「わたしなんかもうだめ」
というひとに対して、作業療法はできることがたくさんあるはず。
だってなんでもできるんだから。
何を使ってもいいという、そういう自由度の高さこそが作業療法の大きな特色だと思う。
それと同時に、自由度の高さに振り回されることなく、作業療法の現場に於ける影響力をコントロールできてこその作業療法である。
対象者の自尊心が高まるためには、その人が自分を大切に思えるような、そういう認知を促すような活動が提供できることが大切になる。
つまり気づきを促すことが大切になる。
言葉を使ってもいいし、文章を書いてもいい。
絵にしてもいいし、粘土で形作ってもいい。
紙を切り抜いて見たっていいし、縫い合わせてもいい。
削り出してもいい。
一緒に散歩に行ってもいい。
どんな活動を使ってもいいから、「自分って悪くないぞ」と思えるような体験をしてもらうことが大切になる。
その体験の根本はやはり気づきだと思う。
「自分ってこんないいところがあったんだ」
「自分にとって心地よい、こんな体験があったんだ」
という気づきが、そしてそれを欲する気持ちが、生きるという気持ちに繋がるのだと思う。
誰かの言葉を通してではなく、生の体験から自分で言葉に起こしたそういう気づきこそがひとを変える手がかりとなるのだと思う。
その活動はきっと、新規性が高いものが良いのではないかと思う。
最初は思わず面食らってしまったり、少しハードルが高く感じられるような、そういう少しチャレンジするような活動がよいと思う。
少し高いハードルを越えた時、そこには新しい広がりがある。
できることを繰り返しても、質は向上するが同じことしかできるようにならない。
できないことに挑戦し、達成するからこそ「自分はやれる」という感覚はより強固なものとなる。
作業療法士は、馴染みの作業を提供するだけでなく、新たな作業を提案できるような存在でありたいと思う。
とくにMTDLPが、これから普及していくだろうことを想定してそう思う。
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