その「壁」は誰の為のもの?対象者との距離感についての考察

誤解を恐れずに言えば、対象者の為であれば、あえて「なれなれしく」振る舞うことも有効かもしれません。

一番必要なあり方は、対象者にとって最も「心地よい」距離感であり、その距離感が念頭にあれば、一般的な礼節に過度にかたくなに固執する必要はないのではないでしょうか。

特に精神疾患の場合は、「丁寧さ」が「よそよそしさ」と解釈されてしまい却って「壁」になってしまうかもしれません。

ひろえもんは、一年目の半年間はずっとそんな経験をしていました。

そのことに気がついたのは、1年目もやっと終わりになってからでしたが。

一方で、本当に「なれなれしく」なってしまって相手に不快感を抱かせたり、しんどさをあたえてしまうなどの「侵襲的な」関わりになっていないかというリスクの評価は本当に大切です。

相手に嫌われてしまったら、そこから建設的な作業療法を行えるようになるのはほぼ不可能です。

ひろえもんは、学生の実習にて対象者の方から思いっきり嫌われて避けられた経験がありまして、正直今でもトラウマなのですが、今思い返すと「最悪」な関わり方だったとおもいます。

なれなれしい関わり方だったかというと、世間的に見るとそんなことはなく、表面的にはかなり丁寧な関わりだったという自負はあります。

しかし、その対象者の方にとってはこちらからの関わりは「邪魔」で「苦痛」以外の何ものでもなかったのだとおもいます。

その方が、しんどくならないような「壁」を保ったまま、すなわち侵襲性の低い距離感で「作業」を用いて関わることが出来ませんでした。

それが、そのとき実現できていたら、もっといろんな展開が在ったかもしれないといまでも非常に悔まれます。

「壁」もやたらめったら、とりこわせば良いというものではなくて、相手の状態によっては尊重したり、活かしたりすることも必要です。

その為であれば、客観的に見たときに「硬いな」と受け取られるような関わり方であっても全く問題ないのではないかと思います。

作業療法は接客業であるところに、ちょっと難しさはありますが、その難しさと治療的かどうかという効果との間で、巧くバランスがとれたらいいなと思います。


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