与えられるだけの人生には、きっと、互いに与え与えられる人生で得られたはずの半分がない

はじめに

こちらのサイトさんの記事を読んで思ったことです。

国家といえども贈物を与えることで人間の精神を破壊する権利はないーオクタビア・ヒル、スラム改善の武装せる女神(アテネ)

おもわず
「うむむ。」
とうなってしまいました。

内容について

要約すると、

19世紀イギリスには、社会活動の分野で活躍した著名な女性が二人いた。
一人がナイチンゲール、そして、もうひとりがオクタビア・ヒルである。
オクタビア・ヒルはナショナルトラスト運動をはじめた人物の一人として有名であるが、それ以外の功績も注目に値する。
その功績とは、「住宅管理」であった。
それは、「スラム」の根本的な問題に対処できる、きわめて有効なアプローチであった。
彼女は、「スラム」を改善するために、ただ、豊かな生活環境を支給するのではなく、スラムから移住した住民の間に相互関係を構築させ、相互に助けることを身に着けさせた。
これによって、住民の民度そのものを底上げする事につながり、ひいては、スラムがさらに荒廃していくことを防ぐことに成功した。

という内容。

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一部詳細

より詳しい内容は、もとのサイトをたどっていただければと思うのですが、個人的には非常に納得の行く内容でした。
全体的に、「ほんと、そのとおりだよ!」と思ったのですが、とくに共感した内容は次のような部分です。

 オクタビア・ヒルは「住宅管理」で、スラムを改善しようとした。
スラムをぶっつぶして公営住宅に建て替える方法には(これに先鞭をつけるのもやはりイギリスなのだが)、オクタビア・ヒルはずっと反対していた。
なぜなら、建物を取り替えても、そこに住む人たちの生活が変わらなければ、そこは再度スラムになるからだ。

これは、非常に納得の行くことではないでしょうか。

貧困の原因

その町が荒廃するか、それとも、美しくあるかということは、結局その町に住んでいる人々の行動様式や、知識、技能、規則などに準ずるわけです。
それらが乏しい人々が暮らす街は、やがて荒廃したものとなっていくでしょう。

その結果として、貧困が目に見える形になっているのではないかという意見には非常に納得します。

ある個人が、貧しい生活を継続しなければならない背景には、そもそも、その人の生活が変わっていないからという背景があるという事実にきちんと焦点を当てているわけです。
もし、生活構造を見直さずに、必要物資を周囲が与えるような生活が変わらない限り、その人には永続的な周囲からの支援が必要となります。

人は人に何を与えられるか?

ところで、人が人に与えられるものは、金的、物的なものだけでしょうか?
個人的には、そうは思いません。

人は、人がどのように生きるのかということについて、影響を与えることができます。
人は、しぐさや、言葉によって人を笑顔にすることができます。

人は、人に心理的影響を与えることができます。

これは、たとえ、お金や資産が無くても、できることだと思います。

人によっては、金銭に引き換えられないものは、資本主義的には無価値だというかもしれません。
それは一つの考え方としてありだと思いますが、でも、お金が無くても、人にあげられるものはたくさんあると思うのです。

普段から、そういったものにきちんと気が付いているかどうかってとても大切なことだと思います。
そして、それこそが、実は、人が貧困になったとき、どの程度まで生活水準が堕ちるかという部分に大きくかかわっている印象があります。

終わりに

人は、人に目に見えないものをいろいろな形で与えながら生きていると思います。

本当の意味でのリハビリテーションとは、ヒトのこういった側面もきちんと見れる必要があるのではないかと考えさせられる内容でした。
特に精神科。
生活保護の実態とか頭が痛い部分が山積みですが、今日取り上げた内容がいつか役に立つ日が来ることを願わずにはいられません。


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