はじめに
STEP細胞だかなんだかが、話題ですね。最近。
話題になっているのは、その発見が世界レベルでの功績であると賞賛された論文が実は、きわめていい加減なものだったことが徐々に立証されつつあるからです。
ところで、論文とはなんでしょうか?
と自分の中で、改めて疑問に思ったので記事にしてみることにしました。
論文ってなに?
って漠然とした質問なので、少し具体化していきたいと思います。
みなさんが論文と聞いて思い浮かべるのは、どんなことでしょうか。
こんな質問を投げかけたとき、「科学論文」を思い浮かべる人がきっと多いんじゃなかろうか、と思います。
これは、科学者や研究者が、自分の学術の成果を世の中に発表したり、学問を前進させるための手段として用いるやつです。内容やその構成には、厳密な根拠と理論の提示が求められます。
やはり論文の代表格ですしね。
このような科学論文は私たちの生活にも大きな影響を与えうる物です。義務教育で使用されている教科書の中身も、もとをたどればそうした論文の上に成り立っている訳です。世の中に影響することも論文の目的の一つかもしれません。
あるいは、大学や大学院に行ったことがある方は自分が書いた論文を思い浮かべていただけたら、それが一つの答えになるのだとおもいます。研究だけでなく、教育の手段として用いられることもあるということです。
論文は誰が書く?
先ほども述べましたが、科学者や研究者、学者あるいは学生が書くことがあります。
なぜかといえば、そういった人たちにとってやはり、論文は自分の研究の成果を、世の中に広く認められるような形式で公開するための強力な手段だからです。
あるいは、大学生や大学院生が自分自身が学問を勉強してきた存在であることを証明するための手段だからです。もっとも、その論文達の多くはあんまり世の中に影響を与えるコトはないかもしれませんが。
ですが、とにもかくにも、論文を書くことによって自分が取り組んできたことを、なにかしら目に見えるような形にすることができます。そうすることで、他者とその成果を共有することが出来たり、誰かからの賞賛なり、批判なりを受けることが可能になります。
このあたりに、論文を書く意義があるのだと思います。
ですから、在野の一般人の人が、自分の趣味やなんかについて論文を書くことがあります。
あとは、政治家なんかも時折、自分のビジョンを世の中に問うために発表してますよね。
つまるところ、論文ってのは誰が書いてもいいわけです。
ちゃんとした、目的があれば。
論文は何のために書く?
正直、これはもう、決まりきっていると思っています。
非常に硬い言い方をすれば、「自分の論の正当性を他者に示すため」です。
そうすることによって、自分の研究の後押しをもらえたり、自分の考えを他の人にぶつけることによって、学問なり議論なりを前進させることができます。
あとは、大学生や院生だと、「書かないと卒業できないから」というのもあるんでしょうか?
論文いつ書くの?
いまでしょ!(もうさすがに古いですよね…)
学問の世界であれば、二番煎じに意味は無いですから、早ければ早いほど良いということになります。ですから、着想が浮かんだら、すぐに書き上げてしまうことが望ましいのではないでしょうか。
気鋭の研究者には3日に1本のペースで論文を量産している人もいるようです。書ける内容があるなら、その時々でどんどん書き進めてしまうのが良いはずです。
しかしながら、気を急いて功名心にかられると、今回のような結果になりかねませんので、自分自身くれぐれも注意が必要かなあと思います。
論文の書き方
一旦、ここまでの内容をまとめます。
論文は、誰でも書けるけれど、早ければ早い程よい、「自分の論を世の中に示すために書く」物
と、ひろえもんは考えておりますってことです。
正直、ひろえもんは論文書くのがめちゃくちゃ苦手意識があります。
それは、論文の形式にうまいこと自分の言葉を当てはめることが出来ないからです。
ですが、論文を発表する場所や学会によってその形式が結構決まっていたりするので、やっぱりそれにのっとって書かないと行けないんだと思います。
とはいえ、発表の場所や学会が変わると形式もいろいろと違ったりするので、そこは先輩とか、学会の運営に問い合わせたり、過去の投稿を読んでまねをするとかして身につけていくものなんだろうなあと思います。
おまけ:論文の活用法
既に発表されている他者や、自分の論文を多く知っていると新しい論文を書くときに少しラクが出来ます。
あとは、自分の実践の根拠にすることが出来ます。
これはどの世界でも一緒だと思います。
むろん、それは作業療法の世界でも、他の医療でもおなじで。
ですから、論文はたくさん読んで知っておくにこしたことは無いんだろうなあと思います。
抽象度の高い、コンテンツを読むのに慣れていないと、論文を読むのって結構しんどいですけれどね。
ええ、ひろえもんは論文読むのも苦手ですよ。
がんばるよ。
おわりに
繰り返しになりますが、論文というのは自分の論を世に問うための手段だとおもいます。
そのために、気にするべきこと、たとえば、形式やしきたり、ルールなどは山のようにあるはずです。
しかし、それ以上に自分がかきたいことが何なのか、自分が書こうとしていることが事実に基づく論なのかということに真摯になることが大切な気がしています。
そして、だれに読んでもらいたいのか、どんな場でその論文が消費されることを狙っているのかというあたりまで考えられるようになるといいなあと自分では思っています。
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