親が「我が子のいじめ」に対処する難しさ いじめ相談サービス(by法務省)への感想

人はどうして人をいじめるのかという洞察なしに、いじめを世の中からなくすことは絶対にできないと思っています。

法務省が主催するいじめ相談サイトと絡めながら、考察していきます。

長いですが。

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子供は親にいじめを相談できない

いつまでも、時代が変わっても無くならない「いじめ」。

それに関して、このような記事がありました。

いじめ被害「親には言えない」…法務局への手紙相談増加 専門家が秘密厳守で返信

上記から一部引用します。

 《いじめにあってます。菌(黴菌(ばいきん))扱いです。両親には、勇気が出ず何も言えません》《陰口を言われたり、無視されたりします。「ちくった」と言われるので学校には言わないで》

(中略)

同省によると、20年度に5567件だったいじめ相談の手紙は年々増加し、23年度は8916件に。《「震災で死ねばよかったのに」「この町から消えうせろ」と言われる》。東日本大震災に伴う転校先での嫌がらせを打ち明ける訴えも昨年は目立ったという。

OTはいじめとは無縁でない

いじめの本質は違うもの、異質なものの特徴を際立たせて攻撃することだと思います。

その特徴は具体的なものから、気が弱いまたは政治的権力が弱いと言った抽象的な特徴に至るまで多岐にわたります。また、いじめは子供だけでなく大人の社会組織の中においても頻発します。

そうすると、障害を持っている人がいじめに会うことも容易に想定できますし、障害を持っている人同士の中にもいじめのような人間関係は存在します。

そうした、人間関係の影の部分に、業務上、作業療法士として向き合うことがあると思います。

ですから、この上記の記事を読んだ時、自分自身が思ったことについて、すこし書いていこうと思います。
悲しいことではありますが、きっと、OTは、いろいろな場面で「いじめ」とは、無縁でいられないと思うのです。

いじめ問題についての本質的な理解を深めておくことはそのような状態に近い構造を解決する時に必ず役に立つことでしょう。

なぜ子供は親に相談しないか

まず、上記の記事で、「いじめられている側の心理」について。
個人的には、親に相談できないという心理は、よくわかります。

典型的な心理としては、
「大好きな親に心配をかけたくない」
「自分が、いじめられていると知ったら親は悲しむのではないか」

という親を心配する心理にすり替わっているもの。

あるいは
「親なんて頼りにならない」

という不信感。

一番ありがちだと思うのは

「親に頼らないと解決できない情けない自分」像を作ってしまい、それを否定したいがために相談する勇気が持てないこと。

兎にも角にもたくさんの心理が考えられますが、とにかく共通するのは、親と話をするのにエネルギーがもともと必要であるということです。

親子の会話がないということで片付けられる問題ではないと思いますが、親のカウンセリング能力はもう少し高めることができるのだと思います。

彼らなりに考えた結果であることは尊重するべきだと思います。

しかし、子供だけで解決できないから問題になっていることには気づかせてあげる必要があると思います。その時のやり方については後述しますが、配慮が必要だと思います。

親は子供を助けたい 助けたいあまり出すぎて、子供の集団の力学が理解できず事態を悪化させることも

親の立場から記事を読むと違った景色が見えます。

「なんで話をしないのか」

「そんなことを悩む前に一言相談してほしい」

「いくらでも力になる」

「守らなければ」

そう思うことでしょう。

立場が違う人間には、いくら仲が良かろうとは話せないことがあるのが人間です。

夫婦仲がよかろうと、女同士でなければできない旦那には聞かれたくない話というのはあると思います。

よくしてもらっている上司のことであっても、同僚としかできない話も、多かれ少なかれあるでしょう。

親子関係にしても同様です。

いくら親子関係が良好だろうと、子供の力学に関する話は、子供たちはなかなか親に話したいと思いません。

それは人間の普通の心の動きなのだと思います。

これは、親がある程度わきまえ、子供に配慮するべき部分と思います。


しかし、親の立場では、そんな悠長なことも言ってられません。
「何とか、助けになりたい。」そう考えるのは当たり前のことです。

自分の子供が置かれている危機を解消するためであれば、親は何でもすると思います。
そして、実際、自分が何かをしたいと願うでしょう。
そのため、衝動的に、さまざまに行動してしまう親御さんも、たくさんおられることと思います。

しかし、その前に、親が知っておかなければならないことがあると、個人的には思っています。
良かれと思って、迅速に行動してしまった結果として、逆に、子供へのダメージを増大させてしまう可能性が、あります。

親の介入で、子供たちの関係性がいよいよねじ曲がってしまうこともあるからです。

どうしてでしょうか?

なぜでしょうか?

「いじめ」の根本を見つめる

いじめは、人間の防衛本能に端を発していると考えられます。異質なものを遠ざけることで、群れと自分自身が生き残れるようにする機能が残存したものとも考えられます。

本能的な心の働きとするならば、誰しもが持っている心の働きということになります。

そこを認めて、理性的に自分自身の感情や衝動性をコントロールできる人ばかりの社会集団や組織であれば、「いじめ」は根絶が可能ということです。

逆に、理性的でないまたは、衝動性の高い人を集団の一員として許容するならば、必ずいじめは発生します。

いじめを使った人間集団の力動を用いて、人をコントロールしようとする人間の行動が自然発生するからです。

このように、人間の本能的な心情に根ざしている行動がいじめなので、年だけ重ねたような人間がどれだけ増えたところでいじめは社会からなくなることはあり得ません。それに、子供だからといって他人を虐めないと限らないということです。

本能に加えて、複雑化する現代のいじめ

また現代社会においてはいじめの手段も質もより複雑なものになってしまっています。

現代社会における「いじめ」問題の根は、人間の社会性、心理面の、昏い部分に端を発しており、根深く、複雑です。

それは単に異質なものを排除することで、生存の確率を上昇させるというものを超えた何かになってしまっています。

そして、多くの場合「いじめ」は、理屈で起こっているのではありません。

人間の本能に基づく、「感情的な」問題に端を発していることが多いのです。

感情論に乗せて、より複雑な手段で、多数が少数をいじめる構図がたいしたコストもかけずに実現できてしまいます。

これが問題です。

いじめ問題の解決には感情の抑制・コントロールが欠かせないが、それができない人は一定数世の中にいるということ

なぜ、世の中から「いじめ」は無くならないのでしょうか。

その理由は、繰り返しになりますが、感情を理性で制御できる人間ばかりが社会を構成しているわけではないということだと思います。

もしも、世の中にいる全ての人が理性的存在であり続けることができるならば、「いじめ」は問題にはならないでしょう。

しかし、現実問題として、いじめは起こり続けており、実際問題として感情に任せた行動をとってしまう人は、実は多いのだということを示しています。

実際、世の中には「感情的な」問題を解決できない大人はたくさんいます。

 


逆に言えば、大人でさえ「感情」に振り回されてしまうことがあるということです。
ましてや、精神的に発展途上で、未熟な子供たちは、「感情を理性でコントロールする」すべを身に着けていく途上であり、いうまでもなく、その技術も未熟です。

つまり、「いじめ」は、子供たちの本能的な部分、言い換えれば、彼ら自身の感性に深くかかわるような先天的な部分の問題に行き当たる可能性があります。
もしくは、家庭環境や、その子供が抱える心の闇などの問題が背景にあるかもしれません。
こうした、「感情」や「環境」が複雑に絡み合って「いじめ」問題が形成されているかもしれません。

「いじめ」対応の難しさ

こうした複雑な背景がある問題への対応を間違えると、当然問題は解決できません。
さらに悪いことに、問題はさらなる深みへ突入し、解決困難な事態へと悪化することも、知っている事例において決して珍しいことではありません。

たとえば、子供たちは、教師などの裁定者である大人に見える部分で、表面的に解決したようふるまっているだけかもしれません。
子供たちの心の中には、「いじめ」の原因となったような、暗い部分が解消されないまま依然として存在していて、大人の目が届かないような、深く仄暗い領域で、「いじめ」は継続しているかもしれません。
これまで表面的だった問題が、いったん表に現れなくなると、大人が能動的に動いて直接いじめを発見することの難易度が増してしまします。
大人に見えなくなることで「いじめ」は、苛烈さを増すかもしれません。

このような構造で、いじめは対応を間違えると、事態の悪化を招きます。
ですから、直感的には受け入れがたいことですが、親や教師といった大人がが中途半端にかかわるくらいなら、何もしないで、知らないふりをしてくれるほうが、子供としてははるかにありがたいことなのです。

親が「いじめ」に介入するリスク

実際、親に相談することによって更なる事態の悪化を招くことは、彼らが懸念していることでもあります。
親がもし対応を間違えて、事態を悪化させたなら、どうでしょうか?
その後、子供は親を当てにすることができるでしょうか?
たぶん、なくなるでしょう。

ですから親は、このことが、今後一生に大きくかかわる事態に発展することにもなりかねない出来事だと認識する必要があります。
安易に「いじめ」とひとくくりにして考えるべきではありません。
もし、自分たちで問題を解決しようとするのであれば、親には最低限、「場」で何が起こっているのかを整理、言語化したのち、冷静に対処するという、非常に高度な能力が要求されます。
そうでなければ、親の介入はうまくいかず、問題は解決できず、現状はさらに悪化し、親子関係の崩壊まであり得ます。

最後に

そういったリスクを考えると、上記のような制度が生まれたのは本当によいことだと思います。
確実に、親や子供を助ける一助になると思います。
冷静な対応ができる第三者の存在は、大きな支えとなるはずです。

問題は、当事者が、心理的抵抗なく利用できるかどうか。
今後、さらなる具体的解決につなげていけるかが課題だと思います。

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