自分の職場に見切りをつけるとき、一つの条件になりえると思います。
昔話
個人的な昔話ですが、実習地で、患者さんと一緒に自分自身作業療法を受けてみたときに思わず自分から思いもよらない言葉がもれました。
「あ、楽しいですね」
それを聞いた、実習先の先生が、授けてくれた言葉です。
『それは良かった。自分が楽しめることが、他人を楽しませるきっかけになるからね』
そして、先生はこう付け加えました。
『同様に、自分が大切にされていなければ、患者さんも大切にできないよ。余裕が持てないなら、患者さんに余裕を持ってもらうことは難しい』
さらに
『患者さんは、自分自身を映す鏡。逆もまた然りだよ。』
加えて
『そうやって、自分自身を使える作業療法士になってね』
今思うこと
まず、仕事に追われて、余裕を失っていました。
この、言葉をすっかりと忘れてしまうほどに、忙しかったです。
大事な言葉として、深く胸に刻んでいたはずでしたが、何か違うものに駆り立てられて、自分自身を見失ってしまっていました。
遊ぶことが、悪いことであるかのように感じられるほどに、自分を追い込んでいたと思います。
職場環境というよりも、社会環境の結果として、そういう働き方にならざるをえないということはわかっています。
しかし、自分自身に余裕がなくって、効果的な作業療法ができなくなってしまっては、全く本末転倒だとも思うのです。
あることがきっかけで、ふと実習先の先生のこの言葉を思い出すことができました。
人に優しくするには、自分が人から優しくされた経験が必要です。
どんな行動が、相手に優しさを感じさせるのかは、直感的に理解するものですが、その元となるのは自分自身の体験だと思うからです。
そして、その経験が最近のものであればあるほどに、その再現性は高いはずです。
余裕のある状態であれば、自分が相手の何かを肩代わりすることによって、相手に余裕を分け与えることができます。
自分が楽しいことを知っていれば、相手とそれを分かち合うことができます。
作業療法をとおして、具体的な体験をもとにして、自分自身を相手の鏡として使うことができます。
そのためには、やっぱり働いている場所が、作業療法士自身に勇気や元気や、余裕を与える場所であることが必要だと思います。
それらを搾取され続ける職場で、患者さんや施設利用者の方に、充実したサービスを届けられるとは到底思えません。
より良い作業療法士であるための唯一無二の条件。
それはズバリ。
「自分により良い何かを与えてくれる環境で働く事」
それが、ストレスでも楽しさでもなんでもいいのですが、人は自分に入力されたものを出力する生き物です。
患者さんにより良いものを提供するのは、作業療法士のセンスと、そのセンスで何を受け取るかによるのです。
ひたすら奪われるだけの職場であれば、良い作業療法士にはなれないでしょうから、いっそやめてしまうことをお勧めします。
そういう施設の経営に利することは、回り回って患者さんや利用者さんに多大な不利益を与えることになりかねないのですから。
それをさせない業界の雰囲気も、起業や新しい制度の策定などによって変えていく必要があるのかもしれません。
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