「相手を思いやれない障害」の持ち主とどのように付き合っていったらいいんだろう。

はじめに

はてな増田にて気になる文章があったので、全文転載。

以下がそうなのですが、タイトルからして過激です。

記事本文ママ

どんなに会社の損失になっても辞めていただきたい

僕の職場に、鬱病になり一年休み、復帰してきた人がいる。闘病して復帰してきた、それも精神病だから、みんな腫れ物を触るようにやさしくやさしく扱っている。病気っていうのは健康な僕にはわからない大変な苦労だと思う。復帰するのは、本人だけでなく家族や周囲の協力あっての大変な努力であり、すごいことだと思う。

だけど。僕はあまり同情したくない。その人(仮にAさん(男)とする)は態度がものすごく傍若無人なのだ。病人だったとは思えないほど元気なのだ。(Aさんのプライベートをしらないから、もしかしたら職場でだけ無理矢理明るく振る舞っているのかもしれないが。。)

僕はみんなのやさしい態度には疑問を感じていたけど、病気から復帰したなんて先輩に聞くまで知らなかった。話を聞けば、うちの会社は母体は大きいが一つ一つの部署の規模は小さく、また専門職のため移動ができず、狭い人間関係と忙しい仕事の中でストレスが溜まり病気になったとのことらしい。

Aさんは頭がいい。みんなが知ってる有名国立大学の院まででている。だけど、人の気持ちに鈍感なところがあって、人を傷つけるようなことを平気でズケズケ言うし、常に自分は一番偉いし間違っていないという感じ。イライラすれば書類を机にたたきつけたり、舌打ちしたり、ドアをガッシャーンと閉めたりする。

ミスをすればなぜミスをし、どういう気持ちで仕事に取り組んでいるのか小一時間問いつめるし、分からないことを聞きに行けば、こんな事も分からないのか、お前は何年目だと叱責する。予定を立てれば批判ばかりして、Aさんの意見を聞けばそうやってすぐ人に頼ろうとするとまた怒鳴られる。あんまりにも理不尽だ、おかしい、とちょっとでも反発しようもんなら、100倍返しでまた怒鳴られる。(ちなみにこれは全部社員から見える場所で行われる)

僕は新入社員だから、何を言われても仕方がないと諦め、どんなひどいことを言われても黙って耐えてきた。だけどAさんは、新入社員のみならず、たとえ上司であろうと社内の人全員にそう言う態度をとる。本人は自分が地雷をドカドカ踏んでいることは気が付いている。しかし病気だった自分に怒るはずがない・意見を言うはずがない・高学歴の自分を切る訳がない。という自負がとっっても見える。

みんな、すっっっっっごいイライラしてる。だけど言えない、「病気だった」から。Aさんは、人から何か言われることに耐性がないから、言ったらすぐまた「病気」になってしまう。以前上司がどうでもいい雑務でAさんに注意したとき、Aさんは顔を真っ赤にして怒りながらたばこを吸いに行き、次の日には体の調子がおかしい・病気が上司のせいで再発したと怒鳴り散らして病院に行ってしまった。それにAさんはちょっとした風邪や、ただ転んですりむいても「鬱病のときみたいに大事になったら大変だ」とすぐ病院に行ってしまう。仕事を投げ出して。

僕はAさんに怒りしか覚えない。仕事ができるからと言って、周囲の人のストレスを考慮せず首を切らない会社にも腹が立つ。結局自分が悪役になりたくないから上司は彼を注意しない。僕がこんなに腹が立つのはAさんが病気になったところを知らないせいだ、復帰したのはすごい努力のたまもの、尊敬すべきことだ、Aさんは先輩だし仕事はとてもできるのだからすこしの言い方ぐらい目をつむろう。と毎日呪文のように言い聞かせているのだけれど、もう我慢の限界だ。Aさんは病気だったという事実を振りかざして、周囲の人を攻撃し怯えさせることで自分の身を守り、ぬくぬくした環境で生きているようにしか感じられない。

せめて自分が傷つきやすいのなら、どうして他の人に優しくできないのか。自分の痛みには必要以上に敏感なのに、どうして人の痛みに無関心でいられるのか。言われて嫌なことをわざわざ言って、言われたその人がどういう気持ちになるのかどうして想像できないのか。ものすごく周りに気をつかえとか、言葉遣い全て直せとか言っているわけではない。ほんのすこしの配慮でいい、考えればわかることだ。

これは病気のせいなんかじゃない、人が生きていく上で最低限持つべき思いやりだ。これができないのなら、社会になどでてこないで、自宅でひとり引きこもっていればいい。死ぬまで自分が一番だと思ってろ。(まあ、Aさんは奥さんも子供もいるのだが…)

いつまでもかわいい対象が自分だけで、他の人には無関心なまま自分を守り続けているようじゃ、永遠にあの人の病気は治らない。はやくあの人をクビにしないと、このままじゃ僕を含め周りの人の方がはやいところ病気になってしまう。

どうしたらいいんだろう

言ってることは、非常によくわかるんですよね。

他人を思いやれないのは、明らかにうつ病の症状ではないですが、これホントにうつ病なんだろうか、診断違うんじゃないかとか思わなくもないですが、パーソナリティ障害と併発しているんでしょうか。

あるいは、アスペルガー障害的なものなのかもしれません。

断定的なことは、いずれにしても上の文章からはうかがい知ることはできないです。

おわりに

近年、このような「他人を思いやることができない」ということを、障害の一つとしてとらえるという見方が一般的になって来ているように思います。

そのいっぽうで、まだまだこういった社会性に関連する不具合を障害としてみなすという考え方が十分に浸透しているとは言いにくい状況です。

また、たとえ、それが障害だと認められたとしてもそこから先が無いのも現状なのかなという気がしています。

その先の問題についての解決策が必要だと思いました。

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OTS(作業療法士見習い)としての自分の感覚が相当世間ずれしてきていることにいまさらながらに気が付かされた出来事について

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はじめに

ネットの記事を流し読みしていたらですね。

こんな記事があったのですよ。

人の顔が覚えられない「相貌失認」について知ってください – NAVER まとめ

相貌失認については、詳しくは上記を見ていただくとして、結構、個人的には非常に衝撃的でした。

何が衝撃的だったかというと、自分が「相貌失認みんな知らないの?」っと、何気なく、何の気なしに、何も考えずに、そういう風に思ったことです。

つまり、自分の感覚と世間の常識がずれていることに、はたと気が付かされたわけです。

作業療法学にはマニアックな(世間一般が知らないような)知識が多い

それがきっかけで、作業療法士養成課程で今まで学んできたことを振り返って見ました。
すると、確かに、専門課程にて、勉強してきたことは、ここで勉強しなければ、きっと、一生知りえなかっただろうなと思うことが、非常にたくさんありました。
作業療法学の基礎となる部分についての、高次脳機能等に関する、専門的な知識って、あんまり、社会的に認知度が高くないんだなーと思いました。

個人的には、いま、特に、国家試験の勉強中ですので、そのせいで、感覚がより、世間一般からかい離しているような、そんな気がします。


世間的理解はあったほうが、よいと思う

何で、世間的理解を深めないといけないかというと、知らないと、やっぱり、助けようがないし、「奇妙だ」「変だ」となって、拒絶に行っちゃうことが多いと思うのです。

自分自身、実際、作業療法学の勉強する前と、した後とで、精神疾患や高次脳機能障害を持っている方を見た時の、その方へのとらえ方は、きっと大きく変化していると思います。
最も、実際に、社会でおみかけすることが無かったので、比べようがありませんが、でも、ひょっとすると、そうした症状が出ている人が社会の中で生活していたけれども、それに、気が付くことができていなかっただけかもしれません。

世間的な理解が進めば、「変だ」「奇妙だ」の先にある、「どんなところに困っているのだろう」「どんな支援が必要なのだろう」に行くことができると思うのです。

世間的な理解を深めるためには

どうしたらよいでしょうね。
社会的認知度が高まらない一つの理由として、目にする機会がないというものがあると思います。

つまり、社会でなかなか、高次脳機能障害を持った方と接する機会がないという現状があって、それが一つの理由となっているのではないかと思うのです。

これを、どうにかすることができれば、何か変わるかもしれません。

また、簡単に入手できる情報が少ないというのも、一つの原因だと思います。
たとえば、先ほども述べましたが、自分の場合、作業療法士養育過程において、教科書などで学ぶ機会が無ければ、きっと、高次脳機能障害や精神疾患についての知識を、体系的に持つことなどあり得なかったと思うのです。
ですから、より簡単にそう行った情報が手に入れられるように、情報入手のハードルを下げる試みをしていくことも一つの手段として重要だと思います。

たとえば、今回の冒頭で、ご紹介したように、情報をインターネット上に掲載するというのも、一つの有効な手段だと思います。
いまや、若い人だけではなく、全年齢が、インターネットに手を伸ばすことができる時代ですから。

おわりに

さて、乙武先生が、とあるつぶやきをされておられました。
そのつぶやきを引用して、記事を終わりたいと思います。

自分も、乙武先生がおっしゃっておられるような、「目に見えない障害」に対する理解にも、幾ばくかの貢献ができればと思います。

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知的障害者が看護アシスト 国立がんセンター東病院

はじめに

意外と知的障害者と接したことがあるという人、少ない気がします。

ひょっとすると、メディアで見る頻度の方が多いかもしれません。

なんといったって24時間テレビには障害者特集みたいなコーナーがありますし。
その他のチャリティー企画とかなんとかも、テレビではよく見ますし。

ぶっちゃけると、自分もそうです。

精神障害者というか、精神症状が出てる方を、街で見かけることはあっても、なかなか知的障害のある方を街中でお見かけすることはないです。
「町へ出かける」という事にも、それだけ多くのことが要求されるというという事なのだな、と理解しています。

なお、本来であれば精神発達遅滞という専門用語的な何かを使うべきですが、一般になじみがないと思われるので知的障害という言葉を使います。
ご了承ください。

知的障害者への偏見と環境

知的障害者とひとくくりにしてしまうのも、問題はありますが、「知的障害者はわけがわからない人」「知的障害者はあぶない」といった勘違いや決めつけ、偏見を耳にすることが実際にあります。

特に先天的な知的障害に対しては、より、そのような偏見というか、バイアスがかかったイメージを持ってる人が多い印象があります。

ダウン症(21トリソミー)などは、比較的知名度が高く、また養育者の活動も活発なため社会的な理解も比較的高い印象です。
しかし、全ての知的障害者がそのような社会的な理解を得ているわけではありません。

先ほど述べたようにそもそも実体験としてなかなか知的障害者に出会う機会が乏しいわけですから、そういったバイアスがかかったとしても、むしろ自然な社会環境であるとはいえると思います。

ですから、もし、偏見があって、それを解消するには、偏見を持った人が知的障害を持つ方と関わる機会を作る必要があります。
そして、できるならば、何かを協力してやり遂げることが出来れば、その間に、誤った先入観は一つずつ解消されるのではないかと思います。

知的障害者と労働環境

その手段の一つとして、知的障害者が働ける場を確保することには、単純に彼らに労働機会を与える以上の社会的意義が存在するはずと考えます。

たとえば、知的障害者とかかわりのなかった人が、新たなかかわりを得ることによって、これまで自分の生活圏域となかなかクロスしなかった知的障害者の実際を知ることとなります。
これがきっかけとなって、「出来る労働」「出来ない労働」の存在を社会に対して理解させることができるかもしれません。

具体的には、「知的障害者が労働する」といえば、「簡単で単純で誰でもできる労働である」というイメージが多いようです。
知的労働は確かに困難であると考えられます。
しかし、彼らの特性を生かすことができるのであれば、彼らの強みを生かすような仕事をきちんと提供することができるのであれば、そのようなイメージはまた違ったものとなるはずです。
つまり、彼らが自分の能力を最大限に生かして行える仕事を、きちんと提供できるかどうかが重要になるということです。

職業能力評価の重要性

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そこで、彼らの能力を極力、最大限に生かすことができるような仕事を見つけるためには、どうすべきでしょうか。
私は、まず、彼らが何を行うことができて、何が苦手で、どんなことが得意なのか、どういったことが好きなのかといったことをきちんと評価していくことが重要になると考えます。

能力を生かすことができる仕事を見つけるための前提として、彼らの能力を明確化する必要があるからです。
もし、何ができるのかが分かっていなければ、どの様な職場で、どのような労働をしてもらうべきかを考えることができません。
また、もし、間違った能力評価が行われたとすると、本人が苦手とする仕事が割り当てられたり、あるいは、もっと活躍できる仕事を提供でき方も知れないのに、その機会を奪うことにもなるかもしれません。

このように、知的障害者が、どのような仕事なら、継続して行うことができるかといったことを評価しておくことは、非常に重要です。

作業療法士の評価技術を生かせるのでは

作業療法士の業務の中には、評価というものがあります。
それに対して、普段患者様に行う治療的手技の実践を介入と言います。

評価の目的は、評価尺度や自然言語を用いて、対象者の現在のありようを、問題点・利点の双方が明らかとなるように、包括的に評価し、具体的な介入の方法を明らかにすることです。
簡単に言うと、この対象者がどのような支援を必要としているのかを見極める作業ということになります。
この評価を行う時に、使用するさまざまな技術が、知的障害者の就労可能な労働環境を検索する際にも役に立つのではないでしょうか。

というか、多分立つと思います。
本質的には、やることは何も変わらないので、単なる障害の有無を超えて、対象者の幅広い特性を明らかにすることができると思います。
対象者の特性がきちんと明らかになっていれば、雇用する側のハードルが一つ下がると考えられます。
つまり、知的障害者が、より社会に出ていくきっかけを得やすくなると考えられます。

先ほども述べたように、現在の社会的な状況では、知的障害者が働くことには単にその人が金銭的な収入を得る事以上の意義があるとおもいます。
その意義が達成されることは、一種の社会的貢献といえるのではないでしょうか。

そして、作業療法士にはその手伝いができるのではないでしょうか。
ということを以下に紹介する記事を読んで思いました。

この流れは拡大するかも

日本経済新聞の記事です。
一部引用します。

来年度から障害者雇用率が引き上げられることもあり、厚生労働省は「ほかの医療機関も参考にしてほしい」としている

とのことですので、今後、こうした流れが徐々に大きくなっていくかもしれません。
もちろん、この取り組みがきちんと成果を残せるかどうかということがまず一つの大きな壁ですが、その後、さらに多くの知的障害者が社会で働きたいとなった時に、「どのような要素を持つ職業であれば可能か」あるいは逆に「この職業には、どのような能力が必要か」などといった評価ができる人間が大量に必要となると推測されます。

もしそうなったら、それはOTの出番なんじゃないかと、こっそり考えています。

おわりに

そもそも、知的障害者との出会いがないのが、きっと問題なんじゃないかという論調で書きましたが、実はそんなことないのかもしれません。
別の意見がある方は是非、またツイッターか、コメントか、メールかでご意見くださいませ。

参考:  知的障害者が看護アシスト 国立がんセンター東病院  :日本経済新聞

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自制心をどのように制御するか、あるいは、誘惑に対してどのように立ち向かうのかという話(TED Talksから紹介)

自制心がなぜ重要か

精神科では、アルコール依存症や薬物中毒を患って入院される患者様もいらっしゃいます。
自分は、実習中に複数名かかわらせていただく機会がありました。

やめなければならないという意識が乏しい場合には、特に、その意識を持ってもらうように心理教育を重ねたり、認知行動療法をおこなったりする必要があります。
作業療法においても関わりが深い部分だと思います。

ところが、「やめなければならない」とおもっていても、それがやめられない、「つい誘惑に負けてしまう」ということがあります。

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他人ごとではない

これは、健常者にもよくあることだと思います。
たとえば、ダイエットを志してから、一時間とたたず、もらい物のお菓子があったことを思い出して、それを食べる。
たとえば、健康のために朝早く起きてジョギングをしようと考える。
しかし、朝が来ても、寒さを理由に布団から出ることができないで、結局お昼になってしまう。
(ちなみに、自分の実体験です。)

あるのは、健常者の場合には、それが、致命的でないというそれだけの違いです。

きっと、自制心が誘惑に負けてしまう仕組みは、健常者とアルコール依存症や、薬物中毒の人たちの間でそんなに変わりはないのではないかと思います。
もちろん、フラッシュバック等や、禁断症状などまでいけば話は別ですが、そこに至るまでの途中の過程の話です。

そんな話のヒントになりそうなものがあったので、ご紹介いたします。

自制心について (TED Talks)

TEDとは

TED(てど、てっど)とは、Technology Entertainment Design の略です。

2006年から講演会の内容をインターネット上で無料で動画配信するようになって、一躍有名になりました。
ご存知の方も多いともいます。
さまざまな分野の一線で活躍する人々のプレゼンテーションを無料で見ることができます。

ちなみに、ご紹介した上記のサイトでは、TEDのプレゼンテーションを日本語に訳されたものを見ることができます。

プレゼンの内容

プレゼンテーションを行っているのは、Dan Ariely という人物です。
彼は、経済とかの研究者です。

そんな彼は病気をして入院していたことがあるそうですが、輸血した血に問題があって肝臓病になったとのこと。
そして、ときどきこの肝臓病が悪化して具合が悪くなり、酷い思いをし、ついには、C型肝炎と言われてしまいます。

幸いにも、新薬の治験に参加することができ、治療をする機会を得ることができたそうです。

しかし、その内容は「1年半に渡って、注射後16時間は具合が悪くなって、頭痛、吐き気、悪寒といった症状が出る注射を、週3回を打ち続ける」という過酷なもの。
彼と時期を同じくして、治験に参加した他のメンバーは誰一人として、規定の時間を守り続けることができませんでした。

ところが、彼はやり遂げることができました。

それはなぜでしょうか?
以下の動画をご覧ください。

面倒な方は、リンク先に答えがありますので、ご自分で読んでみてください。
自分は、よんでみて、ああ、なるほどなあとおもいました。

自制心について (TED Talks)

自制心をどのようにして制御するかということを他者にアドバイスするような場面において、このプレゼンテーションの内容は非常に役に立つのではないかと思います。

これで、あしたから誘惑に負けずに国家試験の勉強に励むことができそうです。
多分。

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