今年一年みなさんに最も見ていただいた作業療法.netの記事ランキングベスト10

みなさん、今年はどんな一年でしたか?作業療法.netといたしましては、今年は地獄のサイト移行作業などあり、割と苦難の一年でした。

さて、そんなバタバタした中でも、多くの方が過去に書いた記事を読みに来てくださっているみたいで、本当にありがたい限りです。

厚く御礼申し上げます。

今年一年で最もご愛読いただいた記事トップ10をもちまして、今年最後の更新とさせて頂きますので、よろしくお願いいたします。

それでは参りましょう。

第10位 まおゆう

作業療法一見関係なく見えるこの記事、もう三年以上前に書いた記事なんですが、なかなか根強い読者を獲得しておりますね。

「人間」とは何か? TVアニメ「まおゆう」第9話のメイド姉の演説のかきおこし

というか、botに人気みたいですね。今週とか、PVは16なのに、閲覧合計時間は0秒ですもん。

主体性というか、能動性、自己決定の大変さと素晴らしさを表現している良い教材だなー、と思ったので作品紹介したいと思った記事です。

ひょっとしたら、作業療法関係ない原作ファンの方々がたくさん見てくれてくのかなと思います。

第9位 作業療法士とは

一転して、作業療法らしいというか、作業療法.netで表現したいことの1つがランクインです。

http://xn--2qq684d0mc09m.net/about-otr/otr.html

申し訳ありません、現在リンク切れです。

内容はこちらに移転してます。

作業療法士とは

わかりにくい作業療法士という仕事がみんなが知ってるわかりやすい仕事になれば良いなー、と思っています。

第8位 ザンコリ

脊髄損傷と密接に関わりがあります。

結構こういう評価法的な内容は、需要があるのでしょうか。

第7位 生活行為向上マネジメントの記事

研修会参加後に書いた記事ですね。

「知らない」は死活問題。生活行為向上マネジメントを勉強してきました。

これは今年、チョチョっと読みやすいようにリライトした記事になります。

第6位

自分の悩みを書いた記事でした。

精神科の集団OTでは、訴えの多い患者様に何処まで対応できるか?

集団と、個別性の狭間で悩んでる作業療法士は多いのだなあと感じました。

今後もそういうところにスポット当てていけたら良いんですけども。

第5位 リーズニング

リーズニングという言葉がよく分からなくて、自分の勉強というつもりで書いた記事でした。

リーズニングという言葉について、作業療法との関連を調べてみた。【クリニカルリーズニング】

こちらも、結構前の記事ですが、たくさん読んでいただいてるみたいでありがたいです。作業療法士じゃない人にも読んでもらってるのかな、と思います。

第4位 精神障害者の方の雇用について

の記事こちらも昔に書いた記事ですね。

「相手を思いやれない障害」の持ち主とどのように付き合っていったらいいんだろう。

こうやて、みてみると昔の記事ばっかやんけ。

第3位 触診のあれこれ

これは今年追記しましたね。

作業療法士に役立つよくわかる触診のコツ。ひろえもんの触診の方法論と、出来るようになるためにやったこと。

触診はコツさえ掴めればほんとに簡単なんで、苦手意識がある作業療法士の皆さまはぜひ読んでもらえればなにかヒントになると思います。

第2位 移乗の方法論

これは結構、読んでもらえたのが嬉しかったり。

移乗の介助のときに現場の人が腰痛にならないために、必要だなあと現場の人間として思うポイント「移乗知っ得ナレッジ&テクニック」まとめ

移乗も簡単なんで、苦手意識ある人は読んで見てね。

第1位 COPMの記事

こちらになりますね。

知ろう、学ぼう!!COPM(カナダ作業遂行測定)

これも、昔ーに書いた記事です。

総括

ということで、1位から10位まで、なんとも残念なことではありますが、昔に書いた記事の方が、たくさんみていただいてるという結果になっております。

来年に向けての抱負

はい、昔に書いた記事に最近の記事のPV数が負けとりますね。

残念。

今年の作業療法.netは、サイトの基礎工事にてメチャクチャ時間がかかって、コンテンツは大して増やせませんでした。もっと皆さんが作業療法についてシェアしたり検索したりしたくなるような記事を来年はガシガシ書いていきます。

あと、一人で淡々と更新するばかりじゃジリ貧だと悟ったので、抜本的かつ革新的な取り組みを実行に移していく必要があります。

来年もよろしくお願いいたします。

作業療法業界にはカリスマとエリートが必要

作業療法士であっても、作業療法が趣味の人って、かなり少ないですよね。生活のために仕事として作業療法士してる人ってのが大半だと思います。だからこそ表題でございます。

年の瀬の区切りということで、個人的な、ぶっちゃけ話をします。

別に作業療法は好きじゃない

私は、作業療法を自分がすることは、あまり好きではないですし、楽しいと思えることはほっとんどありません。

もちろんごくたまに楽しい時はありますが、気質的に向いてないんだろなってのはあります。

好きなのは

作業療法の対象者の方々

やりたいという思いがあって、そのために動ける人々は本当に好きです。自分もそうありたいな、と日々勉強させていただいております。

何をするでもなく、ただただ、懸命に生きてる方も好きです。調子に乗って余裕こいてる自分がいた時に、人として大切なことを教えてもらいました。

コラム 好き嫌いで作業療法できない

但し、好き嫌いで仕事するとブレるんで、この辺は表出できないんで、辛いですね。出してもブレない作業療法ができればそれでいいんですけど、人間が未熟なんで。

逆に、この辺思いっきり出して、独善的な臨床やってみたい衝動にもかられております。

来年やってみて、痛い失敗するのもありなんじゃないかとは思います。

カリスマ作業療法士

カリスマと呼ばれる人は、作業療法士業界にも複数人おりまして。

そういった先生方は、作業療法士としてすごいとか、そういうのももちろんあるんですけど、作業療法士としてすごい人とみなされている人って、やっぱり人生哲学というか、ライフスタイルや生き方や、自分に課してるものがすごいんですよ。

コラム カリスマはなぜカリスマか

カリスマな作業療法士と、普通の作業療法士の違いはなんでしょうか。

スキルとかよりも、それを分けているのは違う別のことのようです。

大切なことを一貫させることができるか、それだけのちっちゃな違いです。

行動原理はシンプルで、顧客のために、つまり作業療法士として対象者の為にというそれだけのことなんですが、それができないのです。不思議ですよね

おもろい作業療法士

おもろい作業療法士ってすごいなーと思ってます。

隣の芝生効果で、自分以外のおもろい作業療法士はみんなすごいです。

社会を変える可能性をひしひしと感じます。

Break Freeです。マジで。

 

真面目な作業療法士

カリスマじゃなくても、作業療法士ってすごいし、好きです。

ただし、真面目に仕事してる人に限りますけれど。

点数とお金の為にのみ仕事してる人は嫌いです。他の仕事した方が稼げるのになんでこの仕事してるんやろ、って正直思います。

作業療法士に必要なもの

ということで、個人的経験から作業療法士に必要なもの

作業療法士にはカリスマが必要

作業療法って、道に迷いやすいです。

なぜなら、自由度が高いからです。

そのくせ、対象者の人には、

「こうしたらいいと思います」

と言わないといけないという諸事情があります。

自分ではしっくりこないことも

「そんなん詐欺やん」

と思いつつも、エビデンスはちゃんとあるからと、自分の感覚と違うことを提供することもあったり。

若手あるあるな訳ですが、このフェーズを若手がさっさと抜けられるようにして、良質の作業療法どんどん提供できる中堅を増やしていかないといけないわけです。

なので、ちゃんと作業療法の哲学やらブレない考え方を、若手にスムーズに伝達できるカリスマ的作業療法士がいると色々スムーズだと思います。

作業療法士にはエリートが必要

色々試して、色々共有できる作業療法士が、作業療法をより良いものに変え続けることができると思います。

そういう意味で、実践と変革を進める原動力となる作業療法士のエリートとなる人間が必要だと思います。

要するに地頭の良い作業療法士が、メンドくさがらずにもちょっと率先していろんな人に影響できるような、エリート街道が整備されてもいいかと思います。

作業療法はめんどくさい

だからこそ、作業療法にしかできないことはなんなのかを作業療法士がちゃんとわかってることが大切と思います。

それらが相克すれば、作業療法士は作業療法がもっと好きになると思います。

まとめ

来年は作業療法が楽しくなる1年にしたい

『患者様の状態に「感覚」で共感することが難しい』という悩みについて

はじめに

この記事の無いようについては、タイトルままです。

昨日、同期のOTR仲間とおはなしをしていましてぽろりと出てきた悩みです。

その方身体障害系の領域に勤めていらっしゃるのですが、「ああ、そうだなあ」「精神科とおんなじだ!」と思いましたので、記事にしてみたいとおもいます。

きっと、これは新人OTR、OTS共通の悩みでは無いでしょうか?

悩みの根本

わからないと、支援しづらいというところに悩みがある事は間違いないように思います。

相手がどんなふうに感じているのかがわからないと、どんな風に介入したらいいのかもよくわかりません、という事なんだと思います。

4月は自分もその事ばかり考えて、一歩も踏み出せない時間が長い事続いていたよなあと思いました。

悩みの解決法

最近あまり悩む事がなくなっていたのですが、なぜかを考えました。

そうしたら、考えるよりも行動してみようと言う発想に変わっていた事に気がつきました。

悩むのは、結局、行動ができない事に原因があるのだと思います。

つまり、何らかの行動をしてしまえば、そもそも悩む必要性がなくなっていくのではないでしょうか。

割り切る

きっと、一朝一夕に感覚的に理解するのは難しいのだとおもいます。

患者様の状態を感覚的に理解するという事は、きっと健常な人間には難しいのではないかと思います。

いままで、自分が体験した事のある感覚のクオリアをつなぎ合わせて、どうにかOT対象者の方の感覚に迫ろうとしたところで、漸近する事しかできないんですから。

その感覚に迫るには、きっといかに長い時間をかけて1人の患者様と向き合うとか、どれくらい継続してその人のことについて考え続けるかとか、そういう質の解決方法が必要になるのだとおもいます。

諦めない

すぐにわからないからといって、いつまでもわからない物でもないと思います。

患者様からもらった言葉とか、様子とか、そういったものの蓄積が少しずつ力になるというか、確実にその感覚に迫るための自分の血肉となっていくように思います。

ですから、やっぱり、わかろうとする気持ちを持ち続けて、行動し続けると、なんとなーくわかってくる質の物だと思います。

検証する

そして、その感覚が正しい物であるかどうかは、きちんと検証する責任があると思います。

自分の感覚を元にして、「こうしたら楽になるかな」とか「こういう配慮をしたらできるようになるかなあ」と、実践につなげてみたり、家族の方や本人と情報交換をしてみたり、他職種や同僚とそれぞれの印象について話し合ってみたり、そういう過程が必要になると思います。

そのためには、他者とコミュニケーションをがんがんとっていく能力が必要になります。この辺りは、ひろえもん的にも、まだまだだなあと思うところで、もっともっとがんばらないと行かんなあーとおもうのです。

おわりに

自分自身まだまだ悩みは尽きないです。

考えすぎて、足が止まってしまう事も、実習中から何度もありました。

ですが、「就職してから今まで」の経験を元にして考えたときには、「患者様の事が一朝一夕にはわからない」という現実に謙虚になることが、この悩みに真正面から取り組むための、スタートラインなのかなと思いました。

移乗の介助のときに現場の人が腰痛にならないために、必要だなあと現場の人間として思うポイント「移乗知っ得ナレッジ&テクニック」まとめ

はじめに

移乗がすっかり板について、とんでもなく上手になりました。

ひろえもんです。

実習のときに、あんなに苦手だったのに、短期間でこんなに上達するとは思ってませんでした。自分で思い返してみても、とても不思議です。

先輩にいつか腰をやると言われたのは今は昔、同僚の先輩方から「うまいね」と素でほめられる程度には上達しました。

思わず自画自賛してしまうくらいにうまくなってしまいましたので、そのままの勢いで突っ走って記事にしてみたいと思います。

きっと、わりと多くの人の役に立てるのではないかと思います。

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OTSもちろん、介助職のかた、看護師の方にもよかったら、見ていただきたいなあと思います。

てなわけで、拡散希望す。

あと、我流な面もあるので、間違っている場合には指摘いただけると大変嬉しく思います。

あと、長くてすみません。

厚生労働省の見解

ご存知のかたも多いかもしれませんが、この6月に厚生労働省は「職場における腰痛予防対策指針」って言ういうものを改訂しておいでです。

そのなかには、介護や看護作業による腰痛って言う部分に対しての明確な言及があり、厚生労働省的にも「腰痛問題やばいなあ」と認識していると言う事が伝わってきます。

抱き上げに関してなどは、「労働者の腰部に著しく負担が掛かることから、リフトなどを積極的に使用し、原則として人力による抱き上げは行わせないこと」と明記している。

また、「福祉用具の使用が困難で人力で抱き上げざるを得ない場合には、適切な姿勢においてできうる限り身長差が少ない2人以上にて作業すること」

(from http://www.qlifepro.com/news/20130623/revised-low-back-pain-prevention-measures-guideline-ministry-of-health-in-the-workplace.html)

はい。

ということで、まあ、厚生労働省的には、

「1人でがんばった結果腰痛になられて、使い物にならなくなったら損失なんで、物で工夫するなり、2人でがんばるなりしてくださいね」

という感じです。

より詳しく知りたい方はこちらどうぞ。よくまとまってます。

厚生労働省の「職場における腰痛予防対策指針」改訂について 公益社団法人 全国有料老人ホーム協会

現実問題として1人でなんとかしないといけない場面は多い

とはいえ、道具が無い現場も、道具を使う時間がない現場も、人員が十分に確保できない現場も山ほどあると思います。

要するに、ケアの対象となる方の移乗を1人でスピーディーに、かつ自分も相手も安全に行う事が求められます。

なんだかんだいって、介護市場の経営者って労働者側に対して、結構シビアに時間と金のノルマを科してくる人も多いですよね。

んだもんで、そのためには、ある程度の知識と技術を身につけておく必要があります。

それが、自分と対象者の方の安全と快適さを保証する事に繋がっていくのではないかと思います。

移乗知っ得ナレッジ&テクニック

では、どんな知識や技術を身につけたら、腰を痛めず、ひいては、余計な力を使わず、楽に介助ができるのでしょうか?

ひろえもん小柄で体作りもろくにしていないので、技を使わないと移乗なんか絶対に無理です。逆に言えば、技を知ればだれでもラクに移乗できるようになります。

ありとあらゆる移乗動作は、細かい部分は違えど、意識しなければならないポイントはどれも大きくは同じです。

ですので、今回は、「ベッドから車いすへの移乗」を意識して記事を書かせていただきたいと思います。

さて、それでは、ひろえもんが普段使ってるテクニックと意識している部分に基づいて、書いていきます。

1.車いすの位置

というか、段取りの問題カモ知れません。

とにかく、一番最初に車いすをベッドに寄せたり、多機能な車いすが使用できる場合には、手すりやフットレストを外してみたり、リクライニングや座面の傾きを調節してみたりして、移乗する際の妨げにならないようにします。

慣れないうちは時間がかかりますが、できるようになると、移乗の際対象者の重心を自分が高く持ち上げる必要がないため、腰をやるリスクがかなり変わると思います。

車椅子をあれこれするためには、ある程度触れてみてからの知識が必要になるので、OTSの皆さんは、休み時間とかに許可をもらって、バラしたり傾けたり自分が乗ってみたりをお勧めします。

すると、移乗に対する理解がより深まるように思います。

2.ベッドの高さの調節

介護が必要な方が利用する最近のベッドは、電動で動くものが主流になりつつあります。

これらは、大体腰の位置を中心として「頭の高さ」「足の高さ」「ベッドの高さ」がリモコン操作で変更できるようになっています。

移乗の際、車いすによっては、手すりが外せないため、対象者の重心を高い位置に持ち上げる必要がある場合があります。

このとき、ベッドの高さをあらかじめ高くしておけば、自分で持ち上げる必要がないので、腰を壊すリスクは低くなります。

3.ラクする秘訣は”てこの原理”

てこの原理ってのは、あれです。

「してん、りきてん、さよーてん」

のあれです。

これを毎日、唱えているといつの間にか、ほとんど力を使わずに、患者さまがおこせます。

嘘です。

唱えるだけでなく、実際に使う事が必要になります。

「いまいちよーわからんですのう」というOTSさんはこちらの本がおすすめです。

直接移乗については書いてないですが、てこのついでに運動学が学べる上、就職してからも役立つ充実の内容なので、変な教科書2冊買うよりかなりお買い得です。

最悪、中学校の理科の教科書を引っぱりだしてもいいかもしれませんね。

4.重力を使う

自分と相手の体重を使うと言い換えてもいいかもしれません。

ベッドから、患者様を座位にする際に、この原理と合わせてつかうと、ラクができます。

5.密着する

自分の体の重心上に、相手のからだの重心を持ってきましょう。そのために、きちんと対象者に正しく密着する必要があります。

これがてこの原理の真骨頂です。

すると、普通に立ち上がる動作をするように、下半身に力を入れるだけで、ラクに対象者のからだを持ち上げることができます。

これをマスターすると、移乗の対象者がわりと大柄な人でも全然イケるようになります。

6.腰よりも足を使う

解剖学で習ったカモ知れませんが、回旋での脊椎の可動域はお世辞にも広いとはいいがたいですね。

患者様を持ち上げ、移乗する際、足を動かさずに腰をまわすと、いつか靭帯をいためる気がします。

移乗対象者の体の向きを変更する際には、しっかりと自分の足を動かして、時分ごと方向転換するのが良い気がします。

7.対象者の残存機能をフル活用

対象者ができる事を引き出すために、こちらがしんどい思いをするだけというのはつまらないと思います。

どうやったら、自分もラク、相手もラクに移乗ができるかを考えます。

下肢の筋力が残存しているのであれば、きちんと自分の足をつかって立ち上がっていただきましょう。

機能維持に繋がるだけでなく、共同して一つの課題に取り組むときのあの充実感がお互いに味わえるのではないでしょうか?

そのためには、移乗対象者のことがしっかりとわかっていないといけませんのでいろいろと情報収集が大切になりそうですね。

8.無理だと思ったら諦める

その場合には、2人がかりでやるなり、道具を使うなりするべきだと思います。

無理した結果として、対象者さんがけがをしてしまうような事態だけはなんとしてもさけなければなりません。

おわりに

介護やPTOT看護は、移乗動作、病棟によっては多分毎日やる事ではあると思うのですが、2人で、「平行移動」するばかりでは、上達しません。

経営者サイドの都合で、いつ人員が削減されるとも限らない訳で、1人で正しく移乗できるようなテクニックを身につけておくことには、自分自身にとってもメリットがあることだとおもいます。

なにより、対象者の方ができることを奪わないために、できる事なら、多くのひとに1人での移乗についてマスターしてもらいたいなあと思います。

学生さんにおかれましては、色々経験不足、知識不足等で大変かとは思いますが、「なにがリハビリテーション?」と考えながらがんばっていただきたいと思います。

昨日先輩に「いっぱいいっぱいか(笑)!」と言われてハッとした話とか

はじめに

就職後、三週間が終わり、来週一週間がおわると、就職してから一ヶ月がすぎることになるのです。

今のありのままを書いて残しておこうと思います。

新人同志や実習生、バイザー、新人指導者OTRの諸先生方の参考にもなればいいなあ。

これを書いてる今の状況

朝Macなう。不味い。

少なくとも、ホットケーキは二度と頼まない。

macbookはすこぶる快調。

マシンパワーが無くて、もっさりする部分はあるけれど、文章を作成するためのツールとしては、使用感がとてもよいです。

こっちは買ってよかったし、人にも勧められます。

今思う、就職後の1週目と2週目

思い出すだけで、心がえぐられるようですが、自分の後学のために書き残しておこうと思います。

1週目は、緊張でガチガチになって本当にテンパっていたなぁと思います。

思い返すだけで、恥ずかしい限りです。

緊張が顔にでない方なんですが、OT部門のトップにはズバッと見抜かれてしまいました。

2週目は、とにかく吹っ切れて、細かいことを気にしないように心がけていました。

といったら語弊があるのですが、要するに萎縮しないように心がけてみました。

いざとなったら、おこられたらすむ話だと腹をくくって、とにかくやってみることにしました。

これについては、悪くなかったように思います。

実際いろいろ試してみることで、自分が勝手にだめだと思っていたことが実はやっても問題ないことであるということがわかったり、逆に自分が全く問題視していなかった部分が、実は、鈍でもなく重要な意味性を内包していたり。

と、いろいろと発見がありました。

試行錯誤は大切です。

重大な失敗は、してはけないと思いますが、より良い改善を行うために、小さな失敗を積み重ねていくことはとてもたいせつだなと思いました。

で3週目はどうだったか

2週目の延長でいろいろとやってみることにしました。

何やら講習会があるとのことなので、その講習会のスタッフに立候補してみたりとか。

いまは、とにかく新人なので時間が有り余って(?)いるので、いろいろ手探りでやってみるのも悪くないと思って、いろいろやろうと思いました。

でいろいろやっていました。

先輩の一言

そしたら、先輩に言われました。

「いっぱいいっぱいか(笑)!」

先輩はちゃかしていってくださったんですけどね。

ハッとしました。

ぐさっと、来ました。

「まーた、自分のことが見えてないな」

と思いました。

何かに夢中になると、自分に興味が行かなくなるのが、ひろえもんの悪い癖なのです。

その先輩は、こうも言ってくださいました。

「先は、長いぞ」

と。

先は長い

この言葉も、いろいろな意味合いを含んでいるなと思いました。

文字通り、就労年数には今後40年くらい先がある訳です。

そして、その40年間を継続していくためには、自分がどうあらねばならないか。

今を自分はどう生きるべきなのか。

いまが、どこにどんな風につながっていくのか。

そんなことを考えると、わくわくしてきました。

そして、ながいながい道のりを、しっかりと生きるために、今つぶれてしまわないよう、自分の管理はしっかりと責任を持ってしたいと思いました。

今後の方針

細かい業務、まだまだ身に付いていないです。

学ぶべきことは山ほどあります。

でもいまなら新人だということで、大目に見てもらえます。

とにかく、目をかけてもらえるうちにしっかりと、失敗や成功を積み重ねて行きたいです。

試行錯誤あるのみ。

先は長いのです。

その先を見据えて、今できることを今のうちにしかできないことを積み重ねていきたいです。

とりあえず、いまは日常業務の質の向上と、講習会に向けての積み重ねをしていきたいと思います。

あと、来月になっても同じことを言っていないようにしたいです。

そして、その上で自分を顧みることができるだけの余裕を持っていきたいと思います。

おわりに

やっていい失敗と、そうでない失敗の区別がつくことは大切なのでその辺は、報連相しっかりとやることで、対応していきたいです。

新人の皆さん、失敗を恐れず、がんばりましょう。

実習生諸君、おこられるのが仕事だと思って、いろいろやってみておこられましょう。

何もしないことを理由におこられるよりも遥かに有意義ですよ!!

とある新人作業療法士(Occupational Therapist:OT)の卒業から就職までの流れと、就職後一週間の概要

  • はじめに

おはようございます。

現在朝の4時から5時あたりです。

簡単にではありますが、学校を卒業して、就職して今に至るまでを振り返ってみたいとおもいます。

卒業から就職までにやったこと

就職に向けての準備と遊びとが半々程度でした。

あとは、作業療法士免許申請のために必要になる健康診断を受けにいったりとか。

ちなみに、引っ越し関連が一番大変でした。

早めに、ものはどんどん捨てておくべきだなあと思いました。

就職後

仕事は4月1日からでした。

民間の病院だったので、入社式がありました。

病院全体での新人研修があり、それに参加したりなど。

あとは、作業療法の職場の一日の流れや、一週間の流れ、大まかな業務内容を実際に体験してみて把握するといった感じでした。

慣らしの一週間として、多めにみていただいていたので、あまり高度なことは要求されませんでした。

実習中とかを思い出しながら、動いているうちに一週間がおわりました。

問題点

緊張し過ぎで、ガチガチに。

あまりにひどいのを見かねて、主任の方が個別指導してくださいました笑。

そのおかげもあり、一週間の最終日には大分緊張が和らいでいたように思います。

あと、朝が不安なので、なれるまでは、実習のときみたいに、やたら早くおきることにしました。

(その分、早く寝ています。)

おわりに

さっくりとかいてみました。

大体、こんな感じです。

ほかの新人OTさんは、どんな感じなのでしょうか。

結構、気になりますので、同期の方は、よかったらコメント欄にでも、何か書いていただけるとうれしいです。

また、もっと詳しく知りたいことがあれば、それについてでもかまいませんよ。

ところで、後輩君たちは、今日から長期実習だそうなでございます。

うちの病院にも、何人かいらっしゃるようです。

彼らに、「ダサい」と思われることのないよう、等身大でがんばりたいなと思います。

OTS(作業療法士見習い)としての自分の感覚が相当世間ずれしてきていることにいまさらながらに気が付かされた出来事について

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はじめに

ネットの記事を流し読みしていたらですね。

こんな記事があったのですよ。

人の顔が覚えられない「相貌失認」について知ってください – NAVER まとめ

相貌失認については、詳しくは上記を見ていただくとして、結構、個人的には非常に衝撃的でした。

何が衝撃的だったかというと、自分が「相貌失認みんな知らないの?」っと、何気なく、何の気なしに、何も考えずに、そういう風に思ったことです。

つまり、自分の感覚と世間の常識がずれていることに、はたと気が付かされたわけです。

作業療法学にはマニアックな(世間一般が知らないような)知識が多い

それがきっかけで、作業療法士養成課程で今まで学んできたことを振り返って見ました。
すると、確かに、専門課程にて、勉強してきたことは、ここで勉強しなければ、きっと、一生知りえなかっただろうなと思うことが、非常にたくさんありました。
作業療法学の基礎となる部分についての、高次脳機能等に関する、専門的な知識って、あんまり、社会的に認知度が高くないんだなーと思いました。

個人的には、いま、特に、国家試験の勉強中ですので、そのせいで、感覚がより、世間一般からかい離しているような、そんな気がします。


世間的理解はあったほうが、よいと思う

何で、世間的理解を深めないといけないかというと、知らないと、やっぱり、助けようがないし、「奇妙だ」「変だ」となって、拒絶に行っちゃうことが多いと思うのです。

自分自身、実際、作業療法学の勉強する前と、した後とで、精神疾患や高次脳機能障害を持っている方を見た時の、その方へのとらえ方は、きっと大きく変化していると思います。
最も、実際に、社会でおみかけすることが無かったので、比べようがありませんが、でも、ひょっとすると、そうした症状が出ている人が社会の中で生活していたけれども、それに、気が付くことができていなかっただけかもしれません。

世間的な理解が進めば、「変だ」「奇妙だ」の先にある、「どんなところに困っているのだろう」「どんな支援が必要なのだろう」に行くことができると思うのです。

世間的な理解を深めるためには

どうしたらよいでしょうね。
社会的認知度が高まらない一つの理由として、目にする機会がないというものがあると思います。

つまり、社会でなかなか、高次脳機能障害を持った方と接する機会がないという現状があって、それが一つの理由となっているのではないかと思うのです。

これを、どうにかすることができれば、何か変わるかもしれません。

また、簡単に入手できる情報が少ないというのも、一つの原因だと思います。
たとえば、先ほども述べましたが、自分の場合、作業療法士養育過程において、教科書などで学ぶ機会が無ければ、きっと、高次脳機能障害や精神疾患についての知識を、体系的に持つことなどあり得なかったと思うのです。
ですから、より簡単にそう行った情報が手に入れられるように、情報入手のハードルを下げる試みをしていくことも一つの手段として重要だと思います。

たとえば、今回の冒頭で、ご紹介したように、情報をインターネット上に掲載するというのも、一つの有効な手段だと思います。
いまや、若い人だけではなく、全年齢が、インターネットに手を伸ばすことができる時代ですから。

おわりに

さて、乙武先生が、とあるつぶやきをされておられました。
そのつぶやきを引用して、記事を終わりたいと思います。

自分も、乙武先生がおっしゃっておられるような、「目に見えない障害」に対する理解にも、幾ばくかの貢献ができればと思います。

知的障害者が看護アシスト 国立がんセンター東病院

はじめに

意外と知的障害者と接したことがあるという人、少ない気がします。

ひょっとすると、メディアで見る頻度の方が多いかもしれません。

なんといったって24時間テレビには障害者特集みたいなコーナーがありますし。
その他のチャリティー企画とかなんとかも、テレビではよく見ますし。

ぶっちゃけると、自分もそうです。

精神障害者というか、精神症状が出てる方を、街で見かけることはあっても、なかなか知的障害のある方を街中でお見かけすることはないです。
「町へ出かける」という事にも、それだけ多くのことが要求されるというという事なのだな、と理解しています。

なお、本来であれば精神発達遅滞という専門用語的な何かを使うべきですが、一般になじみがないと思われるので知的障害という言葉を使います。
ご了承ください。

知的障害者への偏見と環境

知的障害者とひとくくりにしてしまうのも、問題はありますが、「知的障害者はわけがわからない人」「知的障害者はあぶない」といった勘違いや決めつけ、偏見を耳にすることが実際にあります。

特に先天的な知的障害に対しては、より、そのような偏見というか、バイアスがかかったイメージを持ってる人が多い印象があります。

ダウン症(21トリソミー)などは、比較的知名度が高く、また養育者の活動も活発なため社会的な理解も比較的高い印象です。
しかし、全ての知的障害者がそのような社会的な理解を得ているわけではありません。

先ほど述べたようにそもそも実体験としてなかなか知的障害者に出会う機会が乏しいわけですから、そういったバイアスがかかったとしても、むしろ自然な社会環境であるとはいえると思います。

ですから、もし、偏見があって、それを解消するには、偏見を持った人が知的障害を持つ方と関わる機会を作る必要があります。
そして、できるならば、何かを協力してやり遂げることが出来れば、その間に、誤った先入観は一つずつ解消されるのではないかと思います。

知的障害者と労働環境

その手段の一つとして、知的障害者が働ける場を確保することには、単純に彼らに労働機会を与える以上の社会的意義が存在するはずと考えます。

たとえば、知的障害者とかかわりのなかった人が、新たなかかわりを得ることによって、これまで自分の生活圏域となかなかクロスしなかった知的障害者の実際を知ることとなります。
これがきっかけとなって、「出来る労働」「出来ない労働」の存在を社会に対して理解させることができるかもしれません。

具体的には、「知的障害者が労働する」といえば、「簡単で単純で誰でもできる労働である」というイメージが多いようです。
知的労働は確かに困難であると考えられます。
しかし、彼らの特性を生かすことができるのであれば、彼らの強みを生かすような仕事をきちんと提供することができるのであれば、そのようなイメージはまた違ったものとなるはずです。
つまり、彼らが自分の能力を最大限に生かして行える仕事を、きちんと提供できるかどうかが重要になるということです。

職業能力評価の重要性

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そこで、彼らの能力を極力、最大限に生かすことができるような仕事を見つけるためには、どうすべきでしょうか。
私は、まず、彼らが何を行うことができて、何が苦手で、どんなことが得意なのか、どういったことが好きなのかといったことをきちんと評価していくことが重要になると考えます。

能力を生かすことができる仕事を見つけるための前提として、彼らの能力を明確化する必要があるからです。
もし、何ができるのかが分かっていなければ、どの様な職場で、どのような労働をしてもらうべきかを考えることができません。
また、もし、間違った能力評価が行われたとすると、本人が苦手とする仕事が割り当てられたり、あるいは、もっと活躍できる仕事を提供でき方も知れないのに、その機会を奪うことにもなるかもしれません。

このように、知的障害者が、どのような仕事なら、継続して行うことができるかといったことを評価しておくことは、非常に重要です。

作業療法士の評価技術を生かせるのでは

作業療法士の業務の中には、評価というものがあります。
それに対して、普段患者様に行う治療的手技の実践を介入と言います。

評価の目的は、評価尺度や自然言語を用いて、対象者の現在のありようを、問題点・利点の双方が明らかとなるように、包括的に評価し、具体的な介入の方法を明らかにすることです。
簡単に言うと、この対象者がどのような支援を必要としているのかを見極める作業ということになります。
この評価を行う時に、使用するさまざまな技術が、知的障害者の就労可能な労働環境を検索する際にも役に立つのではないでしょうか。

というか、多分立つと思います。
本質的には、やることは何も変わらないので、単なる障害の有無を超えて、対象者の幅広い特性を明らかにすることができると思います。
対象者の特性がきちんと明らかになっていれば、雇用する側のハードルが一つ下がると考えられます。
つまり、知的障害者が、より社会に出ていくきっかけを得やすくなると考えられます。

先ほども述べたように、現在の社会的な状況では、知的障害者が働くことには単にその人が金銭的な収入を得る事以上の意義があるとおもいます。
その意義が達成されることは、一種の社会的貢献といえるのではないでしょうか。

そして、作業療法士にはその手伝いができるのではないでしょうか。
ということを以下に紹介する記事を読んで思いました。

この流れは拡大するかも

日本経済新聞の記事です。
一部引用します。

来年度から障害者雇用率が引き上げられることもあり、厚生労働省は「ほかの医療機関も参考にしてほしい」としている

とのことですので、今後、こうした流れが徐々に大きくなっていくかもしれません。
もちろん、この取り組みがきちんと成果を残せるかどうかということがまず一つの大きな壁ですが、その後、さらに多くの知的障害者が社会で働きたいとなった時に、「どのような要素を持つ職業であれば可能か」あるいは逆に「この職業には、どのような能力が必要か」などといった評価ができる人間が大量に必要となると推測されます。

もしそうなったら、それはOTの出番なんじゃないかと、こっそり考えています。

おわりに

そもそも、知的障害者との出会いがないのが、きっと問題なんじゃないかという論調で書きましたが、実はそんなことないのかもしれません。
別の意見がある方は是非、またツイッターか、コメントか、メールかでご意見くださいませ。

参考:  知的障害者が看護アシスト 国立がんセンター東病院  :日本経済新聞

親が「我が子のいじめ」に対処する難しさ いじめ相談サービス(by法務省)への感想

人はどうして人をいじめるのかという洞察なしに、いじめを世の中からなくすことは絶対にできないと思っています。

法務省が主催するいじめ相談サイトと絡めながら、考察していきます。

長いですが。

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子供は親にいじめを相談できない

いつまでも、時代が変わっても無くならない「いじめ」。

それに関して、このような記事がありました。

いじめ被害「親には言えない」…法務局への手紙相談増加 専門家が秘密厳守で返信

上記から一部引用します。

 《いじめにあってます。菌(黴菌(ばいきん))扱いです。両親には、勇気が出ず何も言えません》《陰口を言われたり、無視されたりします。「ちくった」と言われるので学校には言わないで》

(中略)

同省によると、20年度に5567件だったいじめ相談の手紙は年々増加し、23年度は8916件に。《「震災で死ねばよかったのに」「この町から消えうせろ」と言われる》。東日本大震災に伴う転校先での嫌がらせを打ち明ける訴えも昨年は目立ったという。

OTはいじめとは無縁でない

いじめの本質は違うもの、異質なものの特徴を際立たせて攻撃することだと思います。

その特徴は具体的なものから、気が弱いまたは政治的権力が弱いと言った抽象的な特徴に至るまで多岐にわたります。また、いじめは子供だけでなく大人の社会組織の中においても頻発します。

そうすると、障害を持っている人がいじめに会うことも容易に想定できますし、障害を持っている人同士の中にもいじめのような人間関係は存在します。

そうした、人間関係の影の部分に、業務上、作業療法士として向き合うことがあると思います。

ですから、この上記の記事を読んだ時、自分自身が思ったことについて、すこし書いていこうと思います。
悲しいことではありますが、きっと、OTは、いろいろな場面で「いじめ」とは、無縁でいられないと思うのです。

いじめ問題についての本質的な理解を深めておくことはそのような状態に近い構造を解決する時に必ず役に立つことでしょう。

なぜ子供は親に相談しないか

まず、上記の記事で、「いじめられている側の心理」について。
個人的には、親に相談できないという心理は、よくわかります。

典型的な心理としては、
「大好きな親に心配をかけたくない」
「自分が、いじめられていると知ったら親は悲しむのではないか」

という親を心配する心理にすり替わっているもの。

あるいは
「親なんて頼りにならない」

という不信感。

一番ありがちだと思うのは

「親に頼らないと解決できない情けない自分」像を作ってしまい、それを否定したいがために相談する勇気が持てないこと。

兎にも角にもたくさんの心理が考えられますが、とにかく共通するのは、親と話をするのにエネルギーがもともと必要であるということです。

親子の会話がないということで片付けられる問題ではないと思いますが、親のカウンセリング能力はもう少し高めることができるのだと思います。

彼らなりに考えた結果であることは尊重するべきだと思います。

しかし、子供だけで解決できないから問題になっていることには気づかせてあげる必要があると思います。その時のやり方については後述しますが、配慮が必要だと思います。

親は子供を助けたい 助けたいあまり出すぎて、子供の集団の力学が理解できず事態を悪化させることも

親の立場から記事を読むと違った景色が見えます。

「なんで話をしないのか」

「そんなことを悩む前に一言相談してほしい」

「いくらでも力になる」

「守らなければ」

そう思うことでしょう。

立場が違う人間には、いくら仲が良かろうとは話せないことがあるのが人間です。

夫婦仲がよかろうと、女同士でなければできない旦那には聞かれたくない話というのはあると思います。

よくしてもらっている上司のことであっても、同僚としかできない話も、多かれ少なかれあるでしょう。

親子関係にしても同様です。

いくら親子関係が良好だろうと、子供の力学に関する話は、子供たちはなかなか親に話したいと思いません。

それは人間の普通の心の動きなのだと思います。

これは、親がある程度わきまえ、子供に配慮するべき部分と思います。


しかし、親の立場では、そんな悠長なことも言ってられません。
「何とか、助けになりたい。」そう考えるのは当たり前のことです。

自分の子供が置かれている危機を解消するためであれば、親は何でもすると思います。
そして、実際、自分が何かをしたいと願うでしょう。
そのため、衝動的に、さまざまに行動してしまう親御さんも、たくさんおられることと思います。

しかし、その前に、親が知っておかなければならないことがあると、個人的には思っています。
良かれと思って、迅速に行動してしまった結果として、逆に、子供へのダメージを増大させてしまう可能性が、あります。

親の介入で、子供たちの関係性がいよいよねじ曲がってしまうこともあるからです。

どうしてでしょうか?

なぜでしょうか?

「いじめ」の根本を見つめる

いじめは、人間の防衛本能に端を発していると考えられます。異質なものを遠ざけることで、群れと自分自身が生き残れるようにする機能が残存したものとも考えられます。

本能的な心の働きとするならば、誰しもが持っている心の働きということになります。

そこを認めて、理性的に自分自身の感情や衝動性をコントロールできる人ばかりの社会集団や組織であれば、「いじめ」は根絶が可能ということです。

逆に、理性的でないまたは、衝動性の高い人を集団の一員として許容するならば、必ずいじめは発生します。

いじめを使った人間集団の力動を用いて、人をコントロールしようとする人間の行動が自然発生するからです。

このように、人間の本能的な心情に根ざしている行動がいじめなので、年だけ重ねたような人間がどれだけ増えたところでいじめは社会からなくなることはあり得ません。それに、子供だからといって他人を虐めないと限らないということです。

本能に加えて、複雑化する現代のいじめ

また現代社会においてはいじめの手段も質もより複雑なものになってしまっています。

現代社会における「いじめ」問題の根は、人間の社会性、心理面の、昏い部分に端を発しており、根深く、複雑です。

それは単に異質なものを排除することで、生存の確率を上昇させるというものを超えた何かになってしまっています。

そして、多くの場合「いじめ」は、理屈で起こっているのではありません。

人間の本能に基づく、「感情的な」問題に端を発していることが多いのです。

感情論に乗せて、より複雑な手段で、多数が少数をいじめる構図がたいしたコストもかけずに実現できてしまいます。

これが問題です。

いじめ問題の解決には感情の抑制・コントロールが欠かせないが、それができない人は一定数世の中にいるということ

なぜ、世の中から「いじめ」は無くならないのでしょうか。

その理由は、繰り返しになりますが、感情を理性で制御できる人間ばかりが社会を構成しているわけではないということだと思います。

もしも、世の中にいる全ての人が理性的存在であり続けることができるならば、「いじめ」は問題にはならないでしょう。

しかし、現実問題として、いじめは起こり続けており、実際問題として感情に任せた行動をとってしまう人は、実は多いのだということを示しています。

実際、世の中には「感情的な」問題を解決できない大人はたくさんいます。

 


逆に言えば、大人でさえ「感情」に振り回されてしまうことがあるということです。
ましてや、精神的に発展途上で、未熟な子供たちは、「感情を理性でコントロールする」すべを身に着けていく途上であり、いうまでもなく、その技術も未熟です。

つまり、「いじめ」は、子供たちの本能的な部分、言い換えれば、彼ら自身の感性に深くかかわるような先天的な部分の問題に行き当たる可能性があります。
もしくは、家庭環境や、その子供が抱える心の闇などの問題が背景にあるかもしれません。
こうした、「感情」や「環境」が複雑に絡み合って「いじめ」問題が形成されているかもしれません。

「いじめ」対応の難しさ

こうした複雑な背景がある問題への対応を間違えると、当然問題は解決できません。
さらに悪いことに、問題はさらなる深みへ突入し、解決困難な事態へと悪化することも、知っている事例において決して珍しいことではありません。

たとえば、子供たちは、教師などの裁定者である大人に見える部分で、表面的に解決したようふるまっているだけかもしれません。
子供たちの心の中には、「いじめ」の原因となったような、暗い部分が解消されないまま依然として存在していて、大人の目が届かないような、深く仄暗い領域で、「いじめ」は継続しているかもしれません。
これまで表面的だった問題が、いったん表に現れなくなると、大人が能動的に動いて直接いじめを発見することの難易度が増してしまします。
大人に見えなくなることで「いじめ」は、苛烈さを増すかもしれません。

このような構造で、いじめは対応を間違えると、事態の悪化を招きます。
ですから、直感的には受け入れがたいことですが、親や教師といった大人がが中途半端にかかわるくらいなら、何もしないで、知らないふりをしてくれるほうが、子供としてははるかにありがたいことなのです。

親が「いじめ」に介入するリスク

実際、親に相談することによって更なる事態の悪化を招くことは、彼らが懸念していることでもあります。
親がもし対応を間違えて、事態を悪化させたなら、どうでしょうか?
その後、子供は親を当てにすることができるでしょうか?
たぶん、なくなるでしょう。

ですから親は、このことが、今後一生に大きくかかわる事態に発展することにもなりかねない出来事だと認識する必要があります。
安易に「いじめ」とひとくくりにして考えるべきではありません。
もし、自分たちで問題を解決しようとするのであれば、親には最低限、「場」で何が起こっているのかを整理、言語化したのち、冷静に対処するという、非常に高度な能力が要求されます。
そうでなければ、親の介入はうまくいかず、問題は解決できず、現状はさらに悪化し、親子関係の崩壊まであり得ます。

最後に

そういったリスクを考えると、上記のような制度が生まれたのは本当によいことだと思います。
確実に、親や子供を助ける一助になると思います。
冷静な対応ができる第三者の存在は、大きな支えとなるはずです。

問題は、当事者が、心理的抵抗なく利用できるかどうか。
今後、さらなる具体的解決につなげていけるかが課題だと思います。

リーズニングという言葉について、作業療法との関連を調べてみた。【クリニカルリーズニング】

作業療法士にとって、理解が重要な「リーズニング」について学んだことを折角なので共有しようと思った記事です。作業療法の理解が深まったり、実践に役立てば幸いです。

きっかけ

先日、@OTKoBiさんから、自分が公開したWebページに関しましてこのようなツイートをいただきました。

 

「リーズニング」という言葉について、「あれ?」っとなりました。
聞いたことはあったような気がするのですが、はてどういう意味だったか…。

正直に、「リーズニング」という言葉が分からなかったのです。

たぶん、作業療法学専門課程にて、どっかの授業でやったような気がしなくもないのですが…。

というわけで、自分なりに調べてみることにしました。

調査方法

検索エンジンにはgoogleを使用し、検索ワードは「リーズニングとは 作業療法」で調べました。

調査結果

まず、検索して1ページ目の一番上に出てきたものを引用します。

作業療法は治療における推論を重視し,クリニカルリーズニングとして教育している。

作業療法におけるクリニカルリーズニング概念の活用に関する文献的研究

なるほど。つまり、クリニカルリーズニングとは、治療上必要となる推論のことをいう概念なのですね。

クリニカルリーズニング = 治療上の推論

では、そもそもリーズニングとはどういう意味なのか、そこをもう少し掘り下げてみると

「リーズ二ング=reasoning」

つまり

「reason」がもとになっているんですね…。

無理やり訳すならば、「理由づけすること」

とでも訳せるでしょうか。

コラム OT∞KoBiさんの教え

ちなみに@OTKoBiさんからはこんな返答をいただきました。@OTKoBiさんありがとうございます!!

他の定義も見てみましょう。

PTの内山靖先生の定義です。

クリニカルリーズニング(clinical reasoning)は,臨床推論と邦訳される.
臨床現場では,原語をそのままカナ読みでクリニカルリーズニングと呼ぶことが多く,本稿でも特集タイトルに合わせてカナ表記を用いる.
クリニカルリーズニングとは,対象者の訴えや症状から病態を推測し,仮説に基づき適切な検査法を選択して対象者に最も適した介入を決定していく一連の心理的過程を指す.この過程は,気づきとともに経験や知識に基づく論理的思考による鑑別と選択の連続で,仮説を検証する工程を繰り返している.これが推論と呼ばれる所以である.ちなみに,reasonには,わけ,(背後の)理由,根拠,推理,分別,理屈などの意味がある.
クリニカルリーズニングは,臨床思考過程の呼称の1つで,そのほかにも臨床意思決定(clinical decision making)や臨床判断(clinical judging)などの用語がある.いずれも思考過程が発達した領域や背景に応じた特徴の違いによる呼称である.

なるほど。

つまり、

観察可能な事象から、

仮説を立て、

その事象が起こった背景について、検証を行う

というプロセスを論理的に行う技術を指すと考えれば良さそうです。

リーズニングとは技術であり、それを行う主体は、治療者側であるということですね。

コラム リーズニングを辞書で調べる

そもそも論なのですが、英単語として「reasoning」って言葉が存在するんですね…。
知らなかった!

研究社 新英和中辞典から出典

1 推理,推論; 理論; 論法; 推理力.
2 [集合的に] 論拠,証明.

もとから英単語の「reasoning」にはこのような意味合いがあるのですね!

まとめ

リーズニングとは、

「ある事象に対して、理由づけを仮説として行い、その根拠を検証可能な形で論理的に示すこと」