誰かを指導する時に知っておくべき、成長の本質とは

作業療法では、臨床場面でしばしば誰かを指導する役割が求められる場合があります。

ひろえもん個人としては、あんまり得意じゃないというか、やりたいことでもないです。

しかし、その時に、やっぱり意識しておくべきだろうなと感じたことがあったのでメモついでに記事にします。

まず、成長について。

成長といえば、植物の生長とほぼ同義でとらえてしまいがちです。

イメージも同様にしている人が多い気がします。

どういうことかというと、人間も植物同様に水と肥料をやって、日に当ててやれば勝手に育つというそういうイメージを持っている人が多いという風な印象を持っています。

しかし、これは間違っているのではないでしょうか。

と思っています。

いくら環境設定だけしたところで人間は、植物のようにガンガン伸びていくとは限りません。

多くの人は伸び悩むでしょう。

それは、どの方向に延びるかが明確ではないからだと思っています。

植物のほうは、天に向かって伸びるのが基本で、あとは、そこから枝を広げるとい風にやることが明確でシンプルです。

指導者がその感覚で環境設定を行ったとして、たとえ指導者側にはその対象となる人が伸びるべき方向性が見えているとしても、与えられた側にはその方向性が見えないので、どうしても伸び悩んでしまうのです。

話はそれるかもしれませんが、現代人の場合は、試行錯誤や方向の検討能力が低い人が少なくないと思います。

きっと昔は生きるために必要な活動が人の行動を作り出していましたが、電化製品やサービス業の発達などによって、そういった行動を肩代わりしてくれるシステムが生まれて個人が自由に使える時間が増えています。

子供たちの中には、やりたいことややるべきことの方向性を自分で検討できるようにならないままに大人になる人もいる。たぶん、今はそんな世の中ではないでしょうか。

環境設定の前に、その人が自ら成長するための要素を持った人物なのかどうかを見極める必要があるとおもいます。

そして、指導に話を移すと。

指導者は、そこらへんを踏まえて、どんな方向にその人を導くかということを考えないとダメだなと思います。

指導や、その結果としての成長とはつまるところ、片寄りを生み出すということにほかなりません。

成長という名の偏りを生み出すことが、指導の本質だと思います。

効率的な方法を教えるということは、その方法を好んで用いるというかたよりを発生させることになります。

目の前の問題を片づけるために良かれとおもって行った指導が、長期的にみるとあんまりよろしくなかったりもします。

これは、片寄りをつくることが、一方でメリットをもたらす一方で、必ず何かしらのデメリットが発生させるということだとおもいます。

指導的な立場を演じる場合には、これを踏まえて、相手のデメリットに責任を負う覚悟が必要だなと感じます。

そう考えると、改めてバイザーって大変だなあと思ってしまうのでした。


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