いかが思われますか?

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各論が身に付かないのは、「本人にやる気が無い」からなんだろうか?

生理学、人体構造学、運動学、病理学、神経精神…etc

作業療法士の養成過程には、色々な事を学びます。

流れとしては、まず各論を勉強して、その後で総論を勉強するという流れが多いと思います。

これらの各論、学生時代にはその重要性が今ひとつ分かりません。

もちろん、臨床に対する具体的なビジョンとか、自分がやりたいことが明確であると言ったモチベーションの高い方は自分で、その辺りに重要性を見いだすことが出来るのですが、

「ただただしんどい」

と思いながら、それでも苦痛に耐えて勉強している学生は半分くらいいるような気がしております。

そう考えると、なんだかむなしいなと思ってしまいます。

話は変わりますが、

「勉強が楽しい」という人がいます。

こういう人には二パターンいて

①とにかく知識が増えることが快感

②学んだ知識が役に立つという実感と充実感がある

という2つがあると思います。

①の人たちは、持って生まれた才能です。食欲とか睡眠欲とかと同じ次元で、勉強することに対する欲求を強く持っています。

そうでない人はそうはなれないとおもってます。

②は誰しもがそうではないでしょうか。

目的意識や目標があれば、「自分のしていることはムダではない」「役に立つ」という充実感があるはずです。

それさえあれば、だれもが「勉強が楽しい」と思えるはずです。

そして、勉強が楽しいと思えるためには、学びにきちんと意義を感じることが出来るかどうかが重要なポイントになるということです。

これらの学びを位置づけるのは総論です。

ただ、総論を流すように行うような研修や授業・講義があるとすれば、それはナンセンスだと思います。

ここからは、ひろえもんの勝手な極論なので読み飛ばしていただいて構わんです。

ひろえもんは、たとえ各論が中途半端になったとしても、総論をしっかりと充実させることが大切なのではないかと思うのです。

もし、総論でキチンと、学び手をモチベートできれば、

各論なんて、資料のコピーを手渡して

「これ暗記しといて」

ですむはなしだとおもうのです。

要は如何に、本人に重要性を理解させるかということです。

これは、作業療法対象者と協働するときや、患者様の周辺と一緒に仕事をするときに大切になってくると感じるようになって、特に思うところです。

各論の「学び手」のその情熱が高まらないことに関しては、既に全体像が見えていて各論の重要性が分かっているところの「教え手」の情熱不足なのかなあと思うのですが、いかがでしょうか。

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