人間らしさとその業。【かぐや姫の物語を鑑賞して】

はじめに

オリジナル要素がとても少ないので、もともとの竹取物語を知っていると一見陳腐な映画なんですが。

でも

現代人に向けてとても大切なことを語りかけている映画だったように思います。

ネタバレありです。

(とはいっても、進行はほぼ原作通りなんで、へったくれもないですが。)

むしろ余分な原作要素

9割方はその原作要素なんですがね。

高畑先生は相変わらずメッセージ性の高い作品を出してくるのかと思いきや、意外と今回はその辺ぼかしてあって、ぼんやりと見ていると見落としてしまいそうな要素がたくさんありました。

つまり実に、いろいろ織り込んでいらっしゃいました。

人間として大きくなったかぐや姫が、神格性の高い存在になって、浮世離れして収まるべきところへ還っていくという原作通りの話に、きわめてレベルの高いアニメーション技術をふんだんに織り込んで、いつもならすっぱりと伝えるところのメッセージをわざわざ見えにくくしてまで高畑先生は何がしたかったのか、現時点では消化しきれていません。

が、貴公子からの求婚については、それから帝からいいよられるシーンについても、むしろ大して必要がなかったのかもしれないと思います。

というか確信します。

この作品は、「喜怒哀楽」のすばらしさ、その根源となる人間の生活と具体的行為を支える営みのかけがえの無さを伝えようとしてるんだなあと感じました。

CMのシーンについて

めっちゃごりごり動いてますが、ソレに合わせてながれる音声とのマッチが良かったです。

CMだと、わりとおっとりというかゆったりというか、ふんわりとした歌がBGMになっていましたが、映画の中ではかぐや姫の深い傷つきや悲しみをえぐり出すような、そんなシーンにふさわしい音がついてて、とてもいい感じでした。

生き甲斐

些細なオリジナル要素ですが、

「私は捨丸兄ちゃんとならしあわせになれた」

的な事をかぐや姫が言うシーンがあります。

生きている実感があれば、どんな苦しみもなんてコトはない。

むしろそれが幸せ、と。

おいしい物食べて、きれいに着飾って、そのために都のスタイルに身をやつして、それで本当に幸せであり続けられる人が果たしてどれだけいるのか。と。

いやはや、かなり手厳しい。

皆が不幸に

かぐや姫自身には、そんな意図は毛頭ないにも関わらず、彼女を中心にして様々な人が心を乱され、不幸になっていきます。

強い輝きを持つ物には、同じくらいの強い陰ができるものだなあと思いました。

うつくしすぎる容姿もある意味では、生き辛さを生み出してしまう、社会的な障害なのかも知れません。

それをひっくるめてただありのままのかぐや姫を受け入れ、「あなたのせいではない」と言い切った媼のような人間になりたいと強く思いました。

完全な世界の拒絶

月の世界は、まるで満月のように欠けるところのない平穏無事な世界で、死ぬ事もなければ、涙する事も無い、精神的な苦痛や肉体的な苦労からいっさい切り離された完璧な世界として、原作でも描かれています。

そして、原作ではその完璧な世界をむしろ受け入れがたい物としています。

かつての医療や福祉が目指すところがそういうところだったような気がします。

その思想自体に悪気が無い分余計に人間をこじらせるのかもしれません。

幸せを願った結果、かえって不幸にしてしまうという皮肉も現実には良くある業だと思います。

しかし、それを甘んじて教授することが、人生の艱難辛苦を幸せに還る本当の方法なんだと思いました。

おわりに

平穏無事、安楽が人間の人生を必ずしも幸せにしてくれないという心理は、福祉が戒めにしないと行けないコトかと思います。

てなわけでした。

明日っからもがんばるぞー。

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