リオパラリンピックが終わり、東京に向けて思うこと

パラリンピックをしっかりとみたことがなかったので、いろいろと勉強になりました。

「障害があっても、普通に暮らせる世の中になればいいね」

と、いう声がある一方で、

「やっぱり健常者と(競技ルールが)いっしょじゃないと嫌なんですね」

という声もあり、いろいろ勉強になりました。

やっぱり、生の声ってほんとうに大切で、そういう声を聞かせてくださる方がたの存在って本当に貴重だなあとおもいました。

かねがね、筆者はありとあらゆる障害は、「視覚障害と眼鏡」のような関係になればいいとおもっています。

「むかしは、牛乳瓶の底のようなメガネしかなかった」

「だから、いじめの対象だった」

という話を親から聞いたことがあります。

いまは、どうか?

安価でおしゃれな眼鏡がたくさん作られるようになり、別に目が悪くないひとも積極的に眼鏡を着用する世の中になりました。

競技用の車いすが安く手に入ったり、移譲に必要な介助をおこなってくれるロボットが当然のように町中にあふれていたり、トイレ、入浴、更衣といった保清に関するマネジメントをおこなってくれるトータルケアシステムが病院のみならず各家庭に手軽に導入できるようになったり。

そういう世の中になれば、だれも障害を感じることはないかもしれません。

障害というのは日常生活において「不便だなあ」とか「うまくいかないなあ」とか、そういうことだと思います。

そういう部分が技術的に解決できるようになれば、マンパワー不足がうまく解消されソフト面や心理面のケアに人員を配置できるようになって、みんな幸せな世の中にならないかなあと妄想しております。

当分先の話にはなると思うので、ユーザーファーストなそういう未来が来ることを期待しつつ、2020まで、楽しく仕事をしていきたいと思います。


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