OT評価実習生:OTSにOT五年目が感じた 実習中の成長を左右する要素の「ヤバさ」

短期(評価)、長期(総合臨床実習)に関わらず、実習中の学生目線だと理解できることがあります。

一方で、経験年数が増えて、経験値もそれなりに増えると、ここ最近はじめて感じることがありました。

その2つの間のギャップの話です。

「何をしに、実習にきたの」

実習を通して、成長する学生と、

あまり変化なく帰っていく学生との間には、いろいろな違いがあります。

その違いは、普段の臨床にも通じる大切な「違い」だと思っています。

後者の学生がよく言われるのが、

「何しに来たの」

です。

これが、その理解のためのキーワードであるように感じています。

何のための実習かがわからない

「実習に行くことになっているから、実習に行く」

という学生が少なからずおります。

実習のための実習、実習が自己目的化している学生です。

こういう実習生が、上記のような質問を実習中に繰り返しぶつけられて、あまり成長なく、実習に対する傷つきだけを感じて帰っていくことが、ままあります。

そのタイプの実習生は、なぜ生まれるのでしょうか。

そしてなぜ、実習生は傷つくのでしょうか。

作業療法学生:OTS目線での実習

申し訳ないのですが、引用できる資料もないので自分語りになります。

でも、自分の学生時代、OTSのときの実習を振り返ると、その傷つきのヒントにはなると思います。

学生の頭の使い方の典型とおもうのですが、

「学校で学んだことを、臨床で生かす」

という思考回路があります。

学生の作業療法観は、授業の中の情報や、講師の話によって構成されます。

それのみによって構成されていることがほとんどではないでしょうか。

すると、学生の行動原理は、

「いままで自分が学んできたことを実践してみること」

になります。

そして、それができることによって、実習が合格となるというモデル(妄想)が頭にあります。

これが、実習の為の実習であると、臨床家のOTRのみなさまから批判されるところだと思いますが、学生の側からすると、むしろ自然ながんばり方なのではないでしょうか。

それなりに臨床経験のある作業療法士:OTR目線での実習

一方で、かつてOTSであった作業療法士:OTRの側に立つと、今、実習で学生に求めることはシンプルです。

目の前の対象者に対して、いち作業療法士、いち臨床家としての今の自分での最善を尽くすこと、です。

作業療法士として、実地で経験をかさねていくうちに、自然と評価できるようになることはたくさんあります。

それは、養成校で学ぶこともたくさんありますが、養成校で学ばない、学べないこともたくさんあります。

身体障害領域で例にとると、ポジショニングの常識も日進月歩です。

かつては、

「隙間をうめる」

がポジショニングの王道でした。

しかし、やり方をまちがえると、日々のポジショニングの積み重ねが屈曲拘縮をつくりだしてしまうということがしられるように、徐々になってきています(多分知られて来て、浸透していると信じたい)。

別の例で言えば、かつて推奨されていた、教科書にも載っているような、移乗の方法が、実は自立度の低下につながる場合もあります。

このような学びが、学校でできたか。

告白します。

私個人の経験からすると、不真面目な学生であった私はできておりませんでした。

そして、その学びは、先進的なものであればあるほどに、教科書中心の座学授業の中では決して学ぶことができない、臨床による技術的なものや、それに基づく評価であったりします。

それは、国家試験を念頭に置いたものではない、日々の臨床、実践を念頭に置いたものだからです。

作業療法に正解はありません。現在地点が人それぞれで、ゴールも人それぞれだからです。

かつての正解が、状況によっては不正解になることもありえます。

そのことを、経験値として知っている作業療法士ほど、OTSに対して、将来の臨床家として、今現在の最善をつくすことを求めますし、実習とはそのようにするべき場所だと思っています。

だからこそ、臨床家として、実習態度がどうのこうの言うわけです。

それが臨床の結果に直結することを、経験則として痛いほどわかっているからです。

つまり、作業療法士:OTR目線での実習とは、

「実習中の事象から、素直に考えて、行動すること」

だと感じていると思います。

自分はそう感じるようになってきています。

このギャップ 「ヤバい」

実習の指導は、OTSとスーパーバイザーであるOTRの間の事象なので、目指すべき場所が共有できてないとこじれます。

作業療法士の側としては、自分の目線から、上記のような学生の実習への取り組み方を見ていると、

「なにしにきたの」

となるわけで、それを学生に伝えます。

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言われたOTSは、なんで自分がそんなことを言われるのかも、わけがわからず、萎縮してしまい、その結果としてスーパーバイザーが求める実習態度から乖離していき、その度に「なにしにきたんですか」といわれるという悪循環が生じてしまいます。

その結果として、実習中の表出が制限され、なにもかわらないままに実習終了、お疲れ様でした、となるわけです。

自分の理解としてはこういうパターンは少なくないと思ってますし、間違ってないと思います。

作業療法士としての仕事時間のほんとうに貴重な時間の一部をボランティアの実習指導に費やして何も学生が成長しないままに実習終了するとか、本当に悪夢でしかないのですが、少なくないと思います。

正直、やばいなーとおもいます。

やばいなーと思いませんか。

では何でこういうことがおきるのかというと、上記を踏まえるとOTSとOTRの双方に要素がありそうです。

作業療法士の労力に見合った分、学生がたくさん学んで、成長して帰るようにするには、どうしたらよいでしょうか。

OTSは、自分の将来像を考えると幸せになれる

いろいろあるけれど、たとえば。

実習に来る前に、どんな職場働きたいのかは、なんとなくでも決めておくことです。

べつに後で変更したってかまわないので、自分はどんな領域のどんな場所で働きたいのか、それを明確にしてそれをスーパーバイザーであるOTRに伝えることです。

そして、そこで働くためには、自分はどんなことが必要と考えているので、どんな学びをその実習で得て帰りたいかということまで明確にできると、将来の自分のために動けるので、多少能動的になれるかもしれません。

自分なりに、自分自身について、実習に行く前に真剣に考えておくことが、実習前に行う準備として必要だったのかなと思います。

自分の将来像について、明確にできるといろいろ幸せになれそうな気がします。

作業療法士が学生時代の自分の体験(忘れたい?)を思い出す

本当に真剣に取り組んでる作業療法士ほど、日々の臨床がとんでもなく忙しいので、かつての自分を振り返る機会なんてありません。

今の自分の感覚や感性を基にして学生と関わるので、上記のような問題が発生するのではないでしょうか。

過去の自分を思い出してゾッとすると、目の前の学生が少しは可愛く見えるかもしれません。

いち作業療法士として学生目線をいつか忘れる恐怖

個人的な感覚ですが。

学生のことがいつかわからなくなるのが怖いです。

そのリスクは、自分が作業療法士として経験を重ね、成長するほどに高まるものだと思います。

学生のことがわからない作業療法士は、その学生の3年後を見据えた効率のよい指導や助言ができないのではないかと考えています。

後進育成のへたくそな作業療法士にはなりたくないので、いつか自分が今の自分の感覚だけに頼りすぎることが非常に恐ろしいです。

謙虚に

自分のことは棚に上げないと指導ができない場面は、確かにあります。

だからといって、それが行き過ぎて、かつての学生時代の自分の不出来と乖離したような実習目標を学生に負わせるのは、あまりにも雑な指導だなと、自分と学生とのかかわりを通じて思います。

養成校側から、よく言われる

「学生を患者様だと思って指導してください」

というのは、

「患者様に関わるときと同じくらい謙虚な気持ちで」

と自分なりに読み替えることにして、学生の成長を自分の糧にもできたら、自分はより良い作業療法士になれるかな、と考えています。

そうしておけば、学生にも謙虚になーれ、と指導しやすいです。気持ち的に。

互いを知れば「ヤバさ」は軽減できる

認知症の方への介入は、相互理解の促進にありますよね。

OTRとOTSの関係も同じではないかと思うので、この記事を書きました。

すこしでも「ヤバさ」が軽減されれば幸いです。

やり取りがしたい

こんな独善的な文章を読んでくださり、ありがとうございました。

よんでくださっている皆さんは、なにかしらおもところがあるはずです。

なにか気になる点がありましたら、LINE@をやってるので、そちらでメッセージ飛ばしていただければ、私自身の学びになりますので、よろしくお願い存じ上げます。

作業療法.netのLINE@アカウントはこちら

特に学生諸君の等身大の意見があると非常にうれしいです。

わからなさや不安があれば、質問していただければ、答えられる範囲でクローズドにやりとりします。

年取ると頭が固くなるな、と感じる今日この頃です。よろしくおねがいします。

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実習という作業療法士養成課程上必須な課程の問題点

フェイスブックのほうで、下記リンクの記事シェアをしたら、珍しくたくさんのいいねがもらえた。

理学・作業療法士学生、指導役と相次ぐトラブル 養成課程・実習環境、見直しへ―くらしなび

関心がそれだけ高い問題なのだなー、と。

それもあり、改めて内容を自分のために整理する意味も含めて記事にすることに。

別にこれから実習に行く学生さんを脅すような意図はない。

状況はかなり深刻と勝手に思っている。

実習の現場で今、なにが起こっているのか。

問題

現在起こっている問題は、結局以下に集約される。

実習生が、実習でつぶれる。

シンプルに起こっていることはそれだけのことである。

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その原因は3つある

①実習指導者の指導力不足

②学生の実力不足

③養成校の職務怠慢

この3つが、絶妙に絡み合って、実習先でつぶれる学生が続出しているように思える。

ひとつずつ見ていくと

① 実習指導者の指導力不足

実際問題として、実習生をしっかりと指導する余裕なんて、臨床にしっかりと取り組んでいる作業療法士にはあんまりない。

臨床のついでに指導する、もしくは、臨床しながら指導する。

そして、休憩時間とか、なけなしの空き時間を無理やり運用して、学生が書いたレポートを読む。

実習指導者の側に余裕がないのは、間違いない。

余裕がない中でも、人を導くことができるかどうかはよい作業療法士であるかどうかのひとつの判断材料であるとおもう。

学生の質は後述するように、芳しくないが、それを引き上げるのも、作業療法士の腕のみせどころではある。

と、思う。

そんな生易しいものじゃないけれど、人格や学習能力に問題がないのだったら、できる範囲でできるだけ伸ばして返してやるのが、できる実習指導者のあるべき姿と思ってるので、そうでない結果で学生を送り出すことが6割を超えるような指導者は、あんまり人を教えたり指導するのに向いてないかもしれない。

作業療法士向いてないかもしれない。

学生がろくでもない場合には、キチンと養成校側にその旨を伝えるのも仕事だけれど、その辺なあなあでなんのためにバイザーやってるのかわからない、そういう実習指導者もいることも事実。

②学生の実力不足

バイザーが教えてくれないと、あるいは、指示がないと実習中何をしたらよいかわかりません。

という学生が増えているが、これは学力不足というよりも社会経験の不足であり、そういう意味で実力不足が顕著である。

し、加えて、そもそも作業療法士になろうというモチベーションはあまり高くないままに、実習に来てしまう人もちらほらいる。

そして、臨床を甘く考えていたことを、いざ実習にきてみて強く突きつけられて、そこでおろおろとしてしまう人もいる。実習中に、自分が臨床を甘く見ていたことに気がついても、その後の実習で取り返すのは難しい。

臨床に見合うレベルの学生は少ない。

後述する理由で当たり前ではあるが、それで実習パスしたら、そんで国家試験に合格したら、そうしたらプロとして臨床に立つようになるわけである。

そう考えると、結構恐ろしいことだったりするので、バイザーが厳しくなるのも少しは理解してもらえるかなあどうかなあ。

実習に来ているということは、一通りの勉強は学校で終わってますよ、ということなので、学力不足は論外だし、学力をうまくいかせるように自分でなにが必要かをかんがえて動くことができることがとても大切なのだけれど、それができる学生はほとんどいない。

③養成校の職務怠慢

養成校は、学生を強く指導できないし、やる気のない学生を辞めさせることもできない。

なぜなら、学生が来ない学校はつぶれるからである。

そして、少子化によって、入学する人数自体が減少しつつある昨今においては、キチンとした指導をすることによって学生がやめるリスクをとるよりも、馴れ合いのような授業であったとしても学生に辞められないようなそういう指導をせざるをえない。

自分の指導によって学生が減少したとなれば、教職を追われることになるかもしれない。

さらにいえば、作業療法を教える作業療法士は二極化していて、ぜんぜん臨床経験ほとんどないけど研究で先生になりましたって言う人と、臨床一筋だけど論文よめませんかけませんっていう人。

その両方ができる人は少ないけれど、とくに前者の人は、いまさら臨床でがんばれないので、余計なかなか強く出ることができなかったりする。

学生が、不真面目なツケは結局のところ後のち本人に帰ってくることになるのだけれど、そうなるまえに気がつかせるのが教員の本来あるべき姿なのではないかと思うので、そういう意味では職務怠慢。

まとめ

結局のところ、誰が悪いというよりも、いろんな要因が重なって、その結果として実習生がつぶれる時代になっている。

そもそもの実習の仕組みが悪いので、たとえば医師のように、国家資格を取得した後にスーパーローテートでいろいろなジャンルのところではたらいてお給料もらいながら臨床にでるとか、そっちのほうがいい気がする。

そうじゃないと、結局学校が本人の責任を肩代わりしてしまうし、学生とバイザーの間に利害関係が強く生じてしまうので、学生のがわも指導者にしっかりとぶつかっていくことができない構造になってしまっている。

これはやっぱりよくないので、制度を変えることを考えるか、それが難しいというなら各人の不断の努力で何とかするしかないかとおもうのだが皆様いかが思われますか?

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実習について、実習終わった人と話をしましてからの話。

はじめに

本年度養成校を卒業される方々は、そろそろ長期実習が全て実習が終わる人が多くを占める時期かと思います。

最近、そんな今年実習おわった人話しをする機会がありました。

彼と話をしまして、自分自信が実習経験者ですのでいろいろと思うところもありました。

これから、実習にむけてがんばっていくことになる後輩君にとって役に立つ内容になるかどうかはわかりませんが、正直に思うところを書いてみたいと思います。

「運次第」な現状

結構話をしていてひろえもんが感じたのは、やっぱり実習先のあう・合わないって運次第なんだなあということです。

同じ学生が実習に行ったとしても、ある実習先によってはうまく行き、ある実習先によっては実習終了になるということは、割とあるようです。

本人の特性上の問題と、実習先の環境特性の双方によるところかとはおもいますが、運の要素もかなり高いなあと思っています。

安定的に作業療法士を養成するという観点からするとあまり望ましい事ではないなあと感じました。

実習時の経験は使える

養成校では、作業療法士になるためにいろいろな勉強をします。

ひろえもんもしてやした。

当たり前ですがいま、OTRとして働いている人々はすべからく、そのような勉強を経て働いています。

その勉強についてです。

ひろえもんは「座学で2年間学ぶよりも、数ヶ月の実習での経験の方が、日常の業務で使えるなあ」という実感をしてます。

座学も全くの無駄という訳ではないですが、長期実習の時に学んだ事がダイレクトに役に立っているなあと感じています。

無駄が少ないと言ったらいいのでしょうか?

んー。

なんと言えばいいのか。

どちらかといえば、言葉で学んだイメージよりも、具体的に経験したイメージのほうが、自分の行動を決断するときの材料にしやすいといえば、意味がストレートに伝わるでしょうか。

書籍に書いてあることを理解する際にも、実際の経験が先にある方が役に立つような気がしています。

実習と座学の順番は逆の方がラク?

実習に出るまでに、座学で学べるだけ学んでから出て行くのが現在のやり方です。

が、座学での学習コストは、実習してからの方が低くてすむような気がします。

理由は先にも述べたように、実習の経験を元にして書籍の理解を進める方がわかりやすいからです。

自分の同級生でも、国家試験の勉強をするときに、精神科の実習に行っていない人たちにとって精神疾患分野の勉強は相当手こずる感じでした。

一方、精神障害分野での実習経験がある人たちは、そんなに詰め込み勉強をしなくても直感的に問題を解く事が出来るという人が多かったです。

こんな経験から、やっぱりその分野についての症例をみる事が出来ていたり、実習として経験している事は、座学の学習効率を大幅アップさせるんだろうなとおもっています。

行ける場所が少ない

実習生にとって、実質失敗できない実習というのは非常に大きなプレッシャーになっていると思います。

ひろえもん自身「失敗したら、来年もういちどかあー」という、プレッシャーにやられそうになる事が実習中ありました。

実習中、学生自身の落ち度で実習中止になるのはある程度仕方の無い事なのかなあと思います。

しかし、現実にはとんでもない実習先もあります。

裁判沙汰にもなっています。

そのような場所に運悪くあたってしまうと、実習終了、もしくはその実習は勉強の場というよりも、苦行に耐える場所になってしまいます。

そうではなく、もしも実習先が6個くらいあって、それらの平均で実習の合否が決まるのであれば、より本人の実力が反映された合否結果が出るのではないかと思います。

加えて、学生の時点で視野を広げる意味でも、いろいろな場所で実習できる方がいいのではないかなあと感じています。

それは、就職先を考えるときにも役に立つはずですから。

実習の形の提案

総合するとこんなやり方が、実習生にはラクじゃないかなあと思っています。

いろいろ勘案すると、という意味でです。

色々欠点問題はありますが、上記の二つを改善する案のような何かです。

  1. 入学後、実習先でやる事や具体的な動き方について座学で勉強。
  2. 1週間程度 実習地で雑用業務
  3. みてきた事や経験した事について、レポート作成
  4. 今後学ぶべき事とその学習方法についての検討
  5. 基本的な業務ルーティーンについて、書籍と教授からお勉強
  6. 評価実習(3週間)
  7. レポート作成
  8. 長期実習(1ヶ月)を6カ所

非常に実習を重視した感じです。

OTSにとってのメリット・デメリット

メリット

①実習する施設が増えるので色々な所をみる事が出来る。

②変な実習施設にあたっても他の実習施設で挽回できる。

③卒業するまでには、それなりに即戦力

④実践的内容に即して、自分で学びを完成する能力が身に付く

デメリット

①座学をしてる時間がほとんどない

②体力面での負担が激増

③金銭面での負担が激増

④向いてない人は資格取得できる可能性が激減

結構金銭的なコストが現実的に大きな問題なんだろうなと思います。

すむところとか、食費とか、もともとすんでいたところの家賃だとか含めると結構な額が必要になりますものね…。

おわりに

実習の経験は、OTSのその後のキャリアプランニングに非常に大きな影響を与えるモノだと思います。

優秀な人材がその優秀さを発揮できるようなシステムが出来たらいいですよね。

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よくわかる触診のコツのような何か。ひろえもんの触診の方法論と、出来るようになるためにやったこと。

はじめに

作業療法でも、触診て、案外重要なんですよね。

OTSさんとtwitterにてこんなやり取りをばいたしまして。

自分も実習中に触診で非常に苦労したなあという思いがあります。

たしかに、患者様に触れるのって、慣れるまでは緊張ですね。

結局、回数を重ねることでしか、「できる」感覚は味わえないものなのかもしれません。

とかいきなりこんな事を書いてしまっては、しょうもないですね…。

さて、そんな感じで触診なのですが、いつの間にかできるようになっていたって感じがしたのですが、よくよく考えると自分も触診苦手意識あったなあーということを思い出しました。

精神科勤務なので、がっつり触診が必要になることは少ないというか、全然ないのですが、それでもときに神経の不全麻痺の患者様とかもおられるのでやっぱりできるに越したことはないなあと思います。

触診でのポイントと、習得方法についてざざっと書いてみたいと思います。

間違っていたらすみませんです。ご指摘ください。

とくに、身体障害系で日夜、触診されている方のご意見伺ってみたいです。

よろしくお願いいたします。

触診とは

患者様に触れることによって、観察対象の状態を見ること。

具体的には、筋肉や骨、靭帯の状態や、その機能をみる事だと思いますので、その認識で話を進めます。

MMT(徒手筋力テスト)

たとえば、脳卒中後の検査でMMTをやるのなんて代表的なもんじゃあないでしょうか。

というか、代表的で語りやすいので、まず、MMTを念頭において話をしていきたいと思います。

MMTにおいては、明確に筋肉を調べたい、特にどの筋肉がどの程度作用する能力を持っているのかを調べたいという明らかな目的があります。

国家試験にも当たり前の知識として出てくるものでもあり、すべてのOTRが一度はきちんと暗記するものでもあります。

そんなMMTですが、やり方は一意であり、その評価の方法も非常に単純でわかりやすいです。

なのですが、できない人はできないです。

なぜでしょうか。

わからないポイント

きっといくらかわからないポイントがあるのだと思うので、自分の中にある思い当たる節を書いていきます。

基本的な用語

MMTにかぎりませんが、触診関連の解説書や指南書には、解剖学的肢位とか正中線とか、肩峰とか、解剖学的な用語が基本的に理解の前提として当たり前のように出てきます。

ので、このあたりの用語があやふやだと、解説書に書かれている事柄を実践するだけでも難しく、ましてや、意味をしっかりと理解しながら、正しい方法を身に着けることも難しいのではないかと思います。

出てきた用語に自信がない場合には、それを放っておかずに、時間を見つけて調べることをお勧めします。

って偉そうに言ってますけど、それが学生時代に出来たら苦労しないんですよね…。

骨学

筋肉を単体で覚えようとするとかえって理解が難しいです。

どこから起こって、どこで終わる筋肉なのかが、名前と一緒に把握できていると、おおよその機能の予測がつきます。それだけでなく、逆に、筋肉の機能から筋肉の走行を予測することができます。

筋の走行

とはいえ、きちんと筋の走行や、皮膚からどの程度の深さのところに、どの筋があるかなどは、大まかに把握しておく必要があると思います。

実際に人体解剖に立ち会える人はあまりいらっしゃらないと思いますが、解剖学の教科書などに書かれている筋肉の断面図や人体模型などで、ある程度勉強できると思います。

今持っている解剖学の教科書にしっくりとこない人はこちらの名著がお勧めでございます。



物理学的な知識

モーメントや、力の概念、運動方程式など、わかる人はわかっておくとちょっと幸せになれるかもしれません。

とくに、モーメントの考え方は、国試の勉強の時にも役にたちますし、臨床に出てからも移乗とかでかなり使うように思います。

国試の問題では、たとえば、トレンデレンブルク徴候とかの理解にもつながりますし、わかっておくといろいろ助かる場面があるように思います。

 触っている感覚

そして、個人的にとても重要だなとおもっている物があります。

それは、筋肉や、骨に触っているという感覚です。

「筋肉に触っている」という事がわからないと、実は触っているのにいつまでたっても「触診が出来る」という感覚に至れませんよね。

おすすめ触診の練習法

感覚を身につけることが近道だとおもってます。

そのためには、次のような方法をお勧めします。

まず、自分の上腕二頭筋に触れてみましょう。

走行は単純だし、機能もわかりやすいですよね。

上腕二頭筋って、皮膚表層に近い筋肉で触りやすいですし、筋腹周りに紛らわしい筋肉も無いので、同定しやすいとおもいます。

どうしてもわからないひとは、前腕外転位にして、肘を屈曲しましょう。

硬くなったのが上腕二頭筋です。

ある程度、触ってると力が入っている時の筋の触り心地と、脱力時の違いが何となくわかるようになってきます。

そのうち、力が入っていない筋でも走行がわかるようになってくると思います。

自分で、自分の上腕二頭筋触って、走行がわかるようになったら、同定する練習を学友と一緒にしましょう。

お互い、自分のを触ったときに「上腕二頭筋を触られる感覚」も同時に習得しているはずなので、触っているところが上腕二頭筋かどうかの判定って容易だと思います。

そんな感じで、いろいろな筋肉で、触っている感覚をつかんでいくことで、筋の触診って出来るようになっていくように思います。

機能が重複していて、同定が難しい筋肉もありますけれども(股関節内転筋群とか)、そもそも臨床にて筋単体の働きが重要になることって、手の外科等をのぞけばそんなに無いような気もします。

ですから、そんなに、過敏になる必要もないのかなあとおもったりします。

おまけに

支配神経と神経レベルがある程度理解できていると、麻痺のある患者様とお話しさせていただくときに、不必要におどおどする事が少なくなるので、触診のついでに神経について学び直すのもお勧めしたいです。

国試にも出ますしね。

おわりに

そんな感じで、触診苦手意識MAXだったひろえもんが、いつのまにか何となく触診できるようになった方法とかについて書いてみました。

自分自身書いてみて、学生時代あれだけ苦手意識あったのに、実習とOTRの経験をとおしてそれなりには出来るようになるもんだなあとしみじみとおもいました。

ひょっとすると書き落としがあるかもしれません。

何かあったときには、随時、追記したいと思います。

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自分しか気にしないようなミスをくよくよ気にしても仕方ない

はじめに

失敗したことを気にするより、次の失敗の可能性を摘むことを考えたいなというおはなしです。

以下大半は自分がたりです。

ほかの新人とか、新人を指導する上司の方々、および、今日から総合臨床実習に望む後輩君たちの役に立てば幸いです。

新人生活はミスばかり

現在大変ミスの多い生活を送っております。

でもでも幸いというか、当然というか、患者様にご迷惑をおかけするようなたぐいのミスは、しておりません。

それは、自分自身の注意を払っていたり、周囲の先輩方の手厚いフォローのおかげで、2重3重のセーフティーネットが敷かれている事によると思います。

ミスをしてるのは、そういう、間違えるとヤバいと自分が認識している部分よりもそれ以外の部分だったりします。

新人および、実習生は、小さなミスをたくさんします。多分。

そんなミスをしてしまったときにはどうしたらいいのかな、なんて考えてみました。

ミスの質

で、現在しているミスは大きく分けて2通りになるんじゃないかとおもうのです。

まず一つ目は、自分の知識不足からくるミス。

正確にはミス、というか、単なる経験不足だったり。

経験が足りないことが原因で、うまくやるために必要ないろいろな要素が不足しているために必然的にうまくいかないという現象が一つ目。

そして、2つ目。

これは、単なるイージーミス。

さっきとは逆に、要素的には十分に問題なくこなせるはずなのに、できて当然なのに、できていない。

そんなミス。

こちらは、慣れない環境で頭がきちんとフル回転させることができていないことが原因で起こっていると考えます。

つまり、業務になれるとか、きちんと頭の中にチェックリストを常駐させるとか、そういう要素が満たされるにつれて減っていくのではないかと思います。

これらのミスにどう対応するか

継続的な学習を積み重ねていくことと、抜けやもれがないかどうかを、自分で確認するだけでなく、慣れるまでは他の人にも確認してもらうのが良いのではないでしょうか。

実際、他の人にチェックしてもらうということを意識するだけでも、気は引き締まると思いますし、その効果だけで、ちょっとミスが減りそうな気がします。

ミスした過去にとらわれない

ミスした過去を反省することは必要ですが、後悔し続けることに意味はないということは、たくさんの人がいっていることだと思います。

ですから、自分がしたミスは記録、分析したら、もうそれについて、ぐじぐじと悩むのはやめにするべきですよね。

今後同じことが起きたときに、以前のミスを繰り返さない用にすることが必要なのであって、いつまでも過去の失敗という事実のみにとらわれているのは、精神衛生上も良くないですし。

おわりに

ミスについて、自分一人で悩むのはメリットが少ないですが、それとは対照的に人に相談することには意味があるように思います。

人に相談することには、たとえば、自分が思いもしなかったような新しい視点、解釈、分析を得ることができるなどのメリットがあります。

自分の視野を広げることが、物事を様々な側面からとらえることにつながり、それは、ミスを減らすことにつながっていくと思います。

ミスをくよくよと気にするくらいなら、今日の失敗の場面が次にやってきたときに、平然と対処できるようにすることのほうがよっぽど有意義なんだ。と思います。

作業療法士は医療職なので、ほんの小さなミスが、患者様の生死を分けることになる可能性は常に存在している仕事だと思います。

緊張感と向上心をもって、ミスを減らせるような生活をしていきたいと思います。

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「生きるをどう定義するか。あるいは、生きるとは何か。」という哲学的問いが高齢期医療では、重くのしかかる。と感じた件について。

はじめに

実習時の個人的な体験に基づく話です。
実習にこれから行かれる方で、もし、この記事を読んでくださっている方があれば、自分なりに考えてみてもらえると、書いてみた甲斐があります。

実習に出るまで、分からない現実があります。
教科書に書かれていない要素も、臨床ではたくさん起こっています。
その中で、あえて詳しく取り上げていないことも、たくさんあると感じました。

その中の一つについてです。

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高齢期の患者さまばかりの病院

自分が、実習をさせていただいた病院では、作業療法の対象となる方は、ご高齢者の方が多かったです。
普段日常においてあまり、関わることの無い世代の方と、たくさん関わらせていただくことができました。
その経験は、自分の貴重な財産になってます。

そんな実りの多い実習ではありましたが、反面、「ままならないなあ」ということもたくさんありました。

その中の一つが、人生への満足を表明される方にどう応じたらいいのかという事でした。

「もう十分生きた。死にたい。」

という趣旨のことを、患者様が、おっしゃるわけです。
自分は、高々20年あまりを生きてきた若輩者です。
そんな人間に対して、患者様の中には

「もう十分に生きたよ」
「いい人生だった」
「満足」
「だから、苦痛が続くのに生きている必要を感じない」
「なぜ、リハビリをしないといけないのか」

という、趣旨の発言をされる方がいらっしゃったわけです。

しかも、お1人やお2人ではないんですよね…。
結構いらっしゃる。

結局、実習中、自分は
「そんなこと言わないでください」
とか
「お会いできてうれしいです」

とか返して、ある意味で、患者様の問いから逃げることしかできませんでした。

きっと、自分の中に、その問いの答えが無かったからです。

患者様は、自分の死を選べない

いくら、ご本人さまが「死にたい」といったって、そんなこと周囲が絶対に許さない環境の最たるものが病院です。
生命の危機から、脱して、社会に戻れるような基礎を作ることは、病院の重要な役割の一つだと思います。

けれども、いろいろあって、退院できない患者様(社会的入院)となっている方も、やはりたくさんいらっしゃいました。
そういった方々の中で、死にたいとおっしゃっている方がいらっしゃるわけです。

病院は、患者が入院したら、退院するまで、死なないように面倒を見続けてくれます。
たとえ本人がそれを望まなくても、ある意味、本人のそういった感情などは無視して、医療的な延命が行われているのかもしれない。
そう思ってしまうような、現実を経験しました。

今日見た記事ですがこんなのがありました。

 麻生太郎副総理は21日の社会保障制度改革国民会議で、高齢者など終末期の高額医療費に関し「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないとかなわない」と述べた。

同時に「高額医療を下げて、そのあと残存生命期間が何カ月か。それにかける金が月に何千万円か、現実を厚生労働省も知っている」とも述べ、財政負担が重い現実を指摘した。

2013/01/21 13:51   【共同通信】

麻生太郎副総理の発言は、財政に配慮したものであることは間違いありませんが、その一方で、きっと、「さっさと死ねるようにしてもらわないとかなわない」という発言は本音なのだろうと勝手に思いました。

実は、自分が、患者様の問いに対してろくな返事ができなかったのには、もう一つ理由があります。

それは、自分が患者様と同じ立場に置かれたときに、自分はきっと、この患者様と、同じことを感じ、同じことを言うだろうと、そんなことを考えてしまったからです。
「相手の感情に巻き込まれるとは未熟だ」
というご意見もございますでしょうが、ともかく、そんな風に考えてしまったのです。

だから、何も言えなくなってしまいました。

逆に、「そうですよね」なんて、言ってしまいそうでした。

おわりに

最近、とみに、
「どう生きるかということは、どのように人生を終わらせるかだ」
と感じます。

人生はよく、物語にたとえられます。
物語は、いくら始まりや途中の盛り上がりが良かろうが、終わりが悪ければ、その物語への評価は下がってしまうと思います。

いくら考えても答えは出ませんが、何と答えるべきだったのでしょうか。

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