【2012年】みなさま、本年は大変お世話になりました。【大晦日】

大晦日です。

みなさま2012年最後の日ですが、いかがお過ごしでしょうか?
実家に帰省される方、家族で過ごされる方、お仕事の方、さまざまだと思います。

自分は、実家に戻りまして、何もせずに過ごしております。

思えば、今年はいろいろなことがありました。
OT関連、個人的な出来事あげればきりがないですが、自分にとっての最大のイベントは、やはり、総合臨床実習だったと思います。

感謝

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自分は病院での実習でした。
スーパーバイザーの先生をはじめとしたスタッフの先生方にはたくさん助けていただきました。
特に、SVには、いろいろとご迷惑をおかけしたとおもいます。
この場でも、感謝の思いをつづっておきたいと思います。
先生。本当にありがとうございました。

また、実習先で出会った実習生のみなさんにもたくさん助けていただきました。
お互いに励ましあいながら頑張れて本当に良かったと思います。
みんなありがとう!!

 

来年へ向けて

そんな実習でしたが、実習に行ったことによって、OTの仕事の実際が垣間見え、自分に必要なことも見えてきました。

その一つが、文章を書く、レポートを書く、文章をまとめる能力です。
毎日、このブログを見に来てくださっている皆様は、お分かりだと思いますが、自分は文章を構成するのがあまり得意ではありません。
少しでも、上達すればいいなと思ったこともこのブログをやってみようかなと思った理由の一つです。

作業療法.net

ついでなので、作業療法.netを始めた理由もお話ししたいと思います。

きっかけはやはり、実習で、その時に作業療法がやってることを説明するのは、一朝一夕じゃあ難しいなと感じる出来事が何個もありました。
もちろん、口頭で、クライエントやご家族、はたまた他の職種の方々に説明ができることもとても重要で必要なことだと思います。

しかし、いつでも、どこでも、だれでも参照できる、作業療法の情報源があれば、もっと素晴らしいのではないかとふと思いました。
自分はインターネットが好きで、そこそこ詳しいという自負があったので、なんとかできるんじゃないかと思いました。
そして、つくっているのがこのサイトということになります。

現状、コンテンツの更新よりも、プログラムとかサーバといった、目に見えない技術的な側面に時間を取られてしまっているので、来年は、国家試験に向けての勉強をしながら、サイトデザインとコンテンツの拡充を行っていきたいと思います。

感謝2

このブログやサイトをいつもご覧くださっている皆様、本当にありがとうございます。
皆様のおかげで、google検索に置いて「作業療法.net」と検索していただけると、1番上にこのサイトが表示されるようになりました。
にやにやです。

ぼちぼちとやっていきますので、来年もよろしくお願いいたします。

最後に

それではみなさま、よいお年をお迎えください。

とあるインテリの、きらきらとした、生と死の突端の記録 「流通ジャーナリスト 金子哲雄 僕の死に方 エンディングダイアリー500日」

はじめに

一気に読んで、どうしてもご紹介したくなったので、記事にしました。

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書店で購入

この本は、今年の、十月前後に肺カルチノイドという聞いたこともないような病気で急逝した(ようにみえた)金子哲雄氏の遺稿というか、辞世の句のような、別れ歌のような書籍です。
昨日、ふと書店に行って、手に取ってみて、気まぐれで買いました。
単純に金子氏は自分の死をどのようにとらえていたのか、そのことについて触れているのか、自分の最後の書籍としてどのような文章を書いているのかが気になったからです。

まさに「一読の価値」あり

結論から言うと、金子氏に迫ってくる死を、読んでいて追体験して感じることができる臨場感にあふれる本でした。
「死に行く当事者としての死」を疑似体験するうえで非常に優れたコンテンツだと強く確信するので、その側面を絶賛しつつ紹介します。

なぜならば、この本は自分が、今後終末期医療というものを考えるとき、そしてその時の作業というものについて考えるときに絶対に参考にすべき内容が詰まっていると感じたからです。

ひろえもんの金子哲雄氏への印象

本自体の紹介をする前に、自分が金子氏にどのような印象を抱いていたかについて少しだけ。

初めて金子哲雄氏を目にしたのは「ホンマでっかTV」だったと記憶しています。
第一印象は、「適当なことを言ってんだろうな、どうせ」、でした。
また、よくわからない人間がポッと出てきて、バラエティーで消費されて、まるでマイナスイオンのように、いつしか消えていくのだろうと思いながら見ていました。

徹底した現場主義

しかし、プレジデントという雑誌に対する寄稿を読んでから印象が変わりました。
その記事は、彼のにじみ出ている胡散臭さは、あれは計算してやっているんだと思いました。
その一部は、プレジデントオンラインで読むことができます。

プレジデントオンライン 金子哲雄(掲載期間終了につき現在は読むことができません)

このような文章を作成するにあたって、彼の文章や発言は、とても消費者目線が強いものでした。
(彼自身も、著書の中でそのことについて触れています。わりとざっくばらんに書いてありました。)

ああ、この人まじめな人なんだ

一見するとふざけているように見える彼の言動は、狙いを持って行われていること、彼の胡散臭い発言の裏には地道な実地調査があること。
しかし、それらを消費者には見せることなく、そうすることによって消費者が、気軽にコンテンツを消費できるようにしていることが、しだいに彼の仕事ぶりから伝わってきました。
同時に、最初に金子氏に抱いた印象は、とても誠実で、まじめな人なんだろうなという印象に変わっていました。

会葬礼状

ほとんどテレビを見ていないので、知りませんでしたが、金子氏が激ヤセしているということが話題となっていたようでした。
その話題を知らなかったものですから、ヤフーニュースで、彼が亡くなったと知った時には「はやいな。急にまたなんで?」と非常に驚きました。
肺カルチノイドとかの病名が書かれた、ニュースを見ていて、その中で一つ目を引いたものがありました。
金子氏が生前作成していたという、会葬礼状がそれです。
以下書籍中から引用します。(ネットでも検索すれば出てきます。)

 このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席賜り、ありがとうございました。今回、41歳で、人生における早期リタイヤ制度を利用させて頂いたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事等にて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。申し訳ございません。

もちろん、早期リタイヤしたからといって、ゆっくりと休むつもりは毛頭ございません! 第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことのできる「魔法のドア」があると伺っております。そこで、札幌、東京、名古屋、大阪、松山、福岡など、お世話になったみなさまがいらっしゃる地域におじゃまし、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい所存です。

今回、ご縁がごさいまして東京タワーの足下、心光院さまが次の拠点となりました。『何か、面白いネタがないかな?』と思われましたら、チャンネルや周波数を東京タワー方面に合わせ、金子の姿を思い出して頂けましたら幸いです。

この度、葬儀を執り行うにあたりまして、葬儀社のセレモニーみやざき (担当者名)さまには生前より真摯に相談に乗って頂きました。また、自分の歩んできた道とゆかりのある港区東麻布を終の住処とすることをお許し頂きました、浄土宗 心光院 御住職 (住職氏名)先生には公私に渡り、死生観などのアドバイスを頂戴しました。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。

最後になりますが、本日、ご列席下さいました、みなさまの健康とご多幸を心よりお祈りしております。41年間、お世話になり、ありがとうございました。
急ぎ、書面にて御礼まで。

平成24年10月1日流通ジャーナリスト 金子哲雄

最後の最後まで真面目なんだかふざけてるのかよくわからない不思議な魅力を持った人だということが伝わってきます。
ほかにも、この会葬礼状から伝わってくることは人によってさまざまだと思います。

しかし、私は読んだ瞬間に、「このような精神状態を表現するためには、かなり綿密な準備があったはずだ」と直感的に思いました。
つまり、金子氏は、死ぬ大分前から、自分の死について告げられていたのではと、思ったのです。
そして、それを周囲に隠して、にこにこと、テレビに映っていたんだろうなぁということに思い至り、すこし居た堪れなくなりました。

長々と前置きましたが、本の内容に触れていきたいと思います。

「死」との向き合い方

タイトルにもあるように、実は金子氏は死ぬ前500日ほど前に宣告を受けていました。
彼は、そこから、死ぬまで、自分の人生の終わりをデザインしようとしていました。

本の内容によると、金子氏は最初、いろいろな情報を集めて、なんとか生き延びることができる方法を探していました。
しかし、彼は、頭が良いので、自分が助からないことも途中でわかってしまいました。

もちろん、治療は継続していたのですが。

しかし、どうあがいても死から逃れられる可能性は、とても低いということは分かっていたのではないかと思います。
そんな彼の、死との向き合い方は、どういったものだったのでしょうか?

なんと、彼は、「自分の仕事を続けること」を選択しました。

金子氏にとっては、仕事を続けることこそが、「死」と向き合うことであり、つまり、「生きる」ということだったのだなあと思います。

そして、本当に、死のまさにその直前まで、仕事を続けておられたそうです。体力的に外出が困難となってからも、執筆活動を続けていたそうです。

金子氏にとって仕事をすることが作業だった

念のため書いておきますが、この本、作業療法士は一切出てきません。

出てきませんが、内容は非常にOTっぽいなぁ、と思います。
なぜなら、金子氏が最期まで自分らしくいることができたのは、仕事という作業ができたからです。
生きがいを全うすることができたからです。

ひりひりとするような、そんな迫りくる死と、恐怖と、病魔による肉体的な苦痛がありながらも、前のめりになって彼が死んでいくことができたのは、彼が最期まで仕事をしていたいと望んで、そしてその望みが最後まで遂げられたからです。

終末期OT、かくあれかし。

実際、作業療法士ができることは、この本からもたくさん見つかるなと、個人的には思いました。

現実的には、多くの人の支えが必要となることや、金銭的な問題などがネックになると思います。
金子氏の場合は、自分の稼ぎでその点が問題にならなかったことも、非常に大きい点だなあと個人的におもいます。

必見の「エピローグ」

エピローグには、死ぬ数日前の人間の飾り気のない本音の吐露が書かれています。
なかなか、出版物として世に出ない、本音です。

これが、出版されたことの意味は大きいと思います。

また、それまでの文章とはテイストがかなり異なっていて、そのことがより一層、死が本人に迫ってきていたことを感じさせます。

非常に読んでもらいたいとお勧めする、一方で、なかなか精神的に来る物もありますので、メンタルに自信がない方は読むのをやめておかれたほうがよいかもしれません。

書籍の全体的構成について

全四章で構成されています。

1、2章は流通ジャーナリストとしての金子哲雄先生のキャリアについて書かれています。

3、4章は金子哲雄氏と闘病についてのはなしです。

そして、エピローグです。

この本は章立ての順番で、時系列に沿って書かれたのだと思います。
なぜそう思うかというと、番号の若い章の文章のほうが、ゆとりを感じさせる完成度の高い文章だからです。読み手を想定して完成された文章となっています。

しかし、後半に文章が進んでいくにしたがって、文章は切迫し、最後のエピローグでは自分語りとなっていきます。

金子氏が死に向かう工程をそういった面でも追体験することができました。

最後に

つらつらと書きましたが、この本の魅力はたぶん実際に読まないとわからないので、是非書店などで買ってみてください。
ぜひ。
すでに10万部は売れてるそうです。

アマゾンのリンクも貼っときます。
アマゾンで買われる方は、こちらからポチっていただけると、素直にうれしいです。
一時は、アマゾンで品切れとなっていたこともあるようですが、現在は普通に購入できます。

【第47回】なんと、今日であと半年です。【日本作業療法士協会】

2013年(平成25年)6月28日(金)、29日(土)、30日(日)の開催。
場所は大阪国際会議場(グランキューブ大阪)

テーマは、「地域に暮らす ~生活を支える作業療法~」

これから先の医療は、ますます福祉との境目がなくなって、どんどん地域へ移行していくでしょう。
このテーマは非常に重いテーマだと思います。特に、セラピストはこれから病院勤務以外の場所で働く機会が増えていくと思われ、作業療法士の活躍できるフィールドとしての地域という新しい分野に目を向けることは非常に意味があります。

自分も、今のところ参加予定です。

リハビリテーション実施中の心停止リスクの管理に関するニュース

寒くなってきて、血管・循環器系に関する疾患が増えてくる時期であります。

心疾患などを抱えた患者様と、一緒にリハビリテーションを行う場合、作業療法士はこうした話題とは無縁ではいられないと思います。
そんな心疾患に関するニュースがありましたのでご紹介します。

心停止の前兆

京都大学などの研究グループによると、 心筋梗塞など心臓の病気が原因で心停止となった人には前兆となる何らかの症状があらわれていたそうです。

具体的には、息苦しさ、胸の痛み、意識障害などだそうです。
調査対象となった約1000人のうちの六割強がそのような何らかの症状を訴えていたとのこと。
なんと4割もの人が、倒れる3分以上前に、これらの症状を経験していたとのことです。

鑑別は難しいものの

それでも、こういったことを知っておいて可能性を考慮できるということはとても大切だと思うので、覚えておきたいと思います。

ソース:心停止の6割の人に「前触れ」症状

「人の話を上手に聞く」するべき3つのこと しない5つのこと

ラポール形成のため「聞く力」を鍛えるためのポイントです。

なるほどなあと思いましたので、共有する記事です。
こちらのサイトから転載させていただきました。

こういう系の記事はよくあるんですが、読むたびになるほどなあと思うのは、きっと何も成長していない証で(空笑)。

作業療法士に必要な「聞く力」

作業療法士の仕事は、主に「評価」「介入」の繰り返しによって行われます。

その両方に、「聞く力」は重要です。

なぜなら、「評価」は文字どおり、作業療法対象者の方から話を聞くことによって情報を聴取するというプロセスが重要であるからで、「介入」を実行しながらその妥当性や感触を確かめるには、対象者の主観の聴取が必要が不可欠だからです。

で、その「聞く力」は、先天的な要素のみで形作られているわけではないので、練習すれば身につけることができるということです。

さて、では、どんな風にすれば身につくのか、そして、きちんと話してもらうためにはどんなことをやってはいけないのか。

それを確認して、日々の作業療法の実践に活かしたいわけです。

聞くのがうまい人の3つの特徴

では、話を聞くのがうまい人はどんな人か。

以下のような特徴があるそうです。

人の話を聴くのが上手い人はどうやってるか

    1. 相手が話し中だと相槌しかうたない
    2. 相手が話さないときは相手にまた質問する
    3. 目を見て話すが目ではなく鼻を見てる(そのほうが疲れにくいから)

一つずつみていきましょう。

1相手が話し中だと相槌しか打たない

要するに、自分の言葉で、相手の話を遮らないということです。それと同時に、相手に自分が相手の話に注意を傾けているというメッセージを発信するために相槌は非常に有効な方法であるということですね。

相手の話がワンセンテンス終わるまで、余計なことを言わない、じっくり聞く姿勢をもつというのは、作業療法士として、高齢者の方に関わったり、精神疾患のある方と一緒になんらかの活動をしているときに強く感じるところです。

相手の話を遮ることなく、きちんと聞いていることによって、相手は、自分が尊重されているという体験をし、そこに信頼関係が生まれる可能性があります。

自尊感情が傷ついている方や、心理的な傷を負っている方には、作業療法士が支持的な存在であることを表明する非言語的な手法として非常に重要です。

2相手が話さない時には相手にまた質問する

的確な質問には、相手の発言を注意深く聞いて、自分と相手の関係性を踏まえた上で発言をすることが求められます。

相手の発言を注意深く聞くということは、一言も聞き漏らさないということではなく、相手が重要だと思っている内容と、そうでないと考えている内容を判別しながら話を聞くということです。

それによって、作業療法士は、相手の趣味や嗜好、重要視していることやりたいと考えていること、価値観などに少しずつ近くことができます。

踏み込んで良い適正な距離感を示しながら、ここでも相手に興味を持っていること、自分が支持的な存在であることを示唆しながら、相手を尊重した質問を行うことが非常に大切です。

3目をみて話すが、鼻をみる

これは作業療法士としての業務経験上、かなり有効です。

対象者の方の目を見つめるというのは、よほど関係性ができていない限り、治療的に応用するのはかなり難しいです。相手の目を見つめ続けることには、親愛の情や攻撃の意思など、方向性の全く異なる様々なメッセージが含まれるからです。

とはいえ、きちんと相手に注意を払っていることを、態度で示すことも重要なので、その間をとって、相手の鼻とか目の少し下をみることによって、視線の拍子をずらすことは、意識できるできないに関わらず、相手の無用な緊張を退ける意味でそれなりに効果があります。

なお、自分は関係性ができてきたら、普段は、横並びになって目線の先を共有するようにして、相手と見つめ合うような状況ができないようにしています。意識的に。

その方が、同じ目線で、話を聞けるような、そういう気がしているからです。

とはいえ、最初から横並びで話を聞くのもなれなれしいでしょうから、関係性の構築過程にはこのような方法も大切ではないかと思います。

話を聞く時に、しない5つのこと

逆に話を聞く時にこれはやってはいけないということも紹介されていたので見ていきましょう。

人の話を聴くのが上手くなるためにやってはいけないこと

    1. 相手が話してるのを遮(さえぎ)らない
    2. 相手が何を認めて欲しいのか考えない
    3. 姿勢をのけぞらない(基本姿勢は少しまえ)
    4. 基本、正面に座らない
    5. 押し付けない(僕はこう思うけどどう思う?みたいなのがいい)

1相手の話を遮らない

相手の話を遮ると、ひょっとすると相手が、もっと大切なことを話そうと思っていたとしたら、その機会を奪うことになります。

そういう機会を奪う相手に、世の中の人は何度も話してみようと思える人ばかりではありません。

作業療法士は、すべての人から、なるべくうまく話を聞く技術が必要です。

実際の臨床では時間の都合もあるでしょうから、相手の言うことを遮らなければならないこともあるかもしれません。その時には、相手の発言を自分なりに咀嚼して「〜と言うことですね」と確認する形で遮ると、相手は自分の発言を遮られてもそこまでマイナスの印象を抱くことはないかと思います。

同様の場面で、相槌の代わりに、おうむ返しなどを活用すると、相手が考えながら喋る間を確保する効果も期待できるので、結構有効と思います。

2相手が何を認めて欲しいのか考えない

相手が大切にしていることを見極めようとしないままに、表面的に返答をしていても、結局関係性は深まらないし、「ああこの人は話を聞いてくれないのだな」と期待されることもなくなります。

期待してもらえない作業療法士ができる仕事はたかが知れています。

相手が、大切にしているもの、ことは、尊重する頭を常に持って作業療法士として仕事をしていきたいものです。

3姿勢を仰け反らない

これはもう、態度が横柄に見えると言うことと、話をしている本人からすると話半分に聞かれているなと言う印象を与えるからです。

作業療法士としては、治療的なメリットは何も感じられないので、対象者の方の話を聞く時には絶対にやめましょう。ありえません。

4基本正面に座らない

面接法などで教科書にも載っている通りで、お互いに無用な緊張を強いることになります。

正面に座ることで、対人緊張が高い人は、話もできなくなりますし、自分が話したいことや話している内容に集中できなくなります。

治療過程がスムーズに進まなくなることは、対象者の方が同じ時間で享受できる治療の量に如実に影響しますので、いち作業療法士としては重要な視点だと思います。

5押し付けない

「〜した方がいいよ」

などと言われて、そうですね!

と言える素直な人は世の中の人間の1割以下です。

表面的な話ではなく、深層心理の話です。

人のアドバイスを素直に聞けるように人間はできていません。

ですから、相手に直接的に指示的内容や、命令などを出すことはその後の自律的な行動パターンの形成に悪影響を与えます。

短期的には効果がありそうですが、長期的には実は効果の低い方法論であると言うのが作業療法士をしていて感じる実感です。

ではどうするかというと、質問で代用するのです。

誤解を恐れずにいえば、質問によって自分の口で指示したい方向に誘導します。質問によって相手が「本当はこうした方がいいと思ってるんだけども」と感じている部分を刺激して、その答えを自分の口から発言させるのです。

その日1日では効果が感じられないかも知れませんが、週単位月単位では、雲泥の差が出てきます。嘘だと思ったら、やってみてください。あっさり差が出て驚くと思います。

ポイントまとめ

この記事に書いているのは、「どう振る舞ったら相手は話をしやすくなるかなあ」と言う、あくまで一般論です。

もちろん、作業療法含む接客業においては個人によって対応の仕方を変えなくちゃいけないというのは当たり前です。しかし、一般的にはこうするといいよっていうのがわかっていると、作業療法士という自由度の高い仕事においては、いくらか気持ち的に楽です。

自分の中に、ポイントとして意識できているだけでも、自分の聞き方が問題ないかというところがチェックできるので、自分の臨床態度にも自身が持てるようになるかと思います。

上記の中で、自分が有効だと思うテクニックとしては、相手の話をきちんと聞いているということが伝わるような質問に添えて、提案や、発言ができると強いなあとよく感じます。
それに加えて、話している本人が時系列に沿って、あーだーこーだと、少しまとまりなく話していることを、びしっと要点を押さえて、その話をまとめて「あなたはこう感じたんだね」と、混乱しかけた本人の弁をまとめてうまく理解できるような、手助けとなるような形で共感が取れると間違いないです。

だって自分だってそういう人に話を聞いて欲しいですもの。

「ああ、この人は自分の話を聞いてくれて、わかってくれて、しかも共感の態度まで示してくれるんだ!」
という気になれば、やっぱり、自分はその人に対して悪い感情を抱くことはまずないと思うし、むしろ間違いなくその人とより親しくなりたいと思う、それが人間というものでしょう。

作業療法士としてはその辺をうまく、対象者の方の治療効果が最大化できるように使いこなしていきたいものです。

臨床では、作業療法士の共感的態度はとても大事

あとは、上にも書いてあるように、相手を否定しないというのも難しいけれど、非常に重要だなぁと思います。
相手がいうことが間違っている場合にも、それを否定しないでまず、いったん自分が引き受けるというか、相手が言っていることをそのまま繰り返したりして、相手が自分の言っていることを客観的にとらえることができるようなそういった手助けができることが、とても大切だとおもいます。

まずは味方であるということを認識してもらわないと、効果的な作業療法は始めようがありませんからね。

相手を否定しない態度は、作業療法士が味方であることを示し得る

終わりに

インテーク面接や、あるいは、作業の最中などに、会話を円滑に行うための「聞く力」という技術は必須だと思います。

最終的に、特に意識しなくても、あらゆる人とスムーズに会話ができるようになったらいいですね。

まとめ

作業療法士の「聞く力」は臨床力に直結する

ポイントを抑えれば「聞く力」は向上する

夜間せん妄が見られたため入院中に拘束を受けた80歳女性が違法性を訴えた裁判の最高裁判決

結論から言うと、適法になったそうです。
この事例は以下で、紹介されていました。

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事件の概要のみ引用します。少し長いですが。

 事件の概要

 患者(80歳女性)は2003年6月20日以降、両側胸部痛を訴えてA医療機関に入院していたが、入眠剤を服用した際、トイレ内で転倒して左恥骨を骨折した。その後、入退院を繰り返し、10月7日には変形性脊椎症や腎不全などでB病院に入院。当初は腰痛があり歩行困難だったが、車椅子に移乗してトイレに行くことができるまでに軽快した。

 しかし、10月22日から11月5日にかけて、夜になると大声で意味不明なことを発するなど、せん妄の症状が表れ、トイレで急に立てなくなってナースコールをしたり、1人でトイレに行った帰りに車椅子を押して歩いて転倒したりすることがあった。

11月15日夜から翌16日朝にかけて、患者は入眠剤服用後も、汚れていないおむつの交換を頻回にわたって要望したため、当直していた看護師3人はそれに応じるなどして落ち着かせようとした。それでも患者は、車椅子でナースステーションに来ておむつの汚れなどを大声で訴え続けたため、看護師はその都度おむつを交換した。向精神薬は、患者の腎機能への影響を考慮して使用されなかった。

なお当時、当直の看護師3人で対応しなければならないほかの患者は27人おり、そのうちドレナージ中で要注意の患者が1人いた。

看護師は16日午前1時ころ、同室者に迷惑になることや転倒の危険が高いことから、ナースステーションに近い個室に患者を移動させ、お茶を出すなどして落ち着かせようとした。だが興奮は収まらず、ベッドから起き上がろうとする動作を繰り返した。

このため看護師は、抑制用のミトン(緊縛用のひもが付いた、手先の丸まった手袋)を使用して、患者の右手をベッドの右柵に、左手を左柵にくくり付けた。すると、患者は口でミトンのひもをかじって片方を外し、その際に右手首皮下出血と下唇擦過傷を負った。その後、看護師は、午前3時ころに患者が入眠したのを確認し、もう片方のミトンを外して元の病室に戻した。

患者は04年11月、当直の看護師が両上肢をベッドに拘束したのは診療契約上の義務に違反する行為であると主張し、損害賠償の支払いを求めて提訴した。

原文:せん妄患者の身体拘束に「適法」判断:日経メディカル オンライン

この件が適法にされた理由についてですが、整理すると「現場の必要性があるから」という風に要約できると考えます。
また、現場での人手不足も考慮されたのではないかということです。

身体拘束については、自傷行為や他者を傷害するような場合には、医師の判断がなくても可能だという見解が示されています。

作業療法士がベッドサイドでのリハビリテーションを実施する場合において、身体拘束されている患者様を担当することは珍しいことではないと思います。
法律関係の知識としてこういうことも、知っておく必要があるなあと思いました。

最近ネットやリアルで話題になっているらしい反精神医学問題なるものの原因と思しきについて触れてみた。

はじめに

反精神医学問題というものの定義はこちらのサイトでなされています。
精神医学の専門家としてどうしても言いたいこと。

曰く、

 精神医学問題って何か、というと、うつ病や発達障害は存在しない、という主張を繰り広げる方々とそれに賛同する方の問題です。
発達障害は存在しない、親の養育で防げる。
うつ病は存在しない、新型うつは社会に適応できない若者の甘えだ。
こういう論調を目にするたびに悲しい気持ちになります。
ここでは二つの間違いがあります。
・疾患概念の取り間違い。
・治療的アプローチの取り間違い。

というものです。

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要するに

つまり、器質的な問題があるということと、生育上の要因とをごちゃまぜにしているということから派生する問題について指していらっしゃるようです。
推測でしかものをいうことができないのですが、こういった問題は、半分確信犯、半分誤解なのかもしれません。

疾患概念の取り間違い

誤解については、確かに、あってもおかしくはないと思います。
巷の週刊誌などで(定義をあいまいにしたまま)医学用語が取り上げ使われることもあったりしますが、疾患概念の取り違いなどは、実際日常生活でもよくおこっているのではないでしょうか。

治療的アプローチの取り間違い

治療アプローチの取り違いなどは、結構作業療法士にとっても身近な問題です。
時には、患者様との間でそのことがテーマとなるような問題が起きることもあると思います。
個人的には取り違いを減らすためには、治療アプローチをきちんと言語化して、なぜそのアプローチが有効なのかについて示せることが、やはりさまざまな面で重要になるのだと考えました。

なぜこういったことが起きるのか

引用させていただいたブログにあるようなことが起こる原因について考えました。
多くの人にとってはうつ病や発達障害は、身近なものではないから、こういったことが起きるのではないでしょうか。
そして、なかなか普通に日常生活を営んでいるだけでは、情報が全く自分のところに入ってこないのであれば、そのように思うようになっても仕方がないことかもしれないとも思います。

たとえば、精神疾患は、その発生機序を理解するのが難しい上に、病態を表現する言葉も漢字ばっかりで、なんだか難解な印象で、それが余計わけのわからなさを増幅しているような気がしています。

解決するには

もしも、それが重大な問題を引き起こいている原因であるならば、医療者側は、患者様やそのご家族に対して、たとえ厳密性が失われるとしても、当事者にとってわかりやすい言葉や表現方法を用いていくことも、社会的な理由から必要とされるようになるかもしれません。
具体的にどうするかといえば、たとえば、患者様やご家族への説明の時になるべ身近でフランクな理解しやすい言葉に言い換えるようにするとかそういうことです。
もちろん、学術用語ではない言葉を使うので説明における厳密性は、大きく低下せざるを得ません。

確かにリスクはあるけれど

しかし、そのようにして、わかりやすく、目につきやすい情報が少しずつでも増えれば、一般の人の目にそういった情報がふれる機会が増え、また、その機会にそうした疾患について興味を持ったり、あるいは、理解を深めようとする人も出てくるかも知れません。
その段になって初めて、難しい言葉も使っていけば、一番理想的ではないかと思います。

まとめ

人にわかってもらうというのは難しいことですが、でも、簡単な言葉で、厳密性を失わないように説明ができるというのも、専門職として重要な能力の一つ。
しっかりと、そのためのボキャブラリーを常日頃からたくわえておかないといけないなぁと思います。

サイトを本格的に始めて、気がつけばとうに一ヶ月がすぎていた件と今後の展開について

どうも。ひろえもんです。

この作業療法.netというWebサイトを本格的に開始しまして、気がつけば一ヶ月以上が経過しておりました。
飽きっぽくて、興味の対象がコロコロと変わってしまうわたくしにとりまして、このように、更新を続けられるのは、サイト見て下さっている皆様の存在が本当に大きいです。励みになっております。
特に、定期的にチェックして下さってる方には、感謝感謝でございます。

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深夜アクセス数が増えてるのを見て、ニヤニヤしています。
気持ち悪いですね。

そのように、毎日サイトにいらしてくださる皆様にご満足いただけるクオリティのサイトにブラッシュアップして行きたいという野心に萌えております。
その一方で、現状、ろくに時間がとれていない事、また、知識が不十分なため肝心のサイトコンテンツの拡充と、デザインの変更を大規模に行えていません。
時には、このブログの更新しかしてない日もあります。
全く酷いことですね。

今後の展望といたしましては、当ブログは、毎日書くことで、経験を積んで、可読性の高い文章の記述能力を身につけるとともに、情報の質も向上させて行きたいと思っております。

また、全体的なサイトデザインとコンテンツの構成変更も、年が明けるまでにやります。
睡眠時間と国試の勉強時間を削ってでも。

てな感じでございます。
このブログは、毎日更新しております。
Twitter等で告知すれば良いのですが、時々忘れます。
悪しからず。

では、今後とも、作業療法.netをよろしくお願いいたします。

写真でみる「拒食症」

拒食症(神経性無食欲症)とは、精神疾患の一つで、強迫的にものが食べられなくなる病気です。
医療では、摂食障害というくくりで扱われることもあります。
それは、信じられないことのように思われます。
というのも、どれだけ客観的に見て痩せているように見える人でも、ひょっとしたらその人は自分のことを太っていると思っているかもしれません。
そして、実際にそのような自己像のゆがみが拒食症へとつながっています。

自分が痩せているということを認識できないことによって、拒食症はもたらされます。
場合によっては命をも脅かす、非常に恐ろしい病気です。

その恐ろしさが視覚的に伝わってくる写真が、ロシアのニュースから流れてきていたのでご紹介します。

Валерия Левитинаさん。
モナコ在住のロシア人だそうです。

まず、健康な時の写真から。

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そして、今。

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ちなみに身長172cmにして、体重25kg
彼女は、モデル憧れた結果として、このような重度の拒食症になってしまったといいます。

あらためて、拒食症という病気が、生半可なものではないという事実を突き付けられた感じです。

さらに詳しい情報、はこちらで読むことができます。よろしければどうぞ。
Валерия Левитина — самая худая женщина на Земле(令和4年8月7日リンク切れ確認

作業療法に対する誤解をトク!!(原文:Dispelling misconceptions about Occupational Therapyの翻訳とご紹介)

作業療法をきちんと評価するって,難しいなあと思う今日この頃です.

海外に置いても「OTって何してんのよ?」という状況にあるのは,あまり変わらないみたい,です.
そして,作業療法が誤解されやすいというのも,また,同じようです.
海外のOTSによって書かれたものですが,そんな内容について書いてある文章を見つけましたので,翻訳してみました.

以下の文章は、Dispelling misconceptions about Occupational Therapy の日本語訳のような何かです。

結構,意図的に意訳をしております.
ぶっちゃけると,訳しながら,あんまり上手な文章ではないと思いました.
しかし,彼女のOTに対する情熱が伝わってきました.

それに,彼女が言わんとする事は間違いなく正しいと思いました.
そして,彼女が問題としている事を解決するための活動を,作業療法士は行っていく必要があるのではないかと思います.


OTSであるローズマリー・リーバーさんがOTの役割について説明しました。

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OT(Occupational Therapy)は、発展の可能性に満ちた、現在進行形で成長している専門職であり、OTには多くの誤解が存在していると、ローズマリー・リーバーは言う。

劇的な変化が起こっており、OTS(作業療法士養成課程の学生)にとって、今は楽な時代ではないです。

多くの不確実性があります。
特に、来年、支払いが完全に成果に対して支払われるようになった時、よりどころとするものに関してです。
作業療法士は、とりわけ名誉に対して積極的ではない傾向を持つ人々ですが、彼らのサービスを現在よりももっと売り込むことができるようになることが必要です。
そして、学際的な理解を促進するために一緒に活動することで、作業療法士はこれらの困難を真正面から解決できますし、健康や社会的ケアについての水準の高さを証明することができます。

私はOTSとして、私たちの専門性を守ることと、きちんと私たちがしている事について注目してもらえるようにすることは、大切だと思っています。
作業療法は、発展の可能性に満ちた、現在進行形で成長している専門職であり、また、多くの誤解が存在しています。

専門家の中には明白な役割を持った人々がいます。
たとえば、医師は、命を救う手術を行います。
看護士は、治療介入後のケアに欠かすことができません。
しかし、その裏には、多くの他職種の集団が控えており、社会に住まうすべての人々の健康を改善するために働いています。

OTの定義は、少し奇抜かもしれません。
なぜならば、ちょうどソーシャルワーカーのように、作業療法士は社会の様々な領域をまたいで,無数の異なった環境で働くからです。
だから、作業療法士としての私たちは,ある人の就労支援をしている間、別の場所で別のある人が創造的活動を用いて精神障害と付き合っていく手助けをしているかもしれないのです。
重要なことですが,作業療法士がリハの目的を設定するのでありません.
目標を設定するのは患者さまです.

また,私たち作業療法士は,自分たちが行っていることについてあまり喧伝しません.
もし,あなた自身が認められたいのであれば,作業療法に従事すべきではないでしょう.
作業療法士の中で最も実力のある人々は,彼ら自身を支援者であると考えています.
そして,単純に,人々が彼らの目標を達成出来るように働いています.

もし,誰かが治療に用いる活動をやり遂げて,その人が「ねえ,(作業療法士は)まったく何もしてないね,一人で全部できたよ!!」と思ったら,その時,その人の作業療法はとてもうまくいったと言えます.

私はソーシャルワーカーも同様の哲学を持っている事を知っていますが,その哲学とは,対象者から多くの自発性を引き出せれば引き出せるほどに,彼らに対する介入はより成功したといえると言うことです.
ソーシャルワーカーは,自身が対象者から必要とされる事を重要視していません.
彼らは,人々が自分で自分自身のことを管理する事ができる様な技術や自信を,人々に身につけてもらいたいと思っています.
それは,作業療法士も同じです.

作業療法士への共通した誤解は,患者さまのリカバリーに対する貢献は,医学的,あるいは精神的なセラピストが行っている貢献と比較してそれほど重要ではないというものです.
要するに,作業療法的な介入はとても単純なものとして映るのです.

この誤解は,日常生活における活動が単純で,簡単なものであるという前提に立っています.ほとんどの場合はそれは正しいでしょう.一方で,精神的または心理的な問題で苦しんでいる人々は,自分一人でお風呂に入ったり,料理をしたり,公共交通機関を利用してみようと試みる経験が通常のそれとは,大変ことなったものである(大変なこと)かもしれません.作業療法士は,彼らが日常生活における困難を取り除くにはどうすればよいのか,そして彼らが,社会一般の人々からつながりをもってもらえるようにするにはどうすればよいのかについて,学ぶ事にとても価値を置いています.

ソーシャルワーカー養成課程の学生のように,作業療法士は,業務上待ち構えている困難や楽しさについて経験する職業実習に多くの時間を割きます.

私の意見ですが,他職種が互いの役割についてより多くのことを知ろうとすればするほど,私たちはチームとしてよりよく働く事ができ,また,クライエント(患者様)のために 働く事ができるのではないかと思います.


拙い翻訳を最後まで読んで頂きありがとうございました.
もしも,原文を読まれた方で,ここは「明らかに,おかしい.」と言うのがありましたら,ぜひご指摘いただければと思います.

宜しくお願いします.

最後に,内容を読まれてみて,いかがでしたでしょうか.
どのような感想を持たれましたでしょうか.
この文章を読まれた皆様がどのような感想を持たれたのか,個人的には非常に興味をもっています.
よろしければ,お手数ですが,コメントやツイート等でご教授頂けると,恐悦至極です.