未曾有の大災害、「東日本大震災」。
今なお、復興への支援が必要とされていますが、他の災害と比較してみて違和感しかありません。
たとえば、阪神大震災などと比較するのは適切ではないかもしれませんが、それにしたって復興が何一つ前に進まないという事実があります。
4年も経つのに。
むしろ、被災者の人々の心のダメージはどんどん大きくなっているような感じが、報道を見ているとしてなりません。
自分に出来ることは何かないかと考えてみると、特にないのもまた事実です。
たとえば自分の給料から募金をすることしかできませんが、これも決して効果的な復興支援の方法というわけではありません。被災地が必要としている金額からすると焼け石に水ですから。
本当に被災地が必要としているのは、実際のところ、被災地に居住して共に地域を作っていこうとする覚悟をもった人々であり、その人たちが集合してできるコミュニティーとしての力の再構築だとおもいます。
そういう視点で見たときに、自分が福島に移転して支援活動をするということは現実的ではないですし、そこまでの覚悟もないというのが正直なところです。
いまの生活のいろいろな関係性をうっちゃって、引っ越すという覚悟が自分の中にないという、自分の精神的な弱さによるところが大きいです。
他の災害に比べて、復興が遅いのは、実のところ行政の規制によるところが大きいのかなと思います。
多分単純な津波被害や地震被害だけであれば、ひょっとしたらとも思うのですが、原子力の影響が色濃く影響して、事態を非常に複雑なものにしてるとおもいます。
放射線が、人に与えるリスクはライフステージによって押し引きされてもいいんじゃないかと思ったります。
いわゆる後期高齢者の人々が、自分の住み慣れた自宅で生活することを、もっと早いうちに許可しておけばまだ違ったのかなあ、と思うのです。
ここまでコミュニティーが徹底的に破壊されてしまうと、元の状態にするのは不可能なのではないかともおもいます。
一作業療法士として、この点には非常に心を痛めています。
広島の災害もそうですが、行政の采配が、人々の生活を制限してしまうというのはいかがなものかなと思います。
過激なことを言えば、「たとえ命の危険があったとしても、帰りたい」と願う人を、その人の望まない環境に押し込めるのはQOLを低下させているだけといえないでしょうか。
復興が実感できない人が多いのは、きっと「在りたい自分」「やりたいこと」に向かって、日々を進める実感が得られない生活を重ねている人が多いと言うことです。
被災者の人々の「こうありたい」「こうしたい」を、現実的に一歩一歩支える、そんな被災地支援ができたらいいなと思います。
被災地の「こころ」を支えることができたら、と思います。
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