今日は、作業療法士国家試験の合格発表でしたね。+その他

はじめに

ひろえもん、受かりました。

確認まだの方は、こちらから。

http://www.mhlw.go.jp/general/sikaku/successlist/siken09/hp09_11.html

すっかり忘れていた

新しい環境にむけて、いろいろ片づけたり、整理したりが頭の中いっぱいになっていて、今日だということをすっかり忘れてしまっていました。

ですので、確認したのは、ほんの30分前という…。

いかに、いっても、気が抜けすぎな気がします。自分でも。

ちゃんと、受かっててよかった。

就職について

ちゃんと受かっておりましたので。

この春からは、精神領域で働くことになります。

 

卒業について

そういえば、先日卒業しました。

 

おわりに

今後ともよろしくお願いいたします。

とてもとても便利な技術は、それを享受する生活やサービスにおける快適さの差を広げる。

はじめに

これをよんで思い出したこと。

じーさんばーさんとタッチパネル - 24時間残念営業

内容は、タイトルまま。数ヶ月前の話。

5分くらいで読めます。

とある都会の飲食店にて

とある日の午後のお昼時のことでした。

突然、猛烈に肉が食べたくなり、ふらりと知らない焼き肉店へ。

店の規模としては牛角などと変わらない広さがありました。

その店のユニークなところは、食べ放題メニュー飲みしか存在しないというところと、注文は机の上に置いてある注文専用のタブレット端末から、注文をする所でした。

iPadユーザなひろえもんにとっては直感的にわかる注文プロセスだったので特に問題ありませんでした。

そして、とくに問題を感じませんでした。

とある老夫婦が、入店されるまでは。

大混乱

見た目70代後半から80代前半な感じの老夫婦でした。農家をされているとのことでした。

旦那さんは控えめな感じで、奥様はその人の世話が生きがいという感じで共依存的な臭いを感じなくもない。(別に旦那さんがいろいろなことを自分でできないわけではなく、奥さんが次々と先回りしてやってしまうので結果として自分でできないという感じ。)

で、おくさまが、イニシアチブを発揮して、旦那さんにあれこれ聞きながら注文しようとした段になって、大混乱となりました。

まず、食べ放題のシステムが理解できない。

次に、タッチパネルを使用しての注文のやりかたがわからない。

奥さん、旦那さんに「おとうちゃんおさけは?」と聞いて、注文しようとするのはいいものの、全然注文ができない。

やり方がわからないのです。

奥様、仕方がないので店員にどうやって頼んだらいいのか教えてもらいました。

それはもう、懇切丁寧に、画面の切り替え方法から、数量指定の方法、注文確定の画面の出し方、その一連の流れについて、ゆっくり確実に店員さんが教えていらっしゃいました。

でも、結局その老夫婦は注文の方法に確信が持てないままでした。

結果、最後まで、自分たちだけで注文できませんでした。

実は、その店は、自分が店に行ったごくごく最近になってそのシステムを取り入れたらしく、以前にその夫婦がこの店を利用したときには、店員に対して普通に注文するシステムで、メニューも食べ放題以外のモノがあったそうです。

以前のような注文システムを想定していたために、老夫婦の混乱の具合も増していたのだと思います。

さておき、とにかく、注文の方法や料金体系について一つ一つについて確信が持てないため、一つ注文するごとにああでもないこうでもないと、非常に迷った挙句にきちんと注文ができないというそういう事態に陥っておりました。

つまり、一つ注文するたびに確信が持てないので、不安になっておろおろとしてしまうという、非常にストレスフルな状況下に置かれていたわけです。

食事を楽しむために飲食店に来ているにもかかわらず、非常にイライラとした時間を過ごされていたようでした。

その状況をなんだかなあと思いながら見ていました。

お手伝い

本来であれば店員の仕事なんでしょうが、機械導入に伴って接客専門の店員の数を削減したようで、ホールにはほとんど店員がいませんでした。

ので、老夫婦のサポートがろくにできないわけです。

ですから、仕方がないので、自分がサポートさせていただきました。

そしたら、奥様は、旦那さんに注文伺いをするごとに、こちらに注文の方法を尋ねてこられるようになりました。

つまり、「おとうちゃん、お肉は?」⇒「おにいちゃん、お肉はどうたのんだらええの?」の繰り返しです。

この質問は結局、注文の方法が慣れないものであることからくる不安が大本にあるものなので、何回注文の方法を丁寧にお教えしても、絶対にこっちに質問が来ました。

まとめて注文するという機能もあったので、それを使って注文をある程度まとめることで注文の回数を減らしましたが、結構、お構いさせていただいたようにおもいます。

店のサービスが残念だなぁと思うと同時に、文明の利器は凶器にもなりえると思った瞬間でした。

別の50台後半あたりの夫婦の話

さらにその隣の席に、今度はまた別のご夫婦が座られました。

その方たちは、さすがに、食べ放題のシステム自体は問題なく対応してらっしゃったのですが、やはりタッチパネル式の注文様式には非常に戸惑いを感じていらっしゃったです。

ですが、この方たちは、注文の方法について何回かご助言差し上げると、特に問題なく操作ができました。

操作性に確信が持てたからだと思います。

このことから学んだこと

大きくは以下の二つです。

  • 自分がサービスを提供するときは、自分にとって、とても便利なものが他の人にとっても便利であるとはかぎらないということを考えて提供すること。
  • 想定外のことが起こった時に対応ができるだけの、人的、金的、時間的余裕を以ってシステムを構築しないと、想定外に対応できない。

昨今の医療では、医療費が足りないという事が頻繁に言われておりますし、それは作業療法においても例外ではありません。

だからこそ、上記二つの教訓は、きっと今後の人生で生きてくるだろうなとおもってます。

おわりに

考えたこと、もうひとつ。

便利なものを便利に使うためには、どんなコトが必要か。

便利なものが沢山ありあまるほどにある昨今においては、こういう視点をもって、いろいろな道具について考えてみることも必要なことかもしれません。

「相手を思いやれない障害」の持ち主とどのように付き合っていったらいいんだろう。

はじめに

はてな増田にて気になる文章があったので、全文転載。

以下がそうなのですが、タイトルからして過激です。

記事本文ママ

どんなに会社の損失になっても辞めていただきたい

僕の職場に、鬱病になり一年休み、復帰してきた人がいる。闘病して復帰してきた、それも精神病だから、みんな腫れ物を触るようにやさしくやさしく扱っている。病気っていうのは健康な僕にはわからない大変な苦労だと思う。復帰するのは、本人だけでなく家族や周囲の協力あっての大変な努力であり、すごいことだと思う。

だけど。僕はあまり同情したくない。その人(仮にAさん(男)とする)は態度がものすごく傍若無人なのだ。病人だったとは思えないほど元気なのだ。(Aさんのプライベートをしらないから、もしかしたら職場でだけ無理矢理明るく振る舞っているのかもしれないが。。)

僕はみんなのやさしい態度には疑問を感じていたけど、病気から復帰したなんて先輩に聞くまで知らなかった。話を聞けば、うちの会社は母体は大きいが一つ一つの部署の規模は小さく、また専門職のため移動ができず、狭い人間関係と忙しい仕事の中でストレスが溜まり病気になったとのことらしい。

Aさんは頭がいい。みんなが知ってる有名国立大学の院まででている。だけど、人の気持ちに鈍感なところがあって、人を傷つけるようなことを平気でズケズケ言うし、常に自分は一番偉いし間違っていないという感じ。イライラすれば書類を机にたたきつけたり、舌打ちしたり、ドアをガッシャーンと閉めたりする。

ミスをすればなぜミスをし、どういう気持ちで仕事に取り組んでいるのか小一時間問いつめるし、分からないことを聞きに行けば、こんな事も分からないのか、お前は何年目だと叱責する。予定を立てれば批判ばかりして、Aさんの意見を聞けばそうやってすぐ人に頼ろうとするとまた怒鳴られる。あんまりにも理不尽だ、おかしい、とちょっとでも反発しようもんなら、100倍返しでまた怒鳴られる。(ちなみにこれは全部社員から見える場所で行われる)

僕は新入社員だから、何を言われても仕方がないと諦め、どんなひどいことを言われても黙って耐えてきた。だけどAさんは、新入社員のみならず、たとえ上司であろうと社内の人全員にそう言う態度をとる。本人は自分が地雷をドカドカ踏んでいることは気が付いている。しかし病気だった自分に怒るはずがない・意見を言うはずがない・高学歴の自分を切る訳がない。という自負がとっっても見える。

みんな、すっっっっっごいイライラしてる。だけど言えない、「病気だった」から。Aさんは、人から何か言われることに耐性がないから、言ったらすぐまた「病気」になってしまう。以前上司がどうでもいい雑務でAさんに注意したとき、Aさんは顔を真っ赤にして怒りながらたばこを吸いに行き、次の日には体の調子がおかしい・病気が上司のせいで再発したと怒鳴り散らして病院に行ってしまった。それにAさんはちょっとした風邪や、ただ転んですりむいても「鬱病のときみたいに大事になったら大変だ」とすぐ病院に行ってしまう。仕事を投げ出して。

僕はAさんに怒りしか覚えない。仕事ができるからと言って、周囲の人のストレスを考慮せず首を切らない会社にも腹が立つ。結局自分が悪役になりたくないから上司は彼を注意しない。僕がこんなに腹が立つのはAさんが病気になったところを知らないせいだ、復帰したのはすごい努力のたまもの、尊敬すべきことだ、Aさんは先輩だし仕事はとてもできるのだからすこしの言い方ぐらい目をつむろう。と毎日呪文のように言い聞かせているのだけれど、もう我慢の限界だ。Aさんは病気だったという事実を振りかざして、周囲の人を攻撃し怯えさせることで自分の身を守り、ぬくぬくした環境で生きているようにしか感じられない。

せめて自分が傷つきやすいのなら、どうして他の人に優しくできないのか。自分の痛みには必要以上に敏感なのに、どうして人の痛みに無関心でいられるのか。言われて嫌なことをわざわざ言って、言われたその人がどういう気持ちになるのかどうして想像できないのか。ものすごく周りに気をつかえとか、言葉遣い全て直せとか言っているわけではない。ほんのすこしの配慮でいい、考えればわかることだ。

これは病気のせいなんかじゃない、人が生きていく上で最低限持つべき思いやりだ。これができないのなら、社会になどでてこないで、自宅でひとり引きこもっていればいい。死ぬまで自分が一番だと思ってろ。(まあ、Aさんは奥さんも子供もいるのだが…)

いつまでもかわいい対象が自分だけで、他の人には無関心なまま自分を守り続けているようじゃ、永遠にあの人の病気は治らない。はやくあの人をクビにしないと、このままじゃ僕を含め周りの人の方がはやいところ病気になってしまう。

どうしたらいいんだろう

言ってることは、非常によくわかるんですよね。

他人を思いやれないのは、明らかにうつ病の症状ではないですが、これホントにうつ病なんだろうか、診断違うんじゃないかとか思わなくもないですが、パーソナリティ障害と併発しているんでしょうか。

あるいは、アスペルガー障害的なものなのかもしれません。

断定的なことは、いずれにしても上の文章からはうかがい知ることはできないです。

おわりに

近年、このような「他人を思いやることができない」ということを、障害の一つとしてとらえるという見方が一般的になって来ているように思います。

そのいっぽうで、まだまだこういった社会性に関連する不具合を障害としてみなすという考え方が十分に浸透しているとは言いにくい状況です。

また、たとえ、それが障害だと認められたとしてもそこから先が無いのも現状なのかなという気がしています。

その先の問題についての解決策が必要だと思いました。

脳卒中確率算定表登場!!生活リズムと健康、年齢について考えるきっかけになるかも。

はじめに

脳卒中になる確率を手軽に算出できる、評価表が発表されました。

HDS-Rなどと同様に、手軽に算出できるのが特徴。

発症確率の算出方法

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引用 10年間で脳卒中を発症する確率について -リスク因子による個人の脳卒中発症の予測システム- | 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部

その他概要

 40~60歳代の日本人が今後10年間に脳卒中になる確率を自分で簡単に予測できる算定表を、藤田保健衛生大学の八谷(やつや)寛教授(公衆衛生学)らの研究チームが開発した。

(中略)

算定表は、茨城、新潟、高知、長崎、沖縄の5県で1993年に40~69歳だった男女計1万5672人を平均14年間追跡した大規模調査に基づくもので、実際に脳卒中になった人(790人)の危険因子を調べ、発症確率を求めた。

脳卒中になる確率、簡単に予測できる算定表開発 (読売新聞) – Yahoo!ニュース

開発者からのコメント

「血圧や喫煙、肥満度、それに糖尿病の4つを改善すると、どれくらい脳卒中のリスクが小さくなるかも分かる。生活習慣を変えるきっかけにしてほしい」

脳卒中のリスク分かる計算式開発 NHKニュース

より詳細な情報

こちらよりどうぞ。

10年間で脳卒中を発症する確率について -リスク因子による個人の脳卒中発症の予測システム- | 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部

おわりに

冒頭にも挙げたように、非常にシンプルで使いやすいので、普及する気がします。

作業療法で直接使用することがあるかどうかはわかりませんが、知っておいて損はないかもしれません。

アルツハイマー型認知症の治療法の最先端二つの紹介+α

はじめに

アルツハイマー型認知症は、現在社会的な問題として認知され、TVなどで日常的に取り上げられています。

作業療法士協会も、認知症に関する取組みをいくつか行っているようです。

さて、現在のところ、アルツハイマー型認知症は進行性の疾患で改善が難しいとされています。

そのいっぽうで、徐々に改善効果が期待できる治療法も登場しているようです。

ネットの記事で同時に2つ見つけたので紹介します。

一つ目:脳に『ペースメーカー』を設置する

情報源:‘Brain pacemaker’ may slow effects of Alzheimer’s – TODAY Health

このペースメーカというのは、厳密に言えば比喩的な表現なのですが、脳に電気的な刺激をコンスタントに与えられるように、外科的な手法を用いて機械を取り付ける治療法だそうです。

この機会の電気刺激によって、神経細胞の委縮や変性を防ぐことができる可能性が明らかになってきているようです。

アメリカの事例では、症状に確実な改善が見られたとのことです。

2つめ:アミロイドタンパクを酵素で分解

情報源:アルツハイマー病の血管からの投与による遺伝子治療実験に成功:報道発表資料|2013年 プレスリリース|理化学研究所 (2022年9月24日現在 リンク切れにてよめません)

アミロイドタンパクが原因とされるアルツハイマー型認知症。このアミロイドを分解する酵素「ネプリライシン」に着目した治療法。

この酵素を産生する遺伝子を、ウィルスベクターを用いて神経細胞に取り込ませることによって、症状の改善を図るというもの。

そういえば、ウィルスベクターは、山中先生がノーベル賞を受賞することとなったiPS細胞の作成にも使用されていましたよね。

今回の発表において、画期的な点は、このウィルスベクターが神経細胞だけに働くようにすることによって、血管に投与するだけで効果が得られることです。これによって、以前のように外科的手法を用いることなく、標的とする脳神経、脳組織にのみウィルスベクターを働かせることが可能になると期待されています。

まだ、マウスを使用した実験段階ですが、コストや安全面の問題が解決されれば十分臨床応用が期待できそうです。

おわりに

現在は進行性のアルツハイマー型認知症。

その治療の常識が変わるその日が待ち遠しいですね。

効果の次第によっては、アルツハイマー型認知症に対する作業療法やリハビリテーション、福祉、行政の在り方も大きく変わるかもしれません。

追記:

こんなものもありました。

Neurotrack to Detect Alzheimer’s Years Before Debilitating Symptoms Appear Wins SXSW Health Prize : Science/Tech : Counsel & Heal

アルツハイマー型認知症の事前診断法についての記事です。

「行動が人の内面に影響する」という論をプレゼンテーションで学ぶ

はじめに

またTEDです。

関連:

脳血管障害当事者の内的体験を動画で学ぶ

自制心をどのように制御するか、あるいは、誘惑に対してどのように立ち向かうのかという話(TED Talksから紹介)

社会学者からみたコミュニケーションと、その具体的な行動、それらについての研究についてのプレゼンテーションです。

「自分の行動に自分自身が影響されますよ」という驚くべき内容です。

内容の要約

私たちのするボディランゲージは、自分に対する他の人の見方に影響しますが、自分自身の見方にも影響します。社会心理学者のエイミー・カディは、自信のないときでも自信に溢れる「力のポーズ」を取ることで、脳内のテストステロンやコルチゾールのレベルが変化し、成功できる見込みも変わるのだと言います。

みて思ったこと

実は、内容自体には驚きはありませんでした。

なぜなら、作業療法では、認知行動療法とよばれる手法を使うことがあります。

認知行動療法にはさまざまなものがありますが、「人間の行動がその人の精神に影響を与える」ことを前提として、人間の行動を治療に利用しようというものです。

それを、あらかじめ知っていたので、新しさと驚きという面においては、インパクトは少なかったのですが、認知行動療法が有効な治療法であるということを示す、一つの根拠になりえる、そんなプレゼンテーションだなぁと思いました。

おわりに

ご紹介した動画はこちらから見ることができます。

エイミー・カディ 「ボディランゲージが人を作る」 | Video on TED.com

内容が素晴らしいだけでなく、とても感動的なプレゼンテーションです。

認知運動療法や作業療法との関連から重要な内容というだけでなく、日常においても使えるテクニックだとも思いました。

自分がすこし意識して行動を変えるだけなので、ものは試しでやってみると自分が意識していないうちに自分がいろいろ変わるかもしれません。

例の麻生中学校入試問題「ドラえもんは生き物か」の評価から見えるもの

はじめに

まず、麻布中学校の「ドラえもんは生物か」問題についてですが。

詳しくはこちらをご覧ください。

麻布中学の入試で出題された「ドラえもん」問題が話題に-NAVERまとめ

このブログでは、以前この問題について生命倫理と絡めて、記事を書いたことがありました。

生物と無生物の境界線、あるいは生命倫理一般の根源について-OT戦士ひろえもんの雑記帳

さて、今回は、論理とかその辺とは別の観点から、この問題について思うところを述べてみたいと思います。

この問題、実はそんなに難しくない

ここにも書いてあります。

「この問題は見た目こそインパクトがありますが、それほど難解ではありません。合格ラインに乗せるには、この問題を落としてはいけません。ある意味、このドラえもん問題が合否を決めるモノサシだったと言ってもいいでしょう」(松谷さん)

麻布中学「ドラえもん問題」の真相 :PRESIDENT Online – プレジデント

哲学的なテーマの問題として考えると難しく感じてしまいますが、実はそうではなくて、ただの国語の問題として考えると、あっさり解くことができます。

この問題は、国語の問題を解くときに必要なルールを理解しているかどうか、すなわち、提示されている情報を根拠にして問題に答えることができるかどうかという、その能力があるか、それを問うている問題であると言えます。

つまり、ドラえもんの特性については、あらかじめ述べられており、ついで、生物を定義する要素についても3つの要素が述べられている。これら二つの情報を組み合わせて、「どらえもんは生物でない」の根拠となるような文章を作成しなさいという問題だということです。

要するに、問題を解くのに要求されているのは、ある程度の読解力と、三段論法的な論理力であると言えます。

名門中学校の入試レベルとしては、そんなに難しい問題でもないし、他の問題と比較したときにはむしろ簡単な部類の問題と言えます。

良問か、悪問か?

これについては、散々、いろいろなところで議論されていたことです。

ひろえもんは良問だと思っています。

見た目のトリッキーさに惑わされず、きちんと、ルールにのっとった解答ができるかどうかという、その能力が良くわかるからです。

同じ意見の例としては、こちらがそうです。

2013年麻布中学校入試問題についての意見と生物学専攻学生の解答

麻布中学校の「ドラえもん問題」は入試問題としては妥当な範囲に入っていると思う | ただの通りすがり

ですが、これを悪問としてみなす人も、結構いらっしゃるみたいでした。

大体以下のような意見

  • そんなものに答えはない
  • ドラえもんを知らないと、答えられないのではという懸念
  • 理科で出す問題ではない

この中で気になったのが、一番下の「理科で出す問題ではない」の部分。

これを最初に目にしたときには、おもわず「うーん」とうなってしまいました。

論理的思考は前提として良いのか?

世の中には、当たり前のように論理的思考を使う人々がおります。

その一方で、これがどうにも苦手という人は少なくありません。

最近では、できない人の方が世間一般には多いような気さえしています。

今の世の中は、その気になれば、きっと、論理的思考とは無縁のまま、一生を終えるコトが可能な世の中です。

直感的な感性と、コミュニケーション能力だけでも、きっと十分にやっていけるような気がします。

でも、このあたりの話が、結構、学力的な格差に直結しているような気がするのです。

この問題をどのように評価するのかということが、そのあたりについての考え方を大いに反映するように思えます。

おわりに

こんなのもありました。

麻布中学入試ドラえもん問題(1):ドラえもんは知的生命体ですよ

ごちゃごちゃ書いていらっしゃるんですが、時間があればどうぞ。

臨床場面においては、論理的思考というのは作業療法を行っていくうえで大切なものだと思います。

養っていけるといいなあと思います。

加齢とライフステージと、余生と。

はじめに

「年を取ると、心細く感じる」

と、祖母が言いました。

また、もう一方の祖母も、こんなことを言いました。

「昔は、自分の子供に対して、『かわいい』という言葉を投げかける老人に対しては、『そんなお世辞をいって』という感想を持っていた。若いのが羨ましかったんじゃないかな。自分が年を取って思う。」

で、こんな記事がありまして、読みまして。

伸びたのは「余生」であって、「若さ」ではない – シロクマの屑籠

思いましたこととか。

ライフステージとは

人の人生を、便宜的に区切るための考え方です。

たとえば、少年期、青年期、壮年期、老年期などといった分類があります。

このライフステージという考え方は、さまざまな場面で使用されています。

たとえば、マーケティング用語として使われる場合には、ターゲット層の特徴を浮かび上がらせるために使用されたりします。

作業療法学の中では、このライフステージの概念はとても重要なものであるとみなされています。

なぜなら、その人の人生の文脈を踏まえて介入をする時に、年齢とその人が置かれている状況、今後の展望などの関係についてしっかりと検討することが、個人の特性に応じた介入を行うために必要不可欠だからです。

そんな、重要なライフステージなのに、どうも何歳以上が老年期、とはっきり決まっているわけでもないですし、なんとなく緩い枠組みの中でそういう考え方を適用している部分があるように思います。

とくに、この言葉が日常生活で使われる場面において、ひろえもんは、以前からどうも、壮年期と老年期の境目がぼやーっとしていると感じていました。

でもそれは、何も壮年期と老年期の境目だけに限ったことではなかったのかもしれません。

青年期の終わりと壮年期の終わり

青年期というのは、一般にモラトリアム的なものとみなしていいと思います。

モラトリアムというのは、本来、子供が大人になるまでの猶予期間のことです。

が、最近は30歳になってからもういっかい成人式をやってみたりするところもあり、「20歳を超えたから大人」というわけでもなくなってきているのかなという感じがします。

そんな世の中なので、自分が「大人になったな」と実感を持つ頃には、いつの間にか人生の壮年期の後半部分に突入している、なんていう恐ろしい自体が巻き起こったりするかもしれません。

人生のフェーズ

 健康管理を話題にしはじめるのは、人生のフェーズが切り替わった証かもしれない。

 伸びたのは「余生」であって、「若さ」ではない – シロクマの屑籠

人間、年を取ったなと実感するのは、精神的な衰えよりもやはり、肉体的な衰えを実感するときのような気がします。

すくなくとも、ひろえもんの周りの人はみんなそうです。

それを考えると、上の文章には妙に納得させられるものがありました。

そして、下記の内容は、なんだかとても重要な何かを提示しているように思います。

  ともあれ、不惑が迫ってくるにつれて、冗談抜きで人生の後半戦っぽさが感じられるようになってきた。同世代諸氏もきっと同じだろう。思春期の延長がいわれ、平均余命も伸び、若作りアイテムが町には溢れている。でも、そんなの関係ねぇ。思春期が延びた伸びたと言うけれど、人生の後半戦が先送りされたわけでも、生物としての加齢が伸びたわけでもない。老いているのだ。立場や責任を負わずにいられないのだ。自分自身のためにも周囲の人達のためにも、綱渡りのように、そろそろと生きていく必要がある。

from 伸びたのは「余生」であって、「若さ」ではない – シロクマの屑籠

人は死ぬ

それは、きっと

「人は、(いくら幼さを装おうと、若作りしようと、)いずれ老い、死んでいく」

という事なのかなと思います。

人は、できることなら、ずっと若くありたいと願うと思います。

その理由は、死を自分から遠ざけたいと思うからではないでしょうか。

そして、ライフステージの境界線をあいまいにすることによって、ついつい、死を遠ざけてしまいがちです。そして、若くあろうと努力をします。

が、その結果として死に向き合うことができないというのはある意味においてはとてももったいないことなのかもしれません。

なぜなら、残り時間を意識して時間を使用することから、自分を遠ざけてしまうからです。

もちろん、死ぬまでの人生を自分なりに日々の充実した繰り返しの中で生きるのもまた人生だと思います。

しかし、それとこれとは別問題です。

死の意識

年老いればきっと誰しもが聞くことになるものだと思います。

その時に「はた」と気づくのか、あるいは、自分の人生の先輩からそのことを学ぶのか。

出来ることなら、誰かから事前に学ぶことができた方が幸せなのかなと思います。その足音に若い自分から備えておけるというのは、ありがたく、幸せなことなのかなと思います。

「ライフステージ」という考え方と普段からしっかりと向き合っておくこと、そしていろいろな人と知り合う中で、自分なりの尺度や価値観をしっかりと持っておくことが必要なのではないでしょうか。

そして、その考えが自分の中でゆるぎない方が、作業療法の中でも「ライフステージ」という考え方を、ぶれずに使用できるのかなと思います。

そしてそのためには、「死の意識」を持っておくことが重要なのかなと思います。

そのはじめの第一歩は年を取っていく自分についてイメージをするという事なのかなと思っています。自分がどのように加齢していくのか、そういったことに対するイメージをリアルに持っておくことは、とても大切なことのような気がしています。

おわりに

いろいろな人生があって、その個人の人生の中にもいろいろなライフステージがあります。

きっと、今の社会のライフステージは昔ほど、はっきりしていません。

それでもいずれ必ず訪れるモノは昔と変わりません。

本来シームレスな人生を無理やり区切っている点でナンセンスなのかもしれませんが、それでも、自分がこれからどういう風に年を重ねていきたいのか、そのためにはどうしたらよいのかは、ふとした時にでも考えていきたいなと思っています。

意識していないと、いつの間にか歳を重ねてしまいそうな気がします。

そして、そのことがきっと、作業療法においても何らかの参考になるのではないかと期待をしています。

半年前のひろえもんが考えてた、作業療法士に要求される要素について

はじめに

えー、就職伴いまして、例に漏れず、引っ越しをしなければなりません。

ので、今住んでいる部屋の後片付けをしなくてはなりません。

一日の大半を部屋を掃除しして過ごしています。

いろいろなメモ書きとか何とかが出てくるので、なかなかはかどりません。

そのなかの一つなのですが、半年前くらいに「作業療法士に必要なもの」的なものをひろえもんが考えて、メモした物が出てきました。

自分で読んで、ふむふむと思ったので、記事にして残しておこうと思います。

以下、ノートママ

ノートの内容

今までの自分の体験や、知識を踏まえて「こんなことが必要なんだなぁ。」と思ったことについて。

・リハビリテーションにエンターテイメント性を追加すること。

相手に合わせて、面白さを演出する。どのようなことが面白いのか、どのようにしたら面白いのかを探究する。

・相手に、深いレベルで共感すること

前提となる条件をしっかりと共有すること。相手の立場になって考えるとは。

・知識を常に更新すること

基礎医学の知識や、その臨床的な応用の方法について知ること。

・典型的なものについて、その実際を幅広く知っておくこと。

ありとあらゆるものへの知的好奇心。

・情報処理能力

・コミュニケーション能力(さまざまな人とつながる力)

多職種、他業種、地域の人、役所の人、政治家、経営者、労働者。どんな要素を持っている人とでも繋がれる人間力。

・発言力

相手に、自分の考えていることを相手が理解できるように伝える能力。

・関係省庁の発言や動向にはきちんと興味を持つこと。

関係省庁の人間に知り合いがいるといいなと思ったり、思わなかったり。

おわりに

半年前の自分に申し訳ないのですが、正直、書いたら書きっぱなしになっていました。

ここに書いてる内容が、しっかりと実践できるようにしていきたいなと思います。

炎症「火付け役」の白血球、実は「火消し役」としても働くことが判明。国家試験の問題も、これを踏まえた問題が出るようになるかも。

はじめに

炎症のメカニズムについてです。現在、生理学の教科書には書かれていない内容です。

白血球は、炎症の発生段階だけでなく、収束段階においても、役割を果たしていることが確認されたようです。

東京医科歯科大の烏山(からすやま)一教授(免疫アレルギー学)のチームがマウスの実験で確かめたそうです。2013年の2月21日付の米科学誌イミュニティ(電子版)に掲載されています。

内容

 アレルギーは、本来有害ではない花粉などを敵だと思い、白血球などの免疫反応が過剰になって炎症が起こる現象。しかし、アレルギー性炎症を抑制・終了させる仕組みは十分解明されておらず、治療の大半は対症療法となっている。

チームは、慢性アレルギー炎症を起こしたマウスの耳の細胞で、さまざまな種類の白血球の動きを調べた。その結果、細胞内で炎症を起こす白血球の「炎症性単球」が別の白血球の指令を受けて、アレルギー物質を取り込んで壊す「火消し役」に変わっていることが判明した。【斎藤有香】

感想

炎症は、外来、入院問わず、非常に身近な出来事だとおもいます。

今回の研究は、非常に重要な知見なのではないかと思いました。

おわりに

この新しい知見に基づいて、アレルギー疾患の新たな治療法の開発が期待できそうですね。

現在対処療法が多いようですが、これをきっかけにどんどん研究が進めば、現在難病に指定されているような、リウマチなどの疾患の治療も大きく進歩するかもしれません。

http://www.jst.go.jp/pr/announce/20130222/

http://mainichi.jp/select/news/20130222k0000e040155000c.html