暴走老人は教養人であった。長生きするなら、こんな老人になりたいです。
あなや、いとをかし。
国会での議論の最低水準はこれくらいのレベルであってほしいとおもいます。
やはり。
政治家というものを貶めたのは、マスコミもさることながら、やはり、無能な政治家であるということを実感しますなあぁ。
あとは国民の無知ですとかとか。
政治家も経営者もリーダーも、絵が描けてこその存在だと改めて認識させられました。
それを国民が、自分にとって良いことなのか悪いことなのかを、自分で判断できるようになることも大切ですよね。
マーケットで言うところの賢い消費というのは、政治においても通用する概念ではないでしょうか。
余談ですが、学校教育での教育の内容について、一つ思ったことがありました。
義務教育の最終目標は、これくらいの話が楽勝で理解できる水準にあるべきだなあということです。
個人的には、夢物語ではない政治の話ができる人が、もっともっとふえてほしい。
そのためには、やはり、その人の能力がどの程度なのかを評価できるだけの教養や学術的な技能を国民有権者が一人ひとり持っている必要性がどうしても生じると思います。
民主党には、明らかに政権担当能力もそれを担う人材も存在していませんでしたが、それを見抜けなかった国民は、現在も有権者のままです。
第二、第三の民主党が現れた時に、また、その口車に乗せられる可能性は大いにあります。
それを防ぐためには、やはり、教育が大事になるのではないかな。
と、ふとかんがえました。
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