介護認定調査の書式が市区町村ごとに違う件からのデジタル庁へ「たのもー」してみる件

認定調査員の人これでよく仕事してはるわあああああ、(いらっ)っとなったので自分のための備忘録(酔)

基本的にはタイトル通り

ただですね、

腹が立つ。

必要なのは、入力されたものPCに引数として渡す仕組みなわけでしょう?

じゃあ簡略化できるじゃあないですか。

文書作成は、PCでやってるわけでしょう?

じゃあ、ウェブページで入力できるようにするか、CVS形式に変換できるようにしたらええですやん。

などなどなど。

この国って、ほんとうに脳内がお花畑だなあと、身に染みてわかったので。

どうにもならんですなあ。

デジタル庁に陳情だ

デジタル庁

送った

デジタル庁陳情後の画面

できることしかできない

できることしかできませんね。

だからこそ、できることをできるようにやるのがたいせつだとおもいます。

幸せって何か?

本日は、作業療法士中堅になってしまったひろえもん現時点での「幸せ論」について。

幸せとは笑顔で万歳したくなる状態だったり。

「幸せ」という言葉を定義する必要性

「幸せ」という言葉の持つ意味や、イメージを明確に意識することが必要不可欠。もしも、その意味を明確に意識していないと、その揺らぎにつけこむ形での、弱者はめ込みビジネスの犠牲になりかねない。

意識していれば、環境や時代背景によらず、周囲がどうであれ、自分で自分を「幸せ」に持っていくことができる。

前提1:「心地よさの認知」

自分が素敵だ、いいな、素晴らしい、こうありたい、など、「心地よさ」が存在するコト

前提2:「関連の認知」

「心地よさ」と自分が関係している状態。それを認識できる状態。

前提3:「自分の行動への認知」

自分の行動は、自分の意志で起こすことができること自覚し、心地よさと現在の自分の立ち位置を絶えず捉えながら心地よさを強める方向で、行動を起こすことができる力。

幸せになる在り方

前提を踏まえたうえで自分の味方を自分ですること。

具体的には、自分の「心地良さ」を自分にとって都合よく、現実とくっつけたり切り離したりしながら、自分が納得する方法で「心地よさ」を実現するコト。

まとめ

幸せは、自分で決めるもの。

ほかの誰も、あなたの幸せのカタチなど知らない。

阿波踊りにて、正直にコロナ感染を報告する人々

が誇らしい。です。

なぜか。

それが「真の未来志向」と感じるからです。

阿波おどりで800人超が新型コロナ感染 「マスクなしで踊る参加者も」

徳島市では、阿波おどりが先月11日の前夜祭から5日間にわたり、3年ぶりに屋外の演舞場に観客を入れて開催されました。

 実行委員会が123の団体を対象にアンケートしたところ、86の団体から回答があり、参加者3425人のうち約4分の1にあたる819人が11日から2週間の間に新型コロナウイルスに感染していたことが分かりました。

 実行委員会は「今年の結果を受け、来年に向け前向きに課題を検討していきたい」とコメントしています。

徳島市の阿波おどり 踊り手など800人余がコロナ感染

すごいのはコロナ禍で市民ベースのお祭り騒ぎをきちんとやり切ったこと

いつまでも、開催しないことは簡単で、どこも自粛をこれまでしてきました。

しかし、後から批判されるリスクをとってでも、人生に祭りは必要だということで開催しやり切ったことは素晴らしいと思います。

すばらしいのは、きちんと追跡調査をしていること

お祭りが確実にCOVID-19の感染拡大に寄与することは、これまでの新型コロナウィルスの特徴を踏まえると明らかです。

ということで、きちんと調査をすればそれなりの数の感染者数の増加傾向が表われるのは火を見るより明らかです。

それでもきちんと、祭りが終わってからも、都合の悪いデータ傾向が表れることがわかっていながら責任としての追跡調査を行っていることは素晴らしいことだな、と思いました。

感染者数よりも、死亡率と病床圧迫への影響度を明らかにしてほしい

感染者数にはそれなりのインパクトがあるため、注目を集めるためには公表もやむなしと思います。その一方で、、重要なのはそこからの重症化率と、病院の病床がどのように稼働が変化したかということではないでしょうか。

とても極端な話、踊り手が感染したのみで、その他に影響がないならば、別に800人感染し、治癒すれば全く問題ないといえます。

感染状況によって、死者数が増えたのか、それとも増えてはいたけれども市民にとって大切なお祭りが影響しているのかどうか、影響しているのなら今後の開催方法の工夫によってその影響をおさえこむことができるのか、など、きちんと分析を行う必要があると考えます。

影響度如何による場合分け。

なんとなくやってみると

社会インフラなどに対して、とても影響があった場合

社会に及ぼす悪影響があまりに強いのであれば、やはり制限には一定の正当性が発生するのではないでしょうか。

ほとんど影響がなかった

ありとあらゆる制限は、費用対効果がわるいので、すべての制限をなくしてしまいましょう、ということになるかもしれない。

影響はあったが、どの程度影響したかわからない

この場合が、一番いろいろなものごとがなあなあになってしまうのだと思いますが、それでも「まえむきに」という言葉にも見て取れるとおり、おそらく、そのような状況になったときには開催に向けて最大限努力することになるのではないでしょうか。

そのように思います。

まとめ

真の未来志向とは望みに向かってリスクを取り、説明責任をはたすことです。

今回徳島県の皆さんは、見事に阿波踊りを開催し、そのあとにも責任を持とうとする姿勢を保たれています。

このようなある程度の規模の大きさの社会実験の性質を持つイベントにおいては、正直に申告してくれる人の存在がとても重要なものになることは言うまでもありません。

それは、今後のコロナ前提社会をどのようにコントロールして、社会的なイベントを行っていくのかについて、大変に大きな貢献をすることになると思います。