作業療法の考え方をすべての人が掴めるようなコンテンツを作り、受け取ってもらうには 言葉編

はじめに

作業療法の考え方を表現するときに、OT語を多用していませんか。(ひろえもんはついつい使ってしまいがちです。

たとえ、どれだけ作業療法の本質をついていた言葉でも、一般的、日常的な言葉からかけ離れてしまいすぎると作業療法になじみの無い、聞き手にうけとってもらえません。

どうしましょうか。

前提となる構造

たとえば、精神や心についての情報化は一律化が難しく、言語化して落とし込むには膨大な情報が必要です。

作業療法の精神や哲学も同様で、それに基づくさまざまな理論やその中での用語もまたしかりです。

膨大な情報をそのまま言葉にしてしまうと、正しく具体的に把握はできたとしても日常で使いこなすにはすこしおもすぎます。

実用化するためには、簡単な表現をする必要があります。

それを簡略化するためには、抽象化が用いられる場合が多いです。

「表情がかたい」「思考がまとまらない」という表現を精神領域では普通に使いますが、一般の人にはあまりつたわりません。

その原因は、上記のような抽象化された表現だからというのがあるように思います。

その言葉を日常的に、感覚のレベルにまで落とし込んでつかえている人にとってはとても便利な表現ですのでとても使える道具になります。

一方で、そのせいで、作業療法になじみの無い方々にはおおよそ直感的に理解不可能な表現もたくさんあります。

これは一般対象者の方々を含むものであります。

生じている問題

作業療法士が一人でも十全な結果を出せるような仕事をしているのであれば、それでも問題ないです。(たとえば天才数学者。よのなかの半分以上の人が彼の操る数式を理解できない。

しかし、そうではありません。

当事者や家族、周囲のコミュニティ、はては行政組織までと幅広い協力を行いながら実務を遂行する必要のある仕事です。

まして現在、医療費や保険料の財源が厳しさを増している中で、より多くの社会的な資源を金銭的なコストをかけずにどれだけ巻き込むかを求められる時代になっています。

つまり、だれでも本質が一瞬で理解でき、納得できる言葉が必要です。逆にそうした言葉が、優先的に使われなければ、世の中の限られた人としか協力することができないままです。

そして、現状を見てみると、作業療法士には「あたりまえ」のことをOT語を用いて表現しており、その代償として、作業療法と直接かかわりのない人びと(たとえば、当事者の家族や、同施設の多職種のスタッフ)を、「なんだかよくわからない」と、作業療法から遠ざけてしまう結果となっています。

先述のとおり、作業療法がより多くのひとに知られることが求められる時代において、このような事態が放置され続ける状態は好ましくないです。

問題への対処法

いくらでもあると思いますが、たとえば、この問題を解決するには以下のような方法があげられると思います。

  • OT語について、きちんと定義したものを網羅的に示し、それを公開することによってだれでもOT語が理解できるようになってもらえるよう、言葉の意味を定義・説明する。
  • OT語の使用を中止し、辞書に掲載されている日本語に準じた説明言葉づかいを行う

などなど。

こうした工夫を日常的に意識し、また実践する必要があります。

やはり、何もしないでいると結果として作業療法というものは社会から消え去り、結果として対象者から作業療法を奪う結果となってしまいますから。

そうならないためには、いかに多くの人を共感の渦に巻き込めるか。

その人たちと一緒に課題解決を図ることができるかということにかかってくるように思います。・

おわりに

同じことは作業療法士間でもいえると思います。

専門学校や大学といった養成校は現在、基本的な手技ばかり教えたり、逆に講義形式で抽象的な理論ばかりに力を入れたりと、力を入れる内容に偏りがある場合も多いようです。

自分自身が学んできたことに偏りがあることを自覚していないと、お互いの言葉に対する理解がずれたままでいつか溝が大きくなり事件や諍いに発展していくかもしれません。

まずは、相手の立場に立ったり、自分を振り返ることで、自分と相手の「あたりまえ」の違いを把握でき、それによって協力関係や協業関係の構築が行いやすくなるのではないかと思います。


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