ごく最近「作業療法士冥利につきるな」とやりがいを感じた瞬間

作業療法士には、それぞれ色々なやりがいを感じる場面があると思います。

先日、自分がやりがいを強く感じたのは、自分の対象者の方が、ご本人の言葉で、実際の体験の気づきを言語化できた時でした。の巻。

作業療法ってなんだ?

作業療法とはでも触れましたが、作業療法ってなかなか一言で言い表すのが難しいのです。

確かに、やってもらうこと、やること自体はとてもシンプルです。

だからと言って、

「作業療法って、絵を描いたり、塗り絵するんでしょ」

と言われて、なんとなくそれを肯定するのに引っ掛かりがあります。

別に、活動をしてもらうこと自体が目的ではないし、全員が全員に創作活動をしてもらうわけではないからです。だから、自分の中で、そこを素直に肯定できない時があります。

大切なのは、ちゃんと「作業」かどうか

対象者の方にとって必要なことを獲得してもらうために、とか、

やりたいことや自己実現の手段や目的として、とか

作業としてアクティビティを用いるというただそれだけのことなのですから。

作業療法というのは、やはりどうして作業を使うのかが大切です。

意図を見抜かれた「作業」

そして、その目的をきちんと達成できるように協働することはもっと大切です。

作業療法として提供した作業の目的に対象者の人が自分で気づいたんです。

この間。

どういうことかと言いますと以下のようなことです。

やや、若干活動性の低い若い男性がおられました。

最初はおたのしみとして、とある活動を「作業」として提供していました。

「ちょっとやってみない」

なんて言って。

すると、ある程度定着して、自分から積極的に取り組めるようになってきていたんですね。

そして、別の集団活動に参加して、その人の成長ポイントの話になりました。

ふと、

「ああ、これって、◯◯(「作業」の名前)と一緒ってことね」

対象者の方の変化のきっかけを手伝えると楽しい

今回関わらせていただいたこの男性、おたのしみとして導入した作業を通して、自分の課題に気づいて取り組めるようになっていたのです。

そこに対する言語的な介入はほとんど行っていません。

むしろ、非言語的に、感覚的に本人が成長して変わっていることを実感できるような構造で、「作業」を提案し、そのための環境を提供しました。

「作業」を通して、蓄積された感覚が経験となって、その人の気づきにつながり、より良い決定や選択肢の幅を広げていく、そんな瞬間を目の当たりにしました。

この時はガッツポーズしたくなりましたね。本当に。

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作業療法士の仕事のやりがいをすっと感じた瞬間でした。

本当にすごいのは当事者・対象者

別に、作業療法士がすごいわけでもなんでもなくて、それは対象者の方の努力や頑張りだったり、センスだったりなんです。

本人の自発性がないと、作業療法として関わるのはかなり難易度が高いですので、作業療法士は常に対象者の方のやる気や頑張りに助けてもらってるわけです。

ですけれども、対象者の方が、作業療法としてやってるアクティビティを、自分とその活動、「作業」の意味を整理して、「ああ、こういうことなんですね」と、理解できて一歩進めた時は、それは本当に嬉しいですね。

嬉しかったです。

確かに、やってることは、切ったり、貼ったり、塗ったり、みたいな一見単純な活動なんですね。

ですけれど、そこには明確な目的と、目標設定に向けた訓練としての意図もちゃんとあるわけで、実際にそれを感じ取って、対象者の方が自ら感じ取ったものを自分の言葉で言語化してもらえる瞬間はたまらないですね。

それが聞けると、作業療法として一緒にやってることが、積み重なってる感があり、成長や回復の過程の手伝いが多少なりともできているという確信めいたものが持てるので元気が出ました。

要するに

治療としてそのアクティビティを選択した意図を、こちらから説明する前に、自分でしっくりきてもらえて、ご本人が言語化できて、そこで自発性やら積極性がてできて、自立度も高まって、汎化できて、習慣化して、生活の基盤ができて、リカバリーが高まって、リハビリテーションとして成立すると、本当に作業療法士冥利に尽きます。

なんか、そういう狙いが、うまくコーディネートできた時は、

「やったった」

感はあります。

正直。

自由ゆえの作業療法

作業療法士の仕事は、法律で規定されています。

もちろん大枠は、医師の指示の下、です。

しかし、医師が示すのはあくまで方向や大まかな結果であって、そこにどのようにして至るかという道筋は、作業療法士に委ねられるわけです。

ですから、なるべく対象者の方の作業療法の成果が最大化できるように、介入・支援を最適化しようとします。

そうした積み重ねは、単に良い治療成果がもたらされたというだけでなく、対象者の方と治療者の関係性や信頼性を強固にしてくれて、より大きな結果に繋がる提案を行いやすくなる気がします。

そうした、関係性などのトータルコーディネートも含めて考えて、作業療法ができる環境が最近はあるので、ああ、本当にありがたいなあ、と、感じています。

介入・支援の切り口は無限にあった方がいいので、やっぱり自由度って大切だなあとつくづく思います。

やっぱり勉強大事

唐突にブッコミましたが、勉強は大切だな、とその前の自由度に関連して思います。

勉強て言うと、専門知識の学習とかイメージされるかもしれません。それらは、当然大切です。

それはスタートラインとして、

けれど、それだけじゃなくって、色々なことを吸収して自分のものにしておくことはすごく大切だと思います。

人生なんでも経験とはよく言ったものです。

残念ながら、経験してないことは、思いつきで実践することは難しいです。

だから、作業療法士としては、色々なことに興味を持っておく習慣が必要です。

それさえあれば、より良い作業療法を行うために作業療法士自身ができることが増えるかもしれません。

そうすると、色々な活動を作業として使いやすくなります。

活動を作業として用いるのに、作業療法士が熟練している必要性はありません。

ありませんが、熟練している方が、作業として提供するのは楽に行うことができます。

用いる作業の幅が広がれば、作業療法対象者の方へのサポートを最大化しやすくなります。

具体的かつ、感覚的な気づきを持ってもらいやすくなります。

それは、強力な学びや経験となって、その対象者の方の判断や思考パターンをより本人の希望に沿うものに近づけ、その後の人生を自らが望む方向へコントロールする力を大きく左右することになります。

だから、勉強が大事だな、いろんな人生勉強はしておくべきだなあ、と思ったりします。

作業療法の実践にやりがいはいらない

ここまで書いておいて、じゃあ今までの文章はなんだったのかということを書きますが、作業療法に作業療法士のやりがいを持ち込んだらアウトだと思います。

客観的な判断ができなくなるし、「作業」の影響をきちんと評価できなくなるからです。

やりがいありきではなくて、たまにご褒美としてやりがいが降ってくることがある。

それくらいに思っておかないと、自分の場合はすぐに調子にのるのでいけません。

あくまでクライエント中心が、作業療法のモットーですから、それを完遂できるかどうかがまず大切です。もし、作業療法の対象者の方が、その人の望む方向に進むやくに立てたと明確な時だけは喜んで良いかもしれません。

結局この記事はなんだったのか

作業療法の場面での、対象者の方の発言に嬉しくして、調子に乗って舞い上がりそうな自分を客観視するために書きました。

現場からは以上です。

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