(写真と本文は何の関係もございません。受け狙いです。以下の文章は至って真面目です。本当に。)
「認知症のお師匠さん」
というタイトルで紹介されていたのですが、かいつまんで紹介したいと思います。
ちなみに作業療法士がかかわっているのかどうかはよくわかりませんが、やってることはまさに作業療法そのものだと思います。
さて。
エピソード
主人公は認知症の88才の女性なのですが、現在自宅での生活が困難となっており、施設での生活を送っています。
しかし、週に2回、現在も踊りの教室を開くために自宅に帰っておられるそうです。
実は、この方は、20年来、舞踊の先生として活躍してこられたという経歴をお持ちの方です。
なんと、現在でも200以上の楽曲の踊りを覚えておられるそうです。
実は自分が認知症だと分かった時、この方は、教え子たちに「もう踊りはやめたい」と漏らしたそうです。
しかし、教え子たちは泉さんが踊りをやめたら、認知症の症状が進むのではないかと心配し、続けて欲しいと頼んだとのこと。
この教え子の方たちも、なんだかんだ言って、結構ご高齢だったりして、なんと60代から80代。
みなさん元気です。
作業が人に与える力
この紹介を見ていて、「作業療法ってこうだよね」と思いました。
もちろんこのような話が特になんらかのエビデンスを持つわけではありません。ひょっとすると踊りの先生はもともと踊りを継続したこととは関係なく認知症に対する抵抗力を持っていたのかもしれません。
しかし、人をエンパワメントする話であることは間違いないと思いました。
このエピソードは、とても作業療法的です。
人、場、文化、ありとあらゆる要素を含んでいて、それがひょっとするとお師匠さんの症状進行を抑えている可能性はありますし、それを抜きにしても、生きがいが保たれているというそれそのものが重要であると思います。
そういう文脈で、作業療法の実例の教科書に乗っけるべきなんじゃないかとさえ思いました。
エピソード詳細
この事例に関して、さらに詳しい情報が知りたい方はこちらから。
http://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/500/131650.html#more
認知症の人に作業療法ができること
認知症が進行すれば、周囲の人が本人の行動や活動を制限することも少なくありません。認知症の人が、火を使って調理をしたりすることは火災のリスクがあり、危険なのでしょうか。危険とみなされることは確かに多いかもしれません。
そのような判断を下さざるを得ない場合、たとえどれだけ料理をしたいと当事者の方が祈ったとしても、リスクが大きすぎると判断されれば、作業を制限されることになります。
このような場合の認知症の方の喪失感や、生き甲斐の創出って、本当に難しい問題だと思います。人からの協力が必要になったりする前、自分自身である程度取り組める段階から積み上げが大事なのではないでしょうか。
本当に困ることになる前に協力してくれるかもしれないだれかとしっかりと本物の関係性の構築ができることが大切だし、必要なのではないでしょうか。特に、こういった事例に触れるにつけ、そのように非常に強く思います。
「長年一緒に過ごしてきた人が、当事者を支えること」を支えられるのが作業療法士という仕事
認知症を発症された方を本当の意味で支えるのは、こうした長年積み重ねた人と人とのつながりです。
上記のエピソードでは、作業療法士は一切出てきません。問題なく当事者の方と周囲の方がうまく付き合っておられるからです。
しかし、ひょっとするとうまくいかないこともあるのではないでしょうか。上記のエピソードであれば、周囲のひとがなかなか理解しづらいような問題が発生することもあるかもしれません。
そして、その人たちが、うまく支えられるように、そっと支えるのが作業療法士の重要な役割であると思います。
また、元気なうちにいろいろな人とのつながりを大切にしておくことが、冒頭のようなエピソードが成立するための重要な要素になっていると思います。
ともすると、私たちは、普段、人とのつながりがないことなどを、つい社会のせいにしてしまいがちです。しかし、人とのつながりを大切にすることが、自分自身を大切にするということにもつながるし、本当に大切にしないといけないですね。
やはり、人は自分を支えてくれる誰かがいるから、生きていけるのだと思います。
そして、作業療法と作業療法士はその構造をうまく支えることが重要な仕事の一つなのではないかと思います。
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