【成功例?】昨年実習指導させてもらったOTSからの貴重な意見も含めた、実習指導についての個人的ノウハウのまとめ

備忘録です。今後とも、いち作業療法士として実習生を指導させていただく機会があるので、OTSを指導する側のOTRとして言語化を試みます。

作業療法士の側に、確かな臨床技術と、「しょうがないやるかあ」くらいの最低限のモチベーションがあれば可能な方法だと思います。

まえがき

本当はちゃんと論文にして発表すればいいんでしょうけれど、面倒くさいのでネットでいいやと思いました。

ただし、自分なりに誠実に書いてます。

実習での体験はおそらく、実習生のその後の人生を大きく左右します。自分の一挙手一動が、実習生の考え方になんらかの影響を与えます。そのへんは、いち作業療法士として妥協してはいけないところだと思います。

実習生指導に死ぬほど悩んだ去年までの自分と、今回も悩むであろう今年の自分と、どうせこまることになる将来の自分と、悩みを同じくするみなさまへ、参考になりますようにという祈りを込めました。

特にコロナな日々で、なんでも密にならないように、負担が軽くなるようにという方向で物事がすすんでいくようですので、そのあたりも踏まえて実習指導していければいいなとおもっています。

筆者背景

ここに書いていくのは、もうおわかりのとおり、あくまで個人的体験談に基づく情報でn=1ですから、大したエビデンスにもなりません。

しかし、私の個人的な背景については多少説明が必要と思います。

作業療法.netの中の人、ぼくhiroemon。サラリーマンといいますか、一応組織に属して働いておりまして。いろんな案件が、天から降ってきます。

すると、時に実習生OTS指導のお鉢がまわってくるのであります。

近しい同僚には、こっそり申し上げるところなんですが、「正直、学生の実習ができるような人間ではない。」と生来の自分自身については評価を下します。

ですが、組織人の辛いところは、向いているいないにかかわらず好む、好まざるにかかわらず、実習指導をしないといけない時がくるのでございます。

なにより、学生は実習担当OTRを選べません。かわいそうに。私なんかのもとに回されて、という感じです。

本当に、日々作業療法士の卵たる、学生さん相手に一生懸命教育しようと試みる先生方には本当に頭が下がる思いです。学生時代の自分みたいな学生が来たら本当に困るなあと思うので、私に教育は無理と自負しております。無理というか。

「何がなんでも、教えてやりたいというモチベーションが低い」というのが正しいでしょうか。

ですが、一応、本人にやる気がある学生にはとことん報いてあげたいし、そうすることでOTSの成長が加速すればそれはやがて、その人が関わる患者様が高い質のサービスを提供されることにつながるし、ひいては作業療法自体の全体の質の向上につながると思っています。

作業療法士が、OTS実習生指導で特に困る状況の一般論

じゃあ、実習で作業療法士と学生とが、どんなことに困るのかということを考えて対処法も考えておけば、ある程度スムーズにこなせるのでは無いかと考えました。

上記のような感じで作業療法士として働くうちに実習生を指導する機会に恵まれることがあります。

作業療法士側が好む好まざるにかかわらず、です。

学生もいろんなひとが実習にきます。

実習をとおして成長したい人もいます。そうかと思えば、カリキュラムで仕方なくっていう人もいます。

特に、「できることなら、実習にはいきたくないけれど、合格、卒業はしたい。」という矛盾した感情図のOTSの指導はじつに大変ですね。いまの教育システム上、卒業には実習合格が必須です。

本人に実習での成長のモチベーションが全くなくて、かつ不合格を恐れて「失敗したくない」が先に立つから動けない、何か言えば言うほど、引き出そうとこちらが関わるほどに萎縮してしまうタイプの学生さん。

一般論として、作業療法士が実習場面でOTS指導する時にこまるのはこの手の学生さんだと思います。

決して素行不良というわけでも、不真面目と言うわけでもないけれど、エネルギー低めで挑戦が苦手で、動きが悪く、指導されたことを忘れがちで、処理できない課題も溜まりがち。

そういう人には指導する側の期待と要求との間のギャップでフラストレーション溜まりがち。

そういう構造が、作業療法士とOTSの間で、お互いこまるんだろうなあ、という仮定のもと、うまくいく方法を模索して、去年実践し、その結果がちゃんと出て、後のち本人に聞き取りもさせてもらえたので、一事例として報告します。

指導法は、いつでもだれでもどんな領域でもOTRがOTSの指導に使える方法が良い

細かい条件が変わるとできない指導方法なんて正直臨床しながら取り組むのは無理ですし、そのせいで発生したOTR側のストレスがOTSにいくとナンセンスです。

ですから、実習生のタイプによって指導法を変えるとかそんなめんどくさいことはできないので、指導法はだれにでも使えるものでなければならないとおもいました。

今回備忘録として残すやり方は、実際去年と今年と、その前とで実習指導のやり方は自分の中では、一貫させてますし、学生から特にそれで困るということも聞かないので、それでいいのだと思います。なによりちゃんと結果が出てます。結果については後述します。

そもそも論として、やる気が全くないOTS実習生を早めに評価、特定する

作業療法士って真面目なひとが多いので、なんともできないこともなんとかしたいと祈りがちです。

しかし、作業療法士が実習指導のモチベーションをへし折られないためには、「全くやる気がないOTS実習生の指導はしない、諦める」の線引きが大事かなと思います。実習という、目の前に貢献すべき患者様がいるような状況にもかかわらず、まったくやる気を示せない人がOTRになっても将来の患者様が困るだけなので、冷静にバッサリやるべきです。

このやる気がないというのは、本人のメリットになる要素への改善を要求に対し、改善の動きが全くみられないことです。全くみられないというのは、文字通りゼロです。改善の要求は極めて具体的でなければなりません。しかも、本人の最大努力の1〜2割くらいの力でできるものである必要があると思います。要するに割と簡単にできることを、全くやらないのであれば、やる気がないとみなすという簡単な理屈です。

我慢して最低でも2週間は様子を見たいですが、それでも上記の条件で指示を出して、行動変化が現れてこないOTSは、作業療法士に向いていません。さっさと実習中止にして、学校に送り返します。

なんとかしたいと願っても、作業療法士が臨床の場でそのような学生を相手にするのは、相当の教育的知識技術が必要です。いち作業療法士には正直臨床やりながらの二足は相当難易度高いです。

改めて、実習生OTSの実習に向けてのやる気の有無の確認方法です。

詳しくは、後述する「改善のやり方」について、きっちりと具体的に実習生OTSに説明をしておきます。マニュアルとして手渡します。いつでもその気があれば参照して、最悪、手続きで思考ゼロでもできるレベルで、動きが見られない時に「できない」という言い訳を封じるよう、「やらない」が明確となる形で渡します。

そうすれば、判別が非常に簡単になりますので、あとは説明マニュアル化した内容をを取り組む気があるかどうか、能力の有無の影響を極限まで減らした状態の課題を渡します。それでもなお、変化に向けた行動が全くできない場合には、やる気がないのだ、と判定します。とにかく、課題は実習生OTSにとって非常に簡単で「できない」のではなく「やらない、やっていないのだ」ということが明らかになるように構造化します。

いち作業療法士として、業務と並行して指導・育成できるOTS量には、どれだけ最低限の指導法でと言っても、限りがありますので指導不能の判断はしょうがないと思います。さすがにやる気ゼロの学生さんはやりようがないです。賛否あると思いますが、本当は臨床に費やすべき時間や労力をボランティアで策以上、コストパフォーマンスの良い学生に労力は温存しておくべきという考え方です。

学生の側としても、引導は実習終了ギリギリになって渡されるよりも早めのほうが納得できるのでは無いかと思います。

OTS実習生に改善の行動が見られるが、一切結果につながらない上に同じようなミスを繰り返す、学習に困難さを認める場合

作業療法士の側が何度言っても、同じミスは繰り返すわ結果にはつながらないわ、となると本人のやる気を疑うのは致し方ないと思います。が、上記のようにちゃんとやる気の有無は判別してあげるべきと思います。やる気はあってアクション起こすことができるけどうまくやるだけの学習スキルが乏しい場合もあります。やる気があるなら、実習はできるとみなします。

たとえ、実習指導側の作業療法士の言うことがうまく理解できず、誤解してしまい「わかりました」がそうでなく、同じ失敗を何度も繰り返し、根本的に解決に至れない枝葉の部分にとんでもなくたくさんの時間を費やしてしまうOTS実習生だったとしましょう。

だとしても、改善しようとして起こすアクションがあるならば、うまくできないだけでやる気はあるのだと判断して、やり方を教えるなどしてハードルを下げます。

決して、就職して使い物になるレベルまで育てることは、実習指導者の責務ではないと思います。本人に要求できる能力の量があまり多くないのに、あれもこれもと要求しても、OTS実習生の中には、おそらく何も積み重なりません。

実習を指導する作業療法士の側が要求ハードルを高いままにしてほうっておくと、実習生OTSはストレスが高い状況のままになってしまいますし、作業療法士のほうも無駄にイライラしてしまいます。

作業療法士は、そうした学習に困難さを抱えるOTSに対して多くを求めることは諦めましょう。どうせ、OTRの側にもともと大して教えるモチベーションは大きくなんてないんですから。それよりは、下記の大方針に基づいて各実習生の身の丈に応じた指導を行うべきと考えます。

大方針 背中で語って、学生に生じた疑問に答える時のみ、言葉で説明

やる気のある学生も、やる気のない学生もいます。

私のように、臨床に対するモチベーションと比べると比較的やる気のない作業療法士もいます。

では学生とOTRの一番の違いは何かというと、成長の方法と、その源となる「改善のやり方」について知っているということです。実習生OTSを指導する時に、作業療法士がやるべきことはただ一つです。それは、作業療法士になってからも、患者様にとって優秀な作業療法士という方向性に向かって成長するための「改善のやり方」とその哲学と方法について教えてあげることが一番だと思ってます。

ですが、本心といたしましては、恵まれるというよりもお鉢が回ってきたのでしゃあねえという感じです。あんまりモチベーション高くないので、ふだんから実習生さんが来た時のために準備をあれこれして備えるタイプじゃないんですよ、ごめんなさいね。

ですが、学生さんにおかれましては、どんな人間が実習指導につくかによってその後の人生が大きく変わってくるっていうのは正直あると思います。つまり、実習が自信を形成する土台となるかどうかによって、実習生やOTSであった人が、OTRとなったその後、作業療法を好きになって頑張れるかというところに大いに影響することは間違い無いと思います。

働く作業療法士のやってることをまずはそのままOTS実習生に見せる

指導する側の作業療法士がちゃんと働いていれば、それをみせるだけでよいのです。ぐだぐだと能書きを垂れる必要もありませんし、たれたところでうまくいきません。

経験の量に違いがあることを抜きにして、作業療法士がOTSにあれこれ説明してもどうせOTS実習生は消化できないからです。自分が普段やっていることを、そのまま見せるだけなら時間も手間も必要ありません。

これなら、身体障害、精神障害、老年期、発達、就労、行政、どこであっても関係ありません。作業療法士の側はちゃんと仕事をして、その仕事内容を見せるだけ。

この段階は、言葉がいらないので簡単だと思います。

実習指導作業療法士は自分の臨床を見せた後に質問があれば、背景とエビデンスを説明する

その後、実践に関して実習生OTSから質問があった時のみ、実践や介入、さらにはその背景について言語化したものを渡します。

とはいえ、指導する側の作業療法士の側としても、いつも考えてることだったりすでに知っていることだったり勉強済みのことを、聞かれた範囲で一問一答型で答えるだけなので簡単だし、簡潔です。

なおかつ、作業療法士側が説明することは、学生本人の興味関心気づき疑問をベースにしてすでに引っ掛かりがあるところの周辺についての情報なので、OTS本人の中に残りやすいのでコストパフォーマンスが良いのが最大の魅力です。実習指導で大切なのは、実習が終了したときに学生の中にどれだけの学びが残っているかで判定されるべきだと思うからです。

要するに普段の臨床の流れと同じ流れで実習指導するだけ → 簡単

実際問題エビデンスや根拠、確からしさに基づく作業療法は、普段から作業療法士ならみんなやっていますし、説明責任によって患者様相手に説明もします。そもそも、作業療法士は、今現在患者様に対して自分がやってる治療介入アプローチがどうしてそのようなものを選択しているか、なぜそれを選び取っているのかについての根拠に基づく臨床、評価介入を普段から仕事として実践しています。

ですから、あとは簡単で、実際にやって見せて、「なにか聞きたいことありますか」で、質問あれば答えるしなければそれで終わりです。作業療法士側はOTS実習生本人の質問、疑問が解決するように自分の意見を正解では無く一つの意見であることを明示した上で伝えます。もしも、質問がなければ、それ以上こちらから「質問はないのか」と問う必要もないと思います。

メリットは違いに、短時間、軽負担で実習指導が可能になる

この実習方法は、OTS実習生側に、臨床場面を五感を通して具体的に体験をしてもらいます。その体験を自分で言語化してもらうことで、OTS側の学習を効率化するのが狙いです。それが、本人疑問をもとにして説明する理由です。

実際、その方が、短時間で済みます。今時の潮流にも合致していてそのあたりの整合性も問題ありません。

やる気や能力のある人への個別フォローも十分可能

また、本人の興味関心モチベーションの高さ、技量能力に応じて量や密度を調整しながら本人に情報を渡すことが可能になるので、説明する側のOTRとしても、非常にやりやすいです。負担軽減が時代の流れとはいえ、やる気のある人の学習機会が奪われるのもかわいそうなので、その余地も残せるということでこのやり方が良いと思っています。

実習も臨床も長距離走であることを学生には伝える

ただし、大切なことは、学生に短期的なハイパフォーマンスをもとめてはいけないし、実際にそこは求めないことを言語化して伝えることです。

本人の疑問を主軸とした実習指導は実際やってみると、やる気やモチベーションを刺激しやすい手法ですが、その反面息切れを起こしてしまいかねないほどの頑張りを引き出してしまうこともあります。

本来実習とは、あくまで、今後の作業療法士人生を、OTS本人とその顧客である患者様にとって有利となるように行動できるその基礎づくりのための貴重な体験となるべきものが実習だと思います。

ですので、実習のパフォーマンスに全力投球して、振り返りの余力が残っていないようでは話になりません

そのことについては、実習の始めに言語化して伝えるようにしています。いくらその瞬間のパフォーマンスが高かろうと、積み重ねる余力が残っていなければ、長期的には、低いパフォーマンスを着実に積み重ねる人の長期的成長に必ず追い越される日がきます。

作業療法士が実習生OTSに実習中で指導のポイントにすべき3つのこと

すでに臨床経験がある作業療法士が実習中のOTSに実習指導をするうえで大切にするべきは、3つのポイントで説明できます。

①短期的パフォーマンスよりも長期的な成長が重要であることへの理解

②持続可能性な成長に必要な自発性とモチベーションを高める方法をつかませること

成長のサイクルの回し方についてやらせて体感させること

以上3つです。

①については、既に上記で述べたとおりで、積み重ね続けるほうが長期的なパフォーマンスは絶対に高いですので、着実に積み重ねることが大切と理解を促します。

②については、人から言われなくても自分で動き出せるようになるための方法をつかみましょうということで、そうするために必要な自己内省を求めます。

③については、本人の言葉でPDCAをやらせます。

めちゃくちゃ優秀なOTSの場合にのみ 完全アクティブラーンニング

要するに、本人の自律思考能力の強化の比重を極端に高めます。

即戦力育成モードとでもいいましょうか。

具体的には評価から、介入までのプロセスを完全に自己決定させます。

つまり指導者であるはずのOTRは、ほとんど説明指導しません。

何も教えない。

聞き役に徹する。

肯定と否定の代わりにこちらは、問いかけを投げ返す。方向性に関するヒントになりうる問いを投げ掛け続けるのみ。

不安定で曖昧な状況下のなかで、少しずつ曖昧さを仮定仮説に基づく実践によって取り除き、その結果さらに積み重ねた実践のみが教師という極めて実践的な内容です。

議論と反芻と推敲によってトライアンドエラーで車輪の再発明を行う感じです。

普段自分がやっている頭の中と行動原理を習熟してもらうことをイメージした内容です。

ですが、そもそもこれが実践できる大人って、そんなに多くないかなと思います。

能力云々ではなく、実践し続けることがしんどいからです。答えが明確になるかどうかわからない状況下で常自分を鼓舞し続けて取り組み続けるのは、自分自身との対話が欠かせません。

楽に生きることを肯定される世の中においては、なかなか難しいのではと思いますので、後輩にすらあまり勧めませんし、自分もメンタル落ちてる時にはしんどすぎてできません。

まして、自分の意思決定と指導者からのプレッシャーを混同しやすい実習という状況下においては、アクティブラーンニング的に勧めるには、学生が潰れないよう実習指導者側のOTRに相当な配慮が必要になると思います。

特に、学生が一人しかいない実習の時には精神的孤立感を深めてしまうリスクあると考えます。要注意です。

学生事例と結果

昨年までに受け持たせていただいたとある方ですが、上記までの方法で、実習指導を行いました。

見学実習と本人質問への回答から開始して、どの程度実習を進めるかは実習生OTSの自主性にまかせました。

たまたま、やる気と能力が非常に高い方でしたので、こちらが学生さんと関わらせていただく時間も質問量の増加や、質問の質の深さが増すに伴って自然と長くなりましたが、学生さんの主体性と能動性とモチベーションは比較的高く推移し続けたかと思います。必要以上に、こちらから与えないことは、教わる側の成長を促進することもあるなということを学びました。

教えたい欲求に任せて教えると、本来の意味で助長してしまう、かえって成長速度を低下させることにつながるのだと、そう教えてもらったように思います。

最終的には、アクティブラーンニングできる方でしたので、実習も終盤の頃、介入とレポートを考える段階に差し掛かった時には、こちらは問いかけを投げる程度で、自分で関わりその体験をもとに自分で考えて評価してもらい、その評価をもとに既存知識から仮説推論を行ってもらい、それらが正しいという仮定のもと介入をおこなってもらい、結果から有効性の判定までしてもらうという、今考えると鬼のような内容の実習でした。

もちろん、学生さんの失敗の全責任は、指導者作業療法士である自分にあるのでそのあたりの意味でも自分自身の成長にとってもよかったと感じています。

おかげさまで、無事に実習終了となり、無事卒業試験も合格し、国家試験も合格し、コロナの中でも無事に働いておられるとのことですが、正直どう思ってたのか実習終了してしばらくしてから(つまり、利害関係がなくなってから)聞いてみました。

曰く「実習の時には、自分で判断しなければならず、結果確信が持てずに困った」一方「今確かに経験が役に立つ場面も多く、肯定はできる」というありがたいお言葉をいただきました。

一銭の得にもならないのに、こうして教えてくださったことが、まずうれしかったですね。もう少し頑張ろうと思いました。

実習生OTS本人の学習効果は高い

この情報過多社会において、臨床に出てからも役立つというのはなぜでしょうか。

間違いなくそれが本人が自分で体験し、そのなかでのひっかかりを疑問という形で言葉にして発信し、そこから深まった情報をもとに行動する、その結果をもとに評価を再構成する、あるいは継続の判断をする、という改善のやり方を実践したからだと思います。

こちらが答えを提示して、トップダウンで行うだけでは、誤りなし学習だけでは、就職後の臨床の場面での役立ち度合いはあまり高くなかったのではないかと思います。

注意すべき点

同時に、いくら優秀でやる気があって実習生OTSがアクティブラーンニング的な学習スタイルができるからといって、正解不正解を全く示さないというのはやはりやりすぎだったのでは、とずっと悶々としていました。思い切って聞いてみると、じっさいそういうお言葉を頂いたので、本人の成長を阻害しない程度にもうちょっと確信の持てる要素をなんらかの形で手渡すのが心理的負担を軽減する上で大切だなあと思いました。

実習生OTSへの指導で大切にしたいことは自己教育への自発性を身につけさせること

実習中にたくさんのことを教えるよりも、自分なりに一人で勝手に成長していく方法を身につけてもらえればいいと、そう思っています。

実習中にたくさん食べさせても、自分一人で調達できるようにしておかないと結局痩せ細っていってしまう、そんなイメージです。

魚をあたえるより、取り方を教えろっていう話があったのではなかったでしょうか。それはきっと作業療法士が取り組むべき作業療法の本質の一つだと思います。

そのためには、それなりに自分自身のことを知り、見つめ直して貰う必要があるんですが、なんだかかなり長くなったので、それはまたの機会に譲ろうと思います。

そのための必要最低限の要素が、この文章の冒頭の実習生OTS本人が自分自身に行動を強いれるだけのやる気なのではと思っています。

まとめ

実習指導は本人が自分で頑張れたら評価する

それでいいし、それだけでいいと思います。

作業療法士も実習生もラクに効果的な実習ライフを

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OT評価実習生:OTSにOT五年目が感じた 実習中の成長を左右する要素の「ヤバさ」

短期(評価)、長期(総合臨床実習)に関わらず、実習中の学生目線だと理解できることがあります。

一方で、経験年数が増えて、経験値もそれなりに増えると、ここ最近はじめて感じることがありました。

その2つの間のギャップの話です。

「何をしに、実習にきたの」

実習を通して、成長する学生と、

あまり変化なく帰っていく学生との間には、いろいろな違いがあります。

その違いは、普段の臨床にも通じる大切な「違い」だと思っています。

後者の学生がよく言われるのが、

「何しに来たの」

です。

これが、その理解のためのキーワードであるように感じています。

何のための実習かがわからない

「実習に行くことになっているから、実習に行く」

という学生が少なからずおります。

実習のための実習、実習が自己目的化している学生です。

こういう実習生が、上記のような質問を実習中に繰り返しぶつけられて、あまり成長なく、実習に対する傷つきだけを感じて帰っていくことが、ままあります。

そのタイプの実習生は、なぜ生まれるのでしょうか。

そしてなぜ、実習生は傷つくのでしょうか。

作業療法学生:OTS目線での実習

申し訳ないのですが、引用できる資料もないので自分語りになります。

でも、自分の学生時代、OTSのときの実習を振り返ると、その傷つきのヒントにはなると思います。

学生の頭の使い方の典型とおもうのですが、

「学校で学んだことを、臨床で生かす」

という思考回路があります。

学生の作業療法観は、授業の中の情報や、講師の話によって構成されます。

それのみによって構成されていることがほとんどではないでしょうか。

すると、学生の行動原理は、

「いままで自分が学んできたことを実践してみること」

になります。

そして、それができることによって、実習が合格となるというモデル(妄想)が頭にあります。

これが、実習の為の実習であると、臨床家のOTRのみなさまから批判されるところだと思いますが、学生の側からすると、むしろ自然ながんばり方なのではないでしょうか。

それなりに臨床経験のある作業療法士:OTR目線での実習

一方で、かつてOTSであった作業療法士:OTRの側に立つと、今、実習で学生に求めることはシンプルです。

目の前の対象者に対して、いち作業療法士、いち臨床家としての今の自分での最善を尽くすこと、です。

作業療法士として、実地で経験をかさねていくうちに、自然と評価できるようになることはたくさんあります。

それは、養成校で学ぶこともたくさんありますが、養成校で学ばない、学べないこともたくさんあります。

身体障害領域で例にとると、ポジショニングの常識も日進月歩です。

かつては、

「隙間をうめる」

がポジショニングの王道でした。

しかし、やり方をまちがえると、日々のポジショニングの積み重ねが屈曲拘縮をつくりだしてしまうということがしられるように、徐々になってきています(多分知られて来て、浸透していると信じたい)。

別の例で言えば、かつて推奨されていた、教科書にも載っているような、移乗の方法が、実は自立度の低下につながる場合もあります。

このような学びが、学校でできたか。

告白します。

私個人の経験からすると、不真面目な学生であった私はできておりませんでした。

そして、その学びは、先進的なものであればあるほどに、教科書中心の座学授業の中では決して学ぶことができない、臨床による技術的なものや、それに基づく評価であったりします。

それは、国家試験を念頭に置いたものではない、日々の臨床、実践を念頭に置いたものだからです。

作業療法に正解はありません。現在地点が人それぞれで、ゴールも人それぞれだからです。

かつての正解が、状況によっては不正解になることもありえます。

そのことを、経験値として知っている作業療法士ほど、OTSに対して、将来の臨床家として、今現在の最善をつくすことを求めますし、実習とはそのようにするべき場所だと思っています。

だからこそ、臨床家として、実習態度がどうのこうの言うわけです。

それが臨床の結果に直結することを、経験則として痛いほどわかっているからです。

つまり、作業療法士:OTR目線での実習とは、

「実習中の事象から、素直に考えて、行動すること」

だと感じていると思います。

自分はそう感じるようになってきています。

このギャップ 「ヤバい」

実習の指導は、OTSとスーパーバイザーであるOTRの間の事象なので、目指すべき場所が共有できてないとこじれます。

作業療法士の側としては、自分の目線から、上記のような学生の実習への取り組み方を見ていると、

「なにしにきたの」

となるわけで、それを学生に伝えます。

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言われたOTSは、なんで自分がそんなことを言われるのかも、わけがわからず、萎縮してしまい、その結果としてスーパーバイザーが求める実習態度から乖離していき、その度に「なにしにきたんですか」といわれるという悪循環が生じてしまいます。

その結果として、実習中の表出が制限され、なにもかわらないままに実習終了、お疲れ様でした、となるわけです。

自分の理解としてはこういうパターンは少なくないと思ってますし、間違ってないと思います。

作業療法士としての仕事時間のほんとうに貴重な時間の一部をボランティアの実習指導に費やして何も学生が成長しないままに実習終了するとか、本当に悪夢でしかないのですが、少なくないと思います。

正直、やばいなーとおもいます。

やばいなーと思いませんか。

では何でこういうことがおきるのかというと、上記を踏まえるとOTSとOTRの双方に要素がありそうです。

作業療法士の労力に見合った分、学生がたくさん学んで、成長して帰るようにするには、どうしたらよいでしょうか。

OTSは、自分の将来像を考えると幸せになれる

いろいろあるけれど、たとえば。

実習に来る前に、どんな職場働きたいのかは、なんとなくでも決めておくことです。

べつに後で変更したってかまわないので、自分はどんな領域のどんな場所で働きたいのか、それを明確にしてそれをスーパーバイザーであるOTRに伝えることです。

そして、そこで働くためには、自分はどんなことが必要と考えているので、どんな学びをその実習で得て帰りたいかということまで明確にできると、将来の自分のために動けるので、多少能動的になれるかもしれません。

自分なりに、自分自身について、実習に行く前に真剣に考えておくことが、実習前に行う準備として必要だったのかなと思います。

自分の将来像について、明確にできるといろいろ幸せになれそうな気がします。

作業療法士が学生時代の自分の体験(忘れたい?)を思い出す

本当に真剣に取り組んでる作業療法士ほど、日々の臨床がとんでもなく忙しいので、かつての自分を振り返る機会なんてありません。

今の自分の感覚や感性を基にして学生と関わるので、上記のような問題が発生するのではないでしょうか。

過去の自分を思い出してゾッとすると、目の前の学生が少しは可愛く見えるかもしれません。

いち作業療法士として学生目線をいつか忘れる恐怖

個人的な感覚ですが。

学生のことがいつかわからなくなるのが怖いです。

そのリスクは、自分が作業療法士として経験を重ね、成長するほどに高まるものだと思います。

学生のことがわからない作業療法士は、その学生の3年後を見据えた効率のよい指導や助言ができないのではないかと考えています。

後進育成のへたくそな作業療法士にはなりたくないので、いつか自分が今の自分の感覚だけに頼りすぎることが非常に恐ろしいです。

謙虚に

自分のことは棚に上げないと指導ができない場面は、確かにあります。

だからといって、それが行き過ぎて、かつての学生時代の自分の不出来と乖離したような実習目標を学生に負わせるのは、あまりにも雑な指導だなと、自分と学生とのかかわりを通じて思います。

養成校側から、よく言われる

「学生を患者様だと思って指導してください」

というのは、

「患者様に関わるときと同じくらい謙虚な気持ちで」

と自分なりに読み替えることにして、学生の成長を自分の糧にもできたら、自分はより良い作業療法士になれるかな、と考えています。

そうしておけば、学生にも謙虚になーれ、と指導しやすいです。気持ち的に。

互いを知れば「ヤバさ」は軽減できる

認知症の方への介入は、相互理解の促進にありますよね。

OTRとOTSの関係も同じではないかと思うので、この記事を書きました。

すこしでも「ヤバさ」が軽減されれば幸いです。

やり取りがしたい

こんな独善的な文章を読んでくださり、ありがとうございました。

よんでくださっている皆さんは、なにかしらおもところがあるはずです。

なにか気になる点がありましたら、LINE@をやってるので、そちらでメッセージ飛ばしていただければ、私自身の学びになりますので、よろしくお願い存じ上げます。

作業療法.netのLINE@アカウントはこちら

特に学生諸君の等身大の意見があると非常にうれしいです。

わからなさや不安があれば、質問していただければ、答えられる範囲でクローズドにやりとりします。

年取ると頭が固くなるな、と感じる今日この頃です。よろしくおねがいします。

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実習という作業療法士養成課程上必須な課程の問題点

フェイスブックのほうで、下記リンクの記事シェアをしたら、珍しくたくさんのいいねがもらえた。

理学・作業療法士学生、指導役と相次ぐトラブル 養成課程・実習環境、見直しへ―くらしなび

関心がそれだけ高い問題なのだなー、と。

それもあり、改めて内容を自分のために整理する意味も含めて記事にすることに。

別にこれから実習に行く学生さんを脅すような意図はない。

状況はかなり深刻と勝手に思っている。

実習の現場で今、なにが起こっているのか。

問題

現在起こっている問題は、結局以下に集約される。

実習生が、実習でつぶれる。

シンプルに起こっていることはそれだけのことである。

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その原因は3つある

①実習指導者の指導力不足

②学生の実力不足

③養成校の職務怠慢

この3つが、絶妙に絡み合って、実習先でつぶれる学生が続出しているように思える。

ひとつずつ見ていくと

① 実習指導者の指導力不足

実際問題として、実習生をしっかりと指導する余裕なんて、臨床にしっかりと取り組んでいる作業療法士にはあんまりない。

臨床のついでに指導する、もしくは、臨床しながら指導する。

そして、休憩時間とか、なけなしの空き時間を無理やり運用して、学生が書いたレポートを読む。

実習指導者の側に余裕がないのは、間違いない。

余裕がない中でも、人を導くことができるかどうかはよい作業療法士であるかどうかのひとつの判断材料であるとおもう。

学生の質は後述するように、芳しくないが、それを引き上げるのも、作業療法士の腕のみせどころではある。

と、思う。

そんな生易しいものじゃないけれど、人格や学習能力に問題がないのだったら、できる範囲でできるだけ伸ばして返してやるのが、できる実習指導者のあるべき姿と思ってるので、そうでない結果で学生を送り出すことが6割を超えるような指導者は、あんまり人を教えたり指導するのに向いてないかもしれない。

作業療法士向いてないかもしれない。

学生がろくでもない場合には、キチンと養成校側にその旨を伝えるのも仕事だけれど、その辺なあなあでなんのためにバイザーやってるのかわからない、そういう実習指導者もいることも事実。

②学生の実力不足

バイザーが教えてくれないと、あるいは、指示がないと実習中何をしたらよいかわかりません。

という学生が増えているが、これは学力不足というよりも社会経験の不足であり、そういう意味で実力不足が顕著である。

し、加えて、そもそも作業療法士になろうというモチベーションはあまり高くないままに、実習に来てしまう人もちらほらいる。

そして、臨床を甘く考えていたことを、いざ実習にきてみて強く突きつけられて、そこでおろおろとしてしまう人もいる。実習中に、自分が臨床を甘く見ていたことに気がついても、その後の実習で取り返すのは難しい。

臨床に見合うレベルの学生は少ない。

後述する理由で当たり前ではあるが、それで実習パスしたら、そんで国家試験に合格したら、そうしたらプロとして臨床に立つようになるわけである。

そう考えると、結構恐ろしいことだったりするので、バイザーが厳しくなるのも少しは理解してもらえるかなあどうかなあ。

実習に来ているということは、一通りの勉強は学校で終わってますよ、ということなので、学力不足は論外だし、学力をうまくいかせるように自分でなにが必要かをかんがえて動くことができることがとても大切なのだけれど、それができる学生はほとんどいない。

③養成校の職務怠慢

養成校は、学生を強く指導できないし、やる気のない学生を辞めさせることもできない。

なぜなら、学生が来ない学校はつぶれるからである。

そして、少子化によって、入学する人数自体が減少しつつある昨今においては、キチンとした指導をすることによって学生がやめるリスクをとるよりも、馴れ合いのような授業であったとしても学生に辞められないようなそういう指導をせざるをえない。

自分の指導によって学生が減少したとなれば、教職を追われることになるかもしれない。

さらにいえば、作業療法を教える作業療法士は二極化していて、ぜんぜん臨床経験ほとんどないけど研究で先生になりましたって言う人と、臨床一筋だけど論文よめませんかけませんっていう人。

その両方ができる人は少ないけれど、とくに前者の人は、いまさら臨床でがんばれないので、余計なかなか強く出ることができなかったりする。

学生が、不真面目なツケは結局のところ後のち本人に帰ってくることになるのだけれど、そうなるまえに気がつかせるのが教員の本来あるべき姿なのではないかと思うので、そういう意味では職務怠慢。

まとめ

結局のところ、誰が悪いというよりも、いろんな要因が重なって、その結果として実習生がつぶれる時代になっている。

そもそもの実習の仕組みが悪いので、たとえば医師のように、国家資格を取得した後にスーパーローテートでいろいろなジャンルのところではたらいてお給料もらいながら臨床にでるとか、そっちのほうがいい気がする。

そうじゃないと、結局学校が本人の責任を肩代わりしてしまうし、学生とバイザーの間に利害関係が強く生じてしまうので、学生のがわも指導者にしっかりとぶつかっていくことができない構造になってしまっている。

これはやっぱりよくないので、制度を変えることを考えるか、それが難しいというなら各人の不断の努力で何とかするしかないかとおもうのだが皆様いかが思われますか?

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実習について、実習終わった人と話をしましてからの話。

はじめに

本年度養成校を卒業される方々は、そろそろ長期実習が全て実習が終わる人が多くを占める時期かと思います。

最近、そんな今年実習おわった人話しをする機会がありました。

彼と話をしまして、自分自信が実習経験者ですのでいろいろと思うところもありました。

これから、実習にむけてがんばっていくことになる後輩君にとって役に立つ内容になるかどうかはわかりませんが、正直に思うところを書いてみたいと思います。

「運次第」な現状

結構話をしていてひろえもんが感じたのは、やっぱり実習先のあう・合わないって運次第なんだなあということです。

同じ学生が実習に行ったとしても、ある実習先によってはうまく行き、ある実習先によっては実習終了になるということは、割とあるようです。

本人の特性上の問題と、実習先の環境特性の双方によるところかとはおもいますが、運の要素もかなり高いなあと思っています。

安定的に作業療法士を養成するという観点からするとあまり望ましい事ではないなあと感じました。

実習時の経験は使える

養成校では、作業療法士になるためにいろいろな勉強をします。

ひろえもんもしてやした。

当たり前ですがいま、OTRとして働いている人々はすべからく、そのような勉強を経て働いています。

その勉強についてです。

ひろえもんは「座学で2年間学ぶよりも、数ヶ月の実習での経験の方が、日常の業務で使えるなあ」という実感をしてます。

座学も全くの無駄という訳ではないですが、長期実習の時に学んだ事がダイレクトに役に立っているなあと感じています。

無駄が少ないと言ったらいいのでしょうか?

んー。

なんと言えばいいのか。

どちらかといえば、言葉で学んだイメージよりも、具体的に経験したイメージのほうが、自分の行動を決断するときの材料にしやすいといえば、意味がストレートに伝わるでしょうか。

書籍に書いてあることを理解する際にも、実際の経験が先にある方が役に立つような気がしています。

実習と座学の順番は逆の方がラク?

実習に出るまでに、座学で学べるだけ学んでから出て行くのが現在のやり方です。

が、座学での学習コストは、実習してからの方が低くてすむような気がします。

理由は先にも述べたように、実習の経験を元にして書籍の理解を進める方がわかりやすいからです。

自分の同級生でも、国家試験の勉強をするときに、精神科の実習に行っていない人たちにとって精神疾患分野の勉強は相当手こずる感じでした。

一方、精神障害分野での実習経験がある人たちは、そんなに詰め込み勉強をしなくても直感的に問題を解く事が出来るという人が多かったです。

こんな経験から、やっぱりその分野についての症例をみる事が出来ていたり、実習として経験している事は、座学の学習効率を大幅アップさせるんだろうなとおもっています。

行ける場所が少ない

実習生にとって、実質失敗できない実習というのは非常に大きなプレッシャーになっていると思います。

ひろえもん自身「失敗したら、来年もういちどかあー」という、プレッシャーにやられそうになる事が実習中ありました。

実習中、学生自身の落ち度で実習中止になるのはある程度仕方の無い事なのかなあと思います。

しかし、現実にはとんでもない実習先もあります。

裁判沙汰にもなっています。

そのような場所に運悪くあたってしまうと、実習終了、もしくはその実習は勉強の場というよりも、苦行に耐える場所になってしまいます。

そうではなく、もしも実習先が6個くらいあって、それらの平均で実習の合否が決まるのであれば、より本人の実力が反映された合否結果が出るのではないかと思います。

加えて、学生の時点で視野を広げる意味でも、いろいろな場所で実習できる方がいいのではないかなあと感じています。

それは、就職先を考えるときにも役に立つはずですから。

実習の形の提案

総合するとこんなやり方が、実習生にはラクじゃないかなあと思っています。

いろいろ勘案すると、という意味でです。

色々欠点問題はありますが、上記の二つを改善する案のような何かです。

  1. 入学後、実習先でやる事や具体的な動き方について座学で勉強。
  2. 1週間程度 実習地で雑用業務
  3. みてきた事や経験した事について、レポート作成
  4. 今後学ぶべき事とその学習方法についての検討
  5. 基本的な業務ルーティーンについて、書籍と教授からお勉強
  6. 評価実習(3週間)
  7. レポート作成
  8. 長期実習(1ヶ月)を6カ所

非常に実習を重視した感じです。

OTSにとってのメリット・デメリット

メリット

①実習する施設が増えるので色々な所をみる事が出来る。

②変な実習施設にあたっても他の実習施設で挽回できる。

③卒業するまでには、それなりに即戦力

④実践的内容に即して、自分で学びを完成する能力が身に付く

デメリット

①座学をしてる時間がほとんどない

②体力面での負担が激増

③金銭面での負担が激増

④向いてない人は資格取得できる可能性が激減

結構金銭的なコストが現実的に大きな問題なんだろうなと思います。

すむところとか、食費とか、もともとすんでいたところの家賃だとか含めると結構な額が必要になりますものね…。

おわりに

実習の経験は、OTSのその後のキャリアプランニングに非常に大きな影響を与えるモノだと思います。

優秀な人材がその優秀さを発揮できるようなシステムが出来たらいいですよね。

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作業療法士に役立つよくわかる触診のコツ。ひろえもんの触診の方法論と、出来るようになるためにやったこと。

作業療法の、どの領域においても、作業療法士にとって評価の基本的手技である、触診についてのコツと練習方法を紹介します。

はじめに

作業療法でも、触診て、案外重要なんですよね。

「PTさんの仕事やん」

て言う人もおりますが、触診のできない作業療法士よりできる作業療法士の方が、関わってもらいたいと思うし、安心感が違いますよね。

実は、OTSさんとtwitterにてこんなやり取りをばいたしました。

何から評価したらいいかわからないと言うのは、作業療法学生と新米作業療法士のあるあるネタだと思います。

実際、自分も実習中にどの評価から始めるか、非常に苦労したなあということを思い出しました。

ですので、この記事を読む前よりも、「ああできそう」と思ってくれる作業療法学生さんと、新米作業療法士が増えたらいいなと思って書きます。

評価に必要なこと

まず、作業療法における評価において必要なことはなんでしょうか。

私は以下のようなことが必要と考えています。

・正しい知識

・正しい推察

・正しい確認、検証

正しい知識

触診であれば、筋肉や腱などの体の構造を知らなければ、どこに触っているのかわかりません。

地図もなく、文字も読めない外国の街を歩いて、目的地を探すようなものです。

とても効率が悪く、見つかる保証もありません。

作業療法の時間は、身体障害領域においては、1単位が20分です。

大げさに言えば、評価に無用な時間を要することは、作業療法対象者の十分な治療を受ける権利を奪うことに繋がらないでしょうか。

正しい推察

上記でも述べたように、時間のリソースは限られています。

正しい知識を十分に生かすための、戦略が重要です。

より効率的に、問題を特定するには、推察が欠かせません。

先ほどのように旅行に例えましょう。

目的地にたどり着くために、街をやたらめったら歩いて見つけるのは筋が悪いですよね。ではなく、きちんとランドマークを特定し、ランドマークとの相対的な方向や距離から目的地の場所を探すと、おおよその場所の目安がつけられるので、見つかりやすいはずです。

研究ではあり得ませんが、臨床においては、「だいたいこんな感じ」というのは極めて重要です。

正しい確認、検証

ただし、「だいたいこんな感じ」が、活きるためには、

「これで良い」

を確認できる根拠が必要です。

そこには、結果を知識に基づいて、分析する能力が必要です。

ここでも旅行に例えます。

到着した場所が、目的地だと理解できること、そしてそれによって、自分が通ってきた道のりは正しかったと言えることが、正しい確認と検証に対応します。

コラム やはり慣れは重要

上記3つの要素に加えて、重要なファクターとして「慣れ」があると思います。

例えば触診であれば、「患者様に触れる」と言うそれだけで、慣れるまでは緊張してしまいますよね。

こうした緊張に影響されやすい作業療法士は、結局、回数を重ねることでしか、「できる」感覚は味わえないものなのかもしれません。(ちなみに、私はこのタイプです。)とかいきなりこんな事を書いてしまっては、しょうもない、と思われるかもしれないですが、始めたばかりでできないのは当たり前なので、落ち込む必要はないと言うことです。

要するに、何が言いたかったかと言うと、継続が重要ということです。

触診の重要性

さて、そんな感じで触診なのですが、触診はもちろん、作業療法士にとって重要な技術の一つです。

死ぬほど抱えた苦手意識がいつの間にか消えて、できるようになっていたってだけで、よくよく考えると自分も触診苦手意識あったなあーということを思い出しました。

現在、精神科勤務なので、がっつり触診が必要になることは少ない、むしろ全然ないのですが、それでも、ときに不全麻痺の作業療法対象者の方とかもおられますし、筋肉の痛みを訴えておられたらそれが身体的なものか、精神的なものかを判別できないと介入するべきポイントが全く異なるのでやっぱりできるに越したことはないなあと思います。

触診は、「評価で必要なこと」の「正しい確認、検証」における強力な武器です。

重要です。

触診のポイント

触診でのポイントと、習得方法についてざざっと書いてみたいと思います。

間違っていたらすみませんです。ご指摘ください。

とくに、身体障害系で日夜、触診されている方のご意見伺ってみたいです。

よろしくお願いいたします。

触診とは

患者様に触れることによって、観察対象の状態を見ることです。

観察対象とは、具体的には、筋肉や骨、靭帯の状態や、その機能をみる事だと思います。

その認識で話を進めます。

MMT(徒手筋力テスト)できますか?

触診の中でも、非常にポピュラーというか知名度が高いのが、MMT(徒手筋力テスト)です。

たとえば、脳卒中後の検査でMMTは、やって当たり前ですね。

MMTは、触診として典型的かつ代表的で語りやすいので、まず、MMTを念頭において話をしていきたいと思います。

触診は、目的の意識がとても大切ですが、MMTにおいては、明確に筋肉を調べたい、特にどの筋肉がどの程度作用する能力を持っているのかを調べたいという明らかな目的があります。

やり方は一意であり、その評価の方法も非常に単純で、多くの人に共有される方法論です。国家試験にも当たり前の知識として出てくるものでもあり、すべてのOTRが一度はきちんと暗記するものでもあります。

このような書籍もあります。詳細が書いてあります。高いですけど。

できて当たり前と思われる内容ですが、できない人はできないです。

全員習っている内容なのに、なぜでしょうか。

きっといくらかわからないポイントがあるのだと思うので、自分の中にある思い当たる節を書いていきます。

基本的な用語わかりますか?

MMTにかぎりませんが、触診関連の解説書や指南書には、解剖学的肢位とか正中線とか、肩峰とか、解剖学的な用語が基本的に理解の前提として当たり前のように出てきます。

つまり、解剖学などの専門用語があやふやだと、解説書に書かれている事柄を実践するだけでも難しく、ましてや、意味をしっかりと理解しながら、正しい方法を身に着けることもできません。

解剖学などで、出てきた用語に自信がない場合には、それを放っておかずに、時間を見つけて調べることをお勧めします。

筋肉の前の骨学

筋肉を単体で覚えようとするとかえって理解が難しいです。

冒頭でランドマークが大切という話をしました。

筋肉を触診することは多いですが、その場合、筋肉を触るよりも、骨を触った方がわかりやすいので、骨をランドマークにしてそこからの相対的な位置を頼りに筋肉を探すべきです。

どこから起こって、どこで終わる筋肉なのかが、名前と一緒に把握できていると、おおよその機能の正しい推測ができます。なんと、逆に、筋肉の機能から筋肉の走行を予測することもできますが、それは骨に対する正しい知識があればこそです。

筋の走行の深さ

触診をきちんと行えるためには、きちんと筋の走行を知っておくことは大切だと思います。

一方で、深いところにある筋肉を頑張って触ろうとする新米作業療法士がいました。私のことです。頑張ってもさわれません。いくら走行が正しくても、です。

つまり、皮膚からどの程度の深さのところに、どの筋があるかなどは、大まかに把握しておく必要があるということです。

こればかりは、経験関係ないです。書籍などで別途勉強するしかありません。

実際に人体解剖に立ち会える人はあまりいらっしゃらないと思いますが、解剖学の教科書などに書かれている筋肉の断面図や人体模型などで、ある程度勉強できると思います。

今持っている解剖学の教科書にしっくりとこない人はこちらの名著がお勧めでございます。もっさりしていて、面白さのかけらもありませんが、役に立ちます。



物理学的な知識

物理嫌いな作業療法士が多くて個人的に悲しいです。

少し分かってるだけで、骨と筋肉と機能との関係性が、動的で生き生きとしたものになります。触診だけでなく、動作指導などにも使えます。作業療法士の強力な武器だと思うのです。

例えば、モーメントや、力の概念、運動方程式などがそうです。

とくに、モーメントの考え方は、国試の勉強の時にも役にたちますし、臨床に出てからも移乗とかでかなり使うように思います。すでに就職している人は、なおのこと勉強して感覚と結びつけることが必要だと思います。

国試の問題では、たとえば、トレンデレンブルク徴候とかの理解にもつながりますし、わかっておくといろいろ助かる場面が必ずあります。

 触っている感覚

そして、個人的にとても重要だなとおもっている物があります。

それは、筋肉や、骨に触っているという感覚です。

何を当たり前のことをと思われるでしょうが、この当たり前の感覚が得られるまでには、何度も触診を繰り返して、経験を重ねることが必要だと思います。「筋肉に触っている」という事がわからないと、実は触っているのにいつまでたっても「触診が出来る」という感覚に至れませんよね。

おすすめ触診の練習法

作業療法士が、触診上達するためには、最後に述べた感覚を身につけることが近道だとおもってます。恐れずに挑戦しましょう。

そのためには、次のような方法をお勧めします。

自分の上腕二頭筋で遊ぶ

まず、自分の上腕二頭筋に触れてみましょう。

なぜなら、上腕二頭筋の走行は単純です。さらに、機能もわかりやすい。

見た目でもわかりやすい。

さらに、皮膚表層に近い筋肉で触りやすい。

筋腹周りに紛らわしい筋肉も無いので、同定もしやすいです。

どうしてもわからないひとは、前腕外転位にして、肘を屈曲しましょう。

かなりわかりやすくなると思います硬くなったのが上腕二頭筋です。

わかりましたか?

これは内転位ですよ。

分かったら、肘の曲げ伸ばしをして、そして触ってみた違いを認識しましょう。

ある程度、触ってると力が入っている時の筋の触り心地と、脱力時の違いが何となくわかるようになってきます。

そのうち、力が入っていない上腕二頭筋でも走行がわかるようになってくると思います。

自分で、自分の上腕二頭筋触って、走行がわかるようになったら、他人の上腕二頭筋を同定する練習を学友やら同僚と一緒にしましょう。

このとき、相手も自分の上腕二頭筋を触って遊んでいると、自分のを触ったときに「上腕二頭筋を触られる感覚」も同時に習得しているはずなので、触っているところが上腕二頭筋かどうかの判定って容易だと思います。

あとは大きい筋肉で、色々試していきましょう。このようにして、いろいろな筋肉で、触っている感覚をつかんでいくことで、筋の触診って出来るようになっていくように思います。

機能が重複していて、同定が難しい筋肉もありますけれども(股関節内転筋群とか)、そもそも臨床にて筋単体の働きが重要になることって、手の外科等をのぞけばそんなに無いような気もします。

ですから、そんなに、過敏になる必要もないのかなあとおもったりします。

コラム 神経

支配神経と神経レベルがある程度理解できていると、麻痺のある患者様とお話しさせていただくときに、不必要におどおどする事が少なくなるので、触診のついでに神経について学び直すのもお勧めしたいです。

国試にも出ますしね。

おわりに

そんな感じで、触診苦手意識MAXだった私が、いつのまにか何となく触診できるようになった方法とかについて書いてみました。

自分自身書いてみて、学生時代あれだけ苦手意識あったのに、実習とOTRの経験をとおしてそれなりには出来るようになるもんだなあとしみじみとおもいました。

ひょっとすると書き落としがあるかもしれません。

何かあったときには、随時、追記したいと思います。

まとめ

触診は、作業療法の評価法の一つで重要。

触診は怖くない。

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自分しか気にしないようなミスをくよくよ気にしても仕方ない

はじめに

失敗したことを気にするより、次の失敗の可能性を摘むことを考えたいなというおはなしです。

以下大半は自分がたりです。

ほかの新人とか、新人を指導する上司の方々、および、今日から総合臨床実習に望む後輩君たちの役に立てば幸いです。

新人生活はミスばかり

現在大変ミスの多い生活を送っております。

でもでも幸いというか、当然というか、患者様にご迷惑をおかけするようなたぐいのミスは、しておりません。

それは、自分自身の注意を払っていたり、周囲の先輩方の手厚いフォローのおかげで、2重3重のセーフティーネットが敷かれている事によると思います。

ミスをしてるのは、そういう、間違えるとヤバいと自分が認識している部分よりもそれ以外の部分だったりします。

新人および、実習生は、小さなミスをたくさんします。多分。

そんなミスをしてしまったときにはどうしたらいいのかな、なんて考えてみました。

ミスの質

で、現在しているミスは大きく分けて2通りになるんじゃないかとおもうのです。

まず一つ目は、自分の知識不足からくるミス。

正確にはミス、というか、単なる経験不足だったり。

経験が足りないことが原因で、うまくやるために必要ないろいろな要素が不足しているために必然的にうまくいかないという現象が一つ目。

そして、2つ目。

これは、単なるイージーミス。

さっきとは逆に、要素的には十分に問題なくこなせるはずなのに、できて当然なのに、できていない。

そんなミス。

こちらは、慣れない環境で頭がきちんとフル回転させることができていないことが原因で起こっていると考えます。

つまり、業務になれるとか、きちんと頭の中にチェックリストを常駐させるとか、そういう要素が満たされるにつれて減っていくのではないかと思います。

これらのミスにどう対応するか

継続的な学習を積み重ねていくことと、抜けやもれがないかどうかを、自分で確認するだけでなく、慣れるまでは他の人にも確認してもらうのが良いのではないでしょうか。

実際、他の人にチェックしてもらうということを意識するだけでも、気は引き締まると思いますし、その効果だけで、ちょっとミスが減りそうな気がします。

ミスした過去にとらわれない

ミスした過去を反省することは必要ですが、後悔し続けることに意味はないということは、たくさんの人がいっていることだと思います。

ですから、自分がしたミスは記録、分析したら、もうそれについて、ぐじぐじと悩むのはやめにするべきですよね。

今後同じことが起きたときに、以前のミスを繰り返さない用にすることが必要なのであって、いつまでも過去の失敗という事実のみにとらわれているのは、精神衛生上も良くないですし。

おわりに

ミスについて、自分一人で悩むのはメリットが少ないですが、それとは対照的に人に相談することには意味があるように思います。

人に相談することには、たとえば、自分が思いもしなかったような新しい視点、解釈、分析を得ることができるなどのメリットがあります。

自分の視野を広げることが、物事を様々な側面からとらえることにつながり、それは、ミスを減らすことにつながっていくと思います。

ミスをくよくよと気にするくらいなら、今日の失敗の場面が次にやってきたときに、平然と対処できるようにすることのほうがよっぽど有意義なんだ。と思います。

作業療法士は医療職なので、ほんの小さなミスが、患者様の生死を分けることになる可能性は常に存在している仕事だと思います。

緊張感と向上心をもって、ミスを減らせるような生活をしていきたいと思います。

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「生きるをどう定義するか。あるいは、生きるとは何か。」という哲学的問いが高齢期医療では、重くのしかかる。と感じた件について。

はじめに

実習時の個人的な体験に基づく話です。
実習にこれから行かれる方で、もし、この記事を読んでくださっている方があれば、自分なりに考えてみてもらえると、書いてみた甲斐があります。

実習に出るまで、分からない現実があります。
教科書に書かれていない要素も、臨床ではたくさん起こっています。
その中で、あえて詳しく取り上げていないことも、たくさんあると感じました。

その中の一つについてです。

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高齢期の患者さまばかりの病院

自分が、実習をさせていただいた病院では、作業療法の対象となる方は、ご高齢者の方が多かったです。
普段日常においてあまり、関わることの無い世代の方と、たくさん関わらせていただくことができました。
その経験は、自分の貴重な財産になってます。

そんな実りの多い実習ではありましたが、反面、「ままならないなあ」ということもたくさんありました。

その中の一つが、人生への満足を表明される方にどう応じたらいいのかという事でした。

「もう十分生きた。死にたい。」

という趣旨のことを、患者様が、おっしゃるわけです。
自分は、高々20年あまりを生きてきた若輩者です。
そんな人間に対して、患者様の中には

「もう十分に生きたよ」
「いい人生だった」
「満足」
「だから、苦痛が続くのに生きている必要を感じない」
「なぜ、リハビリをしないといけないのか」

という、趣旨の発言をされる方がいらっしゃったわけです。

しかも、お1人やお2人ではないんですよね…。
結構いらっしゃる。

結局、実習中、自分は
「そんなこと言わないでください」
とか
「お会いできてうれしいです」

とか返して、ある意味で、患者様の問いから逃げることしかできませんでした。

きっと、自分の中に、その問いの答えが無かったからです。

患者様は、自分の死を選べない

いくら、ご本人さまが「死にたい」といったって、そんなこと周囲が絶対に許さない環境の最たるものが病院です。
生命の危機から、脱して、社会に戻れるような基礎を作ることは、病院の重要な役割の一つだと思います。

けれども、いろいろあって、退院できない患者様(社会的入院)となっている方も、やはりたくさんいらっしゃいました。
そういった方々の中で、死にたいとおっしゃっている方がいらっしゃるわけです。

病院は、患者が入院したら、退院するまで、死なないように面倒を見続けてくれます。
たとえ本人がそれを望まなくても、ある意味、本人のそういった感情などは無視して、医療的な延命が行われているのかもしれない。
そう思ってしまうような、現実を経験しました。

今日見た記事ですがこんなのがありました。

 麻生太郎副総理は21日の社会保障制度改革国民会議で、高齢者など終末期の高額医療費に関し「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないとかなわない」と述べた。

同時に「高額医療を下げて、そのあと残存生命期間が何カ月か。それにかける金が月に何千万円か、現実を厚生労働省も知っている」とも述べ、財政負担が重い現実を指摘した。

2013/01/21 13:51   【共同通信】

麻生太郎副総理の発言は、財政に配慮したものであることは間違いありませんが、その一方で、きっと、「さっさと死ねるようにしてもらわないとかなわない」という発言は本音なのだろうと勝手に思いました。

実は、自分が、患者様の問いに対してろくな返事ができなかったのには、もう一つ理由があります。

それは、自分が患者様と同じ立場に置かれたときに、自分はきっと、この患者様と、同じことを感じ、同じことを言うだろうと、そんなことを考えてしまったからです。
「相手の感情に巻き込まれるとは未熟だ」
というご意見もございますでしょうが、ともかく、そんな風に考えてしまったのです。

だから、何も言えなくなってしまいました。

逆に、「そうですよね」なんて、言ってしまいそうでした。

おわりに

最近、とみに、
「どう生きるかということは、どのように人生を終わらせるかだ」
と感じます。

人生はよく、物語にたとえられます。
物語は、いくら始まりや途中の盛り上がりが良かろうが、終わりが悪ければ、その物語への評価は下がってしまうと思います。

いくら考えても答えは出ませんが、何と答えるべきだったのでしょうか。

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