認知症に対する社会的関心の高まりを肌で感じる今日この頃のもやもや

はじめに

テレビで認知症の特集をよくみかけるようになりました。

頻度が上がってるきがします。

社会的な関心が上がってるのは良いことなんですが、それが問題解決に生かされるには?

と考えてみました。

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認知症はこれから増える

もういろんなところで言われてることで、実際厚生労働省の統計とかにも実際それを裏付けるデータしか無いのです。

増えます。認知症。

そして、減ります税収

別に認知症の人が増えたところで、それに難なく対応できるような社会であれば、ある意味問題ない訳です。

ヤバいのは、対応の原動力であるお金が足りないこと。

つまるところ、医療費や社会福祉、介護保険が必要とするお金を抑えつつ、問題解決を試みるというウルトラCが求められる厄介な時代がやってきます。

社会が、それをなんとか出来るかは、国民一人一人がどの程度まで、認識と覚悟があるかにかかっているようにおもわれます。

関心が高まってるのであれば、現実的な解決法について、オブラートに包まずがんがんやり取りをしたら少しは、問題解決に向けて前進しそうな気がします。

解決案2つ

この問題についての解決法は、どんなものでもおおきく二つに分けれる思います。

前者は、現行のシステムを維持する方法。

もっとも、人数増えて、お金が足りないので、一人当たりが受けられるサービス量は低下してくことが予想できます。

ですので、現場の人件費を抑えたり、病院に更なる経営努力を求めたり、サービス適応の基準を厳格かするなどして、国家としての支出を抑えるなどが、具体的な無いようになると思います。

後者は、ゼロから新しいシステムを再構築する方法。

たとえば、税金という形による供出ではなく、直接的に労働力を徴収するやり方があると思います。

徴兵ならぬ、徴介護。

国民の義務にして、仕事を回すようにすることで、人件費は圧倒的に削減可能です。

または、介護スタッフを海外から受け入れ、日本を出稼ぎの対象にすることでマンパワー不足と資金不足を解決するとか。

あるいは、逆転の発想で、要介護者を海外に住まわせて、現地の安価なマンパワーを活用するとか。

うん。ろくでもない。

現状、ある意味で詰んでる

現状の現実的な解決法がどれもいまいちなのは、それだけ日本が直面する現実が厳しいものであるということの裏返しと思います。

全部大体少子化のせいです。

もっといえば、少子化ムードを作り出している社会の雰囲気のせいでもあります。

そういうムードを助長している意味では、政府の責任は大きいと思います。

おわりに

このたびの記事では、適当こいて極端なコトを書きました。

ですが、根本原因の少子化問題が解決しない限り、ろくでもない解決法のどれかが現実の物になるかもしれません。

というか、視点の中心にお金がくる限り、ナイスな解決法には至らない気がします。

どこまで人に焦点化できるかが、ポイントだと思います。

どんな世の中が来ようと、作業療法士としてやることに代わりは無いのですが、在宅医療を支えられるような人材に、自分がなっておく必要性はひしひしと感じています。

というか、早く結婚して子供作らんといかんかもですね。


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