はじめに
作業療法の基本も、遊びのなかにあると感じています。
遊びっていうのは、人生にとって必要不可欠なものだとおもいます。
遊びの中での経験とその蓄積が、失敗を減らし新しいことへの挑戦を可能にしてくれるからです。
人の成長と遊び
人間の成長にとって、遊びはなくてはならない物です。
たとえば、小さいころにおままごとをしたことがある人は多いはずです。
あの遊びにはきちんと意味が在って、子供が自分の認知機能をフルに使って、人間の関係性を簡便化して役割を認識するのに役立ちます。
シュミレーションってやつですね。
おままごとやごっこ遊びは、一般的に単なる遊びで何の生産性も無い活動のようにとらえられることすらあるようですが、社会性の獲得や振る舞いの学習にとってそれらはとっても重要です。
遊びの中で、さまざまな役割をたくさん経験すればするほど、人間社会の新しい属性と役割を学ぶことが出来、認知能力や知的能力を高めることが出来ます。
おままごとをすることで、家族関係や、役割についての認識が強化され、そのコミュニティのルールを認識することになり、極端な逸脱や失敗をする確率は減少します。
そういう意味で、おままごとは一種の認知行動療法やSSTと言えます。
大人になっても、遊びがなんらかの課題解決に役立つ可能性があるのは、きっと変わらないはずです。
いろいろな遊びからは何らか、得られることがあるからです。
遊びから学びを得るために
ただし、遊びが何らかの問題解決や仕事に繋がるには一つ条件があるように思います。
それは、どれだけ真剣に遊べるかということです。
遊びに対して真剣になるというのは、自分の体や頭をどれだけ意識的に動かしたかということです。
テレビゲームでも何でもかまいません。
が、同じことをいつまでもやって遊ぶのではなく、格闘ゲームであれば昨日よりも1秒でも早くコマンド入力が出来るようになったり、育成ゲームであれば裏パラメータの存在を仮定検証したりできるかということだと思います。
つまりどれだけ、「こんなことがしたい」という思いに向かって、馬鹿みたいに試行錯誤を繰り返して一生懸命になれるかということです。
対象は何でも良いので、向上心をもって取り組めるかということです。
あるいは、会話などによって誰かとその体験を共有したり、文書化して整理することによって経験を蓄積し、次に繋げることです。
真剣に遊ぶってむずかしい
バイタリティが高くない自分のような人間には、真剣に遊ぶって結構ハードルが高いです。
最初は、真剣にやっているつもりでも、後々までなかなか継続しなかったりします。
そして、遊ぶんだったら楽しくないと意味ない訳でして、真剣さの中に如何に楽しみを見いだすことが出来るか、そのバランスが難しいです。
考えるまえに体や頭が動かせるようになると、真剣に取り組みながらも自然と楽しめるようになる気がします。
手を抜かないようにっていう意識づけはする必要があります。
おわりに
草食系な人が増えているといわれる昨今ですが、無駄なことなんて無いと信じて色々遊んだりやってみることが大切なんじゃないかと思います。
あと、遊びを念頭において書きましたが、「真剣にやる」のという感覚は、実は日常生活全般にわたって応用できるとはおもうのです。
遊びや仕事中はもちろん、色々と意識的になれたらいいなあと思います。
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