「人間」とは何か? TVアニメ「まおゆう」第9話のメイド姉の演説のかきおこし

はじめに

趣向をかえまして、アニメねたです。

実は、友人にネットに物を書いているのがおりまして、そいつから教えてもらって読んだことがあった「ネット小説」なるものが、いま、商業アニメでTV絶賛オンエア中なんですが、そのなかのキャラクターの発言がどえらい過激な提言でしたので、全文カキオコ氏。

ちなみに、これをしゃべってるのは、年齢は高校生くらい、かつて農奴で、現主人公宅の使用人の女キャラクター。つねづね、「自分は『人間』だろうか」「自分は何もできない。無力だ」という、自我意識を問題としているキャラクター。

2013y03m02d_162327593.jpg©Projectまおゆう

が、以下のような演説をしました。

本文

わたしは、私は、魂を持つものとして、みなさんに語らなければならないことがあります。

わたしは、私は、実は農奴の子として生まれました。
私は、7人の兄弟姉妹の3番目として生まれました。
兄は、農作業中に腕を折り、そのまま衰弱して捨て置かれました。
姉はある晩、地主に召し出され、帰りませんでした。
冬の良く晴れた朝、一番下の弟は、冷たくなったまま、とうとう目を覚ましませんでした。
疱瘡にかかった兄弟もいます。

私は何もできなくて、生き残ったのは、私と妹だけです。

ある時、逃げ出した私たちに転機が訪れて、それは運命の輝きを持っていましたが、私はずっと悩んでいました。
ずっと、ずっと。

運命はあたたかく、わたしにやさしくしてくれました。
「安心しろ、何とかしてやる」
しかしみなさん。貴族の皆さん。兵士の皆さん。開拓民の皆さん。そして、農奴の皆さん。

私はそれを、拒否しなければなりません。
あんなに恩のある、やさしくしてくれた手なのに。
やさしくしてくれたからこそ、拒まねばなりません。

わたしは、人間だからです。
私は、自信がありません。
「このからだの中には、卑しい農奴の血が流れているじゃないか。」
「お前は所詮、虫けら同然の人間もどきじゃないか」、と。

だからこそ。
だとしても、私は、人間だと言い切らねばなりません。
なぜなら、自らをそう呼ぶことが、人間であることの最初の条件だと、私は思うからです。

夏の日差しに頬を照らされる時、目をつぶってもその恵みがわかるように、胸の内側に温かさを感じたことはありませんか?
他愛のないやさしさに、幸せを感じることはありませんか?
それは、みなさんが光の精霊のいとし子で、人間である証明です。

―やめろ!異端め。

異端かどうかなど、問題にもしていません。
わたしは、人間として、冬越し村の恵みを受けたものとして、仲間に話しかけているのです。

みなさん。
望むこと、願う事、考える事、働き続ける事をやめてはいけません。
精霊さまはその奇跡を以って、人間に生命を与えてくださり、その大地の恵みを以って、財産を与えてくださり、そのたましいの欠片を以って、わたしたちに自由を与えてくださいました。

― 自由?

そうです。
それは、よりよき行いをする自由。
よりよきものになろうとする自由です。

精霊さまは完全なるよきものとして人間を作らずに、毎日少しずつ頑張るという自由を与えてくださいました。

それが、「歓び」だから。

だから、楽するために、手放したりしないで下さい。
精霊さまの下さった贈り物は、たとえ王でも、たとえ教会であっても、侵すことのできない神聖な宝物なのです。

―異端め!その口を閉じろ!

閉じません!

私は、人間です!

もう私は、その宝物を捨てたりしない!
もう「虫」には戻らない!!

たとえ、その宝を持つのが、つらく、苦しくても、あの昏い微睡みには戻らない!

光が在るから!
やさしくしてもらえたから。

―この異端の売女めに、石を投げろ!何をしているのだ!?石を投げない者は、すべて背教者だ!!

投げようと思うなら投げなさい…っ!!
この狭く、冷たい世界の中で、家族を守り、自分を守るために、石を投げることが必要なこともあるでしょう。

私は、それを責めたりしない!

その判断の自由も、また、人間のもの。
その人の心が流す血と同じだけの血を、私は、この身を以って流しましょう。

しかし。

「他人に言われたから」
「命令されたから」
という理由で、石を投げるというのなら。

その人は「虫」です!!

自分の意思を持たない、精霊さまに与えられた大切な贈り物を他人に譲り渡して、考えることをやめた「虫」です!
それが、どんなに安らげる道であっても、宝物を譲り渡した人間は「虫」になるのです!

私は、「虫」を軽蔑します。
わたしは、「虫」にはならない…っ!

わたしは、私は、人間だから!!!

貧困国家の王 (中略)我が国の民の心に、このような誇りが育っていようとはな。

補足

「まおゆう」の舞台モデルは近世ヨーロッパ。産業革命はまだ。「精霊さま」をご神体とする教会の影響力強し。戦線付近の貧困国家だった国で、準主人公の(くれないの学士)超天才が的確な農地改革を行ったところ食糧事情が改善。これにより、中欧諸国は食料などの売りつけ先を失う形となりいろいろ都合がわるい。
そこで、辺境の環境改善による求心力低下を恐れている教会の中央をつかって超天才を異端認定して抹殺し要ともくろんでいるところまでが前回までのあらすじ。
ちなみに、貧困国家の王様とその土地の教会の長は、天才と仲良し。
その天才は、実は魔王で、用事があって魔界に帰ってるので、その代役として、もと農奴、現天才の使用人が、処刑台に上った時の様子が今回のメインになっている。姿は魔法の指輪で、天才のそれに変えてる。

この演説におもったこと

衝撃的だと思いました。

この社会や自分に関することがいろいろオーバーラップして、なんか、みぞおちを殴られt・・・、容赦ないなあ、たまらないな、という感じでした。

表現的な話としては、軽蔑するとか、ヒトのこと「虫」呼ばわりするとか、良くないと思う。

なぜて、そりゃ、大人になればいろいろあるじゃないの。

けれど、この演説は確かに劇薬過ぎて決して一般化はできないけれど、完全に同意するわけにはいかないけれど、その他大勢の民衆のなかの一人の立場で聞いたときに、選択の権利、選択の余地、選択の自由、選択の責任を真摯に受け止めて全うすることこそが、「ヒト」ではない、「人間」としての人生、幸せ、感情、定義、認識、同一性の根源なんだと、そういうことに思い至るためには、いい教材なんじゃないかと思いました。

選択は自立の第一歩。

第一次反抗期は、自我の芽生え。

「NO」は、個の表出。

という。

ご紹介してみました。

あと、もちろんのことですが、特定の個人、団体、民族、国家、宗教を揶揄するような意図や意味合いは全くないですのであしからず。

おすすめ書籍

この本の内容が頭をよぎったので。
視聴したときから、この本紹介しろと言われているような気がしたので。

この本は、固定概念をどんがらがっしゃんしてくれる素敵な本です。

上の書き起こし文においては、「よりよくあろうと選ぶことが人間としてのあかしである」という信念に基づく文脈が感じ取れると思いますが、

「『選択させない集団のほうが、幸せになる傾向にある』現象も世の中にはあるのです。」

という事実が、統計などに基づく科学的な視点で語られています。

信念と現実が異なる場合、どちらを優先すべきでしょうか。

難しい問題ですし、答えの選択肢も尽きませんね。

 

おわりに

諺に、知らぬが仏という言葉があります。

でも知らないと、何も選択できない。

だけれども、しかし、選択することで、心理的幸福感が明らかに低下するパターンが実際に報告されている。

 

がんの医療では、告知することが、昔と異なって一般的になってきていると思います。

しかし、昔は、本人のためということで、「どうせなおらないなら」ということで、告知をしないで生活を続け、本人には死ぬまで知らされないということも珍しく無かった。

これが、知らぬが仏に基づく実践です。

でも、知っていたら、もしかしたら、その人は、人生の最後にやりたかったことがあって、それをするために残りの人生をその人にとって最も有意義な形で使うことができたかもしれません。

という、選択の自由を優先しているのが今のありようだと思います。 

 

「選択」とその周辺の条件は、医療にも非常に難しい問題を投げかけるしかし、非常に重要なテーマだと思います。(とくに終末期)

それを、考えるきっかけにしても面白いかも知れません。

 

なんか、まとまり無くて、すみません

 

追記:

一週間限定ですが、著作権的に問題なく閲覧ができるみたいです。


自分がどうしたいのか。 自分は、何を考えるのか。 そのうえですべてを知りたいのか。

あらためて考えますが、難しく考えるから難しいのだとおもうのですが、難しいですね。

「いいな!」と思ったら、シェアをお願い致します。

“「人間」とは何か? TVアニメ「まおゆう」第9話のメイド姉の演説のかきおこし” への2件の返信

  1. 橙乃ままれ「もう一度云います。正直に税金を払う存在は虫です。私は虫が嫌いです。大嫌いです。虫で居続けることに甘んじる人を人間だとは思いません」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。