3.11震災後2年目の節目に被災地復興が進まないという問題点について想い、考えるコト (1)

はじめに

東北が立ち直るためには、まだまだ時間が必要だけれども、時間が癒すのを待っていたら、廃用症候群に陥ってしまうというジレンマが最大の問題点だと思うという話です。

長くなりそうなので、記事をいくつかに分割して書いてみます。

まず、東日本大震災から2年がたった今、一体、何が問題なのでしょうか?

というところに焦点を当ててみます。

テレビの3.11特集

ここのところ、毎日3.11特集ばかりです。

「これは!」という内容がある一方で、視聴率が取れるからという醜悪な理由で番組を構成しているものもあり、まさに玉石混淆。

(夏の戦争特番にも思う事なのですが、年間を通してぱらぱら定期的にやってくれた方が、視聴者は長期的な視点が必要な問題だという事を日常的に意識できていいと思うのですが。)

さておき、ここのところ、毎日のように、番組のコーナーで3.11についての番組が組まれています。

もっともテーマとなっているのが、

「復興の遅れ」

です。

こうしたテーマの番組は、震災後、なかなか復興が進まない現実をとりあげ、それがなぜ進んでいないのかについて、それぞれの視点から分析をしたり、復興が進まないことについてどう思うかということを、地元の避難民の方々に尋ねたりという構成の番組が比較的多かったように感じました。

なぜ復興が遅れているのか

そうした番組をみて、なぜ、なかなか復興が進まないのかについて思ったことがいくつかありました。

いろいろあったんですが、主要なものは以下の通りです。

1)心理的ダメージ

まず、一つ目は、まだまだ心理的な衝撃から回復できていない人々がそうとういらっしゃるのだということです。

震災から2年が経過しました。

いまだに家族の遺体を捜索し続けていらっしゃる方、亡くなった家族が使っていた部屋が、震災直後から、手つかずで整理されないままになっていたり。

周囲が、復興を唱えたところで、なかなか新たな一歩を踏み出すことができないでいる様子が見えました。

2)放射能

二つ目は、「放射能」というモノがさまざまな影響を及ぼしているという事でした。

放射能の風評によって、線量が基準値からほどとおいものであってもなかなか売ることができない農家の方々。

「放射能」が恐ろしくて、外に出るのがはばかられるという人。

小さな子供と一緒に暮らしており、子供たちへの影響を気にして、その土地へ戻ることができない家族。

そして、原発の後始末にあと30~40年もの歳月が必要になるという専門家の予測。

「放射能」は、先が見えない不安の一つになっているんだなあということが感じられました。

3)取り上げられた主体性

3つ目は、復興が進まないという意見が沢山聞かれたことです。

多く聞かれた、この、「復興がすすまない」という意見に違和感を感じました。

なぜなら、復興の主体が、地元の人々から切り離されてしまっているかのように感じられる発言だったからです。

復興は、地元の方が主体的に進めるモノであって、がやの人間達にはそれを支える事しかできないのが、本当のところだと思います。

そうでなければ、それは形だけ取りつくろった復興もどきであり、周囲の支援がなくなってしまったあと、きっとそのシステムは崩壊してしまうでしょう。

支援が無くても、回っていくような社会基盤や、経済、インフラ、そういったものを形成していくには、地元の人々の活躍がとても重要で、欠かすことのできないものです。

そうでなければ、外から入ってきた人や物、カネが引き上げたときに、その土地のさまざまなものがボロボロの、ずたずたになってしまいます。

ですが、福島県においては雇用は減少しているという話です。一向に復興がすすまず、やることが山積みの一方で、です。

これは、個人的には極めて奇妙な話に思えます。

なぜなら、問題があるということは、それを解決するだけの仕事を作り出す余地が沢山あるという事だからです。

つまり、仕事を生み出すことができる可能性の山がそこにあるにもかかわらず、なぜだか、雇用は減少しているらしいのです。

復興予算が大量につぎ込まれているはずなのに、それは、いったいどこに、どういったお金の流れとして流通しているのだろうと、思わず勘ぐらずにはいられません。

そして、このことについて、地元の人も、ニュースを見ているその他大勢も、あまり関心が無いのだろうなという気がしました。結構、重大な問題だと思うのですが。どこかの政党は、自分のところの党本部の修繕代金だか何だかに流用しようとしていたとか、信じがたいニュースもありましたので、多分そういう事なんだろうという偏見の目で物事を見てます。

 

4)先が見えない

最後に思うことですが、2年もたつのに、全くゴールが明確化されていないんだなという事を感じました。

復興とはいいつつも、その内容がまったく具体的ではないということです。

つまり、「震災以前の形にもどすこと」を言っているのか、「新しい共同体を再構築する」のかというビジョンが、復興に関連する人間に共有されていないと感じました。

これって、とんでもなく問題だと思います。

なぜなら、この2年間やってきたことは、何のために、どういう目的でやってきたことなのかという評価をすることすらできないからです。

そして、多分、その評価も十分に行われてきていないのです。

さらにいうならば、全体の復興計画についても、十分な具体性をもったものが存在していないということです。

決められない政治の影響も、非常に大きいとみてます。

この件については、前政権および、民主党の無能によるところが大きいと、個人的にはおもっています。

真相は闇の中ですが。

比較的まともな執政能力をもった政治家が沢山いるのが与党で、そこの党員が組閣してる政府が今後の復興を取り仕切ることになろうと思うので、期待をしております。

おわりに

以上が、2年目の節目にひろえもんが思う、主要な問題です。

問題は山積みなことはまちがいないのですが、少なくとも、上記の4つを優先して解決できないと、復興は難しいのではないかとおもいます。

3.11震災後2年目の節目に被災地復興が進まないという問題点について想い、考えるコト (2) に続く


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