「自死」と言葉の言い換えの空しさと、その向こう側の本質

少し前に、「自殺」は聞くに堪えないから、「自死」という言葉に変更しようという活動をしている人たちがいるということがニュースになってました。

いわゆる言葉狩りとの批判もありますがどうでしょうか。

「言い換え」で取り繕っても長期的には無意味

個人的には、あまり意味がないと思っています。

実際に、先の話題に対する、「言い換え」への意見が見られました。2chですけども。

「自殺」→「自死」とかやってないで

「ほんわかぱっぱ」にすりゃ暗いイメージも何も無いし、それでいいんじゃねーの?

と言う意見です。

2chの書き込みなので、実際かなりおふざけの要素が強いですので不快感を感じる方も少なくないかもしれません。

しかし、言い換え問題の本質をついた意見と言えるでしょう。

自死としたとて、内容が「自分で命を絶つ」と言う行為を指す以上、その本質とその暗い部分からはどんな言葉に言い換えたとしても、決して逃れることができないと言うことが、皮肉にも端的に表現されてしまっているのではないかと思います。

本当に必要なのは、遺族の心のケア

この提言を遺族をはじめとした、自殺した人から取り残された人たちが見たときにどのように感じるかといえば、「馬鹿にして」といった感想だと思います。

しかし、ある意味においては、本質的には「自殺」→「自死」も、「ほんわかぱっぱ」と同じであると言うことは肝に命じておく必要があります。

つまり、どのような言葉を使ったとしても、その言葉が意味する本来の事象はなにも変わらず、単なる言い換えは事実から一瞬目を背けることができるだけなのです。

さらに言うならば、

「大切な人が自ら命を絶った。」

という事実は、言葉によって印象操作できる範疇を超えているのではないかと思うのです。

もしも、言葉の言い換えでイメージを変えることを本当の目的としているのであれば、本当に「ほんわかぱっぱ」でいいと思います。
しかし、そうではないのですよね。

言い換えの活動をしている人が本当に欲しいと思っているものは、単なる言葉の言い換えではなく、傷ついた心が少しでも癒されたと思えることです。

なんとか、苦しみから逃れようともがき苦しむ結果として、そのような活動に至っているのではないでしょうか。

「行間を読む」ではないですが、そういう活動をしている人たちは、どういった心境でそういうことをしているのか、「不思議だな」と、まずそれを知ろうと思う人が増えるといいなと思った次第です。

「言い換え問題」と作業療法との関連

作業療法にかかわる人間としては、受け入れて、次の一歩へ進めるような、そんな支援ができるようになったらいいのかなと思います。

表面的な部分にとどまらず、しっかりと本質的な部分に寄り添うことを忘れてはいけないと思います。

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