「ゾンビ細胞」で検索流入がめちゃくちゃ増えたので、理由を調べたら、違う意味で使われるようになっていたのが原因だった。

本日は余談です。サイト運営上のおもしろかったことです。あんまり作業療法関係ないです。

検索流入ワードに「ゾンビ細胞」が急上昇

このサイト「作業療法.net」は、

今現在大して検索流入ないので、急に検索が増えると検索ワードが明確にわかるんですね。

しかもそれが変なワードだったりするので面白い。

今回そのワードが「ゾンビ細胞」。なんじゃこりゃ、おもしろい。

とおもったので、調べたので、余談としてたのしんでください。

検索数が急上昇した当サイトの「ゾンビ細胞」の記事

検索流入が増えてたのはこちらの記事です。

ということで、記事をよんでいただければ、このサイトで紹介していたゾンビ細胞は、細胞の死後も形が崩れないで、細胞の形が保てるようにしてある細胞のことであると言うことがお分かりと思います。

今回の「ゾンビ細胞」の検索原因はこちら

あくまで、ネットで調べてみた結果ですが、十中八九間違いないと思います。

https://www.ntv.co.jp/sekaju/articles/428lgvieu419re1xdhy.html

ということで、今回は、「体の中で本来代謝されて消えていくべきなのに存在し続けてしまい、ゆくゆく体にダメージを与えたり、命に関わる場合もあるような細胞」という意味になっていました。

今回の検索急上昇の実際について

造語を作ったら、以前に同じ音の造語が作られていたケース。

しかし、以前の造語が世の中から忘れられていて浸透していなかったためにこのような現象が起こったものと思われます。

同じ意味のつもりでも実は違うことがある

調べたら、全然違う意味で使われていたことがわかりました。

検索ワードの意味が変わるというのはおもしろい現象だなあと思ったので、書き留めておこうと思います。

「ポイントカードはお餅ですか」

という有名な古典がありますが、それに通じるものがあるようにおもいます。

自覚がないだけで、日常生活においてもこのような齟齬が起こっている可能性を常に考えながら、生きていきたいものです。

【成功例?】昨年実習指導させてもらったOTSからの貴重な意見も含めた、実習指導についての個人的ノウハウのまとめ

備忘録です。今後とも、いち作業療法士として実習生を指導させていただく機会があるので、OTSを指導する側のOTRとして言語化を試みます。

作業療法士の側に、確かな臨床技術と、「しょうがないやるかあ」くらいの最低限のモチベーションがあれば可能な方法だと思います。

まえがき

本当はちゃんと論文にして発表すればいいんでしょうけれど、面倒くさいのでネットでいいやと思いました。

ただし、自分なりに誠実に書いてます。

実習での体験はおそらく、実習生のその後の人生を大きく左右します。自分の一挙手一動が、実習生の考え方になんらかの影響を与えます。そのへんは、いち作業療法士として妥協してはいけないところだと思います。

実習生指導に死ぬほど悩んだ去年までの自分と、今回も悩むであろう今年の自分と、どうせこまることになる将来の自分と、悩みを同じくするみなさまへ、参考になりますようにという祈りを込めました。

特にコロナな日々で、なんでも密にならないように、負担が軽くなるようにという方向で物事がすすんでいくようですので、そのあたりも踏まえて実習指導していければいいなとおもっています。

筆者背景

ここに書いていくのは、もうおわかりのとおり、あくまで個人的体験談に基づく情報でn=1ですから、大したエビデンスにもなりません。

しかし、私の個人的な背景については多少説明が必要と思います。

作業療法.netの中の人、ぼくhiroemon。サラリーマンといいますか、一応組織に属して働いておりまして。いろんな案件が、天から降ってきます。

すると、時に実習生OTS指導のお鉢がまわってくるのであります。

近しい同僚には、こっそり申し上げるところなんですが、「正直、学生の実習ができるような人間ではない。」と生来の自分自身については評価を下します。

ですが、組織人の辛いところは、向いているいないにかかわらず好む、好まざるにかかわらず、実習指導をしないといけない時がくるのでございます。

なにより、学生は実習担当OTRを選べません。かわいそうに。私なんかのもとに回されて、という感じです。

本当に、日々作業療法士の卵たる、学生さん相手に一生懸命教育しようと試みる先生方には本当に頭が下がる思いです。学生時代の自分みたいな学生が来たら本当に困るなあと思うので、私に教育は無理と自負しております。無理というか。

「何がなんでも、教えてやりたいというモチベーションが低い」というのが正しいでしょうか。

ですが、一応、本人にやる気がある学生にはとことん報いてあげたいし、そうすることでOTSの成長が加速すればそれはやがて、その人が関わる患者様が高い質のサービスを提供されることにつながるし、ひいては作業療法自体の全体の質の向上につながると思っています。

作業療法士が、OTS実習生指導で特に困る状況の一般論

じゃあ、実習で作業療法士と学生とが、どんなことに困るのかということを考えて対処法も考えておけば、ある程度スムーズにこなせるのでは無いかと考えました。

上記のような感じで作業療法士として働くうちに実習生を指導する機会に恵まれることがあります。

作業療法士側が好む好まざるにかかわらず、です。

学生もいろんなひとが実習にきます。

実習をとおして成長したい人もいます。そうかと思えば、カリキュラムで仕方なくっていう人もいます。

特に、「できることなら、実習にはいきたくないけれど、合格、卒業はしたい。」という矛盾した感情図のOTSの指導はじつに大変ですね。いまの教育システム上、卒業には実習合格が必須です。

本人に実習での成長のモチベーションが全くなくて、かつ不合格を恐れて「失敗したくない」が先に立つから動けない、何か言えば言うほど、引き出そうとこちらが関わるほどに萎縮してしまうタイプの学生さん。

一般論として、作業療法士が実習場面でOTS指導する時にこまるのはこの手の学生さんだと思います。

決して素行不良というわけでも、不真面目と言うわけでもないけれど、エネルギー低めで挑戦が苦手で、動きが悪く、指導されたことを忘れがちで、処理できない課題も溜まりがち。

そういう人には指導する側の期待と要求との間のギャップでフラストレーション溜まりがち。

そういう構造が、作業療法士とOTSの間で、お互いこまるんだろうなあ、という仮定のもと、うまくいく方法を模索して、去年実践し、その結果がちゃんと出て、後のち本人に聞き取りもさせてもらえたので、一事例として報告します。

指導法は、いつでもだれでもどんな領域でもOTRがOTSの指導に使える方法が良い

細かい条件が変わるとできない指導方法なんて正直臨床しながら取り組むのは無理ですし、そのせいで発生したOTR側のストレスがOTSにいくとナンセンスです。

ですから、実習生のタイプによって指導法を変えるとかそんなめんどくさいことはできないので、指導法はだれにでも使えるものでなければならないとおもいました。

今回備忘録として残すやり方は、実際去年と今年と、その前とで実習指導のやり方は自分の中では、一貫させてますし、学生から特にそれで困るということも聞かないので、それでいいのだと思います。なによりちゃんと結果が出てます。結果については後述します。

そもそも論として、やる気が全くないOTS実習生を早めに評価、特定する

作業療法士って真面目なひとが多いので、なんともできないこともなんとかしたいと祈りがちです。

しかし、作業療法士が実習指導のモチベーションをへし折られないためには、「全くやる気がないOTS実習生の指導はしない、諦める」の線引きが大事かなと思います。実習という、目の前に貢献すべき患者様がいるような状況にもかかわらず、まったくやる気を示せない人がOTRになっても将来の患者様が困るだけなので、冷静にバッサリやるべきです。

このやる気がないというのは、本人のメリットになる要素への改善を要求に対し、改善の動きが全くみられないことです。全くみられないというのは、文字通りゼロです。改善の要求は極めて具体的でなければなりません。しかも、本人の最大努力の1〜2割くらいの力でできるものである必要があると思います。要するに割と簡単にできることを、全くやらないのであれば、やる気がないとみなすという簡単な理屈です。

我慢して最低でも2週間は様子を見たいですが、それでも上記の条件で指示を出して、行動変化が現れてこないOTSは、作業療法士に向いていません。さっさと実習中止にして、学校に送り返します。

なんとかしたいと願っても、作業療法士が臨床の場でそのような学生を相手にするのは、相当の教育的知識技術が必要です。いち作業療法士には正直臨床やりながらの二足は相当難易度高いです。

改めて、実習生OTSの実習に向けてのやる気の有無の確認方法です。

詳しくは、後述する「改善のやり方」について、きっちりと具体的に実習生OTSに説明をしておきます。マニュアルとして手渡します。いつでもその気があれば参照して、最悪、手続きで思考ゼロでもできるレベルで、動きが見られない時に「できない」という言い訳を封じるよう、「やらない」が明確となる形で渡します。

そうすれば、判別が非常に簡単になりますので、あとは説明マニュアル化した内容をを取り組む気があるかどうか、能力の有無の影響を極限まで減らした状態の課題を渡します。それでもなお、変化に向けた行動が全くできない場合には、やる気がないのだ、と判定します。とにかく、課題は実習生OTSにとって非常に簡単で「できない」のではなく「やらない、やっていないのだ」ということが明らかになるように構造化します。

いち作業療法士として、業務と並行して指導・育成できるOTS量には、どれだけ最低限の指導法でと言っても、限りがありますので指導不能の判断はしょうがないと思います。さすがにやる気ゼロの学生さんはやりようがないです。賛否あると思いますが、本当は臨床に費やすべき時間や労力をボランティアで策以上、コストパフォーマンスの良い学生に労力は温存しておくべきという考え方です。

学生の側としても、引導は実習終了ギリギリになって渡されるよりも早めのほうが納得できるのでは無いかと思います。

OTS実習生に改善の行動が見られるが、一切結果につながらない上に同じようなミスを繰り返す、学習に困難さを認める場合

作業療法士の側が何度言っても、同じミスは繰り返すわ結果にはつながらないわ、となると本人のやる気を疑うのは致し方ないと思います。が、上記のようにちゃんとやる気の有無は判別してあげるべきと思います。やる気はあってアクション起こすことができるけどうまくやるだけの学習スキルが乏しい場合もあります。やる気があるなら、実習はできるとみなします。

たとえ、実習指導側の作業療法士の言うことがうまく理解できず、誤解してしまい「わかりました」がそうでなく、同じ失敗を何度も繰り返し、根本的に解決に至れない枝葉の部分にとんでもなくたくさんの時間を費やしてしまうOTS実習生だったとしましょう。

だとしても、改善しようとして起こすアクションがあるならば、うまくできないだけでやる気はあるのだと判断して、やり方を教えるなどしてハードルを下げます。

決して、就職して使い物になるレベルまで育てることは、実習指導者の責務ではないと思います。本人に要求できる能力の量があまり多くないのに、あれもこれもと要求しても、OTS実習生の中には、おそらく何も積み重なりません。

実習を指導する作業療法士の側が要求ハードルを高いままにしてほうっておくと、実習生OTSはストレスが高い状況のままになってしまいますし、作業療法士のほうも無駄にイライラしてしまいます。

作業療法士は、そうした学習に困難さを抱えるOTSに対して多くを求めることは諦めましょう。どうせ、OTRの側にもともと大して教えるモチベーションは大きくなんてないんですから。それよりは、下記の大方針に基づいて各実習生の身の丈に応じた指導を行うべきと考えます。

大方針 背中で語って、学生に生じた疑問に答える時のみ、言葉で説明

やる気のある学生も、やる気のない学生もいます。

私のように、臨床に対するモチベーションと比べると比較的やる気のない作業療法士もいます。

では学生とOTRの一番の違いは何かというと、成長の方法と、その源となる「改善のやり方」について知っているということです。実習生OTSを指導する時に、作業療法士がやるべきことはただ一つです。それは、作業療法士になってからも、患者様にとって優秀な作業療法士という方向性に向かって成長するための「改善のやり方」とその哲学と方法について教えてあげることが一番だと思ってます。

ですが、本心といたしましては、恵まれるというよりもお鉢が回ってきたのでしゃあねえという感じです。あんまりモチベーション高くないので、ふだんから実習生さんが来た時のために準備をあれこれして備えるタイプじゃないんですよ、ごめんなさいね。

ですが、学生さんにおかれましては、どんな人間が実習指導につくかによってその後の人生が大きく変わってくるっていうのは正直あると思います。つまり、実習が自信を形成する土台となるかどうかによって、実習生やOTSであった人が、OTRとなったその後、作業療法を好きになって頑張れるかというところに大いに影響することは間違い無いと思います。

働く作業療法士のやってることをまずはそのままOTS実習生に見せる

指導する側の作業療法士がちゃんと働いていれば、それをみせるだけでよいのです。ぐだぐだと能書きを垂れる必要もありませんし、たれたところでうまくいきません。

経験の量に違いがあることを抜きにして、作業療法士がOTSにあれこれ説明してもどうせOTS実習生は消化できないからです。自分が普段やっていることを、そのまま見せるだけなら時間も手間も必要ありません。

これなら、身体障害、精神障害、老年期、発達、就労、行政、どこであっても関係ありません。作業療法士の側はちゃんと仕事をして、その仕事内容を見せるだけ。

この段階は、言葉がいらないので簡単だと思います。

実習指導作業療法士は自分の臨床を見せた後に質問があれば、背景とエビデンスを説明する

その後、実践に関して実習生OTSから質問があった時のみ、実践や介入、さらにはその背景について言語化したものを渡します。

とはいえ、指導する側の作業療法士の側としても、いつも考えてることだったりすでに知っていることだったり勉強済みのことを、聞かれた範囲で一問一答型で答えるだけなので簡単だし、簡潔です。

なおかつ、作業療法士側が説明することは、学生本人の興味関心気づき疑問をベースにしてすでに引っ掛かりがあるところの周辺についての情報なので、OTS本人の中に残りやすいのでコストパフォーマンスが良いのが最大の魅力です。実習指導で大切なのは、実習が終了したときに学生の中にどれだけの学びが残っているかで判定されるべきだと思うからです。

要するに普段の臨床の流れと同じ流れで実習指導するだけ → 簡単

実際問題エビデンスや根拠、確からしさに基づく作業療法は、普段から作業療法士ならみんなやっていますし、説明責任によって患者様相手に説明もします。そもそも、作業療法士は、今現在患者様に対して自分がやってる治療介入アプローチがどうしてそのようなものを選択しているか、なぜそれを選び取っているのかについての根拠に基づく臨床、評価介入を普段から仕事として実践しています。

ですから、あとは簡単で、実際にやって見せて、「なにか聞きたいことありますか」で、質問あれば答えるしなければそれで終わりです。作業療法士側はOTS実習生本人の質問、疑問が解決するように自分の意見を正解では無く一つの意見であることを明示した上で伝えます。もしも、質問がなければ、それ以上こちらから「質問はないのか」と問う必要もないと思います。

メリットは違いに、短時間、軽負担で実習指導が可能になる

この実習方法は、OTS実習生側に、臨床場面を五感を通して具体的に体験をしてもらいます。その体験を自分で言語化してもらうことで、OTS側の学習を効率化するのが狙いです。それが、本人疑問をもとにして説明する理由です。

実際、その方が、短時間で済みます。今時の潮流にも合致していてそのあたりの整合性も問題ありません。

やる気や能力のある人への個別フォローも十分可能

また、本人の興味関心モチベーションの高さ、技量能力に応じて量や密度を調整しながら本人に情報を渡すことが可能になるので、説明する側のOTRとしても、非常にやりやすいです。負担軽減が時代の流れとはいえ、やる気のある人の学習機会が奪われるのもかわいそうなので、その余地も残せるということでこのやり方が良いと思っています。

実習も臨床も長距離走であることを学生には伝える

ただし、大切なことは、学生に短期的なハイパフォーマンスをもとめてはいけないし、実際にそこは求めないことを言語化して伝えることです。

本人の疑問を主軸とした実習指導は実際やってみると、やる気やモチベーションを刺激しやすい手法ですが、その反面息切れを起こしてしまいかねないほどの頑張りを引き出してしまうこともあります。

本来実習とは、あくまで、今後の作業療法士人生を、OTS本人とその顧客である患者様にとって有利となるように行動できるその基礎づくりのための貴重な体験となるべきものが実習だと思います。

ですので、実習のパフォーマンスに全力投球して、振り返りの余力が残っていないようでは話になりません

そのことについては、実習の始めに言語化して伝えるようにしています。いくらその瞬間のパフォーマンスが高かろうと、積み重ねる余力が残っていなければ、長期的には、低いパフォーマンスを着実に積み重ねる人の長期的成長に必ず追い越される日がきます。

作業療法士が実習生OTSに実習中で指導のポイントにすべき3つのこと

すでに臨床経験がある作業療法士が実習中のOTSに実習指導をするうえで大切にするべきは、3つのポイントで説明できます。

①短期的パフォーマンスよりも長期的な成長が重要であることへの理解

②持続可能性な成長に必要な自発性とモチベーションを高める方法をつかませること

成長のサイクルの回し方についてやらせて体感させること

以上3つです。

①については、既に上記で述べたとおりで、積み重ね続けるほうが長期的なパフォーマンスは絶対に高いですので、着実に積み重ねることが大切と理解を促します。

②については、人から言われなくても自分で動き出せるようになるための方法をつかみましょうということで、そうするために必要な自己内省を求めます。

③については、本人の言葉でPDCAをやらせます。

めちゃくちゃ優秀なOTSの場合にのみ 完全アクティブラーンニング

要するに、本人の自律思考能力の強化の比重を極端に高めます。

即戦力育成モードとでもいいましょうか。

具体的には評価から、介入までのプロセスを完全に自己決定させます。

つまり指導者であるはずのOTRは、ほとんど説明指導しません。

何も教えない。

聞き役に徹する。

肯定と否定の代わりにこちらは、問いかけを投げ返す。方向性に関するヒントになりうる問いを投げ掛け続けるのみ。

不安定で曖昧な状況下のなかで、少しずつ曖昧さを仮定仮説に基づく実践によって取り除き、その結果さらに積み重ねた実践のみが教師という極めて実践的な内容です。

議論と反芻と推敲によってトライアンドエラーで車輪の再発明を行う感じです。

普段自分がやっている頭の中と行動原理を習熟してもらうことをイメージした内容です。

ですが、そもそもこれが実践できる大人って、そんなに多くないかなと思います。

能力云々ではなく、実践し続けることがしんどいからです。答えが明確になるかどうかわからない状況下で常自分を鼓舞し続けて取り組み続けるのは、自分自身との対話が欠かせません。

楽に生きることを肯定される世の中においては、なかなか難しいのではと思いますので、後輩にすらあまり勧めませんし、自分もメンタル落ちてる時にはしんどすぎてできません。

まして、自分の意思決定と指導者からのプレッシャーを混同しやすい実習という状況下においては、アクティブラーンニング的に勧めるには、学生が潰れないよう実習指導者側のOTRに相当な配慮が必要になると思います。

特に、学生が一人しかいない実習の時には精神的孤立感を深めてしまうリスクあると考えます。要注意です。

学生事例と結果

昨年までに受け持たせていただいたとある方ですが、上記までの方法で、実習指導を行いました。

見学実習と本人質問への回答から開始して、どの程度実習を進めるかは実習生OTSの自主性にまかせました。

たまたま、やる気と能力が非常に高い方でしたので、こちらが学生さんと関わらせていただく時間も質問量の増加や、質問の質の深さが増すに伴って自然と長くなりましたが、学生さんの主体性と能動性とモチベーションは比較的高く推移し続けたかと思います。必要以上に、こちらから与えないことは、教わる側の成長を促進することもあるなということを学びました。

教えたい欲求に任せて教えると、本来の意味で助長してしまう、かえって成長速度を低下させることにつながるのだと、そう教えてもらったように思います。

最終的には、アクティブラーンニングできる方でしたので、実習も終盤の頃、介入とレポートを考える段階に差し掛かった時には、こちらは問いかけを投げる程度で、自分で関わりその体験をもとに自分で考えて評価してもらい、その評価をもとに既存知識から仮説推論を行ってもらい、それらが正しいという仮定のもと介入をおこなってもらい、結果から有効性の判定までしてもらうという、今考えると鬼のような内容の実習でした。

もちろん、学生さんの失敗の全責任は、指導者作業療法士である自分にあるのでそのあたりの意味でも自分自身の成長にとってもよかったと感じています。

おかげさまで、無事に実習終了となり、無事卒業試験も合格し、国家試験も合格し、コロナの中でも無事に働いておられるとのことですが、正直どう思ってたのか実習終了してしばらくしてから(つまり、利害関係がなくなってから)聞いてみました。

曰く「実習の時には、自分で判断しなければならず、結果確信が持てずに困った」一方「今確かに経験が役に立つ場面も多く、肯定はできる」というありがたいお言葉をいただきました。

一銭の得にもならないのに、こうして教えてくださったことが、まずうれしかったですね。もう少し頑張ろうと思いました。

実習生OTS本人の学習効果は高い

この情報過多社会において、臨床に出てからも役立つというのはなぜでしょうか。

間違いなくそれが本人が自分で体験し、そのなかでのひっかかりを疑問という形で言葉にして発信し、そこから深まった情報をもとに行動する、その結果をもとに評価を再構成する、あるいは継続の判断をする、という改善のやり方を実践したからだと思います。

こちらが答えを提示して、トップダウンで行うだけでは、誤りなし学習だけでは、就職後の臨床の場面での役立ち度合いはあまり高くなかったのではないかと思います。

注意すべき点

同時に、いくら優秀でやる気があって実習生OTSがアクティブラーンニング的な学習スタイルができるからといって、正解不正解を全く示さないというのはやはりやりすぎだったのでは、とずっと悶々としていました。思い切って聞いてみると、じっさいそういうお言葉を頂いたので、本人の成長を阻害しない程度にもうちょっと確信の持てる要素をなんらかの形で手渡すのが心理的負担を軽減する上で大切だなあと思いました。

実習生OTSへの指導で大切にしたいことは自己教育への自発性を身につけさせること

実習中にたくさんのことを教えるよりも、自分なりに一人で勝手に成長していく方法を身につけてもらえればいいと、そう思っています。

実習中にたくさん食べさせても、自分一人で調達できるようにしておかないと結局痩せ細っていってしまう、そんなイメージです。

魚をあたえるより、取り方を教えろっていう話があったのではなかったでしょうか。それはきっと作業療法士が取り組むべき作業療法の本質の一つだと思います。

そのためには、それなりに自分自身のことを知り、見つめ直して貰う必要があるんですが、なんだかかなり長くなったので、それはまたの機会に譲ろうと思います。

そのための必要最低限の要素が、この文章の冒頭の実習生OTS本人が自分自身に行動を強いれるだけのやる気なのではと思っています。

まとめ

実習指導は本人が自分で頑張れたら評価する

それでいいし、それだけでいいと思います。

作業療法士も実習生もラクに効果的な実習ライフを

エビデンスベースではROM-exは拘縮に対する関節可動域の改善に寄与してるかどうかは一切不明という論文が存在する

たまには、ちゃんと臨床の役に立つ記事を書かないといけないかなと思って、書いてみます。

なかなか刺激的な記事内容と思います。

タイトルのような結論、つまり

「他動的なROM訓練は拘縮に対する関節可動域を明確に改善しなかった」

を述べた論文がありますのでご紹介します。

この論文のエビデンス力はかなり高いです。

翻訳しながら、論文を読み解いてみたので、自分の備忘録のために書いております。

ストレッチ・他動的ROM-exは神経学的・非神経学的な拘縮の治療および予防に有効か

この論文の問いは、

ストレッチは神経学的・非神経学的な拘縮の治療および予防に有効か

です。

ようするに、関節可動域の改善を目的とした他動的ROM-ex・ストレッチに意味はあるのかと言うことです。あくまで関節可動域改善に寄与するかという意味で、ですが。

結論 「明確な成果は不明」

他動的ROM-exで、成果らしい成果はないということが、論文のメタアナリシスによって報告されました。むしろ、副作用があるとな。副作用の詳細は、元の論文読んでみてください。

以上です。

但書

ただし、下記のように無意味だ、効果はないと断定した書き方はされていないようです。効果の検討の余地についても書かれています。

諦めずに頑張る余地は一応残されていますが…どうでしょう

今後の研究によって本レビューの結果が変わる可能性は低い。しかし、他の介入と併用したストレッチの効果を検討することには価値があるかもしれない。例えば、運動訓練やボツリヌス毒素を用いた神経疾患者へのストレッチの効果などである。また、長時間(例えば数年)のストレッチの有効性を具体的に検討する価値があるかもしれません。また、特に重度の拘縮を発症するリスクが非常に高い人(外傷性脳障害者など)における拘縮予防のためのストレッチの有効性をさらに検討する価値があるかもしれません。

このコクラン系統的レビューの結果は、理学療法士が長年にわたって行ってきた基本的な仮定に反するものであり、理学療法の専門家にとって挑戦的なものである。すなわち、ストレッチは拘縮の治療や予防に有効であるということである。しかし、現在では、ストレッチが関節可動性に臨床的に意味のある効果を持たないこと、また、これらの結果は様々なサブグループ分析にも頑健であることがエビデンスとして証明されています。しかし、これらの結果を何ヶ月も何年も定期的に行われているストレッチに適用する前に、注意が必要である。また、長時間のストレッチの有効性は不明である。

作業療法.netがhttps://reader.elsevier.com/reader/sd/pii/S1836955317300280?token=231984AF1F1C85C61738EC723DFEBED53EF15D8FB277016AF54823FEAAD871411BD1D239090B3C3EB7219700F6ABD512をDeepLで翻訳

「他動的ROM-exには明確な効果を認めません」をどう読み解くか

他動的ROMが全く無意味とは思いません。精神的な指示の意味において。ですが、身体障害の改善目的でなんとなくやるだけでは、コストパフォーマンスは悪いと読み解くべきと思います。

銀行がROM-exを関節可動域改善を成果指標とした事業に投資してくれるかという観点で物事を考えると、多分資金出してくれないとおもいます。

今現在、国はROM-exを関節可動域改善のために実施する療法士の働きに、お金を出してくれています。

この論文のメッセージを改めて整理すると

拘縮患者の関節可動域改善にストレッチは正直明確な効果がみられない

ただし長期的継続的に続けるストレッチの無効性は証明できない

つまり

もしROM-exストレッチを始めるなら、結果がでるまで継続してやり続けてようやく結果が出るかもしれないし出ないかもしれない

ということです。

まとめ

ストレッチや他動ROM-exには明確な改善効果を示すエビデンスがありません

リソース

Stretch for the treatment and prevention of contracture: an abridgedrepublication of a Cochrane Systematic Review

関節可動域の拡大や維持を主目的としてROM-ex・ストレッチを行うことは、短期的な場合には改善効果がほとんど期待できないので意味性は薄い

個人的意見

徒手的訓練、他動的ROM -exは、ちゃんと、触診や仮説検証をきっちりとやって、ターゲットとなる筋肉を明確にした上で、ちゃんと行えば効果はあると感じています。逆に、漫然とやっても効果は全く期待できないとも思います。

また、対象者の方の認知機能が与える影響は大きいと思います。実際、認知機能が低下した方に対して、ROM-exをやって改善がみられることはほとんどありませんでした。私個人が関わった症例様では、2例改善が見られましたが、大多数は改善が見られていません。

このように、どのような合併症のある方にたいして、どんな介入をするかで結果や成果は変わるだろうと思うのですが、一応エビデンスはないと言うことで、もし今後ROM-exやるときには、謙虚にやりたいと思います。

雨がたくさん降るのはこれからの毎年のことと決めつけて、備えて生活をしないといけない

防災グッズ

毎年豪雨災害が発生

西日本豪雨災害が印象に強いですが、強い雨がふりつづいて河川のキャパシティを超えて、その水が街中に溢れるという現象が毎年のものとなっています。

以前はこれほどの雨が毎年降るということはなかったことのように思います。

私個人としては、毎年のことになりつつあるというふうに認識を改めます。

来年以降もきっと同じような現象が起こり続けるでしょう。

原因はよくわからないですが、教科書で小学生や中学生の頃に学習した内容では対応困難な状況に変化してきているように思います。

というか、災害が発生するのが普通で、その発生に備えるような生き方ができないと、何か起こった時に「自然には勝てない」と思います。

自治体も対応が困難

その度に、インフラが破壊され、復旧工事に多額の資金が必要となっています。

実際、家を立てるときに水害まで考えて家を立てる人はそれほど多くないのではないかと思います。

災害が起こりやすいところに、家がたくさんたっているけれども、これまでの雨量では災害となってこなかったということだと思います。

農業をやっているのであれば、河川氾濫の近くに家を備えることにもそれなりの経済合理性を感じるのです。しかしその跡地に高齢者向け施設を建設するのは危ないのだという認識が広がるとよいと思います。

しかし、そのような高齢者向けの施設、既に建ててしまっているところも多いので、なかなか根が深い問題だと思います。

できる人はなるべく自衛を

自衛が困難な方にリソースを配分するためには、自分で自分の身をまもれる人が自分のことを守るのはそれだけで立派な社会貢献であるという考えが広まって然るべきとおもっています。

まずは自分のことを自分でしっかりと守る。

自分の周りの大切な人を、自分でしっかりとまもれるように準備すること。

それだけで、世の中はよくなるんだというところをモチベーションにして、自分自身を鼓舞できるというのは大切な能力なのではと思います。

もっとできる人は周りの人に備えを促す

正直ちゃんと備えている人がいる自治体は、ありとあらゆる災害後の混乱に強いです。レジリエンスという言葉が流行したことも記憶に新しいですが、東日本大震災においてもてはやされた言葉です。

しかし、できる人は普段からの備えができる人、普段からのつながりができる人。

何もない時に、何かあった時の備えの大切さを説くことができる人です。

言う人によって伝わりが良かったりするのが、日本の風潮です。あの人が言うならそうしてみようと、そういうモチベーションが世の中を動かしていることも事実です。

そういう立場にある人は、その権力を自覚して平時からまわりに大切さを説く責任があるのではないでしょうか。

雨に備えて、晴れの日に傘を買う

本来であれば、これで記事が一つ書ける内容ですが簡単に書いてみます。

雨が降ったら、傘を買う

これは実は、対応能力としては下の中ですね。

雨に備えて、晴れの日に傘を買いましょう

まあ、傘を買えるお金をもっているだけましと言う意見もあるでしょうが、普通は家に傘をかって備えていて、雨が降ったとき、あるいは天気予報で雨の予報のときにはすぐに使えるようにしておくということが大切ですよね。

何かがおこってから、いま、すぐに買おうとしても傘が売り切れていることもああるかもしれません。

このエピソードからわかるのは普段からの備えが大切ということです。

普段からの備えが大切

では災害時どのようなものがあれば、助かるでしょうか。

たとえば、とりあえず、普段から生活物資の準備と買い溜めはしておこう

時間があれば準備ができて、そんなにお金もかからないですので備えをお勧めします。

よろしければ、1ヶ月分くらいインフラが止まることを想定して、ひと家族分確保しておくと良いと思います。たとえ災害が起こらなくても、他所での支援物資として消化したり、普段使いして消費することもできるので、問題ないと思います。

たとえば、とりあえず、ハザードマップくらいは頭にいれておこう

国土交通省がお洒落なサイトをつくってくれています。

https://disaportal.gsi.go.jp

各自自体もハザードマップ出してます。確認しておきましょう。

たとえば、とりあえず、車の燃料は満タンにして、土砂崩れと水没のリスクの少なそうな、安全な場所ににがす

実体験として、ここは間違いないです。スマホと充電コードと燃料満タンの車があればなんとかなります。

生命が危ないときに逃げるのはもちろん、命がたすかったあとの経済活動でも車の有無は、大きな差となって現れます。

生活物資の確保も、車がないと本当にとんでもなく大変です。

車ごと家から離れて逃げましょう。

家は動かせませんが、車は動かせます。

物流拠点に近づく方向にむけて逃げるルートを検索しましょう。

河からきょりのある、空港の近くなど、地盤の確認をして建築されていると思しき建物の近くが良いと思います。

普段から目星をつけておかないと難しいですね。

やっぱり普段から。

たとえば、とりあえず、情報インフラにアクセスする手段を検討しておこう

スマートフォンは必須です。そう言う点も考慮して業者を選びましょう。

できればすぐに持ち出せるノートパソコンは欲しいところです。パソコンだけではもちろん役に立たないので、その周辺機器もすぐに持ち出せるようにしておきましょう。

汎用的にいろいろなことに役立ちます。

あとはラジオ。スマートフォンがダメになったときに、情報を得られる大体手段があればいいですね。車があれば、ラジオは聴けるので、車があれば大丈夫と思います。

たとえば、とりあえず、家族と連絡が取れなくなった時の対処法について考えておこう

インターネット回線が死ぬということはあり得ないですが、電話回線が使えなくなる、端末が水没などして故障する、もしくは、電源が喪失して電池がなくなるなどして、連絡手段がつかえなくなる可能性があります。

そうなったときにどのように連絡を取るかをあらかじめ決めておくと心理的安心感が段違いです。

家に帰らず、安全な場所集合など簡単で絶対のルールを設定しておくと、命を無用なリスクに晒す必要がなくて良いとおもいます。

まとめ

とりあえず そなえは ふだんから。

作業療法.netはhttpsというかSSLに対応しました

セキュリティ

簡単にいうと?

インターネットの犯罪が増えてるのでセキュリティアップアップしました。

何かかわるの?

コンテンツ的には何も変わりません。

でもなにか変わったんでしょ?

そうですね。

ちゃんと変わったところもあります。

具体的には、ブラウザの上の方にURL表示するところに、鍵のマークが表示されるようになりました。

あと、「安全ではありません」という不気味な表示がされなくなりました。

要するに?

作業療法.netがより安全にご利用いただけるようになりました

よりみなさまに貢献できると思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

ちなみに、きっかけは?

直近のきっかけについてはこちらでした。

やっぱり、sslにしないといけないかなあと思いました。

ので、しました。

現場からは、以上です。

追記 思わぬ弊害が発覚

今までみなさまに頂いていたSNSのいいね!等の数が一旦リセットされた形になってしまいました。別のページ扱いになるの心外だわあぁ

ひょっとして検索順位も落ちるか

それよりも、せっかく皆さんにいただいた大事なものがなくなっちゃた感が寂しい。

でもまた、ここから地道に発信しますので、またゼロからよろしくお願いいたします。

山根寛先生のwebサイトは無事復活 〜山根寛先生のホームページのその後 のその後〜

山根先生のHPが閉鎖される危機と、その後実際に閉鎖されて・・・という顛末をよんでいただければ、なんでこんなタイトルになってるかわかると思います。

お手数をおかけします。

その後の顛末についてが、この記事の本文です。

コメントで復活情報いただいておりました

仕事と私用と勉強とで、更新サボりがちな今日この頃なんですけれど、そうするとHPの更新作業やらコンテンツの拡充やらいろいろとサボりがちで大変不届きとは思います。反省しています。

なので、ろくにコメントチェックもせず、たまにFacebookページにリンクを貼り付ける程度。全然満足できないなあと思う不全感が募りつつあるので対応と対策を考えて実行します。

さて、そんなこんなで久しぶりに更新作業に勤しんでこの記事を書いて、

http://作業療法.net/memo/2020/07/「だれかの笑顔のために」%E3%80%80withコロナ社会の今、20.html

コメントチェックしていたら、

白岩 圭悟2019年6月6日 10:50 AM 編集

山根先生のホームページ復活しております。

https://hiroshi-yamane.net

http://作業療法.net/memo/2019/02/あのレジェンド作業療法士山根寛先生のwebサイト.html

というコメントをいただいておりました。対応、遅くなり本当に申し訳ありませんでした。以前見て気づいていたはずだったのに、紹介記事を書くのを失念していました。

反省。

白岩 圭悟様 まことに、 ありがとうございました。

情報発信が遅れましたことお詫びいたします。

ということで

祝 山根先生のHP復活

復活したホームページがこちら。

https://hiroshi-yamane.net

google検索でキーワード「作業療法」で検索しても、出てこない件

ただしドメインパワーが落ちてるみたいなので、以前のように検索上位になかなか上がってこないという。

googleしっかりして欲しいです。

ちゃんとしっかりhttpsな件

独自ドメインになられただけでなく、sslにも対応して、見えないところで進化されており、すごいなあと思う次第です。

このサイトもそのうち、https対応にしようと思いますが、リンク切れ等の不具合が心配でなかなか踏み切れていません。

そのうち、「えいや」でやろうかなと思いますが。

ええぃ、今週末までにはやる。

ん?白岩 圭悟さん?

はて。

字面に見覚えが。

検索

ヒット

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784895906487

えらいこっちゃ。

つくづく不敬な。

申し訳ありませんでしたっ!!

「だれかの笑顔のために」 withコロナ社会の今、20年前の仮面ライダーが改めて教えてくれること その1

withコロナという軽い言葉の裏にある重さを生きなければならないという困難な時代が到来

まず、今回のコロナ(COVID-19)で犠牲になられた方と、そのご家族の方にお悔やみ申し上げます。重ねて、日々前線で働かれている医療関係者の皆様お疲れ様です。

もともと、筆者の周辺ではコロナの影響はインフルエンザ程度と言われていました。次第にだんだんと蓋を開けるといろいろと、バタバタとしてきて、パニックめいた過剰反応も起こり、社会の脆さはもちろん、個人個人の課題も浮き彫りにする形になりました。わたしたちの生活は高度に経済に依存して成り立っており、経済無くして生きていけないことを突きつけられたのです。

日本では、今回たまたまウィルスの死亡率が低い形に収束しつつあります。配慮の足りない言葉、表現になりますが率直に、運が良かったと思います。他国との比較をするとそう言わざるを得ません。

ウィルス対策で人間の活動を制限すると、経済が死ぬ。経済が死ぬと経済的弱者から死ぬ。何の制限もしないと、やっぱり医療がパンクして、代替手段の取れない経済的弱者から死ぬ。普段自分が接している人たちが脅威にさらされるという危機感をこれほど覚えたことはありません。

そんな中で、amazon Prime video で仮面ライダークウガが見れたんですよね、20年ぶりに。

どんな話かというと、最終話直前になると保育園児が「ねえ、僕死なない?パパやママも死なない?」って死とその恐怖を意識するストーリーが展開されます。正直重いです。子供が死を意識する。改めて見た時に、子供向け番組でここまでやる必要があるのかと思いました。しかしよく考えると、withコロナになって、それはよく見られた光景でした。事実は小説よりも奇なり。多くの社会的弱者が死の恐怖に直面する現実が確かにあったと思います。

時間のない人向けに、今だからこそポイントを書いてみたいと思います。というか、自分向け備忘録。

実は、子供向け番組の皮を被った強烈な社会風刺番組なのが仮面ライダークウガ

上記にも書いたように、徹底した心理描写が全編にわたって貫かれています。それは、登場する全てのキャラクターに関してです。過剰なほどに、とても丁寧に。

いまや中堅〜トップ俳優な、オダギリジョーの出世作としても有名です。撮影当時からのその高い演技力は、子供向け番組の枠を超えて発揮されています。

「みんなの笑顔が見たい」好青年、暴力への嫌悪感と葛藤しながら心の痛みに耐えて頑張る、「みんなの笑顔がみたいから自分ができるだけの無理をしている、大丈夫だよ」というパーソナリティの、ともするとかなり嘘くさい感じになってしまいかねない、演じるにはかなり難易度の高いキャラクターをリアリティを持って演じるきるのがオダギリジョーなんですね。大変なキャラクターを演じてらっしゃいます。

このキャラクター性は、コロナ初期に自分の命の危険性が測れない中で最前線対応に当たった医療スタッフと重なります。この主人公のキャラクターから学ぶべきところはたくさんあります。

他にも、ワーキングママが子供との関係性に悩む場面の徹底した心理描写など、およそ子供向け番組の範疇を超えた素晴らしい描写がたくさんあり、考えさせられることは山のようです。

それらの優れた表現や描写の中でも特に、コロナで先行き不透明感が強まる今を生きていくヒントがたくさん見つかる部分があります。

それはヒトという生き物が、個人の生命の危機や社会集団に対する脅威曝露した時、それに対して、人間はどう反応するかです。

フィクションなのに、極めて現実的に描写されています。

特撮の皮を利用して、人間が目を背けたくなるけれど背けてはいけない価値観の衝突や人間のどす黒い感情などを克明にあぶり出す手法は、当時にしてもチャレンジだったのだろうなと思います。さておき。

20年前なのにまるでまさに今だからこそ必要なメッセージ性

危機、脅威、命というテーマ、人間の幸せ、社会への貢献、仕事、次の世代、成長、笑顔、祈り、新規性と既存の組織仕組みとの折り合い、勇気

こんなに大切なこと、要素がたくさん山盛りてんこ盛り。内容は古臭いどころか、一周回って新しい。なんと、そういう名称はでてこないにしても、劇中では、簡単に答えを与えるよりも、一緒に悩んで見せたり、それをそっと支えたり、今で言うアクティブラーンニングする回があるんですよ。そっと背中を押す技術は、作業療法の本質だと思っていて、そういうところにも目から鱗でした。

そういう要素が大切だと思ってる製作陣が「堪ふる限りの力を尽くしてつくった」人間讃歌がこの作品です。

リアルな人間社会に異物が混入した時、人間社会はそれに対してどんな反応をするんだろう?その異物が、何が何だかよくわからない生き物だったら、そして、人間社会や個人に対して明らかな殺意や実害があるとしたらどう対応するのか。

それらを通して、人間ってどんな生き物なんだろう、という普遍的なテーマに真摯に向き合います。

withコロナでフィクションに現実が追いついた

しかし、まさか、withコロナ社会と仮面ライダーがオーバーラップするときが来るなんて思いもしなかった。

悲しいことに、時代が追いついてしまったのだとハッとしました。

とにかく未知は恐怖の根源

まだ、コロナが今よりも未知な頃、その広がりとともに恐怖やパニックが世の中を覆う様をどう思ったでしょうか。

劇中では、未知の生物によって人が殺されまくります。殺害という言葉も飛び交い、到底子供向けとは思えないリアルな描写があります。どっちかというと、刑事物に近いかんじでしょうか。

未知が人間命を損なうかもしれない時に与える恐怖というものは、今回のCOVID-19の世の中の反応や、個人個人の胸の内からさまざまな重大な影響があることがわかったと思います。

そういう時は、なかなか恐怖に影響、左右された行動をとってしまいがちだったのではないでしょうか。マスクやトイレットペーパーが店頭から消えたのはその証左と思います。

困難な時に「だれかの笑顔のために」と思える大切さ

個人的には、今回のコロナの動向を見ていて、「ああ、こうして戦争になるんだ」と思いました。

自分と関係ないと思っていた(というかそう考えようとしていた)危機が、いつの間にか、逃れようのないものとして、人間社会や集団を巻き込んで動かすようなものとして差し迫ってきた時、安易な方向に身を任せ続けるような人間の集団は、容易に危険な方向に動き出すのだという兆候が至るところに現れる、と感じました。

「自粛警察」の出現も、女性プロレスラーの自殺に至るまでの顛末も、高いストレスがいかに人間を変容させるのか、人間の攻撃性を高め、理性の働きを弱め、優しさと余裕を奪い、想像力と思考力を低下させるのかという現象の一旦に過ぎません。高いストレスは人間に複雑な思考を放棄させ、わかりやすい正しさに人間を飛びつかせやすくなります。

また、親子関係に悩む人、働き方の変更を強いられ、その変化にとりのこされることに恐怖した人、何の保証もない中で唐突に自粛を突きつけられ戸惑う人。

こんかいまさに、いろいろな困難と、それにともなう孤独感が顕在化したと思います。あれは非常に危険な状態だったと強く感じています。

また、いち作業療法士としては、外出が制限される、という人間の作業や行動の変更が人間にどれだけ大きな影響を与えるのかということは、はからずも生物としてのヒト、社会的存在としての人間にとっての作業の大切さを改めて、人間社会に雄弁に語ったと思います。

さて、困難なとき、嫌なことと向き合うことは、快楽や愉悦の多い現代社会においてはますます困難になりつつあると感じます。その気になれば、困難はできる限り先送りにし続けることができます。しかし、このことが人間としての成長や成熟を遅らせ、困難に対応することができる人間の育成をますます難しくするという現象があるように思います。人類に民主主義は扱いきれないと思うほどです。

しかし、そんな脆弱な世の中にあっても、「だれかの笑顔のために」こうした困難や高ストレスな状況にあえて接することを選ぶ人のことを私は、ヒーローと呼びたいとおもいます。

そして、事実、そういう人たちの精神性によって大いに世の中は支えられている、そのことが今回顕在化したと思います。

「誰かの笑顔のために」という哲学は、今のこんな世の中だからこそ、とても大切なものだと気付かされました。

自分がそうしたいから、「誰かの笑顔のために」ちょっとだけ無理をする

そういうヒロイズムを、なにかと嘲笑しがちな空気を感じてすごくそれが嫌だったんですけれども、今回の極端な状況下においては、そういうヒーローが実際に存在したおかげで、なんとか社会は大きな崩壊に至らずに済んだのだと証明されたと思います。そしてそう言うヒーローはわざわざ世の中に向けて自分の頑張りをいちいち発信なんてしないんですよね。

仮面ライダークウガにおいては、主人公の人格はヒロイズムを体現しています。しかし、そのヒロイズムは極めてリアルな人間らしい悩みと共にあり、それでもなお、困難な道を「みんなの笑顔のために」選びます。それは、本人がそうしたいから、という理由で描かれています。

この本人がそうしたいと思えることが、ヒロイズムの核というか根源なのだと思います。

時に、「だれかの笑顔のために」は単なる理想論とか、お題目、綺麗事としても語られますし、それを嘲笑することも少なくありません。仮面ライダークウガの中ではそれでは結局もたないんだということが徹底して描かれています。「本人がそうしたいから」、でないと誰かのために自分自身が無理をして頑張るというのはできない、そこには本人の主体性が必要であるということが極めて丁寧に描写されており、極めてリアルです。本当に子供向けなのかしら。

ここには、たとえば仕事で自分が嫌々やってること、誰かから言われて嫌々引き受けたことを、自分がそうしたいと思えないのに「誰かの笑顔のためだから」と続けることはできないという、一つの心理、真理があると思っています。

少なくとも、今回のコロナ最前線の医療現場で、死への恐怖や理不尽、攻撃性や悪意に対する憎しみを原動力として「誰かの笑顔のために」というのは、無理でしょう。

そうしたいから、自分がやらなきゃ誰がやる、という鼓舞が少なからず現場の人たちにあったことは想像に難くありません。

仮面ライダークウガにおいては、「誰かの笑顔のために」は作品全体を貫く、大きなテーマになっています。

逆にいえば、頑張ってもそうしたいと思えない時には、逃げちゃっても良いんだという、逃げ道もちゃんと作ってくれてるんですよね。そこに関する話もちゃんと出てきます。

「だれかの笑顔のために」はきっと、誰でもできるはず

でも、特別な技能がなくても、「誰かの笑顔のために」という哲学を持ち続けることは、きっと誰しもができることだと思うんですよね。そしてそのことは、仮面ライダークウガにおいては、主人公と周囲の人間の関わりあいの中でそれぞれが変化していく様子を通して描かれています。

「だれかの笑顔のために」と言葉で言うのは簡単だけれども、日々葛藤して、自問自答して、それでも「やりたい」と思って実行できることで、他人への尊敬や他者との関係性の中で自分自身を大切にする自尊心が育つ。「だれかの笑顔のために」と頑張る人の周囲の人間への波及の描写もこの仮面ライダークウガはすばらしいんですよね。

これはつまり、別に主人公だけが、誰かを笑顔にできるわけじゃなくて、大切なのは「そうありたい」「そうあろうとする」という本人の決断、決意だということをきっちりと描いているということです。

冒頭で少し触れた、先のワーキングママの話の回なんかもまさにそういう回として描かれています。簡単に紹介すると、仕事を理由に後ろめたさもあってなかなか子供と正面から向き合うことから逃げていた、そういう自分と向き合ってそれでも「子供の笑顔のために」がんばろうと、向き合えるまでの過程が描かれています。

これはつまり、日々悩みながらも「誰かの笑顔のために」と自分で決めて、「そうしたいんだ」という思いを強く持って押し進めることは、特別な技能を持つヒーローだけでなく普通の人でもだれでもできる、そういう表現がちゃんとされています。これほんまに子供向けかいな。

面倒くさいは「誰かの笑顔のために」と思うだけで、本来楽しいと思えるはずのものではないか

今回のコロナで改めて問題として表面化したのが、

「めんどくさいこと」を楽しむのはむずかしいということです。

刺激的なコンテンツが増え、単調で同じことの繰り返しだと、退屈だと、文句をいう人は増えているように思います。短期間にドギツイものを消費することが好まれるようです。長期的に物事に向き合うことが苦手です。

事実、仮面ライダークウガでも、人間の心理描写の割合がふえ、反面で特撮画面が少なくなった後半は退屈と言われます。

日常や人間ドラマは、火薬の爆発や暴力と比べて退屈なのかもしれません。そりゃあ、面倒くさいことでしょう。

でもそれは、強すぎる刺激に慣れてしまい、自分の生活の大半を構成するものに無価値の烙印を押してしまいかねない行為のように思っています。

事実、コロナで人との関係性を強制的に絶たれたことでそのありがたみを痛感したと言う声は多かったと思います。

本来めんどくさいと思っているところに、実は楽しみのタネがあるように思います。派手なことを成功させるためにはそれ以外の日常をどれだけ大切にできてるか、周りの人をどれだけ大切にできているかが、パフォーマンスに大きく影響するんだよ、ということを後半の警察組織との連携ではメッセージとして伝えているように思います。

面倒くさいをそのままにせず、楽しみに昇華するのはこれからの時代を生きていく上で非常に重要な力になるのではと思います。

孤立の解決策は「誰かの笑顔のために」精神だ

コロナで再び孤立問題が注目を集めました。

自己責任という言葉は、真理だし正義です。でもそれは、暴力が全てに勝るという真理や正義と同じです。「そうしたいのか」とは別ということです。

孤立している、孤立していく人の要因は2つあります。

一つは外側からの迫害。

二つは自分自身が自分に対して行う差別。

そして孤立が固定化するタイプの全てには必ず、この二つの要素があります。どちらか一つしかないと言うことは論理的にありえません。

つまり、周囲にも本人にも必ず原因があります。

孤立化を解決するには二つの方法があります。

1「誰かの笑顔のために」精神を周囲が持つ

2「誰かの笑顔のために」精神を本人が持つ

要するに思いやりや気づく力や行動力が足りず脆弱な状態が孤立化なのだと互いに気づいて、対処できるかが大切ということですね。自分で助かろうとしない人を助けるのは本当に大変です。「自分には助かる価値がない」「生きている価値がない」「死んだほうがマシ」と思っている人がいたとして、その人は、自分自身と周囲の人間を不当に差別しているわけなんですけれども、それをやめて本人が助かろうと思えば、どっかの誰かが必ず助けてくれます。

ただ生きて、そうできるかどうかは別にして「誰かの笑顔のために」と言う姿勢でありさえすれば、そこにはかならず何らかのつながりが生まれます。

助かろうとしてない人へのビデオ教材としてつかえるなーと思いました仮面ライダークウガ。実際、臨床の現場で、「助かりたくない」と言う人に対してどうしたらいいかは常に迷い続けています。

自分個人としては「その人の笑顔のために」頑張っていきたいなという思いを新たにしました。

「誰かの笑顔のために」頑張ろう、自分がそうしたいから。

結局そうすることで解決することが、世の中にはあふれていると今回仮面ライダークウガを20年ぶりに見て、確信しました。

結局私たちの社会の課題は20年間かわっていないどころか、現実のほうがフィクションに追いついてしまうという、なんだか奇妙なことになってしまっています。

未知の存在によってどんどん人が死んでいく、その恐怖の中でできる対策対応を懸命にとり続ける大人の姿は、今の世の中を先取りしていたなと思います。フィクションなんですけど。

大のおとなが各文章で仮面ライダーを連呼する極めてシュールな文章に仕上がりましたが、東日本大震災や西日本豪雨といった危機が定期的にやってきたり、今回のwithコロナな世の中においては、生き方の模範とするべきことがたくさんあると改めて感じましたので、備忘録として。