はじめに
人間は、もっと夢を持つべきで、もっとバカでいいと思います。
そして、アホな妄想を山のように繰り広げ、それに浸る権利があります。
なのに、そうできないのはなぜでしょうか。
一般的な妄想力
最近友人とのみに行った時のお話。
その友人が、共通の友人と飲んでいた時のことを話してくれました。
ちなみに、その友人は女性なんですが、共通の友人である男友達と他人の恋愛についてあれこれ妄想しながら、それを肴に酒を酌み交わすんだそうです。
どうやら世間的には、このくらいの妄想力は備えていて当たり前のようです。
こどものせかい
子供の世界は、夢物語であふれています。
このあいだ知り合いの子供の、小学校1年生の女の子なんかは「大きくなったら、綿菓子になる」と満面の笑みでした。
ひろえもんは
「そう。がんばってね」
と引きつった笑みを返すのが精一杯でした。
昔から、そういう発想力が乏しい人間だったので、どうもそういう感覚についていくのが苦手なんです。
でも、同時に、いいなあと思いました。
だって、将来この子は、銀河鉄道999の哲郎のように、永遠の命を目指して綿菓子の体になるかもしれません。
この子が本気で目指せば、いつか夢は叶うと思うので、今後も応援したいと思いました。
大人の世界
一時期みんな天才的な妄想を発揮するのにどうして、「妄想力たったの5」なひとが多いのでしょう。
そして、「妄想力は50万です」っていう人がすくないのでしょうか。
思うに、中学生頃からでしょうか
「現実をみろ」
と言われるのは。
この辺りで多くの人が妄想力を失っていくのでしょう。
大人の世界は、偉い人の勘定と感情と、目の前で起こる事象の全てと、それを支配するルールや法則が全てです。
成熟した社会であればあるほど、子供の妄想が入り込む余地はあんまりないです。そうすると、突拍子もないことをしでかすひとも少なくなります。そうなると社会がつまらないものになってしまいます。
決まりきった現実が、目の前には広がります。
人間先が見えないこともストレスですが、先の決まりきった人生を歩むこともそれなりに苦痛だったり。
ましてやそれが、不遇な境遇だったりすると特に。
人間はみんな現実にギャップ萌えして生きている
意外と良くある話です。
たとえば、「いつも明るい頼れるあの人が、なんだか元気無い」とか。
きっと、多くの人が「励ましてあげたい」と思うんじゃないでしょうか。
人間は、自分のイメージと現実との間の差異に注目したり、それをおもしろがったりすることで、何らかのアクションを起こす生き物です。
この自分なりのイメージというやつが大切で、それをもとにして現実に対してどのような行動をとるかということが決定されます。
ですが、歳を経るごとにイメージが巧くなっていく人と、反対にイメージを諦めるようになる人に大きく分かれます。
駄文
にんげんはゆめをみないと生きられない動物なのに、ゆめもきぼうもない。
だからしぬんだよ。
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