作業療法と 「漫画 リアル」にみる、挑戦すること、失敗を恐れないこと

失敗を恐れて、何かを言い訳にして踏み出せないというのは、人間の性(さが)ですが、そんなことしてたら人生終わっちゃうし勿体無いという話です。

ということで、また、漫画の話です。ネタバレ含みます。ちなみに漫画の中に作業療法士は出てきません。残念。

概要

なんでも出来て、イケメンのAランク(自称)の高橋くん。

脊損(脊髄損傷)で、下半身は動かなくなりました。

©︎井上雄彦/集英社

なんなら、車椅子の乗り降りもままなりません。

 

そんな中で、如何にかこうにか、乗り移りができるようになった段階で、ひょんなことから車いすバスケットボールをするという目標に出会います。

失敗することがダサいという高橋くんは、移乗動作の練習そのものにもあまり乗り気ではありませんし、なんなら生きること自体にも嫌気がさして、自傷行為に走ったこともあります。

しかし、そんな状態から、「車椅子バスケが上手くなりたい」という思いを糧にして、自分からできることを増やしていこうと挑戦するようになります。

訓練中に、失敗をしても気にしなくなりました。

それどころか、車椅子バスケをするにはスピードが足りないということで、自分からプラスアルファの特訓までするようになります。

高橋くんは変わりました。

©︎井上雄彦/集英社

失敗を恐れず、挑戦するようになりました。

なぜ変わったでしょう。

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目標設定が具体的である

一つは、シンプルで具体的な目標を設定することができたからです。

「車椅子バスケが上手になる」

から派生して、

「車椅子の乗り降りができるようになる」

「日常の車椅子から、競技用の車いすに乗り移ることができるようになる」

「体幹や腕の力を鍛える」

という、個々の具体的な目標を設定し、その目標に向かって行動を開始したことで、高橋くんは変わりました。

周囲に支援者がいた

実は高橋くんには、適切なタイミングで、適切な量だけ、手助けをしてくれる支援者がいました。

なんらかの支援を必要とする人であったとしても、過度な支援は、本人の自立の妨げになります。

本人のことを理解して、高橋くんが取り繕わない素の自分で頑張れるように支援する人がいたことは、障害を前提として織り込んで、本人が積極性を発揮して新しい生活を構築するという「リカバリー」を強力に推し進めることになったと思います。

似た境遇の仲間がいた

高橋くんには、リハビリテーションセンターで、リハビリ仲間ができます。

そうした仲間からの刺激が、背中を押すことになったのです。

 ©︎井上雄彦/集英社

閉じこもりがちになってしまうところで、それをさせない仲間がいるというのは、巡り合わせ的なところが大きくて、運の要素ではありますが、結構重要なファクターだったりします。

家族が変わった

「『普通』であってほしい」

©︎井上雄彦/集英社

という家族の願いとは裏腹に、脊髄損傷による後遺症を抱えて生きていくことになった高橋くんと家族との関係は拗れます。

「歩けもしないのにどうやって高校行くねん」

という、高橋くんのもっともな反論に、うまく返せないお母さんは、心労で病気になって入院してしまいます。

が、その後、衝突したりしながら、12巻あたりで一応の「家族らしさ」を取り戻します。家族としての形を取り繕うよりも、余計な取り繕いを取っ払って、互いが素直な関係を再構築できたことで、居場所が再構築された点も大きいと思います。

印象深い、高橋くんのお母様のセリフ

「久信 私は 今まであなたを見ていたかしら」

ありのままの姿を見て認める姿勢を家族が獲得できたというのは、ひじょーに大きいと思います。

ちょっとした勇気が持てた

理屈じゃわかってても、行動にできないのは、心がそれを欲してないからです。

感情の動きを表出するのは、本当の意味で勇気がいります。

その勇気を持つには、

「自分はやれる」「自分もやれる」

という気持ちになれる何かが必要です。

そういうきっかけがあったのは、かなり大きいのではないでしょうか。

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必要なことは、普通にすること

ここまで読んでいただいてお分かりのように、障害のあるなしは割と関係なくて全ての人のモチベーションに関わる要素です。

作業療法では、「障害者の方には効くこと」というよりも、「人間全般にそのように働くこと」を要素として使うことが、かなり有効です。

特になんらかの障害がある場合、あるいは自分の特性、特徴が、やりたいことに対して明らかに不向きな場合に、それを言い訳にして諦めてしまうという方向に働くことがままありますが、ぶっちゃけ、できるかできないかではなく、やるかやらないかです。

周囲は、その人やその人がやりたいことを応援したいと思うなら、適度なチカラでそっと支えたり、背中をポンと押してみるとか、そのくらいの支援でいいということを心の何処かに置いておくことが大切だと思います。

普段自分が、作業療法士として関わる時には、そういう風に考えています。

自分の人生を生きるということ

これは、誰の人生にも当てはまることだと思います。

作業療法でも、短期間で結果を出す対象者の方は、失敗を恐れないで挑戦していける人ですね。そこは、無論個人差もあるでしょうけど、何歳からでも人間は変われます。割とハートの問題、自分で自分を規定するチカラの問題という感覚です。

そのチカラは、何歳からでも身につけることができます。

日本人は苦手と言われていますけれど、そうは思いません。

単に「苦手だから」と言い訳してるに過ぎないのです。

 

方法論は、求めれば情報社会ですから、ネット上にもたくさんありますし、コンビニにすら関連する本がたくさんあります。

要するに、ちょっといつもの日常と外れて、違うことを試す勇気があるかどうか、大変さと自分のやりたいという気持ちを天秤にかけて、それを優先するという決断ができるかどうか、それだけの話なのだと思います。

作業療法には挑戦が大切

作業療法士が対象者の人に、

「これやってみませんか」

という、投げかけをすることはよくあります。

作業療法の成果としては、その人がその後その作業をどのように捉え、どのように変化するかというところにあります。

本人が必要性を感じていない、単にやりなさいと言われたからやっている、というそれだけのことであれば、多分成果になって現れることは難しく、貴重な人生の時間をいたずらに消費することになるでしょう。

逆に、失敗なんか気ならないくらいに、目標に向かって挑戦を続けることができるマインドを保つことができたら、なんでもできます。

自分の能力と人生に広がりが出てくることを実感して、さらに新しい試みを試したくなるはずです。

作業療法士は、そういう挑戦をそっと後押しすることが仕事だと思います。

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漫画の中に、作業療法士が出てこないのは重ねて残念です。

まとめ

人生で大切なのは、主体となる人の気持ち、やってもいいかな、やって見たいなと思えること。作業療法も同じ。大切なのは対象者の主体性。作業療法士はおまけ。なんなら、いてもいなくてもいい。くらいがちょうどいい。

おまけ

こっから買えます。


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