今日記事にすることは、改善が目に見えて、目覚ましいときには余り考えなくてもよいことがらかもしれません。
逆に、改善が明らかでなかったり、変化が分かりにくかったり、むしろ悪化しているようにすら見えるときに考えるべきことと思います。
たとえば、最近、話題の認知症。
抜本的な治療法が、確立していないので、現在のところは薬物療法にしろ、精神療法にしろ、作業療法にしろ、本質的には対処療法というものにカテゴライズできてしまいます。
根本的な病因が除去できないので、症状は急激に進行したり、あるいは緩慢に進行したりと、進行速度に差はあるものの時間の経過とともに進行していくことになります。
そこで、自分が対象となる方に対して行っている作業療法が、果たしてどんな意味があるのでしょうか。
そんな問いをもったことがある、OTRは多いのではないかと思います。
もしかしたら、OTSの段階からそのようなことを感じていた人もいるかもしれません。
自分が療法として行っている手技の意味が、不意に分からなくなったときに「どうしたらよいのだろう」と悶々とすることがきっとあると思います。
発達障害や、重度心身障害、精神疾患や重度の麻痺などでも同様なジレンマが発生するかもしれません。
とにかく、良くなるように関わりたいと思ってやってることが、果たして本当にその人の為になっているのだろうか、というジレンマです。
狙っている効果によっては、その時点ではどうしても確かめようが無いこともあります。
そんなときに、予後予測がきちんとできたり、その将来で発生しうる問題が予想できて、それを回避するための方策が考えられて、それが実行できたとしたら、それで問題ないのではないでしょうか。
もちろん、そこにはエビデンスがもとめられますが、エビデンスとは要するに説得材料であり、正しさを証明する物です。
対象者や、その周囲の家族や医療・福祉スタッフの心をグっと動かすことが出来たら、それで良いのだと思います。
そのためには、将来その対象者の方にどうなってもらいたいか、どんな姿で生活していってもらいたいかをなるべく具体的に思い描けることが必要だと思います。
それが、具体的に思い描ければ描けるほど、作業療法士としての自分自身がとるべき行動が明確化されたり、自分の仕事をキチンとした尺度で振り返って反省し、次の行動につなげることが出来るようになるはずです。
迷ったままで、何もしないといつまでたっても迷いの中です。
とりあえず、動きながら情報を集めて、その人の将来像を思い描き、そこに向かう為の介入ができること。
基本的なことですが、いざ臨床にでるとぶれてしまいがちなところだと思います。
ということで自戒のために、改めて記事にしてみました。
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