生物と無生物の境界線、あるいは生命倫理一般の根源について

作業療法は、対象者の方の人生をサポートする技術です。命についての哲学は必要だと思います。

はじめに

『ドラえもんは生物ですか?』

なんと、名門・麻布中学校の理科の入試問題として、このテーマが使用されたようです。
国語の問題かと思いましたが、これを理科で出してくるとは、さすがに、名門中学校。
レベルが高いです…。

ちなみに、解答は

『自分が成長したり、子をつくったりしないから』

実は、この問題、その前提となる文章があって、それをもとに解答する仕様となっていました。

その前提とは

「『生物であると判断するための特徴』とは、どのようなものか」というもので、「特徴A:自分と外界とを区別する境目をもつ。特徴B:自身が成長したり、子をつくったりする。特徴C:エネルギーをたくわえたり、使ったりするしくみをもっている。」

というものです。

この前提を、しっかりと、読んで解釈ができるなら、あとは論理的にそれを書きつけるだけというわけです。とは言え、世間一般の中学生のレベルからは、かなりのハイレベルだと思います。

が、受験生には、ひょっとするとサービス問題なのかもしれません。

きちんと問題に回答する技法を身につけてさえいれば、論理力で回答することができ、知識や、自分自身の意見を必要としないからです。

しかし、試験問題ならそれで良いとして、現実の世界では色々な見方をする人がいるので、難しいわけですね。

コラム 以前に思ったこと

生命の定義とは少し違うかもしれませんが、以前、「何を持って人間と定義するべきか」と考えたことを思い出しました。

きっかけは、ES細胞について学習したときのことです。
そこから、ふとしたきっかけで、関心が、iPS細胞に移って、さらにそこからクローン技術についての倫理的な議論について知る機会がありました。
そこで、クローンについての倫理について考えるうえで、『「人間」の定義』が、非常に大きな問題として立ち現われてくると感じました。

自分の感覚としては、クローンはあくまでクローンであって、人ではないのではないかという感じがしたのです。
が、更によくよく考えてみると、では、クローンは、一卵性双生児とは何が違うのだろうという問いにぶち当たったりしました。

そんな感じで、「現在の社会通念と照らし合わせて、矛盾しない、人間の定義ってどうやったらできるかなあ」、と考えたわけです。

ちなみに当時出した答えは、

「①とある時点において、『人間』として定義する存在から、②排卵、射精された、卵子、精子を用いて③ヒトの子宮によって胎児期を経た生命」

という定義だった気がします。

これに、

「現時点(2008年くらい?)において、生存しているホモサピエンスは、すべて『人間』である」

という仮定を付け加えることによって、人間の定義を自分なりにしてみた覚えがあります。

この考えの発端になったのは、クローンという新しい技術と、それが今までの生命観の根幹に影響を与えかねないという、現実でした。
クローン技術が進歩すれば、人間は、好ましい性質を持った個体を、自由に量産することができるようになる可能性があると感じました。

その時に、生まれる新しい個体は、はたして、モノなのか、生命なのか。

それを、今のうちにはっきりさせておかないと、とんでもないことが、きっと、そのうち起こるだろうなと感じました。
今でもそう思います。

この問題に対するさまざまな意見

この問題の前提は、学校教育で習う、生物の定義ですが、これに対して疑問を持つ人も多く、その意見も面白いものがいくつかあったのでご紹介します。

そもそも生物の定義ってなんだ?
ドラえもんは自我があるし、アラレちゃん方式で子供作れるかもしれない
こういう夢も発想力もないやつに教師なんて無理だと思うな

この人は、自我を非常に重要視しているみたいですね。

アンドリューNDRなんとかで主人公のロボットはパーツを生体部品に変えていずれは老いて死ぬ体にすることで
最後は人間だと認められたぞ

ロビンウィリアムス主演の名作を引き合いに出して、生命観を語る人も。

自称理系の頭の固いクズどもにとっては、
無機物か有機物且つ、人工的か自然発生的かの違いなんだろうが、
現実的には「これは生物だ」と皆が言い切ってしまえば、それは生物なのだというのが正しい気がするな

例えば、遺伝的アルゴリズムによって更新される情報も生物?

普通に考えて生物の定義から外れてるからだろ
本当に生物じゃないかどうかなんて哲学的な話は聞いてない。飽くまで生物はどう定義されているかを聞いた問題に過ぎない

意見というよりは、模範解答の考え方。

生物の条件が欠落しているからという理由であればその条件を満たすように作られていれば生物なのかという議論に発展する。

繁殖可能で、成長するロボは生物なのか?
生物という条件に対する不十分性を排除し、突き詰めていけば遺伝子操作で人為的に生まれた「生物」と大差なくなってくるはずだ。
そう考えると、機能の有無を理由にロボを非生物と断ずるのは妥当でない。

ドラえもんは作品を通してのび太と思い出を共有し共に困難に立ち向かい、成長してきた。
共に泣き、共に笑い、励まし合い、喧嘩だってした。
幼少の頃からそうした様を見てきた私にとってドラえもんは確かに血が通い心が通った生物であり、それを否定する意見を出す者こそ人間味に欠けたなにか禍々しい物を感じてしまう。

昔の自分を思い出しました。

さいごに

この問題は、奇問として、紹介されているようです。

扱っている題材や、知識の詰め込みだけで対応ができない問題であることなどから、「不適切だ」という声もある一方、「おもしろい」とする声や、「良問」と評価する声も、ありました。

理科というよりは、論理力を問う問題ですが、個人的には、いろいろと話のネタを提供してくれているし、良問だと思いました。

おまけ

よろしければ、買う、借りるなどして、ご視聴ください。

いい映画です。
永遠の生命とはなにか。
ココロとは。
死とは。

おすすめ。

参考

「ドラえもんが生物として認められない」理由を問う問題が中学入試で出題され話題に - ニュー速クオリティ


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