作業療法のエビデンスってなんだろう?統計学を改めて学んでみると良いかも

最近、ふと統計学について勉強しなおしております。

そしたら、あらためて、統計学についてキチンと勉強しないといけないなあとその必要性をつよく感じています。

たとえば、エビデンスベースドOTなんていわれる昨今ですが、論拠となる論文はどうやって作ってるのか。

そこをしっかりとわかっておくことが必要だなあと感じています。

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作業療法士が書く論文や消費される論文の割合は事例報告が多いように感じています。(エビデンスはありません笑

そんな先入観に基づいて考えてみましょう。

もし、事例報告の割合が過度に高いとするとそれはとてももったいないことだと思うのです。

もちろん、「こういう現象がありました」「こういう治療構造が示唆されました」というのはとても大切な報告です。

しかし、その報告はキチンと積み重ねて検証されて、エビデンスのレベルを高められるとよりよいのになあと思うわけです。

それは、作業療法士以外の人から「作業療法はなんでそういうことをしてるの」と問われた時のインスタントな答えを提供するものでもあります。

そういう答えが、キチンとあったら便利じゃないでしょうか?

ぼんやりとした正しさが、「こういう場合には正しい」といえるようになることには意味があると思います。

統計学は、そういった確からしさが本当に存在するのかを確かめるための手段としてとても強力なツールでありますんで、勉強できる機会にしっかりと勉強しておくべきだなあと、学び直してみてかんじるところです。

そして、大学とかの研究者が研究に対して協力を呼びかけたときに、その研究の有用性や有効性を一人一人のOTが判断して、より重要性が高そうだというものについてリソースを費やすことができるようになるのが理想かなあとおもいます。

参考:

統計学が最強の学問であるーデータ社会を生きぬくための武器と教養

豊かな社会は、きっと「誰かのために」の積み重ねから

人が喜ぶことをする人が沢山いる社会は、沢山の人を喜ばせるポテンシャルを持っている。

たとえば、誰かのために美味しいものを作りたいという思いを持った人が沢山いる社会。

そこでは、沢山の人が彼らの作った料理を楽しむことができ、笑顔になれる可能性が高い。

「情けは人のためならず。」という言葉があります。

それも間違いではないとおもいますが、やはり行動原理が「利」のみに偏っているような気がしてしまいます。

それとは違う、「仁」や「義」を重んじるような人が沢山増える社会は、きっと過ごしやすい社会なんだろうなと思います。

自分のことを自分が気にしなくてもいい。

自分のことは周りが面倒見てくれる。

自分は相手のことだけを考えていれば、周囲が自分の事はなんとかしてくれる。

だれも守りに入らなくてすむそんな社会。

みんな外向きで、誰かのため、何かのためにみんなが何かをする世界。

それはきっと、活気があって、みんなが「元気だ」と思えるような世界。

そんな社会を作っていくために、作業療法士や作業療法は何ができるだろう。

もし、そんな社会が作れたら。

「他人のために」

が巡り巡って、自分のためになる。

あれれ

そしたら、自然と

「情けはひとのためならず。」

今日のためしてガッテンでストレッチの落とし穴を知る

ストレッチに動的ストレッチと静的ストレッチという概念があることを知らなかった。ああ、恥ずかしい。

ストレッチの目的は怪我予防。

筋力と柔軟性の両立が大切ということが分かってきたと。

静的ストレッチの後で、動的なストレッチが大切になると。

ストレッチをすると、柔軟性が向上する。

それと引き換えに、大切な能力が低下する。

筋力、瞬発力が低下する。

理由はこんな感じらしい。

なるほど。

自分の経験上は結構納得のいく結果かもしれない。

ストレッチをしない方が、走り高飛びの結果が良かったなあというのは、実は実感しておったところなんで、そこは正しかったのだなあと納得する

ブラジルのアロンガメント・ジナミコなんてきいたことなかったなあ。

と思いながらみていると、ウォームアップやってたなあと。

ふりふりストレッチいいですね。

筋肉はお餅のようというたとえも、生理学の難しい知識を持ち出す訳でもなく、単純なイメージで伝えられておもしろいですね。

こっそり作業療法.netの公式LINE@を作りました

おそるおそる運用開始。

セキュリティが万全じゃなかったらどうしよぅ…って、プライベートばれないか戦々恐々ではありますが、あたらしい物好きなので困った物です。

いま、IT界隈でちょっぴり話題のLINE@なるものをしてみることにしました。

いわゆるLINE公式アカウントのような機能が先日から無料で自由に作れて使えるようになりました。

Facebookページともどもの情報発信に利用したり、作業療法.netを利用して下さっている皆様とのやり取りのツールの一つになればと思います。

既にLINEを利用されている方、あるいは、これから利用してみようかなという方は、是非下記から友達登録していただけると励みになります。

よろしくお願いします。

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QRコード

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ちなみにID検索して下さる場合は「@ot.net」です。

IDの先頭に@マークが着きますのでお間違いの無いよう、よろしくお願いします。

今日は山根寛先生の退官記念の日だった模様

そして。

ひろえもんは今日も今日とて、勤務でした。

が、会場の素敵な雰囲気は、Facebookに上げて下さってた人がいてなんとなーく分かりました。

ありがとうございました。

でもでも、ぜひぜひもう少し詳しく知りたいので、もしも行かれた方がおられましたら、情報提供お待ちしております。

よろしくお願いします。

作業療法士が勉強会をするときには、実施前に狙いたい結果を目標設定として掲げるべき

勉強会が始まる前に、「この勉強会の目的って何ですっけ?」と尋ねるのが良いかも分かりません。

作業療法士が複数人いる職場ではよく、部署内研修といいますか、事例検討会みたいなことをすることが多いとおもわれます。(ひろえもん調べ

ちなみにうちの職場にもあります。

カンファレンスがなんとなーく情報を上げて検討するだけの場所になってるとしたら、もったいないなあと思いながら、この文章を書くことにしました。

自分のことなんですけどね。

勉強会にもいろいろな性質の物がありますよね。

対象者の方に対するプログラムや介入の切り口を検討するものであったり、

現在行っているプログラムの効果や結果について検討するものであったり、

はたまた、あたらしい概念や知識を勉強してみるためのものなのか

そして、そこには、勉強会の主催者が狙っている目標や、目的というのがきっとあるはずです。

自分が勉強会をさせていただくときには、かならず、「今日はみなさまとこんなことを共有したいと考えています。」というメッセージを語ってから本題に入るようにしています。

ですが、そうでない勉強会もあるにはあります。

とりあえず始まって、いつの間にか終わっている。

手渡された資料を眺めているうちに、いきなり「こんなことについて話し合って下さい」と言われる。

などなど。

そんなときには、話が何処に向かってるのか分からずに迷子になってしまうことも多々あります。

「まるで、痴話げんかをする男女のように」

といったら言い過ぎかとは思いますが、お互いイメージすることが違いすぎて噛み合ず、いたずらに時間を消費するだけになってしまうこともあるように思います。

そうならないためには、その勉強会で全員がどんなことをして、その結果としてどんな成果が得られることを狙っているのかということについて、やはり明確にしておくことが大切なのではないでしょうか。

作業療法士がプログラムを立案するときには、きちんとゴールを明文化するはずです。

多分それと同じプロセスが、作業療法士の勉強会にも必要ではないでしょうか。

きちんと結果のでない勉強会をするくらいなら、1秒でも多く患者様に関わっていた方がマシですから。

もちろん、きちんと目標設定していたとして、狙っていたことと違う結果が得られる事自体は何の問題も無いし良いことだと思います。

以上。

作業療法士が地域に出るための作業療法士自身の課題

作業療法士はもっと地域に出ないといけないと言われていますが、なんとなく難しく考える必要はないのかなと思ったので、自然に地域に出るにはどうしたらいいかをイチ作業療法士が考えてみました。

地域行事への参加率を振り返る

みなさま、近所や地域の活動にどの程度参加しておられますでしょうか?

もちろん、職場のつながりでもかまいません。

個人単位でのつながりでも構いません。

たとえば、町内会での活動にどの程度関心を持っているでしょうか。

ひろえもんはいわゆるゆとり世代で、地域の活動にもあまり関心を持たないままに成人した人間です。自分では自分をそのように評価しています。

そして、地域のボランティアや、教室などの活動に出るようになったのは、就職してからで職場での働き方に大きな影響を受けていることは間違いありません。

地域行事へ参加してよかったこと

学生時代は、あまりボランティアに対して積極的ではありませんでした。

しかし参加してみないとわからないことはたくさんあると感じました。

地域での具体的な活動に参加する中で、地域社会や文化のレベルで、具体的に見えてきた課題や「こうなったらいいのにな」という希望などもでてきました。

病院で働きたい人の方が多い?

まだまだ、病院ではたらく作業療法士の割合が高いと言われています。

これは、病院の作業療法士が足りないことも一つ大きな理由です。

つまり、病院が求人を出すこと、それに応じる作業療法士が多いことが病院で働く作業療法士の割合が高い状態を作り出しているのではないかと思います。

それ自体は、良い悪いというものでもありません。

強いて言えば、作業療法士の数が絶対的なニーズに対して不足していることが問題といえると思います。

そこには給与面的なものもあろうかと思いますし、病院という比較的安定的な枠組みで働きたいと考える作業療法士の方が多いということかもしれません。

働く場所の偏りは、ちょっと問題

しかし、このまま作業療法士を病院が抱え込んでいる現状が継続し続けるのは問題だと思います。将来的には、作業療法士は対象者の生活の場で働く存在になっていかないといけないのではないかと思っています。

それは、色々な作業療法士の先輩方も言われているように、作業療法士の仕事の内容は生活の場でこそ輝くものであると思うからです。

作業療法士の働き方が生む結果を最大化するためには、地域で働く方がより合理的ではないかと思うのです。

自分の住んでる地域に関心を持とう

より多くの作業療法士が地域で働くようになるための最大のポイントなんでしょうか。

それはは、作業療法士一人一人が自分が居住する地域に、具体的なレベルでの関心が持てるかどうかだと思います。

生活の場とは、単に家の中だけのことをさすのではなく、その人が住んでいる地域を含んだひろいものです。

そして、リハビリテーション職として、その人が復権する場所はどこのどういう場所なのかということについては、プロフェッショナルとして強く関心を持たなければいけないと思っています。

病院にいるのみでは見えないことが、確かにあるということ

とはいえ、病院で働いていると、院内での仕事に追われてなかなか外に目を向けることが難しいのも事実です。

この現状をなんとかしないといけないというのが、現代の作業療法士に科せられた大きな課題であると思っています。

作業療法についての知識や経験を深めるうちに、「地域いいなー」とおもっておられるOTRの皆様におかれましては、ご自身の経験を、是非地域での活動にも活かしていただきたいと思います。

また、OTSの皆様も自分の学校や故郷を取り巻く環境をボランティア活動やそれに類する活動を通してしり、得たことをどんどん発信して、いろいろ問題提起をしていただきたいなと思います。

たぶんその積み重ねが、作業療法士が地域に出て行けてない現状を少しずつ打破していくことに繋がっていくのではないでしょうか。

参考書籍

なお、以下の書籍が、一歩を踏み出す手助けになるのではないかと思うので、なんとなく紹介します。

参考:1%の力

対象者だけでなく、家族や他職種をプログラム内に引き込むことでより効果の高い作業療法が行えるかもしれない

ずいぶん前から、リハビリテーションでは、他職種連携が必要といわれています。

連携とは、具体的には情報のやり取りが円滑に行えることによって、ムダなく、ムラなく、ムリなく、対象者の方が社会生活に復帰できるための動きが出来ることだと思います。

言うまでもなく、本人のやる気を引き出し、プログラムに集中してもらうことによって作業療法の効果はよりいっそう高いものになります。

しかし、そこに家族や他職種との連携が加わることによって、さらに効果を高めることができます。

なぜなら、作業療法としての関わりはいつか終了するものであり、その後に対象者の方を支えることになるのは、これらの人々だからです。

作業療法士だけで、プログラムの実践を完結させるのはとてももったいないなと感じています。

今年に入ってから参加した事例検討会においても、退院後を見据えて社会復帰を効果的に支援する為には、その人の周囲の環境に対する働きかけが必須になるという趣旨の発表がいくつか聞かれました。

当たり前のことかもしれませんが、これが当たり前にできることがこれからの時代のOTには求められ、それが出来ない作業療法士には厳しい目が向けられるようになるでしょう。

また、ITの効果的な利用も、効率的な情報共有のためには必須になっていくことと思います。

ひろえもんも、そうした部分での勉強をしっかりと日常業務の中で、実践を通して重ねていきたいとおもっています。

作業療法士はもっとリハビリテーションの理念・概念を多くの場で語るべきかもしれない

リハビリテーションの概念がまだまだ一般的でないかもしれない。

先日、リハビリテーションのページを作成しているときにそのように思いました。

先日作成したページ:リハビリテーション

ひろえもんは、日常業務の中で「どうして、そういうこと(プログラム)をするのか」と、他職種から尋ねられることがあります。

そういった場面で、そのプログラムの意図や期待することについて、個別に説明することが多いです。

しかし、それだけではそのベースにあるリハビリテーションの考え方については十分に伝えることが出来ていないのではないかと、ふと思いました。

作業療法士がおこなっていることや行おうとしていることが、普段の日常業務で他職種から不思議に思われる理由はきっとその辺りにあるのではないでしょうか。

作業療法士がやっていることの意味は、リハビリテーションの文脈に基づく物です。

これは目に見えるものではありませんし、プログラムの内容によってはすぐに効果があらわれるモノばかりではないと思います。

普段から、作業療法士が職場で自分たちの動き方の根底にある考え方をしっかりと明らかにしておけば、周囲からの積極的な協力も期待できるのではないかと思います。

きちんと、リハビリテーションについて自分なりの言葉で、簡潔に分かりやすく説明できることが、作業療法士として働く上でまず必要になるのかなあと思います。