はじめに
よく、インフラや仕組み上の問題として取り上げられるデジタルディバイド(情報格差)ですが、「そりゃ本質とちがうんぢゃあないの」と思うと同時に、障害の構造ともそっくりだなとおもったので記事にすることで自分の考えを整理してみたいと思います。
ざっくりと。
ざっくり
情報格差が問題ではなく、アビリティの差が問題である。
べつに機会があろうが無かろうが、結果に差が生じていることを問題視している人が多い。
その差があんまり大きくないなら着目されないはずだから。
同じデバイスが手元に在っても、デキルことの差はどんどん拡大していく。
それは、一見誰にでも操作できるように見える機械類のほうが大きな差をもたらす。
企画や運用能力、狙いをもってそれを自分の目的にそって最適な形で活用できるかどうかに大きなさがあることが問題の本質ではないか。
おわりに
その本質は、個人主義にあるのではないでしょうか。
人が有機的につながる社会構造だとそこまでバランスの悪いことにはならないはず。
情報格差よりも、一見万遍なく共有できそうなツールや仕組みがありながら、深い部分でつながれずこぼれ落ちてしまう人たちの存在することがこの構造的問題の本質である。
と思います。