いじめ問題と親はどうかかわったらよいのかということに関する個人的な思い付きのようななにか

はじめに

先日こんな記事を書きました。
親が我が子のいじめに対処することのむずかしさと法務省のいじめ相談サービスについて思うこと
関連して、続きのようなものを描きたいと思います。

 

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ふと考えたことですが、親が安直に介入するべきでない理由として、「今と昔が、状況が違う。」ということもいえると思います。
今と昔が違うと、親の体験を基にした解決法が役に立たないかもしれません。

例えば、昔と比べると、精神的な方のいじめ問題に対処するのは格段に難易度が上がっているはずです。
なぜならば、いじめは、物理的ないじめと精神的ないじめがあると思いますが、後者の精神的ないじめの道具として用いられる可能性のある道具が多様化し、それらに対して比較的容易にアクセスできるからです。

デジタルデバイスのあふれる現状

実際、ケータイを持つ子供たちが増えました。
スマホであれば、本当にいろいろなことができます。
子供たち同士でlineで連絡をとりあう。
テスト対策では、予想問題をメンバーでめいめい作って、PDF形式でDropboxに挙げて、共有する。
TwitterやFacebookなどのSNSで、近況をお互いに教えあう

などなど。

こんなことが、彼らには容易にできます。
(重要なことですが、最新デバイスの機能のうち、親が使いこなせていないものがあったからと言って、彼らに使いこなせないわけではありません。)

そして、四六時中忙しくしているわけではありません。
むしろ、彼らは案外暇です。
あるいは、自分の子供は忙しくしていたとしても、他の子供は暇かもしれません。

最新のものを使いこなすことへの情熱もあります。

彼らは、自分たちの両親よりも、最新の道具、サービスに対して習熟する可能性があります。
さまざまな、アプリケーション、webサービスをつかってこれまでになかった体験をしているでしょう。
要するに、そういったデバイスが出現する以前とは異なった形での社会的な体験が形成されるようになりました。

親の理解は届かない

このことは、親が子供に対して助言を与えることを難しくしています。
親が、自分の体験から、子供の体験を類推することが簡単ではなくなったのです。
子供が困っていても、なぜ困っているのか、それをどのように解決すればよいのかといったことについて、コミットすることが以前に増して難しくなっているのです。

そういった事態は実際に、起こっています。
たとえば、Webサービスを用いた村八分が行われているといいます。
掲示板にパスワードを設置することによって、みんなが知ってることを、一人だけが知らない、という状況を容易に作り出し、特定の個人に精神的ダメージを与えることは昔よりもはるかに簡単に行えます。
あるいは、SNSを誹謗中傷の道具として使したり、パスワードを奪取して本人に成りすまして投稿を行ったりという事件も実際に報告され、ニュースにもなっています。
これは、日本の話ではありませんが、アメリカでは、facebookでのトラブルをきっかけとして、その利用者が自殺する出来事もありました。

現実的には、専門家でもこのような事態に対応することは極めて困難です。
外から介入しようにも、非常に手間と時間がかかってしまい、その一方でこうした事態はいくらでもすぐにおこってしまいます。
一つの事例の解決を試みているうちに、次の事例が発生してしまうこともあるでしょう。

専門家ですら難しいのに普通の親が解決することは難しいのではないでしょうか。
凄まじい高さのハードルだと思います。

 

親がとれる方法論は限られる

では親は、一体どう対応するべきでしょうか。

個人的には、親が介入しても結局うまくいかないことの方が多いのではないかと思います。
よって、子供自身が自分たちで解決できるような、手段、方法論、道具、道筋、環境、大人の協力体制を示し、自発的に解決させるよりほかに、根本的な解決方法は存在しないのではないかと思います。
よく言えば、子供自身の成長の機会とする可能性に賭けるといえるでしょうか。

その際、本人が困難に立ち向かえるような援助を惜しまないことが大切です。

先日も述べたように、こうした人間関係上のトラブルをどのように解決したかということは、当事者の今後の対人関係を大きく左右するものとなり、ひいては、人生そのものを大きく左右することにもなりかねないです。
周囲の大人が、勝手に解決しようと試みることも悪くはないですが、本人が自身に感じる無力感は強まるかもしれません。

もし、本人が主体的に問題解決に取り組めるような環境を設定し、本人が自分から問題を解決することに再び向き合うことができたなら、本人にとってはそれだけで十分にそれが成功体験になると思います。
たとえ、その事例がうまく解決できなかったとしても、たとえば、転校などによって環境が変化したとき、再び周囲との人間関係を形成するときの行動様式が大きく異なってくるはずです。

そのためには、本人が自分で問題解決を志向できるよう、本人が周囲に必要な支援を率直に求めることができるような協力をしなければなりません。
難しいところですが、根本的な解決法といえばこれくらいしかないように思われます。

参考事例

その参考となりそうな、海外の事例ですがこのような記事もあります。
先ほど述べた、精神的ないじめに属するいじめを経験した女性の描いたコラムのようです。

「オタク」だった子供の頃、イジメられて学んだ6つのこと

その6つを抜粋すると

  1. 無視は侮辱であり、それはずっと続く
  2. きっと皆はアナタを笑い者にしているけど、別に大したことじゃない
  3. なにより友情より大事なことはない。
  4. 想像する事は痛みよりもパワフルである
  5. 人気のあるものを信じるな
  6. 復讐なんて諦めよう

だそうです。

この6つが、一般的な人すべてに当てはまるわけでないことは承知しています。
しかし、これらは、本人が自分なりにいじめに立ち向かおうとした結果として得られた結論であり、だからこのコラムを書いた女性にとってはとても価値があるのだと思います。

重要なのは、自分の子供がこうしたことを学び取れるような、そういった支援なのではないでしょうか。

おわりに

もちろん、本人の特性が何か、コミュニティの中で問題を引き起こしていて、特別な支援が必要な場合には、そのような支援をしっかりとしていくことが前提です。
発達障害などの知名度は、ここ近年ですこし向上したように思われます。
それによって、すこしは解決した問題もあるかもしれません。
しかし、社会問題化するまでに問題が大きくなる前に介入を行うことができることがベストだと思います。

小学校や、中学校レベルである程度、きっちりとした支援ができれば、現在よりも問題の程度は小さくて済むかもしれません。

と、思いついたことをいくつか書いてみました。

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